tedukurikotoba (2563)

長い目で見る

【漢字】長い目で見る 【読み】ながいめでみる 【意味】気長に将来を見守る。 【例文1】子どもの成長を長い目で応援する。 【例文2】どこまで一人で出来るのか長い目で見てやろうじゃないか。 【例文3】まだ若いから長い目で見てやってくれ。 長い目で見るとは、物事に対して現状の情報のみで判断せずに将来を考えることです。様々な観点からこの言葉を使うことが出来ますが、ここでは教育についてこの言葉を議論したいと思います。 現代社会では義務教育を筆頭に安定した教育機関が設けられています。結局のところ教育機関というのは平等を体現したような存在です。皆が足並みをそろえて学習し、また足並みを揃えること自体を教えています。 そしてテストや入試といった定量的な数値で子どもの能力を把握し、個人の性格に対する偏見に囚われない形を実現しています。しかし果たしてこの形は効率的でしょうか。 そんなはずはありません。まず、勉強ができるかどうかという新たな偏見的姿勢が生じています。もちろん勉強ができる人と頭がいい人は相関が十分にありますが、現代の子どもはもはや勉強ができる人を目指して勉強をしており、その先を見据えた教育がなされていません。細かいことを言うと当たり前ですが人は皆個性があります。本質的には足並みを完璧に揃えることは不可能なのです。つまり教育機関が多かれ少なかれ才能の芽を摘んでいることは確実なのです。 学歴などの定量的な数値に囚われず、先を見据えたそれこそ長い目で見る教育を意識して、教育に幅を持たせてみることも必要だと考えます。

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灯台下暗し

【漢字】灯台下暗し 【読み】とうだいもとくらし 【意味】灯台は周囲は明るく照らすが、真下は陰になって暗いことから、意外と身近にある事ほど気づかないという意味。 【例文1】おいしいパン屋さんがあると聞いて1時間かけて食べに行ったのに、家の近くにもあったなんて灯台下暗しだ。 【例文2】まさか内部に犯人がいたとは灯台下暗しだ。 【例文3】あちこち探し回ったのにネット通販にもあり灯台下暗し。 灯台は港などに立っている明かりを照らしてくれる標識のことですが、灯台下暗しとは身近な事ほど気づかないといった意味です。 例えば、常に一緒に暮らしている家族のありがたさについて。普段の生活は家族がいて当たり前であり、奥さんやお母さんがご飯を作ってくれたり、掃除をしたり家事をしているのが当たり前と思っていませんか。それぞれに仕事や趣味がある中で、ほかの人のために時間を割いているといことにもっと感謝しなければならないと思います。 身近にいる家族ですが、一人の人間であるということを忘れずに、常に感謝の気持ちを持ち続けなければいけません。 仕事や勉強などにおいても灯台下暗しということはよくあります。例えばテストのときや何か新しい企画を考えるときに考えてもわからない、調べても何も解決しないという時にその答えは案外身近にあるかもしれません。テストであれば問題に答えのヒントがあるなんてこともよくあります。どれだけ考えてもわからない、答えが出ないと悩む前にもう一度初心に帰り、最初から考えてみると答えは簡単に見つかるかもしれません。必死になるあまり周りが見えなくなってしまうときはいったん落ち着いて考えてみるといいかもしれません。 大事の前の小事という言葉については、社会人経験を通じて考えさせられることがあります。 例えば、会社のビジョンや方向性を掲げたり、先導する力はあるもの、肝心の進め方や具体的な方法論については現場任せである場合が多いですよね。 あとは任せた、という感じの人は世の中には多い気がします。 まさに、大きなことを成し遂げるためには、小さなことをしっかりとこなしていかねば成就しません。 基礎づくりが必ず必要です。 途中で失敗しても、小事である基礎をしっかり固めていれば、振り返ることもできますし、失敗後のリカバリーも早くできます。 まさに、足元をきちんとみるということに関しては、灯台下暗しという言葉も似たような内容であると思います。 このように、自分の足元がふわふわし、さらに自分の軸を持っていない社会人が沢山います。 私の子供達には、基礎が大事であることや、大きなことを成し遂げるには、小さなことをしっかりとこなしていかねばならないことを口酸っぱく言っています。 息子は将来、プロ野球の選手になりたいようですが、なるためには毎日、バットで素振りしたり、シャドウピッチングをしたりと、日頃の積み重ねが後々に物をいうことを話しています。

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手が届く

【漢字】手が届く 【読み】てがとどく 【意味】欲しいものが手に入る。または細かいところまで配慮がされている。 【例文1】もう少しでマイホームに手が届く。 【例文2】隅々まで掃除されている手が届いた部屋。 【例文3】後輩にまで手が届く。 手が届くとは2つの意味があり、細かいところまで配慮がなされている。 欲しいものが手に入るという意味です。 私は他人からどう思われているかとても気にするので、頭からつま先までぬかりなく身なりには気を配ります。 また友人が多く、自宅に招く事が多いので部屋はみんなが居心地よく過ごせるようにきれいにかたずけます。会社の先輩・後輩・同僚からは手が届いた部屋だねといつも褒められます。 世話好きな性格でもあり、こんな物が好きだと聞けばそれに見合った物や情報を流して教えます。みんなの喜ぶ顔が見たいのです。 会社勤めをして5年。ワンルームの部屋が手狭に感じ生活にも余裕ができ広い物件にも手が届きそうになったので将来のためにもと2LDKの部屋を借りようと思っています。

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辻褄を合わせる

【漢字】辻褄を合わせる 【読み】つじつまをあわせる 【意味】言っている事と行動に統一性を持たせる。 【例文1】彼の話は辻褄が合わないから信用できない。 【例文2】日曜日は友人といたと辻褄を合わせる。 【例文3】昨夜は一緒にいたと辻褄を合わせる。 辻褄を合わせることはいろいろな場面で必要です。 終わり良ければ全て良しではないですが、途中が上手くいかなくても、最終的には上手くまとめることが必要です。 仕事やその他の場面で、上手く辻褄を合わせられるかどうかが、成功するかそうでないかの分かれ道になってしまうことがあります。 しかし、中には上手く辻褄を合わせたつもりでも、ボロが出てしまい、結果的に上手くまとまらないこともあります。 辻褄合わせは良くないことを上手く見せようとすると、かえって辻褄が合わなくなってしまうようです。 私も今まで辻褄を合せようとして上手くいかなかったことが何度もありました。 そういう場合はたいてい、最初から上手くいかないことを無理に推し進めようとした結果です。 もしかしたら、自然の流れに沿っていれば、わざわざ辻褄を合わせなくても上手くいくものなのかもしれません。 下手に手を加えて失敗したケースは何度もありました。 しかし、時にはどうしても辻褄を合せなければいけない場面もあります。 日頃から辻褄を上手く合わせられるように準備しておくことも大切なのだと思っています。 名作とされる小説や映画、ゲームなど、しっかりと物語の展開が構築されている作品では、登場人物から設定までのあらゆる要素で辻褄が合うように作品が作られています。 例えば登場人物が発言した言葉、仕草の理由や、意味のあるようにカメラワークで人間の心理を訴えかけることなど、俗に言う伏線を散りばめる上手さや辻褄を合わせることが、面白い作品を作るために必要なことです。 どんでん返しが存在する作品でも、同じことが言えるでしょう。最後のオチにもっていくためには、それこそオチに物語が終結するように、矛盾のない展開や設定が必要です。この場合には、物語の序盤にオチの辻褄が合う伏線をはる必要があり、そうした設定が生きてこそ物語が発展していき、名作が作られると思います。 過去の名作からも、そうした事柄が大切にされていることが伝わります。サイレント映画の場合は、字幕や出演者の動きから物語の辻褄が合うように表現しなければなりません。チャップリンやバスターキートンの映画を観ると、ただ動き周っているだけではなく、しっかりと計算された動きと展開で表現されていて驚くばかりです。やはり名作を作るうえで辻褄が合う設定や物語の展開は重要だと感じました。

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父の恩は山よりも高く、母の恩は海よりも深し

【漢字】父の恩は山よりも高く、母の恩は海よりも深し 【読み】ちちのおんはやまよりもたかくははのおんはうみよりもふかし 【意味】父親と母親の愛情というものは、計り知れない程大きく深いものである。 【例文1】父の恩は山よりも高く、母の恩は海よりも深しで、感謝している家族に初任給で焼き肉をご馳走する。 【例文2】父の恩は山よりも高く、母の恩は海よりも深しで結婚記念日に温泉旅行をプレセントする。 【例文3】父の恩は山よりも高く、母の恩は海よりも深いものはない。 父の恩は山よりも高く、母の恩は海よりも深しとは、「父親や母親の愛情は計り知れないほど大きく深いものであるという意味」とされています。 また、「母の恩」は「母の徳」とも言います。 父が与えてくれた愛情を高い山を表し、母が与えてくれた愛情を深い海に表しています。 父親と母親へのありがたさは計り知れないもので、上は目に見える一番高い山を例えとして、下は目に見えないほどの深い海を例えとすることで、その恩の大きさを表しているんですね。 「自分が大人になってわかったけど、父の恩は山よりも高く、母の恩は海よりも深しで、両親にはどれだけ感謝しても足りないだろうな」といった場合で使えます。 山は目に見えるし高さの限度もありますが、海は底が見えないし深さもどこまであるか測ることも出来ないからわからないとも解釈できます。こう考えると微妙に変わってきますよね。「父よりお腹を痛めて産んでくれた母」だとはよく言いますが、目に見える父親への恩より、目に見えない母親への恩の方が大きいということになります。どちらも大きいということにはちがいありませんが。 解釈は人それぞれですが、どう解釈したとしても、両親には感謝してもしきれないというところは変わりませんね。

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