tedukurikotoba (2563)

不覚を取る

【漢字】不覚を取る 【読み】ふかくをとる 【意味】油断して失敗する。 【例文1】格下チームだからといって不覚を取らないように。 【例文2】対戦相手に不覚を取る。 【例文3】見た目で不覚を取る。 「不覚…」と言い残して斃れる達人剣士。 小説やマンガなどでもよく見かけられる光景ですが、大抵の場合は相手の使う技が奇天烈すぎる結果です。 それにも拘らず自分の覚悟の不十分さを敗因とするのは潔い天晴れな最期といえるでしょう。 対して粗忽者の「不覚を取る」は何の感慨も与えません。 未熟な人間が注意不足で失敗を連発したあげくに、「想定外の出来事でした」などと嘯くさまには怒りがこみ上げます。 しかも前もって注意・警告をしたのに、「大丈夫、まかせて」と余裕を見せながらの大失態には、ふざけるなの一言です。 後から見ても初見では誰でも避けられない失敗と、既知の失敗要因を抱え込んでの失敗では、当然ながらあつかいが違います。 不覚をとったと言う者は、失敗の責任は自分にあることを認めています。 想定外を使う方々は、「他の誰でも避けられない失敗だ。だから自分が責任を負う必要はない」を言外に、しかし必死に主張します。 責任者が責任回避に必死なのですから、見苦しいにも程があります。 失敗したら隠す・知らんふり・逃げる等の行為をとるのは、許しがたい恥知らずな振る舞いです。 潔く失敗の責任を認めることが、先々の信用につながる事をもっと理解して欲しいです。 もっとも会社どころか国が傾くほどの失敗では、先などあるべくもないのですが。

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膝を乗り出す

【漢字】膝を乗り出す 【読み】ひざをのりだす 【意味】興味を感じて乗り気になる。積極的に行動する。 【例文1】共同経営者に膝を乗り出す。 【例文2】同窓会の幹事に膝を乗り出す。 【例文3】チャンスにはすべて膝を乗り出す。 興味があることに対して動き出すということです。 膝を付き合わせるという言葉もありますが、膝という言葉には寄り添う、とか関心ごとに対して同じ方向を向くという意味合いがあります。 最近は膝を乗り出していくようなことはなかなかしにくい環境になってきている気がします。 これは他人への関心や低くなったことや、リスクをまず考えてしまう傾向も災いしているかもしれません。 ただ、何か関心や興味があれば、重い腰を上げてみるのは大事なことであると思います。 また、ひょっとした興味がビジネスに役立つことはあります。 例えば、駅のホームに掲載されている、車両に対する出口や乗り換えの案内は、もともと乗り換えや出口の階段に近い号車がどこかについて興味をもち、それを見える化した結果です。 今ではどの駅にも貼られるくらいの案内表示になり、大変便利なものとして、重宝されています。 このように、ビジネスにつながるものはいたるところに落ちています。 さらに、子どもに対しても興味がある、好奇心旺盛な人物になってほしいとも思っていますが、そのためには我々大人も膝を乗り出す姿を子どもに対して見せてあげる必要があります。

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馬鹿に付ける薬はない

【漢字】馬鹿に付ける薬はない 【読み】ばかにつけるくすりはない 【意味】ケガに付ける薬はいくらでもあるが、世間の常識がない人や物事の筋道を理解していない人は救いようがないという意味。 【例文1】何回言っても奴は聞かないので、もう馬鹿に付ける薬はない。 【例文2】馬鹿に付ける薬はないから放って置く。 【例文3】救いようがなく、もう馬鹿に付ける薬はない。 「馬鹿に付ける薬はない」これは愚かな人には何をしてあげても意味がない、変わらないといった意味でよく使われることわざです。 しかし、愚かなどうしようもない人間は薬では治らないとも取れます。 病気であれば、処方された薬で治ることもありますが、愚かな人間とは薬では治りません。 その人間の本質が変わらなければ変わることはありません。 これは愚かな人間自身が心を改めることが出来れば、変わることが出来るということです。 しかしなかなか人の本質というのは変わらないので、愚かな人間に効く「お薬」が開発されればもっと平和な世の中が来るのにと考えてしまいます。 「馬鹿に付ける薬はない」の馬鹿はあくまでも愚かな人を指します。 世間一般では勉強の成績のいい人を頭が良い、成績の悪い人を馬鹿と呼ぶことがありますが、このことわざは全くあてはまりません。 成績の悪い人は何をしてあげても意味がない、変わらないという意味ではありません。 成績の悪い人は、変わります。ちょっとしたアドバイスや指導でグンと成績が伸びることもあります。 それは人から与えられる薬です。成績の悪い人には薬がちゃんと効くので、周りが処方してあげることはとても大切なことです。 馬鹿に付ける薬は無いと言う言葉ですが、馬鹿は怪我や病気の類では無く、自分自身の問題であり、日頃の行動や考え方が余りに愚かであり、薬では到底治す事が出来ない事から、この言葉が生まれました。この馬鹿と言う言葉は愚かな者を指しており、過去の自分の失敗や過ちを全く活かす事が出来ず、何度も繰り返してしまう人を指しております。その様な人は薬以上の何かを使わなければ治す事が出来ません。類義語としては、馬鹿は死ななきゃ治らないが挙げられます。死とは薬以上の物ですので、馬鹿を治すにはそのくらいの覚悟が必要になると言う事です。具体的な言葉の使い方としては、借金問題等で、家族や周りの人に迷惑を掛けた人が、後の再び同じ問題で同じ様に家族に迷惑を掛けてしまった場合に使ったり、家族の事をかえりみる事無く自分のやりたい事、例えば新しく事業や会社を起こし失敗を繰り返してしまう人に対して使ったりします。裏を返すと、馬鹿に付ける薬はこの世の中にはありませんが、自分自身の気持ちや考え方、行動を治して行く事で、周りの人から見た「馬鹿」が治せると言う事にもなります。但し、馬鹿は死んでも治らないと言う言葉も有りますので、その様な愚かな者は生まれ変わらないと治らないのかも知れせん。 「馬鹿に付ける薬はない」とは、そのままの意味で馬鹿を治療する手立てはなく救いようがないとあきれる様子を表現しています。 「お前のような馬鹿に付ける薬はない」という風に使うと、貴重な薬を馬鹿に使うのは勿体無いという意味にも受け取ることが出来そうです。 馬鹿とは相手を侮蔑するときに使用する言葉ですが、いささか表現力に欠けていて子供の喧嘩や理性が吹き飛んだ状態でしか使えそうにないです。 気軽に馬鹿を連発する人間も稀にいますが、それほど賢いようには見えないのが残念です。 そもそも、なぜ馬鹿と呼ばれる人が存在する状況になるのでしょうか。 分別がつかない、理解力がない、個々の能力差など様々な理由が考えられますが、結局のところ相手に多くを期待しすぎていることが原因に思えます。 自他共に、相手をある程度は許容する余裕が欲しいところです。 ただ、意図が全くただのひとつも伝わらないような状況に放り込まれると、流石に相手の馬鹿さ加減を責めずに入られません。 日本語の文法を完全に無視した説明文や取扱説明書すら存在し、「これを書いたヤツは馬鹿じゃないの」と憤懣やるかたない思いをすることもしばしばです。 チンプンカンプンな文章を創作した相手を探し出して、馬鹿に付ける薬を処方したい気分にすらなります。

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盗人にも三分の理

【漢字】盗人にも三分の理 【読み】ぬすびとにさんぶのり 【意味】悪事を働いた盗人にでも理由があるもので、その気になれば、もっともらしい理屈はつけられるもの。 【例文1】訪問販売の営業マンの言う事は盗人に三分の理にしか聞こえない。 【例文2】盗人にも三分の理で彼女が結婚詐欺師だとは気付かなかった。 【例文3】盗人にも三分の理では通用しない。 本当の意味で反省しているならば、罪状に対して下された罰を素直に受け入れるべきでしょう。 弁護士の指導の下に反省文を書き、被害者に謝罪し、罪を犯したことを悔いている姿勢をとるなど量刑の判断材料にするべきではありません。 そもそも盗人の屁理屈など聞くに堪えないものです。 「店の商品販売価格は、予め盗まれた損失分も計上した上で設定されている。だから俺が盗んでも店の利益は計算どおりのはずだ」 「もともと所有していたのは私の国だ。だから私が取り返して本国に持ち帰るのは正しい行いだ」 「食い物を買う金が無い。あなたは私に飢え死にしろと言うのか」 などなど、枚挙に暇がありません。 自分の主張が正しいと思うのならば正々堂々と行えるはずですが、犯行は人目をはばかってコソコソと行われます。 既に自分が悪事を働いていることを自覚している証左なのですが、犯行後に居直るあたりは行き当たりばったりの人生を歩んできたからなのでしょうか。 社会の秩序を守るために制定された法律に真っ向喧嘩を売るような輩の馬鹿げた屁理屈など議論する余地もありません。 罪状が明確ならば、私情をはさむことなく断罪するべきです。 特に政治家が犯罪を犯した場合などは、社会において担う責務や悪影響を鑑みて罪一等重くすべきなのに逆に軽減されています。 いわく、これまでの社会貢献、すでに社会的制裁を受けた、などが標準的に用いられます。 古い時代には政治犯が権力者により重く罰せられる事例もありましたが今はそのようなことはないでしょう。 政治家が法律を正しく立法し、行政が正しく法律を運用し、司法が法律に従い正確に裁くのが法治国家のはずです。 それとも抜け道だらけのザルのような法律で皆さん満足しているのでしょうか。 「盗人にも三分の理」とは悪いことをする人間にもそれなりに理由はある、どんな悪いことでもつけようと思えばそれなりの理由はつけられるという意味です。 同じ盗みを働いたとしても、盗みをはたらくにはそれぞれ三分の理由はあるということですか。 家が貧しくて、空腹に耐えられずに目の前のパンを盗んでしまった、これも三分の理。 いじめにあっていて、いじめてる側からパンを盗んでこないとひどい目に合わせてやると脅された、これも三分の理。 その店が気に入らなくて、嫌がらせのつもりで盗んでやった、これも三分の理 万引きするスリルが楽しくて、つい盗んでしまった、これも三分の理。 生理近くになると万引きの衝動にかられてしまう、これも三分の理 仕事がつらくストレスが溜まっていたからストレス発散にためにぬすんだ、これも三分の理。 動画の閲覧件数を上げたくてインパクトがある動画を撮りたくて盗む様子を映したかった、これも三分の理。 こう考えると、盗人にも三分の理もごもっともです。何か悪いことをしてもその道理が合うか合わないかは別として本人なりの理由はあります。 まあ、その理由の重さは三分であったり、十分であったり、零分であったりするとは思いますが。

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錦の御旗

【漢字】錦の御旗 【読み】にしきのみはた 【意味】自分の主張ばかりを正当化し権威づける。 【例文1】社長は錦の御旗を揚げるから、社員が辞めていく。 【例文2】彼は偉そうにしているが、錦の御旗だからね。 天皇の軍つまり官軍の旗である「錦の御旗」は赤地の錦に金色の日像の刺繍が施されたり描かれている「日之御旗」銀色の月像の刺繍が施されたり描かれている「月之御旗」二本一組の旗で略称を「錦旗」別名を「菊章旗」または「日月旗」と言います。天皇から官軍の大将に与えられる朝敵討伐の証である「錦の御旗」は天皇や朝廷の威光を可視化した旗でこの旗に立ち向かうことは天皇家に弓を引く逆賊であると烙印を押されることになります。 1221年の承久の乱が起こったとき後鳥羽上皇が配下の将に与えた旗が日本史上初の「錦の御旗」とされています。近年では明治維新の際、鳥羽伏見の戦いで薩長軍が「錦の御旗」を掲げたことで徳川慶喜の戦意を喪失させ徳川幕府を崩壊へ導いたことでもよく知られています。現在でも天皇の即位礼など儀式の際に実際に使われています。また「錦の御旗」とは自分の行為や主張などを権威づけるためのものという意味の言葉としても使われています。何か行動を起こすときに正当性を主張できる道理や根拠を指す「大義名分」または権力や権威のある人が与える許可や保証を指す「お墨付き」などと同様に自分の行動や主張を正当化するときに用いられます。

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