tedukurikotoba (2563)

青雲の志

【漢字】青雲の志 【読み】せいうんのこころざし 【意味】高い位置につこうとする志。 【例文1】父は会社を拡張するために青雲の志を持ち続けています。 【例文2】息子が父の青雲の志を継いで事業を広げる。 【例文3】諦めなければ青雲の志は叶う。 「青雲の志」という言葉は司馬遷の記した「史記」に出てくる言葉です。青雲は青みがかった雲、あお空のことで高く超えた様子を表す言葉であり、「青雲の志」は空の高みを目指す、つまり立身出世をしようとする心、高い位につきたいという願望を抱くことです。「青雲の志」という言葉が一番ぴったりと来る人たちがいます。新選組の局長、近藤勇と鬼の副長、土方歳三です。彼らはもともと武士の生まれではありませんでしたが、農民でありながらも武士になることを夢見て、武芸を習い、学問をして機会を待ちます。土方歳三など少年時代に、武士になった時に使えるようにと弓矢を作るための竹を庭に植えていたといいますから用意周到です。そしてついに時来たりて将軍警護のための浪士募集に応じて京都へ向かいます。憧れの武士になる第一歩と思い、「青雲の志」を胸に江戸を出発していきます。彼らは若く、向こう見ずだったかもしれませんが、純粋に武士になりたいという願いが、彼らを武士道に邁進させていったのです。その背景には厳しい身分制度、「士農工商」や「上士、下士」、「譜代、外様」で名字帯刀の許しから、住む場所すら分かれていたという事情がありました。その時代に立身出世を望むには武士になるしかないと考えたのです。結果として近藤勇は大名の位までに上り詰めます。あの日の「青雲の志」は見事に叶ったのでした。

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水魚の交わり

【漢字】水魚の交わり 【読み】すいぎょのまじわり 【意味】水と魚が切っても切れないことから離れられない親密な関係をいう。 【例文1】小学校から水魚の交わりの30年来の旧友と旅に出る。 【例文2】20年の付き合いで水魚の交わりだから言葉にしなくても友人の考えがわかる。 【例文3】地元の友人は離れていても水魚の交わりだ。 水魚の交わり(すいぎょのまじわり)とは、水と魚の関係のように離れることができない親密な交際や必要不可欠な間柄。また、主従関係や夫婦、友人と仲睦まじいことの例え。魚は水があってはじめて生きられることからから転じて用いられています。 もともと水魚の交わりは中国の『蜀書 諸葛亮伝』を原典とする故事成語です。『三国志演義』の中に出て来る逸話としても親しまれています。 劉備は三顧の礼を持って諸葛亮(諸葛孔明)家臣に迎えてから、劉備と諸葛亮が親交を深めていきました。そのことを古参の家臣である関羽や張飛は快く思いませんでした。 劉備は関羽と張飛に『水魚の交わり』という言葉を出して語りました。 「私が諸葛孔明を得たのは魚が水を得たようなもの。諸葛孔明の軍師としての器量を愛することは、夫が妻を愛おしく思うようなものだ。桃園の誓い交わした私たち義兄弟の契には何も影響しない。」 古代中国では魚は恋人、配偶者の暗喩です。すなわち劉備と諸葛孔明は夫婦のような関係で常に一緒にいるのは当たり前。劉備と関羽と張飛との義兄弟の関係とは別である。そう言った劉備に関羽と張飛は納得しておとなしく引き下がったとされています。 「水魚の交わり」という言葉は三国志諸葛亮伝に出てくる言葉で、水と魚の関係のようにきわめて親密なつきあいのことを言います。「水魚の親」「水魚の因(ちなみ)」も同じ意味の言葉です。魚は水がなければ当然生きてはいかれません。きわめて親密なつきあいなら傍から見て何も問題ないように思えます。でも、ちょっと待ってください。こういう言葉もあります。「水、清ければ魚住まず」あまりに清廉潔白な人だと近寄りがたく、友人が少ないという意味ですが、水が綺麗すぎると魚の餌になるプランクトンが住むことができないので魚も当然住めません。「水魚の交わり」が市販のミネラルウォーターのように二人の関係性に透明感のあるものならいいのですが、泥水を二人ですするような関係性だったとしたら最悪です。政治の世界でも個人の交友関係が、問題にされる場合があります。二人の関係がずぶずぶの依存関係だった場合、収賄や汚職が懸念されでも仕方がありません。「朱に染まれば赤くなる」という言葉もありますし、「類は友を呼ぶ」などという言葉もあります。政治家として国家の運営に携わる者でしたら、襟を正してご自分の交友関係もよく見直してみるべきですね。自分を正しく良い方向へと導いてくれる友人と「水魚の交わり」ができればこれ以上の幸せはないでしょう。

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人間万事塞翁が馬

【漢字】人間万事塞翁が馬 【読み】にんげん(じんかん)ばんじさいおうがうま 【意味】幸せだと思っていた事が不幸に変わったり、一見、不幸だと思われる事が幸運を呼び込むきっかけになることがある。長い人生何が幸いして何が禍になるか予測が付かないものである。 【例文1】新車を購入して喜んでいたが、翌日車をぶつけてしまった。落ち込んだが、人間万事塞翁が馬で気を引き締めて運転する。 【例文2】足を骨折をして長期入院を強いられた。暇なので上半身を鍛えたらモテはじめて人間万事塞翁が馬だ。 【例文3】ケガで入院してのちにナースと付き合う事になり、人間万事塞翁が馬だ。 『人間万事塞翁が馬』は中国の書物『淮南子(えなんじ)』が出典になっています。 『人間万事塞翁が馬』の「人間」とは日本で言う人ではなく中国で言う世の中を意味します。「塞翁」の「塞」は砦、「翁(おきな)」とはおじいさんという意味です。「が」は所有を表す格助詞になります。直訳すると砦の近くに住んでいるおじいさんの馬のお話になります。 その昔、中国の北方に砦があり、そこに占いが得意なおじいさんが住んでいました。ある日、おじいさんが飼っていた大事な馬が逃げてしまいました。近所の人たちはおじいさんを気の毒に思い慰めに行ったところ、おじいさんはうれしそうに言いました。 「このことがきっかけで幸福が舞い込んでくるかもしれない。」 数日後、行方をくらましていた馬がいい馬をたくさん引き連れて戻ってきました。近所の人たちがお祝いに行くとおじいさんが残念そうに言いました。 「このことが災いにならなければいいが」 しばらく経って、おじいさんの息子が落馬して足の骨を折ってしまいました。近所の人たちがお見舞いに行くとおじいさんは平然と言いました。 「このことが吉と出るだろう」 ある日、おじいさんの国が戦争になり、敵が砦まで迫ってきました。多くの若者は戦争に駆り出され戦死しましたが、おじいさんの息子は足のケガのおかげで徴兵を免れることができました。おじいさんの息子は命拾いをしました。 ここから良くも悪くも災いや幸せは予測できないものという故事成語が生まれました。 人間万事塞翁が馬と言われる故事成語は、人生には色んなことが起こるから、一々大げさに反応しても仕方がないという意味ですが、この由来をご存知でしょうか。 その昔、中国に塞という国がありました。この言葉は、塞の国に住む親子の話から来ています。親子と言っても子は既に成人しており、親ももう翁、つまり老人の年令になっています。ある時、子が大きくて立派な馬を手に入れました。子はとても喜んで近所の人々に自慢をしていましたが、ある日その馬から落ちて大きな怪我を負ってしまいました。怒った子は馬に対して怒り、またとても悲しみました。こんな馬なんか手に入れなければ良かったと思いました。ところがその数日後、塞は隣国との戦争状態に突入しました。若い男たちは兵に徴収されていきますが、怪我をしている男は徴収されずに済みました。戦争に行かなくて済んだ男は、怪我をしていて良かったと喜びました。そしてこれらの間、親である翁はこの様子を穏やかに笑いながら見つめていました。 この話からは、とにかく子どもの方がコロコロと感情を変えているのが分かります。実際、色んなことに対して鋭く反応していると感情も揺れ動きますが、それに合わせてとても疲れてしまいますね。塞翁が馬とは、こんな風に色んなことが起こっても静かに穏やかに過ごすことが人生を幸せに生きる秘訣だという故事成語なのです。 一つの業界で仕事をこなしてきた中で、事件に巻き込まれて危機的な状況に陥ったり、体力的に負担が大きくなったりして、その仕事を辞めようと思ったことは何度もありましたが、それでも時間と共にそれらは解決していき、結果、20年間同じ業界で務めることができました。 そして、いつしか自分自身に対して確固たる自信が生まれ、「俺はもうめったな事では揺るがない」、そう思えた矢先に、ささいな人間関係の問題で、長年過ごしてきたその業界を去ることになりました。ただでさえ景気の悪い時代に、収入も減り、未来の見えない不安に苛まれる日々。 しかしそうした現実が、今までの生活の中で怠けていた様々な部分を見直すきっかけになってくれました。例えば、毎日の食事を外食やコンビニ弁当で済ますことになんの疑問も持たなかった生活が、少し自炊をすることではるかに健康的な食生活になり、しかも食費もこれまでの半分以下に抑えることが出来るようになったこともその一つ。ろくに使っていなかった車を処分し原付に変えることで、年間の維持費も20万円以上下げることも可能になりました。 それもこれも、人間関係の躓きがなければ考えようとすらしなかったことです。20年勤めたその業界は、実のところ斜陽産業であり、これまでの20年と同様に安定した生活が、今後20年も送れるとは限らない雰囲気が漂っています。そんな中で、これまでどれだけ自分が無駄な生活を送ってきたかを気付かず、例えば10年後に仕事が無くなってから無駄遣いをしてきたことに愕然とするよりも、今は辛くとも、ここで気が付いてよかったのではないかと思えるのです。そして何より、それまで神経を削るだけの仕事から、自分が本当にやりたいことを突き詰められる仕事に出会えた事は、正に「人間万事塞翁が馬」なのではないでしょうか。 フリーのイラストレーターの友人の話です。フリーと言えば聞こえがいいけど、つねに注文があるわけでも売れる店舗があるわけでもなく、ごくたまに催事で出す程度です。これの売れ残った作品を指定のギャラリーに置いていたそうです。 そのギャラリーが急に移転することになった、作品を取りに来て下さいと言われたのですが、バイトが重なって日程が合いません。残り3つだし、では送ってくれますかと言えば、忙しくて無理との答え。そこを食い下がると、送料負担でよければ折り返し連絡しますと。そしてそれっきりでした。 一応は、と友人は悔しげに言うのです。時間をかけて苦労して描いたものであると。それを取りに行けないし送っても貰えないとしたら、引っ越しゴミにでもされるのだろうね。 それも仕方がない、と、もう相手方に連絡もせず放置して5日余り、思わぬところから電話が来たといいます。そのギャラリーに自分の作品を取りに来たら見かけて気に入ったので全部買いたい、ただ、まとめて買うから値引きして貰えないかという話。 本人はびっくりして、引き取って頂けるだけでも有り難いです、ただで宜しいですと言ってしまいました。でもその方はちゃんと値段を提示して、その通りに振り込んで下さったそうです。 まさに大逆転です。しかし自分の力ではどうにもならないところを、良い人に見つけて貰ったおかげに違いありません。その3つはずっと残っていたのにその人が来たときなぜ目についたのかと言えば、ギャラリーは移転のためにその作品を壁から外し、ちょっと目立つ通路側に移動して置いたそうです。 私の男友達に、親が再婚している人がいます。本人にきちんと許可を得たので、彼のご家族のエピソードをご紹介します。 彼のお母さんは、若い時に信頼して結婚した相手が入籍をした直後に豹変して、ひどい言葉をたくさんかけられてきたそうです。結婚前は、少しヤンチャではありましたが本当に親切な人だったのに、演技をしていたみたいなのです。 さらにはふだんから奴隷扱いをされて、子育て中でしたが別れようと決意し、裁判で相手と闘った末に離婚しました。プライドがあったので、夫からはお金は一円ももらわなかったそうです。 しばらくシングルマザーで、大変な思いをしてきたようですが、離婚して十年くらい経ってから心の優しい外国人男性に出会い、相手は初婚でしたが息子のこともすんなり受け入れてくれたそうで、今では家族3人で仲良く暮らしています。 彼は再婚相手のご両親の家にも遊びに行き、向こうのおじいさんおばあさんも孫のためにと色々な遊びを用意してくれたいたそうです。新しいお父さんは海外出張が多く、あまり家にはいないそうですが、何か家族が病気になると心配して帰って来てくれたりするそうです。 彼や彼のご両親を見ていると、万事塞翁が馬とはこのことだなあと思います。 人間万事塞翁が馬という言葉の意味をご存知でしょうか。 人間にとって人生の中で幸、不幸は予測し難く、いつ幸せが不幸に、不幸が幸せに転ずるか、わかりません。 そのため、少しの幸、不幸に対して一喜一憂するべきではないということのたとえです。 この人間馬事塞翁が馬という言葉が一番似合うのは、今まさに甲子園球場で開催されている夏の全国高校野球選手権での試合です。 甲子園は1回負けるとそれで終わりです。 甲子園に出場するチームは全て地方の予選を勝ち進んできており、チームの総合力においては甲乙つけ難い状況であると思います。 ただ下馬評というものがあり、過去の甲子園の実績は率いる監督の采配など、外的な要素はあるものの、それらの外的要素に対して過敏になる必要はありません。 またこれらの下馬評がよいとされてきたチームが9回ツーアウト、ランナーなしから、あれよあれよという間に負けてしまうということもあります。 従いまして、舐めてかかると痛い目にあいますし、途中勝っているからといって、9回の3アウトを取るまでは野球の試合は成立しません。 このように、途中経過が良くても、野球は最後に1点多くとっている方が勝ちですので、きちんと意識をもって、集中力を切らさずに試合に臨むのが必要であると思います。…

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鯉の滝登り

【漢字】鯉の滝登り 【読み】こいのたきのぼり 【意味】勢いがあって高い地位につく。 【例文1】A氏は正義感があり鯉の滝登りみたいに出世した。 【例文2】日本人離れしたスタイルが鯉の滝登り並みに雑誌の表紙デビューを飾る。 【例文3】企業1年で年商1億とは鯉の滝登りだ。 「鯉の滝登り」とは鯉が中国の黄河にある急流(竜門)をさかのぼり天に至りて龍となるという伝説から、人の立身出世をさします。鯉はそもそも池や川底など流れが比較的緩やかな場所を好み、滝をさかのぼることなどまずあり得ません。竜門という場所の下には鯉やフナなどがよく群れているのだそうです。その群れの中の一匹でも抜け出して滝を逆に登ろうと試み、もしも登ることができればその鯉は龍立身出世のための難しい関門という意味で生まれています。この伝説から床の間に掛ける、掛け軸も鯉が滝に登ろうと跳ねている絵が縁起物として喜ばれ、昔は新築祝いなどに贈られました。また、男子の初節句に揚げる鯉のぼりもこの伝説から、男子に生まれたからには立身出世をと願う思いから習慣になったと考えられます。 登竜門は芸能界のオーデイションなどでも、「新人デビューの登竜門」などと使われますし、もっと身近なところで運動会の入場口の門に登竜門と書いている学校もあります。立身出世と言えば日本で有名なのは木下藤吉郎、後の豊臣秀吉ですね。地方武士の配下であった農民出身の彼が天下を治めるまでになるのですから、これ以上の立身出世はありえません。のちのち天下を取った織田信長の家来になるという幸運に恵まれたかもしれませんが、本人の才覚だけでなく、池の鯉が急な滝をさか登るほどの努力を重ねて得た天下だったに違いありません。大阪城の天守からの眺めは彼にとって格別なものだったでしょう。 立身出世を意味する言葉に「鯉の滝登り」があります。こどもの日の鯉のぼりの由来となってもいるこの言葉について、そのルーツをお話ししましょう。 これは、中国の「後漢書」に出てくる故事に由来します。ある宮廷の実力者に能力を認められた人は必ず出世するということを、「竜門を登った鯉」になぞらえました。 試験やオーディションなど、出世のための関門のことを「登竜門」と言いますが、「竜門を登る」が「登竜門」という言葉になったわけです。 では、竜門とは何か。これは、黄河の上流にある急流のことで、ある皇帝が竜門山という山を切り開いて作ったものです。要するに、皇帝の治水事業によって生まれた滝ということになるでしょう。 その急な流れをさかのぼることができる鯉はそう多くはありません。かなり稀な力を具えた鯉と考えていいでしょう。そのように特別な能力を持っている鯉が、竜門を登りきることができるわけですが、登り切った鯉は、何と竜に変身して天に上るとされています。 地上の魚が天上の竜になるわけですから、これ以上の出世はありません。それで、立身出世するための関門を「登竜門」と称し、その関門を越えて出世することを「鯉の滝登り」というようになったのです。 子どもの日の鯉のぼりには、ですから、「わが子の出世を願う」という意味が、本来はあるわけです。 中国の伝説で、黄河上流には流れが激しく、河を遡ろうとする大魚が、それ以上は進めずに集まってしまう“龍門”と呼ばれる場所があるそうです。 激しい流れを物ともせずに、急流を昇り切った鯉は龍になると云う故事から、“鯉の滝登り”とは、目覚しい立身出世を意味する、ことわざとなっています。 オーデション番組や、創作物のコンクールなどで用いられる“登竜門”とは正にこの事で、多くの試練を潜り抜けた者は、龍となって目覚しい将来が待っていると云った意味合いで用いられているようです。 “鯉の滝登り”は、立身出世を願う縁起物であり、掛け軸などに好んで描かれ、端午の節句や、開業祝いなどの贈り物に良いとされています。 ただ、滝を登るのが“鯉”とされたのは日本独自な物のようで、本場中国では“大魚”または“チョウザメ”なのだそうです。 鯉の滝登りの出典は“後漢書”と云う物で、“可もなく不可もなく・烏合の衆・先見の明・帰化”など、今日の日本でも馴染み深い多くの言葉が、後漢書より生またそうです。

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芸がない

【漢字】芸がない 【読み】げいがない 【意味】人と同じで面白みがない。つまらない。 【例文1】係長の忘年会の余興は毎回ワンパターンで芸がない。 【例文2】芸がないからいつまでもブレイクできない。 【例文3】ネタが似すぎて芸がない。 毎年年末になると会社全体で希望者のみ、忘年会旅行に行きます。希望者と言ってもパートさんや女性社員以外は、ほとんど行く事になります。1泊2日で行く場所は毎年伊豆と決まっていて、費用は会社が一部負担してくれるので、毎年私は楽しみにしています。 宴会中は各支店毎に、一芸がある人や目立ちたい人、無理矢理抜てきされた人がステージに上がり余興をやります。この制度が始まった頃は、面白くてかなり盛り上がっていました。 年々みんなが飽きを感じ出している頃に、社長があの余興芸がないからなんとかしろと会議で言いました。部長の指示で宴会係が選出され、緊急で忘年会の時に、やる事を考えるのが指令でした。その宴会係に選出されたのが、一番年下で役職が下だった私でした。 指令から忘年会まで2ヶ月ありましたが、どうしたら良いのかさっぱりわかりませんでした。 今迄の余興は、芸がないと言われたので芸があるようにすれば良いと思いました。 そこで、支店毎に一人ではなく支店毎全員が参加した形の余興という事を提案しました。 伝達を受けた各支店は、色々なアイデアを出して練習に励みました。 宴会当日になり余興の時間になり、各支店の出し物が始まりました。サンバをやる支店や、流行りの女性グループの踊りをやる支店など様々あり、楽しく忘年会ができました。

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