tedukurikotoba (2563)

頭角を現す

【漢字】頭角を現す 【読み】とうかくをあらわす 【意味】才能が他の者よりも優れている。 【例文1】プロ入りしてメキメキ頭角を現す。 【例文2】彼女は中学校から成績が上がり頭角を現す。 【例文3】書道の腕が頭角を現す。 「頭角をあらわす」とは友の墓誌銘でした 「頭角をあらわす」という言葉は唐の文学者韓愈が柳子厚墓誌銘に記したもので「才能や力量が群を抜いて秀でてくること」の意味です。韓愈は十歳の時、兄の左遷について広東省に下り、25歳の時に進士(現在の上級国家公務員試験のような試験)に受かったものの仕官できず、国立大学の教員をして過ごします。その後自身も2回の左遷にあい、挫けそうになりながらも次第に出世し国立大学の学長まで上り詰めます。文学も古文復興運動に力を注ぎ、作品を残していきます。柳子厚は柳宗元の名で日本では知られています。柳宗元も中央と地方の左遷と繰り返し、地方が多かった苦労人でした。韓愈と1年ほど同じ職場にいたことから懇意になり、一緒に古文復活運動を興します。韓愈と並び称される文学者でもあります。韓愈は柳宗元の墓誌にこの言葉を、不遇の時代を生きながらも優れた作品を残した友人に贈ったのです。この言葉の如く「頭角をあらわし」てきた野球選手がWBCで注目されました。千賀滉大選手は野球が特に強いわけでもない県立高校に進学し、投手として頑張っていたところを近所のスポーツ用品店の店主がプロのスカウトに連絡して見てもらい、育成4位指名でプロ入りし、のし上がってきた本格派です。彼のWBCでの大活躍は目覚ましいものでしたし、今後も活躍していくことでしょう。

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手が上がる

【漢字】手が上がる 【読み】てがあがる 【意味】技術が上達する。 【例文1】新婚当時に比べて妻の料理が手が上がる。 【例文2】日曜大工の手が上がって次は収納棚を作る。 【例文3】書道の手が上がる。 「手が上がる」という意味は「腕が上がる」に似たようなものだと思います。 しかし、どちらかというと「腕が上がる」の方がよく使っています。 何となく私のイメージでは、手は手先だけなのに対し、腕は手から腕まで全体のことを指していて、後者の方が実力を備えたという印象があります。 私は「手が上がる」という言葉の捉え方は、別の意味だと思っていました。 親や祖父が叱る時に、「悪いことをすると手が上がるよ」と言われたような気がします。 今の時代に、親や祖父が手を挙げて叩いてしまったら、虐待とも言われかねません。 しかし、私の子どもの頃は、親が子を叱るときに叩くのは、けっこう当たり前だったような気がします。 それはかなり大きくなるまで続いていた家庭もあり、高校の同級生は「昨日父親に殴られた」と言っていました。 「手が上がる」という意味が全く違っているのを、大人になってようやく理解できるようになりました。 どんなことでも良いのですが、やはり実力をつけて、「手が上がる」または、「腕が上がる」ようになっていきたいものです。 おそらくこのことは一生の課題ではないかと思っています。 芸術家が納得できる作品が一生に一度あるかないかだ、という意味が何となくわかるような気がします。 「手が上がる」は挙手のことではありません。「技量が上がること、お習字が上手になること、お酒の量が増えること」です。例えば将棋を指しているところで「良い手だ」と言えば肉体的な手の形状を褒められたわけではないのがわかりますよね。この場合の手は手法です。また、神社仏閣の装飾に使われている彫刻や、仏像が「誰の手だ」と言えば、この場合の手は彫刻家の技量、力量です。こうした時の「手が上がる」は「技量が上がる」ですね。また、字を習うことを「手習い」といい、最初から習わなくても字が上手な人を「手すじが良い」といいます。ですからここでの「手が上がる」は「お習字が上手になること」。最後の「お酒の量が増える」は手が代金を意味するところからきているようです。落語などで年の暮れに勘定をもらいに掛け取りがやって来る。借金取りが「酒手(さかて)を頂きに参りました」と言えば酒屋がお客のところにお酒の代金をもらいに来ているとわかります。昔はお酒もお米も盆暮れの年2回の支払いで掛け売りするのが当然でしたし、日用品だけでなく着物や調度品まで掛け売りで販売するところもありました。盆暮れは借りている方も、貸している方も必死です。一夜明けてお正月になれば、もう次に代金がもらえるのは半年後のお盆ですから大変です。ヘタを打てば身代に関わります。そこで落語では払いたくない方があれやこれやと逃れようと、珍妙な策を立てるというのが定番です。酒手が上がると言えば飲酒が増え、勘定が増えることですから、「酒量が上がる」の意味が出てくるのです。

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つうと言えばかあ

【漢字】つうと言えばかあ 【読み】つうといえばかあ 【意味】語源は「~つう事だ」「そうかあ」からきていると言われ、親しい間柄でちょっと言えばすぐ通じる様子をいう。 【例文1】じいちゃんとばあちゃんはつうと言えばかあの一言会話で通じるからすごい。 【例文2】親友とは20年来のつうと言えばかあの仲だ。 【例文3】つうと言えばかあと言える仲になりたいね。 「つうと言えばかあ」は俗にいう「つうかあの仲」のことです。「お互いに気心が知れていてちょっと口にしただけで内容がわかるほどに気持ちが通じ合って仲がいいこと」です。実際にそういう関係の方々がいても、よほど近しい人でなければわかりません。ですが、小説にはそういう人たちが存在します。畠山健二氏の「本所おけら長屋」に出てくる酒屋つとめの松吉、米屋つとめの万造の万松コンビが「つうかあの仲」です。良いことも悪いことも、口の端に上らせただけで「あいよ」「みなまで言うな」状態で二人で話を進め、時に周りの人だけでなく読者までが置いてきぼり。そして長屋中を巻き込んで大騒ぎになります。読者を大きく裏切る展開にハラハラドキドキ、時にぼろぼろ泣くことに。「本所おけら長屋」にはお節介な人たちが不思議に集まり、毎日がとても賑やかです。読み始めれば一気に読み終えないほど気が済まないほどはまります。お節介で、それぞれ仲が良い人たちの織りなす人情話。だから八冊も続編が出るほど支持されているのですね。東川篤哉氏の「謎解きはディナーのあとで」に出てくる執事も「つうと言えばかあ」で麗子お嬢様が何かしようとすれば先回りして何もかも手配をしてくれる、とても有能な執事ですが、こちらはあいにく麗子お嬢様がものすごく鈍く、執事の彼の気持ちがわからないので、こちらは厳密にいえば「つうと言えばかあ」の仲ではありません。お互い同志が分かりあえていることがキーポイントですね。 

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知恵を付ける

【漢字】知恵を付ける 【読み】ちえをつける 【意味】第三者が方法を教える。 【例文1】中学生の兄が小学生の弟に知恵を付けて言い訳けばかりするので困っている。 【例文2】知恵を付けてどんな対応にもにうまくかわす。 【例文3】まったく、どこで知恵を付けてきたんだか。 「知恵を付ける」は「傍から入れ知恵をすること、知恵や策略を教えること」です。この言葉にぴったりの落語があります。「牛ほめ」です。ある家に悪い子ではないのですが、おつむの弱い息子がおりました。その息子が叔父の新築祝いに出向くことになり、心配した父親は息子に知恵を付けます。『家は全体は檜づくりですね。畳は備後の五分べりで、左右の壁は砂摺り(土壁を作った上にさらに装飾のために砂を摺りつけて撫で上げた壁)で、天井は薩摩の鶉杢(うずらもく、ウズラの羽色のような木目、屋久杉もこう呼びます)で。結構なお庭。お庭は総体御影づくり(御影石と飾りに置いてある日本庭園)でございますな』と教えるのに、復唱させてみると、「家はへノコづくり、畳は貧乏でボロボロで、佐兵衛のカカアはひきずりで、天井は薩摩芋とウズラ豆、お庭は見かけ倒しで」とここまで間違えるか!と言うくらいの出来です。その上、買ったばかりの牛まで褒めるようにと知恵を付けますが、どうも無理そうです。そこでメモにセリフを書いて読むようにと渡します。ついでに「台所の大黒柱に穴があってそれを叔父さんは気にしているから、その穴に火の神様の秋葉神社のお札をお張りなさいと伝えるように」と送り出します。最初、息子はぼろを出しそうになりますが、メモのお陰で牛まで済んだところ、叔父さんが「牛が糞をして困る」と言った途端、したり顔で「秋葉様のお札をお貼りなさい」と言ってしまうというオチです。親心で「知恵を付けた」ものの仇になるというお話でした。

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対岸の火事

【漢字】対岸の火事 【読み】たいがんのかじ 【意味】海の向こう側で起きている火事はこちらまで燃え移る事はないから、非常事態が起きてはいるが、自分には関係ないという考え。 【例文1】外国で大地震が起きたが、対岸の火事とは思えないので自分にできることは募金をすることだ。 【例文2】彼は対岸の火事だという態度を取る。 【例文3】対岸の火事で責任転嫁する。 対岸の火事という言葉を良く聞きますが、意味としては、他人にとっては大変なことであっても自分には影響ない、ということを表現した内容です。 ただ、対岸の火事といえども、火の粉が来るとたちまち自分にも影響が発生します。 例えば、企業ぐるみの不正疑惑です。 今年は有名な企業により、品質の不正処理が明らかになり、品質大国の日本と言われた時代からは程遠い状況でした。 例えば、自動車のエアバックを製造する会社や、鉄鋼メーカー、自動車の品質を担保しなければならない部署による不正は後を絶ちません。 これはひと言でいうと、対岸の火事だとしか思っていない証拠です。 目の前にある利益のために、繰り返し不正がなされている企業体質は、改めなければなりません。 ただ、長年に渡り、同じような事象が色々な会社で発生している状況は、消費者にとってみても、不安になるどころか、憤りさえ感じてしまう事案ばかりです。 特に不正によって、不幸にもお亡くなりになられた事案を見るたびに、日本の安全神話や、ジャパンクオリティと呼ばれているものが崩れ始めているとしか言いようがありません。 対岸の火事という意識から、人のふり見て我がふり直せ、という意識改革が必要です。 対岸の火、或いは対岸の火事、という言葉があります。言葉からイメージできると思いますが、これは遠くで起きている事件とか事故のことになります。恐慌なんかもそうです。さて、最近では対岸、或いはそれこそ、海の先の話であろうと自らに降りかかってくることがあったりします。実際のところ、世界は必ず繋がっているといえます。例えば世界最強国家であったスペインの凋落のひとつが当時、まったく統一もされていなかった日本の銀山にあったりとどこかしら、国家などは繋がりがあるといえます。特に経済というのは太いか細いかというのはともかく繋がっていることが多いのです。近いところでいえばリーマンショックなどがそうでしょう。間違いなく直接的に関係している人なんて殆どいなかったはずです。アメリカのサブプライム層の住宅債権であり、そんなものを持っている人なんて日本には一般労働者においてはまずいなかったのにも関わらず、破綻したお蔭でそれこそ派遣村なんてものまで作らないといけないような状態になりました。特に金融にいえることですが、もう複雑に絡み合っているので対岸の火事を決め込み、眺めているような状態にならないようになっているといえるのです。

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