tedukurikotoba (2563)

愛想を尽かす

【漢字】愛想を尽かす 【読み】あいそをつかす 【意味】呆れて見放す。 【例文1】何事にも頑固な彼だから周囲から愛想尽かされる。 【例文2】愛想を尽かして家を出る。 【例文3】愛想尽かされてフラれる。 「愛想を尽かす」の愛想は「人に示す好意、愛らしい様子。好意のあらわれとしてもてなす茶菓子やお世辞。飲食店などでのお勘定、勘定書き」の三つがその意味です。「愛想を尽かす」で「嫌になって取り合わないようにすること」です。飲食店などで年配の方が連れの人におごる時に「お愛想」と言うのを聞いたことがありますが、「お勘定」とか「お支払い」と言うより粋ですよね。歌舞伎や落語で「愛想を尽かす」という場面では大概、男女の縁切りを迫る時ですね。怪談の「四谷怪談」もそうですし、「牡丹灯籠」もそうです。無理に縁切りを迫り殺してしまったり、死んでしまったりすることが仇となり、幽霊がという怖いお話です。落語の名作「芝浜」では年の暮れだというのに酒を飲んでばかりの魚やの夫が芝の砂浜でお財布を拾い、大金が入っているのを見て遊んで暮らすからと妻に宣言し、酒を呑んで寝てしまい、起きてみると財布を拾ったことは夢だと妻が言い張ります。亭主はさっき呑んだ酒の代金すら払えない事態に真っ青になり、もう酒は呑まず仕事に励むことを妻に約束し、仕事に行きます。それから十年、番所に届けた落とし主不明で戻ってきたのを機に、妻が「愛想を尽かされる」ことを覚悟のうえで真実を打ち明けます。夫は妻の機転に感謝し、これからも真面目に働くことを約束するという話です。江戸時代は夫側から「愛想を尽かし」離縁するのは「三下り半」、つまり三行半の文章で離縁を申し渡すだけで済んだのにも関わらず、妻側からは縁切寺に駆け込むなどしないと難しかったようです。女性には大変な時代でした。

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我が意を得る

【漢字】我が意を得る 【読み】わがいをえる 【意味】自分の考えと同じで満足だという意味。 【例文1】企画書を読んだところ我が意を得る内容だ。 【例文2】我が意を得る家族や友人がたくさんいる事は幸せだ。 【例文3】地元の仲間と我が意を得る。 「我が意を得る」というのは、自分の考えにぴったり合うという意味として使用されます。 例として、文章の中身を誰かに頼んだとして、内容がぴったりだった時には、 「我が意を得た文章だね。」というように使用します。 他の人考え方が自分の考え方と同じでうれしく感じる様を表す場合の表現方法としては、 「こういう企画をしてくれないか?」「なるほど、このような感じですね。」 「さすが、我が意を得ているね。」というように使用していきます。 また、似たような意味ですが、物事が自分の思いどおりになることという意味でも使用されることがあります。 例えば、自分の好きなアーティストが人気が出たことに対して我が意を得た思いがする。 というような感じで使用します。 実体験の中で一番この言葉を使用するのは、やはり仕事の場所でしょうか? 大人数が参加している会議の中で、自分の意にしている意見などがでてくると、「我が意を得ているね」というように感じます。 また、自分がどうしたいか考えて先に動いてくれる人の行動も同じように「我が意を得たり」というように感じます。 芸能などの分野でも自分がすき好んだものや、自分がこうしたいと考えている方向に物事が動くさまを表す言葉です。

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老骨に鞭打つ

【漢字】老骨に鞭打つ 【読み】ろうこつにむちうつ 【意味】自分自身が謙遜して言う場合にのみ使うべき言葉で、年老いて身体は衰えてきたが、何かをしようとする気持ち。 【例文1】定年後、老骨に鞭打って草野球のコーチを引き受ける。 【例文2】我が子達にはなるべく迷惑がかからないように老骨に鞭打って運動を続ける。 【例文3】長生きするため老骨に鞭打つ。 老骨に鞭打つとは、老齢だけれど気持ちを奮い立たせてがんばるという意味です。大体の人はみな老齢になるともう年だから無理とやりたいことを諦めてしまう傾向にあります。はたしてそうでしょうか?老齢になってから始めたことが、成功した方は周りにはいませんか。 インターネットで79歳の方が、宅地建物取引主任者の資格に合格されたことが紹介されていました。女性で最高齢の合格者です。宅地建物取引主任者というと、国家資格でかなり難しい資格です。合格しただけかと思いましたら、ご自身で不動産会社を開業しているそうです。またさらに驚きなのは、開業できるのは、今までキャリアがある方なのだろうと思っていましたが、79歳の年まで専業主婦だったそうです。すばらしいことですよね。 近年は、老齢でも職業に就いている方は多くなってきています。定年になって会社を離れたとしても、又新たな事を始める機会になったと捉えたら楽しいでしょう。 人は何かを始めようと思って、何かに取り組んでいくとワクワクしますよね。老齢だから諦めてしまってはもったいないです。

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冷汗三斗

【漢字】冷汗三斗 【読み】れいかんさんと 【意味】強い緊張感や恐怖心を抱いたり、恥ずかしい思いで冷や汗をかく様子。 【例文1】山で道に迷って一夜を明かした時は冷汗三斗だった。 【例文2】彼女の両親に挨拶をしに行った時は冷汗三斗の思いだった。 【例文3】新郎スピーチでは冷汗三斗だった。 「れいかんさんと」と読みます。 「冷汗」は冷や汗のことです。「三斗」は量を表します。「斗」は容量の単位で、「一斗」は十八リットルです。「三斗」は、量の多いことを表します。 意味としては「恐怖や恥ずかしさから、体中から冷や汗が流れる」です。 現代ではあまり聞きなれない言葉です。 私がこれまで大量の汗がでるくらいに緊張したのは大学受験でした。センター試験では緊張しなかったけど、やはり本番では手に大量の汗をかいて脇汗までかいてしまったくらいです。本当に三斗くらい汗が出たのではないかというくらい緊張しました。 家計の負担を考えて滑り止めを受けずに国立1本で挑んだせいかプレッシャーが半端なかったです。結果は合格で嬉しさのあまり母と抱き合って喜びました。 涙は一斗くらい出ました。もうあの時のような冷汗三斗をする思いはしたくないです。 「冷汗三斗」の「冷汗」は物凄く恐れ、恥じ、気を遣う時に出る冷たい汗のことです。それを三斗というと一斗が15kgですから45kg、おおよそ「小型の洗濯機一杯分くらいの冷や汗をかくこと」のことです。どんな時か?NHKの「おんな城主 直虎」で今川氏に徳川への寝返りを疑われ、偽の手紙に招かれて井伊直親が偽の徳川家康と鷹狩に出かけ、その事実を今川に呼び出された小野但馬守が、今川義元の母である寿桂尼に目の前で突き付けられ、問い詰められた場面。小野但馬守の蒼白になった顔はまさに、冷汗三斗の表情でした。高橋一生さんの見事な演技で緊迫した場面での彼の心の内の葛藤がよく伝わりました。また、国民的な人気を誇った「水戸黄門」でも最後の15分でばれないと思ってした悪事が、黄門様と連れの助さん、カクさんに暴かれ、徳川家の家紋の入った印籠(昔の薬入れ)を目の前に突き付けられ、悪人が冷汗三斗。印籠の前にひれ伏して、一同お役人に引っ立てられて全面解決です。勧善懲悪の胸のすく、お決まりの展開に究極のワンパターンと揶揄されつつも、視聴率が取れて何シリーズも何十年も続き、不動の地位を確立していましたね。若いころに出演していた由美かおるさんが、終わりの方の作品に再び登場し円熟した演技を見せたのも時の流れを感じさせました。このように身に覚えのある「冷汗三斗」なら別ですが、そうでない「冷汗三斗」は心筋梗塞が疑われるので病院受診をオススメします。

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類は友を呼ぶ

【漢字】類は友を呼ぶ 【読み】るいはともをよぶ 【意味】気の合った者、同じレベルのもの同士は自然と集まって仲間を作るもの。 【例文1】類は友を呼んで同じ趣味を持つ。 【例文2】深夜たむろしている若者が類は友を呼ぶ。 【例文3】類は友を呼ぶだから共感する部分が多い。 同じ趣味を持った人たちのサークルなどで同じ考え方の人に出会うととてもうれしくなってしまいます。そういうのを「類は友を呼ぶ」と言うのだと思っていましたが、最近、悪い事でも使われれていることを知りました。 「朱に交われば赤くなる」とよく似た意味で使われていたのです。古い言い方ですが不良と言われるような少年少女、現在風に言えば非行少年、あるいは少女の集まるところに、我が子が仲間に入っていたりすると親はとてもショックを受けるようです。「私の子どもに限って」と思うのは当然の親心です。そして、「朱に交われば赤くなる」というから付き合ってはいけない、ということになるのでしょう。 同じような意味で使っているようですが、「類は友を呼ぶ」のほうは微妙に違うことに気が付きました。 「類は友を呼ぶ」のほうは、第三者が知り合いの子どもが悪いことに手を染めたりすると使うようです。少し冷たい言い方で。その使い方が正しいかどうかはよくわかりませんが、ことわざの中にはとらえ方が変わってくるものもあるようです。 「類は友を呼ぶ」とは、人の周囲には自然と同じような性格だったり、同じようなことを行なっている人が集まり、友人になっていくという意味です。同じような性格であったり、同じようなことをしている人同士は話が合うので、自然と集まるということですね。例としては、「あの人は人格者だけれど、周囲にいる友人もみんな良い人達ばかりで、類は友を呼ぶとはまさしくこのことだね。」といったように使います。また、そこから派生して、その人が本当にどういう人か大まかに知るには友人を見るといい、といった意味で使われることもあります。例えば、「あの人が本を読んでいる姿を見たことはないけど、周囲の友人は皆本を読んでいるところをよく見る。類は友を呼ぶと言うし、もしかしてあの人も外で読まないだけで、本を読むのが好きなのかもしれない」といった具合です。また、類は友を呼ぶという言葉から、自分を変えたい時はまずは付き合う人を変えてみる、といった方向で使われることもあります。「あの人が私の友達なんて畏れ多いけど、類は友を呼ぶと言うし、仲良くしているうちに私も友達として相応しくなれるかもしれない」といったように、自身の向上を目指すために、まずは付き合う相手を変えてみるのも手かもしれませんね。 類は友を呼ぶの意味は、気の合った者や似通った者は自然に寄り集まるという意味です。 確かに価値観や趣味、嗜好が似ていると共感できて距離も近く感じ仲良くなりやすいです。また育った環境や出身地が似ていても親近感を持ちます。 自分自身を客観的に知るには自分の友達を見ることが一番分かりやすいということです。友達のどこに共感を持てたか、何で気が合うのかを分析していると自分の価値観がよく分かってきます。 また友達の嫌な面を垣間見てしまう時、自分自身も他人から同じように思われている可能性があるということです。友達の欠点を見て自分の欠点に気付き治していくことでより自分を向上することができます。 この法則をあてはめると、悪友ばかりしかいないと言っている人は自分自身も同じ類ということです。人に恵まれないと嘆くだけでなく、友達の欠点を自分に照らし合わせて反省する必要があります。そうして自分が向上すると、もっと他に気の合う友達ができます。そして自然に悪友とは疎遠になっていきます。悪友も向上した自分に対して同じ類ではなくなるので、共感できずつまらなく感じるようになり次第に離れるでしょう。 自分自身と向き合うには自分の身の回りの友達を分析してみると手っ取り早いということです。

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