tedukurikotoba (2563)

ない袖は振れない

【漢字】ない袖は振れない 【読み】ないそではふれない 【意味】昔は着物の袖に小銭を入れていた事から、実際にないものはないという意味。 【例文1】お金を貸してと言われてもない袖は振れないからどうしようもない。 【例文2】いくらせがまれてもない袖は振れない。 【例文3】援助はしてあげたいが、ない袖は振れない。 先日、姪っ子が高校に合格しました。弟はあまり収入が多い仕事はしておらず、義妹もパートに出て生計を立てているのですが、贅沢はできない生活です。でも、姪っ子の進学先は私立の学校だったので、大丈夫かな?と少し心配でした。 ある日、義妹から電話があって弟には内緒でお金を貸して欲しいと言われました。心配していた予感が的中したので、とにかく貸せるだけは貸してあげたのですが、しばらくしてからまた連絡が。。無理は承知でもう少しだけ貸して欲しいとの事でした。 もちろんて助けてあげたかったのですが、主人に内緒でそんなにお金を貸してあげる事は出来なくて断りました。私のへそくりがたくさんあればよかったのですが、ない袖は振れない状態でした。結局、義妹はパート先から融資を受けられる事になったので何とかしのげたようです。学校生活も落ち着いてからは、お金の面も大丈夫になったとの事でした。 今でも貸したお金は返してもらっていませんが、返してもらおうとは思っていません。弟夫婦はいつも本当につつましく生活している事は知っているので、よっぽど困って相談してきたんだろうなぁと思うからです。それよりも、困っている弟夫婦を助けてあげられなかった自分が情けないなぁと反省しました。これからはきちんと貯金して、頼られる姉になろうと思います。

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灯火親しむべし

【漢字】灯火親しむべし 【読み】とうかしたしむべし 【意味】秋の夜は灯りの下で読書をするのに適しているという意味。 【例文1】休日は灯火親しむべしの季節だ。 【例文2】灯火親しむべしで読むペースが速い。 【例文3】灯火親しむべしだから10冊本を買う。 「灯火親しむべし」の灯火はともしびのことです。この言葉は唐の韓愈の一句「灯火稍可親」に由来します。「秋の涼しい季節と夜長は読書をするのに適している」という意味です。ところが、中国三国時代(魏、呉、蜀)の魏を中心に書かれた歴史書である「魏略」(ぎりゃく)には違う記述があるのです。三国志の時代、曹操たちが活躍していた時代の書物です。当時の日本は弥生時代であり、この書物に邪馬台国の頃の倭のことが書いてあることで、日本では注目されている書物ですが、古い時代のものですから散逸してしまっていて、全部が読めないところが残念です。この魏略には読書について「読書三余」として読書に最適な余暇時間として冬、夜、陰雨と挙げられています。 時が下って580年後、中唐時代に文人、韓愈が登場しこの詩が発表されます。その頃、日本は平安時代で唐文化も受け入れ、また取り込むだけの文化が出来上がっていますから、おそらくは韓愈の詩の方、「読書に向いているのは秋」の説が日本人に浸透したものと思われます。ちなみに、今の日本の読書週間は、10月27日から11月9日までの2週間にわたり、読書を推進する行事が集中して行われる期間ですが、戦前に日本図書館協会が11月17日から11月23日まで「図書週間」を制定し、その後戦争で中断したものの戦後になり「読書週間」が復活し現在に続いているものです。もしも、韓愈より前の「魏略」が日本に伝わっていたら読書週間は冬になっていたかもしれませんね。

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手が空く

【漢字】手が空く 【読み】てがあく 【意味】作業が一段落して時間ができること。 【例文1】手が空いたのなら次はこの横断幕の色塗りを手伝ってくれ。 【例文2】手が空いたうちに昼食を取っておく。 【例文3】お昼のピークを過ぎ手が空く。 「手が空く」とは「仕事が暇になること」です。「手が空けば口が開く」ということわざもあります。それは「仕事が暇になると暮らしが成り立たないこと、暇な時間ができるとおしゃべりばかりをするようになること」です。今では「ちょっと暇ができたら」という意味で「手が空いたら」とか、「お手すきの時に」と、「手」を仕事ととらえて使います。仕事は手であり、手が仕事なのです。 「土方殺すにゃ刃物はいらぬ。雨の三日も降ればいい」という歌がありますが、「手が空く」ことは生活の困窮を意味していたんですね。その大事な手がある日突然動かせなくなった方がいます。草花の詩画集で有名な星野富弘さんです。大学を出て新任の体育教師として器械体操を指導していた一学期の体育の時間に事故で頸椎損傷の大けがを負います。命に別状はなかったものの、寝たきりの生活を余儀なくされます。その時の彼の失意落胆は、計りかねます。十年以上の時を経て、絵筆を口にくわえ、紙を顔の前で動かしてもらうことで詩や絵を描くことができるようになります。その努力たるや想像を絶しますが、やがて彼の非凡な才能は詩画集を通して世に知られていきます。優しくも真理を鋭く突いた着眼点とそれに添えられた草花の佇まい。私たちとは別の境地に到達した星野さんだからこそ描ける世界なのでしょう。彼のように身体に障害があっても頑張っておられる方はたくさんいらっしゃることを心に留めておきたいです。

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杖とも柱とも頼む

【漢字】杖とも柱とも頼む 【読み】つえともはしらともたのむ 【意味】とても頼りにしている。 【例文1】家のリフォームは建設業の息子に杖とも柱とも頼む。 【例文2】老後は優しい長男を杖とも柱とも頼むとする。 【例文3】稼ぎがいい夫は杖とも柱とも頼む。 「杖とも柱とも頼む」の杖は歩行の時に体重を支えるために使用する長い棒のことですが、ここでは転じて「頼りとするもののたとえ」で、「杖とも柱とも頼む」は「非常に頼りにしている存在である」という意味です。 というと非常に大袈裟なようですが、例えば漫画家と編集者の関係がそうではないでしょうか。集英社の「少年ジャンプ」に掲載され、アニメどころか実写版の映画にまでなった人気漫画「バクマン。」絵は物凄く上手な真城最高と文才と発想力に優れた高木秋人の二人がコンビを組んで漫画家を目指していく話です。苦労しながらも、やっと完成した作品をジャンプ編集部に持ち込んだ二人は敏腕編集者・服部哲と出会い、その資質を認められて漫画家としての第一歩を踏み出し始めます。これは漫画の中の創作話ではありますが、編集者が作品のみならず、書き手の性格、抱える事情、希望など全てを承知の上で、より読者にアピールできる作品をとか、今度はこうした方がいいとかアドバイスをし二人は従ったり、逆らったりしながら成長しく様子がすごくリアルなのです。 実際の現場がこうだとは限りませんが、漫画家が仕事上、「杖とも柱とも頼む」人は編集者に違いないと思わせる作品です。また、第32回吉川英治文学新人賞を受賞し、大ベストセラーとなっている辻村美月の「ツナグ」もそんな関係性の中で生まれた珠玉の作品です。辻村本人が他の作品の中で「あの編集者がいなければ『ツナグ』は書けなかった」と書いています。彼女もまた、編集者を「杖とも柱とも頼む」作家のひとりなのです。

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血が通う

【漢字】血が通う 【読み】ちがかよう 【意味】生身の人間には血が通っている。形式的でなく人間味が感じられること。 【例文1】血が通う人間ならばそんな悪徳な事はできまい。 【例文2】彼は血が通っていないような冷たい人間だ。 【例文3】凶悪殺人犯には血が通っていないも同然だ。 「血が通った社会福祉」や「血が通う仕事」などに使われる言葉です。 ここで言う「血」とは血液そのものを指すのではなく、人の思いや感情、思いやりなどを意味します。つまり、事務的ではない、情けのあるといった意味で使われます。 人間を含む動物の身体に血が流れているように、体温、温かみを感じる政策や人の行動を称賛する場合に使われる事が多い表現です。「冷血」の言葉があるように、「血」には人の情けや温かい感情を示す時に使われる単語です。同じケースで使われる単語に「涙」があります。「血も涙もない」という表現は耳にした事があると思います。「血が通う」は文字通り、生きた人間の体に血が巡っているように、融通の利く、柔軟性のある様を表現する際に使われます。 「血が通う」は形式的ではない事ですが、ルールを拡大解釈してもいいという意味ではありません。目的さえ間違わなければ、少々の寄り道や回り道には時には目を瞑りましょうという大局観を大切にする事を説いています。脱線や脱法を前提とした言葉ではないので、「血が通う」を拡大解釈して多用するのは賢明とは言えません。あくまでもルールはルールとして意識しつつ、目的達成のためにルールの運用を柔軟に対応しましょう、という融通を利かせる事を説いています。

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