tedukurikotoba (2563)

大器晩成

【漢字】大器晩成 【読み】たいきばんせい 【意味】大きな器は完成するまでに時間がかかることから、才能が開花するには時間がかかるものという意味。 【例文1】30才まで専業主婦だったが、35歳で始めた商売が大器晩成で大成功した。 【例文2】口ベタでおとなしかった我が子が大器晩成型で社会人になって能力を発揮した。 【例文3】大器晩成に年齢は関係ない。 うちの息子は一人っ子で、周りの大人達におりこうさんだねと甘やかされて育ったので、競争心がなくてのんびりとした性格に育ってしまいました。私は小さい頃から両親に1番になりなさい!と言われて、誰にも負けたくないと思いながら育ったタイプなので、息子を見ていると、もっと欲張って頑張って欲しい!と歯がゆく思う事が時々あります。私がガミガミ言っても、おじいちゃん達の所に行けばいいと思っているので、さっぱり効果がありません。 そんな息子なので、成績も飛び抜けていいわけでもなく、スポーツができるわけでもなく、特に目立つ事なく普通に学校生活を送っているのですが、先日、遊び半分で手相を見てもらったらビックリする事を言われました。息子の手相は、とても珍しい両手ますかけ線だそうです。この手相は織田信長をはじめ歴史に名を残す人が多いから、きっと成功しますよ!との事。ちょっと信じられないような感じなのですが、今は平凡でも大器晩成のタイプなのでしょうか? そう言われてから、何となくうちの子は何があっても大丈夫なんじゃないかなと思えるようになりました。そういう手相に産んであげた私は、いい仕事をしたんですよね!大器晩成型だと信じて、これからも息子の成長を見守っていきたいと思います。 「あなたは大器晩成型」なんて誰かに言われたことはないでしょうか。 これはどうゆう意味なのでしょうか。 大器晩成の文字で解釈すると、「大きな器は完成するのが晩い」と読み取れます。 大きな器を作るには、小さな器を作るより時間がかかるということですね。 人の心の寛大さ、心の広さを「器」に例えて表現することがあります。 器が小さい人とは心が狭かったり、度胸がなかったり、お金に細かかったり、 直ぐに感情を表に出したりと、どちらかと言えばマイナスなイメージの時に使います。 逆に器の大きい人は心が寛大で、余裕があり、気前もよく、小さなことには動揺などしない プラスのイメージ、立派だと思われていたり、尊敬されている人に対して使います。 器の大きな大物になる人物とは、すぐには生まれない。世の中に出てくるには 時間がかかるといった意味となります。 もし、「あなたは大器晩成型」と他人に言われたとしたら、 それはあなたは今はまだ大物にはなっていないけれども、将来は大物になる器をもっている。 大物というのすぐにはなれず、時間がかかるものだ。 といったプラスのイメージを持ってもらえている、期待されているととらえて 前向きに受け取っていいでしょう。

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糟糠の妻

【漢字】糟糠の妻 【読み】そうこうのつま 【意味】糟糠とは米のかすとぬか。つまり粗末な食事。貧しい時代から苦労を共にした妻。 【例文1】糟糠の妻に迷惑をかけてきた。 【例文2】糟糠の妻を大事にする。 【例文3】糟糠の妻で1日1食で過ごす。 「糟糠の妻」という言葉は「後漢書宋弘伝」に出てきます。糟糠は酒かすとぬかのことで粗末な食べ物のことを表しています。「後漢書」には「糟糠の妻は堂より下さず」と記され「貧乏な時代から連れ添い苦労を共にしてきた妻は夫が立身出世した後でも家から追い出してはならない」と説いています。つまり、「糟糠の妻」とは貧乏で食べる物にも困窮し、酒かすや米ぬかを食べるような苦労の中で連れ添い、夫を支えてきた妻」のことなのです。 「後漢」は前漢の景帝の6世の孫が王モを滅ぼして漢を再興、洛陽に都を移して光武帝と称してから献帝に至るまで十三人の帝の治世を指す。東漢ともいいます。「後漢書」二十四史のひとつ。「後漢」の事績を記した歴史書。本紀が十巻、列伝八十巻は南朝の宋の范曄(はんよう)の選でり、志三十巻は「続漢書」の志を代用したものです。ちなみにその中の「東夷伝」には倭(わ)の記述があります。現代、「糟糠の妻」が話題になるのは芸人や役者、歌手など下積み生活が長く、日の目見るまで時間のかかることが多い職業の方が、一躍脚光をあびて人気者になった時に、苦労の中で夫を必死で支えてきた奥さんが取り上げられて、こう称されます。但し、糟糠の妻が苦労に見合う評価を夫にされているかは残念ながら定かではありませんが、苦あれば楽ありで過ごせていることを祈ります。

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精神一到何事か成らざらん

【漢字】精神一到何事か成らざらん 【読み】せいしんいっとうなにごとかならざん 【意味】精神を集中させて行えば何事もできない事はない。 【例文1】精神一到何事か成らざらんでパズルを今日中に完成させる。 【例文2】精神一到何事か成らざらんで受験勉強に励む。 【例文3】精神一到何事か成らざらんで今夜は徹夜だ。 「気持ちや精神を集中して事に当たれば大抵の事は成し遂げられる」という意味に使われます。元々は中国の思想家・朱子の語録が出典です。 似た表現に「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉があります。「心頭」つまり、心を滅却(失くせば)燃え盛る炎でさえ涼しく感じるものだ、というとんでもない根性論ですが、気持ちの持ちようで苦労も乗り越えられる、という程の意味です。 「精神一到何事か成らざらん」の「精神一到」とは精神を一つの事に傾ける・集中するという意味があり、一点に気持ち(朱子学でいう陽の気)を集める事の重要さを説いています。 同じ意味を持つ言葉に、「一念岩をも通す」や「雨垂れ石を穿つ」などがあります。いずれも一つの事に集中して事業や想いを貫き通す事を表す言葉です。 古来からこうした言葉がある背景には、途中で投げ出す事や中途半端なやり方を嫌う思考が感じられます。 「為せば成る、成さねばならぬ何事も」も途中で放棄する事を戒め、長期に渡る事業の成功方法を説く言葉ですが、「精神一到何事か成らざらん」には集中する事の重要性を説いており、より短時間で成果をあげようとするなら気持ちを散らす事なく目の前の事に当たりなさい、と短期戦での心構えを教えています。 「精神一到何事か成らざらん」とう言葉があります。「心を集中し、全身全霊を込めてことに当たれば、どんなことでも成し遂げられる。精神力さえあれば、どんな困難も乗り越えられる」という意味と解釈していいでしょう。 出典は中国の『朱子語類』で、「陽気の発する処、金石も亦透る、精神一到何事か成らざらん」の一説が独立して使われるようになったのです。ちなみに、「天地に強い陽の気が発すれば、金や石も突き通してしまうものだ」というのが、その前半の意味です。 精神論を述べるときによく使われますが、われわれが一番よくこの言葉を見聞きするのは、スポーツに関することでしょう。スポーツでは「心技体」ということがよく言われますが、その「心」の重要性を表現したのが、精神一到何事か成らざらんという言葉です。 実際に、スポーツシーンでこの言葉が体現されることがあります。2017年の大相撲春場所が好適な例でしょう。 新横綱の稀勢の里が「休場は免れないのでは?」と思われるような大きなけがをしながら、千秋楽の結びの一番と優勝決定戦に連勝し、奇跡の大逆転優勝をしました。あの気迫に満ちた二番こそ、まさに「精神一到何事か成らざらん」を地で行ったものと言っていいでしょう。 同じような奇跡の優勝を。貴乃花もかつて果たしています。力士生命にかかわるような大けがを負いながら、武蔵丸を倒した相撲は「鬼になった」と称されました。あの時の貴乃花も、精神力によって奇跡を起こしたということができるでしょう。

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垂涎の的

【漢字】垂涎の的 【読み】すいぜんのまと 【意味】よだれを垂らすほどのたとえから何としてでも欲しい物。 【例文1】垂涎の的のマイホームをやっと手に入れた。 【例文2】垂涎の的だったファミリーカーを購入した。 【例文3】垂涎の的の彼女に取り入る。 垂涎の的とはよだれが出るほど欲しいものという意味です。 私は子どもから欲が深くなんでも手に入れないとすねたりしていたものです。 クラスの同級生がブランドの財布を持っていました。 私はうらやましくて母にねだってみましたが、あっさり断られました。誕生日プレゼントとして買ってもらえないかとおねだりしたが、それでも3万円の財布は無理でこうなったら、お年玉をためて買ってやると誓いました。時が経って欲は違うものに向いていたので財布は買っていません。 今私が何としてでも手に入れたい垂涎の的はルイヴィトンのバッグです。 母が10年前に購入したというバッグをたまに借りてお出かけしますが、やはり自分のバッグがほしいです。夏休みを利用して海水浴場でアルバイトをしました。週4日出て7万円稼ぎました。まだまだ足りないので、冬休み、春休みもアルバイトをして貯めたいです。車の免許も取りたいし、素敵な彼氏も見つけて人生楽しみたいです。ハワイにも行ってみたいし、将来は金持ちの旦那さんと結婚してかわいい子どもを2人ほしいです。垂涎の的を挙げたらきりがないです。

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思案に暮れる

【漢字】思案に暮れる 【読み】しあんにくれる 【意味】どうしたらいいか決断に迷う。 【例文1】就職先を県内か県外にするか思案に暮れる。 【例文2】息子夫婦との同居は完全二世帯にするか思案に暮れる。 【例文3】経営状態の立て直しに思案に暮れる。 一般には、「考えがまとまらない」、「判断に迷う」様を表す言葉です。使い方としては、「進学先をどの学校にすべきか思案に暮れる」、「取引先との交渉の進め方に思案に暮れる」といった選択を伴う判断やどうしていいか分からない状態で使われます。 元々、「思案」は「思う」と「案ずる」からなる言葉なので、考えるや心配する、物思いといった意味があり、そこに「くれる(暮れる)」という動詞を繋げることで、長い時間心配したり物思いに悩んだりする様を表現しています。 「思案に暮れる」は「案ずる」に心配するという意味があるため、どちらかと言えば悲観的要素の強い思い事の状態を指します。つまり、「誕生日プレゼント選びに思案に暮れる」や「旅行先をどこにするか思案に暮れる」といった使われ方は正しいとは言えません。プレゼント選びや旅行先を決める時には、その人の心の状態(気持ち)は「楽しい」や「幸せ」といった方向のベクトルに向いているのです。陰か陽かで分ければ「陽」の状態。悩んでいる状態もまた「楽しい時間」でありため、このシュチュエーションで「思案に暮れる」という表現を使うのは適切ではありません。 「思案に暮れる」は悩み苦しむ様子が長い時間続く状態なので、「陰」の状態と言えます。

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