tedukurikotoba (2563)

魔が差す

【漢字】魔が差す 【読み】まがさす 【意味】一瞬誤った判断や行動をとること。 【例文1】ストレスから魔が差して会社のお金を使い込んでしまった。 【例文2】魔が差したからって万引きは犯罪だ。 【例文3】つい魔が差してカンニングをする。 魔が差すとは一瞬の出来心で誤った行動をとることです。 私は高校生の時、デパートで万引きをしてしまいました。どんなデザインのシャツだったかほしかったシャツなのか今では覚えありませんが、店を出ようとしたときに、店員に呼び止められ近くの交番に連れて行きました。母は働いているためすぐには来られないと訴えましたが、そんな事が通用するはずがありません。ほどなくしてバスを乗り継いできた母が到着するなり謝罪しました。どうか発行だけには通報しないでほしいと懇願しました。初犯だったこともあり高校への通報だけは免れました。お小遣いはあげているじゃない!足りなかったら言えばよかったのに・・とその時の母の涙は忘れることができません。本当に魔が差してしまい後悔しました。当たり前のことですが、依頼30年間まっとうに生きています。もしあのまま捕まらなかったら、万引きをずっと続けていたかもしれないし、もっと悪事に手を染めていたかもしれません。警察で採った指紋と後悔は一生消えることとないでしょう。心から反省しました。

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傍若無人

【漢字】傍若無人 【読み】ぼうじゃくぶじん 【意味】そばに誰もいないかのように自分勝手な振る舞いう様子。 【例文1】座席に荷物置いたりと公共の乗り物での傍若無人ぶりが目立つ。 【例文2】彼が傍若無人な態度を取るので一喝してやった。 【例文3】傍若無人な態度は迷惑だ。 先日帰宅途中の電車の中で、60代位の女性がしゃがみこんで辛そうにしていました。私は体調が悪いのかなと思い近づくと、近くにいた20代位の男性がその女性にぶつかり、その勢いで鉄の柱に頭をぶつけたとの事でした。 凄い勢いだったらしく、女性はかなり痛がっていました。とりあえず、座席に座っていた女子高生が席を譲ってあげて、その女性を座らせてあげました。 辛そうにしている女性の横で、ぶつかった男性に対して乗客が謝りなさいと言っていました。しかし、その男性は怒鳴り散らし反省している様子がなく、むしろ逆ギレしていました。 どんな経緯でぶつかったのか私はわかりませんでしたが、相手が痛い思いをしているのならば謝るのが当然だと思い、その男性に謝りなさいと言いました。 すると、怒鳴り口調で女性がぶつかってきたからだと言って、謝るどころか暴れだしました。その傍若無人な振る舞いに見かねた周りの乗客達がその男性の周りに集まりだし、謝るか責任を取るかはっきりしろ!と言いました。 周りをみんなに囲まれて、注意をされた男性は落ち着きだし女性に謝りました。 女性は痛みが治まり、特に怪我もないから大丈夫と言って、その場が収まり次の駅でぶつかった男性は降りて行きました。

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平々凡々

【漢字】平々凡々 【読み】へいへいぼんぼん 【意味】特に何もなくありふれている事を強調した言い方。 【例文1】平々凡々な毎日がつまらない。 【例文2】恋人もおらず毎日平々凡々な生活を送っている。 【例文3】毎日平々凡々の繰り返し。 私は高校を卒業してから、とある一般的な普通な会社に勤め始めました。 仕事は特にこれと言ってがんばりどころのない、誰にでもできる様な事を毎日繰り返していました。 平々凡々な日常を毎日繰り返し、私は自分の人生に飽き飽きとしていたのです。 しかしある時、平々凡々な日常が終わりを遂げたのです。 勤めていた会社の業績が悪化して、私がリストラの対象となってしまいました。 それで私は会社を解雇されて、急遽再就職先を探す事にしました。 ですが何の取り柄もない私ですから、簡単には再就職先は見つからなかったのです。 その間貯金を取り崩して生活をしていたのですが、しばらく経つとその貯金もついに尽き果て、仕方がないので友人や知人に借金を頼むようになりました。 やっと見つけた再就職先も、勝手が違う仕事に慣れなかったり、人間関係が上手く行かず、結局長続きはしませんでした。 それからまたしばらく再就職先探しに追われ、借金の額も増えて行ったのです。 その後ようやく良い再就職先を見つける事が出来、安定した収入を得る事が出来るようになりました。 ですが借金の返済に追われ、落ち着いた生活は送れなかったのです。 今はようやくその借金も完済して、落ち着いた生活が送れるようになりました。 紆余曲折した人生を送った事で、私は平々凡々な生活がどれほど素晴らしいかを知る事

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風樹の嘆

【漢字】風樹の嘆 【読み】ふうじゅのたん 【意味】風で揺れている樹木は葉を散らしたくないと思っても風がやまなければ思いどおりにいかないたとえから、亡くなってしまった親への嘆きをいう。 【例文1】風樹の嘆で後悔しても遅いから両親が元気なうちに親孝行しておくべきだ。 【例文2】年老いてきた父母を見て風樹の嘆の前に親孝行する。 【例文3】風樹の嘆を後悔し続ける。 「風樹の嘆」の「風樹」と一般的には風に揺れる樹木のことですが、ここでは死んだ親を思うことを指します。「親孝行をしようと思った時にはすでに親が亡くなっていて孝養を尽くすことのできない悲しみ、嘆き」という意味です。これは「韓詩外伝」に記されている句から生まれた言葉です。 「韓詩外伝」は漢の韓嬰が詩経の句で古事、古語を解釈した書物で全十巻です。外伝は残っていますが、おそらくセットであったはずの内伝は失われています。「孝行のしたい時には親は無し」とよく言われますが、漢の時代から既に古事として言い伝えられていたというのは驚きです。大昔からどこの国でも親不孝者がいたという証明ですね。これに学ばなければなりません。 親が存命中にはどうしても疎かにしがちなことですが、親が亡くなると「わが身の不孝が胸を衝く」ものなのです。石川啄木も「たわむれに母を背負ひてそのあまり 軽ろきに泣きて三歩歩まず」と詠んでいますが、親が生きている間に年老いた状況に気づければ、孝行の仕方を考え実行することもできますが、亡くなってからではその術すらありません。小林一茶も母のように慕った俳人織本花僑の三回忌に「亡き母や海見るたびに見るたびに」と詠んでいますが、「風樹の嘆」にくれなくても良いように親孝行をすることは、翻って自分のためなのです。 日本語には数多くの四字熟語が存在する。その中にはよく使われる言葉、耳慣れない言葉があるだろう。ここで紹介するのは「風樹の嘆」だ。その構成された言葉から言えば、風に揺られるせいで樹は静止できず留まれないことを嘆く、となる。そこから派生して、自分の親に孝行をしてやりたくとも、その親は既に亡くなっており、もうどうすることも出来ず、己は嘆く。こういった意味の四字熟語に触れると、なんとももどかしい想いに駆られる。後悔先に立たずの親孝行バージョンだと言えよう。少し意味から離れて、四字熟語って言葉が作り出す情景とそこから派生させる意味合いにかなり距離が感じられる事があるなあと思わされてならない。風に樹が揺らされることは日常的な光景だが、大多数の人はそれを見たって悲しみや虚無感を受けたりしないだろう。しかし、昔の人は情趣を解することに生き甲斐を感じたものだ。先述したが、抵抗する術のない樹に自分が置かれてしまったあて先の無い孝心をを結びつけ、思い通りにはならないという事を綺麗に表させるのだ。四字熟語を使いこなせるようになると、表現の幅が広がるだろう。私も、せっかく得ているこの言葉を無駄にせず、風樹の嘆をかこわないようにしたい。

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引かれ者の小唄

【漢字】引かれ者の小唄 【読み】ひかれもののこうた 【意味】引かれ者とは罪人のことで、内心ビクビクしながらも平気なふりをして小唄を歌うのことから、絶望的な状況であっても強がって平静を装ったり負け惜しみを言う。 【例文1】営業成績で連敗して引かれ者の小唄状況だ。 【例文2】今回も最下位で引かれ者の小唄だ。 【例文3】引かれ者の小唄はみっともないぞ。 「引かれ者の小唄」とは、もうどうにもならない様な状況に陥った時に負け惜しみのことを言ったり、開き直って平気であるかのように振る舞うことを意味することわざです。 このことわざの由来は「引かれ者」とは罪人のことを意味していて、江戸時代に罪人が捕まった場合、馬に刑場まで引かれていました。この時に引かれ者は内心ではとても不安なはずで絶望的な状況なのに平気なふりをして強がり無理してでも平常心を装っていたことが由来とされています。 例文として「彼はあれだけ大きな失敗をしてしまったのに笑っているのは引かれ者の小唄のようにしか思えない。」「有罪判決だったのにいつまでも知らないふりをしているのは引かれ者の小唄だ。」などと言った使い方をします。江戸時代の罪人を意味していると言いましたが、現代では罪人でなくても、負け惜しみを言っているような場合に使います。 負けや失敗を認めることを嫌だと思う方に多く使うことわざですが、負け惜しみばかり言って開き直ってばかりいるとただの往生際が悪い人ですので、どんなに悔しくても時には潔く負けを認めることも必要です。引かれ者の小唄ばかりを言わないで済むように普段から努力し続けることが大切ですね。 「引かれ者の小唄」とは負け惜しみを言っているとか、虚勢を張っているようなイメージがあります。 負け犬の遠吠えとも言えるかもしれません。 確かに本当に優れた人は、あれこれ言い訳をしないものです。 これは年齢に関係なく、その人の度量によるものかもしれません。 これも持って生まれた性格なのかもしれませんが、あまり周りの人に対しては良い印象は与えないものです。 それを自覚できているのならば、早めに治していきたいものです。 しかし世の中は、類は友を呼ぶと言われるように、同じようなタイプの人が集まる傾向があります。 「引かれものの小唄」のタイプの人は、同じような人同士が自然と集まり、その中でも、このような状況が繰り広げられるのでしょう。 傍から見ていると、あまり良い気分ではないと思う私は、やはりこういう中には入っていけないのかもしれません。 若い時ならまだしも、ある程度の年齢を重ねても、これをやり続けていると、何と大人げない人だと思われても仕方がありません。 肉体年齢と精神年齢は比例しませんし、いつまでたっても成長しない人もいます。 出来るだけ自分が心地よい毎日を送るためには、やはり自分が成長していくしかないのだと改めて感じています。

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