tedukurikotoba (2563)

焼きが回る

【漢字】焼きが回る 【読み】やきがまわる 【意味】刃物を焼きすぎると切れ味が悪くなるもので年を取ると判断力が鈍ったり、腕前が衰えるという意味。 【例文1】5キロ走ったら焼きが回って息切れがひどい。 【例文2】車に頼ってばかりだから足腰に焼きが回る。 【例文3】スマホに頼って思考回路に焼きが回る。 焼きが回ると言うことわざの意味は、年齢と共に頭の働きや判断力が鈍くなったり、自身の持つ技術の腕前が落ちてくることです。 具体的な使用例は 「100メートル走っただけで動悸が激しいなんて、焼きが回ってきたな」 「パソコンに頼ってばかりで漢字の読み書きができなくなった」などの場面は皆さんも経験された方がいるのではないでしょうか? 確かに今は便利なスマートフォンの普及でいつどこにいても新しい情報を得る事が出来ています。わからない土地に行っても勝手に音声付でナビゲートしてくれますし、気軽に旅行を楽しめます。施設の予約もネット一本で簡単予約で便利な世の中です。 私が車の免許を取得して車を買った時はナビなんてついていませんでしたから、助手席の人が地図片手に通行人に聞いたりグルグル走り回ったものです。 コンビニも100メートル走れば次のコンビニが見えてきます。この30年走ることなく車に頼って生活しています。おかげで少々メタボ気味です。年齢を考えると焼きが回る前に朝晩ウォーキングでも始めようかしら。

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藻くずとなる

【漢字】藻くずとなる 【読み】もくずとなる 【意味】海藻が細かく砕けた藻くずになるというたとえから、人が海の事故で亡くなって遺体も上がらないこと。 【例文1】海戦で多くの兵士が藻くずとなった。 【例文2】藻くずとなっていった方を思うと無念でならない。 【例文3】藻くずとなる慰霊碑を建てる。 「藻くずとなる」の藻くずとは海の中の藻などのくずのことで「海で死ぬことのたとえ」として使われます。「藻くず」という言葉は平安時代に書かれた源氏物語の第29帖「行幸」に「あまも尋ねぬ藻くずとぞ見し」と出てきますが、中世、鎌倉時代中期に出来上がった平家物語では安徳天皇のご入水の場面で「いまだ十歳の内にして、底の水屑とならせ給う(いまだ10歳にもならずに、海の底の水屑(みくず)となりました。)」と藻屑ではなく、水屑という言葉になっています。水屑も水の中の屑のことですし「水屑となる」は「水死する」の意味ですからどちらも同じ意味なのですが。 さらに時代は下って、江戸時代前期までに作られたポルトガル語と日本語の辞書、日葡辞書には「海底の藻屑となる」が載っています。日葡辞書は文語を訳すことが目的で作られ、京ことばを標準語として書かれています。平家物語は京都を拠点に琵琶法師が語りながら各地を回り語り継がれた軍記物語で、のちに読み本として成立した経緯があります。その読み本も昔はコピー機などありませんから、紙に筆で写本して回し読みします。つまり写し間違うことは多々あったと考えられます。今、伝わっている平家物語の記述が水屑になっているとはいえ、藻屑と書いたものが他に出回った可能性は否定できません。まあその真偽は別にしても、江戸時代には水屑よりも藻屑のほうが一般的に使われていたことを日葡辞書は教えてくれます。

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名実ともに

【漢字】名実ともに 【読み】めいじつともに 【意味】名声と実績がふさわしい。 【例文1】名実ともにイチロー選手は記録を打ち立てる。 【例文2】彼は名実ともに立派な医者になった。 【例文3】羽生選手は名実ともに記録に残る成績を残した。 ほとんどの方は「名実ともに」という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。 「名実ともに」の意味は、名前と実際や名声と実績が釣り合っている様子を指します。 「名実」の「名」はその名の通り、名前などの表向きの様子や評判を表し、「実」は実際の様子を表しています。 「名実ともに」とは、この「名」と「実」が一致しているということです。 尚、「ともに」は「共に」と漢字で書くこともあります。 ちなみに、「名実相伴う」も同様の意味の慣用句です。 同様の意味の四字熟語として「名実一体」という言葉もあります。 使い方の例を挙げると、「彼は名実ともに書の大家だ」「富士山は名実ともに日本を代表する山である」などがあります。 前者の「彼」は書道家であるし、実際に字が上手で素晴らしいということです。 後者の「富士山」は日本を代表する山といわれているし、実際に日本を代表する山であるということができるような特徴や良さを持っているということを表しています。 尚、「名実ともに」は悪いイメージでも使うことができますが、似た言葉である「花も実もある」は外見も中身も優れているという意味ですので、良い意味でしか使用できないので注意が必要です。

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昔取った杵柄

【漢字】昔取った杵柄 【読み】むかしとったきねづか 【意味】昔習得した技術や腕前が衰えていないこと。 【例文1】10年ぶりにバッティングセンターに行ってみたけど、昔取った杵柄が自分でもびっくりするほど打てた。 【例文2】小学生以来自転車に乗っていなかったが、昔取った杵柄で乗れた。 【例文3】昔取った杵柄で音楽が掛かると口ずさむ。 「杵柄」とは穀物などを臼に入れてつくのに用いる道具が杵でその柄(棒の部分)のことです。「昔とった杵柄」とは「かって習練(継続して訓練すること)した技はのちのちまで使えること」です。若い頃に杵と臼で穀類をついた経験が身についていれば、いくらか年を重ねてブランクがあったとしても、杵柄を手に穀類をつく事ができるといった事例から派生した言葉ですが、そのほかにもいろいろな場合に使われます。 例えば自転車ですが、大抵の子どもが小学生のうちに乗れるようにと練習しますね。いざ乗れるようになると、大人になって自転車に縁がない生活を送っていても、乗ろうとすれば乗れます。水泳などのスポーツも同様です。昨今では日本人の平均寿命が大幅に延び、政府はなるべく健康で長生きを目指して適度な運動を進めていますね。そのひとつがラジオ体操の勧めです。ラジオ体操は戦後の子どもたちは学校でも、地域でも必ずと言っていいほどやってきた体操です。郵便局が簡易保険を販売するにあたり、契約者が体調を整えて保険の支払い費用を抑えるため推進したと言われますが、簡単な全身運動なので子どもの夏休みの風物詩のようにしていました。これも年配になってからも思い出してできるものです。ある統計調査で中学、高校の間にスポーツをやっていた人は中高年になってもスポーツをする割合が高いそうです。これも「昔とった杵柄」効果と言えましょう。

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見栄を張る

【漢字】見栄を張る 【読み】みえをはる 【意味】外見だけでも良いところを見せようとする。 【例文1】見栄張ったが、ブランドのバッグは5年ローンだ。 【例文2】女性の前では見栄を張りたくなるのが男の心情だ。 【例文3】見栄を張った手前早く彼女がほしい。 私は営業の会社に勤めているので、常に成績を求められています。成績を上げた分、自分に収入で跳ね返るので、営業職は嫌いではありません。 しかし、成績を出せない時も収入に跳ね返るので、その辺りはかなり辛い所です。 私の会社は、営業歩合が高い分固定給が低めの設定になっているので、成績を出せない月は、2ヶ月後の給料に影響がでます。 家族がいるので、収入の安定をするように頑張ってはいますが、それでもどうにもならない月があります。 ある日、妻の母親が家に遊びに来て、みんなでごはんを食べました。その時に妻が、今月の給料は多い?と聞いてきたので、妻の母親がいる手前見栄を張って、結構多いよと私は言いました。 その月に貰える給料は、大苦戦した2ヶ月前の歩合が入るので、過去に例が無い位の少ない給料でした。妻と二人きりの時に、ゆっくり話をするつもりだったので、まだ言っていませんでした。 結局妻に言えないまま、給料日を迎える事になってしまい、給料日当日ハラハラしながら仕事をしていました。家計の財布は妻が握っているので、いつ妻から電話が来てもいいように心構えしていました。 仕事中電話はこなかったのですが、帰宅後真っ先に給料が多いと言った件でしぼられました。やはり、見栄を張るものではないと反省しました。 世の中には見栄を張る人が多いと思いますが、見栄を張るとはどの様な意味なのでしょう。言葉で言うと、周りにいる人に対して自分を良く見せようとして、自分に対して無理をする事を意味しております。言葉の使い方としては、「彼女に良い所を見せようとして見栄を張って言い車を買った」や「近所の人に良い所を見せようと良い家に建て替えた」等が有ります。とにかく自分の身分相応では無く、自分に対して無理をしている事を意味している点がポイントです。この言葉の同意語としては、虚勢を張る、はったりを掛ける、大きく出る等があげられます。いずれの言葉も自分を大きく見せる為の言葉や行動を指しております。この様に見栄を張る人の心や気持ちの中には、自分に対する自信の無さが裏にあると考えられており、自分に自信が無い為にわざと自分を大きく見せると言う気持ちが働いております。対義語は明確にされておりませんが、「謙虚な人」が当てはまると考えます。とにかく周りの人に対して見栄を張ると言う事は、周りの人は勿論ですが自分に対しても嘘を付いている事になりますので、大変疲れます。他人に対しても自分に対しても正直に謙虚な気持ちで接する事が一番であると考えます。 見栄を張るとは、周りに対して自分を良く見せようと無理をすることです。つまり、いい格好を見せようとすることや、いいところを見せようとすることです。また、格好良くみせようとすることや格好をつけることでもあります。 また、外見を偽って、別のものや実際よりも優れた物にみせることでもあります。つまり、虚勢を張ったり、はったりをかけたり、大きく出ることなどです。 さらに、内実を差し置いて外面的に偉ぶる様子も、見栄を張るということになります。 では、見栄とはどんな意味なのでしょうか。見た目や外見、みばやみかけ、体裁のことです。また、見栄だけで、人の目を気にして、うわべや外見を実際より良く見せようとする態度という意味もあります。ですから、見栄を張って車を買うという文章と、見栄で車を買うという文章は同じ意味になります。 見栄を張るというのは、人間生活の上であまりお勧めできることではありません。無理をしてもいつかは必ず解ってしまいます。見栄を張るなら、自分自身に磨きを掛けて、自信を付ける方がどれだけ良いか解りません。自分に自信があれば、見栄を張る必要もなくなります。 人間の心理として、誰かに負けたくないから見栄を張ってしまうと言うこともあるでしょう。誰しも、得意と苦手はあるものです。得意な物に自信を持つように心掛けましょう。完全無欠の人間などいないのですから。

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