tedukurikotoba (2563)

いかもの食い

【漢字】いかもの食い 【読み】いかのものぐい 【意味】普通の人が好んで食べない物を食べる人をいう。 【例文1】彼は大食いでいかもの食いだ。 【例文2】彼はいかもの食いで一緒に食事をすると食欲がなくなる。 【例文3】いかもの食いを試食するが無理。 いかものとは、「いかさまもの」の略という説があり、漢字で書くと「如何物」となります。この意味は不通と違っていてどうかと思われるものです。また、下手物という意味と、本物に似せたまがいものという意味があります。 いかもの食いは、普通の人が食べないようなものを食べる下手物食いな人を言います。または、そのような下手物を食べること自体をも指します。 さらに、普通の人が相手にしないような異性への好みのことを言ったします。つまり、普通の人と違った趣味や嗜好を持つこと、または持つ人を言います。 一説にこんな話があります。 昔は、伊賀者という人目に付かず秘密を探ったりする、いわゆる忍者と呼ばれる人たちがいました。普通の武士より格下に見られていて、特に宮中や大奥の女性が彼らに対し「陰湿」というイメージを持っていました。もちろん当時の偏見です。そういう人たちを侮蔑を込めて「いがもの」と呼んで、目にすることさえ嫌悪していました。陰に隠れてい何をしているのか解らない、得たいが知れない、それが気持ち悪いと言うわけです。その「いがもの」が「いかもの」となまり、それがそういういかがわし下手物に変化したいったというのです。現在では、このような差別的なことはないでしょうが、身分が明確に分かれていた時代には、こんな理不尽なこともあったのでしょう。

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開いた口が塞がらない

【漢字】開いた口が塞がらない 【読み】あいたくちがふさがらない 【意味】口がポカーンと開いた様子から、驚きと呆れで言葉が出ない様子。 【例文1】財布を5回も落とすなんて・・まったく開いた口が塞がらない。 【例文2】大人になっても屁理屈ばかりでホント開いた口が塞がらない。 【例文3】万引きしても違うと言い張る容疑に開いた口が塞がらない。 私が住んでいるマンションは、建設当時は結構高い金額で販売しており、近所からは「バブルマンション」と呼ばれていました。 私たちが購入したのはバブルがはじけてから数年後。販売元にも「これ以上の底値はない」と言われ購入しましたが・・・その後も下がるわ下がるわでもう大変!住民たちは売るに売れず、築25年を過ぎた今は購入時の5分の1以下まで下がっています。 そんな状況でも、色々な理由で手放さざるを得ない住民が売り始め、安い金額で購入した「新住民」たちが入ってきました。 どこのマンションでもある話かもしれませんが、我がマンションも「旧住民」と「新住民」の二極化が進んできました。 「新住民」はまだお子さんが小さい若い世代の方が多いです。私たちが購入したときもまだ若かったのですが、購入金額が倍の倍の倍くらい違う・・・。 先日仕事から帰宅し、マンションのエントランスドアを開けた際、ぷーんと何かの匂いがしました。 集合ポストの前に来ると、店屋物の器・・・しかも洗って無く「つゆ」が入ったまま! 頭の中で勝手に「新住民の仕業」だと決めつけていました。「全くもう!今の若い世代は!お里が知れるわ!」と思いながら玄関を開け、リビングに行くと電話台に近所の蕎麦屋のメニュが・・! 犯人は我が息子でした。開いた口が塞がらないとはまさにこのことでした!

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若気の至り

【漢字】若気の至り 【読み】わかげのいたり 【意味】若さゆえに物事を正しく判断できずに行動して、後になって振り返って嘆く言葉。 【例文1】若気の至りでタトゥーを入れた事を本当に後悔している。 【例文2】若気の至りで両親に反発した事を反省する。 【例文3】暴走族に入ったのは若気の至りだ。 過去の若い頃の失敗を思い出し、よく若気の至りを後悔した方も多いのではないでしょうか。歳が若い方が、無差別のない行動を起こしてしまうことを意味します。大人になって思い返してみますと、恥ずかしかったりもどかしい気持ちを抱えてしまいます。若気の至りは過去の若かった自分の失敗を思い出して後悔するのものですで、決まった年齢は特にありません。過去の失敗に対して自分を戒めるための言葉ですので、いくつになっても使うことはできます。誰にでも若い頃には失敗をする経験の一つや二つはあるものです。 大人になって、子どもができた時に自分の経験を交えて話すことができますので反面教師として教育になります。若気の至りに年齢は関係ありませんが、平均としては二十代後半までがちょうど当てはまる年齢となります。大人になってしまいますと社会の常識に縛られることになりますが、若い内に様々な経験をしておくことで視野を広げることができる意味合いもあります。若い内に学んだ経験はのちのち大人になってから役にたちますので、失敗を乗り越えて落ち着いて進んでいこうという意味が若気の至りには込められているのではないでしょうか。大人になった時には、若い頃の自分を思い出して初心に返ってみましょう。 よく会話のなかで、あれは若気の至りだったなぁなどという会話を耳にしますよね。若気の至りとは若さゆえに無茶なことをしてしまったという後悔を意味する言葉です。若気の至りでやってしまったという話でよく聞くのがタトゥーです。海外では割と普通に見かけますが、日本ではまだまだ浸透していない文化ですし、あまりよく思われないのも事実です。最近ではファッションタトゥーとして、小さなワンポイントのものを首や耳の後ろなど見えにくいところに入れる方もいますね。見えないものでもプールや温泉など利用を控えなければならない場所も多く、結婚して子供が生まれて後悔したという方も少なくないのではないでしょうか。若い頃はかっこいいとおもっていたし、おしゃれなファッション上級者という気持ちだったかもしれませんが、何年か後には若さゆえによく考えずにやってしまった若気の至りとして後悔することになるのです。この他にも日焼けやピアスなんかも若いうちはかっこいいものですが何年か経つと後悔してしまうことがあります。あの頃は若かったからと言って片付けられることもありますが、あとになってどうしようない事もあります。あの頃の若気の至りで、と後悔しないように物事の判断は慎重に行いましょう。

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老若男女

【漢字】老若男女 【読み】ろうにゃくなんにょ 【意味】幼児、若者、年配者、男女年齢に関係なくすべての人々。 【例文1】浜田省吾さんのライヴは孫世代まで老若男女のファンがいるからスゴイ! 【例文2】三世代の家族旅行は老若男女が楽しめる所に行く。 【例文3】老若男女がスマホを使いこなす。 「老若男女」は「ろうじゃくにゃんにょ」とか「ろうにゃくなんにょ」と読みます。文字通り「年寄りも若い物も男性も女性もすべて」という意味です。使い方は「老若男女を問わず」とか、「老若男女すべての方」と「とにかく全員」を指す時に使われているくらいですね。この言葉があるのは、普段は逆にそれを区分しているから必要なのだと言えます。もちろん区分してはいけないということではありませんが。中学校に入学して英語を習い始めた時、昔は「アイアムアボーイ」から習いましたが、今ではこのフレーズは死語です。同じように自己紹介場面で必ず「私は〇〇歳です」というのがありましたが、実際の英語圏では他人に年齢を尋ねることはしませんし、自分でも初めて会った人に自己紹介として年齢を打ち明けることはありません。このフレーズも今では習わないようです。欧米ではその人が何歳であるかこだわらないのです。日本が年齢にこだわるのは慣習でしょうね。子どもが生まれるとお七夜、七五三の祝い、昔なら男性は十五で元服の儀、女性は着袴の儀。と、とにかく子どもの成長を年齢別にお祝いする行事が多いのです。子どもの死亡率が高かったせいもあるとは思いますし、宗教の影響もあると思います。成人式で大人となってからも、厄年があり、というわけで日本人はかくも年齢を気にする人々なのです。だからこそ「老若男女」という言葉が死語になることなく使われているのでしょうね。 老若男女とは年齢や男女関係なくすべての人のことです。 現在では老若男女、問わず多くの方々がスマートフォンを利用しています。 ベビーカーに乗せられた赤ちゃんまでもがアニメの動画を食い入るように手に持っています。私は携帯を落とさないか心配でたまに目で追います。 2歳くらいになると写真を撮ることが出来るようです。小学生くらいになると自分で検索して好きなものを見ているようです。私は40歳でスマートフォンを持ちました。ガラケーでもよかったのですが、娘たちと家族で持つことによって大幅なキャッシュバック特典があるというので切り替えました。それからはスマートフォンのアプリで家計簿をつけたり、ネットショッピングを楽しんでいます。 私の母は75歳になりました。弟夫妻が定年で家にいる母のためにらくらくホンを買ってやってたまに私がラインや写真を送ってもすぐに電話が折り返しかかった来ます。いくら言ってもなれないようですが、ラインだけの打ち方は教えました。ボケ防止にもなりますからね。街の至る所でもスマートフォンは老若男女は手にしている光景を見ますね。 

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例に漏れず

【漢字】例に漏れず 【読み】れいにもれず 【意味】いつも通りという意味。 【例文1】講習参加者は例に漏れず毎回女性ばかりだ。 【例文2】今年もまた例に漏れず寂しいクリスマスシーズンを過ごす。 【例文3】例に漏れず年末年始の高速は大渋滞だ。 「例に漏れず」を辞書で調べてみると、「いつもと同じで、例外ではなく」とあります。 また、「例によって」「例のごとく」「ご多分に漏れず」など、似たような意味の言葉もいくつかあります。 どれも古めかしい言い方ですが、「いつもと同じように」「みんなと同じように」と言い換えればわかりやすいのではないでしょうか。 最近、「これらの言葉の意味がわからない」という意見を目にする機会が増えてきたように感じます。 一体、なぜなのでしょうか。 まず考えられるのは、単純にこの言葉に触れる機会がなかったか、あっても関心がなかったということ。 国語の教科が嫌いだった人、読書の習慣のない人に多いかもしれません。 もう一つ、理由として想像するのは、「例」「ご多分」という考え方自体が、どんどん古びているのではないかということです。 「例」「ご多分」とは、「これまでにあった状況」「広く一般的な状況」を指します。 そして、これらの言葉が、いま少しずつ死語になりつつある。 言葉=認識だとしたら、その認識そのものが死につつあるのかもしれない、と思うのです。 「これまでにあった状況」も、その時その時の個別なものと捉えられ、共通性が理解されていない。 「広く一般的な状況」に至っては、この多様性の時代、最もレッドリストに載っている考え方ではないでしょうか。 「例に漏れず」……ひとつの言葉と、それを取り巻く状況から、時代が見えてくるような気がします。

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