tedukurikotoba (2563)

自画自賛

【漢字】自画自賛 【読み】じがじさん 【意味】自分の作品や出来映えに自分で自分を褒めること。 【例文1】我ながらよく描けた絵だと自画自賛する。 【例文2】今夜の料理は自画自賛する。 【例文3】自画自賛した作品を眺める。 何か事を成し遂げて、その出来に満足した時、周りにその成果を認めてくれる人がいなかった場合、自分自身で褒めたたえるしかありません。 その状況を自画自賛をいいますが、この行為自体は不思議でも何でもありません。 自分の成果に対して、満足できるということは素晴らしい事です。 例えば、1人の画家が、一枚の絵画を仕上げます。本人は、その出来に満足して素晴らしい作品だと感じます。しかし、周囲の反応はあまり芳しくありません。それにも関わらず、自分の作品を自分で褒めたたえる行為は、周囲の人達から見るとしらけてしまうかもしれません。周囲の評価と、自分の作品の出来栄えに対しての自信があまりにもかけ離れている時に、こういうことが起こってしまいます。 ただ、自分の成し遂げた仕事に対して満足感を持つことはいい事です。それだけ、責任感やプライドを持って真剣に取り組んだ結果なのですから。 でも、自分が思っているほど、周りがいいとは感じていないということも現実的によくある話です。その場合は、あまりにも自画自賛が過ぎると、いい仕事をしていたとしても、逆に評価が下がることもあるので気を付けましょう。 自分で満足がいく仕事ができても、思ったほどの評価が与えられない場合は、心の中で、よくやった自分を褒める程度にとどめておくとよいかもしれません。 必ず次の仕事につながるでしょう。 以前勤めていた会社の社長が、やたらと自画自賛をする方でした。 俺はすごい、俺が考えたから〇〇はすごいんだ、俺の会社は世界一だ、俺は最高の経営者だ、云々。 あの会社が俺のやり方を真似したのに同じ結果にならないのはやっぱり社長が違うからだ、俺は天才だ、云々。 何度も何度も聞かされているのでみんな、聞き流していても抜群のタイミングで相槌を打てるし、拍手も出来る、大笑いも出来る。 多少は仕事の邪魔になることもありましたけど、まぁ許容範囲でした。 それが段々と、俺はすごいと××も言っていたけどお前もそう思うだろう?とか、俺に感謝してるか?とか、すごい俺のすごい会社を辞めたいなんて言うやつはバカだ、等自画自賛だけではなくなって、しつこいくらいに同意を求められたり人を貶すようになってきて、社内の雰囲気が悪化してしまいました。 その頃少しずつ社の業績が悪くなってきていたのが、関係あったのかもしれません。 誰も褒めてくれないけど自分はがんばった!自分で自分を褒めよう!と言う自己肯定は力となりますが、がんばったのに褒めてもらえないと、何かのきっかけで不満に転じてしまい、その結果必要以上に自分を肯定してもらいたがったり、更には他者を否定するようになってしまうこともあると、その社長に教えて頂きましたので、今は時々、心の中でだけこっそり自画自賛するようにしています。

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最期を遂げる

【漢字】最期を遂げる 【読み】さいごをとげる 【意味】死ぬ時を迎える。 【例文1】独り身で孤独な最期を遂げる。 【例文2】孫やひ孫達に看取られ最期を遂げる。 【例文3】眠るように最期を遂げる。 私の父は言葉数は少なかったのですが、私の事をとてもかわいがってくれました。 父はバイクで会社まで通勤していたのですが、休みになるとバイクに私を乗せてくれ、色々な所に連れて行ってくれたのです。 また父は毎日快活に行動をしていました。 仕事もほとんど休んだ事がありませんし、休日になると早朝に起き出し、ひとりで散歩に行っていました。 風邪もひかず、疲れたと言う言葉も聞いた事がなく、とにかく疲れや病気には無縁の人でした。 ところが50代となった父が、「最近疲れてしょうがない」と言うようになりました。 これまで病気という病気をしなかった父ですから、私たち家族は単純に年のせいだと思っていました。 しかしこの後、急激に父の体調が崩れ始め、病院で診てもらいました。 それで入院して、母がお医者さんに呼ばれて、父が肺がんだという事を告げられました。 確かに父はタバコを吸っていましたから、肺がんになっても不思議ではありません。 咳をしたり痰を吐いたりしていましたから、肺がんの兆候があったと言えばありました。 半年ほど闘病生活を続け、病院のベッドの上で最期を遂げました。 50代という若さで最期を遂げた余りにも早い父の最期をしばらく受け入れる事が出来ませんでした。

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行雲流水

【漢字】行雲流水 【読み】こううんりゅうすい 【意味】物事に執着せず雲や水の流れのように自然に任せて行動する。 【例文1】次の家族旅行は行雲流水で行ってみよう。 【例文2】行雲流水の旅に出る。 【例文3】散歩コースは行雲流水だ。 「行雲流水」とは読んで字のごとく、風に乗っていく雲ように、また水の流れのように自然に身を任せて行動するようなことを言います。一見無責任なようにも見えますが、古い言葉として残っているように昔の人々はより自然に任せるような暮らしていたのではと感じます。 これらのことは確かに競争社会を生き抜くためには重要なことですが、夢や目標に固執してしまうことは価値観を狭めてしまうなど、ときに弊害ももたらします。 「行雲流水」は夢や目標達成とは真逆な考えにも思えますが、とくに心の部分において重要な考え方なのではないかと思います。 成長していくにつれて変わっていく心境や考え方の変化をどうとらえるか、もともと持っていた夢や目標との間に矛盾が生まれたときに「行雲流水」という考え方を知っていればそれが当たり前なのだと受け入れられます。 空に浮かぶ雲のように、また川を流れる水のように、心は常に変化していくものでありそれが自然なのだと感じるようになれれば、大きな壁にぶつかったときでもその壁を乗り越えやすくなるのではないかと思います。 「行雲流水」は、こううんりゅうすいと読みますね。「流水行雲」と使われることもありますよ。字面が良い四文字熟語なので、色々な作品に使われますね。 漢字を目にして受ける印象から「自由気まま」を意味する言葉に思われがちですが、実際はもっと奥の深い意味を持つ禅語なのです。 「行雲」は空を悠然と行く雲、「流水」は絶えることなくさらさらと流れる水です。 雲も水も留まることなく絶えず動いていますね。 このよどみのない無心無想で自由自在の状態を「行雲流水」と表しています。 ここから、一定の形を持たずに移り変わっていく様子や、物事に深く執着しないで自然の流れに身を任せて行動することの例えになりました。 「行雲流水の生活」と使われることが多いですよ。 言葉の意味は次第に「自由気まま」と受け取られるようになりました。 そのほうが「なんだかカッコイイ」イメージになります。 ですが、本来「行雲流水」とは、禅語として「人生の無常」「世の無常」を例える言葉なのです。 自然現象である「行雲流水」のように、人生や世の中も常に変化していて、良いときもあれば悪いときもあるけれど、どんなときでも淡々とさわやかに生きることを言い表しているのですね。 ちなみに、諸国を巡り歩いて修行する禅僧の「雲水」の元になった言葉でもあります。

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敬して遠ざける

【漢字】敬して遠ざける 【読み】けいしてとおざける 【意味】尊敬しているような態度はとるが、実は疎ましく遠ざかりたい気持ちをいう。 【例文1】課長はいつも自慢話しかしないので敬して遠ざける。 【例文2】上司の孫の自慢話に敬して遠ざける。 【例文3】そうですねと軽く敬して遠ざける。 敬して遠ざける、とは本来は読んで字の如し、尊敬してなれなれしくしないという意味で使われていたようですが、現在ではもっぱら、「表面上は尊敬しているふりをしながら、内心では疎ましく思っていて遠ざける」こととして使うようです。「敬遠」は同義語になります。 この、敬して遠ざける。私は多用しているほうだと思います。どのような人を敬して遠ざけるか、そこに共通点を発見しました。 まず、自分語りが多い人。特に自分の信条やあらゆる物事に自分なりの見解を示すのが好きな人は、敬して遠ざけずにはおれません。正直、煙たい存在です。立派そうなことを言うのが好きなタイプでもあるので、こちらとしても実に自然に敬意は表せるのですが、敬意を見せてきた相手を近くに置きたがる人もこのタイプには多く、「遠ざける」がスムーズにいかない場合もよくあります。 もう一つは、徹底的に自分をいじらせない人。プライドの高さがありありと見える人です。どんなにツッコミどころがあろうとも、本気で怒ってきそうで怖いのでいじれません。とにかく疲れます。このタイプはこれと言って尊敬すべきところがなくても、「あなたはちゃんとした人だから」「真面目だね」などと言って敬して遠ざけています。

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ぐうの音も出ない

【漢字】ぐうの音も出ない 【読み】ぐうのねもでない 【意味】指摘された事に一言も反論できない。 【例文1】彼女の発言は正論過ぎてぐうの音も出ない。 【例文2】彼は本当は自分が悪いと感じているので、ぐうの音も出ない。 【例文3】1ヶ月の小遣いを1週間で使い切り、嫁に怒られてぐうの音も出ない。 ぐうの音がでないほど懲らしめる、など、相手を散々にやり込める時や、相手を痛めつける時に使う、ちょっと怖い言葉です。 いじめられた相手に対しての仕返しや、今まで威張っていた人を論破した、胸がすくなどの場合に使うこともありますが、どちらにしても、相手をやっつけるという印象があります。 ぐうの音のぐうとは、人が呼吸がつまった時や苦しい時にでる擬態語に含まれます。ただ、実際には、そんな音がでるはずもないので、感情を表した言葉でもあります。 人間関係で、今まで散々馬鹿にされていた人が、思わぬ弱点をさらけだして、それをズバリと指摘する時などは、これまでの感情のしがらみを考えると、とてもすっきりするでしょう。 結局、ぐうの音もでないほどやり込められる相手というのは、きっとそれまで、その人に対していつも攻撃する側だったのでしょう。自分の蒔いた種でそうなっととも言えますので、ある意味、自業自得でもある訳です。 やっつけた方は、胸がすくでしょうが、あまりそれを周囲の人に自慢げに吹聴すると、例え今までの経緯を知っている人でも、逆に今度は自分の方が、乱暴で思いやりのない人だという印象も受けるかもしれませんので、注意が必要です。 ぐうの音がでない程やっつけた後は、自分の心の中だけでほくそ笑んで終わりにしましょう。

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