tedukurikotoba (2563)

猫に小判

【漢字】猫に小判 【読み】ねこにこばん 【意味】猫に銭を与えても何の役にも立たないことから、価値がわからない人に高価な物を与えても無駄。 【例文1】彼にブランド服を教えてもファッションセンスがないから猫に小判だ。 【例文2】幼児にLouis Vuittonを与えても猫に小判だ。 【例文3】夫のコレクションが邪魔で猫に小判だ。 「猫に小判」の似たようなことわざで「豚に真珠」、「馬の耳に念仏」のようなものがあります。 どれも動物が出てきますが、この表現は非常にわかりやすいと思います。 必要な人の所に必要なものが行き渡れば、それはとても有効に活用できます。 しかし、必要のない人の所に必要のないものが行くようだと、それは無駄になってしまいます。 世の中は無駄がないようになっているといいのですが、実際のところはそうでないことが多いような気がします。 その例が、お金のある人のところにお金が多く集まるといったことが挙げられます。 そのため、お金のある人はお金を有効活用して、世の中の役に立つように使うことが必要なのかもしれません。 いくらお金があっても、お金がもっと欲しいと思っている人のところへは、逆にお金は集まらないのかもしれません。 そう考えると不必要な人のところに、それが行くのが自然な働きなのかもしれません。 毎日を快適に幸せに過ごしていくためには、欲しいものを追い求め過ぎないことが必要かもしれません。 欲しい、欲しいと思っていると、案外欲しいものはやってこないような気がします。 猫に小判のように、お金を必要以上に欲しがったり、必要だという雰囲気を醸し出さないようにしていたほうが幸せに生きられるような気がします。 諺に猫を使用している言葉は多いですがその中でも猫に小判は有名かと思います。たとえ価値あるものだったとしても、持っている者がそれに何の関心もなければ役に立たないという意味で、もったいないというあざけりの言葉として用いられます。かくいう私も猫に小判のように貴重であったのに関心なく見過ごしてしまった事がありました。まだ小学生だった頃の話です。母が知人から貰ったという大きな鉢を持って帰って来ました。月下美人という花が咲くと言っていました。蕾がいくつか付いてる状態で滅多に咲かないしあまり見かけれない花らしく、母親はとても嬉しそうに毎日咲くか病気になってないか観察しておりました。とうの私は花そのものに興味がなく月下美人の魅力に気づけず、見事に開花させた時の母が写真を取りまくってる姿や、花が萎んでしまってからも暫く鉢を片付けられない位の愛着を持っていた事がよく分からなかったのです。しかし大人になった今、その事を思い出すと何と勿体無かったのだろうと感じます。確か夜に咲いてたなとか、キレイだった気がすると曖昧な記憶の中で、花を愛でられる感性があったらと猫に小判だった自分に後悔です。猫に小判の価値とは人それぞれ違うと思いますが、時間が流れると分からなかった価値に気づけたりする事もあるのだなと思いました。

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抜け目がない

【漢字】抜け目がない 【読み】ぬけめがない 【意味】利益になりそうだと見据えたときの機会を逃さない。 【例文1】金銭に細かく抜け目がないヤツだよ。 【例文2】抜け目がない者こそケチでお金を貯めこんでいる。 【例文3】損得ばかり考えて抜け目がない。 世の中には抜け目がないという人が結構います。 抜け目がないというと、ケチなような印象を受けることもあります。 抜け目がないという意味は悪いイメージがつきますね。 抜け目だらけの人も逆に困ったものです。 自分はどうかというと、抜け目が多い方かもしれません。 抜け目がない人はいつもきちんとしていて、自分の利益ばかり優先して人生を生きているような人が多いです。 私もそういった人周りにいます。 抜け目がない人の方が仕事はできる人が多いのではないかと思います。 ビジネスはある意味シビアな所も多く、ちょっとしたスキや油断が大きな失敗に繋がってしまうこともあります。 しかし、抜け目がないという利点を生かしていけば、ビジネスで成功しやすくなるのではないかと思います。 抜け目がない人というのは努力してそうなっているのか、もしくは生まれつきの性格なのかは人それぞれだと思います。 相手の考え方や態度が良くないと思ったら、まずは自分がそうならないように気をつけていくことで相手の見え方も変わってくるのだと思います。

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憎まれっ子世にはばかる

【漢字】憎まれっ子世にはばかる 【読み】にくまれっこよにはばかる 【意味】憎まれている人こそ権力があり、世間で認められられるもの。 【例文1】彼女は憎まれっ子世にはばかるで同期を差し置いて出世した。 【例文2】どう思われるかをいちいち気にしていたら憎まれっ子世にはばかる事はできない。 【例文3】政治家が憎まれっ子世にはばかる。 「憎まれっ子世にはばかる」よく耳にする言葉です。 人から憎まれるような者ほど、逆に世間では幅をきかせるものであるということです。 なぜ憎まれっ子のほうがいいのでしょう。人から敬遠される、嫌われるような人は周りの人間と調和がとれなかったり、自己中心的であったり、その場の空気をよまなかったり原因はいろいろあるかと思います。でも逆に考えたら人に流されず自身の考えを持っていて、周りからの誹謗中傷も気にしない図太い神経の持ち主ということになります。 世間で生き抜いたり、出世するにはやはり周りと同じでは秀でることはなかなかできません。今はオリジナリティを企業でも求められる時代です。そこに図太い神経を持ち合わせていて、メンタルが壊れることもなくストレスを貯めない人材であればもしかしたら、今企業が一番欲しい人材なのかもしれませんね。 ただ凡人がまねてもただの嫌われ者で終わってしまうかもしれませんが。天性の憎まれっ子がいたら、それは金の卵で将来は大物になる可能性大です。 わがままで自己中心的、人に遠慮がなく、思いやりがない、そんな人間が得をするシチュエーションって意外に多いように思います。 会社でもそうだし、日常生活の中でもそんな風に思う瞬間と言うのはたくさんありますよね。 ろくに仕事しないくせに部下の功績は自分のもの自分の失敗は人のせいにする会社の上司、電車で我が物顔で荷物を自分の席の横において大股広げて座っているおじさん、 スーパーでクレーム言って厚い待遇を受けるおばさん、もううんざりするほどよく見る光景です。 私はそういう光景を目にするたびに「自分はこうはなりたくない」と思ってきましたし、そういう人たちにも嫌悪しかありませんでした。 でも、最近は少し見方が変わってきたんです。 彼らほど自由に、遠慮なく、楽しく生きている人種って他にないなぁ、と。見習おうってわけじゃありません、人に迷惑をかけてまで自分の意思を通したいとは思いませんし、 やっぱり「憎まれっ子」にはなりたくないわけです。 でも彼らは自分たちが「憎まれっ子」だとは微塵も思っていません。かといって誰かに好かれようと必死で自分を押し殺しているわけでもありません。 自分らしくいながら、自分はそこそこ他者ともうまくやっていけている、そう思っているわけです。 なんともうらやましい話ではないですか? 誰かの目を気にしすぎて悩んだり、SNSや匿名で受けた悪口を苦に命まで絶ってしまう悲しい現実が日本にはたくさんあります。 そのほとんどのケースは人間関係のトラブルと言っていいでしょう。 だからこそ私は「憎まれっ子世にはばかる」の「憎まれっ子」の根性にこそ、この厳しい現代を生き抜く処世術が隠されていると思えてなりません。 完全な憎まれっ子になるのは嫌ですが、すこーしだけ彼らの爪の垢を煎じて飲んでみるのも良いかもしれませんね。 「憎まれっ子世にはばかる」という言葉があります。 憎まれているくらいの人の方が世間に名をとどろかせる。みたいな意味があるのですが、果たして本当にそうでしょうか。 部内にデリカシーがなくとにかく空気が読めない男性社員がいますが、彼が出世街道を歩くとは到底思えないし、部内で仕事をゴリ押ししようとする強引な人がいますが、彼もまた出世街道を歩くとは思えません。 いずれにしても人が付いていかないように思います。 社外に目を向けても、憎まれっ子とされる人が世にはばかるとは思えないのですが果たして本当なのか、なにを根拠にそう言っているのかこの言葉の定義などが気になります。 どちらかというとわたしも憎まれっ子とされる方だと思います。 言いたいことを言うし、思ったことを言います。 言わないと伝わらないからです。 もちろんその言い方や伝え方には気を遣うけれど、それも結局はわたしの俯瞰であり、聞き手にとってはきついもの言いになっているかもしれません。 割り込みをされたらきちんと後ろに並ぶように言うし、不正をしているような人にはきちんとやめるように言うのできっとたくさんの人に煙たがられていると思います。 ・・・子供からは「お母さんよくまだ生きてるよね」と言われます。

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泣いても笑っても

【漢字】泣いても笑っても 【読み】ないてもわらっても 【意味】泣くような結果になっても、嬉しい結果になっても最後の段階にきているという意味。 【例文1】泣いても笑ってもこれが最後の勝負だ。 【例文2】最後まで出し切ったから泣いても笑っても悔いはない。 【例文3】泣いても笑っても今年がラストチャンスだ。 人生最後のチャンスかも、と思う瞬間と言うのはどんな時でしょう。 受験や結婚、出産や就職、出世や転職・・・人それぞれにあると思います。 私の「泣いても笑ってもこれが最後だ」と思った瞬間は、高校時代の部活動でした。 最後の大会、吹奏楽部でサックスを吹いていた私は「これが最後の演奏になる」とステージの横で緊張していました。 仲間同士で励ましあいながら本番を迎えたとき、一瞬一瞬が心から長く感じ、緊張と感動で胸が震えました。 その時思ったのです、泣いても笑ってもこれが最後なら思う存分楽しもう、これ以上ないくらいに楽しもうと。 大会の結果は私たちには十分すぎるほど素晴らしい結果でした。最後の大会で自分たちの実力を出せたこと、それが結果に反映されたことは今でも心に刻まれています。 結果よりも私の心に残っているのは、結果でも成績や評価でもない、あの舞台に上った際の自分たちの足音や楽器のきらめき、これまでにない集中した瞬間、 仲間同士で見えない絆をその瞬間しっかりと音の中に感じた事でした。 泣いても笑ってもこれが最後、と思える瞬間というのは人生にそう多くは訪れません。 でもそう思える瞬間がもし訪れたとして、その瞬間を心から集中して堪能できれば絶対に後悔はないと思うのです。 全てのことを「これが最後」だなんて思うことは難しいけれど、それでもどんな瞬間も「最後になるかもしれない」瞬間であることは事実です。

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桃源郷

【漢字】桃源郷 【読み】とうげんきょう 【意味】中国の伝説に登場する山奥の楽園地からきた言葉で、現実とは思えないほど美しく癒される体験や場所。 【例文1】家族旅行で桃源郷の旅に出かける。 【例文2】疲れた身体に癒しを求めて桃源郷を見に行く。 【例文3】桃源郷に見とれる。 桃源郷という考えは、陶淵明が記した「桃花源記」に出てきます。桃源郷へ再度行くことは不可能であり、目的を持って行こうとしては行けないという場所であると記されています。日常生活をよりよくすれば理想郷へ行くことができるという迷信を否定しているのです。では、桃源郷というのはユートピアと同じなのでしょうか。これが、全く対局にあるのです。ユートピアは理想社会を実現しようとしますが、桃源郷は理想社会の実現を諦めるという考えなのです。 それではなぜ桃源郷が現代では、理想的な素晴らしい世界と思われているのでしょうか。それは、道教の思想や伝説と結びつき、特に仙人思想と結びついてたからなのです。山で迷って仙人に合うとか、仙人になるための食べ物が桃も実であるとかから桃の林の奥にはある桃源郷は仙人の住まう場所という説話が生まれたのです。また、西王母伝説に不老不死の為の仙桃というのもあり、それも桃源郷の説話の一端ともなりました。 中国の伝説からの言葉ですが、現代では花が咲き乱れる美しい場所を桃源郷と言ったりします。また、それを代名詞にしてキャッチフレーズとしていたりしますから、耳にすることも多いでしょう。春の初めの頃、中央線に乗り山梨へ向かうと、窓外にピンク色の一帯が広がります。桃の花が一面に咲いているのです。のんびりした場所であるからか、そんな風景はまさに桃源郷という言葉がぴったりです。

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