tedukurikotoba (2563)

瑠璃も玻璃も照らせば光る

【漢字】瑠璃も玻璃も照らせば光る 【読み】るりもはりもてらせばひかる 【意味】才能がある人は、どこにいても目立つものである。またそのような人は機会を与えられれば、すぐに能力が発揮する。 【例文1】瑠璃も玻璃も照らせば光るものだから、人並み外れた暗記力を持つ彼女はいずれ大物になるだろう。 【例文2】アドリブ対応が瑠璃も玻璃も照らせば光る。 【例文3】何でも器用にこなし、瑠璃も玻璃も照らせば光る。 七宝(しっぽう)というのは、仏教からきた言葉で7種類の宝だそうです。そんな有難い宝ですから日本でもあらゆる地名や七宝焼のような工芸品にも使われています。 7つの宝の種類は金・銀・瑠璃・玻璃・瑪瑙(めのう)・シャコ(貝の名)・赤珠(珊瑚)のことを指しているというのが、無量寿経という経典に書かれているそうです。 オリンピックの金銀(銅はわからないが)はここからきたのでしょうか?仏教用語なのであまりオリンピックと関係ないかもしれませんが、世界的にも金銀は貴重な金属という事は共通しています。瑠璃色というのは青(紫帯びた濃い青)、英語ではウルトラマリンブルーらしいです。玻璃というのは水晶のこと、そして硝子もこの言葉を使われるようになったのは水晶のように透き通って昔は貴重品だった為にこう呼ばれていたと思います。この2つの瑠璃・玻璃を使って「瑠璃も玻璃も照らせば光る」ということわざがあります。意味は、どちらも照らせば光ることから優れた才能を持った人はすぐわかる、または大成したり才能を開花させるという事です。 ところで、七宝には序列があるんでしょうか?照らせばという付帯状況があるから金銀には落ちるのかなと考えたのですが、玉石混淆という言葉もあります。平凡なものと優れたものを見分けるには光が必要なんですね。 「瑠璃も玻璃も照らせば光る」とは、「優れた者は、どこにいても目立つ」という意味です。江戸いろはがるたの中にも入っています。瑠璃とは青い色の宝石、玻璃は水晶のこと。たとえ石ころの中に混じっていても、どちらも、光を当てると美しく輝きます。人間も、そのように、素質のある者は目立つというのです。 現在は、インターネットの発達により、才能のある人はその才能を開花させる方法を見つけることができます。たとえば文章・絵・イラスト・漫画などが上手ければ、ブログやツイッターなどで発表することで、それが多くの人の目にふれ、やがてはメディアに取り上げられることにもなります。努力次第ではプロになる道も開けます。自ら光を当てて、自分を光らせることができるのです。 しかし、インターネットが発達する前は、たとえ才能があっても、それを活かす方法は限られていました。せいぜい雑誌や新聞に投稿したり、出版社が公募する新人賞に応募する程度の手段しかありませんでした。新聞などに掲載されても、周囲の人たちが褒めてくれるだけで、結局は自己満足にしかなりません。新人賞などに入選できる人は、ほんの一握り。やがて、才能ある人も、「本当は自分には、才能なんてないんじゃないか」と自分を見限ってしまいます。その結果は、「玉石混淆」です。石ころのなかに宝石も混じっている状態になります。時間の経過とともに、宝石はホコリをかぶって、輝きもくすんできます。昔はそんな人が多かったはずです。 でも、今は違います。たとえどんな田舎にいても、自分でその才能を発揮することができるのです。ここでの「才能」は、努力する力と方法を見つける才覚も含まれていることはいうまでもありません。そうです、何らかの方法があるのです。それを見つけて持続的に利用することができるかどうか、で道が分かれます。 私は、今、呼びかけたい。瑠璃よ、玻璃よ。自らに光を当てよ。自らを輝かせよ、と。

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律義者の子沢山

【漢字】律義者の子沢山 【読み】りちぎもののこだくさん 【意味】まじめな人は夫婦仲がいいので、家庭円満で子宝に恵まれるもの。 【例文1】祖父母は律義者の子沢山で理想の夫婦だ。 【例文2】律義者の子沢山を目指して家庭を持つ。 【例文3】1人っ子なので律義者の子沢山を羨む。 「A grave man will have a large family」が英語圏での言い回しらしいです。 はて、graveの意味って墓だった気がするけれど、墓男が大家族とはこれ如何に。 よくよく調べると形容詞graveの意味は「厳粛な」「地味」でした。 それならば日本語と大差ない表現になるので納得できました。 「子沢山な律義者」はいても「律義者が子沢山」とは限らないと思うのですが、どうでしょう。 計画的な律義者であれば、生活費や教育費について確実に育てられる子どもの人数を算出して子沢山には至らないように思えるのです。 ただのお人よしな律義者であれば、 父母「はやく孫の顔が見たいねぇ」 律義者「はい。そのように努めます」 そして生まれる第一子を抱きながら 父母「男の子(女の子)も欲しいねぇ」 律義者「はい。そのように努めます」 そんな感じで求められるがままに子どもが増えていくという光景が想像できます。

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色の白いは七難隠す

【漢字】色の白いは七難隠す 【読み】いろのしろいはしちなんかくす 【意味】 【例文】 「色の白いは七難隠す」という諺は、色が白い女性は例え7つのマイナス点があったとしてもそれをごまかして美しく見えるという意味ですよね。 このことわざを聞いて、いやいや、どんなに色が白くても目がぱっちりしていなかったり、鼻がやけに潰れて大きかったとしたら、絶対、きれいな女性には見えないと思う人もいると思います。 でも、私から言わせると、このことわざはだいたい当たっていると思います。 色白の肌を持つ人はきれいに見えると思います。 ただし、このことわざには「但し書き」が必要だとも思っています。 実は私は、生まれた時からものすごく色白だったのです。 私だけではなく私の二人の兄も男ながらに無駄に真っ白な肌をしておりました。 私は小さい時から、周囲のお友達や、周りの大人に「色白できれい」と褒められてきました。 だから、自分はひょっとするときれいな方なのかもしれないとうぬぼれたことがあります。 ところがです、思春期を迎え、中学2年生くらいから顔にニキビができ始めたのです。 友人もニキビができたりしていましたが、浅黒い肌にニキビは全然目立ちませんでした。 一方の私は、白い肌に真っ赤な化膿ニキビができて、不潔に見えました。 ニキビができてから、私のことを色白できれいだという人は一人もいなくなりました。 寧ろ、ニキビがすごいと陰で言われていたと思います。 色が白くてもニキビという一難は隠してくれないことを知りました。 その頃から、顔の造りが多少かわいくなくても真っ白な肌でにきびの出来ない人は美しいと私は思うようになりました。 色白で肌がきれいな人は七難隠すですが、ニキビが例え一難だとしても、色白の良さをすべてぶち壊してしまうのです。 「色の白いは七難隠す」には、「但し、ニキビは除く」と付け加えるべきだと私は思います。 幼い頃から「色の白いは七難隠す、だね」と、親戚から口々に言われ続けてきました。私に対する周囲の印象は、取り立てて活発でもなく優秀でもなく、特長を褒めようとすると肌が色白であることしかなかったのでしょう。とはいっても、親戚のおっちゃんやおばちゃんは、こうも同じことばかり話せるのかと言わんばかりに、年に1回お盆の集まりで、そう言ってくるのです。中学生になってくると、さすがにこの諺の表現が理解できて、「私のどこが難ありなのよ!」と思ったものです。大人になった今思うと、欠点は誰にでもありうることと、全ての人から好かれることなんてない、ということが経験則から分かっているので、「これから大きくなって苦手が増えても、大きな損にはならないよ」というアドバイスだったんだと思えます。 ちなみに、「色の白いは七難隠す」の「七難」とは、顔立ち、性格、生活の乱れ、老い、運の悪さ、色気のなさ、みすぼらしさの7つを指しているそうです。すべては、内面のネガティブさが滲み出て、結果「難」に見えるのでしょう。たしかに、「色の白いは七難隠す」は、色白によって聡明で透明感のあるように見えるのかもしれません。しかし、それはあくまで第一印象だけがよく見えるだけであり、長く良い関係値を築こうと思うと、はじめの印象から大きく踏み外し、結果疎外感を得てしまう気がするのです。結局のところ、このことわざを通じて、私は内面からポジティブ美人になるしか道はないのだと思ったのでした。

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夜討ち朝駆け

【漢字】夜討ち朝駆け 【読み】ようちあさがけ 【意味】新聞記者が夜遅く、朝早くに取材先を訪問する。 【例文1】芸能人のスキャンダルで、夜討ち朝駆けで近所が報道陣で騒がしい。 【例文2】夜討ち朝駆けでいい迷惑だ。 【例文3】夜討ち朝駆けも楽じゃないよ。 営業マンが心に留めておくべきテクニックのひとつに『夜討ち朝駆け(ようちあさがけ)』があります。 これはわざと早朝や夜更けに営業先にセールスに赴くという、かつて頻繁に用いられた営業テクニックです。 その由来は源平合戦に端緒をなす合戦の必勝テクニックで、日中に堂々と敵に仕掛けるよりも、誰もが寝静まっているだろう深夜や、まだ眠りの中にいるだろう早朝に奇襲したほうが勝利し易い。そんな相手の不意を狙ったある種、卑怯な戦術ですね。 かつてのビジネス・シーンで夜討ち朝駆けが成功しやすい理由は二点あります。 まず、熱意をアピールできるという点です。 始業時刻にはまだ遠い早朝や、とっくに終業時刻の過ぎた深夜に熱意をもってやって来た営業マンを前にして、よもや契約など結ぶまいと思っていたターゲットもつい情にほだされてしまう。そんな理由です。 そして、早朝や深夜ならば高確率でターゲットと会えるというのが二つ目の理由です。 夜討ち朝駆けが営業マンにとって有効なテクニックとして重宝されていたのは以上の理由で、これはあくまで「かつて」の話です。 インターネットやスマートフォンの普及によって、営業先と連絡を取り合う手段は今や多岐に渡ります。 そんな時代にあって、少しでも眠っていたい早朝や、寛いでいるだろう深夜にインターホンを鳴らされたらどう思うでしょうか? 好印象を与えるどころか、非常識な人間だと思われるのが関の山でしょう。 夜討ち朝駆けが通じるのはもはや新聞記者くらいなもので、多くの営業マンにとってはもはや旧時代のテクニックとも言えます。 「夜討ち」とは夜間に敵へ奇襲を仕掛けること、「朝駆け」は相手が起きない早朝から馬を出すことでこれもまた奇襲に通じます。 どちらも相手が休んでいる時間帯を狙って攻め込むもので、尋常な勝負を望むべくもなく、場合によっては卑怯な行為とされます。 記者が言論の自由を大儀に掲げて敢行する場合もありますが、アポイントなしでの突撃取材は良い印象を与えるものではありません。 記者の取材以外でも、およそ一般的な対応時間外の突然の訪問であれば夜討ち朝駆けと言えるでしょう。 常識を踏まえた行動とはされないので絶対にやるべきではありません。 平安時代末の保元の乱では後白河天皇側が夜襲をしていますが、相手方は夜襲を卑怯として実行しなかったとも言われます。 古来より卑怯な戦法として認識されていたことは明らかです。 戦国時代にも奇襲として実行された例が見られますが、敵味方の判別がつかないので同士討ちの危険があるのは言うまでもありません。 一方的に遠距離攻撃をするならともかく、乱戦になっては奇襲をしかけた意味が失われます。 特異な例として倶利伽羅峠の戦いで使われた「火牛の計」(牛に剣と火をつけて突撃させる)もありますが、凡そ常軌を逸した人間としか思えません。 考え付いても実行しないのが普通でしょう。 成果のためには手段は問わない人間が、信頼を失うであろうことはあまりにも当然過ぎます。 その場しのぎの姑息な手段は効果的であっても、弱者の奇策と扱われることにしかなりません。

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勇将の下に弱卒なし

【漢字】勇将の下に弱卒なし 【読み】ゆうしょうのもとにじゃくそつなし 【意味】勇ましい将軍の元に弱い者はいないというたとえから、上に立つ者が優れていると、部下も優れているものである。 【例文1】彼は勇将の下に弱卒なしの企業に就職して有望視される。 【例文2】勇将の下に弱卒なしと言うからね。彼の出世も間違いない。 【例文3】職人の息子は勇将の下に弱卒なし。 出来る上司の部下はよく働くとでも解釈するのでしょうか。 1.有能な上司の下には優先的に優れた人材が人事で回される。 2.無能で役に立たない部下はリストラ対象になった。 3.有能な上司の指導の下、職場で鍛え上げられた。 3のパターンが実行可能なほどに現代経済に余裕があるとは考えにくいです。 よっぽど業績優秀な企業でなければ無理なので、必然的に1の前段階にあたる入社試験の通貨が条件となります。 結局、1と2が有力なパターンと考察されてしまいました。 もとは蘇軾という中国北宋代の詩人が綴った「題連公壁(連公の壁に題す)」が原文だそうです。 前後の文章が知りたくて全文を検索しようとしたのですが、見つける事が出来ませんでした。 なぜか、忍者アニメで主人公の師匠が語った言葉として多く紹介されていました。

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