tedukurikotoba (2563)

牛に引かれて善光寺参り

【漢字】牛に引かれて善光寺参り 【読み】うしにひかれてぜんこうじまいり 【意味】長野県にある善光寺近くに住んでいた欲深い老婆が持つ布が、牛の角に引っかかったので、追いかけて行くうち善光寺に辿り着き参拝するうち、信仰したという民話から、思ってもいなかったことや他人の誘いによって、良い方向に導かれること。 【例文1】誘われた社交ダンスを始めてから、牛に引かれて善光寺参りがきっかけで、健康的に痩せてきた。 【例文2】明るい性格の友人といると、牛に引かれて善光寺参りでこっちまで自然に笑顔になる。 【例文3】誘われて入った教室がボケ防止で牛に引かれて善光寺参り。 長野の方言で、「ずくをだす」という言葉があります。 不精なめんどくさがり屋に対して「ずくだしなさい」となどと使う言葉で、一般的な言葉ではずく=一生懸命・根性・やる気、などの意味に置き換えられます。 また、有名なことざわに「牛に引かれて善光寺参り」という言葉がありますよね。 この言葉は元々、信仰心がなく傲慢な老婆が布を盗んだ牛を追いかけていくうちに善光寺にたどりつき、その牛が菩薩の化身だったことに気付いて信仰心をもったことで極楽浄土を遂げた、という言い伝えからできた言葉です。 たまたま出会った縁や、起きた出来事もそれは何かしらの「必然」であり、そこに導かれて得たものを素直に受け入れていけば、自分の心と向き合って今後のやるべきことも見えてくる、そんな風に解釈することもできますね。 私の出身地でもある長野県の善光寺は、毎年多くの参拝客でにぎわいます。 どんな宗教も受け入れてくれるこの地は、肌の色や目の色、言葉や生い立ち関係なく自分と向き合える場所でもあるのです。 もしまだ善光寺に来たことがない、という人がいるならば、ぜひ来ていただきたい。 長野の方言で言えば「ずくだして、牛に引かれて善光寺参りに出かけてね(出かけてね、はおいでね、の意味)」といったところでしょか。 「牛に引かれて善光寺参り」とは思いがけず他人に連れられてある場所へ出かけることまたは他人の誘いや思いがけない偶然で良い方向に導かれることのたとえです。これは善光寺にまつわる昔話が元になっています。昔信濃の国の小県の里にケチで信仰心のない老婆が暮らしていました。ある日軒下に干そうとしていた布をどこからかやってきた牛が角に引っ掛けて走り去ってしまいました。腹を立てた老婆は牛を追いかけて善光寺の金堂前に辿りつきましたが牛の姿は見えなくなってしまったそうです。日も暮れてきてお堂に入った老婆は光明に照らされた牛のよだれが「牛とのみ思いすごすな仏の道に汝を導く己が心を」と読めました。老婆の心には信仰心が芽生えその夜は善光寺で念仏を称えながら夜を明かしました。家に戻りこの世の無常を嘆いて暮らしていた老婆がある日近くの観音堂へお参りすると牛が引っ掛けて逃げた布が観音様の足下にありました。老婆はあの日の牛はこの観音様の化身と知りますます善光寺への信仰を深め極楽往生を遂げました。この観音様が布引観音と言われている観音様で長野県小諸市にある天台宗の名刹行基創建の断崖絶壁にかかる観音堂に安置されているそうです。

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行きがけの駄賃

【漢字】行きがけの駄賃 【読み】いきがけのだちん 【意味】あることのついでに他の事もして利益を得る。 【例文1】移動中も英単語を聴けば効率がいい。行きがけの駄賃だ。 【例文2】ヒッチハイクは出会いもあり、行きがけの駄賃だ。 【例文3】旅先で素敵な女性と出会い行きがけの駄賃だ。 巡回セールスマン問題をご存知でしょうか。 複数の目的地を巡った後、出発地点に戻るのですが、その際のコストが最小になる経路を求めようという問題です。 考えられる経路のパターンは目的地が多くなればなるほど膨大な数になるので最適解を短時間で導き出すことは難易度が高いです。 運送会社の配車計画を立てる役が、限りある輸送手段で荷物を配り終えようとするのに毎日四苦八苦しているのはこのためです。 ある届け物をする場所の近くに他の配達物があれば当然それも積載させて届けさせようとします。 余禄で配達するという行きがけの駄賃などでは無く、荷のひとつひとつ全部が本命の本業です。 トラックには向かう方面で配達可能な荷物を、先に配る荷は入り口手前、後で配る荷物は奥の方にぎっしり詰め込みます。 積載ギリギリまで詰め込み可能な限り、効率よく荷物を取り出し配達することが求められるのです。 そうでもしなければ、売り上げから人件費や設備費を引いた上で算出される儲けを出すことは出来ません。 このような世知辛い状況は運送業だけでなく、他の業種にあっても見られます。 成果を出すにはコスト削減、とにかく効率が重視される社会が完成されつつあります。 いちおう時間的・精神的・体力的な余裕も考慮されますが、それすらも損失を最小限にするための効率化であると思うと泣けてきます。 「行きがけの駄賃」とはある事をするついでに他の事をすることやついでに他の事をして利益を得ることを言います。馬子が馬を引いて荷物を取りに行ったり届けたりするついでに空馬を利用して別の荷物を届けて手間賃を得たことに由来しているそうです。馬子と呼ばれる今の運送業者が由来になっているように現代の運送業者もトラックを空で走らせることのないよう工夫して「行きがけの駄賃」を得ていますよね。「駄賃」とは荷物や人を駄馬に乗せて運ぶときの運賃のことです。馬に乗せて運ぶだけの仕事に対する賃金という意味から簡単な仕事に対して支払う賃金にも「駄賃」が使われるようになりました。ちょっとした仕事に対する賃金の意味で「駄賃」が使われるようになったのは江戸時代の頃だそうです。身近なところでは子供の頃にお母さんにお使いを頼まれたり家事のお手伝いをすると「お駄賃」がもらえて嬉しかったのを覚えています。懐かしい話ですが最近では「お駄賃」を払う親も「お駄賃」をもらう子供もいないかもしれませんね。しかしこれは仕事することに対して報酬が支払われることが体験できる良い経験になるはずです。小さいお子さんがいらっしゃる方はぜひお子さんに体験させてあげてください。

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青色吐息

【漢字】青色吐息 【読み】あおいきといき 【意味】ため息が出るくらい弱々しい息で、元気がない様子。 【例文1】また試験に落ちて青息吐息状態だ。 【例文2】お見合い相手に断られて青色吐息みたいだ。 【例文3】恋人にフラれ青色吐息だ。 子どもと休みの日を利用して、地方にある神社に行きました。その神社は山頂に本堂があり、参拝するには約1時間かけて階段を登る必要があります。 そこは観光スポットにもなっているので、沢山の家族連れが来ていました。私は体力には少し自信があったので、階段を登りながら小学生の子どもを心配していました。 登り始めて10分経過すると、私の体力はすでに無くなりそうで引き返そうかと思いした。ところが、子どもは楽しそうに先に早足で階段を登っていたので、引き返そうにも引き返えせず、私も登り続け30分経過したあたりで休憩をとりました。 私は既に足が棒になり、喉が乾くので持参していた飲み物を全部飲んでしまい、子どもの水筒しかなくなってしまいました。その水筒は子どもに全部飲ませたかったので、気合いを入れて早く山頂に行き水分を補給しようと思い、それを希望に階段を登り続けました。 山頂まで残り10分位の地点で、私は歩けなくなり階段に座りこんでしまいました。もう声も出ない位に疲れ、足に激痛が走り階段をそれ以上登れなくなり、困り果てた私は青色吐息しかでませんでした。 結局山頂には子どもだけ行って、水筒に水を補給して戻ってきました。階段で子どもの帰りを待ち、水筒の水を飲ませてもらいなんとか下山しました。情けなく大変な一日となり、辛い思い出になりました。

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脇目も振らず

【漢字】脇目も振らず 【読み】わきめもふらず 【意味】物事に集中する。熱心になる。 【例文1】両親は脇目も振らず、一生懸命働いてきた。 【例文2】脇目も振らず、受験勉強に励む。 【例文3】脇目も振らず、ひらすら歩く。 脇目も振らずという言葉は私に最も当てはまる言葉だなと感じます。何か一つのことに夢中になると他のことは考えることはやめて、そのことばかりを考えてしまうのです。 例えば40代のころにはシーカヤックに夢中になり、平日でも仕事が空くお昼からの時間帯にシーカヤックに乗って無人島へ行くという日々が2年ほど続きました。また山登りを始めた当初は週2回ほど登山に行くことが当たり前になり、図書館で山関係の本を5冊ほど借りてきて毎日山のことばかりを考えていました。また普通の仕事の時でも、何かトラブルがあるとそれにかかりっきりになり、普通の業務ができなかったという苦い思い出があります。 脇目を振らずという言葉は熱中するという意味ばかりに使われているように感じますが、私の場合は熱中しすぎて周りのことが見えない、または周りのことを考えることができないという状況に陥る言葉です。本来ならば何かに一生懸命になったとしても脇目を振って、周りの状況を慎重に確かめて、周りの人のことを考えて慎重に行動することが一番です。 私はこれから脇目を振らずは少し遠慮して、脇目をふりながら生きていきたいと思います。熱中することは素晴らしいですが、人に迷惑をかけたり本来の業務ができなかったりするのはよくありませんから・・・。 脇目も振らず、という言葉は様々な場面で使っていると思います。 意味としては、他のことを気にせずに一つのことに熱心に取り組むさまを言います。 もう少し言葉をわかりやすくすると、一目散に、とか、まっしぐらに、一直線に、という表現もできます。 これからの季節、夏の高校野球の予選が始まります。 高校球児は甲子園出場にむけて、脇目も振らずに練習をしています。 私もかつては甲子園に向けて、高校時代は練習に励みました。 あの頃は、毎日練習していた気がします。 朝は5時から始業前まで朝練、授業を終えて20時頃まで練習、帰宅後は宿題をして、30分の素振りという毎日。 勉強も少しおろそかになったところもありますが、他の遊びなどには全く気にせず、まさに脇目も振らずに練習に励んでいました。 毎年この時期になると、かつて練習に励んでいた姿を思い出します。 私の息子たちも今少年野球チームに入り、練習をしています。 将来はプロ野球選手になると言っており、非常に楽しみではあります。 ただ、プロ野球の選手になるには相当な努力が必要であることも息子たちには教えています。 ゲームやテレビばかり見ているのではなく、野球に対して脇目も振らず練習に励んでほしいです。 私の周りでも仕事ができる人が何人かいます。 そういう人の仕事ぶりを見てみると、すさまじい集中力で作業をやっています。 まさに脇目も振らずに目の前のことだけを真剣に取り組む姿勢は、見ている私も見習うべきことだと感じました。 自分は集中力がないことを棚に上げて、周りの環境のせいにしてしまっていることは意外と多いのかもしれません。 仕事ができる人はどんな環境でも、すぐに自分のやるべきことに集中することができます。 私も脇目も振らずに物事に集中できるようになれば、今よりももっと仕事の成果を上げることができると思います。 しかし、どうしても周りや他のことに意識が行ってしまい、目の前のことに集中できなくなってしまいます。 訓練次第で脇目も振らずに作業ができるようになるのかもしれません。 自分が好きなことに熱中している時は、確かに脇目も振らずに作業をやっているかもしれません。 気が付くと何時間も経っていて、あっという間に時間が過ぎてしまいます。 周りの余計なことが気にならなくなれば、その分無駄な精神的ストレスも受けなくて済むようになるのでしょう。 私も好きなことに没頭する時と同じように、仕事でも集中して仕事ができるようになりたいと思っています。

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労を取る

【漢字】労を取る 【読み】ろうをとる 【意味】特別な人のためにわざわざ何かをすること。 【例文1】両親の金婚式のお祝いなので盛大に労を取る。 【例文2】独身の友人のために仲介の労を取る。 【例文3】営業成績トップの社員に労を取る。 労を取るという意味ですが、何かのことに対して骨を折って対応すること、取り繕うことを言います。 例えば、揉め事に対して仲裁したり、調整したりと、なかなか人がやりたがらないことに対しても、前向きに対応していくことです。 労働も年功序列型から、成果主義型の給与体系が多くなりましたが、このシステムが一番の元凶であると思います。 成果主義型は頑張れば頑張るほど、成果が出るほど、給与にも反映されていくのですが、このシステムは自分本位となる傾向があり、厄介なことに巻き込まれたくない風潮も強くなります、 従いまして、自ら揉め事に入り、労を取ることがいかに自分の給与や生活に影響するうえで無駄である考えが身についてしまった結果だと思います。 このような環境においては、人間味のある人物も減ってきていることも事実です。 欧米のような成果主義型の仕事のスタイルは、日本の文化には合わなかった気がしますし、労を取る人が少ない結果をもたらしてしまったと思います。 労を取るとは、相手のためを思い力を尽くすことを言います。前向きな言葉で暖かみのある意味に捉えることが多いです。一般的に好きな人や友達、家族や親戚など様々な人に対して労を取ることが多いです。仲介役として助ける時にも使われる言葉で誰かのためを思うが故の行動として表します。あれこれしてと頼まれたわけでもないのに自ら進んで労を取るなど、相手がいるからこそ起こせる行動で例文として、お母さんが忙しそうだからわたしが妹の世話をして労を取るなどです。大人のサラリーマンだと何かと付き合いも多く上司に飲みに付き合わされることも少なくありません。そんな時にも使える日常的な万能な言葉です。労とは苦労の労です。ですが労を取る行動は必ずしも苦しいということではなく、中には楽しい行動もたくさんあります。周りから見たらすごい、苦労している、尊敬するなど思われるかもしれませんが、本人はそこまでもありません。恩着せがましく見られることもありますが、自分の意思で動いている場合がほとんどです。そんな労を取るという言葉は素直でいい人、そして責任感のある人に似合う言葉で、人のためを思い行動するべき人に一番使われる言葉でもあります。 「労を取る」特定の相手のためにわざわざ何かをすること、骨を折ること、尽力することを指す言葉です。「〇〇の労を取る」や「〇〇する労を取る」の形で用いられます。「本日ご媒酌の労を取っていただく〇〇様です。」や「本日はご媒酌の労を取っていただきありがとうございます。」などは結婚式に出席したらよく聞きくフレーズです。これは相手に向けた使い方で相手が自分に対してしてくれた事への感謝を表す言葉です。「〇〇にお骨折りいただきありがとうございます。」や「〇〇にご尽力いただきありがとうございます。」も同じ意味で使われます。「〇〇の労を取らせていただきます」と自分向けて使うときは相手に対してへりくだった言い回しとして使われます。人のために何かをするとき自分をへりくだって言う言い回しはこの他に「犬馬の労」があります。犬や馬はよく主人に仕えることから自分をへりくだって言うときに使います。「犬馬の労を取る」「犬馬の労を厭わない」の形で用いられますが少々大げさな言い回しなので現在はあまり使われていません。また「労」とはつかれる・いたわる・ねぎらうという意味があり心や体を使ってそのことに努めることやそのための苦労・努力のことです。 

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