tedukurikotoba (2563)

雀の涙

【漢字】雀の涙 【読み】すずめのなみだ 【意味】ほんの少しという意味。数や量を表わす時に用いる。 【例文1】雀の涙ほどだが、ボーナスが出たので、焼き肉を食べに行こう。 【例文2】ポイントカードが雀の涙しかたまってなかった。 【例文3】雀の涙ほどだが、貯金する。 ネット上にはポイントを稼げることをうたっている、ポイントサイトが星の数ほどあります。 ですが多少の違いはあれど、ポイントサイトでは雀の涙ほどのポイントしか稼げません。 確かにポイントサイトでも、大きなポイントを稼ぐ手段はあります。 ポイントサイトに掲載されているバナーを経由して、クレジットカードを発行したり、証券会社にFXの口座を作ったりすれば、一度に何千とか何万ポイントも手に入れる事が可能です。 この様な事を繰り返せば、あっという間に何万円も稼ぐ事は可能です。 しかし考えてみて下さい、一度発行したクレジットカードには二度とポイントが付きませんし、証券会社の口座だって作れる数には限りがあります。 つまり一時的には大きなポイントを稼ぐ事が出来ますが、それが長続きする様な事はありません。 大きなポイントが得られる案件がなくなってしまえば、後はスズメの涙ほどのポイントしか得る事が出来ないのです。 ポイントサイトには大抵簡単なゲームがあり、それをやればポイントが得られます。 しかしそれで得られるポイントは雀の涙程度しかなく、がんばってもお小遣い程度にすらなりません。 稼げるとうたっているポイントサイトは多数ありますが、あくまでも一時的だという事を承知しておくべきです。

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自業自得

【漢字】自業自得 【読み】じごうじとく 【意味】自分の言動の結果、悪い影響を受ける。 【例文1】彼はお金を借りまくって借金地獄になった。自業自得だ。 【例文2】冷酷な人間には誰も手を差し伸べないのは自業自得だ。 【例文3】間食が多く、メタボになって自業自得だ。 自業自得とは自身がおかした言動で悪い結果になるときに使います。 たとえば会社が倒産したのは利益ばかりを追い求めたからとか、ネットショッピングにはまりすぎてカード地獄に陥ったなど経験ありませんか? わたしの会社に性格が頑固で一切、他人の言葉に耳を貸さない者がいます。 何事にも頑固でこうと決めたら意地でも自分の指示に従ってもらいたいと思っているようです。お金は持っているようです。なぜなら会社の社員から誰も相手にされなくなり休みの日はもっぱら家にこもっているか、寝ているらしいです。 そんな時間は無駄だと強がりを言っていますが、わたしは出くわしたことがあります。彼は一人で居酒屋で飲んでいました。思い切って声をかけてみました。お酒も入って陽気な感じがしました。なぜ部署に溶け込もうとしないのか聞いてみました。確かに彼は社内ではうとまれています。それも自信は知っています。素直な性格ではないため今までも親しい友人ができなかったのは自業自得だと言っていました。わかっているなら周りに合わせてみてはどうかと聞いたところ合わせてみて意見が衝突する可能性があると言われました。やはり性格は変えられないものだと悟りました。

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賽は投げられた

【漢字】賽は投げられた 【読み】さいはなげられた 【意味】賽はサイコロのことで、投げた後は結果を待つだけということから、事は済んだのだから結果に従うしかないという意味。 【例文1】就職試験で全力を尽くした。賽は投げられた。 【例文2】賽は投げられたのだから、こちら側に従ってもらうよ。 【例文3】賽は投げられた。後には引けない。 行動が遂行中で後戻りが出来ない状況なことを表現する言葉で、古代ローマのカエサルという人物がルビコン川を渡る時に言ったとされます。 サイコロが投げられた時点で賭けは締め切られるので、後は出る目を待つだけです。 町でよく見かける電気で動く遊戯機械と称される賭博マシンは、銀色の玉が入ったことを感知した時点で瞬時に抽選して当否を判定しています。 様々な演出が施されている場合が多いですが既にハズレが決定していることを客は知りません。 スイッチの連打やレバーを引く、タイミング良くボタンを押すことなどが指示されますが全く意味が無いのがほとんどです。 20歳を超えた大人が無邪気に遊興するさまは微笑ましい、訳がありません。 財布の中身がかかっているので死んだ魚のような濁った目をしながらも皆必死で大当たり連荘を望んでやみません。 演出のなかには始まった途端に高確率でハズレが確定するものもありますが、ある意味慈悲深いとも取れます。 高確率で大当たりとなる演出がされ、期待させておいてアッサリそれを裏切ってみせるのは結構残酷です。 演出の如何に関わらずハズレることは既に決定事項なのですから尚更です。 ごく少数の店舗ですが、賽の目を裏で自在に操ることが出来て、それがバレて暴動や警察沙汰になった件も実際にあります。 それでも今日も負けるために真昼間から勝ち目の無い勝負に興じる人は後をたちません。 そのような方々の人生は、あたかもハズレを出し続けるサイコロに見えてきます。 「賽は投げられた」の「賽」とは賭博に用いられるサイコロのことで「賽は投げられた」とは勝負の結果を決めるサイコロはすでに振られてしまっているのだからもう後へは引けない、考えている余地はなくただ断行あるのみ、あとは結果が出るだけだということのたとえで運命の歯車は既に回ってしまったのだからもう後戻りはできないという意味です。古代ローマ時代にポンペイウスと対立しローマへ進軍したカエサル(シーザー)がルビコン川を渡る際に言ったセリフとして有名です。古代ローマ時代イタリア本土と属州ガリア・キサルピナを分けるルビコン川は北の防衛線でした。そのためルビコン川を武装して渡ることは禁止されていたため武装してルビコン川を渡ることはポンペイウスへの宣戦布告の意味がありました。同義後には「ルビコン川を渡る」があります。「賽は投げられた」と同じようにカエサル(シーザー)がローマへ進軍した時の故事に基づいています。ルビコン川より内側には軍隊を率いて入っていけないという掟に背くと反逆者として処罰されました。カエサル(シーザー)は処罰を覚悟でこの掟に背き軍隊を率いてルビコン川を渡ったことからもう後戻りはできないという覚悟のもとに重大な決断や行動を起こすことのたとえとなっています。

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好事魔多し

【漢字】好事魔多し 【読み】こうじまおおし 【意味】良い事は邪魔が入ることが多い。 【例文1】今夜はデートなのに残業になり、好事魔多しだ。 【例文2】彼女と初デートで遊園地に行くのに、雨が降ってきて好事魔多しだ。 【例文3】彼氏に女性が寄ってくる。好事魔多しだ。 好事魔多しとは良い事が起こると、邪魔されるような事が起こりやすくなるという意味のようです。 確かに良いことも悪いことの長続きはしません。 仮に良いことが長く続いていると、それが当たり前に思ってしまいます。 しかし、どんなことでも終わりはあるものです。 良いことが起こったならば、できるだけ悪いことが起こらないように、いつも以上の徳を積むことが大切だと思います。 人は良いことが起こると、どうしても考え方が甘くなってしまうようです。 その気の緩みをつけ狙ってくるものもあります。 調子の良い時こそ、気を引き締め、油断して甘い誘惑に乗らないように気をつけたいものです。 良いことが起こると、人は財布の紐が緩くなるようです。 確かにお祝いの行事では、いつも以上に大盤振る舞いをしてしまいがちです。 ですが、そこでハメを外しすぎると、とんでもないことになりかねません。 事の大小に限らず、多くの人はこういう苦い経験をしてきているかもしれません。 時には取り返しのつかない事態になりかねません。 十分に気をつけたいものです。 逆に悪い事ばかり続いていたら、この状態は長くは続かないと思ったほうが良いかもしれません。 道端で100円を拾った後に財布を落としたり、行列に並んでかった人気のソフトクリームを一口食べて落としコーンだけになってしまったり、サービス残業やパワハラに溢れた世に言うブラック企業に勤めてから心機一転と少し名の通った企業に転職が決まってすぐ転職先が倒産してしまったことありますか。私はあります。両親や友人にこの話をすると腹を抱えて大笑いされましたが。こういった良いことに恵まれたときは注意しないといけないということわざまであるんですね。「好事魔多し」というそうです。意味としては良いことがあったときは邪魔が入りやすいものだから、気を付けましょうということのようです。私の場合少し人より運が足りないだけのような気もしますが。正直最初にこの単語を見たときは「すきごとま」とはなんだろうと考えながら、のぞき魔や痴漢魔といった変質者が多く危ない地域といった意味なのかと思いました。人様に話す前に意味を調べ学習できて良かったです。読方みも「好事魔、多し」ではなく、「好事、魔多し」なんですね。後者の区切り方をするなら意味にも納得です。ことわざになるほどなので、私のような不運な人間が昔から多くいることに安心感を覚えます。 国語の授業のなかで、誰でも一度は「好事魔多し」ということわざを目にしたことがあるのではないでしょうか。このことわざは、「こうじ、ま、おおし」という区切りで読むのが正しく、「こうずまおおし」「こうじま、おおし」などの区切り方や読み方は、誤用であるとされています。ちなみに、このことわざの意味は「よいことやうまく進むこと(好事)には邪魔や障害(魔)があることが多い」という意味になります。 いちばんよく耳にする間違いは、「好事魔」という単語があるのではないか、という意見です。なにかよからぬことをすごく好きな悪い人、といった意味合いで勘違いをして使っている人がたまにいますが、「好事魔」ということばはありません。 「好事」というのはもともと中国語のことばで、このことわざは中国の故事が語源になって生まれたものだとされています。また、似た意味のことわざには「月に叢雲、花に風」というものがあり、こちらも同じく「月や花のようないいもの、美しいものには、それを邪魔する雲や風のようなものがついてきてしまうことが多い」という意味で使われます。 昔からひきつがれてきたきれいな日本語は、ぜひこれからも、正しい意味で使っていきたいですね。

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下駄を預ける

【漢字】下駄を預ける 【読み】げたをあずける 【意味】下駄を預けると動けなくなることから、相手に物事の処理や責任を任せるという意味。 【例文1】下駄を預けたばかりに、行き違いが生じた。 【例文2】この企画は君に下駄を預けた。 【例文3】部下に下駄を預ける。 履物を預けてしまったら何処へも行くことができなくなるので、下駄を預けるとは処理方法や責任も含めて仕事を完全に任せるという意味です。 下駄を預けられた方は、独自の裁量で仕事が出来ると同時に、責任など後の始末までも見る必要があります。 丸投げのようにも受け取られそうですが、大抵の場合は下駄を預ける相手は上司であったり上部組織なので適当な扱いはされないはずです。 適当な扱いはされないはずですが、絶対に大丈夫とは限りません。 扱いが面倒で処遇に困る案件だからこそ預けられる場合があるからです。 人事異動、配置換え、リストラなどがその代表格で、反論が許されない権力者からの処断が下されることになるでしょう。 リストラ対象者からすれば、自分の処遇についての下駄が預けられたことで梯子をはずされた絶望感はより深まりそうです。 下駄を預けられた人が情に厚く慈悲深ければ一縷の望みはありますが、機械的に即断即決の情け容赦の無い人では期待は無いです。 人によっては預けられた下駄で好き勝手に歩き回った挙句に下駄キックまで飛び出しそうです。 下駄を預けるの逆の使い方として、会社に下駄を預けるという使い方をする人もいます。 この場合、預けられた下駄が返却されるとは思えません。 使えなくなるまで管理され、不要になったとたんに放り投げられそうです。 下駄を預けるというともう私は決めれないので、一任しますからどうぞ宜しくお願いします。のような一任したほうが楽になるから任せてしまおうと安易さも入った軽い意味合いだと思っていました。語源は、履いている下駄を預けるのですから、自分の行動や意思までも封じることだと知った時にどう思いますか。どんなに自分に不利、不利益なことがあったとしてもその決定に逆らうことが出来ない状況というのは耐えられないの一言です。自分で苦しみながらでも考えて導き出した決断なら後悔もないと思うのですが、他人に身動きできない状態をあえて自ら預けるなんて、それも信頼できる相手とは限らないのですから。昔は他人に対する信頼度が高かったから生まれたのか、階級格差が大きかったことから有無を言わさずなのか分かりませんが。それと、他人との心の距離がより近かったせいもあったのでしょうか。現代で下駄を預けるなんてどんな場面でもしたくないです。知識があり地位が高い人であったとしても、上下関係の立場にあったとしても、反映されるされないに係わらず自分の意見や思いを述べてからの一任にしたいものです。精神世界を覗いてみたい思いから江戸時代にタイムワープして、どんな場面で下駄を預けるをしていたのか見てみたいと思うのでした。

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