tedukurikotoba (2563)

雀百まで踊り忘れず

【漢字】雀百まで踊り忘れず 【読み】すずめひゃくまでおどりわすれず 【意味】幼い時に付いた習慣や癖は年を取ってもなかなか直らない。悪い意味に用いられる。 【例文1】彼の怠慢グセは雀百まで踊り忘れず。 【例文2】へそ曲がりな性格は名雀百まで踊り忘れず。 【例文3】強情さは雀百まで踊り忘れず。 「雀百まで踊り忘れず」とは「幼い時からの習慣は年をとっても抜けない、人は死ぬまで本性を失わない」という意味です。小さい頃によく躾けて良い習慣を身に着けさせるべきだという教訓のような意味合いで使われることもあれば、性格上の欠点などをあげて嫌がらせのように使われることもあります。 雀は人家のそばに巣を作り、昔から日本人には馴染みのある鳥です。雀が羽ばたく様子などが近くで見かけられたために、雀が踊りを踊っているように擬人化されたものと思われます。実際に歌舞伎踊りのひとつに「雀踊り」というのがあり、編み笠を被り、雀柄の着物を着て奴さんのように足を丸出しにして踊るものです。また、昔話に「雀のお宿」があり、雀がいかに身近な存在であったかを示しています。例えば慣用句では「雀の踊り足」といえば筆跡が拙いことですし、「雀合戦」といえば多くの雀が大木の下などに集まって騒ぐことです。雀が付いた野草、雑草の名前はたくさんあり、「すずめうり」「すずめのえんどう」「すずめのちゃひき」「すずめのてっぽう」「すずめのまくら」などがあります。 「雀百まで踊り忘れず」ということわざがあります。雀(すずめ)は生まれてから死ぬまでの間、いつもぴょんぴょんと跳ねるように歩きますよね。そのようすが、すずめが踊っているように見えたことから、幼いころに覚えた習慣や、若いころ身に着けた趣味などは、死ぬまでずっと忘れずに続いていくものだ、という意味のことわざなんだそうです。 たしかに、小さいころから今まで一貫してつづけている習慣や、なかなか変わらないクセだったり好みだったり、そういったものは誰にでも一つや二つありますよね。わたしの友人は、小さいころから大人になった今でも、変わらずにメロンソーダが大好きなんだそうで、居酒屋やカラオケボックスに行くときも、メロンソーダやクリームソーダを見つけると、必ず注文しています。わたしの場合は、物心ついたときから今までずっと音楽が大好きで、幼稚園のころはオルガン、小学校ではピアノ、中学校ではブラスバンド部に入ってホルンという金管楽器を吹き、高校では軽音楽部に入ってギターを覚え、大学に入ってからはバンドサークルでボーカル・・・と、記憶にあるかぎりいつでも音楽を楽しんでいます。直らないけど直したい癖ももちろんありますが、好きなことはいつまでも続いてほしいですよね。

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地獄で仏に会ったよう

【漢字】地獄で仏に会ったよう 【読み】じごくでほとけにあったよう 【意味】危機に陥った時や非常事態に直面した時に、思いがけない救世主が現れるた時に言う言葉。 【例文1】財布を落として困っていたら、友人に会い電車賃を貸してもらった。 【例文2】山で遭難して救助隊から掛けられた毛布は地獄で仏に会ったようだ。 【例文3】熱でうなされている時に、お見舞いに来てくれた友人は地獄で仏に会ったようだ。 地獄で仏に会ったようの言葉の意味ですが、危機や困難の中で思っても見なかった様な助けを受け、その余りのうれしさを表現した言葉です。地獄は私達人間の想像の世界で、とても苦しく恐ろしい場所であると考えられております。その様な地獄で何らかの救いに出会った場合、その出会いを仏様に例えて言われている言葉です。本来地獄には仏様はいません。その為、思っても見ない場所で、思っても見ない事に出会ったと言う意味合いで使われます。 この言葉の具体的な使い方としては、真冬の山道が大雪で多くの車が立ち往生してしまい、車の中で一晩二晩過ごさなければならなくなった時、車のガソリンも底を付き、寒さと空腹に耐えなければならない状況で、ようやく到着した救助隊から温かい食べ物を頂く事ができ、生き返った様な気持ちにさせられ、まさに地獄で仏に会ったようと使います。最近はこの様な事故も多いので、この様に感じられた方も多いのではないでしょうか。又、日常の仕事等で自分の失敗などから窮地に立たされた時、思わぬ上司から思わぬ救いの手が差し伸べられた時にも使う事が出来ます。この言葉の類義語としては、地獄で地蔵に会う、地獄で舟、日照りに雨、渡りに船等があげられ、いずれの言葉も同じ様に危機的な状況、苦しみから助けられた際に使われる言葉です。

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先を争う

【漢字】先を争う 【読み】さきをあらそう 【意味】人を押しのけて先に進む様子。 【例文1】バーゲンセール会場に先を争って入店する。 【例文2】先を争ってバスに乗り込む。 【例文3】席に座ろうと先を争う。 先を争うとは我先にと他人を押しのけて進む様子をいいます。 真っ先に思い浮かぶのはデパートのバーゲンセールで開店前から並んで開店時刻と同時に入店する光景が想像されます。 私も初めて初売りに並んだ時にあまりにもたくさんの人でびっくりして、先を争って入店するものですから負けじと走ってお目当ての品に飛びついた事があります。あのパワーには圧倒しましたが、意外にも年配の方に多かったような気がします。やはり誰でもお得な福袋をゲットしたい一心ですからね。 私の住んでいる町は地下鉄がなく利用するのは近場のスーパーなのでもっぱらバスです。田舎なので利用客はゆっくりバスに乗り込みます。 たまには旅に出たいなと気候がいい季節に東京に観光しに行きました。念願のスカイツリーに登ったり、浅草観光を楽しみました。中でも電車?地下鉄?での人の多さにびっくりして1m間隔くらいでも乗り場があるのに待ち人がたくさんいるのにびっくりしました。 乗り込めるか心配でしたが、乗る時は降りる人たちをちゃんと待って乗り込むんですね。こんなに人が多いと我先を争って乗り込むのかと思っていました。 しかし、降りる人がいなくなった途端、両サイドから先を争って空いている席をめがけて小走りになるのはやはりどこも同じでした。

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後生畏るべし

【漢字】後生畏るべし 【読み】こうせいおそるべし 【意味】自分より後から生まれてきた者は、若くて気力もあり将来への可能性を秘めており、いかなる力量を発揮するかわからない、おそるべきのものであるとの戒め。 【例文1】入社1年の彼は優秀で後生畏るべし。 【例文2】社長が後生畏るべしとあいさつを述べる。 【例文3】後生畏るべしだから気を抜くな。 一般社会での問題提起は、何が正解なのか皆目検討がつかないので誰か智恵を出してくださいといった感じで出されます。 予測がつかない変動をし続ける社会情勢が回答をいっそう困難なものにし、紆余曲折を経て正解と判ぜられるのは事が収束してからです。 立ち止まって正解が公表されるまで待つわけにもいかず、間違っていることも覚悟しても進むしかありません。 時間と労力を投入して間違っていることに気がつき元来た道を逆戻りなど珍しいことではないです。 成功と失敗をいくつも積み上げてようやく中堅と呼ばれる地位までたどり着いたとしましょう。 当たり前ですが、年齢を重ねれば退職する人もいて、補充人員として新人が入ってきます。 過去の知識に新しい技術を上乗せし気力体力とも充実した頼もしい…同じ職場にいるライバルです。 過去の失敗は華麗に回避し、「既にそれは見た」とドヤ顔をするアニメのキャラクターを思い起こさせます。 ひと昔前であれば、先人から伝えられ苦労して習得した技術や、試行錯誤の結果に新しく編み出した智恵は秘匿されて当然でした。 今の世の中では年功序列などお構いなしに知識や技術を貪りつくせる環境があります。 効率よい教育を受けた新人が優れているのは、ある意味ズルイ気もしますが文句を言うのも筋違いです。 後生畏るべし、出藍の誉れの言葉のとおり、面倒なしがらみも遠慮もない若者が年長者に追いつき追い越そうとする姿勢は頼もしい脅威です。

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月下氷人

【漢字】月下氷人 【読み】げっかひょうじん 【意味】結婚の仲立ちをする人。媒酌人。 【例文1】近年、結婚式は月下氷人を立てないスタイルだ。 【例文2】今どき、月下氷人は要らない。 【例文3】月下氷人を立てない略式が主流。 「月下氷人」とは二つの故事が重なってできた言葉です。その元の故事「月下老人」と「氷人」について説明します。「月下老人」は「続幽怪録」に載っている話で、「唐のイゴが月夜に出会った老人から将来の妻について予言され、その通りの人が妻になる」という故事です。「氷人」は「晋書芸術伝」に載っている話で「氷の上に立って氷の下に現れた人と話をしたというコサクの夢を占った晋のタンサクが氷が解けるころに媒酌があると解き、その通りになった」という故事です。そのどちらもが男女の仲を取り持つ人をあらわしているので、「月下氷人」と一緒に括られても「男女の仲を取り持つ人、仲人」という意味で使われています。 近年は見合い結婚が減り、結婚に関する儀式も簡略化されて、結納を身内だけで簡単に済ませることも増えてきました。結納という儀式がなければその場を取り仕切る、媒酌人の仲人が必要なくなります。ひと昔、ふた昔前は「夫婦も人様の仲人をやって一人前」と言われたとのに、などと話しても今の若者にはピンときませんよね。

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