tedukurikotoba (2563)

用を足す

【漢字】用を足す 【読み】ようをたす 【意味】満足する。用事を済ませる。 【例文1】銀行に行くついでに買い物の用を足す。 【例文2】ちょっと用を足してくる。 【例文3】先に用を足す。 用を足すとは、簡単に言えばトイレに行くことです。 人前ではなかなか、トイレに行くとは言えません。 トイレに行く用事のことを「用を足す」や、「お手洗いに行く」という表現で表すのは良い言葉だと思います。 隠語とまでは行かなくても、直接的な表現を避けたい場面はいろいろあります。子どもならばストレートに言ったほうがわかりやすいですが、エチケットとして、女性の場合は「お手洗いに行く」男性なら「用を足す」と婉曲な表現の方が良い場面が多いと思います。 トイレという言葉は昔からいろいろな言い方で言われてきたようです。 今は全く使われなくなった言葉もあります。 子どもの頃に親や祖父母が使っていた言葉が今でも記憶に残っています。 また、時代劇なのでも昔言葉として聞くことがあります。 かなり前になりますが、台湾へ旅行をする機会がありました。 当時の私は中国語を習っていたのですが、その時の先生が台湾人でした。 台湾では隠語として、トイレのことを1号と言っていたようでした。 そこで、台湾へ旅行に行った時に、知人宅でさっそくこの言葉を言ってみたところ、すんなりと意味が通じました。 しばらくこの1号の話題で盛り上がりました。 トイレはどこの国に行ってもありますが、その国や時代によって、さまざまな言い方があるのがとても興味深く感じました。 なんの用だったのですか、とは聞かないことがマナーというものです。 言うまでも無くトイレに用があったのは明白で、「足す」はスッキリ爽やかに出すものを出して満足したという意味です。 そのものずばりにトイレ・便所という人も少ないですし、場所によっては口に出すのもはばかられます。 お手洗い・厠などでもまだ直接的な表現に思えます。 化粧室といわれる場所がトイレだったりもしますし、お花を摘みに行くという少女漫画かと言いたくなる表現もあります。 ちょっと電話してくるなどと言われたら、素直にどうぞいってらっしゃいと答えるべきでしょう。 気にせずこの場でどうぞと返されようものなら、相手は察しの悪いあなたに「トイレに入ったら紙が無い」の呪いをかけかねません。 用事は口実で本命はトイレに行くことなのですから、席を一時的に立とうとするのを引き止めるのはダメです。 護衛や従者ではないのですから、ぴったり相手に張り付いて逐一行動を見守られても窮屈なだけです。 ヒロインはトイレになんて行かない、という発言でも分るように、神様か超越者でもなければ生理現象は止められません。 あまりに監視が厳しいと水分補給を我慢してまでトイレに行かずに済むようにする人もいますが大変危険です。 水を飲まない・トイレに行かないは、空気を吸わない・空気を吐かないと同じです。 無駄に取り繕うのは長続きしないので、婉曲表現を駆使してでも相手に自分の意図を伝える手段が必要です。

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勇断を下す

【漢字】勇断を下す 【読み】ゆうだんをくだす 【意味】勇気を出して決断する。 【例文1】同僚に不正を持ちかけられたが、きっぱり勇断を下す。 【例文2】勇断を下す想いで店をたたむ。 【例文3】転職の勇断を下す。 勇断とは、勇気をもって決断すること、勇気のある決断のことを言います。 会社の経営において、ターニングポイントで経営者が勇断を下す場合があると思います。 特に民事再生法の適用有無については、将来の会社を再生していく手段をどのようにするか、大変な勇断を迫られることとなります。 一方で、登山の経験をしている方にとっては、勇断を下す局面が多いと思います。 例えば、富士山の登山です。 最近は富士山ブームと登山ブームとが重なり、毎年富士山にたくさんの方が登山されます。 富士山に登山する場合、気をつけなければならないのは低酸素による過呼吸です。 富士山の7合目以降は、酸素も薄くなりますので、ゆっくりと呼吸を整えながら登山をしていくことになりますが、それでも過呼吸の状態になることもあります。 私も妻と富士山登山をしていましたが、8合目の山小屋で妻が体調を崩してしまいました。 せっかく8合目まで登ってきたこともなり、なんとか頂上に行けるように模索をしました。 しかし、下山ができなくなるリスクや過呼吸が続くことにより、さらに体調が悪化することもあるため、下山するという勇断を下しました。 あれから10年経過しますが、子どもたちもいますので、そろそろ富士登山のリベンジをしたいところです。 勇断や英断は凡俗の人間に出来ないことは、その判断が高すぎるリスクを含むように見えるためです。 普通に考えれは高確率で失敗する策を、英雄と呼ばれる人間は当然のように選択して成功しています。 成功すれば勇気ある果敢な選択と評価され、失敗すれば欲に目がくらんで道を誤ったと貶されるでしょう。 大きな勝利は細かな失敗を一掃してしまうほどの栄達を約束し、その分岐点となった勇断は高く評されてしかるべきものです。 勇断を下した本人は、リスク承知の選択で際どく博打に勝ったことを密かに安堵しているかもしれません。 全ての状況を俯瞰的に眺めることが出来る後世の歴史研究者と違い、限られた情報からその場で判断を下す立場の苦悩は推して知るべしです。 分岐を間違えれば、一敗地に塗れ情け容赦の無い落ち武者狩りを受ける憂き目に遭う運命が待っています。 負け犬にかける慈悲など無く、ここぞとばかりに追撃がかけられるのは何時の時代になっても変わりありません。 運よく逃れても、敗北の原因となった判断を下した責任からは決して逃れることは出来ないことも同じです。 勤め先の組織が巨大、高い地位で要となる判断を求められ、扱う案件は広く周囲まで巻き込む、となれば加算どころか乗算で責任が膨れ上がります。 傍から見れば泰然自若とした姿も、内心は責任という大荷物を抱えて崩れ落ちそうになっているかもしれません。 とりあえず自信満々に失敗するまで走り続けるワンマントップより、慎重に状況を見据えて堅実に進む指導者の方についたほうが気が楽でしょう。 才覚なきトップが蛮勇としか表現しようが無い勇断を下さぬことを、雇われている身としてはお願いしたいです。 勇断を下すとは文字通り、勇気ある決断を下すということです。私はこの考えはコミュニティを代表する人間において必須の能力であり、またそれは誰しもが持つべき、そして理解すべきものだと思います。何事にも決断という物には多かれ少なかれ責任が発生するものです。家族旅行の行き先一つを決めるにも皆が楽しめるような選択をする必要があり、また裁判は客観的に公平な形で結果を出さなければその信用は大きく損なわれます。この責任はやっかいなもので、皆がそれを背負いたくないばかりに「どこでもいいよ」や「まかせる」などといった他人任せのスタイルに甘えてしまいます。昨今は政治家批判も多くなりましたがこれもその一つとも言え、国民は現状の不満を政治家の決断から生じた責任として追及しています。もちろんそれが仕事、役割といえばその通りです。責任を逃れることは何より社会人としてあってはなりません。しかし、責任を持たない立場からの発言ほど気楽なものはないということは意識すべきです。よく話題にされる通り、批判という物は本筋を作り上げることに比べればとても簡単なものです。旅行の行き先を決めるにも、皆が楽しめるところを考え尽してそのルートを考えた後に、ここは行きたくないと言われれば批判者に腹が立つでしょう。誰しも「じゃああなたがやって」と感じてしまうのではないでしょうか。立場が平等なら或いはそう言えるかもしれません。ですが上司など、上に立つものには立場上の責任が絶対に存在してしまいます。部下の批判を甘んじて受け入れなければならないこともあるでしょう。その上で、上司が大事な事象について勇断を下すとき、部下は他人事ではいけないと私は考えるのです。流れてきた不利益に文句を垂らすだけのような無責任な発想をやめ、上の人の勇断に対する敬意と信頼をもって共に歩むべきだと思います。

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痩せても枯れても

【漢字】痩せても枯れても 【読み】やせてもかれても 【意味】どんなに落ちぶれても衰えても志は持ち続ける。 【例文1】年を取って以前のように走れなくなったが、痩せても枯れてもウォーキングは欠かせない。 【例文2】痩せても枯れても経営者としての意地を持つ。 【例文3】痩せても枯れても婚活を続ける。 「痩せても枯れても」は「どんなに衰えても。どんなに落ちぶれても」という意味です。この言葉で連想するのは「蝶々夫人」です。「蝶々夫人」はアメリカの弁護士ジョン・ルーサー・ロングの短編小説を劇作家デーヴィッド・ベラスコが戯曲におこし、さらにそれらをもとに制作されたジャコモ・プッチーニ作曲のオペラです。オペラに興味がなくても、蝶々夫人のアリア「ある晴れた日に」は聴いたことがあるという方も多いと思います。 アメリカ海軍の士官ピンカートンは日本人の少女と結婚することになり、その結婚式で出会ったのが芸者をしている蝶々さんです。蝶々夫人との間に子どもを授かりますが、3年後に本国に帰ってしまいます。そしてあろうことかアメリカ人の女性と結婚するのです。その事実を知らない蝶々夫人はひたすら夫を信じて、周囲の疑念を一笑しながら帰りを待ちます。ところがピンカートンは日本に妻を伴って現れ、「蝶々夫人との間の子どもを引き取ってアメリカで妻に養育させることにした」と、卑怯なことに自分では告げず、妻に話させる始末。周囲は芸者に戻って子どもを育てる道もあると勧めますが、芸者に戻っては子どもに恥をかかせると言って、子どもに目隠しをさせ、両手に日本とアメリカの国旗を持たせておき、自分は自刃します。最期まで子どもに手をのべながら。という筋立てですが、彼女こそ「痩せても枯れても」ピンカートンの妻としての、子どもの母としても誇りを捨てずに散った花だったと思うのです。

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元も子もない

【漢字】元も子もない 【読み】もともこもない 【意味】元は元金、子は利子のことで投資して利子で儲けるはずが、元金までなくなることから、欲張りすきて利益ばかりか元手も全て失うこと。 【例文1】せっかく治りかけていた風邪なのに、明日プールに行ったら元も子もないよ。 【例文2】今、試合に出てケガが悪化したら元も子もない。 【例文3】そのくらいでやめないと全部磨っては元も子もない。 元も子もないとは、無理をしてなにもかも失うことを意味しています。 この言葉の由来は、 元は「元金」で子は「利」のことを指します。 つまり、投資をすることで利子を得ようとしていたのだが、得るどころか元金も全て失ってしまうことを「元も子もない」と言ったとされています。 そこから一般的に利益などを全部失うたとえとされてきましたが、現在は金銭的なことだけに限らず、無理をしたり欲張りすぎたりすると、全てを失ってしまうということのたとえとして使われています。 勝負事からきてると思っていましたが、金融のことから出来た言葉なんですね。 この例文として、 「このまま無理して病気にでもなったら元も子もないのでここはひとまず休もう。」や 「健康のことを考えて栄養をたくさんとっても肥満になったんじゃ元も子もないないよ。」 「今度の試合は勝ちたいからと言って怪我してたんじゃ元も子もないよ。」 といった時などに使えます。 全てが台無しになるという意味だと思っていましたが、 全てを失ってしまうの方が意味としてはあっているんですね。 元も子もないという意味は何も無い様を表し、すっかりと空っぽになった意味として使われます。例文として、欲しいものをたくさん買って借金までしまうとは元も子もない。家や畑、土地まで手放してしまうとは元も子もない。というようにポジティブな意味合いよりもややネガティブな時に使われがちです。類語として身も蓋もないという言葉が当てはまります。何もかも無くした状態というのは一見悲しく見え、その無くした状態が本人に原因があるのなら周囲は冷ややかな目で見ることがあります。ですが元も子もないという状況はまた一から頑張れるというように着眼点を変えることで、明るい意味にも捉えられます。意味がない、何もない状態は一概に悪いとは言えません。スポーツに対しても使用できる言葉で、毎日遅くまで練習を頑張っていたにもかかわらず、怪我をしてしまって試合に出られないとは、元も子もないというような言葉に対しても使用できます。気をつけた方がいい、反省を今後に活かせるなど、元も子もないの言葉の奥に、そのような言葉も隠されている事もあります。元も子もないという言葉は無の状態を表す事もありますが、決して落ち込む必要もなく、そこから新たなスタートをきれます。

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目が利く

【漢字】目が利く 【読み】めがきく 【意味】良し悪しを見分ける能力がある。 【例文1】目が利く彼女には採用担当をお願いするよ。 【例文2】ブランド品には目が利く。 【例文3】宝石には目が利く。 目が利くの言葉の意味は、良い物と悪い物を見極める力や能力がある事を意味しております。 又、物事の善悪を見分ける力であったり、物事の本質を見抜く力が優れている場合にも使います。実際に目が大変良く、遠くが見えるとか、とても小さいもでも見分ける事が出来る等の「目」の能力が良い場合にこの言葉が使われる事はありません。具体的な使われ方として物の鑑識力に対しての目が利くでは、「彼は骨董品が大好きで大変目が利く」や「彼女は宝石を集めるのが好きで選ぶ時には大変目が利く」等と使用します。 一方、物事の善悪を見分ける能力があったり、物事の本質を見抜く場合等の使われ方としては、「彼は会計監査官として大変目が利く」や「彼からの指摘で今の仕事の進め方は問題があり、このままでは大きな問題に発展してしまう。彼はこの分野の業務については大変目が利く」等、物を鑑識する能力に限らず、日常的な仕事に対しての能力の高さや、直感の鋭さ、経営判断等が優れている場合にも使われます。似た言葉として「鼻が利く」が有りますが、鼻が利くの場合は実際にニオイを嗅ぎわける力があるのでは無く、物事に対して感覚的に「何かある」と言う事を感じる事を指します。

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