tedukurikotoba (2563)

大なり小なり

【漢字】大なり小なり 【読み】だいなりしょうなり 【意味】大小の程度は問わず、いくらかはという意味。 【例文1】人は誰しも大なり小なり欠点がある。 【例文2】中古物件の妥協は大なり小なり仕方ない。 【例文3】大なり小なり誤差が出る。 最近テレビのニュースなどで、2世タレント達の不祥事が放送されています。その時、必ず取り出さされるのが親の方ですが、その辺りの流れに疑問を感じています。 子どもが成人していたら、不祥事を起こしたからとはいえ親が責任をとる必要は無いと思います。今迄の流れだと、2世が不祥事を起こした後その親が、大なり小なり責任をとり番組降板や出演自粛など何かしらの行動をしています。 不祥事の内容にもよりますが、凶悪な事件を起こしたなどでなければ親は今迄通り行動するべきだと思います。 子どもが小さい時は、何かあれば親が責任を取るというのは当然だと思います。先日子どもが学校で体育の授業中に、友達にケガをさせてしまいその後友達の両親に謝りに行きました。このようなケースなら、親が責任を取るの普通の流れだと私は思い、これが30歳になった子どもだったら謝りには行かないと思います。 芸能人の場合、2世タレントが不祥事をすることで、親が長年積み重ねていた地位や名誉など大なり小なり失う形になるので、ある意味可哀想だなとも思います。 以前テレビに出演していた2世タレントが、昔から親の名を汚さないようにしている、と言っていて有名になると子どもにも大変な事があるのだなと思いました。

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袖振り合うも多(他)生の縁

【漢字】袖振り合うも多(他)生の縁 【読み】そでふりあうもたしょうのえん 【意味】知らない人と通りすがりに袖が触れ合ったのも、前世からの因縁があるものだ。 【例文1】旅先で隣の席に座ったのが袖振り合うも多生の縁だ。 【例文2】ここで出会ったのも袖振り合うも多生の縁だ。 【例文3】相性が良く袖振り合うも多生の縁だ。 「袖振り合うも多生の縁」とは、「道行く知らない人と袖が触れ合うことですら宿縁による。すなわちちょっとした出来事も全て宿世の因縁によるという意味」です。「振り合う」は「お互いに振り合う、触れ合う」という場面を表しています。昔から別れの挨拶は袖を振ることでした。万葉集にも柿本人麻呂の歌で「岩見のや高角山の木の間より我が振る袖を妹見つらむか」などと詠まれています。今は「手を振る」ですが、昔は「袖を振る」だったのです。江戸時代になると、ある程度の身分の未婚女性が大振袖を未婚のしるしとして着用するようになります。この大振袖を蝶々のように振ることで、好きな男性へのアピールをしたともいいますし、長い袖は男からの恋文を入れやすいようにするために段々と長くなったという説もあります。よく時代物でも簪を指したり、手柄という可愛らしい布を髷に巻いて飾りにした娘さんが、大振袖を着ていますよね。振袖を振ることでアピールして射止めた男性から受け入れてもらえると、振袖に恋文が入れられて逢引きをし、仲が深まれば結婚へという段取りでしたから、この「袖振り合うも多(他)生の縁」は時代が下ると男女の仲を指すことが増え、「多生(他生)」は「親子の縁は二世(今生と来世、もしくは前世と今生)であり、夫婦の縁は三世(前世、今生、来世)であり、夫婦の縁の方が親子よりも深いものだ」という考えからも、この言葉が結婚へのご縁を指す場面も多いのですが、もともとの言葉の意味としては、男女問わず、「些細な触れ合いであっても因縁なのだ」という意味なのです。

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赤貧洗うがごとし

【漢字】赤貧洗うがごとし 【読み】せきひんあらうがごとし 【意味】貧しくて洗い流したかのように家財道具が何もない様子。 【例文1】彼の家は殺風景というより赤貧洗うがごとし。 【例文2】生活苦で部屋が赤貧洗うがごとし。 【例文3】独り身で赤貧洗うがごとし。 別に帳簿の終始結果が赤字で真っ赤という状態から出来た言葉ではないです。 「真っ赤な嘘」が「あまりにも明らかな嘘」という意味になるように、明らかに貧乏な状態が赤貧です。 大洪水だと土砂などが残りますが、資産価値がありそうな品は何も残りません。 ただ負債だけが残され何も残らない洗い流された状況こそ、すなわち洗うがごとしの意味するところです。 赤貧洗うがごとし、この言葉を見聞きすると田中正造を思い出さずには入れません。 かの人物を指して表現する言葉ならば清貧が妥当なのですが、彼が救おうとしたのはまさに赤貧に喘ぐ人々です。 鉱山から流された鉱毒により、山も川も村も人すらも洗い流されてしまうような蛮行が実際にあったのです。 利を求める姿勢は誰でも多かれ少なかれあるものですが、周囲に損害をばら撒いて知らぬふりは論外でしょう。 鉱山で儲ける為に、周囲の村人の生活を切り捨る判断をした同時代の政治家はどれ程いたのかと思うと苦々しい思いでいっぱいになります。 そしてそのような産業優先の姿勢は今も尚続いていると言わざるを得ません。 科学的な関連性が明らかでない、などという言い訳は憤慨に値するものです。 現在の迷惑も将来の最悪も全く顧みない欲得に塗れた行動は、人々の生活を赤貧に追い落とす濁流のように映ります。 一時の利益に囚われて長く大きな負債が帳簿に記載されないことを願って止みません。

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砂を噛むよう

【漢字】砂を噛むよう 【読み】すなをかむよう 【意味】味気ない、全然おもしろ味がない。 【例文1】彼の話は砂を噛むような内容ばかりだ。 【例文2】毎日毎日仕事ばかりで砂を噛むようだ。 【例文3】砂を噛むような生活に飽きる。 「砂を噛むよう」とは、味気ないとか全くおもしろ味がないという意味です。本当に砂を噛んだら全く味がしなことから、より味気なさを強調するために使われる言葉でもあります。 「砂を噛むよう」とは、まさに私の人生のようだなと思いました。朝起きて、会社に行って、真っ直ぐ家に帰り、寝てそしてまた次の日起きてという毎日が同じ事の繰り返しです。 ものすごく辛いことや衝撃的な嫌なこともない代わりに 毎日が全くおもしろくはないです。 もし、私の何日かを映像で誰かに見せたとしたら、きっとたった1日の映像を何回も見せられているような気持ちになるでしょう。 それくらい、毎日同じ、「砂を噛むよう」な日々なので 「砂を噛むよう」な毎日を「砂を噛むよう」な気持ちで過ごしている私の目には、周りに色はなくグレー一色に見えます。 でも、きっと今は口には出さないだけで私のような「砂を噛むよう」な思いで毎日を過ごしている人が意外に多いのではないでしょうか。 通勤途中、行き交う人々の表情をふと見てみると、たくさんの人が「砂を噛むよう」な表情をして歩いているように私には思えます。 そう思うと、「砂を噛むよう」な人生を送るより、もしかしたら波乱万丈な人生のほうが大変だけど意外にも色があって面白いものなのかもしれません。

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獅子身中の虫

【漢字】獅子身中の虫 【読み】しししんちゅうのむし 【意味】組織の内部で害を与える者。 【例文1】内部告発は会社にとって獅子身中の虫だ。 【例文2】情報を漏らし、獅子身中の虫だ。 【例文3】機密データの漏えいで獅子身中の虫。 組織の内部の一員でありながら、その組織に害をなす行為をする人間のことを「獅子身中の虫」などと言ったりします。 獅子=ライオンの体の中に寄生し、その養分で生きていながら、ライオンを死に至らしめる虫のことですが、もともとこの言葉は仏教からきた言葉です。 仏の弟子なのに、仏教に害をなすことをするもののことを指した言葉で、上記のライオンの例えは転じての意味になります。 このことわざをきくと思わず「スパイ」を連想する人も多いかと思いますが、会社などの組織でも、はたまた軍隊などの組織でも、人の作る組織のあるところ、昔から多くのスパイが暗躍してきました。 特に女性のスパイはその存在の特異さ、そしてその存在にまつわる華美でミステリアスなイメージなどもあって数々の逸話や伝説を生み出したりし、その死後もなお多くの人の関心を集め続けています。 しかしその際立つ存在感とは裏腹にマタ・ハリや川島芳子など有名な女スパイの末路は悲惨なもので、どこからも見放され全くの孤独な状態で死を迎えたようです。 これほどスケールの大きな話ではありませんが、自分が利益を得たいために外部に情報を漏らしたり組織を裏切るような行為をした人は、結局はその外部からも組織からもそのうさんくささを嫌悪され、あまり良い結果にならないことが多いように思います。 人はときにいろいろな立場に立たされ、その都度思うことはあるかもしれませんが、やはり自分を不利にしないためにも今自分のいる組織や集団に仇なす行為は慎んだ方がいいようです。

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