tedukurikotoba (2563)

みこしを上げる

【漢字】みこしを上げる 【読み】みこしをあげる 【意味】ようやく行動に取り掛かること。 【例文1】雑談の尽きたところで家事にみこしを上げる。 【例文2】そろそろみこしを上げないと日が暮れる。 【例文3】なかなか決まらず役員立候補にみこしを上げる。 「みこしを上げる」は漢字で「御輿を上げる」と書き「腰を上げる」「立ち上がる」「仕事に取りかかる」こと意味しそれまで座り込んでいた人が立ち上がることのたとえや動こうとしなかった人が行動を起こして仕事に取りかかることとして使われます。「みこし」とは神祭・祭礼などで神霊の乗り物とされ多くは黒い漆塗りの木製で四角形や六角形・八角形の形をしており屋根の上には鳳凰や葱花などを飾られ台に二本の棒を貫き大勢で運ぶ「輿」、日本人なら誰でもよく知っているお祭りのときに担がれる御神輿のことです。「みこし」の「輿」の語源は「越し」の意味と考えられています。もともと「輿」は「玉の輿」という言葉があるように貴人を運ぶ乗り物「御輿」のことでしたが、平安中期頃から怨霊信仰が盛んとなり神霊を運ぶ乗り物として「御」の代わりに「神」の字を用いた「神輿」が使われるようになったそうです。「輿」と「腰」をかけて「みこしを上げる」と「みこしを据える」などと使われるようになりました。立ち上がるときや仕事に取りかかるときによく使う「腰を上げる」や「重い腰を上げる」はもともとこの「みこしを上げる」から来ています。四字熟語やことわざは語源や由来を知るとなるほどと納得するものが多いです。

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幕を閉じる

【漢字】幕を閉じる 【読み】まくをとじる 【意味】芝居が終わると幕を閉じることから、物事が終わる時にいう。 【例文1】この事件は犯人が自首してきて幕を閉じる。 【例文2】準優勝で幕を閉じる。 【例文3】10日間の全競技が幕を閉じる。 「幕を閉じる」とは「引き幕を閉じて芝居が終わること。転じて事が終わりになること」です。芝居の途中で「幕を閉じる」場面がすごく印象的だったのは映画「Wの悲劇」です。夏樹静子原作の「Wの悲劇」を大胆にも劇中劇として活用し、それを演じる劇団研究員女性の成長を描く青春映画です。沢井信一郎監督が夏樹静子を説得してこの形式にしたもので、薬師丸ひろ子が主演し、三田佳子が助演で、作品も監督も主演、助演女優まで数々の賞を受賞した作品です。劇中劇の演出家を蜷川幸雄が演じていたり、テレビのリポーター役で福岡翼、梨本勝、須藤甚一郎、藤田恵子などが出演していて、日常的にテレビで見ているそのまんまの世界が繰り広げられているようで、不思議な感じがしました。薬師丸ひろ子が映画の演出とはいえ、素人っぽさをまだ持った劇団研究員から、スキャンダルを経てさなぎから蝶になるかの如く、舞台女優となっていく姿を見事に演じていて、この映画で映画女優としての地位をゆるぎないものにしました。肝心の「幕を閉じる」場面は舞台で演じきった薬師丸ひろ子に対し、三田佳子が「今日だけは譲ってあげる」と言って、彼女に一人だけでカーテンコールを受けさせる場面です。一度閉じた幕がもう一度開き、薬師丸が大きく手を広げ客席に向かって挨拶をします。その顔は充実感にみなぎり、客席からの拍手を一身に受ける栄誉からか、自信と誇りに輝いてみえます。ですが、それで終わりではありません。幕を再び閉じたあと、大どんでん返しが彼女を待っていたのです。もう鬼籍に入られた方も多く、DVDでしか観られませんが、秀逸な青春映画の魅力は色あせません。

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頬が落ちる

【漢字】頬が落ちる 【読み】ほおがおちる 【意味】非常に美味しい物を食べた時に出る言葉。 【例文1】頬が落ちるくらい柔らかな肉を家族で食べに行った。 【例文2】頬が落ちるほどの甘いスィーツだ。 【例文3】とろけるステーキを食べて頬が落ちる。 私は頬が落ちるほどの美味しいものを食べる機会は滅多にありません。 その時の自分の空腹状態にも大きく関係しているのかもしれません。 空腹は何よりのスパイスだという言葉を聞いたことがありますが、やはりお腹が空いていない時は何も食べても、頬が落ちるほどの美味しさを感じることはできないのかもしれません。 以前、北海道へ旅行に行った時に、たくさんの美味しい食べ物に出会いました。 確かにこの時はまさに頬が落ちる食事をしたような気がします。 ずっと乗り物での移動で、あまり体を動かしていなかったので、もし、空腹だったらまさに頬が落ちるほどの美味しい食事だったのだろうと思います。 以前、経済的にかなり苦しく、食べたいものが食べられない時期がありました。 その時数日ぶりに飲んだお味噌汁の味がとても美味しく、五臓六腑にシミわたる味だったのを覚えています。 毎日の食事を美味しく食べるためには、やはりある程度の空腹が必要なのだと思います。 そして、しばらく食べていないものを食べると、とても美味しく感じるようです。 飽食の今の時代では、なかなか頬が落ちる経験に出会う機会はないかもしれません。 しかし、意識的に自分でそういう状況を作っていけば、何度も頬が落ちる美味しさを体験できるようになるのではないかと思います。 「頬が落ちる」とは「非常に美味であることの形容」です。美味しいという形容詞は英語では「イッツデリシャス!」とか、「ナイス」とか言いますが、英語は形容詞に段階がいくつもあるので、使い方には気をつけなければなりません。美味しいと褒めるつもりが、「オッケイ」や「グッド」では普通程度と思われてしまい、英語圏の方たちには、誉め言葉ともとってもらえないようです。中程度の誉め言葉は「グレイト」、最高級の誉め方は「アメイジング」「ワンダフル」です。日本語だと「とっても美味しい」「すごく美味しい」「頬が落ちそう」との間に程度の比較は認識せずに使っていますよね。これは文化の違いかもしれません。外国の方が日本人にイライラするのは、自分の意見を言わないで笑ってごまかすところだそうですが、外国の方は持論を話した後で「僕はこう思う」と自分とは違う意見を言われても、自分の意見を断固否定されたとまでは思わず、君の意見が聞けて良かったと受け止めてくれるそうです。食事の味という超がつくほど個人的な感想にも段階をこしらえて「さあどうなの」と求められる文化と、「美味しいよ」とありきたりな言葉で返しても失礼にはあたらない文化。形容詞ひとつで文化の違いを感じます。この世界は広いですね。

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弁慶の立ち往生

【漢字】弁慶の立ち往生 【読み】べんけいのたちおうじょう 【意味】弁慶は無数に矢が突き刺さっても最後まで君主を守り、立ったまま死んだと言われる。現代の意味は進むか退くかどうにもならないことをいう。 【例文1】喧嘩の相手が多すぎて弁慶の立ち往生だ。 【例文2】恐妻家に弁慶の立ち往生だ。 【例文3】後継ぎがおらず弁慶の立ち往生だ。 主君の義経を守るために全身に矢を受けて立ったまま絶命したとされる武蔵坊弁慶。 はたして絶命して尚、立ったままの姿勢をとり続けることなどできるのかという疑問がわきます。 立ったまま居眠りをしている人を見かけることがありますが、あれは完全に眠っている訳ではなく目をつぶっているに過ぎません。 足腰から力が抜ければ自然と崩れ落ちると考えるのが無理の無い思考でしょう。 それでも死んだ状態で倒れないためには何か特殊な条件が必要となりそうです。 武術の達人は全身から無駄な力を取り去った自然体で構えると聞くので、そのような姿勢を取る事ができれば可能性は有りそうです。 よくある立ち往生を表現した人形は胸を反らして片手の薙刀を地についていますが、これはちょっと無理に思えます。 他の方法として、戸板など壁に背中を押し付け、前の方は両手で薙刀を杖とすれば前後に倒れることはなくなりそうです。 左右に倒れないのは、うまくバランスをとれたからということにすれば何とかなりそうです。 物理的な問題は解決できますが、精神的な意味で弁慶の立ち往生に追従・実行することは難しいでしょう。 追い詰められて進退極まった主君の最後に殉ずることなど、忠義の塊みたいな人間でなければ不可能です。 都合が悪くなれば全てを捨てて逃げ、捕まっても悪態をついて責任を他に擦り付けようとする人間の何と多いことか。 実際に立ったまま死んだかは定かではありませんが、その精神的な姿勢に死して尚倒れ伏さない弁慶像を後世の人は見るのでしょう。 「立ち往生」とは本来は立ったまま往生するつまり立ったまま死ぬという意味でした。現在の意味に転じた由来は武蔵坊弁慶にあります。武蔵坊弁慶は京都の五条大橋で当時牛若丸と呼ばれていた源義経と出会い忠実な家臣として最後まで仕えました。牛若丸はのちの源義経、鎌倉幕府を開いた源頼朝の腹違いの弟です。兄・源頼朝に仕えていた源義経は数々の武功を立てますが次第に源頼朝に疎まれ京都を離れて奥州の藤原秀衡の元に身を寄せます。藤原秀衡の死後、息子の藤原泰衡は源頼朝の威を恐れ父の遺言に背いて源義経を襲いました。世に言う衣川の戦いです。多数の敵勢の攻撃を受けた武蔵坊弁慶は源義経をかばって古館屋敷の入口に立ち薙刀をふるって並み居る敵兵を次々と倒しました。しかし多数の敵兵にはかなわず無数の矢を体に受けながらも薙刀を杖に仁王立ちしたまま亡くなったといわれています。これが「弁慶の立ち往生」の由来です。そこから転じて進むことも退くこともできない進退きわまったことのたとえになったそうです。進退きわまるような事態になることはできる限り避けたいものですが、もしそういった事態に陥ってしまったときには武蔵坊弁慶のように逃げずに立ち向かう勇気を持った人でありたいものです。

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不倶戴天

【漢字】不倶戴天 【読み】ふぐたいてん 【意味】生かしておけないほどの恨みや怒りを持つ。 【例文1】殺傷事件の犯人に不倶戴天の恨みを持つ。 【例文2】被害者遺族が不倶戴天を抱く。 【例文3】不倶戴天で天罰が下る。 「盲亀の浮木か優曇華の花を待つこと久し、貴様の悪運もここに尽きはてた。積年の恨み今こそ果たす。観念して尋常に勝負しろ」 いきなり敵と言われて相手の人は困惑することしきりです。 (こいつ誰だったっけ。名前どころか顔も覚えが無いけれど、とりあえず挨拶しとくか) 「ええと、ひさしぶり。元気そうで何よりだ。今何しているの」 不倶戴天という言葉を聞いてもさしたる感慨も覚えず、使った記憶も国語の試験で答案に記入したくらいしかありません。 よくある仇討ちシーンでは、こんな風に使っていたかなあということで、オチもない小芝居が出来てしまいました。 相手を敵と恨んでいるほうは現在進行形で今尚憎んでいるのですが、恨みを買ったほうは遠い昔の出来事なので全く記憶がありません。 警察沙汰になるような犯罪行為であれば当の昔に処罰されてますが、些細な出来事であったり人間関係の不備であればそれに及ばす。 相手を不倶戴天の敵と認めたならば、自分か相手のどちらかがこの世からサヨナラしなければならない事態に発展しかねない。 妥協する余地など皆無なので言い訳などには全く聞く耳持たずに呪詛の如く恨み言を言い続ける。 実際に発生する事件としては限りなく可能性が低そうですが、完全に解決するのはかなり面倒なことになりそうです。 なので、予防方法として相手を恨んだり恨みを買うような状況が起きないように注意するしかないでしょう。 私は三国志が好きで、本や映画、ドラマなどを見る機会がよくあります。様々人物が登場する話で、それぞれに個性があり魅力的な部分を感じますが、中でも特に好きなのが曹操と諸葛亮孔明です。 諸葛亮の好きな点は、神の領域に達するほどのズバ抜けた才能や戦術などで、曹操の好きな点は戦術家であり行動力と人を集める力などに魅力も感じます。三国志を見ているとよく耳にするのが、不倶戴天の敵という言葉です。 袁紹と曹操の戦いの際に、曹操が不意打ちで袁紹の兵糧置き場の拠点を攻めた時、袁紹が不倶戴天の敵と言っていました。この言葉がよく使われるのが、周瑜と諸葛亮との話の時です。 周瑜も諸葛亮に並ぶくらい、天下の奇才と言われた人物ですが、諸葛亮の力を恐れ赤壁の戦いでは味方同士にも関わらず、命を狙う作戦を何度も仕掛けていきます。 しかし、諸葛亮は全てをかわし難を逃れていき、その都度周瑜は不倶戴天の敵と言っていました。三国志を見るまでは、不倶戴天という言葉はあまり耳にする機会はありませんでしたが、今では耳に残る言葉です。 普通の憎みや怒りなどを超越した気持ちを、言葉として最大限に表すにはこの言葉を使うのが、一番適しているのかなと三国志を見ることで学びました。

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