tedukurikotoba (2563)

傍(岡)目八目

【漢字】傍(岡)目八目 【読み】おかめはちもく 【意味】他人の囲碁を傍で見ていると、対局者よりも冷静に先手が読めるもので、当事者よりも第三者の方が、冷静に判断できる。 【例文1】バイク事故を起こした本人よりも、目撃者の証言が岡目八目である。 【例文2】あとになって友人の言う通りにすればよかったと岡目八目だ。 【例文3】空き巣に入られパニックになり、子どもの記憶の方が岡目八目だ。 「傍目八目」は囲碁から出た言葉です。他人の囲碁を傍で見ていると、実際に対局しているときよりもずっと手が読めるということから、転じて局外にあって見ていると物事の是非、利益、不利益が明らかにわかることを指します。将棋の世界ではありますが、今回引退された、加藤一二三九段がもう少し若い時に編み出した、「ひふみんウオーク」が「傍目八目」に通じていると思われます。将棋の対局中に、次の一手が浮かばなくなった加藤一二三九段。そこで、相手の棋士が部屋から出ていかれ、自分だけになった時間を利用して、自分の席を外れ、相手の側へ回り込んで将棋盤を覗き込んだところ、自分の手のどこに弱点があるかや、相手の次の一手がわかったそうです。相手の手の内がわかれば、自分はそれに対処し、弱点を補う手を打てばいいのです。つまり相手の席側に回り込むことで、別の視点から棋譜を読むことができ、最上の一手に繋がったのです。そして、今、注目の藤井聡太四段が先日の手合わせで、相手が席を外し、部屋の中に自分一人になった時、この「ひふみんウオーク」をしている姿がテレビで公開されました。不正がないようにカメラが仕込まれていることは想像に難くありませんが、加藤一二三九段の前例がなければ、不穏な動きと見られたかもしれませんね。

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嘘から出た実(誠)

【漢字】嘘から出た実(誠) 【読み】うそからでたまこと 【意味】嘘をついたことが偶然にも真実になる。 【例文1】夏休みは海外旅行に行くと言ったら、嘘から出た実で家族で海外旅行に行くことになった。 【例文2】エイプリルフールにゲームを買おうと子どもに言ったら、本気で喜んでしまい可哀想になり買う事になった。嘘から出た実だ。 【例文3】友人に彼女だと紹介したら、彼女になってくれて嘘から出た実だ。 生まれて初めてオーストラリアに行きました。 仕事と恋愛に行き詰って、計画性なく1年ほど日本を飛び出す無謀な行動でしたが、それほど精神的に追い込まれていたのです。 滞在が1年ともなると、どうしても車が必です。 到着した翌日、ガイドマップに載っていた中古車ばかりが軒を連ねるストリートに出かけました。 私が探していたのは、手ごろな値段のセダンでした。 どのヤードに行っても口の上手いセールスマンが「カモが来た」とばかりにわんさか寄ってきては、ボロボロな割に高額な車を勧めてきます。 その日は10件ほど周り、どれも気に入らず、次の日には私の人相も険しくなっていました。 2日目の5件目のヤードで、全く商売い気の無い、かなり年上のオージーが「あなたとは以前、会ったことがある」と言い出しました。 「あーはいはい。会った。会った。どこでだっけ?この車の試乗していいですか?」 一昨日、生まれて初めてオーストラリアに来たばかりで、そんなこと絶対にありえないと即断して、適当に調子を合わせました。 あわよくば値引きに持って行けないかと悪知恵も働き、危ない英語で交渉します。 オーストラリアの試乗には、セールスマンが同乗するのがルールで、その人も助手席に乗ってきました。 セールスマンは「日本で会ったことがある。私が船員だった頃、横浜のカメラ屋で」と詳しいディテールを、興奮気味に話し続けます。 私はうるさいなぁと思いつつ、車の乗り心地に集中しています。 全くとんちんかんな会話が続き、彼が遂に「一緒に写真撮ったよ。あなたは学生服だった。もう一人の友達と一緒で」と言ったのです。 その言葉を聞いて、ヤードを訪れてから1時間以上も経って初めてまじまじと彼の顔を凝視しました。 「中学3年生だって言ってた。カメラ屋で値段の交渉を手伝ってくれた。結局買わないのかーって笑って」 そういえば、薄っすらそんなセピア色の記憶があるような・・。 「この車の値引きはしてあげられないけど、これから色々案内してあげるよ」 それから10年間、ずっと一緒に暮らしています。

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意気投合

【漢字】意気投合 【読み】いきとうごう 【意味】お互いの気持ちがピッタリと合って仲良くなる。 【例文1】隣の席のお客さんと意気投合して話が弾む。 【例文2】意気投合して付き合いが始まる。 【例文3】地元が同じで意気投合する。 大人になると、新しく出会った人と仲良くなるのってすごく難しいと思いませんか?私は人見知りなので、なかなか初対面の方と上手く打ち解けることができません。そんな私でも、なぜかすぐに意気投合して仲良くなるパターンがあるのです。 そう、それは地元トークです。例えば、同じ中学校を卒業していたと聞けば急に親近感が湧いて、「あの先生知ってる?」とか「学校の七不思議でこんな噂あったの知ってる?」といったような、同郷でしかわからないようなネタで意気投合しちゃうのです。それが同じ中学のように狭い範囲じゃなくても、例えば地方に行った時に、同じ県民だと分かればそれだけで意気投合しちゃうのです。地方で不安になっている時に、急に地元の友達に会えたような感覚でしょうか。その場合だと同じ県民でも住んでいた場所はすごく遠かったとしても、自分の知っている地名を聞いただけて嬉しくなるのです。あと、自分でも不思議なのですが、普段はナンパされるのなんて大嫌いで、話しかけられても無視で歩き続けるのですが、「地元どこ?俺は〇〇だよ!」の〇〇が同じだと、「あ、一緒だ。」って答えちゃったり。そして1度あったのですが、その続きに「高校はどこ行ってたの?俺は〇〇高校!」の〇〇高校が同じで、「えー!一緒だ!何歳?〇〇ちゃんって知ってる?」とこれまた意気投合しちゃったのです。そして仲良くなってしまうという、なんとも軽い女みたいになっちゃいました。これを考えても、やっぱり地元トークは初対面の人と仲良くなる大きなきっかけなんだと思います。

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赤の他人

【漢字】赤の他人 【読み】あかのたにん 【意味】まったく縁のない他人をいう。 【例文1】夫婦と言えど元々は赤の他人だ。 【例文2】見て見ぬフリなんて所詮赤の他人だ。 【例文3】似ているが、赤の他人だ。 昔は結婚適齢期と呼ばれる年齢が男女にあり、その年齢になるとほとんどの人が、結婚を果たしていました。 ですが今の時代は、結婚適齢期と言う言葉が死語となりつつあり、かつて結婚をしていた年齢になっても、独身のままでいる人が増えています。 結婚よりも独身でいた方が、色々と自由が利くので、結婚をしない人が増えているのだと思われます。 にもかかわらずここ最近は、結婚相談所などの結婚をサポートする業界がにぎわっているのです。 若い内は結婚しなくても良いと思っていても、それ相応の年ともなると、心に焦りが生じたり、周りにせかされたりして、結婚を考える人が増えているようです。 携帯電話の普及により、人と直接コミュニケーションを取る事を苦手としている人が増えています。 それで自力では結婚相手を見つける事が出来ず、結婚相談所などの力を借りているようです。 しかし結婚相談所と言えども、相手は赤の他人と同じです。 ですからコミュニケーションが苦手では、結婚相談所を利用しても、結婚へと至る事は難しいと言えます。 そこで結婚を考えたらまず、コミュニケーション力を鍛える必要があります。 コミュニケーション力を鍛えさえすれば、何も結婚相談所など利用しなくても、そこら辺の赤の他人とでさえ結婚へと至る事は可能です。 安に人の力を借りるのではなく、自分を変えていくように努力する事が大切です。 赤の他人とは、血のつながりのない、全くの他人のことをあらわします。 「自分とは全然関係ない」といった、ちょっと冷たいニュアンスを感じますよね。 ところが、そんな赤の他人と一緒に一つ屋根の下で暮らすのが、結婚生活なのです。 結婚して一緒に暮らしてみて初めて気づく色々な違い。 食事をするときにテレビをつけるかつけないか、食事中に飲み物を飲むか食後に飲み物を飲むか、洋服を脱ぐときは裏返すかそのままにするか、などなど。 細かいことですが、家の中での行動における自分の常識=育ってきた家庭の常識、なので、育ってきた環境が違えば当然常識も違ってきます。 「自分の中では当たり前のことでわざわざ注意するまでもない家の中のルール」が赤の他人の配偶者によってことごとく破られていくのです。 なんで食事中にテレビを見るの?そんなの行儀が悪いじゃない!食事中はテレビを見ないのが常識!と言っても、食事中はテレビを見ながら食べていた家庭で育った人にとっては真逆。なんで食事中にテレビを見たらいけないの??となりますよね。 家庭内での常識が一人一人違うので、「そんなの常識じゃない!」は通用しないのです。新婚のうちは、これを何度も繰り返すことになります。なかなかストレスがたまりますね。 一緒に暮らして何度も何度も衝突をして、時間をかけて新しくその夫婦の家のルールができあがっていくのですね。 縁もゆかりもない全くの他人に対して言う表現が「赤の他人」です。「二人は瓜二つの顔だが、実は赤の他人同士である」という具合に、素性が関係がないことを強調している表現であります。それまで旧知の仲だった間柄だった同士が仲違いをしてしまい、関係が修復不能に陥った時「あいつとは最早赤の他人だ」と決別の意を表すつもりで言ってしまう場合がある様です。お互いに感情が先に立ち冷静さを失ってしまい、勢いで言ってしまい後で後悔する事もままあります。全くの初対面に赤の他人というと少し希薄な印象を持たれ易く、意図的に使用を避ける時もあります。「赤」というのが仏前にお供えする浄水「閼伽(あか)」というのが語源になっているのも、そう連想させる要因になっているのでしょう。冷たい態度を連想させてしまうのが「赤の他人」という表現であり、身内からもしそんな言葉を浴びせられたら相当相手を怒らせたと思った方が良いと思います。それ位厳しい表現であり、身内や知り合いには出来れば使用したくない表現と言えます。自分にとって何の支障もない他人であれば、どうという事もないかもしれませんが、やはり少しでも見知った相手には言われたくないし使いたくない言葉なのです。

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和して同ぜず

【漢字】和して同ぜず 【読み】わしてどうぜず 【意味】人と調和はしても道に外れる事はしない。 【例文1】父母は和して同ぜずの人生を送る。 【例文2】和して同ぜずの信念を持つ。 【例文3】周囲に惑わされない。和して同ぜずだ。 和して同ぜずという言葉は、小・中学生によく似合う言葉であると思います。 意味は、誰とでも調和していくことは大事であるものの、道理や信念を忘れてまで人に合わせるようなことは決してしないようにすることを言います。 小・中学生においては、自分が仲間はずれにならないように自分の考えまで曲げて友達に付き合うこともあります。 仲間はずれにされることが嫌な年代であり、さらに最近のいじめにも発展しうることもあります。 ただ一方で、この時期は大人への成長過程において大事な時でもあります。 例えば、自分の考えのよりどころとなる軸が持てるかどうか、とか自分の中の物事の分別が持てるかどうかなど、道理や信念の基礎となるものが作られる時期です。 一方で、大人でも道理や信念を忘れてまで人に合わせることをする方もいらっしゃいます。 人に合わせてしまうのは楽なことかもしれません。 人に合わせるということは、特に自分で考えなくてもついていけばそれなりの成果がでることにもなります。 ただ自分で考えなくなると、以後の成長は期待できません。 ましてや、生産性や成果が益々求められる現代や将来においては、道理や信念をきちんともち、かつ協調性のある人材が必要です。 このような人材になるためには、小・中学生において、考えの基礎づくりをしっかりする必要があります。 「和して同ぜず」-人と争わず、仲良くするけれども、自分自身というものをしっかり持ち、いたずらに己を曲げたり調子よく相手に合わせたりしない、という意味です。 あまりにも有名な言葉ですが、もともとは孔子が「論語」の中で「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」と未熟な人間と比較する形で述べた言葉です。 人と交わるけれど、自分の主体性はしっかり持つ。当たり前のことじゃないか、と多くの人は考えますが、実は人生を生きる上でこれほど難しいことはそうそうないように思われます。 特に我々日本人のように、ともすると大勢に流されやすい国民は、この言葉を良く胸に刻むべきかもしれません。 どんな小さなコミュニティでも、日本人はその集団の「和」をとても大切にします。 皆が争わず、一つにまとまることは美しいことですが、何か問題が起きたとき、何が正しいのか、何を追求するべきかを見極めずに、集団としてまとまることが最優先されがちです。 そんなとき、「皆さんと付き合うが、自分には自分の信条がある。それを曲げたくない」と言える勇気のある人こそ、真の君子と言えるのかもしれません。 そして、全ての人が他人と協調しつつ己の信条を貫くというあり方こそが、風通しの良いコミュニティと言えるのではないでしょうか。 どこかのコミュニティに属していて、息苦しい思いをしていたら、この言葉を思い出し、その意味をもう一度自分に問いかけてみるといいかもしれません。 「和して同ぜず」は論語の中に出てくる言葉です。「和やかな関係の人であっても、むやみな同調は有害である」という意味です。論語は中国春秋時代の思想家である孔子が、彼の死後にお弟子さんたちが、孔子やその門人たちの言葉をまとめた書物で全二十巻にも及びます。「論語読みの論語しらず」という言葉まであるように、論語は「仁」、「礼」について説かれていますが、論語の中にも相反するととらえられる文章もあり、これを全て体現することはなかなか、引用するにも臨機応変、柔軟な対応が求められます。そういう意味でも論語を読むことはできても、それを識ることは難しいのです。そんな孔子の容貌について「史記」や「孔子家語」によると、生まれつき頭頂部にへこみがあり、額は張り出し、目は引っ込んでいて身長は九尺六寸(約2,16メートル)もあり、長人と呼ばれていたそうです。体格はよく容貌は魁偉であったようです。世界の偉人は時により、すごく体躯の良い方がおられますよね。イエス・キリストやお釈迦様も体格が良かったそうですし、秦の始皇帝も大男だった記述があります。孔子は「仁」という言葉で人間としての愛情を表現し、この「仁」を思想として広めることで、崩壊の危機に瀕した周王朝を救おうとしたと言われています。恵まれた体格を生かし、遊説に回ったという孔子はきっとアクティブな方だったのですね。

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