tedukurikotoba (2563)

蟷螂の斧

【漢字】蟷螂の斧 【読み】とうろうのおの 【意味】蟷螂とはカマキリのことで前脚を上げて大きいものに向かうことから、自分の力も顧みず、強者に立ち向かっていく様子。 【例文1】人生のパートナーは蟷螂の斧がいい。 【例文2】不良グループから絡まれている所を助てくれた彼は、蟷螂の斧で頼もしかった。 【例文3】蟷螂の斧が結婚の決め手となった。 蟷螂(とうろう:カマキリのこと)が車輪に向かって斧を振りかざす様から、身の程を知らず強大な敵に立ち向かうことを「蟷螂の斧」と表現します。 子どもの頃、カマキリを飼っていたことがあったのですが、その凶悪な性質と見た目には恐怖すらしたものです。 まず、ふ菓子のような卵から生まれるのですが、いきなり共食いを始めます。 手ごろな餌があればよいのですが、蟻にすら食い殺されかねない弱さが最初なので一緒に生まれた兄弟姉妹がまず餌です。 動けば魚肉にでも襲いかかって食べるという話を聞いたのは後のことです。 百匹以上が一度に生まれても、結局生き残るの数匹程度です。 餌となるバッタは近所の草むらから探して捕獲し、籠の中に放り込みました。 外殻が硬いヒシバッタなどは捕食が難しいのか見向きもしませんでした。 軟らかそうなバッタに対しては旺盛な食欲をみせ、バリバリと食べていました。 今考えてみれば、カマキリの捕食行動より餌を与えている私の方が残酷に思えます。 蟹は海岸に行ったときに偶然見つけることがあり、初めて見る生き物に好奇心を持ち、ハサミで指をはさまれる痛みもさして苦になりませんでした。 実際、カニには指がへこむほどに強く挟まれたのですが、血が出るほどでもなかったので気にも留めなかったです。 ヒシバッタに手を出さないカマキリの力はどう考えてもカニ以下なのでしょうけれど、他の生き物を生きたまま捕食する光景は強く心に刻まれています。

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敵は本能寺にあり

【漢字】敵は本能寺にあり 【読み】てきはほんのうじにあり 【意味】明智光秀が備中の毛利氏を攻めると見せかけて出陣し、京都本能寺の織田信長を襲ったことから、本当の目的は別にあるという意味。 【例文1】結婚を決めたのは敵は本能寺にありで、遺産目当てではないかと囁かれている。 【例文2】真相を暴くために敵は本能寺にありで潜入捜査する。 【例文3】彼に近づいたのは彼の友人目当てで敵は本能寺にあり。 いきなり自分の上司がクーデターを起こして上層部に反旗を翻したら、付いていけるでしょうか。 よほどの大義名分があっても、まずは損得勘定に始まって最終的に己自身の保身について考えることになるでしょう。 上層部の排除に成功したとして、すんなり取って代わることが可能かと問われれば難しいというのが大勢です。 逆に裏切り者のそしりを受けて、昨日までの全ての味方から責められるのは目に見えています。 仇討ちの大義名分を掲げられたら、すでに勝敗は決したも同然となること請け合いです。 下克上が当たり前に行われた戦国乱世であっても、上司の命令だからといって絶対的な権力者に弓引くことなど常識的に考えられません。 実際に敵は本能寺にありなどと大将が言ったら、びっくり仰天して何も出来ないか、巻き込まれるのを避けて逃亡すると思います。 悪巧みというか謀反の詳細は幹部連中だけが知っていて、下っ端は何も知らされずに戦場に連れ出されたという方が納得できます。 戦国時代ならいざ知らず、現代社会でクーデターとか謀反なんて起きないだろうと楽観している人が普通でしょう。 しかしメディアが政権を徹底的に批判して状況を傾ける程度のことは起こりえると思います。 大勢が大声で正しいと叫び続ければ、本当に正しい判断を下せる可能性はかなり低くなるでしょう。 民主主義といいつつ、ただの多数決にしかなっていない社会は危ぶまれるべきではないでしょうか。 「敵は本能寺にあり。」 これは明智光秀が、本能寺に宿泊している織田信長を襲う際に家臣に放った言葉として有名ですよね。 誰もが一度は聞いたことがあるかと思います。 当初、光秀は家来に敵は備中の毛利勢であるとは知らせていたから、家臣たちは備中に行くものと思っていました。 しかし、道を途中で変更し相手の陣地に入るために桂川を渡るとき、敵は本能寺にありと言い放ったといわれています。 つまり、本当の敵は別のところにあるという意味で、敵は本能寺にありという言葉が使われだしたのだそうです。 しかし、本当に明智光秀はこの言葉を使ったのか意見が分かれているのです。 そして当時の記録には何も残っていないということから、実際は使われてない可能性が非常に高いのだとか。 ここまで使われてきた歴史上の重要な言葉が嘘だったら少しショックですよね。 敵は本能寺にありという言葉が文書に出始めるようになったのは、江戸時代の末期である1827年の出来事なのです。 これは本能寺の変が起こってから250年後になります。 実際のところ、明智光秀は本能寺の変の前夜に織田信長を倒し、天下を取ると明かしています。 信長を倒すには、高度な情報統制が必要であったのです。 ですので、もし光秀が途中で敵は本能寺にありと叫べば、本能寺にいる信長の元へ明知勢が走って、光秀寝返りという可能性がありましたからね。

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罪はない

【漢字】罪はない 【読み】つみがない 【意味】悪気はない。無邪気である。 【例文1】親が犯罪者であっても子どもに罪はない。 【例文2】犯罪者の子どもに罪はないと言うけれど、白い目で見られるのが現実。 【例文3】罪はないとかばう。 「罪がない」とは「無邪気である、責任がない」という意味です。子どもには罪がないという言葉はよく使われます。例えば第二次世界大戦中の日本では、軍国教育が行われ、子どもたちは「進軍ラッパだトッテチッテター」などと書かれた教科書を使い国語を習っていました。また、天皇皇后両陛下のお写真を納めている御影廟という白い箱のようなものが各小学校の入り口付近に設置され、そこでは帽子を取って一礼し、しかも人の息がかかるのは失礼だからと息をとめて通ったという話を聞いたことがあります。子どもたちの大半が、日本の勝利を疑わず、男の子は軍人や兵隊になることを希望し、女の子は銃後の守りを固める良妻賢母を理想として育っていたのです。ところが敗戦を迎え、状況は一変します。今まで使っていた教科書は、教室で先生の指示のもと、自分たちで黒々と線を引いて、戦争について触れてある部分や、進駐軍にクレームをつけられそうな箇所は塗りつぶすことになったのです。その日を境に日本人の価値観は大きく転換させられます。大人は事情がわかっていますから、無理にでも対応しますが、子どもたちは混乱したことと思います。それでも、子どもゆえの順応性は発揮され、進駐軍のジープを見れば「ギブミーチョコレート」と言って走って追いかけるようになるのです。本当に子どもたちに罪はない。そして私たちは二度と繰り返してはいけない歴史なのです。 私が教育実習に行った際に、高校生とたくさん接する機会があったため、いろんな若い意見を聞くことができました。そこには、教員側と生徒側に多くの意見違いがありました。ちょうど、学校祭期間で準備があったりしました。しかし、教員は授業数が間に合ってないという理由から、学校祭の準備に当てられた時間も授業に当てるということがありました。もちろん、生徒側からはブーイングの嵐でとても授業という雰囲気ではない中で、授業が進んでいきました。後々、先生方に聞いてみたところ、要は学校にも進度がありそれをやらなければ国からの通知が来るとのことでした。どうしても公務員という立場上、しょうがないことかなとも思いましたが、そこで罪がない生徒たちの大切な思い出を作る時間を減らしてしまうのはかわいそうかなと思います。ましてや、高校という一番キラキラしている時期の貴重な時間を割くのはもったいないです。勉学に励むことも人生において、価値が高いものですがそれ以上に大切な時期を過ごした仲間や思い出は人生の中でも有数のなくならない資産です。そういう時期にできた仲間に助けられることもあります。勉学以外にも学生生活で手にいれることができるものが多いので、そういったことにもしっかり目を付けてほしいです。

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地の利を得る

【漢字】地の利を得る 【読み】ちのりをえる 【意味】地形や土地の形状が有利な条件を兼ね備えている。 【例文1】ここはマンション建設に地の利を得る。 【例文2】早朝から開店する事で地の利を得る。 【例文3】駅近のテナントで商売の地の利を得る。 地の利を得るとは、戦いにおいても重要になります。戦力を有しても天候た地形を考えずに相手陣地に攻め入ると自滅の道を辿ることになるでしょう。 スポーツでも地元開催が有利となるのは、声援や練習してきた土地で慣れているので、まさに「地の利を得る」で優位に勝負ができます。ホームとアウェーでは、ホームの方が味方が多いですし、雰囲気に惑わされることは少ないでしょう。 ただ地の利を得たから必ず勝てる見込みはありません。地の利に甘えすぎて相手の力を軽く見ていると痛い目に合うこともあり、戦う環境が揃うことと、それに見合った戦力も必要になります。 第二次世界大戦時にまさに地の利を得て防衛に成功した国が存在します。北欧のフィンランドで、少ない戦力と物資をやり繰りしながら絶望的までの戦力差にも関わらず、何十倍もの兵力のソ連と対等以上に戦いました。 極寒の地で雪を隠れみのにすることによる奇襲戦術や、ファンランドの森に誘い込むことで相手の兵力を奪っていきます。中には激戦区の防衛ラインを30名程度で守った史実もあり、まさにホームにおける地の利を得て戦っていました。しっかり環境や知識、戦力が合致して初めて優位に戦うことができるので奥が深いですね。

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高が知れる

【漢字】高が知れる 【読み】たかがしれる 【意味】大したことない。 【例文1】50円差なんて高が知れる。 【例文2】高が知れると油断する。 【例文3】高が知れたもんだ。 恥ずかしながら、最近になってたかが知れるの「たか」が、高であることを初めて知りました。 この高によって、意味も納得します。 高という漢字の意味に、数字的な程度を示すことがあります。 例えば高を使った言葉では、銀行の預金残高、売り上げ高、山の標高、物の生産高といったものは数字的な程度を示していることがわかります。 高が知れる、という意味はその程度を知っていることであり、何となく軽くみているという印象があります。 よく似た言葉としては、高をくくる、というものがあります。 このように相手や事実に対して軽くみた感じや、楽勝ムードを漂わせる印象がある言葉ですが、実際には楽勝ムードではいかないことや、かえって苦労しなければならないことがたくさんあります。 例えば、試験やスポーツの試合です。 試験の場合、過去に行われた問題が軽く解けていたとき、その難易度も高が知れると思っていたら、本番では解けない問題が続出したという経験はあるのではないでしょうか。 私もこの試験の体験には随分泣かされました。 そしてスポーツの場合、野球で強豪校が、中堅や弱小チームに負けてしまう、と言った場面です。 余裕や楽勝ムードを出してプレーをすると気持ちも緩みますね。 高が知れるという反面、油断は禁物であることも自覚しましょう。

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