tedukurikotoba (2563)

目が出る

【漢字】目が出る 【読み】めがでる 【意味】幸運がやってくる。 【例文1】長い下積みを経てようやく目が出る。 【例文2】やっとラジオ番組に出演できるまでに目が出る。 【例文3】モデルとしての目が出る。 私は長い間、夢や目標にしてる事があります。 しかし、いまだにそれは目が出ていません。 その原因はもちろん私自身の努力不足もあると思います。 仕事や他の雑事に追われて、その忙しさを理由に、夢や目標のための時間をあまり取ってこなかったことにもあります。 また、夢や目標を思い描いているだけで、なんとなく叶ったような妄想にかられ、それを現実化させるための具体的な計画や実行をしてこなかったのも原因です。 今は再び自分の夢や希望を掲げ、さらにそれを明確にして実行していきたいと思っています。 その方が生きている張り合いも出ますし、他のことも上手くい行くようです。 いつか自分が描いている夢や目標の目が出るように、よりリアルな計画を立てて実行していきたいと思っています。 大切なことは苦しみながらではなく、楽しみながらワクワクとできる環境を作っていきたいです。 「なかなか目が出ない」と言われる人間は非常に多い印象があります。目が出ないとよく発言する指導者に対して私は憤りを感じずにはいられません。理由として指導者の仕事は、そういった目の出ない方を育てることで、「なかなか目が出ない」という言葉は指導者の怠慢を自分で発言することと同じことだと思うからです。 野球選手イチロー選手もオリックス時代に仰木監督との出会いがあったから、現在までメジャーリーグで素晴らしい活躍をしています。目を出すためには良き指導者との出会いが大切となる訳ですね。 巨人をトレードされた大田選手だってそうですよね。あれだけ期待されていたのに結果が出なかった選手が、日本ハムに入団してからは、今までが嘘のように結果を出しています。大田選手にあった指導法を実践しているコーチの影響があり、時には環境を変えることも大切だと伝わりました。この出来事からも、巨人は大田選手を長年「なかなか目が出ないね」と言うだけで、何を指導していたのか疑問に感じますし、厳しいようですが指導者の怠慢だと思います。 スポーツ以外でも、あらゆる分野で「目が出ない」方がたくさん存在するでしょう。そのような方たちは一刻も早く良き指導者に恵まれることを願うばかりです。

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無駄骨を折る

【漢字】無駄骨を折る 【読み】むだほねをおる 【意味】努力した結果が役に立たない。 【例文1】はるばる出向いて来たのに、定休日で無駄骨を折る。 【例文2】片づけても片づけても子ども達が散らかすので無駄骨を折る。 【例文3】やっと完成したが、締め切りが過ぎていて無駄骨を折る。 無駄骨を折るとは、やった事が全て役に立たなかった事を意味しており、頑張ってやってきた事が無効になる事を言います。同じ様な意味の言葉とに骨折り損のくたびれ儲け、徒労に終わる、水泡に帰する、ぶち壊しになる、台無しになる等が有り、いずれの言葉も「無駄」と言う言葉の「意味」がキーワードになっております。具体的な使われ方としては、会社等では「今回のプロジェクトはうまく行かず無駄骨を折る事になってしまった」や「そんなに根を詰めてやっても結果が出ていないので無駄骨を折る事になる」等と使われたりします。 例えば自分に対して、仕事や生活の中で色々と協力してくれたりする事を指しておりますが、そんな協力してくれた人達に対して結果が伴わず、協力してくれた人に対して申し訳ないと言う気持ちが込められていると考えます。一般的には協力者や他の人達に対しては無駄骨を折る様な結果になってしまう事は出来れば避けたいものですが、自分自身にとっては何故結果が残せなかったのか、反省を促すとても良い機会にもなります。

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水が合わない

【漢字】水が合わない 【読み】みずがあわない 【意味】その土地の環境・風習になじめない。 【例文1】田舎の水が合わず1年で戻った。 【例文2】人口が少ない島暮らしは水が合わない。 【例文3】昔の風習がどうも水が合わない。 新しい土地に引っ越ししたり、仕事が変わったりしたとき、時には水に合わないと思ってしまうことがあります。 たいてい、あまり考えなくて表面的な条件に惑わされて安易に決断すると、こういった結果になってしまうようです。 特に住む場所では、捉え方によっては「住めば都」という人もいます。 しかし、必ずしもそう思えない、どうしても水が合わない場所というものはあるものです。 以前の私は水が合わない場所では、自分が努力してもそれは解決できないと思っていました。 しかし、最近は考え方が少し変わってきました。 どのような場所でもそこに住んでいる人たちが、その地域を形成しています。 その為、以前は水が合わないと思っていた場所でも、住む人たちや環境が変わることによって、そう思わなくなってくることもあるようです。 結局、どう捉えるかは自分次第なのかもしれません。 もし、水が合わなくて失敗したと思っていても、自らが良くしていくことで、その場所はまさに「住めば都」になっていくのかもしれません。 水が合わないの言葉の意味ですが、その土地の風土や環境に馴染めない時に使われる言葉で、その土地に溶け込む事が難しい事を意味しております。又、会社員等の場合にはその社風に合わない場合や、移動先の部署の雰囲気等に合わない時等に使われる言葉です。「水」を新しい土地や新たな会社や職場の環境に例えた言葉で、ご自身の育ってきた環境や物事の考え方と合わない場合や、相性が悪い場合「合わない」と言う言葉と繋げて使用します。具体的な使われ方としては、「昨年この地に引っ越してきたけれど、どうもこの土地の風習は水が合わない」や、「今度異動を命じられた部署は上司や同僚の考え方が違いすぎて水が合わない」等と使用されます。水は生物が生きて行く上では無くてはならない物です。その水が合わないと言う事は、生きて行く事さえままならないほど深刻な事態に陥ってしまう可能性がある為、周囲にいる人たちがその辺に充分気を使う事も必要な場合があります。ただ、見方を変えた場合、その土地やその会社その部署に昔からいた人達にとってみれば、後から来た人間が何を言っているのだと言われかねない言葉でもありますので、この言葉を使う時には充分に注意した方が良いと考えます。

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勝るとも劣らない

【漢字】勝るとも劣らない 【読み】まさるともおとらない 【意味】勝ってはいるが、劣ってもいない。 【例文1】弟子の作品の腕が上がり勝るとも劣らない。 【例文2】勝るとも劣らない試合だった。 【例文3】勝るとも劣らない難しい審査。 「勝るとも劣らない」、互角かまたはそれ以上という意味です。 実際に自分ではかなわないと思っている相手を対象に「勝るとも劣らない」言われれば気分もいいです。 自分では劣ってると思っていたのに第三者の目で見れば互角かそれ以上という評価を得たんですから。 でもこの「勝るとも劣らない」は対象者を間違えると相手を怒らせてしまうかもしれません。 自分では比較するほどでもない、自分のほうが格上だど思っている対象者と比較され「勝るとも劣らない」と言われたら自分は勝っていると思っているのに互角程度に思われているのかと気分を損ねてしまいかねません。 そのため「勝るとも劣らない」を使うときは、ちょっと大げさぐらい格上の人と比較してあげなければいけません。 息子は武道を習っているので、今度使ってみようと思います。 試合ではいつも優勝はできず、2位か3位の成績です。 次回も優勝できなかったら彼に「勝るとも劣らないいい試合だった」と声をかけてあげようと思います。 1位と比較して勝るとも劣らないといってあげれば彼の次の試合の励みにもなるかもしれません。 しかし・・「劣ってるから負けたんだよ!」だと逆切れされそうな気もします。めんどくさいお年頃なんで・・

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仏の顔も三度

【漢字】仏の顔も三度 【読み】ほとけのかおもさんど 【意味】仏様のような穏やかな人でも何度も無礼な事をされれば怒り出す。 【例文1】あの優しいお母さんが怒るなんて仏の顔も三度までだね。 【例文2】温厚な人でもさすがに毎回約束破れば仏の顔も三度だ。 【例文3】デートに遅刻してばかりで仏の顔も三度だ。 私には小学校6年生の息子がいて、この息子に結構手を焼いているのです。物を失くすのなんてしょっちゅう。忘れ物もしょっちゅう。男の子だから?と思ったりもしますが、私には理解できないことが多々あるのです。そんな息子も6年生になったのをきっかけに、次はもう中学生になるので、久々にきちんと出来ているか連絡帳を見て明日の用意がきちんとできているのか確認しようと思ったのです。小学校低学年までは毎日宿題を確認して明日の用意ができてるかを一緒にチェックしていたのですが、3年生からはさすがに出来ているだろうと確認しなくなったので、約4年ぶりに一緒に確認しました。 すると、連絡帳を全く書いていないのです。なぜか?と聞くと「遊んでいて書いてなかった」と。私は連絡帳をきちんと書かないといけない理由を息子に話し、今日からきちんと書いてくるように注意しました。そして次書いてこなかったらゲーム捨てるよ!と言いました。1週間後、もう一度連絡帳を見てみると書いてる日と書いてない日が飛び飛び。なぜ毎日書かない?と聞くとまた「遊んでて忘れた」と。さすがに少しキツめに叱りました。でもさすがにゲームを捨てるのは可哀想だと思い、もう次書いてこなかったらほんとにゲームは捨てると宣言し、今回は許したのです。そして次の日、連絡帳を見て私は愕然としました。また書いていないのです。仏の顔も三度までとはよく言いますが、母の仏の顔も三度まででしたね。ブチギレた私はゲームをほんとに捨てました。息子はそこでやっと事態の重さに気づいたのか泣いていましたが、ほんとにもう遅いのです。その日から息子はきちんと連絡帳を書いてくるようになりました。仏の顔も三度まで。息子はきっと思い知ったでしょう。 「仏の顔も三度」という言葉かあります。世の中には聖人のように優しい方が稀にいますよね。私が働く職場の店長がまさしくそのような方で、滅多なことでは怒らない聖人と言われていました。 そんな店長ですが、唯一怒りをあらわにしたことがありました。従業員に暴言や暴力を振るうお客さんがよくお店に来ていましたが、一度目と二度目は軽く注意するだけで、三度目に「うちの従業員に手を出すな!」と、日頃の穏やかな店長とは思えない剣幕で、そのお客に掴みかかりました。 私を含めた従業員と、その場にいたお客たちは非常に驚いたようで、常連のお客さんも含めて必死に店長を止めに入りましたね。お客さんたちも店長が穏やかなことを知っていましたから、さぞ驚いたことでしょう。その後、警察が来ましたが、他のお客による証言もあり、暴力を振るったお客に厳重注意がなされ、その場は収まりました。 従業員に対する愛情が強い方だったので、家族のような従業員を守ろうと店長がしたのかも知れません。「仏の顔も三度まで」という言葉がありますが。まさしくこの出来事に当てはまる言葉だと思いました。どんなに優しい人でも大切な人を馬鹿にされたり、理不尽なことを三回もされたら限界が来ますよ。

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