tedukurikotoba (2563)

無知蒙昧

【漢字】無知蒙昧 【読み】むちもうまい 【意味】知識がなく物事の筋道が理解がない。 【例文1】彼は無知蒙昧で社会のルールに反する。 【例文2】社会のマナーを無視して無知蒙昧。 【例文3】常識外れの言動で無知蒙昧。 「無知蒙昧」とは「知識がなく道理に暗いこと」です。昔、千葉県の農村では飢饉や疫病が流行ったりして、暮らしに困窮すると、生まれたばかりの赤ん坊を殺してしまう間引きや、堕胎が悪い習慣としてありました。それをどうにかして防ごうと考えられたのが、公的な教育金貸付けでした。それを実行したのが、明治維新の時の廃藩置県により、千葉県の初代県令(今の千葉県知事)となった柴原和です。その結果、出生児数が前年の1.5倍になりました。また、柴原は千葉県が多くの藩によって統治されていたために、地域ごとに習慣も考えも違い、人々をひとつにまとめるために大変に腐心しました。そこで彼が考えたのが、県議会を設けて代議員制度を定めることです。千葉県をいくつかに分け、代議員を選び、県庁の議事場で県民の幸福を図るための相談を行いました。彼が定めた千葉県議事則には、「議会は県民を保護するもので、抑制するものではない」「代議員の決定は千葉県民の決定である」「なぜなら県民がこの人の決定なら異論はないと選挙した人を代議員とするからである」と書いてあります。「無知蒙昧」な部分も見受けられた千葉県を民主的な県に導いた柴原和は、兵庫県令の神田孝平、滋賀県令の松山道之らとともに、「三県令」のひとりに数えられています。

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水が入る

【漢字】水が入る 【読み】みずがはいる 【意味】相撲の組み合いで勝負がつかない状態が続くと一時中断する。 【例文1】両者互角の戦いで決着がつかず水が入る。 【例文2】水が入った後の勝負も見ものだ。 【例文3】両者一歩も譲らず水が入る。 相撲で取り組みが長時間にわたり動きがない状態が続くと行司が水入りを宣言して勝負を一時中断させることがあります。 守勢にまわって耐えていたほうからすれば、攻勢にある対戦相手が回復して攻めて来るのですから堪ったものではないはずです。 興行という側面がある以上、いたずらに勝負が長引くことは好ましくないのでしょうけれど何か釈然としないものが残ります。 観客としては何者にも介されない一対一の勝負を見たいと思うのが普通でしょう。 一瞬の隙も許されない一新いったいの攻防にこそ勝負事の醍醐味があるはずです。 水が入ると勝負の途中で制止させられ、十分な休憩という不純物を混ぜ込まれ、元の位置と元の体勢を再現して試合再開されても今ひとつ物足りなさを感じてしまいます。 試合の当事者や開催者の思惑とは全く無関係な水入りが存在するのは仕方のないことでしょう。 高校野球など屋外競技の宿命で天候によっては試合が続行不可能になりなます。 土砂降りの雨が降れば、文字通りに物理的な水入りで勝負は流されてしまいます。 どの程度で中止になるかの見極めが必要になるのですが、勝ってる方は続行を願い負けてる方は中止を願うという実に複雑な心境で試合が進められます。 無理矢理に全校生徒を集めて応援させたりしている場合などは特に思い入れなどない生徒がほとんどです。 散々に泥仕合をして結局雨天中止になるという何とも虚しい応援合戦をした経験から言えば、応援は心底興味がある者に限らせて欲しいと切実に訴えたいです。 いっそのこと水入らずで関係者のみによる試合をしてもよいのではないかとすら思ってしまった学生時代の記憶です。 「水が入る」は「水入り」と言ったりもしますが、元は相撲の一番で中々勝負が決まらず組み合ったまま双方動けなくなった所で、行司さんが勝負を一旦中断させて一息着かせる時に水分を取る所からそう呼ぶ様になったみたいで、休憩後は再度組んでいた形に戻し、取り組みを再開するという一連の流れがあります。本来はいわゆる「コーヒーブレイク」寄りの意味であったのですが、近年転じて邪魔が入る的な使い方もあるみたいです。ですので他の野外スポーツでは、雨天による試合の順延を水入りという様です。そうなると場合によっては「水を差す」を使っても同じ意味になってしまうケースも出てきて、何だかややこしい事に思えて来ます。双方譲らず、良い戦いを繰り広げ中々勝負がつかない状態を変化させる周りの配慮でもあるので、やはりそれを上手く見極める勝負勘の様なものが判断する側にも求められます。一つ間違うと折角の好勝負がどちらかに有利に働く可能性が出て来ますし、勝負自体が題無しになりかねません。そうなるとまさに「水が入る」ではなく「水を差す」と言えるでしょう。程良いタイミングで一息を入れ、対峙する者同士がまた好勝負を繰り広げてこそ「水が入る」意義があると思います。

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間尺に合わない

【漢字】間尺に合わない 【読み】ましゃくにあわない 【意味】寸法が合わないとか計算が合わないという意味だったのが、努力した割は利益が合わないに変わっていった。 【例文1】間尺に合わないバイト。 【例文2】寝ずに仕事をしても間尺に合わない。 【例文3】働きづくめでも間尺に合わない。 間尺に合わないって言葉は日常ではほとんど聞かないですね。 尺という文字が入っているように、寸法が合わないというところから今では割に合わないとか損になるという意味で使われています。 大人になるにつれて、損をするということを嫌がることが多くなりますね。 子どもの時は楽しいとか、面白そうという動機で何かをしていたのに年を重ねると得になりそうとか、役に立ちそうという理由で何かをするってことが増えてきます。 ただ、損得ばかり考えているとつまらない人間になりそうです。人生なんて自分の損得で測りしれるような単純なものでもないですしね。 なので、損するとかそんなことを考えないで得にならない面白そうだと思うことを大人もどんどんやっていったほうがいいですね。 むしろ、損をしてでもやってみたいと強く思う所に夢や希望といった、ちょっと言葉にすると恥ずかしいですが、何か楽しい未来があるような気がします。 何か面白そうだからやってみた、というような一見能天気な大人がいてもいいと思うのです。 それで始めたことが例え失敗だろうが上手くいかなかっただろうが楽しそうにしていたら、子どもたちも大人になるのも悪くないなって思うんじゃないでしょうか。 間尺に合わないとは、損得勘定をした場合、割に合わないことを言います。また、努力に見合うだけの利益の無いことも言います。 間尺とは、何を表すのでしょう。間尺というのは、建物や家具の寸法の単位です。「間」と「尺」の事を表します。間はけんという単位のことです。大工さんなどは今でも一間、二間などと間口の幅を言ったりします。 間尺に合わないということは、本来は寸法が合わないと言うことなのです。これが、転じて計算が合わないと言う意味になり、更に割に合わないという意味に用いられるようになりました。 今では余り使われない寸法の単位を使った言い回しですが、現代でもこの言葉だけはまだまだ使われています。 例えば、彼が成功すると思ってお金を融通したのに、あんな大失敗をするなんて、全く間尺に合わないよ、などと使います。また、自分の時間も惜しんでしっかり仕事をこなしたのに、昇級試験では全く評価されなかった場合なども、間尺が合わないということでしょう。何かをするときに、その結果に期待ばかりして行動するのもいかがなものかと思いますが、やはり人間の行動には利益がなくては淋しいものです。間尺があわないような努力は極力しない方が無難です。

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骨折り損のくたびれ儲け

【漢字】骨折り損のくたびれ儲け 【読み】ほねおりぞんのくたびれもうけ 【意味】努力の甲斐もなく疲れただけが残り効果がない。 【例文1】ダイエットにと毎日ジョギングをしているが、骨折り損のくたびれ儲け。 【例文2】あちこち探し回ったが、どこも売り切れで骨折り損のくたびれ儲け。 【例文3】忙しく働いているが、収入が低く骨折り損のくたびれ儲け。 骨折り損のくたびれ儲けとは努力はしてみたものの、効果が表れないことです。 むなしいですよね。 私は小学校のころから痩せ型で間食をしようが、夜遅くに食事を摂ろうが全く太りません。157cm48キロを20年間維持しています。というか気にした事がありません。食べたい時に食べたい物を食べるのが私のスタイルです。 しかし、40歳を過ぎたころから体重に変化はありませんが、どうやら体系に変化が出てきました。いわゆるぽっこりお腹です。会社の健康診断で体重は変わっていなかったものの、胴衣が70cmあった事にショックを隠しきれませんでした。 それから私は人生初ともいえるお腹に巻く矯正ベルトを通販で買ってみました。 寝るときになんだかリラックスできないので3日坊主と言わず2日でやめました。 次は床に置かれた回転盤に乗り、洗いものやテレビを見ながら腰をひねる運動器具を安くで買いました。1週間試してますが、なんだか効果も全く見えてこないのでテンションも上がりません。よくお昼のテレビショッピングでプルプルゼリーの宣伝をしていますね。手軽で簡単そうだと思ったのでさっそくお試し価格で頼んでみました。味がいまいちで長続きできそうにもありません。結局お金ばかりかかって骨折り損のくたびれ儲けみたいです・・トホホ。 下の子が公立幼稚園に通っているため、週末の早朝に少しアルバイトをしているだけで、ほぼ専業主婦の状態で、なんとか隙間時間を生かしてできる仕事はないかと毎日のように仕事を探していました。同じ幼稚園にこどもを通わせているママが内職をされていて、しかも小学校のPTAの役員もこなされ、プライベートもきちんと楽しんでおられる様子を見て、羨ましくなり、内職の仕事を紹介してもらうことにしました。自分が不器用なことはある程度わかっていたのですが、実際に始めてみると、かなり時間がかかってしまい、時給に換算すると、ひどい時は20円くらいのことも…。しかも当然ながら期日があり、睡眠時間を削り、何とか間に合わせるような状況になってしまいました。しかも仕事はいつ入るかわからず、友達と会う約束もできず、携帯電話が鳴るたびにビクビクしていました。休日、3食主人に作ってもらったり、こどもの世話もさせてしまっていたので、主人にもやめるよう言われていたのですが、いつか早くこなせるようになるのではないかと夢を見て、月収1万円にも満たないのに、正に身を削って続けていました。しかし、睡眠時間が4時間以下の日々が続き、夢が叶う前についに体調を壊してしまいました。しかも、時期は年末で、病院での診断は肺炎でした。普段休日に行っているアルバイトは年末年始も入れていたのに、全て休むはめになり、肺炎なので、レントゲン検査も受け、逃したアルバイト代と病院代を合わせると数万円の損になってしまいました。当然、内職はその後辞めましたが、老眼が進行してしまい、体調もなかなか戻らず、これを骨折り損のくたびれ儲けと言わず、何と言えるか私にはわかりません。

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不惜身命

【漢字】不惜身命 【読み】ふしゃくしんみょう 【意味】体を張って命を捧げることも惜しまず尽くす。 【例文1】不惜身命の覚悟でプロポーズする。 【例文2】不惜身命で家族を守る。 【例文3】我が子のためなら不惜身命だ。 「不惜身命」という四文字熟語をご存知でしょうか?あまり日常的に使う言葉ではないので聞いたことも無いという方も多いことでしょう。これは「ふしゃくしんみょう」と読みます。「不惜」とは惜しまないことを意味してきます。トータルの意味は「自らの身命をかえりみない心構えと態度」です。穏やかでないように感じますが、この言葉は仏教用語から来ています。本来は仏教の道を歩む者が身命を躊躇わずに修行に臨むことを意味していました。勿論現代でも使える言葉です。例文をあげてみましょう。「不惜身命とまではとても言えないが、諦めてはいけない、最後までやり遂げようという気持ちはありました」「高僧と呼ばれる人達の中ではその道を究める為に不惜身命で厳しい修行をやり遂げたと聞いています」などと使うことが出来ます。 昔の言葉のようですが、現在でも千日回峰行などの修行を行う僧がおられます。途中で諦めるときは自害する為に短剣と埋葬料10万円を持ち込むというのですから、今でも正に不惜身命で臨んでいる事だと思います。一般の人達には考えられない世界ですが、不惜身命で行うことがあるというのはとても幸せな事なのかもしれません。

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