tedukurikotoba (2563)

目が早い

【漢字】目が早い 【読み】めがはやい 【意味】素早く気が付く。 【例文1】新作ブランド品には目が早い。 【例文2】セール品情報に目が早い。 【例文3】洞察力が鋭く目が早い。 例えば、アニメ作品の原作を連載開始から期待していたファンの方は先見性があり、世の名で流行る前、メディアで露出が少ない時から作品の良さに気づいていた方は素晴らしいと思うのです。ファン人口が少ない以前からのファンだった方は、いち早く良さに気づいた「目が早い」人たちであり、そういった方々のおかげでアニメ化や映画化がされます。 何か面白いことを見つけることに才能がある方がいます。そして面白さが世間に広まると、またそういった要素を探しまわる性分の人たちなど、コンテンツを充実させるために不可欠な人種です。 よくアニメ化した作品で、アニメを観てからファンになった方たちが、自分たちの居場所を確保するために新規で入ってくるファンを厳選することがあります。新規ファンが増えれば増えるほどそうした現象が起こり、最初から作品が好きだった「目が早い」ひとたちがコンテンツから去ってしまうのです。 「目が早い」人たちは先見性を持ちますが、コンテンツの去り時や面白さの寿命を把握するのも「目が早い」ですね。面白いことを見つけることが上手ですから、新しいコンテンツを探せば良いだけなのです。 その流れは興味深く、ビジネスで何か活用できないかと考えてしまします。 幼少期からなんでも、コレと決めたものはすぐに手に取り自分の物にしていた。単純に他の人に取られるのが気に食わなかったからです。そんな様子を見ていた母親は「目が早いね」などと私を揶揄しました。小さな私は意味がわからなかったが、とにかく目ざとく欲しい物を手に入れ続け、大人になりました。流行の化粧品、服、有名人・・・せわしなく回る毎日の中で、次々新しいものが生まれ、目が早いと言われながら生きてきた私はある時気づいてしまいました。世界中の大多数が支持しているからといって、なんとなく意思もなく流れに沿って手にしているものもあると。感性を研ぎ澄ませて、さまざまな変化に気づいているからこそ見つけ出すのも早いのです。だがその反面で、自分が本当にいいと思ったものを選び切れていない事実もありました。とりあえず、本能的に選ぶというのが私の性分です。ある程度歳をとり感じているのは、何もそれほど躍起になって「いいもの」を手に取る必要は無いということです。それが本当に自分にとって必要なものならば、取られまいと必死にならなくたって巡り会えるし、時には手に入れることだってできるはずです。新しいものが取り入れられることが美徳で、古き良きものが淘汰されゆくのは、そういった感性が充満しているという面もあるからのように思えます。

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胸が一杯になる

【漢字】胸が一杯になる 【読み】むねがいっぱいになる 【意味】嬉しさや感動を強く感じる。 【例文1】子どもの卒業式で胸が一杯になる。 【例文2】立派に成人した我が子を見て胸が一杯になる。 【例文3】周囲に助けられている事に胸が一杯になる。 若いころに東南アジアをバックパックを背負って一人旅をしていたことがあります。 あれはどこの国だったかもう忘れたが、ある国から別の国へ陸路で移動するときにバスを利用した時こ事です。 その国はとても貧しくて、普通の大人が一生懸命に働いても家族を養っていくのは難しいくらい貧しい国でした。 大人だけで間に合わなければ当然のように子どもたちも働くことになります。 私が利用したバスが発着する停車場には、いつも何人もの子どもが様々な売り物を手にして、彼らから見れば考えられないような金を持っているに違いない外国人旅行客に、あの手この手で商品を売りつけようとしています。 バスを待つ私のところに一人の小さな少年がやってきて、しきりに買え買えと言ってきました。 手に持っているものを見るとどこにでもありそうなガムです。 私はあまりガムは食べないのだが、安いものだし一つくらいはいいかと買ってみました。 その少年は礼を言ってすぐに立ち去ったのだが、ふと見ると少し離れたところで同じガムを手にもってこちらを見ている少女がいます。 同じガムは2つもいらないよと言いたかったのだが、それを伝える言葉が思い浮かびません。 しばらくして少女が諦めて立ち去りかけた時に、少女が自分よりももっと小さな妹を背負っているのが見えました。 気ままに外国を旅している自分に比べて、遊びたい盛りに妹の世話をしながら親を助けて仕事をしている少女ををみると、思わず胸がいっぱいになりました。 言葉は通じなかったけれど身振り手振りで買うことを伝えると、少女はとても 嬉しそうな顔をしました。 その笑顔を見るとまた胸がいっぱいになりました。 あの少女も今では母親になっているのかもしれない。 その子どももどこかの街角でガムを売っているかもしれないが、幸せであればいいと思ってます。 2月にあった我が子の幼稚園の発表会でまさしく胸が一杯になる思いをしました。遡ること1ヶ月ほど前の年明けに、年長の今年は歌に合奏に劇と盛り沢山の内容になると聞きました。正直それを聞いた時、去年の歌とタンバリンだけでも必死だったのに大丈夫かなぁと思いました。 それから毎日練習が続き、家に帰ってからも歌を口づさんだり「〇〇役になった!」と言ってセリフを練習していました。 ですがやはりなかなか上手くいかないようで、「練習もう嫌やなあ」とか「出来るようになるんかなあ」などと弱音を吐く日もあり、園児にはちょっと詰め込み過ぎではないのかなあとお友達のママ同士でも心配する声が上がっていました。 そして迎えた本番の日。 園に向かい、発表会が始まる前からカメラを片手にドキドキして待ちました。成功するのか、多くの保護者の方がまだ半信半疑のようでした。 ついに始まりました。 まずは合奏です。ピアニカ、タンバリン、木琴、シンバルなどみんながそれぞれの楽器を巧みに操っていて、よく覚えたなぁとそれだけで胸が一杯になりました。 次は歌です。当たり前ですがカンペも無い中、間違えることなく大きな声で自信を持ってみんなが歌えていました。 そして劇になりました。そろそろ疲れも出てくるだろうに、一人もセリフを間違えずに役になりきっていて感動しました。 すべてが終わったあと、胸が一杯で泣いているママもいたのですが、心配していたのは親ばかりで、子どもたちは立派に発表会をやり遂げて笑顔でした。 たくましく成長した姿に、とても感動した発表会でした。

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遠水近火を救わず

【漢字】遠水近火を救わず 【読み】えんすいはきんかをすくわず 【意味】 【例文】 「遠水近火を救わず」という言葉は、遠くの水では近くの火事の火を消すことができない、ということから、遠くの親類は近くの他人に及ばない、という意味で用いられます。一人暮らしで感じた「遠水近火を救わず」の重み "「遠水近火を救わず」という言葉は、遠くの水では近くの火事の火を消すことができない、ということから、遠くの親類は近くの他人に及ばない、という意味で用いられます。類義語として、「遠くの親戚より近くの他人」という言葉が有名ですよね。 私には以前、これを痛感した出来事がありました。私の住んでいる地域は豪雪地帯で、毎年除雪作業に大忙しです。しかし、一人暮らしを始めた時は、その作業に苦戦してばかりでした。今までは家族が雪かきをほとんど行ってくれたため、そこまで負担は感じなかったのですが、その終わりのないような除雪作業は慣れない私にとって、とても厳しいものだったのです。 そうした時に救いの手を差しのべてくれたのが、近くに住むおじいさんでした。雪かきに苦戦する私を見るに見かねて、自分の家そっちのけで私の除雪作業を手伝ってくれたのです。さらにはタイヤが雪で埋まってしまった時も、脱出するために後ろから押してくれて、感謝の気持ちでいっぱいでした。 改めて地域の輪を重んじることの大切さを思う瞬間でもありました。まさに「遠水近火を救わず」という言葉を体で感じました。 その後もそのおじいさんには事あるごとに助けられています。

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待ちに待った

【漢字】待ちに待った 【読み】まちにまった 【意味】ずっと心待ちにしている様子。 【例文1】明日は待ちに待った卒業旅行だ。 【例文2】明日は待ちに待った娘の結婚式で眠れない。 【例文3】待ちに待った待望の男の子誕生に歓喜する。 一ヶ月も二ヶ月も前から友人と計画してきた旅行が二日後に迫ってきました。待ちに待った旅行です。観光業に携わる私は普段から色んな観光地に出かけているが、やはり娯楽として旅行に出かけるのは特別です。仕事ではセーブされている財布の紐もゆるゆるになるし、より一層開放感を味わえます。何を食べようか、何を見ようか・・・・・・パンフレット片手に思いをはせます。観光地に疎い友人は申し訳なさそうに、予定の組み立てを私に任せてきますが、頼られるのが好きな私は張り切って予定を組み立ててます。今回旅をするのは神戸と京都です。神戸では去年からずっとドレスが着たいと話していたので、西洋のドレスを着て撮影ができる場所へと出向きます。宿泊施設も安く押さえる事ができました。ホームページを見る限りではロマンチックなドレスが数多く取り揃えられていそうなので、今から楽しみです。そして夕方以降は夜の神戸でお酒を飲みながら美味しい食事をとる予定です。京都では浴衣を着て、趣ある京の街並みを散歩します。京都らしく、お抹茶を飲むのもいいねなどと話しています。毎日仕事に明け暮れて、ストレスを背負う中で楽しみとしていた日が、もうすぐやってきます。待ちわびていた日が、あともう少しで訪れると思うと楽しみで胸がいっぱいです。 私は四年前に旅行先で山に登ってから登山が趣味になりました。山が好きになり、いろいろ山のことを調べているうちに、ひとつの山に憧れるようになりました。その山は槍ヶ岳という山です。槍ヶ岳は標高3180mあり、鋭角な槍のような形をした山です。山のことを知っていない人にもそのシルエットはとてもわかりやすい形をしています。山頂直下は垂直な長いはしごを登ったり、ごつごつの岩肌をクライムする少し度胸と技術のいる山です。いつかあの山を登りたい。そんな思いを抱くようになりましたが、今の私はまだ経験が浅く、槍ヶ岳に挑むのは危険すぎる。と思い、経験を積んでいつか槍ヶ岳に登るぞという思いを胸に私は経験値をあげるためにたくさんの山に登りました。どんな山に登っていても思うのは槍ヶ岳のこと。早く槍ヶ岳に登りたいと待ち焦がれながらの日々でした。槍ヶ岳に憧れを抱いてから約三年。私は待ちに待った槍ヶ岳に登ることになりました。気持ちが高ぶり、その姿を目の前にしたときは感動で涙がでそうになりました。無事に登頂できたとき私の心は達成感や満足感でいっぱいになりました。山頂から見える景色は抜群で、山小屋で食べるカップラーメンも格別でした。約三年間、待ちに待ったかいがった槍ヶ岳登山でした。そして改めて登山をしていてよかったと思えた思い出でした。

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骨身を惜しまず

【漢字】骨身を惜しまず 【読み】ほねみをおしまず 【意味】苦労や面倒を嫌がらず、一生懸命になる。 【例文1】家族のためなら骨身を惜しまず。 【例文2】骨身を惜しまず働いてくれた親を温泉に連れて行く。 【例文3】30を過ぎて婚活に骨身を惜しまず。 骨身を惜しまずを常に相手に与えるように心がけています。人間は一人では生きていけません。常に誰かにさえられながら、また相手を支えながら生きています。家庭、職場友人関係、どれをとっても持ちつ持たれつで生きているのです。自分は勘違いしていることがありました。一つの仕事を一生懸命頑張っていていざ仕事を終えた。しかしその仕事は自分でやり遂げたと思っていましたが、骨身を惜しまずやったことが実はまわりの皆さんに支えながらやり遂げていたのです。人間は骨身を惜しまず自分でやったとともすれば勘違いをしていますが、骨身を惜しまずやったことを自分だけでやったと捉えず常に感謝の心を持って生きていくことが大事だと思います。骨身を惜しまずというのは自分一人で頑張るという捉え方では駄目だと思います。だから自分は常に相手のことを考えて骨身を惜しまず奉仕しています。そうすることで仕事もスムーズに進みますし、家庭も円満になりますし、友達とも良好な関係を保てると思います。骨身を惜しまず、相手のことを常に考えて行動していれば、まわりにいる関わる人たちが今度は自分のために骨身を惜しまず助けてくれるのです。そうした循環で人間社会は成り立っていると思います。

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