tedukurikotoba (2563)

学問に王道なし

【漢字】学問に王道なし 【読み】がくもんにおうどうなし 【意味】学問は日々の努力であり、手っ取り早くできる方法など無いという意味。 【例文1】学問に王道はなしだから、小学校の時から予習・復習は毎日続けている。 【例文2】学問に王道なしを心がける。 【例文3】明日のテストで良い点取りたいなんて学問に王道なしだ。 勉強をするのは大変です。たとえ好きな学問を勉強するにしても、時間や労力を割くのは仕方ありませんね。特に社会人であれば普段は仕事をしているため、勉強する時間をつくるのも一苦労でしょう。そのため早めに効果が出るような勉強法を探して、それを実践してみようとする人も少なくないと思います。 ですが学問に王道なしといったように、何かを学ぶ際に近道はありません。地道な努力が必要となります。数時間前に勉強したことなら、翌日になってもまだ覚えているかもしれません。しかし本当にその学問を身につけたいのであれば、一朝一夕のような勉強法ではなく、むしろ地道な努力の積み重ねが必要となるでしょう。何度も繰り返し学ぶことで、学習した内容が記憶されていきます。繰り返していくうちに、学問の基礎を理解できるようになり、やがては学んだ学問を応用することだってできるでしょう。一朝一夕の勉強では、応用力までは身につかないと考えられます。 もし本気で自分の糧にしたい学問があるなら、早く効果が出る勉強法ではなく、努力を積み重ねる勉強法を行った方が良いです。よほどの天才でない限り、大変ですが普通の人はたくさんの努力をして勉強をしていくことをおすすめしますよ。

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小田原評定

【漢字】小田原評定 【読み】おだわらひょうじょう 【意味】いくら話し合っても長引いて結論がでない。 【例文1】これ以上彼と話し合っても小田原評定だ。 【例文2】君と議論しても小田原評定だ。 【例文3】小田原評定で会議が長引く。 驚くべきことに戦国時代の北条氏は月に2回の重臣会議で諸事を決定する合議制を取っていたそうです。 ことわざとしての小田原評定は、長い時間かけても結論が出ない虚しい議論ですが、北条氏の結束力をみれば十分機能していたようにも思えます。 ただし、有効なのは緊急性がない十分な議論が可能な場合に限られるようです。 政策や経済であれば中間的な方針もありですが、戦闘にあっては中途半端な策は大抵が下策と評されます。 歴史で小田原評定と呼ばれるのは、天正10年(西暦1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐に対してどのように応ずるかを議論したときの話です。 籠城するか出撃するかでまずひと悶着あり、包囲された後では降伏するか決戦するかで議論があったようです。 結局、長い議論や抗戦も虚しく北条氏は滅亡してしまいます。 北条氏とは関係ないですが、小田原といえば小田原提灯が思い浮かびます。 お猿のかごやの歌詞に出てくる、折りたたみ式で携帯しやすい円筒形の提灯です。 小田原提灯が出来たのは江戸時代の中ごろと言われますが、それでも数百年以上の歴史があるのですから大したものです。 議論などと言うものはその場で考えるものではなく意見を取捨選択するべきで、時間で作られるものは小田原提灯のような文化価値だけで十分です。 と、無理矢理に話しを締めくくることをお許しください。 「小田原評定」という言葉は元々は戦国時代、関東の雄の北条氏由来の言葉です。この戦国大名北条氏は非常に民政家として有名であり一例としては税金は四公六民だったと言われています。つまり6割は自分達で作った農作物を自分達のモノに出来たという事です。現代の感覚だと「税率40%!?高すぎる!」と思うだろうが、戦国時代の税金としては破格の安さなです。税率半分の五公五民でも善政と言われ過酷な場所では六公四民やもっと重い税率も普通に罷り通っていました。そんな善政を敷いた北条氏が大名家としての方針を決める時はどうしていたか、家臣達と合議して決めていたのです。家臣達も自分の意見が反映されるという事で盛んに意見を出し合っていたと予想されます。今風に言うなら遣り甲斐のある職場だと思います。下剋上や一揆が頻発する戦国時代でありながら北条氏は大国であるに関わらず他の大名家に比べそれらの話は驚くほど少ないです。そんな北条氏の政治体制を表す言葉の一つが「小田原評定」です。そう、決して悪い意味の言葉では無かったはずなに。この言葉がネガティブな意味の熟語になってしまったのは豊臣秀吉の小田原征伐の事です。先に書いたとおり北条氏の方針を決める時は合議制、国のトップの大名が「こうします!」と考えていても簡単に決定は出来ません。合議ではどう戦うか、降伏するかなど意見が分かれてしまい方針が定まらずに結果、秀吉にそのまま滅ばされてしまったのです。この出来事で「小田原評定」という言葉が「一向に結論がでない会議や評議」という意味の故事として使われるようになったと言われています。現代でも政治家達の議論が進まずにぐだぐだしている様子などをこの言葉で例えられる事があります。勿論それはポジティブな意味合いで使われている訳ではありません。民政家であった北条氏を象徴するような言葉「小田原評定」それがこのような意味合いで使われるようになるとは皮肉なものです。

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腕に縒りを掛ける

【漢字】腕に縒りを掛ける 【読み】うでによりをかける 【意味】腕前を発揮しようと張り切る様子。 【例文1】合格祝いで、腕に縒りを掛けてごちそうを作る。 【例文2】息子が恋人を連れて来るので、腕に縒りを掛けておもてなしをする。 【例文3】腕に縒りを掛けて誕生日ケーキを作る。 「今度お客様がいらっしゃるから、腕に縒りをかけてご馳走を作って、おもてなししなければ」よくこんな表現が使われます。 「腕に縒りをかける」という言葉は、自分が何かについて自信を持つほどの腕前を持っているとき、その実力を十分に発揮する、という意味です。 しかし、そもそもこの「縒りをかける」というのは、そもそもどういう意味なのでしょう。 「縒り」とは、もともとは糸をねじり合わせることです。 糸はそのままでしたら弱い糸のままですが、何本かを一緒にねじり合わせることで強度を増し、丈夫な一本の糸になることができます。 弱い糸を、まとめて縒り合わせねじり合わせることは手間ひまがかかりますが、その手間をかけることで丈夫な糸を作り出すのです。 つまり、自分の力を示すため、手間暇をかけて実力を発揮するというほどの意味になります。 上記のように「腕に縒りをかけて・・・」という言葉は、お料理を作るときなどによく使われますが、大事な誰かをもてなすために、自分の持てる力を出し切って料理をする、という行為はとても美しいものですね。 自分がそうされたら嬉しいものですし、逆に誰かをもてなすときにも、このような心構えを大事にしたいものです。

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異口同音

【漢字】異口同音 【読み】いくどうおん 【意味】多くの人が口をそろえて同じ事を言う。 【例文1】彼女は賢いと異口同音の声を聞く。 【例文2】異口同音で賛成を得る。 【例文3】異口同音で称賛する。 何か話し合いをしていて、どうしても議論がまとまらない場合は、最終的に多数決をとることもあると思います。そしてそのときに決定された案は、他の案よりも僅差で票数を得られたものもあれば、大差をつけられて票数を獲得できたものもあるでしょう。ですが異口同音の案だからといえども、その案が必ずしも正しいとはいえません。 歴史上に名を遺した偉人というのは、その偉人が生きていた頃に既に評価を得ていた人もいますし、反対に生前は批評されてばかりで、死後にようやく再評価がされたという人もいます。死後に良い評価を得られた人物というのは、生きていた頃は『大多数から』悪いものだと思われていた人だっているのです。特に中世の西洋では、科学の分野においては国の思想と噛み合わないこともあったため、現代の科学からすれば大発見と言えるようなことであっても、中世の当時では多くの人から忌避されていたものもあります。 このことから、たとえ異口同音に悪評を得ていたといても、それが決して正しい結論とは言えないことが分かります。たとえ大多数の人が同じ意見を言っていたとしても、よく検証してみれば、異なる結果が出てくるかもしれません。大多数に左右されるのではなく、何事も自分の目で確かめてみるのが良いのではないでしょうか。

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明けても暮れても

【漢字】明けても暮れても 【読み】あけてもくれても 【意味】年が明けようが日が暮れようがずっと続けている。 【例文1】明けても暮れてもスマホをいじる。 【例文2】明けても暮れても育児と家事に追われる。 【例文3】明けても暮れても恋人の事を想う。 変わらないものがあるのは大切だと思います。ときには気分転換に、いつもと変わったことをする日があっても良いでしょうが、明けても暮れても変わらないものがあるのは大事であると感じます。 仮にですが、ほとんど毎日のように遊んでいた友達が、突然海外へ行ってしまったりすると非常に悲しい気持ちになりますね。それに些細なことがきっかけで恋人と別れてしまうことも、喪失感を拭うには時間がかかることでしょう。このように『いつもあった変わらないもの』の大切さは、それが無くなってから初めて気が付くことが多いと思います。無論これと同じことを、色んな場所でたくさんの人が主張していることでしょうが、そういった話を聞いていても不思議なことに『自分とは関係ない話』だと思い込んでしまいがちなのが人間です。 なぜ人は明けても暮れても変わらないものの大切さを、失ってからではないと気付けないのでしょうか。それはおそらく、現状に満足しているとか、自分にそのようなことが起こるわけないのだと、高をくくっているからのように感じます。生きていると何が起こるか分からないのが人生なのに、それに気付けないとは不思議なものです。

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