tedukurikotoba (2563)

毒を食らわば皿まで

【漢字】毒を食らわば皿まで 【読み】どくをくらわばさらまで 【意味】毒が入った料理を食べてしまい、どうせ死ぬのなら皿まで舐めても同じ事だと開き直り悪事をそのまま続ける。 【例文1】もうこうなったら毒を食らわば皿までと開き直る。 【例文2】毒を食らわば皿までと罪を重ねる。 【例文2】毒を食らわば皿までと捕まるまでスリルを味わう。 「毒を食らわば皿まで」とは、悪事に手を染めてしまった以上は、もう戻ることはできないのでどこまでもそれに徹してやろう、どうせなら最後までやり通してやろうといったことのたとえです。 このことわざは、毒を食べてしまった以上はもう死ぬしかないのだから、どうせなら皿まで舐めてしまおうと言ったことから生まれたとされています。 毒を食らわば皿までと似たことわざとして「尾を踏まば頭まで」ということわざもあります。これは獣の尾を踏めば噛まれるかもしれないから同じ噛まれるのであればいっそのこと頭まで踏んでしまえというたとえです。 どちらも開き直った時に使うようなことわざですね。 悪い事を戒めることわざは多いですが、悪い事を進めることわざは珍しいです。しかしこの悪い事の悪には程度の違いもあります。この場合は悪の基準が難しく、中には「必要な悪」というものもあるぐらいですので、全てにおいて悪いことわざとも言えないと思います。 どちらにせよ誰もが悪だと思うものに対して、毒を食らわば皿までといった悪を進めるようなことわざがあるとは言え、開き直りやり通すようなことはあってはありませんので、限度をしっかり見極めることが大切ですね。 食器自体を食べてしまうのではなく、皿の上の料理を全て食べてしまう様子を表現しているようです。 皿の表面が見えるまでねぶり食べつくすを略して、毒を食らわば皿までなのでしょう。 そもそも皿を食べている状況など想像の及ぶところではありません。 大抵の皿は陶器、割って噛み砕いたとして口の中は傷だらけ、飲み込むことなど絶対不可能です。 魚の骨が喉に刺さったくらいでも激痛がはしるのですから、試してみるまでもないでしょう。 毒が入った料理を皿ごとバリバリと食べる様子、ちょっと想像してみましたが出来の悪いホラー作品のような狂気を感じます。 意味としては、「一旦悪事に手を染めてしまったなら後はもう悪の道を突き進むしかない」という何とも救いのない言葉です。 しかし、長い一生で一度も過ちを犯さない人間など稀ですし、悔い改めて罪を償い更正した人は大勢います。 好き好んで毒皿を平らげるような人間がいないように、最初から根っからの悪人など存在しないものと信じたいです。 まず大切なのは最初の一歩目で悪の道に入るのを拒むことです。 そして一旦足を踏み込んでも改心してやり直そうとする心が残っていれば、更正することは必ず出来ます。 良心の欠片でも残っているうちに思い直すことができることを切に願います。

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手に汗を握る

【漢字】手に汗を握る 【読み】てにあせをにぎる 【意味】興奮や緊張した場面でハラハラする様子。 【例文1】手に汗を握る思いでPKを観戦する。 【例文2】彼女に告白した時は手に汗を握る。 【例文3】手に汗を握る思いで返事を待つ。 私の家の近くの高校が、高校野球の県大会の決勝まで勝ち残りました。 高校野球が大好きな父は、まるで自分の子がこの高校で野球をしているかのような喜び方をしたのです。 私としても地元の高校が決勝まで進んだのは嬉しかったですから、父と一緒に喜びを分かち合いました。 それで私と父は、決勝大会を球場で応援する事にしました。 そしていよいよ試合が始まり、順調に地元の高校が点を重ねて行きました。 これなら大丈夫と思い、私と父は安心して試合を見ていたのです。 ですが最終回、相手の高校の猛攻に合い、一点差まで迫られてしまったのです。 楽勝と思われていた試合が、どちらに転んでも分からない展開となり、私と父は思わず手に汗を握る事となったのです。 一点差まで迫られた後、二人を三振にして、ツーアウトまでこぎつけました。 すると私が座っていた観客席から、あと一人コールが始まったのでです。 私も父もそれに乗じて、「あとひとり、あとひとり」と大声で言いました。 そしてやっと、ツーストライクまで来ました。 するとあと一人コールがあと一球コールに変わり、応援に力が入りだしたのです。 その応援がピッチャーに届いたのか、無事三振を取って試合終了となりました。 こうして手に汗を握る攻防は、良い結果を迎えたのです。 残念ながら甲子園では一回戦で負けてしまいましたが、なかなか味わえないいい経験をさせてもらいました。 スポーツ観戦はテレビ放送で見る程度です。相撲の本場所やサッカーや野球の決勝戦など話題性のある試合は何はともあれ見ることにしています。 最近の相撲は勝負への執念がそこかしこで見受けられ楽しいのですが、勝敗に執着するあまりに取り組みが奇策や奇襲に終始して白熱した勝負が少ないように感じます。 取り組み開始と同時に大きく避けたり、うっちゃりやとったりなどの小技で切り抜けることで勝ち星を拾うなど観客は誰も期待していません。 奇策を実行するにもそれなりの技術や練習があってのことなのでしょうけれど、力士同士の勝負にいらぬ小細工を持ち込んできても見苦しいだけです。 真正面からドカンとぶつかり、ガッシリ組合い、あらん限りの力で相手に勝つ様を見たいと考えてしまうのは贅沢なのでしょうか。 手に汗を握るどころか勝負が熱を帯びる以前の段階であっけなく勝敗が決してしまうと思わず金返せと言いたくなります。 実際には受信料程度しか払っていないので文句もつけられませんが、わざわざ足を運んで席料を払った観客からすれば相応の取り組みを見せてくれと言いたくなるはずです。 常に四つに組んで取り組めとまで注文はつけませんが、試合内容の如何によっては給金の昇級降級などがあっても良いと思うのです。 人気力士の取り組みにはそれくらいの期待がされていることを知っておいて欲しいです。 スポーツとは実に面白いし時に手に汗を握る展開になるのが醍醐味です。高校野球の時期になりました。選手達は負けたら高校生活の部活が終わるわけです。皆手に汗を握って球を追いかけ打って走ってのどの試合を見ていても手に汗を握る展開です。球児達が全身全霊を尽くして頑張っている姿が、手に汗を握る展開になるのでしょう。大相撲を見ていると優勝決定戦、横綱同士の相星決戦まさに観客の皆さんが手に汗を握って見守っています。見ている側も最高潮に興奮、緊張しています。私は手に汗を握る場面は?と聞かれるとやはりスポーツが一番頭に浮かびます。スポーツだけではありません。最近は中学生の将棋のプロが誕生して初戦からの連勝記録を達成しました。将棋の駆け引きなどを見ているとやはり手に汗を握る展開になります。手に汗を握るということはあることに対して自分がのめり込んで、一種の興奮状態や緊張状態を強いられることではないでしょうか。日常生活でも仕事や遊びなど色々な場面で手に汗を握ることがあります。手に汗を握ることをたくさん経験することにより感情のメリハリも形成されて行くのではないでしょうか。特に子どもたちにはそのような手に汗を握る展開を多く経験させてあげたほうがよいと思います。

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帳尻を合わせる

【漢字】帳尻を合わせる 【読み】ちょうじりをあわせる 【意味】マイナスが出て収入と支出が合うように調整する。物事に矛盾がないようにつじつまを合わせる。 【例文1】監査が入る前に帳尻を合わせる。 【例文2】接待費と偽って帳尻を合わせる。 【例文3】帳尻を合わせるために自腹で出す。 帳尻を合わせるっていうのは、収入と支出が合うようにするという意味と最終的につじつまが合うようにするという意味があります。 収入と支出がきっちり管理できる人というのは凄いなと思います。 私は数字に弱く家計簿すらつけれず、うっかり支出が多くなってしまうこともあるので、会計士さんとか税理士さんとか数字のプロには頭が下がります。 話はちょっと変わりますが最近、政治でよくわからないことがありますよね。 記憶がないとか、その人とは会っていませんとか言いつつも証拠が出てくると話が二転三転しているのをテレビで見ます。 帳尻が全然あっていなくて、それってつまり嘘に嘘を重ねているということですよね。 幼稚園児でも、嘘に嘘を重ねることはよくないですよと知っているのに、立派な大人がどういうことなんでしょうと首をかしげてしまいます。 やはり、つじつまが合わない話というのは聞いていても不自然さや、何かわからないけど気持ち悪さがありますよね。 もっと、見ていて気持ちがいい大人であったり応援したいとか、この人に大事な仕事を任せたいと思えるような大人が増えればいいですよね。 私も大人の一人として、醜くないように頑張らなくちゃいけないなと思います。 収入と支出が合うようにすること、つじつまをあわせることの意。 どちらかといえば、ネガティブなイメージを持つ言葉です。支出に対して収入が合っていないあときに、無理やり合わせるといったところ、強引なつじつま合わせが必要となります。その強引さは本来であれば避けたいものです。帳尻合わせをするはめにならないように注意をしましょう。 しかし、帳尻を合わせることは何も悪いことばかりではないはずです。帳尻を合わせることができたということは、その物事の問題を解消できたということ。多少強引な解釈ではありますが、そのようにポジティブに捉えてもいいのではないでしょうか。 このように、同じ意味でも言葉には正と負の両面の意味が垣間見えます。時と場合によって使い分けるべきですが、どちらかというと、ポジティブな意で使いたいものです。他を咎める言葉ばかり使っても気持ちよくありませんからね。言葉は人と人の間で成り立つもの、嘘や世事に塗れた言葉の応酬も空虚なものですが、悪意に塗れた言葉の応酬も悲しいものです。必要なのはバランスではないでしょうか。ポジティブとネガティブ、正と負、そのよきバランスが人の会話には必要なものなのだと思います。

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他山の石

【漢字】他山の石 【読み】たざんのいし 【意味】他人の失敗は自分を向上させるのに役に立つ。 【例文1】事業拡張の失敗を他山の石とする。 【例文2】他山の石を教訓とする。 【例文3】他山の石からヒントを得る。 『他山の石』とは他人の大きな失敗を他人事として傍観せず、それを自らの教訓として今後の仕事や人生に生かしていく事を意味します。似たような表現に反面教師という言葉もあります。 私達は仕事や日々の生活の中で、事あるごとに何かに失敗し、そして壁にぶつかります。失敗を糧としなさいと経験のある大人に言われたり、哲学書や経営書にもそう記してあるのですが、余程の強靭な精神の持ち主でない限り、やはり自分の犯した失敗にまずは打ちのめされ、その精神を回復させるのに相当な時間を費やしてしまうでしょう。つまり自分の経験による教訓というのは、それなりの精神エネルギーを必要とし、なかなか骨の折れる思いをします。 一方で私達は周りの人々の失敗もしばしば目にします。その際に私達は他人事として無関心を決め込んだり、内心その人の事をバカにしていたりして、何かしらの優越感を感じている事でしょう。 しかし他人の失敗を他人事として片付けるのは余りに勿体ないと思います。なぜなら、自分の意識次第で自分自身が何も傷つかずに物事の勉強をできる機会となるからです。ただ個人的に強く思うのは、他人の失敗を他山の石とする際には、その失敗した人に敬意を払う事を忘れてはいけないと思います。 最近、芸能人に限らず、色々な世界の有名人が過去の過ちや失敗について語る番組が大好評ですよね。ついつい、そういう番組にテレビのチャンネルを合わせてしまう自分がいます。 他人の失敗や不祥事に関することをご本人が詳しく説明し、それを観ている視聴者が自分自身の戒めにするというコンテンツであり、すごく評判の良い番組です。 ふと、この番組内容から連想する言葉や慣用句があります。それは「他山の石」(たざんのいし)という慣用句です。この慣用句の意味は、たとえ劣ったり、誤っている他人の言動の場合であっても、自分の反省材料になったり、知恵を磨いたりすることができるという意味です。この番組内容はまさに「他山の石」ではないでしょうか。「他山の石」よりポピュラーな言葉で「反面教師」や「人の振り見て我が振り直せ」という「他山の石」の類義語があります。 そもそも人間自体がミスする生き物であり、芸能人や有名人であっても人間なので、失敗や不祥事は付き物ではないでしょうか。そういう理由で、芸能人や有名人が過去にしてしまった失敗や不祥事をご本人の口で語ったり、説明する番組が増えてきたり、取り上げているのかもしれませんね。また、人間の深層心理で他人の失敗を喜んでしまう悪い習性がこういった番組の人気を呼んでいるのかもしれません。

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千載一遇

【漢字】千載一遇 【読み】せんざいいちぐう 【意味】千年に一回しかないくらい稀にみる好機。 【例文1】理想の女性に出会い千、載一遇のチャンスだったので、声を掛けた。 【例文2】千載一遇の確率で宝くじが当たった。 【例文3】千載一遇のチャンスに巡り会う。 千載一遇の載は歳を意味し、言葉全体の意味は「千年に一度あるかないかの好機」です。 人間が生きられるのは精々100年程度、西暦1000年から西暦2000年に至るまで一度くらいしか発生しない好機など観測できるでしょうか。 西暦1000年と言えば清少納言や紫式部がいた平安時代、歴史の記録も曖昧で統計も不確かに思われます。 災害であれば大規模地震による津波の形跡が1000前の地層にあったという話は聞きますが、チャンスが1000年に一度とか確率が低すぎます。 一日一回だけ引けるクジがあったとして、1000年に一度くらいで当たると言うことは36万5250分の一の確率です。 宝くじの一等当選確率1000万分の一から比べればまだマシなほうかも知れませんが、1人の人間で体験できる時間ではありません。 人生100年として計算しても当選確率は10人に1人以下、それも一生に一度きりです。 なんだか千載一遇の確率の低さを調べているうちに、宝くじの当選確率の低さに唖然とする結果になりました。 結局のところ、経験も努力も関係しない運だけでは好機をつかむことなど期待するだけ無駄と言うことなのでしょう。 果報は寝て待てといいますが、チャンスは自分の力で作るべきものなのです。

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