tedukurikotoba (2563)

的を射る

【漢字】的を射る 【読み】まとをいる 【意味】物事の要点を抑えている。 【例文1】的を射る発言をする。 【例文2】的を射る講義だ。 【例文3】的を射て説得させる。 これは僕が剣道の教育をしていた時の話です。人数も少なく、ぜんぜん勝てませんでした。そのとき教えた僕の初心者の生徒たちの顔を今でも覚えています。その当時、仕事の都合上、僕がメインをすることが多く、僕の先輩は少しサブメインでした。子どもたちの教育を変えて少し進化した教育をしたいと思うようになったんです。その教育がその当時の子どもたちに評判がよかったんです。僕を先生と慕ってくれたし、いわゆる魔法と少し近い教え方だったと思います。 その教育でやる気があって飽きない教育だったり、試合も活躍もそこそこだったり、子どもたちのやる気の出るような教育にしました。否定もそこそこで流動的な説明で子どもたちを引き出していい剣道をさせるという目的というのがしっかりできていたんだと当時を振り返ります。僕は教育上、暴力や体罰は全くない先生でした。剣道界ではそれを否定する先生が多かったんですが、そういわれても僕はそれでよかったと思うんです。 僕に体罰ふるって嫌われる先生はむいてないとそう思うわけです。人柄教育もあって仲間意識をしているので子どもの暴力があったときはそのときはしかったりもしていました。しかし僕が教育する時はそういった子どものケンカも少なかったと思います。割とやる気がある子どもたちじゃないかと思うことが多かったです。 的を射るとは、うまく目標に当てることから、転じて、うまく要点を掴むことを言います。うまく目標に当てるという状況としては、弓道で遠くにある的の真ん中に矢を射込む事を想像すれば良いでしょう。つまり、何事もその要点を的確に掴むことを言い表す言葉になりました。 例えば、ある学生が教授にずばりと的を射た質問をしたなどと使います。また、あの会社が開発した車は現代の人たちの必要とする的を射た物だというようにも使うことでしょう。しかし、好きな人のハートを射貫くことは的を射たとは言わないようです。ですが、プレゼントに関しては、的を射た物と言う言い方ができます。同じような言葉としては、正鵠を射るというものがあります。正鵠とは的のど真ん中を表しますから、同じ意味になります。 しかし、時々的を得るという言葉が使われることがあります。つまり、的の中心を射ているのだから、的を手に入れた、つまり得たのだという意見もありますが、これはまだ一般には認められていない言葉のようです。いくら、理由を述べて正解だと主張しても、受け入れられていない言葉なので、使わないことをオススメします。会社などで使った場合、問答無用で物知らずと判断されるかもしれませんから。

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ほらを吹く

【漢字】ほらを吹く 【読み】ほらをふく 【意味】ホラ貝は見た目以上に大きな音が出ることから大袈裟に言う。嘘を付く。 【例文1】ほらを吹いてばっかりなので、どの話も信じない。 【例文2】良い所を見せたくてほらを吹く。 【例文3】女性の前でほらを吹く。 ほらをふくと嘘をつくのは少し違うと思います。嘘つきというと言葉がきついですし悪いことという印象があります。一方ほらを吹くとは冗談ぽく大げさに言ってみたり、他人が困らない程度のでたらめな話をする感じがあります。ほらを吹くほうがまだ許される感じがします。 ほらを吹く人で真っ先に思い出す人がいます。自身のコンサートでもよくほらを吹いていた忌野清志郎さんです。この人が派手な服を着て、派手なメイクをしてほらを吹くそのすべてが自分自身に対する照れ隠しという感じで素敵でした。素顔はとてもシャイな方だったと聞いています。その反面原発問題や戦争に対することを発するときには逃げも隠れもせずに堂々とストレートに行っていました。本当にあと少しでも長生きして3・11後の日本を見て欲しかったです。そして福島の事故をもってしてもまた同じ轍を踏もうとしている日本に対して、歌い続けて欲しかったです。 忌野清志郎さんがどういった経緯でほらを吹くようになったのかは知りません。みんなが自分のことを過大評価すること、原発や戦争に対してアクションを取った時の周りの人のリアクションに対して「大袈裟なんだよ~ほらを吹いているのは僕の方だから~」なんて思っていたのかもしれません。

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筆を入れる

【漢字】筆を入れる 【読み】ふでをいれる 【意味】文章を直す。 【例文1】筆を入れる余地もない素晴らしい卒論だ。 【例文2】先生が筆を入れる。 【例文3】筆を入れてさらに良い出来栄えになる。 筆を入れるとは添削することです。 わたしは国語が苦手でした。小学生のころチャレンジ1年生という教材が毎月送られてきて自宅で勉強するものがありました。周りの友達がはじめていて羨ましくて母親に私もチャレンジをやってみたいとお願いしましたが、習うのは良い事だけど、自宅での勉強法は最初は良くてもわたしの飽きっぽい性格からして慣れたらだんだんしなくなるよと反対されました。どうしても諦めきれなかった私はみんなやってるし、教科書と同じ教材が送られてくるので授業に役に立つらしいと必死で懇願した結果、時間を決めて勉強する約束でチャレンジ1年生を始めました。学年に応じての教材は本当に教科書と同じ問題集で初めて送られてきたときは1日1ページを毎日こなす問題集なのに何ページも解きました。(毎日こなすことが重要なのに・・)問題集を解くと同封された封筒に解答用紙を入れて添削を待ちます。 後日返ってきた答案用紙はまる付けだけでなく、赤ペンで解説や一言が添削されていました。初めての添削に嬉しかった記憶がよみがえりました。

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人は一代、名は末代

【漢字】人は一代、名は末代 【読み】ひとはいちだいなはまつだい 【意味】人の体は1代で滅びるが、名前や行いは後世まで残るものだから言動には気をつけよという戒め。 【例文1】人は一代、名は末代と言うから、出世したのであれば言動は気をつけるべきだ。 【例文2】有名人はスキャンダルが人は一代、名は末代だ。 【例文3】人前に立つ時は人は一代、名は末代だ。 人は一代名は末代。人間は死を迎えた後その体は朽ち果てていきますが、その人の名声は未来のまた未来まで残っていくという意味です。ただし名前が末代まで残ると言っても良いことをして名を末代まで残しなさいということです。新聞の一面に載ってしまうような重大な犯罪を犯しても名は末代まで残りまからね。そのあたりは著名人と有名人の違いと似ていると思います。著名人も有名人もどちらも広く名前が知られている人のことです。しかし著名人は良いことをして名前が知られている人であり、有名人は良いこと、または悪いことをして名前を知られている人という意味があります。有名人の方がおおきな枠のカテゴリーで、有名人の中で著名人と悪いことで名前を知られている人に分かれる感じです。 自分がしたことは案外自分では忘れていまっていても相手は覚えていてくれることが多いです。「あの時親切にしてくれたよね」「相談にのってくれたよね」など自分が忘れていたことを相手が覚えていてくれると嬉しいですよね。まさに名は末代で人の心に長く残るのだと思います。 人は一代、名は末代に例えられるほど大きなことは出来ないかもしれませんが、一日一善ではないですが日々小さな良いことを積み重ねていきたいと思います。

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箸にも棒にも掛からない

【漢字】箸にも棒にも掛からない 【読み】はしにもぼうにもかからない 【意味】水の中の物を取る時、箸でも取れない、棒にも引っ掛からなくどうしようもないくらい手がつけられないという意味。 【例文1】箸にも棒にも掛からない汚い部屋にあ然とする。 【例文2】年末は膨大な仕事量に箸にも棒にも掛からない。 【例文3】売り上げが激減して箸にも棒にも掛からない。 人生に目標や夢がないという人もたくさんいます。 しかしそれとは逆に夢を追いかけている人も大勢います。 どちらが良いかはひとそれぞれの価値観によりますが、夢が人生を豊かにしてくれることは確かなようです。 しかし夢を実現できる人はごくわずかであり、ほとんどの人が夢を叶えることなくどこかで区切りをつけて生きていかなくてはなりません。 夢を追いかけることは自分との戦いです。 好きであることと向いていることは違うのではないかと常に苦悩しながら進んでいかなくてはなりません。 また夢を追いかけることは周囲の理解を得られるとは限らず孤独の中で戦い続けなくてはならない場合もあります。 それでもやってみて、箸にも棒にも掛からないというのであれば諦めることもできますが、一番厄介なのは少しだけ評価されてしまった場合です。 評価されたということは才能がないということではないのですが、だからといって成功するかどうかは別の問題です。 しかし夢を追いかけている人にとって誰かに受け入れられたり評価されるということは希望の光のようなもので、その光の先には自分が追い求めていたものがあると思ってしまうのです。 そして努力を続ければその先に行けると信じてしまうのです。 もちろん信じた人がみな夢を叶えられるわけではありませんが、夢を叶えた人はみな自分のやっていることや希望の光の先を信じて疑わなかった人と言えるのかもしれません。

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