tedukurikotoba (2563)

名もない

【漢字】名もない 【読み】なもない 【意味】世間に名前が知られていない。 【例文1】名もない画家が売れ始めた。 【例文2】名もない下積み生活を送る。 【例文3】名もない隠れ家食堂を見つけた。 若い頃安室奈美恵になりたいアムラーが流行り、その後アムラーの進化系であるコギャルが誕生。そのうちコギャルとは言わなくなりギャル系と言うようになり、今は本拠地渋谷からも絶滅してしまったギャルのみなさん。 なにを隠そう実はわたしもギャルでした。 そのギャルの頃、109系ショップの洋服ばかり着ていました。 友達が109系ショップではないプチプラのそこらへんのお店の洋服を着てきた時はみんなして「名もないショップかよー(笑)」とバカにしていました。 もちろん可愛くて安くてこの上ない洋服だから友達も購入しているのですが、わたしたちギャルは109系意外のものは買わないし買っちゃダメだし、そんなのギャルじゃないからー(笑)と思っていました。 あれからウン年。わたしも結婚し、出産し、ババアとなった今着用しているのは正に名もないショップのものばかり(笑) 洋服を買う度に思います。 あーわたしも名もないショップに手を出してしまった!と。 ババアなりに名もなくないショップもあるのですが、名もなくないショップは主婦には高嶺の花なのです。 名もなくないショップのものは子どもたちに購入します。 わたしの名もないショップの洋服も十分素敵だよ、とあの頃の自分に教えてあげたいです。

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所変われば品変わる

【漢字】所変われば品変わる 【読み】ところかわればしなかわる 【意味】場所が変われば風習も言語も変わる。 【例文1】所変われば品変わるので旅は楽しい。 【例文2】地方に行けば所変われば品変わるで方言がおもしろい。 【例文3】所変われば品変わるで味も違う。 「所変われば品変わる」は、地域によって文化・風習・習慣が違うもの、という意味の言葉です。 一番分りやすい特色が出るのは、何といっても食べ物でしょう。 カップうどんやカッブ蕎麦は日本の東と西で出汁が異なる、という話は結構有名です。 現在ではそのことをネタにして、東側で関西風出汁バージョンの商品が販売されることすらあります。 雪深い東北地方では、冬季の長期間保存するためからか塩分濃度の高い漬物などが多いように見受けられます。 商品によって味の濃さは違いがありますが、青森のねぶた漬けはご飯のお供にはよいのですが大量には食べられないくらいにはしょっぱいです。 秋田では地域によっては納豆に砂糖をいれるという場所もあるようです。 納豆のねばりが少ないときなどに砂糖を少量入れるという裏技がありますが、これとは別で甘くしたいから入れるというのが理由のようです。 現在では、血圧や血糖値を抑えるために健康に気を使って加減する傾向にあるようですが、どこまで実行されているか比較対象のデータが欲しい所です。 あまり関係ありませんが、人によってはコンビニの弁当は味が濃すぎたり脂っこさがくど過ぎて食べられないというケースも発生しています。 地域どころか家庭によっても食生活に大きな違いがあるのは、情報の受け取り方の違いによるものでしょうか。 それぞれの土地によって風俗や習慣が違うという意味で用いる所変われば品変わるですが、本当にそうですね。言葉ひとつ掘り下げても方言が地方で様々です。もっと広く言えば世界の言語もその大陸によって同じ人同士なのに生まれた場所が違う事で使う言葉もあんなに幅広いとは凄いなあと興味深いです。食べ物もその場所場所で気候や環境に合わせて作物が育ちそれがその土地の特徴になって工夫して生きている過程を感じさせます。実感した経験といえば沖縄へ行った時に強く感じました。お料理がどれも初めて食べるものばかりでソーキそばやドラゴンフルーツ、サーターアンダギーやちんすこうが美味しくて土地の味を堪能しました。またシーサーは口が開いてるのが牡、閉じてるのが牝と知れてなるほどでした。また海の綺麗さは普段見てきた海の碧さとは違って同じ日本でもこんなに違うのかと思ってしまいます。住んでる魚もミーバイとか見た目から鮮やかで神秘というか地球って凄いなと感じました。他にも京都では湯豆腐、奈良は泊まった宿の周りに普通にシカがいる動物好きとしてはたまらない景観、まだまだ知らない土地があって生きてる間に全ては見たり味わったり出来ないのだろうと思うと地球って大きいなと感慨深くなります。

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手に掛ける

【漢字】手に掛ける 【読み】てにかける 【意味】世話をする。または自分の手で殺す。 【例文1】我が子に手に掛ける親は正気ではない。 【例文2】手に掛けて育てた野菜を市場に出荷する。 【例文3】手に掛けた子どもが立派に成人した。 皆さんは『手に掛ける』と聞くと、どんな意味を思い浮かべますか。「自分で物事を進める」「我が子を育てる」「他者に仕事を頼む」など、色々あると思います。『自分で何かをする』といった意味もあれば、『他人が何かをする』といった意味もあって興味深いですね。ただし『他人が何かをする』といった場合でも、元々は『自分から相手に何かを依頼する』といった意味を含んでいるので、やはり『手に掛ける』とは『自分主体で何かをする』という意味合いが強いと考えられます。 このように挙げてきた例からも分かるように『手に掛ける』には様々な意味があります。意味が複数あるということを知っておかないと、会話のときに妙な誤解が生じたりしそうですね。ですがどのような意味であっても、おおもとを辿れば『自分主体で何かをする』ことに行きつきます。そのためもし会話の流れで相手が『手に掛ける』と言ったとき、自分の中で意味がよく噛み砕けない場合は、『自分主体で何かをする』ということから、相手の言いたいことを考えるのが良いかもしれません。 おそらく昔の人も、会話の相手から『手に掛ける』という言葉を使われたとき、色々な意味を考えていった結果、現在のように様々な意味を持つようになったのでしょう。言葉とは面白いものですね。

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提灯を持つ

【漢字】提灯を持つ 【読み】ちょうちんをもつ 【意味】江戸時代、夜道を歩く時は提灯を持って身分の高い者の先頭に立って歩いた。転じて人の手先となり頼まれもしないのに動き回る人をいう。 【例文1】女性に気に入られようと提灯を持つ。 【例文2】会長の手先となりに提灯を持つ。 【例文3】コネを考えて提灯を持つ。 「提灯を持つ」といつ慣用句をご存知でしょうか。意味としては、「他人の手先となって必要以上にその人のことを讃えて回る」ことを指しており、所謂「太鼓持ち」と似たような言葉です。 語源は江戸時代まで遡ります。当時は街灯といったものは当然整備されておらず、夜道を歩く時は灯りをともすことが必須でした。一般的な町民の場合は自ら提灯を持って歩くことがほとんどだったのですが、身分の高い人になると、その提灯を持って夜道を照らすための人がいました。この「位の高い人のために夜道を照らす」ことが転じて、「他人の手先となって必要以上にその人のことを讃えて回る」という意味になり、こな慣用句が生まれたと言われています。 使い方としては「彼はあの人の提灯を持っているようだ」、「そこまで提灯を持つ必要はないだろうに」というようにネガティヴなイメージで使うことが多くなります。必要以上に他人を褒めるということは、何か裏に事情があるのではと勘ぐってしまいがちで、現代では使われているのです。 実際、提灯を持っている状態になると本人は周りには伝わっていないと考えがちですが、本人の想像以上に周囲は気づいているものです。言葉の意味を知って、自分自身が提灯を持っているような状態にならないようにしたいですね。

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蛇足

【漢字】蛇足 【読み】だそく 【意味】蛇の絵に足はいらないことから、不要なもの。付け加える必要がない。 【例文1】彼女は帰国子女なので、通訳は蛇足。 【例文2】最近の車は蛇足機能が多い。 【例文3】スマホのアプリのおかげで蛇足が増えた。 最近、色々なコラムで「蛇足として・・」と書き足してある文章がある。 例えば、カレーのレシピのコラムで「蛇足として、カレーの残りを利用してグラタンを作りました」という記事がありました。 なんとなく蛇足って書き足して、為になる事を言ったりするものと思い込んでいました。 しかし、蛇足とは蛇に足をつけたら・・全く意味がない。というか蛇に足を足すと邪魔なものではないのかという意味では? と疑問を抱いたので、蛇足の本来の意味を調べました。 蛇足とは余計なものを付け足した為に物事の価値を下げたり、駄目にしてしまう事である。 これが蛇足の本来の意味であります。 つまり、先程のカレーの記事のグラタンのくだりは本来の蛇足としての意味ではないのかな?と個人的に思っています。 カレーをグラタンにして、もし美味しかったら為になるのでその記事の価値を上げるし、もし不味くてもこのカレーはグラタンに合わないという知識が入って為になります、と思っています。 だから、本来なら蛇足としての意味なら。 「このカレーを私の彼氏にご馳走したら・・キャッ(照)」とか足したら本当に蛇足やわ!とか思います。 最近、蛇足って意味を勘違いしてしまってる人が増えてるって事だと思います。 蛇足とはあっても役に立たないもの、無駄とか不要にあたるものに対して使われる言葉ですが私はどうも人に何かをプレゼントする際に相手にとってこの蛇足的なものを選んでしまいがちで、いわゆるセンスがない人間なので耳に痛い言葉です。以前に父の日に甚平をあげた事がありました。6月というこれから夏に入る時期で服装から涼しくしたらどうだろうとか、自分が甚平を着て過ごしやすく気に入ってたのもあって選んだのですが、一回も着てる姿を見ることがありませんでした。その後だいぶ月日が経ってから祖父母に会いに行く機会に祖父の誕生日と重なった事があり出掛ける時仕事で行けない父が「じゃぁ、これもあげたら喜ぶんじゃないか」と差し出されたのが私のあげた甚平でした。そこで父から自分はこういうの着ないからと聞けて捨てるよりは良いかと前向きに思う気持ちと何だか切ないような複雑な心境に陥った記憶があります。また昔友人に目覚まし時計を贈った時は、携帯でアラーム機能で起きてるから必要ない的なニュアンスでバッサリと斬られ確かにそうだと納得しつつ自分のセンスの無さにガックリした事もありました。そう自覚してからは家族でも友人でも何が欲しいのか聞く事にしました。サプライズ感は無くなりますが、大体こんなのが欲しいというジャンルの中で選ぶとやっぱり失敗が少なくてあげた後罪悪感に襲われなくなったので良かったと思っています。

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