tedukurikotoba (2563)

足が重い

【漢字】足が重い 【読み】あしがおもい 【意味】出かけるのが嫌という意味。 【例文1】今日の会議は足が重い。 【例文2】連休明けは会社に行くのが足が重い。 【例文3】ミスをして足が重い。 足が重いとは、面倒なことや嫌なことに向き合わなければならないしんどい気持ちを表した言葉ですが、日常生活でもよくあることです。楽しいことや幸せなことばかりではない生活ですから、面倒なことや嫌なこととも付き合っていかなければなりません。特に、それをするといい結果が待っている確証がない場合や、どうなるかわからないという不安が大きいことの場合は、向かうにも足が重くなるものです。 私も最近、妊娠中に切迫早産になり、週1で病院に通わなければならなくなりました。それまでは、妊娠中の病院通いは赤ちゃんの成長を見られるので楽しみの部分が大きかったのですが、切迫早産の場合、経過が悪いといつ入院になるかわかりません。入院を避けたい身としては、この週1の病院通いがとてもドキドキするもので、足が重いのです。結局今のところは、経過が悪くないので入院に至っていませんが、赤ちゃんが生まれても大丈夫と言われる正期産までの時間は、毎週足が重い、どんよりとした気持ちにならなくてはなりません。せめて、早産にならないよう自分で努力して、この足が重いという気持ちを和らげています。なるべく安静にしたり骨盤ストレッチをしたりして、赤ちゃんが下がってこないようにするのです。病院は、足が重くても行かないわけにはいきませんので…。

Continue reading...

我も我もと

【漢字】我も我もと 【読み】われもわれもと 【意味】誰よりも先に負けじと争う様子。 【例文1】我も我もとバーゲンセール品を手に取る。 【例文2】我も我もと出待ちにファンが押し寄せる。 【例文3】値引きセールとなると我も我もと急ぐ。 どうしても手に入れたいものが限られた数しかない時、わかりやすく言えばスーパーの特売日。 普段から家計を切り盛りしている主婦からするとこんな嬉しい日はありません。 すこしでも食費を抑えたい、お得な買い物をしたいと、主婦でなくても一度は思ったことはあるのではないでしょうか。 お目当の商品を手に入れようと同じ時間帯に駆けつける人たちの考えはみんな一緒。 売り場には人だかりができ、商品が手に届かないであろう外野からも我も我もと手が伸びてくる。 こんな光景はよく見かけますが、その商品は人と争ってまで手に入れる価値があるのでしょうか? 今日どうしても買わなければならないものでしょうか? 食品だけではなく、人は供給が少ないものにたいして争ってでも手に入れたいと思うことはよくあると思います。 これまでもトイレットペーパーやお米、ガソリンなど、今後なくなってしまうわけではないのに、今ここでしか手に入れられないお得感や すこしの値段の差、欲しい時にないかもしれないという不安などから買い占めや行列ができニュースにもなりましたね。 我も我もとという言葉は大勢の人間が争っている様子を表した言葉で、我も我もと先を急ぐ、我も我もと手を挙げるなどの様に使われる言葉になります。そしてこの我という言葉は自分自身を表す言葉になりますが、この場合は我も我もとは第三者視点から争っている人たちを見ているのでややおかしな表現になっています。 なので、正確に言えば誰も彼もと先を急ぐと言う言葉の方が適している様に思われます。しかしこの誰も彼もという言葉はその場にいる人間全てを含んでいる言葉になっていて、誰も彼もが噂をしているなどの様に観測されている人間全てがそうである時に使われています。 一方、我も我もとという言葉はその場にいる人間全てではなく争っている人間だけを表した言葉になります。例えばその場に10人いたとしてそのうちの5人が何かを争っている場合は我も我もとが使われ、10人全員が同じことをしているのならば誰も彼もが使われる表現になります。 したがって我も我もとは自分自身を表す我と言う言葉が入っているにもかかわらず、第三者から見た表現になっていると言う複雑な言葉になっています。なお同じ様な意味を持っている我先にとですが、この場合は物理的な時間が関係してきますのでより競争という意味合いが強くなっています。 我も我もと大勢の人が我先に争う様は、外から見ていて見苦しいと思うことがあります。 しかし、それは人間の理性ではなく、動物的な本能なのかもしれません。 人は理性や道徳が優先すると、きちんと秩序を守るようになります。 また、相手を優先させるような心遣いも見られます。 もしかしたら、我も我もと争うよりも、大勢で譲り合って分け合ったほうが貰えるものは大きいのかもしれません。 しかし、何らかの力が働いて、欲深くなってしまうと、譲り合いの精神はなくなってしまうのかもしれません。 人は極限の状況に置かれた時に、どんな行動の取るのかはその時になってみないとわかりません。 普段から強欲な人は究極の場面になれば、なおさら欲だらけになってしまうかもしれません。 欲が災いして悪事を犯し、一生後悔するのも嫌なことです。 生きるために仕方がなかったと、自分を自己肯定しても、やはり罪悪感は残ってしまうかもしれません。 我も我もという状況になった時こそ、その人の真価が問われる時なのかもしれません。 欲が深すぎて自滅しないように気をつけなければいけないと思います。 強欲でも相手に譲り過ぎても、どちらも欲が強い現れなのかもしれません。 できれば、我も我もと争う群衆の中に自分が入り込まないで済むようにしたいものです。

Continue reading...

世に出る

【漢字】世に出る 【読み】よにでる 【意味】世間に名前が知られる。有名になる。 【例文1】美少女コンテストで優勝して世に出る。 【例文2】漫才グランプリ優勝で世に出る。 【例文3】新記録が出て世に出る。 私は長い間、翻訳の勉強をしていますが、なかなか世に出ることができません。 世に出るどころか、仕事としてもまだまだ勉強不足で、収入には繋がっていません。 学生時代にこの夢を見つけられたならば、もっと違う方法でこの道を目指すことができたのかもしれません。 しかし、社会人になってからこの夢に気が付き、これを目標にして仕事をしていくことにしました。 その為、仕事をしながら勉強をしていくとなると、なかなか翻訳に時間を割くことができないというのが現実問題です。 また、英語ではなく、他の外国語ということもあり、もし翻訳の仕事ができたとしても需要が少ないのも難点です。 さらにこれだけでは生計を立てることができないというのも、これだけに集中してやる気が出ない原因にもなっています。 しかし最近、今の当り前の状況がいつまでも続かないことに気が付いてきました。 その為、今の時点で仕事になるかならないかよりも、これが自分の天職ならば頑張って続けていれば、いつかは世に出ることが来るかもしれないと思えるようになりました。 人工知能などの影響により、現在、人間が携わっている仕事の中で消えていく職種があるようです。 しかし、クリエイティブな仕事は人工知能が代わりにできない仕事です。 そう考えると、今自分ができることを続けていくことが、将来の見通しを立てるためにも必要なのだと思います。 昔は不治の病と言われ、お医者さんでも治す事が出来ない病気がたくさんありました。 ですが医療従事者のたゆまぬ研究により、今ではたくさんの薬が開発され、不治の病の数が大分減って来ています。 とはいえまだまだ、今なお治せない病気がたくさんある事は確かです。 たとえ不治の病を治す新薬が開発されたとしても、それが世に出るのはまだまだ先の話です。 何故なら新薬は安全性が担保されていませんから、患者さんにいきなり使う事は出来ません。 なのでまずは動物などを使って、安全性を確かめる所から始まるのです。 何度も動物に投薬して安全性を確かめた後に、やっと人間に投薬して安全性を調べます。 人間と言っても患者さんではなく、健康な体を持った人で安全性を調べるのです。 治験という言葉を聞いた事がある人がいるかもしれませんが、この治験は健康な体の人に新薬を使ってもらい、異常が出ないか調べる物です。 この治験をクリアして、やっと新薬は世に出る事が出来ます。 中には安全性をクリアできず、世に出る事が出来ない新薬もあります。 この様に新薬と言うのは、世に出るまでにたくさんの手間と時間を要するものですから、早く病気を治したい患者さんにとって過酷と言わざるを得ません。

Continue reading...

夢を託す

【漢字】夢を託す 【読み】ゆめをたくす 【意味】自分ができなかった事を人に任せて実現する事を願う。 【例文1】息子に夢を託す。 【例文2】オリンピック出場の夢を子どもに託す。 【例文3】断念した夢をわが子に託す。 自分の果たせなかった思いを自分の子どもや心を寄せる誰かに引き継がせる状況を指します。身近な所では「父が息子にアスリートの夢を託す」などがあり、大きい話だと「総理大臣の夢を弟子に託す」という事も無きにしも非ずでしょう。自分が果たせなかった積年の思いを出来れば身近に思っている存在にやって貰い、そうなってくれればまるで我が事の様に喜べてしまうのです。自分の変わりにやってくれたと思うだけで嬉しさが込み上げ、それが誇らして仕方ない訳です。もちろん全ての人が夢を託されて実現出来るとは限りませんので、そこも嬉しさを助長する要因と言えます。 出来れば身内に叶えて貰いたい夢ではあれど、世の中はそう思い通りには行きませんし、そうであるならまず自分でやるのが話は早いのですから。だからこそまずは自分の意思を理解して、思いを託せる存在でなければなりませんし、より可能性の高そうな者であれば安心して夢を託せるのです。もし託した夢をうまく結果に残せなくとも、託した者には感謝こそすれ非難するのは筋違いと言えるでしょう。 中学生の頃、陸上部で長距離をやっていました。 ちょうどわたしが入部した年に部活の担当の先生が変わったらしく、それまではのほほんとした部活だったようなのですが一気に力の入った部活になったと聞いています。 その頃のわたしは中学校に勉強ではなく部活のために通っていると公言するほど陸上競技にのめり込んでいて、毎日部活がはじまるのが楽しみでしょうがありませんでした。 同じく部活に入った仲間もレベルが高く、お互い切磋琢磨して県大会や全国大会を目標にがんばっていました。 先生も昔陸上選手だったということで部活に対しての意欲がすごくて、いま思えば、本当にいい先生だったなと思います。 毎日、部員の書いてくる練習日誌に目を通してくれ、逐一コメントをくれました。 いまは部活の担当をしている先生の過労が問題になっていますが、その先生も同じだったと思います。 しかし中学生のわたしにはそんなところまで思いも至らず、先生の熱意を当たり前のように受け取っていました。 もっと感謝の気持ちを伝えればよかったな、と思います。 先生がそこまでしてくれたのは、きっと、自分が途中で怪我をして競技を離れなければいけなくなったこと、そういうことがあるから、わたしたちに夢を託す思いでいてくれたのかなとも思います。 夢を託すとは、自分の希望を他人にゆだね、実現することを願うことを言います。 このような言い方をすると未来に向けて、きらきらと輝くようなイメージがありますが、悪く取ると自分は逃げて後はよろしくというようにも感じてしまいます。本来は自分が頑張っても叶えられなかった事を後輩に託すという意味なのです。 しかし、最近では子供に自分の夢を託すという人が多いようです。自分にはできなかったからせめて子供にはそうなって欲しいと思うのでしょう。例えば、東大に入って欲しいと言い、勉強勉強と縛り付けます。また、好きでもない習い事を無理矢理やらされたりします。これらも親にしてみれば、夢を託しているのでしょう。しかし、子供にとってはどうでしょうか。好きでも無いことを押しつけられ、自由な時間がありません。いつか、ぷっちと切れてしまってもおかしくありません。そして、好きであるからこそ頑張れるでのあって、嫌々ながらでは効果は上がらないのです。世の親たちはそれが解っているのでしょうか。 自分で何かやりたいと言っても親が理解できない世界のことは駄目の一言で終わってしまいます。そして、自分でできなかったから夢を託すと称して、無理矢理押しつけます。 子供に夢を託すのはほどほどにした方が良いでしょう。

Continue reading...

闇夜に提灯

【漢字】闇夜に提灯 【読み】やみよにちょうちん 【意味】困っている時に頼りになるものが出てくる。 【例文1】バスに乗り遅れた時に、友人が車で送ってくれた。まさに闇夜に提灯だ。 【例文2】スーパーで財布を忘れて困っていたら、隣に住む奥さんがお金を貸してくれて闇夜に提灯だ。 【例文3】停電になり災害グッズがまさに闇夜に提灯だ。 困っている時に頼りになるものが手に入るというのは、非常にありがたいことです。 自分で自分を自ら助けようと思う気持ちがあれば、何かが救いの手を差し伸べてくれるものです。 「闇夜に提灯」とはまさにこういった状況にピッタリな言葉です。 できれば困っている人を救いたいと思いますが、それにはタイミングも必要です。 逆の立場になって考えてみると、必死に自力で抜け出すことができた後に、誰かの救いの手が差し伸べられると、安心と感謝の気持ちで一杯になります。 しかし、それが継続的になってくると援助が当たり前になってしまい、依存してしまう可能性があります。 いつまでもその状況に甘んじることなく、さらに自力で何とかできる術を身につけていきたいものです。 しかし、自分ができることには限界があります。 自分の出来る範囲を超えてしまうことに関しては、有り難く力を借りることも時には必要だと思います。

Continue reading...