tedukurikotoba (2563)

学びて時に之を習う、また説ばしからずや

【漢字】学びて時に之を習う、また説ばしからずや 【読み】まなびてときにこれをならう、またよろこばしからずや 【意味】学んだことが理解できれば嬉しくなるもの。 【例文1】諦めない精神が学びて時に之を習う、また説ばしからずや。 【例文2】子どもを褒めて伸ばす方針が学びて時に之を習う、また説ばしからずや。 【例文3】繰り返し学習することで学びて時に之を習う、また説ばしからずや。 「学びて時に之を習う、また説ばしからずや 」は『論語』の一節で、その後に「朋(とも)有り遠方より来る、また楽しからずや」という有名な言葉が続きます。こちらは「遠くから友達が訪ねてくるのは楽しいことだな」というような意味ですね。 さて、「学びて時に之を習う、また説ばしからずや」の方ですが、その意味は「学んだことを後から復習して理解を深めたり身に着けたりすることは嬉しい事だな」といった意味でしょう。「説ばしからずや」は「よろこばしからずや」と読み、楽しいとかうれしいという意味です。 この言葉は当たり前のことを言っているようですが、学習というものの本質を表していると言っていいでしょう。人間、学んだことが一度頭に入ると、それでわかったつもりになってしまいがちですが、一度覚えれば、それでそのことが正しく身に着いたとは言えません。 まちがった解釈をしてしまうこともあるでしょうし、表面的にしか理解できていないということもあるでしょう。 それを、何度も反復し、復習していく過程で、正しい理解をするようになったり、学んだことの本質がだんだんよくわかってくるものです。 孔子は「だから、私の教えたことも、一通り聞いてわかったつもりにはならず、何度も思い返して理解を深めていきなさい」と説いているような気がします。 それが真の勉強であり、そのことによって人間は成長していくのではないでしょうか。 「学びて時に之を習う、また説ばしからずや」は論語に出てくる言葉です。「学んだことを、機会があるごとに復習し身につけていくことは、なんと喜ばしいことでしょうか」という現代語訳になります。学んだことが身に着く、自分のものになる、これは喜びであると孔子は説いているのです。この言葉は「 有朋自遠方來。不亦樂乎。人不知而不慍。不亦君子乎。」と続きます。「友人が遠方からわざわざ私のために訪ねてきてくれることは、なんと嬉しいことでしょうか。 人が私を知らないからといって不平不満を言うことはありません。これを君子と言うのではないでしょうか」が現代語訳です。友人が遠方からわざわざ訪ねてきてくれるのが嬉しいというのは、誰にでも覚えのある喜びだと思います。それと同列に、学んだことが自分の血となり肉となることが喜びだというのです。ちょっと凡人には得難い感覚ですが、その後で虚栄心を諫める孔子は立派です。今年の夏のコマーシャルで高橋一生さんがブルースハープを、浜野謙太さんがトロンボーンを演奏し、東京スカパラダイスオーケストラとセッションを繰り広げるものが話題になりました。高橋さんはブルースハープを普段から手にしているそうで初披露となった喜びをコメントしていましたが、これも「学びて時に之を習う、また説ばしからずや」ですね。

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腑に落ちない

【漢字】腑に落ちない 【読み】ふにおちない 【意味】何となく納得がいかない。 【例文1】なぜ私が1番ではなかったのか腑に落ちない。 【例文2】腑に落ちない様子だ。 【例文3】何でか腑に落ちない。 腑に落ちないとは、納得がいかないという意味と同意義の言葉ですが、日常生活の中でも腑に落ちないことはしばしば起きます。全て、自分の思い通りに事が進めば腑に落ちないなんてことはないまま、気分よく過ごせるのでしょうが、そうはいかないものですね。 それでも、その後の行動次第で事態を改善できるならスッキリするのですが、腑に落ちないことの中には、もうどうしようもなく諦めなければならない場合もあります。例えば、自分が無知だったために損をするといったケースです。先日、妊娠中の切迫早産で通院していたときのこと。経過観察が必要なため、毎週1回病院に通わなければなりませんでした。その際、診察内容はいつも同じなのに、ある日診察後の会計でいつもの倍ほどの料金を請求されたのです。明細をよく見てみると、「自費」と書かれていました。いつもなら、保険が利いて3割負担なのに、10割負担となっていたので、どういうことか受付の人に聞いてみました、すると、妊婦の診察は、前回の受診1週間経過しないと保険が利かないとのことでした。前回受診したのは木曜日、今回は水曜日だったため、1週間に満たないというのです。 損をしたことになるので、腑に落ちないと思いながらも、自分が無知だったためそれ以上食い下がることはできませんでした。このような場合は、勉強代になったと自分で気持ちを切り替えるしかありません。 よく小説やドラマなどを見ていると、腑に落ちないという言葉を耳にしますよね。 では、一体どうして腑に落ちないと言われるようになったのでしょうか。 ですので今回、この腑に落ちないという言葉について色々と見ていきたいと思います。 まず、腑に落ちないの腑とは五臓六腑の腑のことをさしてます。 主に肝や肺などといった臓器のことですね。 しかし元々、この腑の使われ方は腸のことを言っていたのです。 腸に食べ物が吸収されるように、人の意見を吸収するといった感じですね。 そして腑に落ちないは、意見を吸収できないといった意味合いで使われてました。 しかし、感情というものは心で感じ取るものですよね。 ですので、やがて腸から心へと意味合いが変化していったのです。 そして腑に落ちないの意味は、心で納得できないの意味で使われるようになりました。 頭では納得できてはいるものの、心の中に引っかかりを覚えるような場面ですね。 さて、腑に落ちないの対義語で、腑に落ちるという言葉を耳にすることはあるでしょうか。 腑に落ちないは、何か心の中に引っかかりを覚えたときに使うことは先ほどお話ししましたよね。 ですので、その逆で心の中の引っ掛かりが取れた場合に、腑に落ちるという言葉を使います。 以上が、腑に落ちないという言葉の由来や意味でした。 以前働いていた会社の上司について、腑に落ちないと感じることがありました。その上司は会社の勤続年数も長く、仕事内容についてもかなり熟知していました。仕事内容について質問をしても、大抵はきちんと論理立てて説明してくれることが多かったため、現場の人もその上司を頼りにすることが少なくなかったです。しかしそんな上司でも、たまに腑に落ちない説明の仕方をすることがありました。 たとえば私が仕事内容で分からないことがあったとき、「この作業はどうしてこういうルールでやらないといけないのか」と尋ねると、その上司は「ルールはルールだからです」と答えてくることがあったのです。私にとってルールとは『何か問題ごとが発生しないようにするための対策』のように考えていたため、その上司の回答はあまり納得がいくものではありませんでした。更に上司は「ルールはルールなんだから守ってください」と言ってきたのですが、それを言われて私は「ではこのルールを守らなければどういった結果になるのか」をきちんと説明してほしい、とも感じました。今にして当時を振り返ってみると、そのとき上司にちゃんとそう伝えれば良かったなと思います。 相手に納得してもらうように説明するには、まず自分が物事の成り立ちを把握しておいた方が良い、と感じるエピソードでした。

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瞳を凝らす

【漢字】瞳を凝らす 【読み】ひとみをこらす 【意味】瞬きもせずジッと見つめる。 【例文1】好きな子を瞳を凝らして見つめる。 【例文2】瞳を凝らして犯人を追う。 【例文3】見逃すまいと瞳を凝らす。 「瞳を凝らす」は「まばたきもせずにじっと見つめること」です。「瞳を凝らした」であろう瞬間をひとつあげるとすれば、川中島での武田信玄と上杉謙信の場面です。戦国時代に、甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信が北信濃の支配権を巡っておきた戦いで何度も行われたのですが、最大の激戦となった時の地名川中島を由来に、二人の間の数々の戦いを川中島の戦いと名付けています。その4回目の戦い、1561年、川中島を包む深い霧が晴れた時、いるはずのない上杉軍が眼前に布陣しているのを見て、信玄率いる武田軍本隊は愕然としました。政虎は、猛然と武田軍に襲いかかります。武田軍は完全に裏をかかれた形になり、陣を敷いて応戦したものの、信玄の弟の武田信繁や山本勘助、諸角虎定、初鹿野忠次らが討死するなど、劣勢を強いられます。乱戦の最中、手薄となった信玄の本陣に政虎が斬り込みをかけます。『甲陽軍鑑』によると「白手拭で頭を包み、放生月毛に跨がり、名刀小豆長光を振り上げた騎馬武者が床几に座る信玄に斬りかかり、信玄は床几から立ち上がると軍配をもってこれを受け、傍に居た者が槍で騎馬武者の馬を刺すと、その場を立ち去った。後にこの武者が上杉政虎であると知った」とあります。実はこの時、武田信玄は二太刀切り付けられたつもりでいましたが、軍配をよく見ると三筋の傷がついていました。目にも見えないほどの速さで切り付けられたかと思うと「瞳を凝らして」軍配を見たに違いありません。

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ばつが悪い

【漢字】ばつが悪い 【読み】ばつがわるい 【意味】気まずい様子。場違い。 【例文1】先輩の誘いを断って、デート現場を目撃されたのはバツが悪い。 【例文2】部活をサボってゲーセンに出入りしていたら、先輩に遭遇しばつが悪い。 【例文3】会食の場でラフな格好はばつが悪い。 先日、勤務先の飲み会がありました。 あまり飲み会をしない会社なので、たまにしかない飲み会はとても楽しく、かなり盛り上がりました。 赴任してきたばかりの課長があんなにツッコミがうまい方だったとは!とか、赴任してきたばかりのあの方には奥様がいたのかーとか、仕事の話しかしたことがなかった職場の方と少し親密になったような気がしてとても楽しい時間でした。 その席でわたしはなにかの話の流れで、人前で鼻をかむ女性が信じられないと発言しました。 地元にいた頃は人前で鼻をかむような女性は見たことがありませんでしたが、東京ではオフィスのデスクで、満員電車の車内で、レストランの席で、とにかく人前でも平気で鼻をかむ女性が結構いて驚いていると話しました。 それは、わたしの部署内にはそのような女性がいないからこその発言でした。 みんなも「あーわかるー」と同調してはくれていましたが・・・ ある時赴任してきたまあまあ偉い女性がまさにその人前で鼻をかむ女性でした。 更にその方は鼻炎持ちなのか割りと頻繁に鼻をかみ、部署内のみんなはその度にわたしを見てニヤニヤ・・・ バツが悪いとはこのことです。 あーあ、あんなこと言わなきゃよかったなぁ・・・。

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念を押す

【漢字】念を押す 【読み】ねんをおす 【意味】間違いがないか再確認をする。 【例文1】遅刻しないでねと念を押す。 【例文2】忘れ物はないかと念を押す。 【例文3】今夜は早く帰って来てと念を押す。 先日遠方へ家族で旅行に行き、色々なハプニングがありましたが、思い出に残る良い旅となりました。 ハプニングの一つは忘れ物についてで、家族に忘れ物をしないように念を押す私でしたが、念を押していた本人が財布を忘れました。 お金の管理は妻が全てやっているので、旅行に支障が出ることはありませんでしたが、現地でレンタカーの支払いをクレジットカードで行うつもりが現金での支払いになりました。 クレジットカードで支払いすると、割引になるレンタカーのプランだったので、少し損をした気分になったものの、便利に利用できたので良かったと思うようにしました。 普段財布を忘れることはありませんが、旅行の時に限って念を押しても忘れてしまうので、私はプレッシャーに弱いのかな?と思う時があります。 今回の旅行で、一番大きな忘れ物をしたのは妻でした。子どもの肌着だけ7枚位あるのに、下着が1枚も入って無く入れ忘れたみたいです。 しかし、最近は便利な時代で、山間部でも麓の街には複数の店舗があって、助かりました。 昔と違い、ドラッグストアやコンビニが全国色々な地域に出店しているので、忘れ物をしてもなんとかなる時代だなと思いました。 私は幼少の時から忘れ物が多く、両親、特に母親から外出の際に「財布持った?ティッシュハンカチは?」と忘れ物がないかと念を押されることが多かったの覚えています。今ではさすがに社会人として勤務しているので、外出の際には自分自身で念入りにチェックし、忘れ物をしないように心掛けています。 この念を押すという言葉の意味は、皆さんもご存知のように間違いがないか重ねて注意するという意味ですよね。しかし、この念を押すの念について知っている人は少ないのではないでしょうか。念の意味は、思いや気持ち。次に心配りや注意。そして、望みや念願、仏語という意味があります。念を押すの念は、心配りや注意の意味での念だと思います。念を押すという言葉の類義語として釘を刺す等がありますよね。 念を押される側から考えると、結構うるさく感じたり、煙たく感じたりすることがありますが、念を押す側からしたら細心の注意を払っているので、重ねて間違いがないか注意してしまうのでしょう。 現在、社会人として会社勤めしていますが、全てのことは自分自身で行うようになってから、如何に親の大切さを感じる毎日を暮らすことが多くなっています。外出の際に忘れ物がないかと念を押されることが無くなり、自分の成長と寂しさを同時に感じて過ごしている毎日です。

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