tedukurikotoba (2563)

足が早(速)い

【漢字】足が早(速)い 【読み】あしがはやい 【意味】食物が腐るのが早い。または商品の売れ行きが良い。 【例文1】サバは足が速いから鮮度が命。 【例文2】夏場の食物は足が速いから気をつける。 【例文3】夏場の調理場は鮮度の足が速い 夏は特に食材の足が早くなり、すぐに傷んでしまって食べられなくなってしまいます。 先日、かなり暑い日にキッチンで足の早い食材を調理していた家族が、「足が早いと言っても、これが実際に走るわけじゃないのだけどね」という冗談を言っていました。 確かにことわざには、その本当の意味はわかるものの、言葉だけの意味だと変な状況を思い出してしまうものがたくさんあります。 私は中学生の時に、このことわざの変な解釈にはまってしまったことがありました。 友人たちといろいろなことわざを言って、実際のその真似をしたりしたら、おかしくて笑い転げてしまいました。 足が早いもそうですが、口車に乗る、とかヘソでお茶を沸かすなども、その言葉を素直に受け止めてしまうと、とても変な画を想像してしまいます。 口に車が付いているわけではないし、おへそでお茶を沸かすことができません。 しかし、このように比喩表現が使われていることわざも多くあります。 これも日本語の面白いところだと、中学生の頃にしみじみと思ったものでした。 これらに比喩表現のような言葉を考えた人たちも、きっと面白い人だったのではないかと思います。 これからもこのようなクスッと笑えるような言葉のあやを楽しんでいきたいと思っています。

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世の目も寝ずに

【漢字】世の目も寝ずに 【読み】よのめもねずに 【意味】夜も寝ない、休まない。 【例文1】世の目も寝ずに子どもの看病をする。 【例文2】世の目も寝ずに赤ちゃんの世話をする。 【例文3】世の目も寝ずに場所取りに並ぶ。 赤ちゃんのお世話に毎日奮闘しているお母さん方。昼間はもちろんのこと、夜も赤ちゃんのお世話に大活躍しています。 世の目も寝ずにお世話に取り組めるのは、どれもこれも赤ちゃんの事を思えばこそです。 母なる愛がそうさせるのでしょう。お母さんだけでななくお父さんもそういう方は多いと思いますが、どちらでも素晴らしいことと思います。 赤ちゃんは昼も夜も関係なく、両親の愛を求めてきます。「僕を見てね」「私を見てね」と一生懸命訴えているように。 親も「どこが気持ち悪いのかな?」「お腹がすいているのかな?」新米ながら一生懸命考えて赤ちゃんとの時間を過ごすのです。 時にはその愛が重すぎて、投げ出したくなるようなピンチに陥ることもあると思いますが、この時期に母として父として赤ちゃんと向き合えたという時間があればこそ、親としても成長していけるのだと思います。 乳児期を過ぎても、発熱や怪我など夜通しで看病することもあるでしょう。そんな時は、乳児の時の頑張りを思い出せば、たった1日2日の看病なんてどうってことないと感じられます。 こうやって、ずっと「愛される子ども」だった大人たちは「愛する子の親」へとその役割を変化させていくのだと思います。 子どもが親を成長させるというのは本当なんですね。

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矢も楯もたまらず

【漢字】矢も楯もたまらず 【読み】やもたてもたまらず 【意味】気持ちが抑えきれず、いてもたってもいられない状態。 【例文1】彼女に会いたくて矢も楯もたまらず、会いに出かける。 【例文2】矢も楯もたまらず、友人のお見舞いに行く。 【例文3】矢も楯もたまらず、告白する。 「矢も楯もたまらず」ということわざがあります。 その意味は、こうしたいと思う気持ちが抑えきれずに、行動してしまうということだそうです。 大人はなかなかそういった場面でも自分の感情を抑えて、できるだけ理性的に行動しようとします。 つい「矢も楯もたまらず」に何かをしてしまったときには、いろいろと言い訳を付け加えたりすることもあります。 この「矢も楯もたまらず」をとても素直に表現するのを何度も見たことがあります。 それは人間の表現ではありません。 動物の表現です。 動物と言っても私たちの身近にいる動物。 つまりペットです。 ペットが表現する「矢も楯もたまらず」は、飼い主に対しての愛情表現です。 飼い主が買い物などで、数時間ペットショップの中にあるペットの預かり所のようなところにわんちゃんを預けていて、買い物を済ませて戻ってきたとき。 ずっと不安な表情でガラス窓から外を歩く人を眺めていたわんちゃんは、狂喜乱舞。 まさに「矢も楯もたまらず」に飼い主のところに飛んでいきます。 犬は猫よりも飼い主にストレートな愛情表現をすることが知られています。 こうして「いい子にして待っていましたよ。どこに行ってたの?もう帰って来ないかと心配したよ」と言いたげなわんこを見ると、こちらも笑顔になります。

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門を叩く

【漢字】門を叩く 【読み】もんをたたく 【意味】訪問して弟子入りを頼む。 【例文1】調理師専門学校を出て料亭の門を叩く。 【例文2】相撲部屋の門を叩く。 【例文3】陶芸家の門を叩く。 「門を叩く」とは、弟子入りするとか入門するという意味の言葉です。 現代社会では、事前の書類選考やアポイントメントを通じて面会することがほとんどでいきなり直接訪問することなどまず考えられません。 面接する運びとなっても門柱にあるインターホンで来訪を告げることになるので、ますますもって門を叩くという行動はありえなくなります。 日本国内の門で最も有名そうな東京大学の赤門も、そもそも閉まっていることの方が少ないようですから叩く機会もないでしょう。 開いている門は開きっぱなし閉じている門はその時点で進入お断りが普通なので、やはり門を叩くチャンスはありません。 使われない言葉であれば時の流れによって無情に消え去るだけの運命にあるのでしょうか。 古い物語やドラマであれば実際に門を叩くシーンを見る機会はあります。 門を叩くで思いつきそうなのは、推敲という言葉の成り立ちです。 「僧は推す月下の門」と「僧は敲く(たたく)月下の門」で、どちらにするべきか悩んだというエピソードです。 中国の唐詩四大家の韓愈が敲くの方がよいとしたくらいなので、叙事的な風合いもあるはずです。 普段は使われない敲という難しい字が態々この熟語のためだけに使われるというのも考えてみれば不思議です。 それに対して門を叩くは簡単な字しか使っていませんが、それだけに言い回しとしては使われる頻度は少なくなっていきそうです。 歳を重ねるに連れ、新しい事が苦痛になってきます。携帯電話の機種変更さえ煩わしいです。なんだか新しくてキラキラしたカタカナ文字の素晴らしいアプリやサービスがたくさんあるのに、どうしても覚えようという気になりません。しかし、昔のは簡単だった、これが大変と新しいスマートフォンの愚痴をこぼしていると、友達から「こういうアプリがあるよ」と教えてもらい、使ってみるとなんと便利なことでしょう。 何事も食わず嫌いはいけないと思いました。 若い頃、自分の親や親戚のおじさんが、「若い人のはよく分からなくて」と、最新の機械のことをいろいろ聞いてきて、初めはちょっと得意な気持ちだったのが、だんだん鬱陶しくなってきた気持ちが思い出されます。私の子供はまだ小さいが、大きくなったら、頼りにしすぎて「お母さん、もう自分でやってよね!」と言われるのかしら。 キリスト教の一節に、門をたたきなさいとの文があります。子供の幼稚園がカトリックだったので、実はそこで初めてキリスト教の教義に触れたわけだが、私の勝手なお堅いイメージとは違って、生活に根付いた話も多いのに驚きました。 確か、門を叩きなさい。そうすれば開かれる。という一節でした。文だけ読めば、そりゃそうだろうという感じだが、門はひとりでには開かない。誰かが答えて門を開けてくれるのである。と教えられました。 とりあえず、周りの親切な人にお礼を言って、せっかく開かれた門に頭を下げ、感謝することを、大事にしたいと思います。

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目と鼻の先

【漢字】目と鼻の先 【読み】めとはなのさき 【意味】目と鼻の間が近いように距離が非常に近い。 【例文1】駅から目と鼻の先の優良物件を探す。 【例文2】学校までは目と鼻の先だ。 【例文3】両親とは目と鼻の先に住む。 仕事に失敗し、上司に怒られ、会社内での自分というものを失いそうになっていました。毎朝出勤はするのですが、足取りは重く、会社の玄関の扉を開けるのに深く深呼吸してから開けるほど、精神的にも参ってしまっていました。そういう時は、何をやってもうまくいかず、気力も伴ってこないため、小さなミスも目立つようになってきました。何のために会社に来ているのだろう、どうしてここまで無理してくる必要があるのだろう、いっそ逃げ出してしまえば楽なのに。とネガティブな感情ばかりが前に出てきます。そうした雰囲気に妻も気づいたのでしょう。いつもであれば何気ない話だろうと、つまらなくても話を振ってくるのに、明らかにその回数が減りました。いつもなら喧嘩しそうになりながらも、やることを押し付けてくるのに、そういったものもなくなりました。 ある日、妻から公園にランチを持っていこうと誘われました。あまりノリ気ではなかったのですが、半強制的に連れて行かれました。気力なく、積極的に動こうとも思っていませんでしたので、小説を持って出かけました。私はそれを読んでいたのですが、ふと妻と子を見たときにとても楽しそうに無邪気な笑顔で動き回っていました。しばらく見とれてしまいました。そうだ、私の幸せなんてものは目と鼻の先にあるんだ。これを守るために生きているんじゃないか。こう思ったときに視界が開け、いてもたってもいられなくなり、二人の輪の中に飛び込んでいました。 非常に近い距離、つまり考えるまでもなく近いと言える距離にあってこそ「目と鼻の先」と表現できるのではないだろうか。 実際に「目」と「鼻の先」の距離を自分で測ることは大して難しくない。 目を閉じた状態で目蓋から鼻先までを指で測り定規に当てるだけで分る。 顔の大きさなど個人差もあるがおよそ10センチくらい、さすがにそのままでは誇張表現というか近いとか距離と言えるものではない。 10センチ圏内にまで到達していれば、それは既に到着しているのと同義だろう。 移動時間で誰かを待たせることが無い、あるいは複雑な道順も無い短距離の移動で到着するならば、目と鼻の先と表現して差し支えないだろう。 さらに条件を付け加えるとするならば、間に障害物などが存在しないことが挙げられる。 鼻の先、つまり自分の鼻の天辺を鏡などを使わずに肉眼で視認することは出来そうに無いが、とりあえず障害物は存在しない。 しかし海峡を隔てた島もこの条件を満たしてしまうことがあるので、何の問題もなく受け入れられるか否か少し疑問が残る。 航路や空路が存在して船や飛行機で一直線ならば許容できるが、交流が微妙な異国人が住む土地であればどうだろう。 逆に考えれば敵対する存在が視認できる位置にあるならば、これは十分に目と鼻の先という感覚に当たるかもしれない。 結局のところ距離は移動時間・移動手段やその他の条件により近くとも遠くとも成り得る。 最終的にはその立場におかれた人間の漠然とした感想に帰結するものでしかないのだろう。

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