tedukurikotoba (2563)

立つ鳥跡を濁さず

【漢字】立つ鳥跡を濁さず 【読み】たつとりあとをにごさず 【意味】水鳥が飛び立った跡は濁ることなく澄んだままの様子から、立ち去る時は見苦しくないように綺麗にしておくべきだという教え。 【例文1】お世話になった感謝の気持ちを表すため、立つ鳥跡を濁さずで来た時よりもきれいにして寮を出る。 【例文2】立つ鳥跡を濁さずでグラウンドを整備する。 【例文3】練習後は立つ鳥跡を濁さずだ。 立ち振る舞いの美しい人は、去り際も美しいものです。立つ鳥跡を濁さずという言葉があるように、去るときに美しい人は素敵です。 この言葉には、見た目だけでなく内面の所作も表現されているように思います。日常的な例では、後の人のことを考えた場所や物の使い方に関して、よく使われる言葉です。きれいな状態のままで引き渡せると、後で使う人も気持ちがいいものですよね。鳥はお風呂の場面で例えられていますが、お風呂だけでなくお店のテーブルだったり、宿泊した部屋だったり、様々な場所において散らかしてしまったらある程度片づけてから立ち去ると気持ちのいいものです。 そのような物理的なものだけでなく、例えば別れ際なんかも同じことが言えます。別れ際はサラッと笑顔で明るく立ち去りたい。跡を濁さずな去り方をしたいものです。男女の別れなどでは、もつれて泥沼化してしまうこともありますが、あとから考えるとみっともないことです。あのとき、サラッと別れることができていたらどんなによかっただろうと思うこともあります。日常生活の些細な場面から、人生の分岐になるような場面まで、立つ鳥跡を濁さずという言葉のように、スマートに立ち振る舞えると素敵ですね。 「立つ鳥跡を濁さず」とは立ち去る者は、その場所が見苦しくないようきれいに始末をしていくべきということ。または引き際は美しくあるべきだということのたとえです。 例えばカラスは生ゴミなどのゴミ場をあさってぐちゃぐちゃに散らかしたまま去っていきます。それに比べ水鳥が飛び立った後の水辺は濁ることもなく澄んだままです。「立つ」とは、水鳥が飛び立つ、飛び立って去っていくという意味です。このような様子が由来となっています。 何かをし、その場所を去る際は以前と同じようにきちんと後始末をしておきなさいという教えですね。 類義語は飛ぶ鳥跡を濁さず、鷺は立ちての跡を濁さず、鳥は立てども跡を濁さず、があります。 例文は、立つ鳥跡を濁さずというように退社の際は仕事の引き継ぎは全部やるようにしましょう。や、立つ鳥跡を濁さずというので卒業までに教室はしっかり綺麗にしておこう。などがあります。 私も以前、長年働いた会社を退職することになった際に私が去った後、会社に遺恨を残さないように、残された同僚やお世話になった上司に顔向けできないような辞め方はしないようにと思いながら退社を決意した日から最終日まで働き無事跡を濁さずに退社しました。 このように立つ鳥跡を濁さずというようにどんな時も去り際は水鳥のように綺麗でありたいものですね。

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千里眼

【漢字】千里眼 【読み】せんりがん 【意味】先の事を見通す能力がある人。 【例文1】千里眼が言うんだから安泰間違いなし。 【例文2】彼女は千里眼で思いどおりにうまくいく。 【例文3】千里眼で人格を見抜く。 「千里眼」とは遠隔地の出来事を直覚的に感知する神秘的な能力のことです。千里というのは非常に遠い距離のことです。日本の感覚だと一里が4キロメートルですから千里は4000キロメートル。そこで起きていることがつぶさにわかるのであれば確かに神秘的な能力と言わざるをえません。この千里眼を持っているとされる神様がおられます。広目天様です。千里眼をもってこの世を観察し仏の教えと仏に帰依するものを護る神様です。帝釈天の配下であり四天王のうちのおひとりで西方を護る守護神です。日本に残る最古の広目天像は法隆寺金堂に祀られています。木像で7世紀のものとされる国宝であり、中国古代風の直立姿ですが左手に経巻、右手に筆を持っています。このお姿からすると学者タイプの武神です。力が強いばかりの将軍だけがそろっていても戦には勝てないことを象徴しているようです。ところが時代が経つと、広目天様のもつ物はさまざまで浄瑠璃寺四天王像はやはり木像で平安時代後期の国宝ですが、左手は鉾、右手は羂索を持っています。興福寺四天王像も木像で重要文化財で12世紀のものですが、そのお姿は左手は鉾ですが右手は拳印です。また、有名な東大寺戒壇院の四天王像は、塑像で8世紀の国宝ですが、広目天様は邪鬼に乗り左手に経巻、右手に筆を持って眼を細めにして何かを見つめています。目を見開いているものの方が多い中珍しいです。お寺さんに参詣したら広目天様を探してみるのもおもしろいですね。

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尻尾を出す

【漢字】尻尾を出す 【読み】しっぽをだす 【意味】隠し事や悪事がバレる。 【例文1】とうとう尻尾を出しやがったな。 【例文2】良い子ぶっていたが、だんだん尻尾を出してきた。 【例文3】長年の付き合いで尻尾を出し始める。 尻尾を出す。私はこういう人を職場で見ます。私より新人で入ってきた、女の子。私より、4年ほど後で入ってきました。年齢ももちろん、若いです。でも、早くに結婚をして子育てそしている女の子でした。それだけにしっかりした子です。その子が入ってきたときはとても好印象でした。仕事はできるし、頭の回転も速い。でも、とても謙虚であって。先輩みんなのこともちゃんと立てることのできる子です。とにかくとても、控えめでした。ちゃんと挨拶もするし、私は印象が良かったのでよく、子どもの話をしたり世間話をしたりして楽しく過ごしていました。 しかし、その子が仲良くなった人がいけなかったのでしょうか。でも、今考えるともともとそういう性格だったのだと思います。だんだんと態度が大きくなりました。上の人とも仲良くなるのが上手だったので、気に入られ、ほかのパートさんが失敗したりすると陰で悪口を言うようになりました。上の人にこっそり意地悪な感じで報告もするようになりました。話しやすかった印象の子でしたが、だんだんと話しかけづらい印象になり、私だけでなく、私の周りの人も話しかけづらい、怖い人となってしまったのです。でも、それはその人が最初はおとなしくしていて、慣れてきたので尻尾を出したのだと思います。尻尾を出して自分の本当の姿が現れたのだなと感じました。今では仕事以外はほとんど話すこともなくなりました。 「尻尾を出す」とは「隠していたものが見つかる。ぼろが出る。」ことです。「尻尾を出す」と言えば思い出すのは新美南吉の名作「手袋を買いに」です。子ぎつねを育てているお母さんきつね。以前に人間にみつかり追い回された経験があるので、人間を怖がっています。ある雪の日、あまりに子ぎつねの手が冷たいので、手袋を買いに行かせることにしました。お母さんきつねが子ぎつねの手を握っていると、片手だけが人間の手になります。そして、手袋を売っている帽子やさんの場所を教えて戸の隙間から、人間の手になっている方の手を差し入れて手袋を買うようにと教えます。そして子ぎつねだけを行かせますが、案の定間違えてきつねの手の方を差し出してしまいます。帽子やは「先にお金を下さい」といい、お金の白銅貨が本物であるかどうかを確認したうえで、子ぎつねに手袋を渡します。心配していたお母さんきつねは子ぎつねが「反対の手を出してしまったけど捕まらなかったよ」と言うのを聞いて、人間は本当は怖いのか、怖くないのか迷うという終わり方をしています。子ぎつねが出したのは手で尻尾ではないのですが、同じことですよね。お母さんが迷ったままで終わりにするところに新美南吉の優しさが見えかくれします。名作です。

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三拝九拝

【漢字】三拝九拝 【読み】さんぱいきゅうはい 【意味】何回も拝む。何度も頭を下げて敬意を表す。 【例文1】家族の幸せを三拝九拝して祈願する。 【例文2】命の恩人に三拝九拝する。 【例文3】三拝九拝で金婚式を祝う。 人に敬意を払うときや、謝意を伝える時に、人は頭を下げますが、これを何度も繰り返す事を三拝九拝と言います。 例えば、職場や学校で目上の人、すなわち上司や取引先、先生や先輩などに敬意を払うことは、多々ありますが、その中でも頼みごとをしたり、感謝の意を伝えたい時、また、謝罪する時には、頭を下げます。しかし、目上の人でなくても、頭を下げることはあります。では、それも三拝九拝にはならないのか、と感じることもあると思いますが、 それは三拝九拝とは、また違った意味になります。どうしてそうなるのでしょうか。つまり、目上の人と目上の人でない人に対しては、同じ頭を下げるということでも、度合いが違ったりします。 そういった時に、目上の人に対しては、何度も頭を下げるといったことによって、敬意や謝意の強さを表現し、伝えるのです。ですから、同じ頭を下げるのでも、目上の人に対してのみ三拝九拝という言葉が適用されます。 これは、メールや手紙といった媒体にも、適用されることであり、文末に三拝九拝と表記することによって、相手に対して、敬意や謝意を伝えます。この場合の三拝九拝は、相手が目に見えないメールや手紙では、相手に敬意や謝意を伝える事ができる大切な言葉です。

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心にもない

【漢字】心にもない 【読み】こころにもない 【意味】本心ではない。 【例文1】心にもないお世辞を言って上司の機嫌を取る。 【例文2】心にもない言葉も時には必要だ。 【例文3】心にもない営業トークで話す。 心にもないことって、相手の気持ちを考えずに発言する事と言う意見をよく目にしますが、私は暴言などではなく、本当は思ってないのに、その場の雰囲気だったり、自分を良く見せるために使われる事の方が多いような気がします。 友達に自分はすごく弱者で、何もできなくて、自信がなくて他人のする事なす事全て「いいなぁ。才能があって。私にはできない」と言う人がいます。 才能の部分はセンスがあってとか、行動力があってとか、若く見えてとか、その時々で入れ替わります。 でも、話していると、決して自分が劣っているとは考えていない事が垣間見えたり。自分はこんなに頑張ってるのと言う気持ちがありありと見える事が多いです。 ただただ、会話に「心にもないこと」を連発してしまうこの心理状態の本性はなんなのだろうと考えました。 心にもない事を言うのは決して虚言癖ではなく、相手を必要以上に褒める事によって自己防衛する気持ちが働いているのかもしれない。 こう理解していても、あんまり気持ちの良いものではないですけれど。 逆に、相手を思って、心にもない厳しい事を言ったり、心配で仕方ないのに、気にも止めていないような言葉を発することもあると思います。 こちらは前者と違って、自己防衛ではなく相手に対する思いやりだったりするので、違う意味での心にもない言葉になると思います。 人を傷つけるような、心にもない事は冗談であっても言ってはいけないと思っている私。なぜなら、心にもない事を言う事こそ、自分の価値をさげる余計な一言だからです。そしてその一言は、価値を下げるだけでなく、何にもおもしろくないし、雰囲気悪くなるし、全く笑えません。そのため、親やお友達、会社の同僚、後輩…ここ何年も彼らにそんな事は言っていないと言いきれます。 それなのに、どうしても言ってしまう相手…それは主人です。主人とケンカするとき、どうしても言ってしまう心にもない事。 これほど余計な一言はないと思います。だいたいこの一言はケンカをヒートアップさせるし、相手を傷つけしまうし、自分も言ってしまったことの後悔と罪悪感でいっぱいになってしまいます。ごめんなさいと言ったところで、言ってしまった事実は変わらないし、実は心のほんのどこかの部分で、ほんの少しそう思っていたんじゃないかと自分を疑うし、本当に嫌です。 最後には仲直りして、心にもない事をぽろっと言った私は、どんな言葉を言ったかそのうち忘れてしまいますが、言われた方はそんな簡単に忘れられないですよね。どうして主人にだけは言ってしまうんだろう。とても大切な相手なのに。

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