tedukurikotoba (2563)

寄ると触ると

【漢字】寄ると触ると 【読み】よるとさわると 【意味】寄って集まるごとに。 【例文1】寄ると触ると彼のネタ話で盛り上がる。 【例文2】寄ると触ると昔話で盛り上がる。 【例文3】寄ると触ると恋バナをする。 私は若い頃、おばちゃんばかりの職場でアルバイトをしていた事があります。 おばちゃんばかりの職場だったので、さぞかし楽しい職場なんだろうとはじめは思っていました。 ところがそれは、私の勝手な幻想でしかなかったのです。 とある休憩の時間、おばちゃんが数人集まりました。 最初は世間話をしていたのですが、徐々に人のうわさ話が始まったのです。 それはどんどんエスカレートしていき、しまいには悪口へと発展しました。 あの人はココがダメだとか、こんな事を言っていたとか、いない人の悪口をこれでもかと話し出したのです。 私はそんな話の輪に入らず、ただひたすら聞き手に徹していました。 テレビに出て来る芸能人の悪口程度なら、まだ許せると思いますが、職場の人の悪口を言うのは、良くないと思いました。 私は終始相槌を打ったり、頷いたりするだけで、悪口を言うような事はしませんでした。おばちゃんたちの悪口は、この休憩に留まらず、その後も休憩になると寄ると触ると悪口を話し、私はそれが嫌で嫌でたまりませんでした。 同僚の悪口を言うと言う事は、私が居ない時にも間違いなく、私の悪口も言っているはずです。 そう考えると、ますますおばちゃんたちの事が嫌いになってしまいました。 ですからこの職場に嫌気がさし、短期間でアルバイトを辞めました。 寄ると触ると人の悪口を言う人間は、この後私が働いた職場にも必ずおり、そんな人の事を軽蔑せずにはいられません。

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目には目を、歯には歯を

【漢字】目には目を、歯には歯を 【読み】めにはめを、はにははを 【意味】ハムラビ法典にでてくる有名な言葉。多くはやられたらやり返せという風に使われているが、本来の意味は過剰な報復の連鎖を抑制するための戒めの言葉である。 【例文1】目には目を、歯には歯をでやり返した。 【例文2】目には目を、歯には歯をで倍返しだ。 【例文3】目には目を、歯には歯をで体裁を下す。 「目には目を、歯には歯を」、御存じハムラビ法典がもとになっていることわざです。 最近、流行ったドラマの影響で似たような流行語で例えると「倍返しだ」ってのがパッと浮かんできたり、もう徹底的に痛めつけてやるって感じで脅しの文句として使われることが一般的ではないでしょうか。 しかし、このように復讐の時に仕返しにと言ったイメージやもっと強い報復に出るといった感じで使われるようになっています。しかしながら、もともとのハムラビ法典では、復讐法というわけではなく罪を罰する時にはそれ相応の同様の罰を与えるといった法体型なので、現代ならいざ知らず古代では、まあまあできた法律だとも言えます。 法律というのは、犯罪をなくすためのものであったり犯罪を防止するために作るわけですから、その時代や背景、政治等いろいろ絡みます。 罪を犯したら、罰さなきゃいけないというのが当たり前というか常識なのですが、ここら辺は現代でも難しいところだと思います。例えば、現在は死刑廃止の傾向ではありますが、維持している人や国もあります。それに反対している人も、それなりの理屈を持っているでしょう。ただ、死刑廃止が必ずしも正しい道とは限らないと思います。 命は簡単に奪ってはいけないというのがありますが、それ以上に命を奪った場合には、それ相応の罰が必要だしそうするべきだという考えのどちらが間違っているのかは簡単に論じられない難しさを持っているのです。 わたしたちは時に目には目を、歯には歯をという言葉を使い、やられたらやりかえそうとすることがあります。果たしてわたしたちはそれで本当に満足を得られるのでしょうか。やられて悔しかったこと、悲しかったことを怒りに変えて相手を攻撃するときに、きっと心は怒りに満たされているでしょう。叩かれたからすぐ叩きかえすような反応的なものであれば一瞬の怒りですみますが、どのようにやりかえすのかを考えているときに、怒りをたぎらせた状態が続きます。自分以外の人やもの、できごとに影響を受け心を怒りで満たし続けるのは精神的によいとはいえないでしょう。そして怒り続けると疲れます。もし自分がやったと思っていないのに、やりかえされたとしたら、自分はなにもしていないのにやられたと思うかもしれません。誤解からさらに新たな怒りを生みだすことになります。やられたらやりかえすは個人対個人であれば喧嘩ですが国対国になれば戦争になるかもしれません。個人対個人の平和があってこそ、国対国の平和があると思います。これからのわたしたちに必要なのは目には目を、歯には歯を精神ではなく、話し合いお互いわかりあおうとする精神ではないでしょうか。国や文化が異なれば価値観も異なるからです。

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無念無想

【漢字】無念無想 【読み】むねんむそう 【意味】仏語で邪念がなくなり心が澄みきった状態。 【例文1】滝行でストレスが解消され無念無想になった。 【例文2】お祓いで無念無想になる。 【例文3】厄払いをして無念無想になる。 人生とはいったいなんだろう。 幸せを求めれば必ず出てくる弊害、人間関係、貧困、愛、その他色々な格差。 幸せになるために皆が皆が争い、全員が幸せになることは絶対にない。 最近で言えば北朝鮮がミサイルを打ってきたり、ISISがテロ活動をしているのも幸せになろうとしてやっていることだろう。 そして被害を受けるのは仕掛けられた人々なのだ。 勝った人々が幸せになり、負けた人々が不幸になる。そしてそれが繰り返される。 こんな世界で何かを考えたり、何かを欲しがったり、しても必ず不幸な人が出てくる。 これらのものを一切捨て去った方が幸せになれるのではないだろうか? 無念夢想とは、一切の邪念から離れて、無我の境地に到達した状態を指す。 元は仏教の言葉だが、本来人が目指すべきなのはここなのではないか? 物や、思想によって争いが起こるのならば捨ててしまった方が良いと言う感じに私は解釈している。 現代は色々な物で溢れ帰っているが、本当に幸せだと言う人は少ないように思える。 自分自身今生きていることが幸せかと言われたらそうだとは断言できない。 持っている事が幸せなのではなく、持たないことが幸せなのだとしたら、無念夢想の境地を目指してみるのもいいのかもしれない。 皆さんは無念無想という四字熟語をご存知でしょうか? 日常生活でなかなか耳にすることがない四字熟語だと思いますが「一切の邪念から離れ、無我の境地に達した状態」「単純に何も考えてない有様」などの意味があるそうです。 仏教語であり、よく座禅の時に使われる言葉だそうです。 私は座禅の経験はないのですが、瞑想を毎日の日課に取り入れてます。 瞑想の効果としてはストレス解消や安眠効果、自分の本心に気づき本当にやりたいことが分かる、集中力アップなど様々な嬉しい効果があるのですがやってみると「何も考えない」ことがこんなに難しいのかと驚きました。 座って胡座をかく瞑想や寝るような体勢での瞑想など、瞑想にも色々なやり方や種類があるのですが私は寝転がり楽な姿勢で目を瞑るスタイルで瞑想をしてます。 色んなやり方や種類があれど瞑想の極意はただ一つ。「無念無想」です。 一切の雑念や邪念から離れ、無我を目指します。 自我から離れることで初めて本当の自分に気づくからです。 私の場合は瞑想に入り始めの方は呼吸に集中し雑念から離れられるのですが、2~3分経てば今日の仕事のことや明日の予定など雑念に支配されます。 雑念に気づいたらまた呼吸に集中するよう意識します。 ずっとこの繰り返しです。実に地味な作業です。 しかし、瞑想を取り入れてから確かに集中力が増したような気がするし、何より心が安定しているように感じます。 忙しい現代人にはもってこいの一つのリフレッシュ方法だと思うので、皆さんも一緒に「無念無想」を目指して日常生活の中に瞑想や座禅を取り入れてみてはいかがでしょうか? 一心不乱とか一所懸命ならば、一つの目標に向かって集中力を高める行為で程度の差はあれ誰でも実行可能です。 しかし無念無想を体現するとなると些か難しいように思えます。 想念から離れた無我の境地に至るとか、欲得が全ての現代人には無縁の世界です。 武道やスポーツなどの厳しい修行の積み重ねにより、考えるたり感じたりする前に行動できるように訓練された身体を持てば良いのでしょうか。 確かに反射的な反応には思考をするような時間が入る余地はありませんから、無我の状態と言えなくも無いです。 しかし突然の出来事にとっさに反応することで、無念無想と言われても何か納得できません。 徳の高い禅宗の僧が座禅をくんでいる様子などは無念無想の状態に入っているように思えます。 しかし修行が浅いというか凡俗の身からすると、夢を見ずに眠っている状態と何が違うのか上手く説明できません。 姿勢が違うだけで脳波的には同じ精神状態なようにも思えます。 一つの事に集中している状況の方が余程、雑念から遠い位置に至っているのではないでしょうか。 何だか、無理をして座禅や修行で無念無想の精神状態を作る必要もないような気がします。…

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緑の黒髪

【漢字】緑の黒髪 【読み】みどりのくろかみ 【意味】『緑』とは単に色の緑のことではなく、新緑、新芽の若葉を指す。艶のある黒髪の女性の髪をいう。 【例文1】日本の女性は緑に黒髪で美しい。 【例文2】若者に緑の黒髪を見かけなくなった。 【例文3】緑の黒髪が魅力的だ。 子どもの頃のエピソードです。小学生の時、母と町を歩いている時、母の知り合いの若い女性と出会いました。 母はその女性に、「お久しぶり、お変わりがなくて何よりだわ」というようなことを言った後で、さらにこう付け加えたのです。 「相変わらず緑の黒髪がおきれいね」 聞いていた私はきょとんとしてしまいました。それで、その女性と別れた後で、「ねえ、さっきの女の人、髪、緑じゃないよね。黒いよね」と母に言うと、「そうよ」との答え。 「なんで黒いのに緑だっていったの?」とさらに聞いたところ、「さあ、なんでなのかしら。昔からきれいな黒髪のことを緑の黒髪っていうのよ」と、母も首をかしげました。母はその意味を知らずにこの言葉を使っていたわけです。 それで、あとで調べてみたところ、日本語の「緑」という言葉には、「新芽や若葉のようにみずみずしく美しい」という意味があり、「緑の黒髪」の緑はそういう意味で使われているということがわかりました。 最近はほとんど耳にしなくなった言葉ではないでしょうか。ちょっとわかりにくい表現であるため、あまり使われなくなったのかも知れません。 もう一つ、今は女性が髪を染めるのがふつうになっていて、生まれながらの真っ黒な髪をしている若い女性が少なくなったことも、この言葉が使われなくなった理由のような気がします。 女性の魅力的なひとつに髪の毛があります。今は個性の時代で茶髪から金髪紫色の髪の毛の女性も沢山います。私は髪の毛のキレイな女性に惹かれます。それも緑の黒髪の女性です。過去に好きな人がいました。その人に片思いを抱いていた自分でした。そのひとは緑の黒髪で美しくとても顔立ちの良い小柄な女性でした。その髪緑の黒髪を見るといつもシャンプーのような香りが微かに漂ってきて、とても魅力的でした。そしてある時告白を決意しました。そしてお付き合いしてください。あなたが好きですと告白したのです。女性は私に言葉を返してきました。私のどこがいいのと。私は色々とその人の魅力的なところを言いました。そして緑の黒髪のことも告げたのでした。、女性とはしばらくお付き合いをする事になったのです、つまりOKをもらったのでした。デートを重ねて思ったことは、その人の緑の黒髪はとても魅力的である事を再認識させてもらいました。日本人は髪の色は概ね皆さん黒髪です。黒髪の女性は私は美しいと思います。最近は色々な色の髪の女性、男性もいますが黒髪の女性が減って来たのではないかと思います。人には自分の好みの髪の毛の色がありますからどんな色にも変身できますが、古来からの緑の黒髪を大事にしてもらいたいです。

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満身創痍

【漢字】満身創痍 【読み】まんしんそうい 【意味】全身傷だらけ。ひどく避難され痛めつけられる。 【例文1】満身創痍でもリングに立ち向かう。 【例文2】満身創痍の覚悟で家族を守る。 【例文3】バッシングを受け満身創痍。 高校3年の秋の時の話です。全学年全クラス対抗によるサッカー大会のトーナメント戦が開かれました。サッカー部ではなかったのですが、小学校のサッカー経験、その後も少々かじっていたこともあり、メンバーに選ばれました。 試合は30分1本勝負。サッカーコートを半分にして(縦長じゃないですよ)7人制で行われます。ルールは通常のサッカーと同じです。 もともとのポジションが、中盤の底でしたので、大して目立つことなく、地味に要所要所を押さえていました。 順調に勝ち上がり、準決勝。ここで強烈なチームと当たりました。7人のうちサッカー部が5人。それも全てレギュラーで、中には県の選抜に選ばれた人までいます。こちらはサッカー部補欠2人に多少の経験者がチラホラというチームです。さすがに勝てないかと思いましたが、なかなかにいい勝負。偶然入った1点を守りきり勝利することができました。 しかし、高校3年の秋。部活も終わり、遊び呆けていた体には準決勝の試合と、それまでの連戦はこたえます。 決勝戦が始まり、しばらくすると足がつります。まあまあ仕方ないでしょう。当然の結果です。マッサージを行い、すぐに復帰。そして、ボールをクリアするとさっきとは逆の足がつりました。これで歩けませんね。ボールを蹴るごとに足がつり、走ることもままならない。サッカーをする上では致命的です。しかし、最後の力を振り絞りラストチャンスに相手ゴール前に。いい形でパスが来てくれて、懇親のシュート。しかし、どこかの代表のように枠から大きく外れ、そのまま私は倒れたらしいです。(ここら辺から記憶がありません) 起きると保健室。聞くところによるとシュートと同時に、転倒し頭を打ってしまったみたいです。脱水症状による熱中症も加わり、そのままタンカだったそうです。 試合は残念ながら負けてしまったとの話でした。 満身創痍の中で放ったあのシュート。決まっていればヒーローだったかもしれませんね。 でも、ここまで全力を使い果たしたのは後にも先にもこの1回だけです。試合は負けましたが、充実した時間でした。

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