tedukurikotoba (2563)

瓜の蔓に茄子はならぬ

【漢字】瓜の蔓に茄子はならぬ 【読み】うりのつるになすびはならぬ 【意味】瓜の蔓に茄子はならない。平凡な親からは非凡な子はうまれないという意味。 【例文1】期待しても無駄。瓜の蔓に茄子はならぬ。 【例文2】瓜の蔓に茄子はならぬと言われたが、我が子は優秀だ。 【例文3】瓜の蔓に茄子はならぬと言うが、嘘だ。 瓜の蔓に茄子はならぬとは、平凡な親から生まれた子どもは、親に似て平凡であり、優れた子どもは生まれないということです。血筋は争えないということです。瓜の蔓には、瓜しかならず、形が似ていても茄子がなることはありません。ここから生まれたことわざです。昔は瓜に比べて茄子の方が数が少なく貴重なものだったのでしょう。もう一つの意味としては、ある原因から生まれる結果は、それに似たようなことしか起こらないというものもあります。では、親が普通の人であったなら、優秀な子どもは生まれないのでしょうか。 答えは否です。周りを見ても、親はそうでもないのに、とても頭の良い人もいますし、スポーツで素晴らしい記録を出す人もいます。ノーベル賞の受賞者も、親が普通の人だったという場合が多いようです。もっとも、親が平凡でも先祖に非凡な人がいることもあるでしょう。そうなると隔世遺伝のような形で、現れるのかもしれません。親が平凡だからと、諦めてしまうのもいかがなものでしょうか。せめて、親よりも一歩でも上を行こうと、頑張る方が生き方として充実していています。

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一か八か

【漢字】一か八か 【読み】いちかばちか 【意味】結果はどうなるかわからないが、期待して思い切ってやってみる。 【例文1】予約なしでは行けないレストランだが、一か八か行ってみよう。 【例文2】一か八かあの子に声を掛けてみようかな。 【例文3】条件に満たないが、一か八か応募してみよう。 「一か八か」とは、結果がどうなるかわからないまま運に任せて勝負を試みることを指します。 この一か八かの語源は二つあり、一つは昔の賭け事である「丁半賭博」に由来していると言われています。丁半賭博はサイコロを何個か使用した賭け事で、サイコロの合計が偶数だったら「丁」奇数だったら「半」となっていて出た目がどちらになるのか当てる賭け事でもちろん結果はわかりませんので運任せになります。そこで丁の一画目である「一」、半の一画、二画目である「八」(昔の半は上の部分が逆さまで八でした)から取って「一か?八か?」と言われていたのです。 もう一つは「サイコロの目は一が出るか、しくじるか」という意味である「一か罰か」がなまって「一か八か」になったとも言われています。 例文として、 「明日で卒業だ。このまま会えなくなるなら一か八か告白してみよう!」 「一か八かで宝くじを買ってみよう」 などと運任せや思い切りたい時に使える言葉です。 このように一か八かは、一がいいか八がいいかとの意味のことではなく、思い切った時や運任せの時に使う言葉です。一か八かの勝負はもちろん勇気がいることですがどうせ負けるならどうせダメならやってみようと思える勇気も大切ですね。

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足を洗う

【漢字】足を洗う 【読み】あしをあらう 【意味】これまでの生活態度や悪事を改善して堅実に生きる。 【例文1】詐欺グループから足を洗う。 【例文2】結婚を機に綺麗に足を洗う。 【例文3】子どもが生れたのでギャンブルから足を洗う。 足を洗うとは、悪い仲間から離れることを言います。また、好ましくない生活を辞める場合にも使います。更に、職業や仕事を辞める時にも用います。 この言葉の語源は仏教にあります。修行のために裸足で歩いた僧は寺に帰り、泥足を洗うことで俗界の煩悩を洗い清めてから、仏業に入ったことから、悪い行いを辞める意味で用いられるようになりました。現代では、悪業、生業に関係なく、職業を辞める意味で使われます。しかし、一般的には好ましく無いことを辞めるというニュアンスが強いことでしょう。やくざな稼業から足を洗うとは使いますが、一部上場企業から足を洗うとは使いません。 現代では、ゲーム漬けの生活から足を洗うなどと使うとしっくりきます。学生気分から足を洗って社会人一年生になるというような言い方もあります。一念発起して頑張る場合などには使えます。 足を洗うという言葉自体が、気分を一新するような感じを受けますので、仏教の例を挙げるまでもなく、何かから抜け出すと考えて良いのではないでしょうか。もし、一流企業にいて、とても辛い思いをしていたなら、その思いから足を洗うという言い方をしても良いでしょう。何かを始めるとき、今までのことを綺麗にするために足を洗って見るのも良いでしょう。

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弱音を吐く

【漢字】弱音を吐く 【読み】よわねをはく 【意味】落ち込んだ様子で弱々しい言葉を口に出す。 【例文1】彼女は負けず嫌いで弱音など吐いた事がない。 【例文2】経営危機で弱音を吐く。 【例文3】ネガティブで弱音を吐く。 毎日毎日、思い通りにならないことばっかりですよね。頑張ろうと思っても頑張り方がわからない。何を頑張ればいいのかもわからない。 ただ目の前のことをこなすだけの生活。私の場合すごく心が空っぽになりました。誰もが当たり前にこなしていること。でも自分にとってそれはやろうと思ってやれていることだったりするので、自分の中では辛くても、弱音を吐くほどのことなんかでもない。そう思って溜め込んでしまいました。 私は弱音を吐く人が基本的に嫌いでした。例えば「暑い「寒い」「だるい」「面倒臭い」などマイナスワードを簡単に何度も連呼する人といるのが苦痛だったんです。 だから私は、多少のことは我慢しよう、と思っていました。でも我慢して我慢して溜め込んで最終的には爆発しちゃうんです。自分でもなぜかコントロールできなくて。 そうなる前に吐き出せていれば。毎回思うのにそれができない。きっと、弱音を吐くことを悪いことだと思い込みすぎていたからでしょう。 誰もが常にポジティブシンキングできるわけなんてないんです。たまには弱音を吐いて、それでも頑張ろう!と前を受ける方がよっぽど周りにとっても自分にとってもいい環境なんだとやっと気付けました。弱音を吐くことは悪いことなんかじゃないんです。前を向くために、必要なクッション運動を捉えて楽に生きれるようになりました。

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目に見えて

【漢字】目に見えて 【読み】めにみえて 【意味】確実に予測できる。 【例文1】素人が失敗する事は目に見えている。 【例文2】将来が目に見えてわかる。 【例文3】子どもの成長が目に見えてわかる。 私は小学校低学年の時、学校で朝顔を育てていました。 その時の私は朝顔なんか育てる事に全く興味がありませんから、朝顔の種をまいてから、適当に水をやるだけでした。 5,6日で朝顔は芽を出しました。 それから双葉を広げ、元気に毎日すくすくと育つ朝顔を見て、私はかわいいなと思えるようになってきました。 なんだか朝顔を育てるのが楽しくなり、水をあげるだけでなく、朝顔に話し掛けました。 その後もぐんぐん目に見えて朝顔は成長を続け、やっと花芽が出ました。 始め一つだった花芽は、その後二つ三つとその数を増やし、花芽でいっぱいになり、色が付き始めました。 ある朝起きてみると、花が一輪咲いていたのです。 私は嬉しくて仕方なくなり、母親にカメラを借りて写真を撮りました。 翌朝も花が次々に咲き、毎日のように写真を撮り続けました。 いつしか朝顔の花は咲き終わり、種を採取しました。 来年もまたきれいな朝顔の花が見たいと思い、この種を大事に採り保管しました。

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