tedukurikotoba (2563)

運を天に任せる

【漢字】運を天に任せる 【読み】うんをてんにまかせる 【意味】自分ではどうにもならない事について、自然の成り行きに任せる。 【例文1】運を天に任せて合格祈願をする。 【例文2】採用を運を天に任せ。 【例文3】成功を運を天に任せる。 プロ野球も終盤に差し掛かりました。 高校野球が終わると高校ジャパンがあり、それが終わった頃ちょうどプロ野球が盛り上がっている頃でその後にはドラフト会議、そして日本シリーズ、その間も神宮大会など控えており野球ファンにとってとても忙しく楽しすぎる時期に差し掛かりました。 毎日忙しく野球情報をチェックするのですが、今年も我が贔屓球団はリーグ優勝を目前に控えありがたい限りです。 本拠地から離れたところに居住しているため、なんとか今住んでいる関東のセリーグ球団にがんばってもらい、日本シリーズは関東でやってもらえないかと運を天に任せる気持ちでいます。 横浜でも巨人でもヤクルト(はさすがに今年は無理かな)でもいいからがんばって下さい! もし、関東での日本シリーズが実現したら(いや、関東じゃなくても)・・・おそらくそれはプラチナチケットとなり、かなり取れにくいだろうということは予測てきます。 ああいうチケットは取れた試しがないのですがみんなどのように手に入れているのか気になります。 みんな運を天に任せるだけなのか、コネクションがあるのか、高額で買い取っているのか・・・ 一度でいいから日本シリーズを現地で見てみたいです。 普段は神様を拝みもしない人に限って苦しいときの神頼み、そのような願いが易々と通るはずもありません。 運を天に任せるなどという状況に追い込まれている時点で成功する確率はほとんどないと言っているようなものです。 人事を尽くして天命を待つという言葉もありますが、それは人として出来ることは全てやり尽くした後の話となります。 出来ることを全てやり尽くすなど大抵の人は出来ていませんし、効率が悪すぎます。 余程のことでない限りそこまで注力することなどまず有り得ないでしょう。 将来の全ての事象を見通すことなど人の身では出来ないので、これまでの経験や不確かな情報から推察することになります。 最悪に備えて準備万端整えようするのは非常に安全な策に思えますが、それでは世の中は回らないのです。 適当に見極めて余剰な労力を削りとることで、出来る限り金銭を節約しようとするのが一般的に当たり前な考え方です。 運が良ければというか悪くなければそれで何事も起きずに済みますが、往々にして運悪く用意してなかった部分の粗が目立つことになります。 大きな失敗をしたくなければ、その原因を排除することで安全を買うより他に手はないでしょう。 その労力や金を出し渋るのは、博打を打ち続けて破綻するのを待っているようなものです。

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一日の長

【漢字】一日の長 【読み】いちじつのちょう 【意味】経験や技術が相手より少し上である。 【例文1】兄の方が柔道の経験が長い。一日の長だけあって技が見事に決まる。 【例文2】あなたより優れているのではなく一日の長だよ。 【例文3】練習すれば出来るようになるよ、一日の長だよ。 一日の長とは、技能や経験などが他の人より少し勝っていることです。 この慣用句の語源は、一日だけ先に生まれて、ほんの少し年齢が上であることから転じました。 例文として 「さすがキャプテン、ゴールも毎回決めてすごいですね。」 「努力したからね。一日の長だよ。君も練習を重ねると出来るようになるよ」と 一日の長は、大きな差があるかもしれないのに大した差ではないという謙虚な姿勢が見受けられます。いや~なかなかこういうかっこいいセリフなんて言えませんよね。私だったらドヤ顔するところでしょう。 私は高校を卒業して会社に就職しました。2年もすると上司に連れられて週2日、営業所の仕事も任されました。4年後には、大卒の同級生が入社しました。 同級生と言えど私の方が先輩なんだからとすこし大きな態度を取っていました。 上司とお供していた私に新人が、 「上司に信頼されているのですね」と褒めてくれました。テレれた私は、 「4年も先に仕事をしていたからね」と一日の長でした。

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足を引っ張る

【漢字】足を引っ張る 【読み】あしをひっぱる 【意味】人の成功の妨げとなる。 【例文1】ケガをしてチームの足を引っ張る。 【例文2】リレーで足を引っ張って申し訳ない。 【例文3】ミスをして足を引っ張る。 足を引っ張るとは人のやる事に対し成功の邪魔だったり進行の妨げになるという意味に用います。一人の相手に対してや複数の時にも使ったりしますね。チームプレー等では足を引っ張らないようにしなくちゃと自分が思う方か、誰かに対して足を引っ張らないでくれと思う方か別れると思いますが自分は前者の方が多いです。学生時代の球技大会でリレー選手に選ばれた時はそう感じました。全然速く走れないのに何故か候補になってしまい、4人交代の3番目だったと思うのですが、自分にバトンが来るまで1位2位を交互に走ってる接戦の状態でした。周りの歓声が聞こえていて台無しにしちゃいけないと、不安よりもその定位置をキープしてアンカーに渡さなきゃとボルテージも上がっていてバトンを受け取り走り出しました。ともかくも無我夢中で必死に食らいつきましたが、走りながら他の選手に追い越されるのがスローモーションみたいに分かり、自分の番で3位まで失速してしまいました。短いその時間の中でやっぱり断れば良かったとチームの足を引っ張ってる事が情なかったです。しかしアンカーがとても足の速い子で次々に追い越して行ってくれて何と1位という見事なゴールを決めてくれました。アンカーでの追い越しという事で皆がワーと盛り上がって逆に見せ場にもなっていました。自分の引っ張ってしまった足をチームが支えてくれた終わりとなって安堵すると共にアンカーに尊敬の意が芽生えました。

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世をはばかる

【漢字】世をはばかる 【読み】よをはばかる 【意味】世間との交わりを避ける。 【例文1】世をはばかって頼る者もいない。 【例文2】ひきこもりで世をはばかる。 【例文3】世をはばかって孤独死に至る。 世をはばかるとは世間に遠慮をする、世間との交流を慎むという意味です。世をはばかるような仕事の代表格は泥棒です。大っぴらに言えるようなものではもちろんなく、犯罪ですから。泥棒の中でも日本で有名なのは石川五右衛門と鼠小僧ですね。鼠小僧は義賊扱いで江戸の庶民の味方のように扱われることが多いのですが、実際のところは違ったようです。鼠小僧のターゲットは大名や旗本といった裕福な武家屋敷であり、そこは事実なのですが問題は盗み方でした。江戸時代の大奥を思い浮かべてもらえるとわかりやすいのですが、大奥は女性だけで暮らす奥屋敷。殿様以外は男子禁制といった感がありますね。大名や旗本屋敷も奥方や女中さんは主に屋敷内の別棟で夜は休んでおりました。その女性ばかりの奥屋敷の雪隠の天井や、寝所の屋根裏から侵入して金品を盗みだしていたようなのです。そう聞くと女性なら嫌悪感をおぼえますよね。武家屋敷だと男性の部屋には当然のことながら、刀や槍もあるし日頃鍛錬している武士ならば、盗人ひとりくらい成敗するのは容易いことだったでしょうから、あえて女性の部屋を狙ったと解釈されます。しかも、時代劇で見るように、貧しい庶民の家々に金品を差し入れたことは一切なく、博打と飲食に費やしたようです。鼠小僧は本当は義賊ではなく、「世をはばかる」べき盗人だったのでした。

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目の黒いうち

【漢字】目の黒いうち 【読み】めのくろいうち 【意味】瞳が黒いという意味で生きているうち。 【例文1】ワシの目の黒いうちは勝手な行動は許さん。 【例文2】目の黒いうちに嫁さんをもらってくれ。 【例文3】目の黒いうちに孫の顔を見せてくれ。 一昔前の親父が言う言葉で、目の黒いうちというのがありました。 最近は家長である父親の存在も変わってきているので、この言葉もあまり聞かなくなったような気がします。 少し前にドラマの再放送を見ていると、父親像が随分と変わってきていると感じます。 今でもある一定以上、上の世代の男性は一昔前の父親像のままという人もいます。 しかし、若い世代を中心に、父親の意見は絶対的という意識はなくなってきていると思います。 それよりもむしろ夫婦共働きの家庭が増え、家事も夫婦や家族で分担して行う家も少なくありません。 また、家のことを決める権限も父親だけではなく、家族会議で決めるという家も増えてきているように思います。 さらに時代が進んでいけば、そのうち「私の目の黒いうちは許さん」という言葉も死語に近くなっていくのかもしれません。 私は男女平等が当り前の時代に育ってきたこともあり、親世代よりも上の世代との価値観のギャップを感じることがあります。 そのため、年配の人がいる場面では同世代や若い世代のやり方ではなく、年上の世代に合わせた対応が必要だと感じています。 父親の威厳がなくなってきはいますが、ジェネレーションギャップから来るさまざまな社会問題も浮上しています。 なかなか難しい問題ですが、お互いが思いやりの気持ちを持つことで、上手く納まることも多いのではないかと期待しています。 「私の目の黒いうちは好き勝手させないよ!」と言う台詞を一度はドラマや芝居で聞いたことがあるのではないでしょうか? この台詞の意味は死んだら白目をむくことが多いので「瞳の黒いうち」=「生きてるうち」ということです。 要は私が生きてるうちは好き勝手させないよ、という意味なんですね。 このように日本人は瞳の色や目に関わる言葉で様々な感情などを表現してきました。 例えば「白い目で見る(見られる)」ですね。冷淡な目つきで見る、蔑まれる、と言う意味があります。他にも「目の色を変える」「目を白黒させる」など聞いたことがあるのではないでしょうか? 日本人と同じように外国でも瞳の色で様々な表現をしている慣用句のようなものがあります。 「black eye」は直訳すると「黒目」「黒い目」ですが、「目の周りの黒いあざ」と言う意味があります。そこから転じて「恥」や「不名誉」という意味でも使われるそうです。なので黒い目を表現するときに「black eye」と言っても伝わらないので要注意です。 もし黒い目、と伝えたい時は「dark eye」が正しい表現となります。 またロシアでは「黒い瞳」はロシアでも最も有名なうたのタイトルにも使われ、その歌の中でロマの女性の煽情的な魅力の象徴として表現されました。 この歌だけではなく「黒い瞳」への情熱的な思いを描いた小説や詩が多く、ロシアの中では黒い瞳=抗いがたい魅力として認識されているそうです。 瞳の色、1つの表現でも国によって様々な意味があり面白いですね。

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