tedukurikotoba (2563)

磨きを掛ける

【漢字】磨きを掛ける 【読み】みがきをかける 【意味】より優れるように鍛える。 【例文1】彼のバッティングはより一層磨きが掛かる。 【例文2】美の磨きを掛けたらモテるようになった。 【例文3】女に磨きを掛ける。 私は30歳になった頃あることに気づきました。それは中年太りが始まっているということです。20代の頃には特に意識しなくても、痩せていて、スマートな体型でした。しかし30歳を過ぎた頃から、お腹だけがぽっこりと出てき始めたのです。食生活は大きく変化したわけではありません。 これはまずいと思いすこしづつ自分の生活の中に運動を取り入れるようにして、油っこいものや、甘いものを極力食べないようにしました。1年ぐらいそういう風に規則正しい生活や食習慣を続けましたが、これといった効果は見られないように思いました。少し出ていたお腹は気持ち凹んだように思うくらいです。 私はその頃転職を思い切ってしました。忙しい業務や仕事外の付き合い、残業などで運度や食生活も思うようにできなくなりました。その途端にお腹がぐぐぐと出てきたのです。本当にびっくりしました。ここまで明かになってしまうものなのかと…規則正しい食生活や定期的な運動はやはり自分自身に磨きを掛けていたのです。そういったコツコツ磨きを掛ける作業は一見地味で効果がないように思いますが、その作業を止めた途端に中年太り本来のスピードで私に襲いかかってきたので、やはり地道にコツコツと積み上げていくしか道はなく自分に磨きを掛けるのはとても道のりの長い作業なのだと実感したのです。

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間が抜ける

【漢字】間が抜ける 【読み】まがぬける 【意味】大事な所が抜け落ちている。 【例文1】先方の名前を聞かないとは君はいつも間が抜けているな。 【例文2】時間が聞き取れず間が抜ける。 【例文3】肝心な本番で言葉に詰まり間が抜ける。 本人は真面目に話しているつもりでも肝心なことが抜け落ちていたり、完璧に見えて大事なところで失敗してしまう人などは「間が抜ける」なんていう言葉が使われたりもします。略して「マヌケ」とも言われることがあり「空気が読めない」略して「KY」とも近い印象を受けますが、「マヌケ」の場合は愛嬌があってどこか憎めない存在であるような気もします。そもそも日本人は「間」というものを大切にしており、この「間」によって人の印象が変わるといっても過言ではありません。 人間関係において話し上手と言われる人や、聞き上手と言われるような人は「間」の取り方も上手いように感じるのです。 英語で言えば「タイミング」でしょうか。話すタイミング、うなずくタイミング、タイミングというと能動的な感じですが、「間」というのはもっと自然な印象を受けます。 察する心や行間を読むといった日本人独特の心づかいのようなものは、人と人との関わりの中で自然と身についていくような気がします。 生活においても「間」が大切だと思いますが、便利な世の中になっていく反面、「間」がどんどん埋められていき、心を休める時間や何も考えない時間が少なくなっていくことで間抜けな世の中にはなっていないかと疑問も感じます。

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坊主憎けりゃ袈裟まで憎い

【漢字】坊主憎けりゃ袈裟まで憎い 【読み】ぼうずにくけりゃけさまでにくい 【意味】袈裟とは僧侶の衣服のことで僧侶が憎いと思ったら着ている袈裟まで憎くなるたとえで、その人に関わるものまでが憎いと思う。 【例文1】躾がなっていない子の母親の言動を見れば坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。 【例文2】暴力をふるう元彼は〇〇出身で坊主憎けりゃ袈裟まで憎いでそこには二度と行きたくない。 【例文3】加害者の家族が坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」あるいは「法師が憎ければ袈裟まで憎し」とも言いますね。このことわざの意味は、お坊さんを憎いと思うあまりお坊さんが身につけている袈裟まで憎らしくなることから、ある人や物を憎いと思うあまりそれに関係するもの全てが憎らしくなることです。このことわざを深く掘り下げてみようと思います。 袈裟とは、お坊さん(仏教僧侶)が左肩から右のわきの下にかけて身にまとっている布のことを指します。言葉の由来は、赤褐色の意味のサンスクリット語「カシャーヤ(Kasaya)」の音訳ですよ。糞掃衣・福田衣・法衣とも言います。起源は、インドの仏教僧侶が身にまとっていたボロボロの布です。本来、仏教では出家僧侶は財産になる私有物を持てません。身につける衣類も、捨てられるようなぼろ布しか許されませんでした。白い布を身にまとっていた在家者と区別するために、草木や金属錆びなどを使って黄土色や青黒色に染めていましたよ。 仏教が中国に伝わる頃には、袈裟は仏教僧侶が身につける飾りの衣装になりましたね。日本に仏教が伝わると、袈裟は色や布の組み合わせにより、仏教僧侶の位階や特権を示すものになりましたよ。江戸時代には「檀家制度」ができ、お坊さんはことあるごとに人々からお布施と称してお金を取り上げていましたから、袈裟を身につける人間も随分と変化したものですね。 類語には「親が憎けりゃ子も憎い」があります。 反対語には「あばたもえくぼ」があります。 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、とは、なかなか執念深い言葉のようにも感じますが、実際は、よくある心理状態ではないかと思います。 いわば、仕事の恨みでも恋愛に関することでも、感情に行き違いで、仮にA氏が心から憎く感じる時、そのA氏と親しくしている関係者まで嫌いになってしまう、という感情です。 自分とA氏のトラブルには全く関係ない人でも、A氏の味方となりうべき可能性があるが故に、ひっくるめて憎むという、いわば妄想が膨らんでしまった結果です。 坊主の袈裟とみなされ、心当たりのない人を嫌いになってしまう行為は、当事者にとっては理不尽極まりないことです。 極端な例でいうと、大嫌いなA氏がひいきのプロ野球球団と同じ球団を応援している、という点だけで、その球団のファンの人を嫌いになってしまう、とか、A氏が北海道出身だから、同じ出身の身近にいる人も敬遠してしまう、など。本人にとってはまったく身に覚えのないことでも、A氏と仲間としてみなされてしまうのです。 とんでもない妄想の場合もあるのですが、例えば親しい友人や肉親であれば、自分の悪口を一緒になって言っていたり、攻撃される場合もあります。 自分の身を守る為に、大き目の予防線を張っておく、という点では、自己防衛本能の一つともいえます。

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へそで茶を沸かす

【漢字】へそで茶を沸かす 【読み】へそでちゃをわかす 【意味】そんなバカげた話があるわけないとおかしくてたまらない。 【例文1】君の話しはへそで茶を沸かす。 【例文2】彼女に勝とうだなんてへそで茶を沸かすようなもんだよ。 【例文3】練習もしないでレギュラーになりたいなんてへそで茶を沸かすよ。 『へそで茶を沸かす』という言葉は、あまりにも馬鹿げていて子どもじみているや馬鹿げては可笑しくて仕方がないなどの意味があります。 この言葉の語源は諸説あるため、実際にどの説が正しい語源であるかは定かではありません。大笑いして腹が動く様子が湯が沸き出ているように見えるからという説、へそで茶が沸き出るはずがないというあざけりの意味がある説。江戸時代のお芝居にへそを人前に出している人をバカにして大笑いするという意味で、『へそを茶化す』という言い回しがあったため、こちらを語源とする説などもあります。 このように、言葉の語源は様々な説があることが多いものですが『へそが茶を沸かす』の意味自体に大きな差異はありません。 あんなに少ない人数で大勢に立ち向かうなんて、『へそで茶を沸かす』ようなものだ。 初めてのスキーでプロに勝とうなんて、『へそで茶を沸かす』ようなものだ。 素人さんが横綱と相撲をとるのは『へそで茶を沸かす』ようなものだ。 具体的にはこのように無謀な事を行う又は行おうとする人間に対して、あざける意味で使われています。 似ている意味の言葉では笑いが止まらないという漢字を使う『笑止』や笑いすぎて腹が痛くなるという意味で『片腹痛い』などがあります。 「大魔王が倒せない」というラノベは2015年12月に3巻が出たきりで、WEB版の更新も大分先との事ですが面白いので何度も小説家になろうのWEB版を読み返しています。 5章ラストよりも後の番外編の展開についての感想を書きます。そのためまだ読んでいない方にはネタバレになってしまいます。 「魔神連合」という前後編の章ですが 全知全能だと息巻くやたら態度のでかい神が面白い。なぜなのかは理由は不明ですが大魔王パエリアが常連となっている定食屋までやって来て、パエリアを自分達神々の連合に強制加入させるとの事です。パエリアが全知全能が何人もいるのはおかしい、全知全能に意識現象があるのもおかしいと突っ込みます。ここからムキになって宇宙のレベルと階層と神々の序列について語る神が情けなくて私は失笑しました。創作物の全知全能キャラを皮肉ったコメディが上手なのでぜひ読んでほしいです。さらに定食屋の息子に全知全能の不備を指摘されただけでキレ始めて小物っぽさ全開の凄み方と、自称全知全能神の攻撃が通じないのが分かった途端に、「ちょっと待って?」とか威厳もへったくれもない醜態をさらし、自称全知全能神はクトゥルフ神話のヨグ=ソトースを連想させるような能力説明を始め、ものすごい宇宙を超越した神なんだと言い訳めいたキレ芸に、へそで茶を沸かすほど笑えました。

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風前の灯

【漢字】風前の灯 【読み】ふうぜんのともしび 【意味】風で灯りが消えてしまいそうな様子から今にも壊れそうな危険に陥る。 【例文1】ガソリンがない!ガソリンスタンドも見当たらない!まさに風前の灯だ。 【例文2】100前の古民家が風前の灯状態になる。 【例文3】20年前の車が風前の灯寸前だ。 風前の灯とは風が吹くと今にも灯りが消えてしまいそうなたとえを言います。 意味は今にも壊れそうな危機的状況に陥ることです。 私はテレビで家のリフォーム番組を見るのが好きです。 特に田舎の古いドでかい屋敷をリフォームしていく過程がなんともいえない味わいがたまりません。 芸能人のお嬢様、森泉さんは大工さながらの腕がよく別荘をリフォームしたりよそのお宅も要望に合わせた使いやすさに改造します。 お嬢様なのにあえて古い家を自腹で買って全面リフォームしていく過程は素晴らしいです。あれだけ荒れ果てた風前の灯の台所、水回りや壁が腐っていた箇所も見事に修繕していきます。タレント業より職人の方が向いているようでした。わたしも下手の横好きで廃棄寸前のカラーBOXのお化粧直しくらいなら出来ます。森泉さんみたいに何でもマルチにこなせるようになりたいです。 「風前の灯」という言葉をご存じでしょうか? あまり話し言葉で使われる表現ではないので、小説などの文章の中や、テレビのナレーションなどで、一度くらいは耳にした覚えがあるのではないでしょうか。 意味としては「非常に心許ない状態」や「儚い寿命」を示していて、同じような意味の言葉に「風の中の灯」「風前の灯燭」「風口の蝋燭」といったものがあります。ちなみに「空前の灯」というのは、よくある誤用です。 さて、「風前の灯」の言葉からイメージされるのは、どんな光景でしょうか? 最近では一般家庭に仏壇があってロウソクに火がともっている場面を見掛けることも減ったように思いますので、小さな炎といえばせいぜい、ライターの炎でしょうか? 喫煙者が減少していたり、電子タバコが局所で流行していたりするので、ライターでさえ馴染みがない人もいるかもしれませんね。より多くの人が日常で目にする火といえばガスコンロですが、風が吹いて消えてしまいそうなイメージとは程遠く、キャンプでバーベキューをする人くらいしか実感が湧かないかもしれません。そもそも、IHのクッキングヒーターが普及してきて、火を身近なものと感じない層も一定数は存在するでしょう。 ところで、よくよく考えてみると「風前」というのは奇妙な言葉のように思えませんか? 目に見えない、単なる空気との境界も定かではない「風」の前とは、どこになるのでしょう? イメージとしては、今まさに風が火に向かってきている場面か、風が吹けば消えそうな火だけど今はまだ吹いていない場面か、「風前」が示すのはいずれかのように思われます。ですが、この表現は誤っているわけではありません。「風前」を辞書で引いてみると「風の真正面」以外にも「風の当たる場所」という意味があり、「〇〇の影響を受ける場所=〇〇前」という古くから使われる日本語表現の一つなのです。 こうしたイメージだけは理解できるが実感を失いつつある言葉として、「風前の灯」という表現そのものが現代では風前の灯なのかもしれませんね。

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