tedukurikotoba (2563)

魚心あれば水心

【漢字】魚心あれば水心 【読み】うおごころあればみずごころ 【意味】相手に誠意が見られればこちらもそれに応えようとする姿勢。 【例文1】魚心あれば水心で今日の取引は成功した。 【例文2】近所付き合いは魚心あれば水心で接する。 【例文3】魚心あれば水心で示談成立。 魚に水と親しむ心があれば、水もそれに応じる心があるという意味だそうです。 魚が水とは、魚に意思があるかどうかはよくわかりませんが、まあ水を好むというところでは納得です。 しかし水もそれに応じる心っていうのはちょっと無理があるよな気がします。しかしそういわれているのであれば、きっと水にも心はあるのでしょう。もうちょっと具体的な意味を調べてみます。 魚と水に例えはしましたが、相手が好意を示せば、自分も相手に好意を示すという意味のようです。これは実際には難しい話ですね。 実際これまで生きてきて幾度好意をもって告白して、幾度フラれたことでしょう。 現実は悲しいことに魚心あれば水心通りにはなかなかうまくいきません。 相手を嫌いに思えば相手も自分のことを良く思っていないことは多々あることですので、普段人と接するときはその方のいいところを見つけて好意をもって接するようにすれば人付き合いもうまくいくであろうという意味でとらえて実行して行きたいと思います。 人間関係を円滑に保つためにこの慣用句は欠かせないかもしれません。魚心あれば水心とは相手の出方次第でこちらの態度が変わるという意味です。例えば好意をもって接してくれる相手はとても印象が良くて同じようにこちらも相手に対して好意を持つと思います。またその逆も言えます。のっけからファイティングモードで接してくる相手に対してはこちらもかなり心を頑なにして戦闘モードで接すると思います。要は人間の気持ちは鏡のようなものだと言えます。自分が発した雰囲気がそのまま鏡に反射するかのように相手から帰ってくるのです。 友人関係や職場の人間関係の中でもこの魚心あれば水心というのは頻繁に感じることがあります。なので私は出来るだけ苦手な人がいたら積極的に自分から話しかけるようにしています。何か共通の話題とかを見つけて一日一会話のやり取りでもすることで、「アッこの人はそれほど嫌な人ではないんだな」と思えることがあります。何か嫌な感情をその人に抱いていたとしても、決して悪意があってのことではないのかな?と思えたりもします。 魚心あれば水心は相手の出方次第という意味ですが逆の視点でみると私の出方次第で人間関係がうまくいくという風にもとらえることが出来ます。人間関係は良いに越したことはありませんからね、これからも苦手な人にどんどん声をかけていきたいと思っています。 人に好かれるためにはどうすれば良いでしょうか。簡単な方法として『自分から相手に好意を示すこと』が挙げられるでしょう。自分から相手に話しかけに行って好意を伝えるのが良いです。しかしその際に「あなたが好きだから話しかけてみた」と言うと、相手に怖がられる恐れがありますね。なので「周りの人からあなたの話を聞いていて、それで話をしてみたくなった」などと言ってみると、自分が相手に興味を持った経緯を話すことになり、それを聞いた相手も何か話をしてくれるということがあります。このように最初は、軽微なやりとりで構わないでしょう。この段階ではまだ相手は自分に好意までは抱いてくれないかもしれませんが、興味ならば持ってくれると考えられます。 水心あれば魚心ありといったように、人に好かれるためには自分が好きになった相手に好意を伝えましょう。無論自分が好きになったからといって、誰からにも好かれることはありません。だけど自分から好意を示すことで、自分のことを好きになってくれる人だっています。もしかすると初対面では不愛想だった相手も、いずれは温和な態度で接してくれるようになるかもしれません。親睦を深めたいと思える人がいたら、まずは自分から相手に好意を示してみてはどうでしょうか。

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怒り心頭に発する

【漢字】怒り心頭に発する 【読み】いかりしんとうにはっする 【意味】激しく怒る様子。 【例文1】庭の盆栽が盗まれて犯人が見つからず怒り心頭に発する。 【例文2】スリに遭い怒り心頭に発する。 【例文3】空き巣に入られ怒り心頭に発する。 日頃の生活の中で面白くない事、自分は絶対に間違えていないのに認められずになんとなくモヤモヤしてしまう事、自分の価値観や考え方と違うのでイライラしたりムカムカしたりする事は多々ありますが、『怒り心頭に発する』という状態になる事って中々無いような気がします。 『怒り心頭に発する』というのは簡単に言えば心の底から怒るという事であって、頭にきたから怒りを露わにするという事とは若干違う気がします。 あくまでも個人的に考える感じでは、何か物凄く頭にくる事があり、腹に据え兼ねて爆発してしまう……怒りに身を任せて、時には暴力も交えてギャーギャー騒ぎ立てるのは『怒り心頭に発する』ではなく『怒髪天を突く』なんじゃないかな?なんて思います。 『怒髪天を突く』は読んで字の如く怒りで髪の毛が逆立って天を突くような様子を表しているので、怒りが外に向かって発散されているような感じがします。 一方の『怒り心頭に発する』は、怒りではらわたが煮えくり返ってはいるものの、外には発散せずにまるでマグマのような怒りがグツグツと冷めぬままに煮詰まり続けている状態なんじゃないか?と思いますね。 ただ、怒りでそのような状態に陥る事は本当に中々無い事ですし、出来る事なら『怒り心頭に発する』なんて状態にはなりたくないです。 身体に悪そうですからね。

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相槌を打つ

【漢字】相槌を打つ 【読み】あいづちをうつ 【意味】相手の話に合わせて受け答えする。 【例文1】彼女はいつも相槌を打つだけで聞き上手だ。 【例文2】うまく相槌を打って契約を取る。 【例文3】つまらない話に相槌だけを打つ。 人との会話の中で「相槌をうつこと」は実はとても重要な項目です。 意識はしていないかもしれませんが、相槌をきちんとうつことで相手は「わかってくれているんだな」と感じて、安心して会話することができるのです。 でも相槌の打ち方で更に相手に安心感を与えて話を盛り上げたり、相手の話を引き出しやすいテクニックもあります。 まずは相手の目を見ることです。当たり前、と思うかもしれませんが、案外人は(特に日本人は)話すときに相手の目を見るのが苦手な人も多いんですよね。 だけど相手の目をみながら相槌をうつことで、相手は「自分の話を興味をもって聞いてくれている」と強く感じます。 気になる異性へのアプローチとしても使えるので、会話を盛り上げることばかり考えるのではなく、相手の話を引き出す第一歩と考えて目を見て会話をするようにしましょう。 また、相手に「私はあなたの意見に同意していますよ」というアピールを入れていくのも一つのテクニック。 例えば会話の山場や相手の伝えたい本質が見えたときなどに「なるほど!」や「すごく共感できます」などのワードを入れると相槌だけで会話を盛り上げることができるんです。相槌は人と話す上ではかかせないコミュニケーションですが、いわゆる「聞き上手」と言われている人たちというのは、相槌を打つプロ、でもあるんですよね。

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我が道を行く

【漢字】我が道を行く 【読み】わがみちをいく 【意味】周囲に流されず自分の思った通り行動する。 【例文1】彼は誰の言うことも聞かず我が道を行く。 【例文2】我が道を行ってばかりでは人が付いて来ない。 【例文3】突っ走って我が道を行く。 私は営業の仕事をしていて、今は経験も積みなんとか安定した成績が取れるようになっています。入社した時は、勢いというか何も考えないで仕事をしていたので、簡単に契約が取れ成績も良い方でした。 この調子で行けば経験を積むので、年々更に良くなると考えていましたが、年々成績が悪くなりました。当時は理由がわからなくて、かなり悩む日があり仕事を辞める事も考えました。 それでも石の上にも3年というので、辞めずに働いているとある事に気がつきました。 入社当時は自分が一番新人だったので、周りの成績に興味がなくて、マイペースにやっていました。それが後輩が入って来たり、ライバル的な同僚ができる事で、自分のペースを忘れていました。その時営業成績が常に、トップだった人を見るとかなりマイペースで、会話をしていても空気が読めないタイプの人でした。周りからは、あの人は我が道を行くだからね。と言われながらも、契約はかなり取れていました。 私も忘れていたマイペースを取り戻す為に、頭に我が道を行くと刻み込み、仕事に打ち込みました。 結果的にそれ以来年々成績が上がり、今でも仕事を続けています。営業は一見空気が読めないと駄目に思えますが、恥ずかしさやためらいがない方が良い結果がでるものです。

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宋襄の仁

【漢字】宋襄の仁 【読み】そうじょうのじん 【意味】 【例文】 「宋襄の仁」と言うことわざ。初めてこの言葉を見た時、意味以前にそもそもこれは何て読むんだ?と思ったものです。 何やら画数の多い難しい字が使われていますよね。これは「そうじょうのじん」と読むらしいです。 意味は古代中国・宋の時代の君主「襄公」のとあるエピソードからきているようで。 宋と楚が戦うことになった際、宋の軍は既に布陣を済ませていたのに対し楚の軍はまだ隊列を組む前でした。 これを勝機と見た宋の公子の目夷は襄公に「楚の軍の準備が終わっていない今のうちに出撃しましょう」と進言します。 しかし襄公は非常に律儀な人で「人の弱みに付け込むなど君主のすることではない」と首を横に振り目夷の言葉を聞き入れませんでした。 そして、楚の軍が万全の状態になるまで待った結果、宋の軍はコテンパンにやられてしまいました。 このことから「宋襄の仁」と言うことわざが生まれました。すごくざっくり言うと「人に余計な情けをかけて痛い目を見た」ってことですかね。 襄公のエピソードは何かやるせないですね。だって彼は良心的な判断を下しただけですもの。でも、戦に負けて結果的には自国の多くの人間を苦しめた。 襄公はいい人だったかもしれないけど、いい君主だったのかどうかは何とも言えないですね。彼の民はどう思ったのでしょうね。 正しいだけじゃ生きていけない。綺麗事だけじゃ世の中渡っていけないと言うことなのかもしれません。人間の世界の悲しさですね。 他者への思いやりも、時と場合とリスクを考えて。「宋襄の仁」はそんなことを我々に教えてくれる言葉なのかもしれませんね。

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