tedukurikotoba (2563)

柳に雪折れなし

【漢字】柳に雪折れなし 【読み】やなぎにゆきおれなし 【意味】しなやかな柳に雪が積もっても折れないことから、柔らかいものは堅いものより意外と丈夫である。 【例文1】場合によっては大人より子どもの考え方が、柳に雪折れなしの柔軟性がある。 【例文2】こんな小さい物でも耐久性に優れた柳に雪折れなしだ。 【例文3】小さいけど作りは頑丈で柳に雪折れなしだ。 「柳に雪折れなし」とは「柔軟なものは堅剛なものよりもよく事に堪えることができる」という意味です。柳で思い浮かべるのは小野道風(おののとうふう・みちかぜ)です。というと花札を思い浮かべる方もあると思います。そうです、花札に小野道風が傘をさして、柳に飛びつこうとする蛙を眺める絵柄があります。小野道風は平安中期の書家で三蹟の一人に数えられています。祖父は小野篁(おののたかむら)という平安前期の官人でありながら、学者であり、歌人であった人です。小野道風は若くして書に秀でた人でしたが、彼もスランプに悩んだ時があり、自分の才能のなさに嫌気がさしてもう筆を折ろうかとまで悩みます。そんな時、雨の中で、一本の柳の枝に跳びつこうと必死にジャンプする蛙を見つけます。届きもしないのに何度もチャレンジしている蛙を見て道風は「馬鹿な蛙よ、届きもしないのに何度も跳んで」と考えていたところ、突然強い風が吹いて柳の枝がしなり、蛙は跳びつくことに成功します。それを見た道風は「馬鹿なのは己の方であった。蛙は一所懸命に努力をすることで、偶然を自分のものとしたではないか。自分はまだこの蛙ほどの努力をしてはいないではないか」と考え直し、走って家に戻りました。その後、彼は必死に努力をし、柳のように耐え書家としての地位を築くのです。この逸話が戦前の道徳の教科書に載ったことから有名になりました。残念ながら真偽のほどは確認できないそうですが、今では花札の中にこの話は残っています。

Continue reading...

物ともしない

【漢字】物ともしない 【読み】ものともしない 【意味】どんな困難であろうとめげずに突き進む姿勢。 【例文1】たちの悪い連中に物ともしないで立ち向かう勇士。 【例文2】物ともしない姿勢に惚れた。 【例文3】物ともしないで意見する。 将棋界の新しいスターが誕生しました。デビュー戦から連勝記録を伸ばし続けて単独一位まで上り詰めました。しかも中学生14歳というから驚きです。さらにその言動がすごくいい意味で大人びていて、昭和の雰囲気が漂っている感じがします。中学生でこんな難しい言葉を使うのかと感心します。そして一戦ごとに注目が集まり将棋の対局もカメラに囲まれて大変なことになっています。心理戦でもあるのにこんなに外野が騒がしいのはなんか気の毒な気がします。しかし周りの加熱ぶりを物ともしない落ち着きを見せているあたり、彼は本当に大物だなと思います。物ともしないに使われているこの物ってどういう意味でしょうか?物ともしないのなら何にするの?と突っ込みを入れたくなってしまうような慣用句です。しかし金に物言わせる、物は試し、物は言い様、物になるなど非常に抽象的な言葉であるがために慣用句に沢山使われる言葉でもあります。物自体は何の映像も持たない言葉で慣用句の中に入って初めて意味をもつそんな不思議な言葉です。 藤井聡太君の話しに戻すと、彼の将棋の強さはまさに終盤にあります。しかしまだその力を発揮出すまでの対局はないそうで、今までのところ相手を物ともしない圧勝が続いているそうです。それを聞くとこれからがますます楽しみになってきますね。 物ともしないとは困難な状況でも諦めない精神を言います。 私は結構困難な状況に陥るまでの経験はありませんが、やり遂げる自信はないです。苦労することが嫌いですから。 物ともしないというとアスリート選手がそうではないでしょうか。私たちがテレビで見て活躍する選手は当たり前のように強い・すごいとか思っていますけど、よく考えたら一流のアスリートになるまでの道のりは並大抵のことではないでしょう。本当に尊敬します。 私の経験はございませんので知り合いの体験をお話します。 友人は中学を卒業して家業の工務店に就きました。親子2代で現場を飛び回っています。親父さんは昔堅気の人で現場は見て覚えろという人だったらしいです。とはいえ16歳で初めて職に就いた彼も初心者です。何が何だかわからず、見よう手真似でもすぐに習得できる作業ではありません。聞いても教えてくれるわけではないらしく、自分で判断するとミスをして大目玉を食らう毎日にうんざりしていたそうです。しかし、彼はいつか見返してやるとがんばり、1年経ってようやく怒られる事が減ってきたと少し喜んでいました。次は褒めれれたいと意気込んでいます。

Continue reading...

目頭が熱くなる

【漢字】目頭が熱くなる 【読み】めがしらがあつくなる 【意味】ジ~ンと感動して目に涙を浮かべる様子。 【例文1】卒業式で目頭が熱くなる。 【例文2】我が子の晴れ姿に目頭が熱くなる。 【例文3】父は娘のウエディング姿を見て、目頭が熱くなる。 私の趣味は映画やドラマを見る事です。 特に連続ドラマが好きで毎週ドラマを見るにつれて登場人物が成長したり変わりゆく姿を見ていると何だか自分も物語の中にいる様な気持ちになります。 そして、最終回を迎えると主人公の選択に納得したり感動的な結末につい目頭が熱くなる事もあります。 ドラマを見終わり余韻に浸る時間がまたさらに良くてそんな時間も含めてドラマを見るのが好きです。 特に目頭が熱くなるほど心に響いた作品はDVDの発売がいつなのかやサントラCD・原作本の発売がかるのかが気になります。 つい先日もいくつかのドラマが最終回を迎えその中で2作品、原作本が存在しているのを知り本屋さんで小説を購入しました。 物語の結末は知っているとは言え活字で読むと更に想像力が増して物語を2度楽しむ事が出来た気がします。 原作本ではドラマでは収まりきれなかった事柄や登場人物についてより掘り下げて描かれているので新たな発見があったりする部分がまた魅力の一つです。 そして、ドラマと映像の両方を見終えた時には心に響く作品を作って下さった作者さんに感謝の気持ちでいっぱいになります。 物語の世界に感情移入出来るほどの作品を作れるって本当に凄い事ですよね。

Continue reading...

矛盾

【漢字】矛盾 【読み】むじゅん 【意味】先に言っていることと後から言っている言動が合わない。 【例文1】「多少のミスはいいから早く仕上げろ」「ミスは許されないからゆっくり丁寧に仕上げろ」と両者矛盾している。 【例文2】上司の言動は矛盾だらけだ。 【例文3】ダイエット中なのにケーキを食べるという矛盾。 「どんな盾でも貫くことができる矛」と「どんな矛の攻撃にも耐えられる盾」は両立しない。 どちらかが正しいならば、もう片方は必ず間違いになってしまう矛盾の語源です。 つじつまが合わなくなるのは当然なのだが、矛と盾を売っていた男が悪あがきしてみることを考えてみました。 その一、「盾の内側に矛を収めた形で使用すれば、どんな攻撃も受けきることが可能です」 盾の頑丈さを増すために矛を使ってしまうので、矛を使うことを制限できます。 問題点としては、それは盾としての性能を示していないという指摘が出ます。 その二、「新技術、高速回転で攻撃を弾き飛ばす盾、打ち込んだ瞬間に回り込み相手を倒す矛」 回転の中心部分も移動し続ければ物理攻撃は弾き飛ばすことが可能と思われます。 三節棍に刃をつけたような武器なら回りこんで斬りつける事も可能でしょう。 問題点は、回転する盾の製造技術の開発と、回転する盾を使いこなせる兵士が必要です。。 三節棍に刃をつけて矛と呼べるかということです。しかも貫いていません。 その三、「実は盾型の矛であり、矛型の盾、現品一点限り」 盾に使えるくらいに幅広の矛、一点ものなので自身を突いて受けることなど不可能です。 問題点は、他の矛で突かれたり、他の盾を貫くことを試される懸念があることです。 その四、「試してみたければ両方を買ってくれ」 盾はそれなりに頑丈なので容易に貫かれることはないはずです。 問題点は、金を受け取った後いかに迅速にその場を離れられるかということです。 人は生きていると昨日と今日では思う事が異なったり矛盾してしまう事が良くあると思います。 それは一見、考えにまとまりがないように感じますが生きているからこそこの様に日々考えが変わりそんな部分も人間味があって面白い部分だと思います。 また、矛盾と言う言葉の矛先を変えて考えるとまた違う目線で物事を見る事が出来るのではないでしょうか。 例えば、自分自身の矛盾は自分で解決へと導く事が出来ますが他人から突きつけられた矛盾はなんだか相手の意図が分からずなんだかモヤモヤしてしまう事がありますよね。 自分自身の中で矛盾に感じるのはダイエットしなきゃと言いつつも食べる量が変わらなかったり行動に移せない時に今の私は矛盾しているなと感じます。 そして、これまでに出会った人の中で自分に優しく人に厳しいタイプの人に出会った時には矛盾を感じてしまいました。 具体的にはその人は他人に厳しく多くを求めるのだけれど自分自身にはとても甘くて人に求められると上手く交わす様な人でした。 この様に言葉や考えが言動が伴わない時に人は特に矛盾を感じやすいように思います。 そう考えると自分の考えや行動により相手が矛盾を感じていないかなと客観的に自分を見て見るのも大切だと思います。

Continue reading...

見ざる聞かざる言わざる

【漢字】見ざる聞かざる言わざる 【読み】みざるきかざるいわざる 【意味】日光東照宮にある三猿がそれぞれ目・耳・口をふさいでいる。幼いうちは純真で周囲の影響を受けやすいもので、悪い事は見ない聞かない言わないの教育をしておけば、いつでも正しい判断ができるようになるもの。 【例文1】見ざる聞かざる言わざるの子育てをする。 【例文2】見ざる聞かざる言わざるをお手本にする。 【例文3】深夜の行動は教育に悪い。見ざる聞かざる言わざるだ。 日光東照宮にある三匹の猿の木彫りは「見ざる聞かざる言わざる」を身をもって表現していますが、意味は二通り考えられるようです。 一つは、子どものうちは悪いことを見たり聞いたり話したりするものではない、という意味です。 素行の悪い人間と深く関わらないよう注意することは出来そうですが、完全な純粋培養教育が可能とも思えませんし意味があるとも思えません。 反面教師という言葉があるくらいに、何がどのようなに悪いことなのかを具体的に見聞きしたほうが単純に納得できそうです。 教科書に記述された昔話や創作でもショッキングな描写はありますが、現物とは差が大きいように思えます。 実社会に出てから、いきなり本物の悪意と対峙する状況になってもまともに対応できないでしょう。 悪意に慣れろとは言いませんが、尻込みするような情けない人間などには育って欲しくないものです。 もう一つは、余計な事を見たり聞いたり話したりすると巻き込まれかねないので避けるように、という意味です。 真正面から悪と取っ組み合いの大喧嘩をして刺し違えてでも倒すことなど、誰も期待していませんし強要もされないです。 目の前の悪行を見て見ぬふりをし、悪を非難する声を聞かなかったことにし、その非道に対して口をつぐむようでは正しい社会など望むべくもありません。 実際には、猿知恵を働かせて当たり障りのない行動しかできない猿ばかりというのが今の社会です。

Continue reading...