tedukurikotoba (2563)

顔に泥を塗る

【漢字】顔に泥を塗る 【読み】かおにどろをぬる 【意味】名誉やプライドを傷つけたり、恥をかかせたりすること。 【例文1】親の顔に泥を塗るような言動は慎む。 【例文2】一人の社員の不祥事で会社の顔に泥を塗る。 【例文3】暴力問題で学校の顔に泥を塗る。 「顔に泥を塗る」とは、お世話になった、または良くしてくれた方の面目を失くす行為、誇りを傷つけてしまう意味があります。悪い意味で使用される言葉ですね。 恩師である教師の熱血指導にも関わらず、部活をさぼり恩師の顔に泥を塗るなど、相手の行為に対して応えることができなかった時にも使われます。 他人に恥をかかせてしまうことは日常生活でもありますよね。ちょっとした言葉によって相手のプライドが傷ついたり、本人が意図せずとも知らず知らずのうちに、目上の方や友人、家族を含めて「顔に泥を塗られた!」と感じることがあるでしょう。 礼儀作法や受け答えをしっかりしても、人間一人ひとりにはルールがあります。そのルールを外れた行動、言動をしてしまうと「顔に泥が塗られた」です。プライドが高い人ほどそのように感じていると思いますが、その方に接する人間も疲れてしまいますよね。 逆にちょっとしたことで「顔に泥が塗られた」と思い方たちは、その行動でまた他人の顔に泥を塗っていると思います。大声で怒鳴ったり暴力を振るったりと、酷い仕打ちを受けた方を何人も見てきました。 なので私は「顔に泥を塗られた」と発言する人は信用しないようにしています。

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屋上屋を架す

【漢字】屋上屋を架す 【読み】おくじょうおくをかす 【意味】屋根の上にさらに屋根を架けるように、重複して無駄なことをする。 【例文1】洗剤を規定量以上入れても洗浄力は変わらない。そんなにたくさん入れたところで屋上屋を架すようなものだよ。 【例文2】わからない問題を何時間も考えて屋上屋を架すだ。 【例文3】ストックが多すぎて場所が屋上屋を架す。 「屋上屋を架す」は「おくじょうおくをかす」と読み、直接的には「屋根の上に屋根を作る」という文で、無駄なことを指します。 数十年の人生で一度も聞き及んだことのない言葉なので調べてしまいました。 屋根の上にワザワザ、屋根をさらに作るとは、一体どのような状況だったのでしょう。 屋根の上に屋根がある建物といえば、五重塔が思い浮かびますが、建築美によるものであろうと推測されるので無駄という表現にはあたらないと思います。 文化財などの修復のために建築物をさらに大きな建物ですっぽりと覆うのも屋根の上に屋根ですが、これも必要とされたからで全く無駄ではありません。 中国の古文(顔氏家訓)が語源らしく、そちらは「屋下に屋を架かする」でした。 「牀上に牀を施す」と続きますが、二段ベットが無駄であると主張しているわけではないようです。 その時代の学問が古い時代の模倣に終始していることを嘆いて言った言葉のように読み取れましたが、正確かどうか自信がありません。 多分、使うこともないであろう言葉の語源について調べることは、かなり無駄のようにも思えます。 この言葉について調べる手間が少しでも省かれたなら無駄ではなかったことになると、とりあえず思い込むことにします。

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嘘つきは泥棒の始まり

【漢字】嘘つきは泥棒の始まり 【読み】うそつきはどろぼうのはじまり 【意味】平気で嘘をつくとやがて泥棒も平気でするようになるという戒め。 【例文1】嘘つきは泥棒の始まりだと親が子どもに教える。 【例文2】嘘つきは泥棒の始まりだと生徒を叱る。 【例文3】嘘をつき始めると嘘つきは泥棒の始まりと言って罪悪感すらなくなる。 私は嘘をついてもすぐにバレてしまいますし、嘘を黙っている自分に耐えられないので、なるべく嘘は付かないようにしています。 嘘は泥棒の始まりと言われるように、やはり悪いことなのだと思います。 誰も見ていないからと言って泥棒をしたとしても、必ずお天道さまは見ています。 これと同じで嘘を付いたことは、当然お天道さまにはお見通しです。 嘘を付くということは、自分の中にやましい気持ちを持つことになります。 それに一生耐え続けられるような自分ならまだしも、自分が言わなくても周りからバレてしまうことは良くあります。 この自分から白状しなくてもバレてしまうということは、やはりお天道さまの力なのかもしれません。 どんな時でも嘘を付かないように気をつけたいものです。 かなり前になりますが、良いところへ就職するためにはコネが必要だと言われたことがありました。 それが当たり前の時代だったのですが、私はそれが不正に思えて、自分に嘘を付きたくないと思い、コネを使ってまで良い仕事に就きたくはないと断ってしまいました。 後になってコネで良い仕事に就いた人は能力不足で退職したと噂で聞きました。 嘘をつくことに良心がとがめなければ、そのうち盗みを働くこともいとわなくなるという意味です。 嘘をつくことが悪いことなのは理解できるし、社会の規範を無視して他人の財産をちょろまかすようになるのも想像できます。 嘘をついた時点で、自分が咎められるはずの責を回避し相手に某かの損失を与えていることを考えれば、権利や財産を奪ったとも表現できるのでしょうか。 嘘や泥棒にも色々あります。 某有名映画の泥棒は少女の心というとんでもないものを盗んでいったようだが、嘘をつくどころか言ったこと全部を本当にしようとしたほどです。 創作物の中に登場する架空の人物ではあるが、希少な美しい例外とも言えます。 最近の悪代官的な地位にある者達は、嘘は言っていないが、本当のことも言っていないというロクデナシです。 最終的に追い詰められると「黙秘します」などと言い出す面の皮の厚さは、永久保存で子々孫々まで飾っておけと言いたいです。 盗む以上の大迷惑を数えることも不可能なくらい多くの人々にかけても平気でいられる神経の図太さは如何なる嘘をつき続けてきた結果でしょうか。 生まれついての悪人など存在しないと思いたいが、どのような生い立ちをたどれば世にこれほど悪人があふれるのか知る必要はあるのかもしれないが、詳しく知りたいとも思えません。 主に幼少の子どもが嘘をつき出した頃に諭す手段に用いる用語です。 成長過程、あるいは大人になっても言われている人もいますので、一概に子どもにしか使用しない用語とは言い切れない場合もあります。誰しも一度は親もしくは身近な大人に「つまらない嘘をつく奴は将来泥棒になるぞ。昔からよく言うじゃないか、嘘つきは泥棒の始まりと」などと聞かされた事があると思います。(最近の子達が果たして言われているかは不明ですが)それ位ある意味親しみのある言葉とも言って良いかもしれません。嘘を付けば本当に皆泥棒になると思いながら注意する人はそうそういないと思います。あくまでも一つの考え方、注意の方法で言っているだけの日本人にとって只の戒めとして使いやすい言葉になっていると思います。子どもが軽い気持ちで嘘をついていると段々嘘に対する罪悪感が薄れて行き、泥棒さえ抵抗なくやってしまうかもしれない可能性を危惧し、そうならぬ様早めに嫌な可能性を潰しておきたいに過ぎない思いが「嘘つきは泥棒の始まり」をつい使わせる要因でしょう。実際、泥棒に手を染めた人には中々諭す言葉も難しくせいぜい「逃げ得は許さない」位でしょうか? 幼心に芽生え始めたズルさに対し、楔を打っておきたい時用いる便利な格言というのが妥当な所だと思います。

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息の根を止める

【漢字】息の根を止める 【読み】いきのねをとめる 【意味】相手を完全に打ち負かす。決定的なダメージを与える時に用いる。 【例文1】証拠が揃ったところで、今日こそ息の根を止めてやる。 【例文2】二度と悪さができないように完全に息の根を止める。 【例文3】ハンターが一発で息の根を止める。 息の根を止めるということわざは、相手を完全に動かなくして行動できなくする意味があります。恨みつらみはあると思いますが、息の根を止めたいと思わせるには、一体どんなことをすれば思われるのでしょうか。強い怨念や執念のようなものを感じますし、今後の活動も不可能にすることを目指す意思も伝わります。 恐ろしいですよね。存在そのものを消す、あるいは息の根を止めたい人物や事柄の権利を考えていないようにも感じます。完全に「死」をイメージさせることわざでもあります。 よくアニメやゲームに登場するカッコいい主人公が放つ言葉のイメージです。「完全に息の根を止めてやる!」とボス戦に挑む主人公一行が目に浮かびますね。絶対に倒すべき相手に対しての言葉でもあり、主人公の負けられない強い意志も感じることわざです。 日常生活では友人らとふざけた時や、アニメの主人公に憧れて使用することがありますが、頻繁に使うような言葉ではありません。二次創作の中限定で発せられることわざではないかと考えています。リアルで言ってもカッコを付けていると見られてしまい、良い感情を持ちませんよね。ですからこの言葉は創作作品において真価を発揮すると思うのです。

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空き樽は音が高い

【漢字】空き樽は音が高い 【読み】あきだるはおとがたかい 【意味】中身が入った樽を叩くと重々しい音がするが、空っぽの樽を叩くと甲高い音がすることから、中身のない人ほどよく喋る。 【例文1】噂好きの人こそ空き樽は音が高い。 【例文2】井戸端会議の内容は空き樽は音が高い。 【例文3】次から次に話題を持ち出し空き樽は音が高い。 空き樽は音が高いとは、中身のない人ほど良く喋るという例えを言いますが、私はこの言葉の例えを知ったとき、本当にその通りだなと思いました。 私の周りにいる人でやはり良く喋る人が何人かいるのですが、みんな語っている自分に酔っているというか、口ではいかにもな発言をしていても行動が伴っていないような人ばかりなのです。 みんながみんな同じようなケースではありませんが、ある人は、いかに自分が物知りであるかのように、自分なりの考えをもっともらしく語り、先生のように周りにアドバイスをしているのですが、実際は言うことと行動が伴っておらず、「あんなに偉そうに語っていたのに、実は間違った考え方だった」ということが何度もあるのです。 また、もう一人は、まるで占い師であるかのように、相手が悩んでいる苦しんでいると勝手に決めつけ、これからの生き方をアドバイスしたり、「なにかあったら私が助けてあげるから!」などと頼もしいことを言っておきながら、いざとなると知らないフリをするといった薄情な人もいました。 そのほかにも、やはりおしゃべりな人を思い浮かべると、中身がなく信用に欠ける人ばかりだなと感じます。 話のネタに困った時には、このようにおしゃべりな人がいることで、その場の雰囲気も盛り上がり助かることもあるのですが、中身がないと深く付き合えないのでもったいないですね。

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