tedukurikotoba (2563)

二度あることは三度ある

【漢字】二度あることは三度ある 【読み】にどあることはさんどある 【意味】同じような出来事が2回あると、またそうなる可能性があるもの。 【例文1】二度あることは三度あるどころじゃない。彼の悪い癖は永遠だ。 【例文2】同じ場所で一時停止で捕まった。二度あることは三度あると言うから次は気をつける。 【例文3】乗り合わせた女性に一目惚れした。二度あることは三度あるとまた同じ電車に乗る。 私は株取引をしているのですが、ある時とある銘柄がお祭り騒ぎになりました。 特に何も材料が出たわけでもないのに、買い注文が殺到して、株価がうなぎ上りに高くなって行ったのです。 なので私もこのお祭りに便乗しようと思い、この銘柄の株を買おうとしました。 しかしあまりにも短期間で株価が値上がりしていたので、買う直前になって株価が急降下したらどうしようと怖くなり、結局買いませんでした。 この後株価はさらに値上がりして、この時買っておけばよかったなと後悔したのです。 その後別の銘柄で、同じようなお祭り騒ぎが起きました。 今回も同じように短期間で株価が急上昇して、多くの人が利益を上げていました。 それで今度こそは、私もその利益を得ようと考えたのです。 ですがまた買う直前になって臆病風が吹き、怖くなって買いませんでした。 今回もまたその後も株価が値上がりして、また後悔をしたのです。 これからしばらくして、またもやお祭り騒ぎが起こりました。 今回も買う直前になって臆病風が吹きそうになりましたが、二度あることは三度あるという言葉を信じで、今度は買う事が出来ました。 言葉通り株価はその後も上昇を続け、大きな儲けを得る事が出来たのです。 一般的に二度あることは三度あると言う言葉は悪い事が起きた時に使いますが、今回の一件で良い事の時にも当てはまるなと思いました。 二度あることは三度あるとは同じようなことが二度あると、もう一度繰り返してしまうものだから注意しなさいという意味です。使う時としたら例えば「同じ場所で2回スピード違反で捕まった。二度あることは三度あるから次からは気をつけないと。」といった悪いことの場面で使います。この二度あることは三度あると矛盾しているということわざが「三度目の正直」です。これは一度目と二度目はあてにならないが、三度目なら確実であるということや、二度の失敗の後には成功することをいいます。つまり三度目には成功するということですね。確かに矛盾しているかのように思いますが、人間誰しも起こったことを肯定したいものです。失敗したら二度あることは三度あるといい成功したら三度目の正直と上手いように使える言葉ですね。ちなみに、このことわざはデータとして出ているみたいです。「二度あることは三度ある」は75%、「三度目の正直」は25%みたいです。どちらかというと二度あることは三度あるの悪い事の方がやはり繰り返しやすいということですね。ですので、三度目の正直を信じるより二度あることは三度あると思って生活していた方がより注意しようと思い、悪い事の事前防止が出来るのでいいですね。

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なくて七癖

【漢字】なくて七癖 【読み】なくてななくせ 【意味】欠点がないような人でも多少は癖があるもの。 【例文1】自分のなくて七癖は気づきにくいもの。 【例文2】なくて七癖と言うけど3つはある。 【例文3】なくて七癖は無意識に行うもの。 私の友人は自分には癖がないと言ってはいるのですが、私はこの友人の癖をたくさん知っています。 まず一つ目は誰にでも分かる癖で、話し始める時にえ~を付ける所です。 え~これがこうなってとか、え~私は何々とか、やたらとえ~を付けるのです。 気になってこの癖の事を友人に話してみたら、しばらくの間はえ~を言わなくなりました。 しかし時間が経つと徐々にまたえ~を付ける様になり、今では元のようにえ~を連発するようになってしまいました。 これは癖で言っても直るとは思えないので、もう指摘はしていません。 二つ目の癖としては、やたらと鼻の頭を指で触る事です。 会話をしている途中に何度も鼻の頭を指で触るので、落ち着いて話が出来ない事があります。 この癖も以前指摘した事があるのですが、言ってしばらくの間はやめる物の、時間が経つとまた触り始めるので、言っても直る癖ではないようです。 また三つ目の癖としては、ウソをついている時に目が泳ぐ事です。 口ではもっともらしい事を言うのですが、目が泳いでしまっているので、直ぐにウソをついていると分かってしまいます。 この癖を友人に話してしまうと直されてしまう恐れがあるので、何も言わずに面白がっています。 なくて七癖と言う様に、癖がないと公言している友人にもこれだけの癖があり、癖がない人なんてこの世にはいないはずです。 「なくて七癖」には続きがありまして、「あって四十八癖」とつながるのだそうです。 似たような言葉に、「人に七癖我が身に八癖」というのもあります。 習慣化された行動の傾向とでも分析すればよいのでしょうか。 ある意味では、日常の訓練の末に最適化された行動とも考えられなくもないです。 しかし、癖と呼ばれる範囲にある行動は、他人からすれば耳目に留まるだけで不快感を煽るものが多いです。 列挙するのも不愉快なのですが、思いつくまま挙げてみます。 頭を掻く、髪をいじり続ける、首や肩などをコキッと鳴らす、顎を撫で回す、片肘をつく、貧乏ゆすりをする。 本人は無意識にしているのかもしれませんが、時として他人目には煩わしいものに映ることがあるので辞める努力が必要そうです。 口癖は、意識的に使う人もいますが、思考を放棄して多用する人が多いように見受けられます。 正直に言って、テレビなどであれば出てきた瞬間にチャンネルを変えられかねないくらいに不快な場合ものあります。 食後の晩酌や喫煙も習慣化されているなら癖に入りそうです。 酒関係の癖で言えば、笑う・泣くですめば被害は少ないですが、暴言・暴力が頻発する酒癖の悪い人間には絶対に関わるべきではありません。 人間の根本的な部分、本性が表に出た状態の行動が癖なのですから、簡単に直るわけがないのです。 虚言癖や盗癖などの社会的に完全アウトな犯罪行為も癖と表現されるあたり、癖の闇は深いと言えます。 将棋界では中学生14歳の藤井聡太君の大活躍でとても注目されています。将棋を知らない人でも気になって藤井4段の対局がある日は仕事が手につかないなんて人も多いと思います。しかし将棋は長丁場ですフルで戦うと10時間にもなるというから驚きです。藤井聡太君の癖というのが勝利を確信した時に相手をチラ見することです。本人は意識しているのかは分かりませんがなくて七癖なんでしょうね。もしかしたらこれは癖ではなくて藤井聡太君の心理的な作戦かもしれません。 箱根駅伝の山の神の一人である柏原竜二君も勝負をかけるときに相手の顔をチラ見する癖がありました。柏原君の場合はチラ見というよりはにらみつけるという感じでした。前を走っている相手を一気に抜き去るときもありますが、しばらく並走してタイミングを見計らってスパートをかける時もあります。その時の柏原竜二君の癖がチラ見なのです。相手が弱ったタイミングを逃さない戦法なのです。 こういった勝負事は実力以上に運が物を言う世界です。運を自分に呼び寄せるためには心理的な駆け引きも重要になってきます。これからますます注目される藤井聡太君。チラ見の他にどんな七癖があるのかそちらの方も楽しみです。

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遠くて近きは男女の仲

【漢字】遠くて近きは男女の仲 【読み】とおくてちかきはだんじょのなか 【意味】男女の仲は遠く離れても意外と結び付きやすい。 【例文1】私達が出会ったのも、旅に出て遠くて近きは男女の仲だったね。 【例文2】遠くて近きは男女の仲だから遠距離恋愛も平気だ。 【例文3】引っ越しても遠くて近きは男女の仲だよ。 距離感があるように見えても意外と結びつき安いのが男女の仲ですが、そのようなことがあるから人間というのは生きがいを感じ頑張れるのではないかと思います。 職場、友達付き合い、習い事や行きつけの店など、どんなところにも出会いは転がっていて、いつどんなことがキッカケで親しい仲になるかなんてわからないもをのですよね。 ついこの前までただの同僚だった相手と、仕事をフォローしてもらったことがキッカケで親しくなったり、友人関係だったはずが、恋愛相談をしているうちに男女の仲になってしまうなど、遠くて近きは男女の仲といわれるカップルも多いのではないかと思います。 同性同士であれば何とも思わなくても、やはり異性となると、どんな場所でも少なからずお互いに意識しているからちょっとしたことがキッカケで親しくなってしまうのでしょうね。 特に女性同士では、表面的には親しくてもお互いがライバルだったりするのに対し、男性は優しく悩み事や愚痴を聞いてくれることが多いので、親密になりやすいのかもしれません。 生理的に受け付けないタイプでない限り、口や態度には出さなくても顔見知りの相手と親密になれるチャンスを狙っている人もいるのではないでしょうか。 そのようなチャンスがあるからこそ、この退屈な毎日に刺激を与えることができるのでしょうね。

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手心を加える

【漢字】手心を加える 【読み】てごころくわえる 【意味】手加減をする。寛大に扱う。 【例文1】孫にはいつも手心を加えてしまう。 【例文2】娘の言葉には手心を加えるパパだ。 【例文3】我が子の可愛さあまり手心を加える。 相手の力量を鑑みて、手加減することを「手心を加える」と表現するわけですが、どのような心をもって実行しているかにより印象はかなり異なります。 運動とくに格闘技などであれば、上級者は未熟な初心者に対して手心を加えるのは当然です。 武道・武術は命をかけた真剣勝負なので全力で相手を倒すべきだ、などという問答無用な死合形式では命が幾つあっても足りません。 日々の訓練で上達を期待して指導するのが本意であるべきなのですから、手心を加えるのは正しい方法と言えるでしょう。 これとは逆に、手心を加えてはダメな状況というものもあります。 試験や検定の審査・審判などは、手心を加えるような余地があってはいけません。 審査が手加減されてザルになってしまうのは、コネや人脈などの不正な人間関係が行使されることによります。 結果が公表されれば実力不足から不正は明らかになるのですが、現実にそのような不祥事はあちこちで発覚しています。 権力者が権力を行使して何が悪いといった我侭な考えで、関係機関に不当な圧力をかけたことによるものなのでしょう。 手心を加えざるを得ない状況に追い込まれた人の心は、何ともお察ししますと言いたいところですが不正は不正。 巻き込まれたからといって、断罪に手心が加えられることなど期待すべきではありません。 寛大に対処することや手加減をする意味合いがある「手心を加える」ですが、日常生活で寛大に処理する出来事が起きても滅多に使用されることはありませんよね。 本当はいけないけれど「おまけをしてあげる」という意味と似た使い方をするのでしょうか。 類義語としては「目をつぶる」や「大目にみる」がありますが、やはり不手際を無かったことにして貰う行為を意味する言葉ですね。広い世代で通じる言葉ではありませんが、「おまけをする」で多くの方がその意味を理解できるので、「手心を加える」は少し丁寧すぎる言い方だと感じます。 これは日本人の人情から来た言葉ではないかとも考えられます。親しい人間が不手際をした際に、人情によって見逃すことや手を加えて問題を解決してあげるなどです。外国の事情はわかりませんが、外国にも「手心を加える」に類似する言葉は存在するのでしょうか。 手加減も連想しますから、その行為に甘えることも意味として含まれるのかと思います。悪い印象も存在する言葉ですが、一般には良いことを連想させるので「おまけをして貰うのはズルい」と考える方にとってはそう感じるはずです。手心を加えられて助かることのほうが多いので私は良い印象があります。 私は、会社の野球部に入っていて、休みの日は練習や試合をしています。そこまで力を入れているチームではないですが、試合は定期的に行っています。 先日、ライバル的存在のチームと練習試合をした時に、私のチームのキャッチャーが打者の振ったバットにあたり、足を怪我してしまいました。骨に異常が無いか検査する為、監督が付き添いで病院に向かい、補欠がいない私のチームは1人足りなくなりました。 練習試合だから、8人でも可能ですが、不利な部分が多いので、相手チームと試合を続けるか話し合いました。相手チームは、私のチームと同じくらいのレベルだったので、ライバル心がお互いにあって少し微妙な関係でした。 話し合いの結果、1人相手チームから私のチームに助っ人で来ることになって、試合を続行することになりました。補欠の人が来るかと思っていたら、相手チームの4番をやっている人が来てくれたので、みんなで驚きました。 そんな手心を加える采配に、私やチーム全員が感激をして、それ以来そのチームと仲が良くなりました。練習する時も、人数が足りない時はお互い協力するようになって、姉妹チームのような関係になっています。 また、怪我をしたキャッチャーは、骨に異常も無く元気に今でも活躍しています。

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罪を憎んで人を憎まず

【漢字】罪を憎んで人を憎まず 【読み】つみをにくんでひとをにくまず 【意味】人が犯した罪は憎むべきだが、罪を犯した人までも憎んではならない。 【例文1】あの時はざんざん迷惑かけられたが、罪を憎んで人を憎まずだ。 【例文2】罪は充分償ってもらった。罪を憎んで人を憎まずだ。 【例文3】罪を憎んで人を憎まずと言うけれど、被害者家族はそうでない。 先日課長が飲酒運転で逮捕されてしまいました。直属の上司だっただけではなく、プライベートでも付き合いのある上司なので日頃の上司の仕事ぶりや人柄もよく知っています。パワハラと感じる叱責をいつも受けていました。 部下からの信頼が厚く、部下のミスを何とか解決しようと日々奮闘してくれる方でした。今年の4月に新しい部長が異動してきてから課長の苦悩の日々が始まったように感じます。休みの日でも必ずこっそり出勤してきて書類仕事をしていたのを思い出します。数人いる課長はそれぞれ自分の業務をこなすことに必死で助けあう余裕はなさそうでした。 課長の頭はいつの頃からか円形脱毛症になり、頭にはいくつも髪の毛が円形に薄くなっている所がありました。お酒を飲む量も回数も増えてきていたと思います。 職場では彼を擁護する人ばかりです。彼の仕事ぶり、人間性を知っているからです。他の部署の人たちは興味本位で色々な事を尋ねてきます。それでも私たちのように課長とともに仕事をしてきた人たちは噂をすることもありません。一番傷ついているのが本人だと分かっているからです。彼が犯した罪は社会的には許されることではありません。そして彼は職場にもう戻れなくなりました。どうにかして戻ってこれないかという部下の願いは叶いませんでした。彼の罪に対しては許す人はいないと思いますが、だからと言って誰も彼自身を憎む事はありません。まさに「罪を憎んで人を憎まず」を実感しました。 罪を憎んで人を憎まずとはどういった意味があるのでしょうか。私は罪を犯した人間が100%の比率で悪いと思っていますが、よく考えれば、もし被害者が罪を犯したくなかった場合と、その時の周辺環境によって引き起った可能性も存在するのです。 犯罪もそうしなければ自分の命が危なければ正当防衛が適用されます。私有地に大切な物が何かの拍子で入ってしまい、その大切な物を撮ろうと侵入した所を不審者に間違えてケガを負わせてしまったら、どちらが悪いのでしょうか。 例え犯罪を犯しても、周囲の環境によって起こるべくして起きたことなら、人を憎んでも、憎んだ方が救われることは無い気がしますね。罪を憎んで人を憎まずとは、憎むなら人ではなく環境を憎むことだと思います。 この言葉は千差万別で、人によっては意見に違いが出て当たり前です。様々に解釈が可能ですし、罪を実行した人間をなぜ憎まないのかを理解するまで時間が掛かります。 私は罪は環境だと回答しましたが、本当にそうなのかと問われたら考えこんでしまいますね。 損得で考えると被害者は報われないですよね。被害者の立場から納得がいって初めて罪を憎んで人を憎まずという言葉が使われるかもしれません。

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