tedukurikotoba (2563)

毒にも薬にもならない

【漢字】毒にも薬にもならない 【読み】どくにもくすりにもならない 【意味】あってもなくても変わらない。いてもいなくてもどうでもいい。 【例文1】引っ越しの手伝いをサボってばかりいる奴は、毒にも薬にもならない。 【例文2】練習をさぼる者は毒にも薬にもならない。 【例文3】毒にも薬にもならない奴は出ていけ! 役に立たないというよりも、役立てる方法が思いつかないというのが本当のように思えます。 そのままで役に立たないならば、物ならば加工、人ならば教育を施せばよいのです。 実際には費用対効果などの金銭問題が絡んできて一概に言えるものではありませんが、個人で出来ないならば社会や国家が取り扱うべき領分でしょう。 儲けている人間からは税金を搾り取り、金がない人間は放り出すでは、社会は穴の開いたバケツのように中身が零れ落ちてしまいます。 個人の努力が必要なのは勿論ですが、最初のキッカケ程度のサポートはあってもよいと思います。 全員が全員、成功することもないでしょうけれどそれでも必要なことではあります。 ただし毒にしかならないような存在がないわけではありません。 ありとあらゆる工夫や努力を台無しにして、そのことすら気にも留めないような人を見るとそのことを深く思い知らされます。 司法の手により裁ければ問題ないのですが、そういう輩に限って上手いこと逃げ回ります。 社会から毒だけ取り除く薬でも作れればよいのですが、そのような妄想は実現するはずもありません。 日頃生活をしていて「なぜこの人はあの人から大事にされているのだろう」や、反対に「なぜこの人はあの人から疎まれているのだろう」と疑問に感じる場面はありませんか。それはその人への見方が、人によって千差万別だからですね。誰かに好かれる分だけ、誰かに嫌われてしまうのは仕方ないでしょう。 しかし中には、誰にも嫌われたくないから敢えて誰にも干渉したくないと考える人もいるかもしれません。ですがこのような生き方をしていると、誰かから嫌われることはもちろん無くても、同時に誰かに好かれることも無く、誰かの役に立つことも無い人生を送ることになるでしょう。それは物寂しい人生になりませんか。 かといって誰にでも好かれるようになるのは無理と言えます。先にも述べたように、人は誰かに好かれる分だけ、誰かに嫌われてしまうからです。だから誰かに好かれたとしたら、別の誰かに嫌われてしまうのは致し方ないことなのです。 誰かに疎まれてしまうのはつらいことでしょう。しかし誰かから疎まれたとしても、誰かにとって役立つ人間になる方が、毒にも薬にもならないような人生を送るよりも有意義と言えます。人の役に立てると自尊心も芽生えて自信もつきますし、何より人から好かれてその人と仲良くなって、楽しいことができるチャンスが増えますから。

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手取り足取り

【漢字】手取り足取り 【読み】てとりあしとり 【意味】非常に丁寧に詳しく教える。 【例文1】コーチが手取り足取り教える。 【例文2】失敗は許されず足取り教える。 【例文3】わかりやすく手取り足取り教える。 大学を卒業し、就職したばかりの頃、ある上司の下で仕事をすることになりました。 その上司は「いいか、俺は仕事を教えたりしないぞ。仕事のテクニックは教わるものじゃない。盗むものだ」と私に諭してきました。 その話を聞いたときは、「仕事とはそういうものか、よし、一日も早く一人前になれるよう上司の一挙手一投足を観察するようにしよう」と思いました。 しかしその上司、言葉とは裏腹に、自分が何かしようとするたびに「これはこうした方がいいぞ」とか、「これはこうやれ」とか手取り足取り仕事の手ほどきをしてくれるのです。 自分が不出来な新入社員であったのかもしれません。 また、その上司が面倒見がいい人だったのかもしれません。 最初のうちはその助言をありがたく聞いていたのですが、そのうち上司の助言が煩わしくなってきました。 ただ、反抗する訳にもいかないので「自分が部下をもったらこんな風に口をだすのは止めよう」と心に決めました。 私もトシを取り、若い人を指導する役割になりました。 若いときの上司の行動を教訓に、若い人の仕事にはあまり口を挟まないように心がけています。 けど、仕事は失敗が許されないので、思わず必要以上に手取り足取り指導をしてしまうことがあります。 そんな時は「あの上司もこんな気持ちだったのかな」と思い出します。

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鶴の一声

【漢字】鶴の一声 【読み】つるのひとこえ 【意味】議論してもなかなか決まらない中、権力者の一声で決まること。 【例文1】祖母が孫に怒っても効き目ないが、母親が怒ると鶴の声で黙る。 【例文2】意見がまとまらないので、鶴の一声がほしいところだ。 【例文3】妻の鶴の一声で静まる。 多くの者が集まって議論すると、互いの意見が全くかみ合わず長い長い議論は終わりも見えない状況は、何度遭遇しても精神肉体共に疲れ果てさせます。 最終的には最高責任者とその配下の思惑で事は定まる運命にあるのですから、茶番としか言いようがありません。 それでも尚、話し合いという形式が未だに存在することには何の意義があるのでしょう。 まず考えられるのは、多くの社員から意見を聞いたという事実が取りあえず欲しいのではないかということです。 部下の意見には一切耳を貸さずに全て好き勝手に取り決めて実行させるのはいささか外聞も悪そうです。 加えて全ての判断をするということは、全ての責任を負うというリスクまで背負い込みます。 意見を採用して仕事を任せてみた、というならば責任を負う部分はかなり軽減されるでしょう。 次に考えられそうなのは、経営方針など特に何も考えていないということです。 大きな損失を出さずに、それまでの手法を続けるだけでもそれなりの利益は見込める場合がこれです。 誰かがリスクはあるけど大きな儲けが見込めそうなプロジェクトを提案するという面倒ごとを持ち込まなければ会議の必要すらありません。 しかし、何もせずに働いていて昇格することなどないならば、会社の社運を賭けるような仕事をあえて提案する人もいるのです。 そういう人間には鶴の一声すらも馬耳東風、空気も読まずに無駄な会議は今日も続くのです。 もしも学生さんであれば部活やサークルなどで、社会人であれば会社で、誰かと揉めてしまうことはあると思います。ときには激しい口論になることもあるかもしれません。もしかするとお互いに「こうすれば組織が改善されるはずだ」という意見を言っただけなのに、その内容がお互いの信念と異なっていたがため、口論になってしまったのかもしれません。このようにお互いが改善策を提案したにも関わらず、それで揉め事が起きてしまうのは悲しいですね。 仮にこのような状況に陥ってしまった場合、強い権力を持つ人、すなわちリーダーが鶴の一声を浴びせてしまうのも有りでしょう。特に先に述べたケースであれば、揉めている当人たちは「組織を良くしようとしている」ことが見受けられるため『組織のことを考えて動いている人』だと言えます。そのような人であれば、組織のトップであるリーダーの言うこともきちんと聞いてくれる可能性が高いでしょう。 組織を良くしようとしてたくさん意見を出し合うのは、その組織に属している人がそれだけ組織のことを愛しているからだと思います。組織を愛せるのは良いですが、そのせいで意見を出し過ぎて揉めてしまった場合は、いったんリーダーが場を静めさせて、もう一度みんなで頭を冷やしてから話し合うのが良いでしょう。

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朝三暮四

【漢字】朝三暮四 【読み】ちょうさんぼし 【意味】猿に与えるトチの実が無くなりかけた時、明日から朝3個、夕暮れに4個にすると言ったら怒ったため朝4個、夕暮れ3個にしたら、気づかなかった例えから、結果は同じであっても気づかない愚か者という意味。 【例文1】一時給付金が支給されても手当てが減ったのでは、素直に朝三暮四で喜べない。 【例文2】パチンコで昨日10万負けたが、今日は10万勝って喜んで朝三暮四だ。 【例文3】古い車をただでもらって朝三暮四だ。 故事成語の中でも、「朝三暮四」というのはおもしろい使い方をされる言葉と言っていいでしょう。 その話をする前に、この言葉の由来をかんたんに説明しておきます。中国の春秋時代のこと、宋の国に狙公と言うおじいさんが住んでいました。このおじいさん、大変に猿好きで、たくさんの猿を飼っていたと言います。 ところが、猿の数が増えすぎてエサ代がかさみ、家計にまで悪い影響を与えることに。このままにはしておけないと思ったおじいさん、エサを減らすことにしました。 そして、猿たちに「今後はトチの実を、朝に3個、夕方に4個あげることにする」と伝えたところ、エサを減らされた猿たちは激怒。 そこで、おじいさんは「じゃあ、朝に4個、夕方に3個にする」と言い換えると、猿たちは納得したのでした。 「朝、4個もらえるならいいや」と考えた、猿ならではの浅知恵ということになるでしょう。 そこから「朝三暮四」という言葉が生まれたわけです。 さて、では、どうしてこの故事成語がおもしろいのかと言うと、この言葉は「おじいさんサイド」と「猿サイド」の2つの別の意味で使われているのです。 この故事成語の1つめの意味は、「相手をうまく言いくるめてごまかす」。これは、「おじいさんサイド」に立った意味です。 もう1つの「目先の得にこだわり、結局は得になっていないことに気づかない」という意味は、「猿サイド」に立ったものということになるでしょう。 「朝三暮四」を「する側」と「される側」の2つの意味があるところに、この言葉のおもしろさがあるのです。

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多芸は無芸

【漢字】多芸は無芸 【読み】たげいはむげい 【意味】多くの芸を持とうとすると、どれも中途半端で無芸に等くなるもの。 【例文1】多芸は無芸だから、ひとつに絞って技術を高める。 【例文2】多芸は無芸をもう一度極めなおす。 【例文3】飽きやすく多芸は無芸だ。 どんなことでも少し努力すればできてしまう、という人もいることだと思います。そういった人たちは傍目から見たら、とても器用な人に見えることでしょう。しかし裏を返せば特定の一芸に秀でているわけではないため、結局はその特定の一芸に秀でている人に、仕事のオファーが回ってきたりします。色々なことができるのも良いですが、そのため何か一芸を極めることが難しくなるため、つまるところあまり意味がないものとなります。まさに多芸は無芸と言えると思います。 かといって何か一芸だけを極めることにだってリスクはあります。もしその芸の需要がなくなった場合、仕事のオファーが来なくなってしまう恐れがあるからですね。ですが何か一芸にきちんと精通していると、少なくともその芸の需要がある限りは、仕事には困らないのではないでしょうか。何よりも多芸の人よりは、仕事が回ってきやすいことが考えられるでしょう。 もしも色々な芸に手を広げ過ぎてどれも中途半端になってしまっている場合は、思い切ってその中から1つだけ選んで、その道に進んでみるのも良いかもしれません。幅広い知識や芸を持つのも大事ですが、その内容が浅いのであれば、結果として無意味なものになってしまいますから。

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