tedukurikotoba (2563)

木から落ちた猿

【漢字】木から落ちた猿 【読み】きからおちたさる 【意味】頼りにするものがなくなってどうしていいか困った様子。 【例文1】生涯独身で木から落ちた猿になる。 【例文2】経営難が続き木から落ちた猿だ。 【例文3】妻が家を出て行き木から落ちた猿になる。 「猿も木から落ちる」は、いろはかるたにも使われるくらいなので多くの人が意味を知っていることでしょう。 木登りを得意とする猿でも失敗して木から落ちることがある、つまり得意分野であっても失敗するということを表現したことわざです。 「木から落ちた猿」ということわざはあまり聞かないどころか、使われたところすら知りませんでした。 この言葉の意味は、生きていくうえで頼りとなるものを失い茫然自失となっている様子なのだそうです。 木の上から落下したショックで驚きのあまり我を失っているというわけではありません。 現代のニホンザルは人間の生活圏に関わりすぎているので参考になりませんが、もともと猿は木の生い茂る森に住んでいたはずです。 今まで住んでいた木の上からいきなり地上に追い落されて途方に暮れる様子を思い浮かべればよいのでしょう。 群れからはぐれたのか追い出されたのか定かではありませんが、そのような猿の未来は明るいものとは思えません。

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影も形もない

【漢字】影も形もない 【読み】かげもかたちもない 【意味】まったく原形をととめない。何の形跡もない。 【例文1】彼は50キロも太って無残に影も形もない。 【例文2】老けこんで昔の影も形もない。 【例文3】10年ぶり帰省したら、空き地が影も形もない。 先月、久しぶりに地元に戻りました。地元といっても、実家はすでにありません。見に行ってみると、影も形もない状態になっていました。というのも、数年前に父が亡くなってしまったんです。それから母が一人で生活していましたが、初老の母が一人で一戸建てを管理していくのには体力が足りません。ということで、私達夫婦の住んでいる街に引っ越してきました。今は駅前でアクセスの良いマンションで生活をしています。 今回友人の結婚式があったので地元に戻ったのですが、そこで見に行きました。半年ほど前に既に更地にしましたので、まさに影も形もない状態です。すぐ近くに親戚がいますので、草むしりなどを非常に安価なアルバイトとしてお願いしています。まだ買い手は付いていないのですが、いずれは売れていくのだと思います。そうなったら住宅街なので新しい家が建つのでしょうね。そう考えると、今は影も形もない状況ですが、今の光景も全く変わっていくのだと思います。 確かに寂しさもありますが、新しい始まりなんだと前向きに考えることにしました。私は更地になってしまった実家を見に行くのが初めてだったので寂しさが強かったのですが、いずれこの気持ちにも慣れていくのだと思います。 たとえばですが何年かぶりに、自分が通っていた小学校に行ってみたら、昔はあった遊具がなくなっていたり、または新しい校舎が建てられていて、まるで別の小学校のようになってしまった、ということを経験した人もいると思います。小学生のときにみんなで遊んだ遊具がなくなってしまうと、少し寂しくなったりしますよね。遊具が古くなってしまったために撤去されたのかもしれませんし、もしくは危険性があると判断されたために撤去されたのかもしれません。なんにせよ思い出が詰まった遊具が、今では影も形もないとなるとやはり切ない気持ちになるでしょう。 このように思い出深いものが知らない間になくなっていたりですとか、すっかり別の場所のようになってしまうのは仕方のないことです。時が経てば今は必要なものでさえも、いずれは不要なものに変わっていくことの方が多いでしょう。そして不要になってしまったら、大抵の人はそれを捨てるのではありませんか。色んなことが変わっていくのは自然の摂理とも言えます。むしろ変えていくことでしか、良いものは生み出されないとも考えられます。大事だったものが、いつの間にか影も形もないことになっていて、それを寂しく感じることがあっても、それを受け入れてみるのが良いのではないでしょうか。

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男心と秋の空

【漢字】男心と秋の空 【読み】おとこごごろとあきのそら 【意味】男心は秋空のように移りやすいもの。 【例文1】彼女がいるのに綺麗な女性を目で追う彼氏は男心と秋の空だ。 【例文2】女性にボディタッチされるだけで男心と秋の空だ。 【例文3】ごめんなさい、男心と秋の空でした。 「女心と秋の空」と言う言葉は、誰でも聞いたことのある身近な言葉です。 「笑ったり泣いたり、女性の心は何とも移ろいやすく、とらえどころがないなあ。まさに女心と秋の空だ」などといった感じに、よく使われています。 しかし何と、同じような意味合いで「男心と秋の空」という言葉が存在することは、案外知られていないかもしれません。 「女心」だけじゃないのか、と驚かれる方もいることでしょう。 もともと、この「男心と~」という言葉が生まれたのは江戸時代のことだそうで、社会は男性の浮気や不倫に関して本当に寛大でした(女性の浮気などは厳しくとがめられたそうですが)。 男性が既婚であっても例外なく、あちこちの女性に声をかけたり関係をもったりすることが非常に頻繁に会ったらしく、そのように一人の女性に定まらない、移ろいやすい男性の心を指して「男心と秋の空」という言葉が生まれたとのことです。 「秋の空」という言葉が使われていることについては、やはり秋という季節はほかの季節に比べて、天気がコロコロと変わりやすいから、それになぞらえた、ということのようです。 浮気性の男性の多さ、そしてそれが寛大に許されていた社会背景が元となり生まれた言葉なんて、女性たちにはなんとも複雑な気持ちで受け止められそうですね。 あなたがもし女性なら、周囲に浮気性の男性がいた場合、「男心と秋の空ね」とちくりとくぎを刺すのもいいかもしれません。 『男心と秋の空』というのは『男性から女性への愛情は、秋の空模様と同様に変わりやすい』という意味を持っています。『女心と秋の空』という言葉もありますが、こちらは『女性から男性への愛情は、秋の空模様と同様に変わりやすい』という意味です。どちらも『異性への愛情は変わりやすい』ということですね。しかしこのようにほとんど同じ意味であるなら、なぜわざわざ別々の言葉になっているのでしょうか。 実はおおもとを辿ると『男心と秋の空』という言葉が先に生まれ、この言葉から派生したのが『女心と秋の空』だと言われています。もとは『男心と秋の空』しかなかったのだと思うと、『男心と秋の空』も『女心と秋の空』も、性別が異なることを除けば同じ意味であるにも関わらず、別々の言葉になっている理由が分かりますね。 それにしても男女問わず、『人は異性への愛情が変わりやすい』ということが昔から言われていたのだと考えると、ちょっと複雑な気持ちにもなります。しかし自然界では一夫多妻制の生き物だって多いですし、日本だって歴史を辿れば一夫多妻制だった時代もあります。それに今でも一夫多妻制の国はあります。生涯でただ1人を愛するというのは、とても難しいことと言えるかもしれません。

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腕を振るう

【漢字】腕を振るう 【読み】うでをふるう 【意味】自分の技術を発揮する。披露する。 【例文1】内定祝いは腕を振るってごちそうを作る。 【例文2】バレンタインデーは手作りチョコで腕を振るう。 【例文3】誕生日ケーキは手作りで腕を振るう。 バレンタインデー。彼女はいないので、もらえるのは会社の同僚やおばちゃんたちからの義理チョコ。いや、ありがたいですよ。ほんとに。さみしい心の中に、しずくが1滴ポチャンと垂れるようにフワッとあったかい気持ちになれます。もらったときは。家に帰って義理チョコ見たときにため息出るんですけどね(皆さんごめんなさい)。 義理チョコといえども貰ったものは返さなくてはいけません。しかし、ウチの会社はやけに女性比率が高く、お返しの購入だけでも、だいぶいい金額がスットンでいきます。今年も何をお返しにしようかと、普段は行かない高級デパートなどを物色。何度も行われているやり取りのため、どうしても同じようなものばかりがお返しになってしまう。何かいい手はないかと思って探すも、決め手になるようなものはありませんでした。 そこで意を決し、手作りのデザートをふるまおうと思いました。友人からは好評のデザート群。こいつをお返しにしようと思い付きました。大量かつ、材料費がそこそこで、みんなが大好きなもの。加えて持ち運びが簡単。選び出されたのはシュークリームでした。 そしてホワイトデー当日、みんなに渡すと歓喜の悲鳴が発生。一躍人気者になれました。また、よろしくとも言われ、それ以降、腕を振るうチャンスが増えました。人気が上がるのはいいのですが、ネタも無限じゃありませんので、どんどん新作を覚えないとという違う気苦労が増えてしまいました。

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石にかじりついても

【漢字】石にかじりついても 【読み】いしにかじりついても 【意味】どんな困難であろうと耐え抜く。 【例文1】石にかじりついても自営業を閉めるわけにはいかない。 【例文2】石にかじりついても営業を続ける。 【例文3】石にかじりついても夫についていく覚悟だ。 石にかじりついてもとはどんな困難があろうとも必死に耐えることです。 私は20歳で結婚して夫の両親と同居してかれこれもう20年。 気づけば3人の子どもたちは社会人になり家を離れて暮らしております。 義理父母の老後のお世話こそ今はまだないが、不満は山ほどあります。 ご飯は上げ膳据え膳のうえ毎食炊き立てでないと機嫌を損ないます。飲み会やパチンコに行くときは2万円渡します。(お小遣いは別途支給) お風呂のお湯温度は43度。子どもの躾や教育は全く無関心挙げればキリがありません。しかしお気楽に専業主婦をやってられるのも親から引き継いだド田舎ですが、大きな持ち家があったからこそ生活に余裕があるとわかっているから石にかじりついてもいろいろとガマンしております。 そんな生活の中で脅かされる出来事がありました。夫のお父さんが倒れて入院しました。脳梗塞です。隣県に住んでいる娘も心配で飛んで帰ってきました。一命は取り留めましたが、退院してもリハビリが必要です。毎日の送迎に疲れ果てていた私に夫がありがとうとたった一言私に言ってくれました。普段絶対ゆうような人ではありません。照れくさいんだなと思って夫と家族をこれからも支えたいと思った日でした。1年間のリハビリを経て夫のお父さんも今ではやっと普通の行動ができるまでになりました。 40歳という年齢にして、脱サラし、長年の悲願だった喫茶店経営を始めました。席数も10席くらいの小さなお店です。もちろん1人で回します。 脱サラ前から準備を開始して、わからないなりにもプランやスケジュール、その他もろもろを対処しオープンへこぎつけました。 しかし、この世界そんなに甘いものではなく、開店当初はまだよかったのですが、徐々に売り上げが落ち込み始めました。「3年でほぼすべての飲食はつぶれる」この言葉は業界では有名で、当店もそれに1歩1歩近づいているような感じでした。 経営だけでなく、実際の実店舗でも長い間やっていれば嫌なことが発生します。自信をもって出した品物が拒否・否定される、上から目線のお客様に理不尽な要求を突きつけられる、望んでいない招かれざる客の来店。 毎日が苦労の連発で、体が悲鳴を上げることもあります。でも、期待して来てくれる常連や新規のお客様を待たせるわけにはいきません。つらい体を押し殺しながらも、店についてしまえば気分が晴れます。やっぱりなんだかんだで、私はこれが好きなんです。 脱サラ前は一般的な事務員でした。1つの所に長い間勤めていたため、何も特別な資格を持っていません。年齢も40歳というところですので、世間的には再就職(正社員)は難しいといわれる年代です。もし、自営業を廃業したらどうなるのか。想像したくもありません。そんな想像よりも、石にかじりついても自営業を続けてやるという決意で日々過ごしています。

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