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手作り言葉辞典について

手作り言葉辞典では、ユーザーが疑問に思って検索してきそうな言葉の を載せています。 検索して調べてきそうな言葉とは、ここでは「ことわざ」「慣用句」「四字熟語」「故事成語」の4つになります。 それぞれの意味は下記の通りです。 古くから言い伝えられてきた、教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉。生活体験から きた社会常識を示すものが多い。 二語以上の単語が結合して、それ全体である特定の意味を表すもの。 漢字4字で構成される熟語。 故事をもとにしてできた言葉。特に、中国の故事からできた語。

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泥鱒の地団駄

【漢字】泥鱒の地団駄 【読み】どじょうのじだんだ 【意味】 【例文】 「泥鰌の地団駄」という言葉を、私は今まで聞いたことがありませんでした。 恥ずかしい話、「泥鱒」が「ドジョウ」と読むのかすら、自信が持てなかったのです。 改めて意味を調べてみると、言葉通りではあるのですが、泥鱒のような小さなものが地団駄を踏んだ所でそれほどの効果がない、という意味です。 派生して、弱者が自分の力量を考えずに強者に立ち向かうことの例えとして用いられます。 正直、「無謀」というのがしっくりくる言葉ではありますが、こうした無鉄砲な行動というのは、時に奇跡を起こし得るものですよね。 スポーツに例えると分かりやすいですが、明らかに実力の差があるチームであっても、100%強いチームが勝つとは限らないのです。 強者に勝利した、というニュースは話題性もありますし、子供達に夢を与えることになりますよね。 こうした勝利に貢献した選手というのは、その子供にとっては憧れのヒーローとなることでしょう。 立ち向かう前は周囲に「勝てるハズがない」と言われがちですが、そうした人を見返せるというのは、非常に気持ちがいいですよね。 「泥鱒の地団駄」という言葉をあまり否定的な意味で捉えず、前向きに考える人が増えるといいですね。

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泥仕(試)合

【漢字】泥仕(試)合 【読み】どろじあい 【意味】泥だらけになって試合をすることではない。~し合うという意味で、互いの弱点を攻撃したり、相手の秘密を暴露するという醜い行為を指す。 【例文1】3高男性を狙って女性陣が合コンで泥仕合をする。 【例文2】芸能裏事情の泥仕合を暴露する。 【例文3】のし上がるためなら泥仕合でも構わない。 野球ファンです。 でもプロ野球はパ・リーグの球団のファンなので、パ・リーグの試合しか見ません。(セ・リーグが嫌いな訳ではありません。) ですが、早々に自分の贔屓球団のリーグ優勝、日本シリーズ進出が決まったため、日本シリーズでの対戦相手のことも気になり、セ・リーグの試合を見る機会がありました。 セ・リーグ3位と2位のクライマックスシリーズ出場を賭けた試合でこれが本当の泥試合!しかも世紀の泥試合を見ました。 この大雨の中試合をするのかと、怪我をしやしないかと、選手達を不憫に思いながら、しかしどこか感動すらしながら観戦しました。 負けてしまったチームも勝ったチームも素晴らしかった。そして阪神園芸さん。 いいものを見せてもらったなぁ・・・と思いつつ、次は日本シリーズ出場を賭けた大勝負です。 青いチームが勝つか、赤が勝つかはわたしにとっては少し問題です。 青いチームが勝ったらわたしは都内の自宅から贔屓チームの応援に行けます。赤ではそれが不可能です。 この試合も雨が降っていました。 あの荒天を乗り越え13対6で勝ち抜いたチームが、雨天を理由に5回コールドで負けてしまうという悲劇・・・ この差はなんなのでしょうか・・・ あの雨天での泥試合を美談としてはだめ、コールドが本来あるべき姿なのかもしれませんが・・・ しかし、あの不遇の扱いが青いチームに火をつけたのかもしれませんね。

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とんぼ返り

【漢字】とんぼ返り 【読み】とんぼがえり 【意味】目的地で用事を済ませすぐ戻ってくる。 【例文1】書類を届けるだけのとんぼ返り。 【例文2】現地について忘れ物に気付き、とんぼ返りだ。 【例文3】定休日でとんぼ返りする。 観光地巡りや地域の名産品を味わうなど、旅行の醍醐味は色々ありますが、これらを一切行わないとんぼ返りの旅行へ先月行きました。 小学6年生の子供を車に乗せて、2人で大きな川原がある場所へ行くことになり、朝から高速道路を使用して現地へ向かいました。 しかし、目的地はかなり曖昧な感じで決めていて、この場所へ行くというものではなく、川の上流へ向かい広い川原を見つけたら散策するという予定でした。 私の車にはカーナビが付いてないので、地図の本を頼りに川の上流を目指しましたが、無計画過ぎる影響が出て良い川原を見つけられませんでした。 結局その日は、離れた県へ行きとんぼ返りで帰ってきました。広い川原で遊べなかったとしても、せっかく遠い場所に来たので、現地の名産でも食べようと言っていましたが、中々良いお店が見つからず、探している間に子供が寝てしまい、食事すらしないで帰宅しました。 とんぼ返りの日帰り旅行というかドライブでしたが、この日車から見た大自然の景色は頭に残り、今でも思い出に残っています。 その話を子供にしたら、あまりにつまらないドライだったから記憶に残っていると言われ、確かにそうだよなと思いました。 今度はしっかり計画を立て、子供が喜ぶような日帰り旅行へ行きたいと考えています。

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丼勘定

【漢字】丼勘定 【読み】どんぶりかんじょう 【意味】丼とは器ではなく職人の前掛けを指す。昔の商売人が前掛けのポケットから勘定することからきた言葉。手元にあるお金で支払う。または大まかな勘定をいう。 【例文1】丼勘定で家計簿を付ける。 【例文2】丼勘定で計算する。 【例文3】丼勘定で支払う。 私は子どものいない専業主婦ですが、夫が働いて得たお給料の管理は任されています。 夫婦2人の食生活や、快適に暮らすための日用品、ちょっと贅沢をしたいときの外食費、たまには2人でのんびりしたいと出かける温泉旅行の費用など、やりくりは私にかかっています。 教育費が不要だからこそ、私は専業主婦という呑気な身分でいられますが、 よそ様に比べ、特に我が家の経済状況が良いわけではなく、悪いというわけでもありません。 しかし、独身の頃のように、私自身が働いて得たお金を、私自身が使うのとはわけが違います。 夫が外で頑張って働いて得たお金ですから、当然、丼勘定で済ませるわけにはいきません。 そんな考えから、私は結婚当初から家計簿を欠かさずつけています。 こういうと、なんてマメでしっかりした妻かと誤解する人もいます。 しかし、実際の私は、丼勘定どころか、穴が開いているのではないかと、財布をひっくり返してみるほどの経済観念の持ち主です。 私を信用して家計を任せてくれている夫を裏切らないために、頑張って管理しているに過ぎません。 毎日のように家計簿と電卓に向かっている私の姿を、もしも実家の父と母が見ることがあったら、 「これはうちの娘ではない!」と言われてしまうかもしれません。 大ざっぱな金勘定をすることを「丼勘定」と言います。今でもよく使われる言葉ではないでしょうか。私は自営で商売をやっていますので、丼勘定は厳禁。すべてのお金の出し入れは、常に細かく正確にしなくてなりません。ところで、この言葉の語源ですが、ここで使われている「丼」は、われわれのなじみのある牛丼の「丼」ではないようなのです。今は目にすることがほとんどなくなりましたが、昔の職人さんが身に着けていた腹掛けの前の方についていた、物を入れておく部分のことを「どんぶり」と言ったのだとか。大工さんや左官さんなどの職人さんはそのどんぶりの中にお金を入れておいて、無造作に出し入れしていたところから、大ざっぱでいい加減な勘定のしかたのことを丼勘定と呼ぶようになったのだと言います。その「丼」ですが、語源は主に2つあるようです。一杯の器に盛り切りにした食べ物を売る飲食店の「慳貪(けんどん)屋」から来たという説と、物を無造作に放り込むときの「ドボン、ドブン」という擬音語から来たという説です。「丼」という漢字が、「井戸の中にものを投げ込む」というところから作られたということを考えれば、後者、つまり「ドブン」というオノマトペに由来する説のほうが正しいような気がします。

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鳶に油揚げをさらわれる

【漢字】鳶に油揚げをさらわれる 【読み】とんびにあぶらあげをさらわれる 【意味】大事なものが不意に横から奪われる。 【例文1】仕事を理由に彼女を放っていたら、友人に鳶に油揚げをさらわれる。 【例文2】家庭をないがしろにして妻子が鳶に油揚げをさらわれる。 【例文3】グズグズしていたら鳶に油揚げをさらわれる。 『鳶に油揚げをさらわれる』を辞書で引くと、『自分のものになると思っていたものを横から奪われ、呆然とする様』というような意味が出ます。私は子どもの頃このことわざ自体知らなかったのですが、大人になって意味を知った今、このことわざに深く共感します。小学生の時、私は両親と海に遊びに行きました。カモメと鳶、あとはカラスが何羽もぐるぐると空を旋回していたことを覚えています。浜辺には海の家がいくつも並んでいました。焼きそば、カキ氷、クレープなどなど、定番の海辺のご飯とおやつです。その中で私は両親に頼んでクレープを買ってもらいました。海の家なのに意外としっかりしていて、ちゃんとアイスまでのっていました。出来上がるまでとても楽しみでした。いざ屋台のおじさんにクレープを渡してもらいアイスから一気にかじりつこうとした時、顔の前をすごいスピードで何かが横切りました。鳶です。気付いた時にはもう私の手にクレープはありませんでした。鳶に奪われる時の勢いで落ちてしまったアイスだけが砂まみれで落ちていました。私の場合油揚げではなくクレープでしたが、実際鳶に楽しみを奪われた直後に撮った写真の私は、呆然自失という顔をしていました。 「鳶に油揚げをさらわれる」とは、自分の大切なものや手に入れられると思っていたものを不意に横からさらわれることのたとえや不意に奪われて呆然としている様子のことを言います。 このことわざの由来は、鳶は普段空高くを悠々と飛んでいますが、獲物を見つけると空から素早く下降してきて獲物をさらっていくことからと言われています。なぜ油揚げなのかは、鳶の大好物だからというわけではなく、人間が神社へのお供えものとして油揚げがあり、それを奪って逃げたことから油揚げと言われています。「さらう」とは奪い取るや急に持ち去るなどと言った意味になります。 どこかの人に横取りされてしまった時などによく使われ例文としては「友人と同じ男性を好きになってしまいどちらが先に想いを伝えるかで言い争っているうちに彼に彼女が出来てしまった。言い争っていた2人はまさに鳶に油揚げをさらわれたような顔をしていた。」 「食堂で自分で最後の一個だったプリンを横から入って来た人に取られてしまった。鳶に油揚げをさらわれたよ。」などと言った使い方が出来ます。 自分の大事なものもいつ横からさらわれるかわかりません。鳶に油揚げをさらわれないよう大事なものはしっかりと持っておくようにしましょう。

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鳶が鷹を生む

【漢字】鳶が鷹を生む 【読み】とんびがたかをうむ 【意味】普通の親から有能な子が生まれる。 【例文1】鳶が鷹を生むと願う。 【例文2】我が子ながら二人も鳶が鷹を生んだ。 【例文3】鳶が鷹を生んだと誇らしい。 「鳶が鷹を生む」ということわざは、特別な人ではない普通の両親から、抜きんでた人材が生まれたというようなときに使われることが多いようです。 凄い研究結果で社会に大いなる貢献をした人の親に、自分の子どもについてのインタビューなどをしたときに親が言ったりします。 反対に鷹が鳶を生むということはよくあることで、二世という言葉でくくられる人達のほとんどがそうではないでしょうか。 政治家にはけっこう二世がいて、親の地盤を利用して政治家として政界に入って行く人がいます。 二世の中には総理大臣になった人もいれば、総理大臣の息子であり、なかなかイケメンで遊説の際にはお国言葉を使って会場を沸かせるという庶民的な雰囲気を持っている人もいます。 逆に二世としてたくさんの支援者を持ちながら、その支援者からも呆れられるような結婚詐欺まがいの事態を引き起こしたような人もいます。 政界は二世と言うだけで指定席券をゲットした感じでいけるところなようです。 芸能界でも二世は多く、二世ということがまず売り出す際の看板になります。 その点、歌舞伎界のような伝統芸の世界では、逆に二世であること三世であることが重い場合があるようです。 できて当然、できないと先代はこうだったという批判を受けます。

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飛んで火に入る夏の虫

【漢字】飛んで火に入る夏の虫 【読み】とんでひにいるなつのむし 【意味】虫は明るい所に飛び込む習性がある。火に飛び込んで焼け死ぬたとえから、自ら不利な状況に飛び込む。 【例文1】実力の差がありすぎて飛んで火に入る夏の虫だ。 【例文2】新規契約は飛んで火に入る夏の虫だ。 【例文3】アポ無し訪問は飛んで火に入る夏の虫 そうとは知らず、自分から危険なこと、リスキーな状況、災いの中に入って行ってしまうことを、「飛んで火に入る夏の虫」と表現します。 ちょっと調べてみたところ、「自ら進んで危険の飛び込むことのたとえ」という意味もあるようですが、「そうとは知らずに危険に飛び込んでしまう」という意味で使われることのほうが、ずっとが多いと言っていいでしょう。 多くの虫は明るい方へ近づくという習性があります。街路灯に蛾などの虫が集まっていることは、日常的に目にするものです。 そのため、このことわざの「火」は、「明るいもの」の喩えなのだと思っていましたが、調べてみたところ、本当に「飛んで火に入る虫」がいることが判明。実は、その虫が実際に火に飛び込むところから、このことわざができたというのです。 その虫とは「ヒトリガ」という蛾。「一人蛾」ではありません。「火取蛾」や「灯取蛾」の字があてられています。つまり、ほんとうに火を求め、焚火などに飛び込んで死んでしまうことがあるのだそうです。 とんでもないうかつな虫がいるものですね。「実際にはそんなことがない」というたとえ話からできたことわざや言い回しが多い中で、これは、「実際にその通りの例がある」ということわざということができるでしょう。 個人的には、天才日本画家、速水御舟の『炎舞』という作品を連想しました、紅蓮の炎の中を数匹の我が飛び回るところを描いた傑作です。あの蛾の中にも、もしかすると「ヒトリガ」がいるのかもしれません。

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どんぐりの背比べ

【漢字】どんぐりの背比べ 【読み】どんぐりのせいくらべ 【意味】どちらも大して変わらない。低レベルな争いに使われる。 【例文1】(兄)テスト50点だったよ。(弟)勝った!僕は51点だったよ!(母)どんぐりの背比べだね。 【例文2】1分も2分も遅刻の言い訳はどんぐりの背比べだ。 【例文3】そんな事で競ってるのか、どんぐりの背比べだ。 政治家を志し社会のためになる議員になろうという人が立候補をして選挙戦を戦い抜いて、やっと国会議員になります。 しっかり頑張ってその後も国会議員としての務めを果たす人もいれば、すっかりその地位に胡坐をかいて他のことにいそしむ人がいるのも確かです。 昨今テレビで話題を提供している国会議員のいわゆる二回生議員です。 社会を騒がせることという点では、まさに「どんぐりの背比べ」状態。 金銭問題を起こす人もいれば、男女問題が週刊誌にスクープされる人もいてさまざまではありますが、どの人も潔いという感じを持てないという点で共通しています。 こんなところでつまづいているようでは、当初の目的が果たせないではありませんか。 情けないことです。 それにしても、政治家となった人達は自分たちがしていることが週刊誌にとって格好の材料になることを、どうして理解できないのでしょう。 ちっともいけないことをしていると思っていないのでしょうか。 普通、人はやましいことがあったら少しは人目と言うものを気にします。 こんなことも感知できなくて、危機管理は大丈夫なのでしょうか。 こんな感覚の国会議員たちで、ミサイルが飛んで来るという日本を、きちんと守れるのでしょうか。 最近の小学校の運動会は例えば50メートルを走るのにもみんな、どんぐりの背比べでゴールインします。私たちの時代はどんぐりの背比べではありませんでした。みんないっしょにゴールをしましょうなんて考えられませんでした。短距離走でも順番をつけられました。甘いと思います。小さな頃から子供には競争心を持たせなくてはならないと感じます。足が速い子供は優越感を感じるでしょう。足の遅い子供は劣等感を感じるかも知れません。しかし日本人は昔から勉強でも運動でも競走を促してきました。みんないっしょにゴールインではありません。こんな教育をしていると、どんぐりの背比べな大人になってしまいます。みんな特徴がなくなってしまいます。どんぐりの背比べは言葉としては悪い言葉ではないと思います。でも今の子供をどんぐりの背比べ教育やゆとり教育の失敗で、その頃の子供たちは今大人になって、個性もないし草食男子がふえました。そして就職もしなくてバイトで生計を立てる。または家に閉じこもってテレビゲームにふける大人になったのです。このようにしたのも日本の国の教育の責任だと思います。これからは脱ゆとりが叫ばれていますから、もっと個性のある人を育ててほしいです。

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度を失う

【漢字】度を失う 【読み】どをうしなう 【意味】非常に驚いて平常心を失う。 【例文1】あんなにおとなしかった息子が可愛い彼女を連れて来て度を失う。 【例文2】友人が事故に遭ったと聞いて度を失う。 私は救急病院で働く看護師です。私たちが最もやってはいけないことは、忙しさで慌てて度を失うことです。 どんなに忙しくても、どんなに重症の患者さんが来ても、いつも自分の心を冷静に保って確実に一つ一つ行動しなければなりません。 患者さん自身や家族が突然の怪我や病気に度を失っていることが多いので、私たちが堂々と接することで安心してもらうことが大切です、 と言っても新人の頃は、私自身が度を失って失敗したことがたくさんあります。私の場合は、重症の患者さんは気を張るのかかえって淡々と処置することができたのですが、酔っ払いの患者さんに苦労しました。体を触って来たり、卑猥な言葉を投げて来たりとしつこく絡まれて、つい腹を立てて冷たく接してしまったことがあります。他の患者さんがたくさん並んでいるのに、大したことのない怪我なのにくだらない会話で手を煩わされることにムカッと来てしまいました。夜中なのでスタッフの数も足りておらず、他のスタッフに助けを求めることもできず無理に一人で対応しようと思ったことが悪かったのかもしれません。その後もミスの連発で、焦りが焦りを呼ぶ始末でした。やはり一回度を失うと負けと思わなければなりません。

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泥を吐く

【漢字】泥を吐く 【読み】どろをはく 【意味】問い詰められて隠していた事を白状する。 【例文1】容疑者が証拠を突きつけられ泥を吐く。 【例文2】目撃証言から泥を吐く。 【例文3】取り調べで泥を吐く。 「泥を吐く」という言葉の意味するところは、もちろん実際に口から泥を吐き出すことではありません。 犯罪者が、司法や警察によって厳しい取調べの末に追い詰められて罪状を白状することです。 語源や由来は明らかではありませんが、泥がイメージするところはかなり悪い・汚い・忌むべき物のように思えます。 泥んこ、泥まみれ、泥がはねる、泥を塗る、雲泥の差など、どうにも汚いものの代表格のひとつです。 流れの緩い川や池・沼の底には大抵、泥が堆積していてそこに棲息している生物も当然存在します。 ドジョウ・ナマズ・タニシなど、最近では中々お目にかかれませんが、泥の中で元気に生きている生き物です。 シジミやアサリにしてもある程度の砂や泥がなければ棲息することは出来ないでしょう。 アサリを購入してみれば分りますが、貝殻の表面は泥がついているのが普通ですし、砂を吐かせる作業を怠れば食べられたものでは有りません。 泥に混じっている微生物をエサとしている生き物が時々泥を吐いている映像を見かけますが、犯罪者の泥を吐くとは全く違います。 思うに、これまでの悪事が泥の堆積のごとく犯罪者の腹につまっていると、取調べ官は考えていたのではないでしょうか。 悪人が悪事を日常的に積み重ねていそうなのは想像に難くありませんが、さすがに絶対に犯人だと決め付けてから取り調べるのはどうかと思ってしまいます。

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泥を被る

【漢字】泥を被る 【読み】どろをかぶる 【意味】他人の失敗を引き受ける。 【例文1】主犯格の泥を被る。 【例文2】我が子の不始末の泥を被る。 【例文3】社員のミスの泥を被る。 泥を被るというと車が通ったときに水溜りの泥を被ったような印象がありますが、諺では自ら犠牲になることを意味しています。子どもの頃に泥を被ることといえば、野球のボールでガラスを割ってしまったとき、他の子がやっても自分がやったと名乗りでることで、周りの友達からは感謝される子もいました。 社会人になってからは泥を被ることは少なくなってきましたが先日、通勤しているときに掃除会社の社長の本を読みました。社長は誰よりも早く出勤して、トイレ掃除を行っていたといわれています。本来なら部下がやる仕事を社長自らが泥を被ることで、社員が見習うようになり掃除会社が大きく成長をしていったという話です。人が嫌がる仕事はビジネスチャンスでもあるのです。やりたくないからお金を払って誰かにやってもらう。 こうした泥を被る会社というのは、最近ではハウスクリーニングなどの会社が成長してきています。一般のサラリーマンなら朝早く来てトイレ掃除するなんてことはあまりないでしょうから、泥を被るのであれば、朝早く出社して身の回りの掃除をしたり、みんなよりも仕事をたくさんすることだと思います。残業してまで仕事をするとなると賛否両論がありますけど、泥を被るつもりで他人の仕事が遅れているようなら、手伝ってあげることも大切ではないかと思います。 泥を被るという表現があります。私のイメージでは例えば自分の部下の発注ミスや、子供の起こした不祥事などでその責任を部下や子供のせいにするのでは無く、それは自分が悪い(自分の管理責任とか、指導不足を理由にして)のですのでこっちに苦情を・・。というイメージではあるけど、友達がいうには若干違うらしいです。 上記の例に例えると発注ミスとか不祥事を起こしたのは部下、子供ではなく自分にある。というのが本来の意味という事を言われました。子供の不祥事を自分のせいにするのは無理な設定ですが泥を被るという表現はそういう事らしいです。 意見が食い違うので、調べました。やはり友達の表現の方が正しいらしく、間違って覚えていたのだなぁと呆れています。 刑事ドラマで自分が犯人です、と犯人は他の人(だいたい自分の恋人や家族、とか知り合った期間が短くても実は想いをよせていた人で。その人をかばってその人の幸せん願うとか・・)なのに徹底的にかばう人が泥を被っている人の例えとして正しいみたいです。 自分は職場では比較的泥を被せる人で結構同僚にミスを被せて自分は楽してる節もあるのでその被せた人にたまには償い(食事奢ったり)しないといけないなぁ、と思いながら仕事しています。

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泥棒を捕らえて縄をなう

【漢字】泥棒を捕らえて縄をなう 【読み】どろぼうをとらえてなわをなう 【意味】泥棒を捕まえてから縄を準備しても逃げられる。事が起きてから慌てて準備を始める様子をいう。 【例文1】今から入院準備をしよう。泥棒を捕らえて縄をなうでは陣痛は待ってはくれない。 【例文2】怠慢すぎて泥棒を捕らえて縄をなう。 【例文3】面倒くさがりで泥棒を捕らえて縄をなう。 泥棒を捕らえて縄をなう、という諺をきいたことがありますか? 日常生活ではなかなか耳にしない諺ですが、これは「泥棒を捕まえてから縄を準備しても泥棒は逃げてしまうだろう」ということから「ことが起きてから慌てて準備をすること」の例えとして使われるそうです。 この言葉を聞いて、私は学生時代の夏休みの宿題やレポート提出をぎりぎりにやっつけていたことを思い出しました。 夏休みが始まった時は嬉しくて嬉しくて、始めは「まだまだ長い夏休みが始まったばかりだし」と言い訳しては遊びほうけ、中旬では「そろそろ宿題しないとなー」と思いつつ「まぁまだ日にちあるし」と遊びほうけ、結局いつも8月末になって慌てて親や兄弟の手を借りながら手つかずの宿題を必死にこなしていました。 この悪い癖は大学時代になっても変わらず、レポート提出ぎりぎりになってから友達の手を借りてなんとか完成させ、教授の反応をびくびくと伺いながらレポートを提出した苦い思い出があります。 なかなかこの怠惰な性格は治らなかったのですが、一人暮らしを始め自立した生活を始めた途端に「面倒なことほど早めにしよう!」と別人のように性格が変わり治すことが出来ました。 良い子の皆さんは、宿題やレポート提出がぎりぎりにならないようお気を付けください。

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泥棒に追い銭

【漢字】泥棒に追い銭 【読み】どろぼうにおいせん 【意味】物を盗まれた上に金銭まで与えるたとえで重ね重ね損をする。 【例文1】競馬で負けた上に電車賃までつぎ込んで泥棒に追い銭だ。 【例文2】借金が原因で泥棒に追い銭で妻に逃げられた。 【例文3】会社が倒産して家もなくなり泥棒に追い銭。 ギャンブルは誰しも最初は勝つものだと思ってやりますが、結局は負けてしまい銭を失ってしまいます。諺で泥棒に追い銭というのがありますが、大切な財産を失うだけでなく貴重な時間まで失われてしまいます。貯金体質に変えていかないといつまで経っても泥棒に追い銭状態となり、生活がだんだんと苦しくなってしまいます。ギャンブルで勝ち続けていく方法があればいいのですが、むやみやたらに投資していては勝つことはありません。負けないようにするために研究をすることもありますが、将来的に負けてしまう物に対していくら研究したところで、時間が削られていくだけで泥棒に追い銭となってしまいます。投資対象をギャンブルから確実に儲けが出るビジネスにした方が先行きは明るくなります。ビジネスに投資しても失敗してしまうことはありますが、次につながるチャンスは得られるので、長期的に見ていくと無駄ではありません。ギャンブルをしている間はストレス発散になっていいと思うかもしれませんが負けていくとさらに投資を続けていき、しまいには大やけどをしてしまいます。泥棒に追い銭にしないようにするには計画をしっかり立てて、投資して損をする確率が高ければ貯金に回した方が人生豊かになれます。

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取るものも取り敢えず

【漢字】取るものも取り敢えず 【読み】とるものもとりあえず 【意味】必要な物も持たずに慌てて行動する様子。 【例文1】友人が事故に遭ったと聞き、取るものも取り敢えず現場に駆け付けた。 【例文2】隣の家が火事で取るものも取り敢えず飛び出した。 【例文2】地震発生で取るものも取り敢えず非難する。 大学をもうすぐ卒業するというころ、私は就職活動まっただなかでした。そんなある日、朝に就職活動用のビジネススーツ姿で学校へ向かって歩いていると、いきなり足もとがガクッとなる感じがして、急にバランスを崩してしまいました。 足が痛いと感じたのでよく見てみると、なんだか靴の様子がおかしいのです。安いものを買ってしまったせいもあったのですが、なんとヒールがぽろっと折れてしまっていたんです。当日は別に実際に企業を見に行ったりするわけではなく、学校の決まりでスーツを着ていかなくてはならなかったのですが、遅刻を心配して取るものも取り敢えず学校に向かおうかと考えました。 しかしやはり靴が壊れてしまってはどうしようもないので、仕方なく帰宅することにしました。 私の家はあまりお金がないため、変わりのビジネス用シューズも持っておらず、その日は結局欠席することに。学校にも電話で事情を説明して、担任の先生にも納得してもらったと感じていました。 ところが、後日学校に行ってみると、周りの友達からとんでもない噂を聞いたのです。担任の先生が、私が靴のヒールが折れて学校に行けなくなったと言っていたのを、「ぜったいウソだよねー」と言って笑っていたというのです。 あまりにも腹が立ったので、抗議しに行ったら謝罪してもらえました。

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取るに足りない

【漢字】取るに足りない 【読み】とるにたりない 【意味】問題に取り上げる価値すらない。 【例文1】取るに足りない奴は相手するだけ時間の無駄。 【例文2】偏屈者は取るに足りない。 【例文3】ありふれたネタで取るに足りない。 私は最近、取るに足りない事で大騒ぎしすぎではないかと思う事が良くあります。 その一例が不倫報道です。 議員や警察官などは人の模範とならなければなりませんから、不倫の様な倫理に反する行為を行った場合、大騒ぎするのは当然です。 ですが取るに足らない普通の芸能人が、不倫をしたからと言って、大騒ぎする必要はないと思います。 芸能人はテレビに出ているからと言って、人の模範となる人物ではありません。 単に演技をしたり、歌を歌ったりするだけで、人の模範となるような事は何もしてません。 ですからそんな芸能人が、人の道を外れた不倫をしたからと言って、特に問題はないと考えられます。 世間では不倫は悪い悪いと言われていますが、不倫に関するドラマや映画は山のように存在しています。 これだけ多くの不倫ドラマや映画が作られると言う事は、人の心の中に少なからずも不倫願望があるからに他なりません。 不倫願望を持っていても、それを実行に移していないと言うだけなのです。 芸能人が不倫をして大騒ぎになるのなら、一般の人も不倫をしたら大騒ぎにするべきです。 芸能人と言えどもプライベートでは一般の人と同じように生活しているのですから、取るに足らない不倫で大騒ぎするのはやめてほしいと思います。

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鳥肌が立つ

【漢字】鳥肌が立つ 【読み】とりはだがたつ 【意味】恐怖や興奮や感動で顔や手足にプツプツができて毛が立つ。 【例文1】ライヴの生演奏を聴いて鳥肌が立つ。 【例文2】我が子の立派な選手宣言に鳥肌が立つ。 【例文3】試験で緊張して鳥肌が立つ。 芸能人のロケ番組を見ていてど素人のクソつまらなさに鳥肌が立つのです。 特にそれを感じるのは「出川哲朗の充電させてもらえませんか」という電気バイクでの旅番組です。 比較的田舎の地方を旅するのですが、ど素人が出川さんを見付け「出川」と呼び捨てにしたり、ゲストの方に「大島さん!」と振ったり・・・ とにかくクソつまらなくて鳥肌が立つのです。 それにいちいち応えなければならないアンジャッシュの児嶋さんが気の毒でしかたありません。 どうやってもおもしろくないし、それを振るだけ振ってあとは芸人さん任せで、雑でセンスのないど素人は黙って見ていればいいと思います。 とにかく鳥肌が立つし、やめてほしいです。 ど素人はど素人らしく、番組の進行を邪魔しないでほしいです。 とはいえ、わたしもそのようなロケ現場に遭遇したらもしかしたらそのクソつまらないど素人と同じようにセンスのないことをしてしまい兼ねません。 あのような番組をしっかり見て、あのクソつまらないど素人のようにならないように人のふり見て我がふり直せで、身が引き締まります。 自分のセンスのなさがテレビで晒されてしまうなんて・・・恥ずかしいし絶対にああはなりたくないものです。

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鳥なき里のこうもり

【漢字】鳥なき里のこうもり 【読み】とりなきさとのこうもり 【意味】有能な者がいないところで、大したことない者が威張っている様子。 【例文1】先生が教室からいなくなった途端、生徒が騒ぎ始めた。鳥なき里のこうもりだ。 【例文2】主将が休みで部員が鳥なき里のこうもりだ。 【例文3】鳥なき里のこうもりだから相手するまでもない。 鳥なき里のこうもりとは権力のあろ者がいないところで、無能な者が威張っていることです。 たまにいますよね。上司の前ではヘこへこして上司がいなくなった途端偉そうにする係長クラスとか。 私が田舎の中学校に通っていた時、同級生は喧嘩は弱いけど口先は達者で、クラスのリーダーの後ろをちょろちょろ付いて回っていました。リーダーは責任感はあるが、切れたら何するかわからない性格でしたから、4人の子分はいつも気を使っていたようです。そのリーダーがインフルエンザにかかり6日休むことになりました。さあ大変です。ここぞとばかりに2番手がいきがっています。オラオラ系で廊下を歩きます。目が合うもんなら、にらみ返します。肩がぶつかっただの先生の言うことをわざと聞かなかったりとクラスがしらけてしまってました。休んだ人の給食の余り物は基本じゃんけんで勝った人がもらうようにしていますが、その日からは、2番手が誰もいらないだろォと言わんばかりに周りを見渡してその後もずっともらい続けていました。クラスの女子にもその本貸してだの、体育は寒いから見学するだの、そんなこんなでリーダー不在を5日過ごしました。翌週からリーダーが登校してきました。2番手はおとなしくなりました。

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取り付く島もない

【漢字】取り付く島もない 【読み】とりつくしまもない 【意味】頼ったり相談したいのに相手の態度が冷たい。 【例文1】客引きをしてもほとんどの人は素通りで取り付く島もない。 【例文2】店長に相談しても取り付く島もないとあしらわれた。 【例文3】忙しくて取り付く島もない。 私は若い頃、「取り付く島もない」という言葉を、「取り付く暇もない」と勘違いして覚えていました。 当時の私はあまり活字を見ることが少なかったこともあり、何となく誰かが言った言葉を雰囲気だけで覚えていたのだと思います。 私自身、この言葉を使ったことはありませんが、以前から「取り付く暇もない」という意味は少しおかしいような気がしていました。 しかし、「取り付く島もない」というのが正しいことだと知って、ようやく言葉の意味が理解できるようになりました。 書き言葉ではなく、読み言葉で記憶してしまうと、その言葉の文字が浮かんでこないことがあります。 また、言葉が分かってもイメージが湧きにくいという場合もあります。 書き言葉だけでも読み言葉だけでも、どちらだけが偏ってしまっても、言葉を正しく理解するのは難しいことだと思います。 これは日本語だけではなく、外国語にも共通して言えることです。 私は「取り付く島もない」を「取り付く暇もない」というように間違えて覚えてしまっている言葉がいくつかあります。 そのほとんどは間違えに気付き、正しい方で覚えるようにしていますが、それでもまだ間違いに気付かない言葉があるかもしれません。 言葉がおかしいと感じたら、すぐに調べて正しい日本語を使えるようにしていきたいです。

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虎を野に放つ

【漢字】虎を野に放つ 【読み】とらをのにはなつ 【意味】虎を野放しにすると危険である。権力や猛威がある者を自由にする。 【例文1】短気な彼を一人で行かせるなんて虎を野に放つようなもんだ。 【例文2】お金で釈放され虎を野に放つ。 【例文3】連続殺人犯が捕まらず、虎を野に放つ。 世の中には色々な犯罪がありますが、その中でも弱い女性を暴行をして関係を結ぶ犯罪は、許しがたい犯罪の一つであると言えます。 この手の犯罪の厄介な所は、親告罪と言う所です。 つまり被害に遭った女性が親告しなければ、被害を与えた男は警察に捕まらないと言う事です。 男の人は親告なんて簡単だと思うかもしれませんが、心と体を汚されてしまった女性にとって、親告すると言うのは身を引き裂かれるのに等しい行為だと言えます。 ですから男性から暴行を受けても、泣き寝入りをして親告しない女性がたくさん居るのです。 また被害を受けた女性が勇気を振り絞って親告をしたとしても、被害を受けたことを立証するのが大変です。 同意のもとでしたのではないと言う事を、女性の側が証明しなければなりません。 これは被害を受けた女性にとっては、酷なんてものではないと言えます。 そして苦難を乗り越え、男を起訴できたとしても、男が受ける罰は大したものではありません。 長くても数年刑務所に入る程度で、その後は出所して社会に出てきます。 しかしこれは虎を野に放つのと同じ行為であり、今すぐに何か対策を打たなければなりません。 でなければ、被害を受ける女性が後を絶ちません。 一度女性を襲った男は二度三度と同じ行為を繰り返すことが多いですから、一度でもこの手の犯罪を起こした男は、特定の場所に一生閉じ込めておくべきです。

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虎は死して皮を留め、人は死して名を残す

【漢字】虎は死して皮を留め、人は死して名を残す 【読み】とらはししてかわをとどめひとはししてなをのこす 【意味】虎は死んでも美しい皮を残すように、人も死後は褒め称えられるような生き方をするべきだ。 【例文1】先代を見習って虎は死して皮を留め、人は死して名を残すような生き方をする。 【例文2】祖父は虎は死して皮を留め、人は死して名を残す人生を送った。 【例文3】虎は死して皮を留め、人は死して名を残すとして語り継ぐ。 昭和の時代には人々の心を打つ歌がたくさん作られました。 戦後、下を向いていた日本人にもっと前を向いて行こうと思わせてくれる歌や、労働を励ましてくれる歌。 そして多くの人がその歌を聞けば、歌詞を見なくても口ずさめるという歌があります。 日航機の事故で御巣鷹山に散った九ちゃんこと坂本九さんが歌った歌には、そうした歌がたくさんあります。 世界的にも「すき焼きソング」として有名になった坂本九さんの歌「上を向いて歩こう」は永六輔さんの作詞したものです。 先ごろ亡くなった永六輔さんは、パーキンソン病を発症してからもラジオの番組に出演して、同じパーキンソン病の人にエールを送り続けていました。 その永六輔さんの言葉に、「人は二度死を迎える」というのがあります。 一度目は人間として肉体が滅びた時、二度目はその人のことを覚えている人が絶えた時だということです。 「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」ということわざがありますが、それからすると残された名を聞いても誰もその人を誰であるか分からなくなったら、その人に二度目の死が訪れたということです。 戦国時代の武将などは、武勇とともにエピソードが語り継がれて、今でも人々の心に生きています。

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虎の巻

【漢字】虎の巻 【読み】とらのまき 【意味】要点をまとめたり解説した参考書。 【例文1】この虎の巻はわかりやすい。 【例文2】受験対策は虎の巻を読む。 【例文3】虎の巻のお蔭でバッチリだ。 虎の巻とは秘訣が書いてあるような教則本や参考書のことを言います。物事に対してとても分かりやすく書いてあるアンチョコのようなものです。 最近私が読んだ本でとても興味深い本がありました。物理学者、私はこの人を天才物理学者だと思っているのですが、多田将さんの書かれた「すごい実験」や「宇宙の始まり」などの本です。細かく言うと素粒子物理学の本で、素粒子を研究することで宇宙がどうやってできたのか?なぜ人間がこの宇宙に存在するのか?という学問です。多田将先生の専門はニュートリノ振動の研究です。 なぜこの多田先生の本がお薦めかというと、今まで読んだどの物理学の本よりも理解しやすいのです。多田先生自身が高校の物理学で落ちこぼれて?どうやったら自分の頭で理解できるのか?説明されたことを自分のアタマで絵に描ければ理解出来たということなんじゃないか?と気付きます。 それを踏まえた上でご自身が物理学の説明をするときには難しい数式は一切使いません。その物理現象をイメージしやすいように時にはガンダムを使って、時には面白いシチュエーションに例えて分かりやすくそして楽しく教えてくれます。そして頭でイメージするにあたりそのスケール感、大きさなど的確にイメージできるようにするとき、ここぞと言うところで数字を使います。 多田将さんの書かれた本はまさに物理学本の虎の巻だと思います。

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虎の子

【漢字】虎の子 【読み】とらのこ 【意味】大切にしている秘蔵の金品。 【例文1】虎の子の指輪を息子のお嫁さんに譲る。 【例文2】祖母の形見の虎の子を大事にする。 【例文3】我が家の虎の子はダイヤの指輪。 虎の子とは自分が大切にしている秘蔵の物、金品のことをさします。なぜ虎の子が?と疑問に思いますよね。虎というと肉食動物で獰猛なイメージがありますが、意外にもネコ科の動物です。ネコ科の動物というとライオンもそうです。この虎は案外子煩悩で自分の子どもを生後24ヶ月のあいだ大切に育て上げます。そこから虎の子とは自分がそばに置いて大切にしている物という意味で使われるようになりました。そして人間の虎の子というとやはりお金になってしまうのでしょう。一般的に虎の子というと家に置いてあるお金や貯金のことを指すようになりました。金の切れ目が縁の切れ目とか色々とお金にまつわる諺も多いです。それだけ人間にとってお金は大切なものなのです。 お金はあるに越したことはないのですが、一度お金のある生活をしてしまうと元に戻れない、生活のレベルを落とせないという中毒性のあるものだと思います。だから私はあえて宝くじ系のものは買わないようにしています。自分がもし大金を手に入れてしまったらコントロールできなくのは目に見えているからです。かといって全部どこかに寄付出来るほど自分の器が大きいわけでもないのです。だから虎の子は欲しいけれど宝くじは買わない!

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虎の尾を踏む

【漢字】虎の尾を踏む 【読み】とらのおをふむ 【意味】非常に危険な事や無謀な事をする。 【例文1】事業計画なしで起業だなんて虎の尾を踏むようなもんだよ。 【例文2】ギャンブルで借金を返済しようと虎の尾を踏む。 【例文3】一文無しで上京だなんて虎の尾を踏むよ。 非常に危険なことや、危険を冒すことを「虎の尾を踏む」と表現します。 たとえば会社で、「あのプライドの高い部長の発言ミスを直接指摘するなんて、虎の尾を踏むようなものだ。あのあと、部長に呼びだされなかった?」というような使われ方をします。 それは確かに、虎の尾を踏めば大変なことになるでしょう。同じ意味に、「虎の口に手を入れる」という言い方もあるようですが、こちらはもっと危険ですね。 ところで、私はこの言葉を耳目にすると、2つの「勧進帳」を連想します。1つは歌舞伎の「勧進帳」。源義経が兄頼朝に追われ、奥州へ落ち延びる際に通った安宅の関所での物語を歌舞伎にしたものです。 義経とその家来が、強力と山伏に化けて通ろうとしたところ、正体を見抜かれそうになって、危機一髪、なんとか関所を通ることができたというストーリー。その最後の場面の長唄の歌詞に「虎の尾を踏み、毒蛇の口を逃れたる心地して」という一節が出てきます。 正体がバレれば万事休す。命を取られることは免れません。そんな危険な状況を「虎の尾を踏む」という言葉で表したわけですね。 もう1つの「勧進帳」は、黒澤明監督の映画「虎の尾を踏む男達」。1952年の映画ですが、これは歌舞伎の「勧進帳」をベースにした黒沢監督の傑作の一つです。 そのタイトルが歌舞伎の「勧進帳」の長唄の歌詞から取られたことはいうまでもありません。大河内伝次郎の主演ですが、強力役の榎本健一の演技も秀逸です。

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虎の威を借る狐

【漢字】虎の威を借る狐 【読み】とらのいをかるきつね 【意味】権力を持つ者に頼って威張る見かけ倒し。 【例文1】弟は強面の兄の力で虎の威を借る狐だ。 【例文2】虎の威を借る狐のコネ入社。 【例文3】父の会社を継いで虎の威を借る狐。 私は親から就職はいい所は〇〇さんを知っている人など、そういう人が大手の会社や官公庁に就職が決まっていると教えられて来ました。漠然とそうなのかなと、思いある法人の就職試験を受けました。面接の時に私は〇〇さんに大変仲良く良くしてもらっていますとその人の権力を盾にして自分を売ったのでした。これで合格するに間違いないと思っていました。ところが結果通知が届くと不合格、よくよく分析してみました。面接で〇〇さんを知っている虎の威を借る狐であったことを言ったばかりに不合格になったのではないかと。昔はあったそうです。〇〇にでも就職したいから〇〇にお願いしてコネで入ろう。今でもそのようなコネが蔓延っているみたいですが、今の時代面接で虎の威を借る狐のようなことをしても通用しないと。恥ずかしく思いました。これからは正々堂々となにごとにも取り組もうと思いました。よく職場でも私は専務をしっているからとか言って自分の格を上げたがる人間がいます。確かに知っていて損はないと思いますが出世するのに、その専務ははっきり言って関係ありません。出世するのその人そのものの人間性なのです。これからの競走社会の中私は堂々と生きていきたいと自分で思っています。

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取らぬ狸の皮算用

【漢字】取らぬ狸の皮算用 【読み】とらぬたぬきのかわざんよう 【意味】まだ狸を捕らえてもいないのに皮を売るたとえから先の計上をしている。 【例文1】フリマの売り上で取らぬ狸の皮算用でバッグを買おう。 【例文2】取らぬ狸の皮算用をあてにする。 【例文3】取らぬ狸の皮算用で期待が膨らむ。 私は何か目標を立てて実行する時に、先に計画を立てます。 計画を立てていくことで、具体的に目標に近づくことができます。 しかし、いつもそこで良くないことは、計画を立てた時点で、成功を勝手にイメージしてしまい、摂らぬ狸の皮算用になってしまうことがあります。 実際、計画を立てても3日坊主どころか、翌日には計画倒れになってしまうことも少なくありません。 計画を立てた時はもっともモチベーションも高まっていますし、まだ何も始まっていない時から、この方法が最善だと思い、すでに気持ちの中では成功したと思ってしまいます。 実際に計画よりもそれを実行していく方が、かなり大変なのですが、どうしても安易に結果を考えてしまいがちです。 実際に何かに取り組んでいる時は、その大変さが良く分かるので、楽観的に捉えることは少ないかもしれません。 しかし、何もやっていない時はどうしても頭の中だけでシミュレーションが勝手に進んでしまうので、つい摂らぬ狸の皮算用になってしまいがちです。 特に収入を見込んでいたのに、結果的にそれがなかった時などは、まさに取らぬ狸の皮算用的な失敗だと思います。 先に借金をして、先の収入を当てにするよりも、今あるお金の中で何とかやりくりするほうが堅実ですし、失敗も少なくなると思います。 私の主人は、よくも悪くもとっても楽天的です。何かチャンスの予感がすると、基本的に全てうまくいった前提で話が進んでしまいます。 例えば、会社で営業をしていて、大手の会社から問い合わせがあると、「あの会社から受注できれば、売り上げは1億!ボーナスも100万は上乗せしてもらえるかも…」という具合で、まさに取らぬ狸の皮算用ばかりしています。それが実現すればいいのですが、大抵の場合は詰めが甘くてチャンスを逃すことが多く…そのたびに大げさに落ち込むので、こちらも慰めるのに一苦労。 主人の実家に行った時にその話題になったのですが、その性格は昔から変わらないようで、いつも家族でも笑い草になっていたようです。その時姑さんが、「あなたも狸だと思ってたら…」と謎の発言。聞いてみると、私と1回デートしただけの頃に、「あの人と結婚したら式はどこで挙げよう」などと言って、誰も本気にしていなかったそうです。まんまと取った狸になったと知って、私は赤面してしまいました。 彼の前向きな性格はとても素敵なのですが、そういう妄想をしている暇があったら、もっとできることがあるのでは?と思ってしまうこともあります。 まずは狸を取るのが上手くなってほしいとこっそり願っています。

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朋有り遠方より来る

【漢字】朋有り遠方より来る 【読み】ともありえんぽうよりくる 【意味】亦た楽しからずやと続く。親友が遠くから訪ねて来て、自分と同じ道について語るのは嬉しいという孔子の論語。 【例文1】塾でライバルだった友人が朋有り遠方より来る。 【例文2】朋有り遠方より来ると酒を飲み交わす。 【例文3】再会して朋有り遠方より来る。 皆さんは「朋有り遠方より来る」の意味をご存知でしょうか? 日常生活でなかなか聞かない言い回しだと思いますが、これは「論語」の「学而編」の中にある一節で「朋有り遠方より来る、また楽しからずや」と続きます。 ちなみに学而編とは論語の第一番目の編(章)のことです。 この「朋有り遠方より来る、また楽しからずや」は、人生の最高の楽しみの一つは仲のいい友達と酒を一緒に酌み交し語らうことであるという意味です。 論語は孔子の教えや格言をまとめたものですが、世界の歴史の中でも偉人とされる孔子がこんな言葉を残していたのが私には意外でした。 孔子は中国の思想家であり哲学者であり、儒家の始祖と言われおり、授業で孔子について教わりましたが「凄い人だなー」くらいの印象でしたが、この一節を知って、急に親近感がわきました。 大人になると、社会の中で働きながら生きていかないといけません。 社会には色々な人が存在し自分と合わない人にも合わせたり、自分が悪くなくても謝罪しないといけない場面があったり、辛い思いや我慢を強いられストレスが溜まる時もあります。 そんな時に価値観の合う、気の合う友達とお酒を楽しみながら話をすることでストレス解消に繋がります。

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途方に暮れる

【漢字】途方に暮れる 【読み】とほうにくれる 【意味】方法がなくどうしていいか彷徨う。 【例文1】終電に乗り遅れて途方に暮れる。 【例文2】会社が倒産して途方に暮れる。 【例文3】大災害に遭い途方に暮れる。 大きな台風が私が住んでいる地域を直撃して、大雨が降りました。 それによって川が氾濫して、水が家の方まで来たのです。 慌てて土嚢を積んで水が来ないようにしましたが、水の勢いは速く、簡単に土嚢を超えてしまったのです。 そして床下に水が入り込み、更に床上にまで水が入ってしまいました。 水だけでなく泥も入り込み、家の中が泥水でいっぱいになってしまいました。 その後雨はやみ、水は引きましたが、家中が泥だらけになってしまい、途方に暮れる状況となってしまったのです。 どこから手を付けていいか分からず、しばらく茫然としていました。 しかしいつまでも、途方に暮れる状況に浸っている訳にも行かないので、意を決して片付ける事にしました。 使えなくなった家財道具を全部外に出し、家の中に溜まっている泥を水ですすぎ、その水を外に掃き出したのです。 その後市の人に家の中を消毒してもらい、やっと落ち着ける状況を作り出す事が出来ました。 途方に暮れる状況は脱しましたが、まだまだ元の生活を取り戻すまでには至らず、苦しい日々をこの後、数ヶ月過ごす事になったのです。 ほとんどの家財道具が使えず、かなりの出費を伴いました。

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飛ぶ鳥を落とす勢い

【漢字】飛ぶ鳥を落とす勢い 【読み】とぶとりをおとすいきおい 【意味】威勢が盛んな様子。 【例文1】飛ぶ鳥を落とす勢いでお笑い芸人の人気が急上昇。 【例文2】飛ぶ鳥を落とす勢いで成績が上がる。 【例文3】飛ぶ鳥を落とす勢いで息子の身長が伸びている。 よく人気の度合いを表す言葉で、飛ぶ鳥を落とす勢いと言いますよね。 このことわざに関しまして長い間、恥ずかしながら勘違いをしていました。 ですので、飛ぶ鳥を落とす勢いの正しい使い方について見ていきたいと思います。 まず、間違って覚えていた意味ですが、空に飛んでいる鳥って打ち落とすのが困難ですよね。 しかしそんな鳥でさえ、打ち落とすことができる才能や勢いのある人のことを言い表しているのだと思い込んでました。 凡人にはできないことだけど、破竹の勢いの人ならこれくらいできる、といった感じでしょうか。 しかし、実際の意味は、空を飛んでいる鳥さえも落とすほどの力を持っているという意味なのだそうです。 つまり実際に道具を使って打ち落とすのではなく、そのくらいの権力があるという度合いを表してるそうです。 人気があり勢いのある人には、空に飛んでいる鳥さえ、簡単に落とすことができるくらいの勢いあるという事ですね。 つまり、目に見えない力が存在しているという事でしょう。 一見すると分かりにくいようですが、考えてみると納得できますね。 人気が陰った人に対しては、飛ぶ鳥を落とせない勢いとでも言うのでしょうか。 飛ぶ鳥を落とせなくなったら最後です。 そうなってしまうのは全盛期を知っている人にとっては悲しいものですね。 人生が絶好調の時は、「飛ぶ鳥を落とす勢い」という表現がまさにぴったり当てはまる感じです。 こういう時はやる気に満ちていてエネルギッシュに行動できます。 しかし、大きな失敗や年齢を重ねて、いろいろな経験や人から聞いたさまざまな話などを知ってしまうと、次第に勢いがなくなっていってしまいます。 年齢に関係なく、勢いのある時はどんどんいきたいものですが、やはりただ無心に「飛ぶ鳥を落とす勢い」の時のようにはいかなくなってしまいます。 物事がうまくいっている時こそ、たずなをしっかり締めてかかるようにしなければいけないと言われます。 しかし、若い時はいろいろなことが未経験で、さらにエネルギーも体力もあるので、勢いだけで何とかなるだろうと思ってしまいます。 実際、「飛ぶ鳥を落とす勢い」で何かを成し遂げたこともありました。 今考えても、良くできたなあ、と自分で感心することもあります。 やはりできる時に、波に乗っている時にやってしまわないと、その好機を見失ってしまうのかもしれません。 若い時は若い時にしかできないことがありますし、中高年になっていても、その時々で、今しかできないことがあると思います。 いくつになっても気持ちだけは、「飛ぶ鳥を落とす勢い」で何かを成し遂げていきたいものです。

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怒髪天を衝く

【漢字】怒髪天を衝く 【読み】どはつてんをつく 【意味】怒りで天まで髪を逆立てるほど激しく怒る 【例文1】貸した金をいつまで経っても返さない友人に怒髪天を衝く。 【例文2】夫がギャンブルにのめり込み怒髪天を衝く。 【例文3】浪費癖のある夫に怒髪天を衝く。 怒髪天を衝くとは激しい怒りのために逆立った髪の毛が天まで突き上げる様子を表す言葉です。 みなさんは怒髪天を衝く思いありますか?激しくとまではいかなくとも怒りくらいは誰でも持つ感情だと思います。半世紀生きていて怒りの感情を持たない人に出会った事もないですしね。 わたし自身はと言いますと今でいうシングルマザーです。当時はシングルマザーはまだ少なかったので、共感できる友人もいませんでした。離婚原因は結婚当初は子どもの面倒もよく見てくれて助かっていました。夫婦仲も言い合いをしながらでもいつの間にか仲直りをしていたものです。結婚5年後にリストラ対象となり、次第に荒れていく生活が続きました。そのうちパチンコに行くようになり、負けて帰ってくると私と子どもに暴力をふるうようになりました。毎日毎日怒髪天を衝く思いでしたが、子どものためと我慢して私がパートに出ました。いくら稼いでもパチンコに行かれて挙句の果て暴力は私も我慢の限界です。 子どもを連れて実家に帰りました。今では国からのお手当と少ないながらもパート代でなんとか生活しています。今頃どうしているのだろうとふと気になりますが、自分と子どもの生活が幸せならそれでいいと思っています。

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隣の花は赤い

【漢字】隣の花は赤い 【読み】となりのはなはあかい 【意味】他人が持っている物は何でもよく見え、羨ましいと思うものである。 【例文1】隣の花は赤いものでその柄も欲しくなった。 【例文2】彼女が持つ物は何でも隣の花は赤く見える。 【例文3】彼女が持つからこそ隣の花は赤い。 「隣の芝生は青い」に似た意味の言葉で、「隣の花は赤い」というのがあります。 どちらも他人のものは良く見えるということのようです。 実際に隣に住んでみれば、自分家と対して変わらないのですが、傍から見ると相手の良い面ばかり見えてしまうのでしょう。 人は他人に対して多少は良い面を見せようとします。 それもあって、他人から見れば良い面しか見たことがなく、それが羨ましくも感じてしまいます。 どんなに羨ましい生活や人生を送っているような人でも、よくよく話を聞いてみると、意外な苦労や悩みを抱えている人もいます。 今は穏やかで温厚な人も、昔の苦労を乗り越えてきたからこそ、今の境地にたどり着いたという方もいます。 そう考えると、一見、隣の花は赤いように見えても、実情はかなり違っているのかもしれません。 幸せを絵に描いたような生活をしている人は、もしかしたら実際にはかなり少ないのかもしれません。 とは言っても、他人や他人のものが良く見えてしまうのは事実です。 しかし、同じように他人からも自分のことも同じように見られているのかもしれません。 それを考えれば羨ましいと思うのはお互い様であって、自分ができる範囲で羨ましい生活や人生を目指していけば良いのではないかと思います。 何故人間、もしかして人間に限った話ではないかもしれないが、他人のものなら何でもよく見えてしまったり、羨ましく感じてしまうのでしょうか。自分自身の所有物に満足せず、他人のものに対して羨ましく感じてしまう歪んだ考えを持つ生き物が人間の性だとするのならば、元来人間という生き物は怖い生き物と感じてしまいます。 この人間が元来持っているこの性を的確に表すことわざがありますよね。それは「隣の芝生は青い」という言葉ですよね。これはかなり有名なことわざで、知らない人の方が少ないのではないでしょうか。他にも類義語として「隣の花は赤い」があります。特にこのことわざは。日本人の気質を言い表していることわざだと個人的に思っています。 皆さんは「国民幸福度調査」というものを一度は耳にしたことがあると思いますが、これは国民の幸福度を表す指数であり、日本は先進国でありながら幸福度があまり高いものではないのが現状です。しかし、世界の貧しいとされている発展途上国の人間からすれば、衣食住整っている日本は大分幸せな国、住んでいる国民は幸せな環境にいると感じていると思います。日本に住んでいると衣食住に困らない環境であるという幸せを忘れてしまうのかもしれませんね。

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とどのつまり

【漢字】とどのつまり 【読み】とどのつまり 【意味】ハク→オボコ→スバシリ→イナ→ボラ→トドと名前を変える出世魚だが、味が劣る。つまり出世したところで大した物にはならない。思わしくない結果に終わる。 【例文1】いい大学を出てもアルバイト生活しかしてないなんて、とどのつまりだ。 【例文2】老後はとどのつまりにならぬよう、早めに年金を受給する。 【例文3】転職したってどこもとどのつまりだ。 「とどのつまり」の意味は、行き着くところ、結局という意味です。 基本的には悪い意味で使われることが多く、思わしくない結果に終わってしまった場合に使われる言葉です。「とどのつまり」の成り立ちについてはある出世魚が関係しています。「とどのつまり」の「とど」とは、魚のボラのことであり、ボラは成長するにつれて、「ハク」「オボコ」「スバシリ」「イナ」「ボラ」と名前を変える出世魚として有名で、成長するにつれて色んな呼び名に変化していくが、最終的に結局のところ「とど」になり、これ以上大きくならないことから、とどの詰まりから「とどのつまり」の意味の結局のところという意味になったという説が一般的とされています。 知り合いにとどのつまりのような人間がいます。高校時代の同級生が事業を始めたと風のうわさで聞きました。彼は積極的なタイプではなく控えめでどちらかというと表舞台に出るような感じではなかったので驚きました。オリンピック開催年の4年に一度地元で集まる同窓会に参加して持ちきりだったのが、事業を始めた彼の話でした。彼は毎回不参加ですが、またまた風のうわさによると半年も持たないうちに経営に行きづまり倒産したそうです。口下手な性格と少々へそ曲がりな性格が関係していると思われます。

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突拍子もない

【漢字】突拍子もない 【読み】とっぴょうしもない 【意味】突然ビックリするような事を言い出す。 【例文1】目的地までヒッチハイクで行こうと友人が突拍子もない事を言い出した。 【例文2】突拍子もない子どもの発言にヒヤリとした。 【例文3】会社を辞めるだなんて突拍子もない。 子どもの保育園に地元のテレビ番組が取材に来たことがありました。 そのテレビ番組は地元のローカル番組で朝10時くらいからやっている地元密着の情報番組で、番組の最後に地元の保育園の園児達にカメラの前で夢を発表してもらうという短いコーナーがあり、我が子の保育園にもその取材で来たのでした。 なにせ短いエンディングコーナーなのでオンエアされる園児は多くて5名ほど。 取材に来た時、我が子はどう答えたのかそばで見ていた先生方はご存知でしたが「もしかしたら放送されるかもしれないから」と先生方は我が子の発言した内容を教えてくれませんでした。 そしていよいよ放送の日は家事を早々に片付け、家族総出で番組を見ていました。 「きゃー〇〇くんだー!」「△△ちゃん可愛いこと言うー!」 そして四人目でなんと我が子が登場したのです! 我が子の発表は「おかあさんにエルメスをかってあげたいです」 突拍子もない発言です・・・ 我が子の発言後MCのお二人のトーク「お母さんいつも言ってんだろうね(笑)」 「そうですね(笑)」 なんと我が子の突拍子もない発表はトリでした。

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毒気を抜かれる

【漢字】毒気を抜かれる 【読み】どくけをぬかれる 【意味】びっくりして呆然となる。張り合いがなくなる。 【例文1】友人が交際1週間で結婚宣言をして、毒気を抜かれる。 【例文2】子ども達が巣立ってしまい、しばらくは毒気を抜かれる状態だ。 【例文3】妻子が家を出て毒気を抜かれる。 意表をつくような言動によりそこから先の行動をしようとする意思や気力を失ってしまうことを、「毒気を抜かれる」と表現します。 この場合の毒気は「どっき」と読むらしいですが、「どくけをぬかれる」でも意味は通じそうです。 悪意や害意・邪(よこしま)な心を指していて、生物の身体に悪影響がある毒とは違います。 小説やドラマなどの創作物の中では、無邪気な笑顔や裏表のない行動などにより毒気を抜かれて復讐や悪事を止めるシーンがあります。 ここで疑問なのは、そのような行動に計算された他意が隠されていないのだろうかということです。 復讐にしろ悪事にしろ、その行動を決意するに至るまでの経過は決して軽いものではないはずで簡単に覆るはずがありません。 それが何の意図もされない行動によって改心させられるなど、確率的にも効果的にも有り得ないように思えます。 世の辛酸を嘗め尽くし、ささくれだった心に他人の優しさを受けいけるだけの余裕など残っていないと考えるのが普通でしょう。 人間の心の暗黒面が簡単に浄化されるストーリーなど、御都合主義すぎて反吐が出ます。 と、ここまで書いて自分がどれほど悪意に晒され心が捻くれているのかに思い至ります。 毒気を抜かれそうになる状況を前にしても、疑り深く裏があることを邪推してしまうのはそれだけ人間として弱いからなのかもしれません。

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土壇場

【漢字】土壇場 【読み】どたんば 【意味】昔は土を盛った壇で首切り処刑が行われていた。決断を迫られる時を意味する。 【例文1】彼女は土壇場でも正しい判断をする。 【例文2】土壇場になって約束をキャンセルされた。 【例文3】土壇場になっておじ気づく。 土壇場とは絶体絶命のピンチに追い込まれた状態です。これをどう機転を利かせて乗り越えるか? 私がもう何十年も前に就職活動をしていた時のお話しです。面接のために会社に向かったのですが、都内の地下鉄の複雑さ、初めて行く場所で方向が全く分からず、会社にたどり付けない状態になりました。時間に余裕をもって家を出たのに面接の集合時間まで余裕がありません。今だったらスマホがあるのでナビを使えば簡単に会社の場所が分かります。さらにどうしてもの時はその会社に一本連絡を入れて送れる旨を伝えることも出来ます。しかし昔はそんなツールもありません。何とか全速力で走り回って汗だくになりながらも会社に時間ギリギリでたどりつくことが出来ました。 面接の最後に面接官が「あなたにとって人生とは何ですか?」という質問をしてきました。私はアパレルメーカーのデザイナーの就職希望だったのでまさかそのような質問がくるとは全く予想していませんでした。頭の中が真っ白になって、まさに土壇場の状態です。とっさに浮かんだ言葉が「人生とはギャンブルです」でした。言ってしまった後まずい!と思ったのですが、引き返せません。その後に「人生は一発勝負でその結果は誰にも予想することが出来ない」「勝負に勝つことばかりが意味のある事じゃない」とか 何とかその場を取り繕ろいましたが、「あ~この会社は落ちたな!」と覚悟しました。 案の定その会社の内定までにはこぎつけませんでしたが、今となっては本当に良い思い出になっています。

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塗炭の苦しみ

【漢字】塗炭の苦しみ 【読み】とたんのくるしみ 【意味】泥にまみれ炭で焼かれるような耐え難い苦しみ。 【例文1】夏場のマラソン合宿は塗炭の苦しみだ。 【例文2】経営難で塗炭の苦しみだ。 【例文3】食べる物もなく塗炭の苦しみだ。 日本は情報化社会と言われて久くなり、さまざまな情報を手軽に手に入れることができるようになりました。 かつてはテレビやラジオなどで得ていた情報はSNSでリアルタイムに拡散され、瞬時に見られるようになっています。 またそのようなリアルタイムで投稿できるツールを使うことで世の中の動向を把握することもできるようになりました。 しかしさまざまな情報を得られるようになったことで人間が本来持っていた想像力がどこかへ消えてしまったような印象もあります。 たとえば先日の甲子園では仙台育英の選手が相手チームの選手の足をわざと蹴ったのではないかと話題になりました。 その瞬間をとらえた映像が批判の声とともにどこまでも拡散され、たちまちニュースになっていきました。 真相のほどは定かではありませんが、甲子園に出場するチームは塗炭の苦しみを乗り超えて、高校生活のすべてをかけるような努力をしていることと思います。 それにも関わらず目に見えることだけを信じて疑わず、安易に批判の声をあびせるのはあまりにも無責任な行為に思えるのです。 騒動の渦中にあった選手は次の試合には出場せず、チームは敗退してしまいました。 彼がどんな思いで最後の試合を見つめていたのかと思うと、悲しくなってしまいました。

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年寄りの冷や水

【漢字】年寄りの冷や水 【読み】としよりのひやみず 【意味】年寄りが年も考えず冷水を飲んだり浴びたりすることから、年寄りが無理な行動を取る。 【例文1】祖父は80歳。今も車を運転するが、年寄りの冷や水でやめたほうがいいと思う。 【例文2】頑固者に限って年寄りの冷や水だ。 【例文3】急に走ると年寄りの冷や水だ。 先日、妻が自分の父親の話をしている時、「年寄りの冷や水」という表現を使いました。お義父さんが年のことも考えずに、激しいウェイトトレーニングをしているのが心配だという話から、その言葉が出てきたのです。 その時妻が「年寄りって、自分が飲んでる水が冷や水だって気づいてないのよ。体に悪い冷水を飲んでる自覚がないから、平気で冷や水を飲んでおなかを壊すのよ」と言ったのを聞いて、私は「?」と思いました。 というのも、「年寄りの冷や水」を、私は飲むものではなく浴びるものだと解釈していたからです。 私のイメージは、「年寄りが井戸端へ行って冷たい水を汲んで水浴びする」というシーン。むりしてやせ我慢するおじいさんのイメージを、私はもっていたのです。 妻と私では、「冷や水」の解釈が違っていたわけですね。これは、おもしろい発見でした。 さっそく調べてみたところ、辞書には「年寄りが冷たい水を飲んだり浴びたり」というような説明がありました。つまり、両方の意味が書かれていたのです。 おかげで、妻とケンカにならずにすみました。 私もそろそろ「年寄りの冷や水」と言われてもおかしくない年代になっています。周囲を心配させないよう、飲むにしろ浴びるにしろ。あまり冷たい水は避けるようにしましょう。

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年には勝てない

【漢字】年には勝てない 【読み】としにはかてない 【意味】気持ちは若いつもりでも体が思うようについてこない。 【例文1】まだまだ飲めると思ったけど年には勝てないもんだな。 【例文2】若いころは登山なんてへっちゃらだったのに、今じゃ息切れがして年には勝てないな。 【例文3】やはり年には勝てないと痛感する。 年齢を重ねるとともに、健康や体力に不安が生じてきます。 今までと同じように行かないことが増えていきます。 やはり年には勝てないものだと痛感してしまいます。 40代に入ってから体調を崩しやすくなり、健康に対する意識が大きくなってきました。 現在の高齢者は元気な人が多く、自分が同じ年代になっても、あのように元気でいられるか不安に思うこともあります。 精神的な若さと健康的な生活習慣が、高齢になっても元気でいる秘訣なのかもしれません。 私は若い頃から精神的に年寄りっぽいところがありました。 もともとそれほど精神的に強い方ではありませんし、子どもの頃からちょっとしたことで体調を崩していました。 元気いっぱいで体力もあるといった時期がそれほど多くなかったこともあり、中年になってもその傾向はあまり変わっていないような気がします。 体調を崩すと、やはり年には勝てないと一瞬思ってしまいます。 しかし、良く考えてみれば子どもの頃から、この傾向は変わっていないことにも気が付きます。 もしかしたら同じような状態がずっと続いているのではないかと思ってしまいます。 若い時は元気だった人は中年以降になって、急に年齢による衰えを感じるのかもしれません。 私は、30代半ばから健康の為に毎晩マラソンをやっていました。 仕事から帰宅して、夕飯を食べて少し休んでからマラソンをすると、食べてすぐ寝ないですみ、ダイエットに繋がるだけではなく、マラソン後入浴して布団に入ると、ぐっすり深い睡眠に入れるというメリットもありました。 しかし、40代になってからマラソンをする事が辛くなり、年には勝てないので軽めのウォーキングに切り替えました。 マラソンを止めて、しばらく何もしないでいたら血圧が高めになり体重もじわじわと増えてしまい、やはり運動をしないと駄目だと思いウォーキングを取り入れました。 ウォーキングは、マラソンに比べ運動量は落ちますが、以外と健康への効果はあって3ヶ月位経過した頃には、体重が4kg減りその効果で血圧も平均値になりました。 毎晩ウォーキングをする時間は、自宅周りを中心にコースを組んで、そのコースを歩くと約1時間20分位になります。 マラソンと違いウォーキングは、1人でやると飽きてくる為、継続させるコツとしては誰かと一緒に行い、会話しながらやると無理を感じないで続けられます。 私の場合、妻か同居している母を誘って、毎晩継続しています。年には勝てないと諦めないで、年齢に合わせた無理の無い健康対策は、やった方が良いと実感しています。

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年甲斐もなく

【漢字】年甲斐もなく 【読み】としがいもなく 【意味】年齢を忘れて。年齢に合わない言動。 【例文1】5年ぶりの同窓会で、年甲斐もなくはしゃいで楽しかったよ。 【例文2】年甲斐もなく若者ファッションを真似る。 【例文3】年甲斐もなく朝まで飲み明かす。 同じ部署にどうしても生理的に受け付けない人がいます。 その人はまあまあ偉い人なので、まあまあ困っています。 その人は隣のシマにいて、声が異様に大きいです。そこもかなり迷惑しているところではありますが、もっと迷惑なのはその喋り方です。 彼は大変若く見えますが、意外とお年を召してらっしゃるようで、推定年齢50歳は超えているようです。 彼は特定の部下にあだ名を付け「キャサリン」と呼んでいます。彼を呼ぶ様はまるで飼い主と犬そのもので彼の部下「キャサリン」に同情します。 そうそう、彼の喋り方でした。 「おいー!お前さぁ?このメールおかしくな?い?」 「この件なんだけどさぁ?俺的にはぁ?」 ・・・もう一度言います。 彼は推定年齢50歳以上です。 彼はその昔渋谷に生息していたギャル、もしくはギャル男のような喋り方を大声でやりやがります。 彼は年甲斐もなくこのような物言いを昨日もしていたし、今日も明日もきっとします。 聞いていて耳障りだし、自分が言われているわけではなくても腹が立ちます。 彼より偉い人がそのうち注意してくれないかなーと期待していますがたぶんもう今更しないと思います。 そのような喋り方を否定しているわけではありません。(肯定もしていない) でも年相応の振る舞いや喋り方はあると思うし、50代でまあまあ偉い人の喋り方として不適合だと思うのです。

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所変われば品変わる

【漢字】所変われば品変わる 【読み】ところかわればしなかわる 【意味】場所が変われば風習も言語も変わる。 【例文1】所変われば品変わるので旅は楽しい。 【例文2】地方に行けば所変われば品変わるで方言がおもしろい。 【例文3】所変われば品変わるで味も違う。 「所変われば品変わる」は、地域によって文化・風習・習慣が違うもの、という意味の言葉です。 一番分りやすい特色が出るのは、何といっても食べ物でしょう。 カップうどんやカッブ蕎麦は日本の東と西で出汁が異なる、という話は結構有名です。 現在ではそのことをネタにして、東側で関西風出汁バージョンの商品が販売されることすらあります。 雪深い東北地方では、冬季の長期間保存するためからか塩分濃度の高い漬物などが多いように見受けられます。 商品によって味の濃さは違いがありますが、青森のねぶた漬けはご飯のお供にはよいのですが大量には食べられないくらいにはしょっぱいです。 秋田では地域によっては納豆に砂糖をいれるという場所もあるようです。 納豆のねばりが少ないときなどに砂糖を少量入れるという裏技がありますが、これとは別で甘くしたいから入れるというのが理由のようです。 現在では、血圧や血糖値を抑えるために健康に気を使って加減する傾向にあるようですが、どこまで実行されているか比較対象のデータが欲しい所です。 あまり関係ありませんが、人によってはコンビニの弁当は味が濃すぎたり脂っこさがくど過ぎて食べられないというケースも発生しています。 地域どころか家庭によっても食生活に大きな違いがあるのは、情報の受け取り方の違いによるものでしょうか。 それぞれの土地によって風俗や習慣が違うという意味で用いる所変われば品変わるですが、本当にそうですね。言葉ひとつ掘り下げても方言が地方で様々です。もっと広く言えば世界の言語もその大陸によって同じ人同士なのに生まれた場所が違う事で使う言葉もあんなに幅広いとは凄いなあと興味深いです。食べ物もその場所場所で気候や環境に合わせて作物が育ちそれがその土地の特徴になって工夫して生きている過程を感じさせます。実感した経験といえば沖縄へ行った時に強く感じました。お料理がどれも初めて食べるものばかりでソーキそばやドラゴンフルーツ、サーターアンダギーやちんすこうが美味しくて土地の味を堪能しました。またシーサーは口が開いてるのが牡、閉じてるのが牝と知れてなるほどでした。また海の綺麗さは普段見てきた海の碧さとは違って同じ日本でもこんなに違うのかと思ってしまいます。住んでる魚もミーバイとか見た目から鮮やかで神秘というか地球って凄いなと感じました。他にも京都では湯豆腐、奈良は泊まった宿の周りに普通にシカがいる動物好きとしてはたまらない景観、まだまだ知らない土地があって生きてる間に全ては見たり味わったり出来ないのだろうと思うと地球って大きいなと感慨深くなります。

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どこ吹く風

【漢字】どこ吹く風 【読み】どこふくかぜ 【意味】関心が無いため聞き流す。 【例文1】彼は無知でいつもどこ吹く風だ。 【例文2】酔っ払いのたわ言はどこ吹く風。 【例文3】デリカシーが無くどこ吹く風男だ。 私はシェアハウスをしています。いわゆる他人と同居をしています。 男二人のシェアハウスはとにかく自分のペースを崩さない事が大切と、相手の男を見て思います。 とにかく、何を言ってもどこ吹く風な男です。 とくに調理器具の使い方?(この?マークは彼は調理器具と言う実感のない事例があるから)が酷いのに、全く応えない、まさにどこ吹く風な男なのである。 私は鶏肉をよく焼きます。一枚もののモモ肉、胸肉をソテーしてそれを調理ハサミで一口に切って食べるようにしています。 包丁だと、ボロボロになるし刃も悪くなる。ハサミだと結構上手く切れるし。 ある日、共用のリビングで私がスマホでゲームしてるときに横で同居人の彼がとんでもない行為をしていました。 それは調理ハサミで・・鼻毛を、そう自分の鼻毛を切っているのです。 私は唖然としました、元々その男はそういう所が疎く例えばカレーを炊いた鍋にスプーンを二回いれて味見(自分が調理したのでは無く私が調理した鍋)したりする男です。 私がその時にめちゃくちゃ怒ったのに、全くどこ吹く風なスタイルを崩してないのが凄いと、一周回って感心しています。 このどこ吹く風な生き方はむしろ参考になるわ!鼻毛は調理ハサミでは切らんけど。 どこ吹く風とは、他人の言うことやすることを、まったく気にしない、関心がない、気にも留めない、相手にしないなどの意味がありますよね。昔から自分に自信が持てないため、他人の言動に一喜一憂したり、振り回されることも少なくはない私にとっては、羨ましくもあり、憧れでもあり、また魅力的にも感じてしまいます。 とはいえ、学生まではどこに吹く風といった感じでいられたとしても、社会人になってからは、何かしらの組織に属している以上、協調性とコミュニケーション能力は必要とされますから、いつまでも自由人というわけにはいかないのも現実です。ですが、ストレス社会の現代では、やっぱりある程度のスルースキルを身に付けておかなければ、損な役割が多くなってしまったり、精神的に辛い思いをすることだってあるかもしれません。あんまり頑張りすぎないように、ほどよく手を抜いたり、右から左に聞き流したり、苦手な人を相手にしなかったりと、自分でできるケアをすることも大切なことなのです。 私も、ストレスで胃痛に悩むくらいなら、もう他人に嫌われてもいいやと開き直り、かといって非常識な人にはならない程度で、ときにはどこ吹く風といった感じでスルーしてみるのもいいかなと思う今日この頃です。

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どこの馬の骨

【漢字】どこの馬の骨 【読み】どこのうまのほね 【意味】素性のわからない者をいう。 【例文1】どこの馬の骨かもわからん男に娘はやれん。 【例文2】娘の彼氏はどこの馬の骨だ? 【例文3】どこの馬の骨かもわからないのに信用できない。 女性であれば、ときにはナンパをされることもあるかもしれません。女性によってはナンパをしてきた人とそのままお茶をする人もいるでしょう。ですがナンパをしてきた人は、厳しい言い方をしますが、どこの馬の骨とも分からない人と言えます。いくらナンパをしてきた人が、自分の身元を口で説明したとしても、それが本当かどうかをすぐに確かめる術はありません。そうは言ってもナンパをされた女性としては「見知らぬ男性に声をかけられるくらいには自分が魅力的である」と自信に繋がることもあるでしょう。とはいえ見知らぬ人が話し掛けてくるというのは、場合によっては犯罪に巻き込まれる可能性があることも忘れない方が良いと思います。 ですが男性からのナンパがキッカケで付き合い始めて、そのまま結婚まで至ったという人もいますし、一概にナンパが悪いとは言えません。むしろそこでナンパをしなかったら結婚まで辿り着けなかったわけですから、そう考えるとナンパが運命的な出会いのようにも感じますね。このようにナンパは良い面もありますし悪い面もあります。もしいきなり見知らぬ男性から声を掛けられたら、ひょっとするとそこから恋愛に発展するかもしれません。しかし逆に危険な目に遭う恐れもあることを、頭の中に入れておいた方が良いでしょう。

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毒を以て毒を制す

【漢字】毒を以て毒を制す 【読み】どくをもってどくをせいす 【意味】悪事を排除するのに悪事を利用する。 【例文1】万引き犯を捕まえるには、おとりになり毒を以て毒を制す。 【例文2】裏サイトのユーザーになりすまして毒を以て毒を制す。 【例文3】詐欺に引っ掛かったふりして毒を以て毒を制す。 毒を以て毒を制すとの意味は悪を取り除く為には、他の悪を利用して排除するという意味で、人間社会において考えるとこの考えは非常に危険に感じます。 以前、1970年代の人気劇画の「愛と誠」という連載漫画を思い出しました。 不良の少年太賀誠と美しく清純なお嬢様の早乙女愛との複雑なラブストーリーだったのですが、 物語の内容は長くなりますので、それはさておき、この言葉で思い出されたのは漫画も後半に入り、お嬢様学校から不良グループの塊の高校へ転校した早乙女愛は、 ある日、その悪の高校の校長が、不良グループを排除する為には、手段を選ばずに早乙女愛に「毒を以て毒を制す」と意見をし、 きれい事ばかりでは物事は解決しないと教育者らしくない発言ながら、現実とはそういう物だと言い切った場面がありました。 しかしながら、早乙女愛はその意見に真っ向から反対し、「毒を制するには毒ではありません、あくまでもきれいな心です」と校長にむかって意見したのですが、 校長は真っすぐな早乙女愛の気持ちは理解しながらも、「きれいな気持ちだけでは・・」とやはり現実は甘くないと肯定は出来ませんでした。 この言葉を現代社会に置き換えて考えてみても、例えば北朝鮮の核兵器に対し、核兵器で対抗するしか方法がない、いや、きれいな心とは言わずとも、 あくまでも対話で、人類が滅亡するような方法は考えてはいけません。とセリフがダブっているように感じてなりません。 その反対に化学的に考えると、予防接種などは、その病原菌となる物を身体に少量ながらでも入れ込み、抗体を作り、 病気から守るという意味では、非常に納得する言葉ともなります。 でも、人間社会での制裁の意味では本当に怖い言葉だと思います。 毒を以て毒を制すとは、悪を除くために別の悪を利用することを言います。毒に当たった病人の治療で、別の毒を用いて解毒することから、悪を滅ぼすために別の悪を利用することを言うようになりました。この言葉の出典は宋代の禅書「嘉泰普灯録」の中に「機を以て機を奪い、毒を以て毒を制す」とあることに基づきます。 例えば、病気を治すのに、その病原菌(毒)に対応するような菌(毒)を用いて治療に当たるというような事です。これは、実際の治療にも使われている方法です。 また、悪人を排除するために別の悪人を使うというようなこともあります。これは、江戸時代には多く行われていたようです。江戸時代、町を仕切っていたやくざなどは良い例でしょう。彼ら自体も決して善人と言える人たちではありません。しかし、彼らがいることで、他の悪人達がはびこることができなかったのです。これなどは、毒を以て毒を制していたのでしょう。 悪とは全てにおいて悪いと言うことではありません。どこかでうまく利用できるなら、更に大きな悪を排除できるのです。もちろん、それによって一般の人たちに不利益が発生してはいけませんから、悪を使う場合は十分な注意が必要です。トリカブトなどは毒薬ですが、使い方によっては薬にもなります。まさに毒を以て毒を制しているのです。

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毒を食らわば皿まで

【漢字】毒を食らわば皿まで 【読み】どくをくらわばさらまで 【意味】毒が入った料理を食べてしまい、どうせ死ぬのなら皿まで舐めても同じ事だと開き直り悪事をそのまま続ける。 【例文1】もうこうなったら毒を食らわば皿までと開き直る。 【例文2】毒を食らわば皿までと罪を重ねる。 【例文2】毒を食らわば皿までと捕まるまでスリルを味わう。 「毒を食らわば皿まで」とは、悪事に手を染めてしまった以上は、もう戻ることはできないのでどこまでもそれに徹してやろう、どうせなら最後までやり通してやろうといったことのたとえです。 このことわざは、毒を食べてしまった以上はもう死ぬしかないのだから、どうせなら皿まで舐めてしまおうと言ったことから生まれたとされています。 毒を食らわば皿までと似たことわざとして「尾を踏まば頭まで」ということわざもあります。これは獣の尾を踏めば噛まれるかもしれないから同じ噛まれるのであればいっそのこと頭まで踏んでしまえというたとえです。 どちらも開き直った時に使うようなことわざですね。 悪い事を戒めることわざは多いですが、悪い事を進めることわざは珍しいです。しかしこの悪い事の悪には程度の違いもあります。この場合は悪の基準が難しく、中には「必要な悪」というものもあるぐらいですので、全てにおいて悪いことわざとも言えないと思います。 どちらにせよ誰もが悪だと思うものに対して、毒を食らわば皿までといった悪を進めるようなことわざがあるとは言え、開き直りやり通すようなことはあってはありませんので、限度をしっかり見極めることが大切ですね。 食器自体を食べてしまうのではなく、皿の上の料理を全て食べてしまう様子を表現しているようです。 皿の表面が見えるまでねぶり食べつくすを略して、毒を食らわば皿までなのでしょう。 そもそも皿を食べている状況など想像の及ぶところではありません。 大抵の皿は陶器、割って噛み砕いたとして口の中は傷だらけ、飲み込むことなど絶対不可能です。 魚の骨が喉に刺さったくらいでも激痛がはしるのですから、試してみるまでもないでしょう。 毒が入った料理を皿ごとバリバリと食べる様子、ちょっと想像してみましたが出来の悪いホラー作品のような狂気を感じます。 意味としては、「一旦悪事に手を染めてしまったなら後はもう悪の道を突き進むしかない」という何とも救いのない言葉です。 しかし、長い一生で一度も過ちを犯さない人間など稀ですし、悔い改めて罪を償い更正した人は大勢います。 好き好んで毒皿を平らげるような人間がいないように、最初から根っからの悪人など存在しないものと信じたいです。 まず大切なのは最初の一歩目で悪の道に入るのを拒むことです。 そして一旦足を踏み込んでも改心してやり直そうとする心が残っていれば、更正することは必ず出来ます。 良心の欠片でも残っているうちに思い直すことができることを切に願います。

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独立独歩

【漢字】独立独歩 【読み】どくりつどっぽ 【意味】人に頼らず自分が信じた道を進む。 【例文1】独立独歩で生きてきた母は強くて尊敬する。 【例文2】彼女は意思が強く独立独歩で行動する。 【例文3】独立独歩で成功する。 22歳までに看護師の国家資格を取得するという目標を持っていました。朝5時に起床して試験勉強をしました。それから一日働いて夜仕事が終わっても1時間は勉強をしました。仕事をしていたので限られた時間で効率よく勉強をするかが、重要でした。わずかな移動時間でも何度も参考書を読んで暗記しました。仕事疲れでなかなか頭に入ってこないときは本当にしんどかったですが、いったん散歩にでて海を見て心を落ち着かせました。気持ちを入れ替えてまさに独立独歩で試験勉強に打ち込みました。努力の甲斐あって一発で合格することが出来ました。これが自分の自信につながりなんでも出来る気がしました。人は独立独歩期間が誰にでも一度はやってくると思います。その時にどう力を発揮できるかがその人の人生を大きく左右すると思います。 看護師の仕事は3交代制で生活のリズムも崩れやすく体調管理が大事です。命を預かるわけですから責任の重さも他の仕事と比べて大きいです。毎日がピリピリしています。それでも患者さんの笑顔を見たり、ありがとうと言われると、とてもうれしくやりがいを感じます。もっともっと頼られるような看護師になれるように頑張ります。 自分に自信がないから自信をつけたい、という人はいることでしょう。自信満々で生きていければ楽かもしれない、と考えることもあるかもしれません。しかし現実的に考えて、常に自信満々で生きている人はそう滅多にいません。いつも周りを笑わせてくれる人も、いつも楽しい話題をしてくれる人も、どこかしら不安や悩みを抱えてながら生きているものです。もしかすると「これで笑ってくれるだろうか」「この話題で楽しんでくれるだろうか」と、自信がないままコミュニケーションをとっていることもあるかもしれません。 もしあなたが自信満々で生きていきたいと願っているのであれば、少しハードルを下げてみませんか。たとえば人前で何か発表をするときだけは、自信を持って発表できるように、何度も繰り返し発表の練習を行うといったことです。つまり常に自信を持つのではなく、たまに自信を持つ程度にしてみませんか。いつも自信満々でいようと頑張っても、それは大変なことですので疲れてしまいます。ここぞというときにだけ自信をつけましょう。不安なときがあれば誰かの力を借りても良い、そのくらいの気持ちでいれば上々ではないでしょうか。常に独立独歩する必要はなく、普段は周りの人と支えあいながら生きていくのが楽だと思いますよ。

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毒にも薬にもならない

【漢字】毒にも薬にもならない 【読み】どくにもくすりにもならない 【意味】あってもなくても変わらない。いてもいなくてもどうでもいい。 【例文1】引っ越しの手伝いをサボってばかりいる奴は、毒にも薬にもならない。 【例文2】練習をさぼる者は毒にも薬にもならない。 【例文3】毒にも薬にもならない奴は出ていけ! 役に立たないというよりも、役立てる方法が思いつかないというのが本当のように思えます。 そのままで役に立たないならば、物ならば加工、人ならば教育を施せばよいのです。 実際には費用対効果などの金銭問題が絡んできて一概に言えるものではありませんが、個人で出来ないならば社会や国家が取り扱うべき領分でしょう。 儲けている人間からは税金を搾り取り、金がない人間は放り出すでは、社会は穴の開いたバケツのように中身が零れ落ちてしまいます。 個人の努力が必要なのは勿論ですが、最初のキッカケ程度のサポートはあってもよいと思います。 全員が全員、成功することもないでしょうけれどそれでも必要なことではあります。 ただし毒にしかならないような存在がないわけではありません。 ありとあらゆる工夫や努力を台無しにして、そのことすら気にも留めないような人を見るとそのことを深く思い知らされます。 司法の手により裁ければ問題ないのですが、そういう輩に限って上手いこと逃げ回ります。 社会から毒だけ取り除く薬でも作れればよいのですが、そのような妄想は実現するはずもありません。 日頃生活をしていて「なぜこの人はあの人から大事にされているのだろう」や、反対に「なぜこの人はあの人から疎まれているのだろう」と疑問に感じる場面はありませんか。それはその人への見方が、人によって千差万別だからですね。誰かに好かれる分だけ、誰かに嫌われてしまうのは仕方ないでしょう。 しかし中には、誰にも嫌われたくないから敢えて誰にも干渉したくないと考える人もいるかもしれません。ですがこのような生き方をしていると、誰かから嫌われることはもちろん無くても、同時に誰かに好かれることも無く、誰かの役に立つことも無い人生を送ることになるでしょう。それは物寂しい人生になりませんか。 かといって誰にでも好かれるようになるのは無理と言えます。先にも述べたように、人は誰かに好かれる分だけ、誰かに嫌われてしまうからです。だから誰かに好かれたとしたら、別の誰かに嫌われてしまうのは致し方ないことなのです。 誰かに疎まれてしまうのはつらいことでしょう。しかし誰かから疎まれたとしても、誰かにとって役立つ人間になる方が、毒にも薬にもならないような人生を送るよりも有意義と言えます。人の役に立てると自尊心も芽生えて自信もつきますし、何より人から好かれてその人と仲良くなって、楽しいことができるチャンスが増えますから。

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独断専行

【漢字】独断専行 【読み】どくだんせんこう 【意味】単独で物事を決め実行する。 【例文1】独断専行で揉め事が起きる。 【例文2】独断専行で計画を立てる。 【例文3】人の意見も聞かず独断専行だ。 学生であれば部活、社会人であれば仕事など、人生の中で誰かと共同作業を行う場面は出てくることでしょう。そうしたとき、誰かと意見が衝突してしまうことだってありますね。意見が異なるのは、それぞれの過ごしてきた環境が違えば考え方も違うので、仕方ありません。ですが誰かと衝突するのを恐れるあまり、共同作業を必要としないいわゆる単独作業を行うようになってしまうのは、少し勿体ないように考えられます。なぜかと言えば他者と関わらなくなってしまうと、新しい知識や解決方法を知る機会が減ってしまったり、人と上手くコミュニケーションが出来なくなってしまうからです。 たとえば何か作業をしている際、もしも自分に何かよほど突出したスキルがあって、自分にしか出来ないということがあれば話は別にしろ、他者が教えてくれたことが自分になかった発想だった場合、それが問題解決の糸口になることだってあります。それに人間は共同体を築くことを前提として生きています。これは原始時代、お互いに協力しあわなければ生きていけなかった頃の名残ですね。そのため他人とコミュニケーションが上手く取れなくなってしまうと、それが逆にストレスになってしまう恐れがあります。独断専行で作業をするのも否定はしませんが、ときには他者と関わることも大事だということを覚えておいてもらえると幸いです。

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独壇場

【漢字】独壇場 【読み】どくだんじょう 【意味】思い通りの振る舞いができる場所。 【例文1】母の土壇場は社交ダンスの習い事だ。 【例文2】ヲタクの独壇場はネットゲームだ。 【例文3】書斎だけが独壇場だ。 私の高校の友達の一人に、アニメにやたらと詳しい奴がいました。 この友達は普段はとても口数が少なく、話し掛けても二言三言で会話が終わってしまいます。 ですからある意味、面白くない奴と言っても過言ではありません。 ならなんでこんな奴と友達なっかたと言えば、それは前述したようにアニメにやたらと詳しかったからです。 私はアニメが好きでしたが、それほど知識はありませんでした。 ですからこの友達から、知識を授かっていたたのです。 この友達は普段大人しい癖に、アニメの話になると人が変わったようになり、アニメに関しては彼の独壇場になるのです。 彼はアニメの話を始めると、急に饒舌になり早口になります。 オタク特有の、早口で延々とその分野について語り出すのです。 ほっておくと、際限なくアニメの話をしだすので、途中で私がストップをかけます。 彼はアニメに関してはブレーキが利かず、どこまでも話しを続けてしまいます。 こんな友人ですから、私の様なブレーキ役が必要なのです。 彼がアクセル、私がブレーキやとなり、いい塩梅に友達関係を続ける事が出来ています。 彼は私以外の前でも、アニメの話になると止まらなくなるので、皆引いてしまい、私以外に友達はいません。 そんな彼とは今でも友達で、彼のアニメに関する独壇場は今も続いています。

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読書百遍意自ずから通ず

【漢字】読書百遍意自ずから通ず 【読み】どくしょひゃっぺんいおのずからつうず 【意味】どんな難しい本でも繰り返し読めば理解できる。 【例文1】読書百遍意自ずから通ずで医学書を読んでみる。 【例文2】独学で読書百遍意自ずから通ず。 【例文3】10回読み直して読書百遍意自ずから通ず。 文章はそれを読む相手に正しく情報を伝えることこそ本義であろうと思います。 対象となる読み手の読解力・語彙力などを想定して、一読するだけで理解させることが理想的でしょう。 しかし実際には、取扱説明書や説明文が解読が必要なほどに難解な記述をしている例が世間には溢れています。 さらにクドイ言い回しや専門用語の多用が解読を困難極まりないものにするのですからたまりません。 分りやすく、簡潔に、たったそれだけのことが出来ていないのです。 一度書いた文章を自分で読み直したり、添削を受けたりしていないのでしょうか。 仕事で書いたとは思えない酷さには呆れ返ります。 それでも我慢して読み直すにしても10回くらいが限界でしょう。 そこから先は文章を書いた人の意図を推察するしかなくなります。 もし自動翻訳や文節のつぎはぎで作られた文章なら、目にした時点で諦めるのが正解です。 文学的な書物ならば、くどい説明を省いて行間を読ませるという手法もあるのでしょう。 それにしてすら百遍読み返すことで理解することを、著作者が読者に強いることなどある得るでしょうか。

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時を稼ぐ

【漢字】時を稼ぐ 【読み】ときをかせぐ 【意味】本来の用事の準備をしている間、他の事をして時間を引き延ばす。 【例文1】お客様を待たせている間に世間話で時を稼ぐ。 【例文2】作業時間の間にお茶をして時を稼ぐ。 【例文3】週刊誌を読んで時を稼ぐ。 「時を稼ぐ」とは「準備など整えるために他のことで引き延ばして時間を作り出すこと」です。NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」でも「毛賀の地で商人に売り渡した井伊家の材木が、あろうことか今川家に敵対する武将に渡りそうだ」という情報が今川家にもたらされ、井伊家は申し開き(弁解)のために城主の直虎が、今川の居城に呼び出されます。井伊家は商人に売ったまでで、その先のことは把握していなかったことが、詰めが甘いと叱責され、うまく申し開きができなければ城主の交代も辞せずという窮地に立たされます。そこで直虎は「時を稼ぐ」ために、今川家へ向かう道中で服薬し、自分が高熱を出すことで、井伊家の一行を足止めします。その間に、どんな手段を講じようと売り渡した木材を一本残らず、毛賀に取り戻すという策を実行し、直虎が今川家に到着して、申し開きをしている間に「材木が取り戻せた」との連絡が入り、窮地を脱します。戦国時代は今のような情報網もありませんし、交通手段もありません。「時を稼ぐ」ことが家の存続をかけた策の一つであったのです。そういえば「真田丸」でも真田昌幸が、もらった書状に返事を書かなかったり、登城を迫られてものらりくらりと行かなかったりと時間稼ぎをして、必死に状況を見極めようとしていましたね。今はSNSの悪用やGPSにより、時間を稼ぐどころが居場所まで探られてしまいます。恐ろしい時代になったものです。

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度肝(胆)を抜く

【漢字】度肝(胆)を抜く 【読み】どぎもをぬく 【意味】非常に驚いた様子。 【例文1】夫が本日付けで会社を辞めて明日から旅に出ると言った。度肝を抜かれた。 【例文2】エリートコースの夫の脱サラ宣言に度肝を抜かれた。 【例文3】60歳の母が再婚すると言い出し度肝を抜かれた。 よく、凄く驚いたときに度肝を抜くという言葉を使いますよね。 この度肝を抜くとという言葉、耳にする機会は多いのですが意味についてはあまり知られていないですよね。 まずが度肝の肝という言葉ですが、これは肝臓や臓腑の総称です。 肝は人間の心理的な部分に多く使われ、よく度胸のある方を肝っ玉と表現することがありますよね。 このように、肝という言葉は心や気力などの意味合いを持つようになりました。 そして、その心や気力を抜かれるほど驚くと言う意味で、度肝を抜かれると言われるようになりました。 その言葉を強調するために、肝の頭文字に度という漢字が使われているのです。 つまり、度肝を抜かれるとは、並大抵の驚きでないことを表しているということになりますね。 また、度肝を抜くという言葉は肯定的な場面で否定的な場面でも関係なく使われることが多いです。 あまりの綺麗さに度肝を抜かれた、とも言いますし、あまりの汚さに度肝を抜かれた、とも言いますよね。 ですので使用する場面は特に気にする必要はありません。 どちらにしよ、想像以上に驚いたときに伝える感情表現なので、その感情を使えるときに使いましょう。

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時は金なり

【漢字】時は金なり 【読み】ときはかねなり 【意味】時間とお金は貴重なものだから無駄に費やしてはいけない。 【例文1】夏期休暇を有効に使うには時は金なりで計画性が大事。 【例文2】時は金なりで老後のために蓄える。 【例文3】時は金なりで今を思い切り楽しむ。 私は常日頃から、時は金なりを念頭に置いて生活する事を心がけるようにしています。 その一つとして、私はいつも同時に何かをする事にこだわっています。 例えばテレビを見ながら、食事を摂る事です。 良くテレビを見ながら食事を摂るのはお行儀が悪いと言われます。 ですがテレビを見るのと食事を摂るのを別々にしていたのでは、時間をそれだけ取られてしまいます。 テレビを見ながら食事を摂るようにすれば、それだけ時間を省く事が出来、浮いた時間で他の事が出来る様になるのです。 また私は少しでもお金を増やす為に、必要最小限のお金だけ残して、それ以外のお金は定期預金などに預けるようにしています。 正にこれは時は金なりであり、何もしないで時が経つだけでお金が増えてくれるのです。 私は小遣い稼ぎの為に、複数のポイントサイトに登録しています。 このポイントサイトで作業する時も、同時に二つのポイントサイトを立ち上げてやるようにしています。 こうすると一つ一つ作業するよりも時間を省く事が出来、たくさんのポイントサイトで作業したとしても、大して時間を取られる事がありません。 私はこの様に時は金なりを意識して生活をしている事で、充実した生活を送り、徐々に貯金額も増えています。

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十で神童十五で才子二十歳過ぎればただの人

【漢字】十で神童十五で才子二十歳過ぎればただの人 【読み】とおでしんどうじゅうごでさいしはたちすぎればただのひと 【意味】10歳で神と呼ばれ15歳で天才と呼ばれ20歳過ぎれば凡人となる。幼少期は優れていても成長するにつれ普通の人となることが多い。 【例文1】幼少期の暗記力がズバ抜けてよかった。十で神童十五で才子二十歳過ぎればただの人にならぬよう習い事は続ける。 【例文2】ジュニアクラブで活躍した彼は太って、十で神童十五で才子二十歳過ぎればただの人で今ではただのオジサン。 【例文3】子役も十で神童十五で才子二十歳過ぎればただの人。 昔の人は、十で神童十五で才子二十歳過ぎればただの人とはよく言ったものです。どんなに素晴らしいと評価された子どもも大人になったら凡人だと言う意味の言葉です。 確かにテレビを見ていても、天才子役とチヤホヤされていた子どもがいつの間にかテレビ業界から姿を見せなくなることも、珍しくないです。本人の意思で消えたのか、凡人になってしまったのかは本人のみぞ知るところではあります。 いつまでも神童や才子ではいるためにはものすごい努力が必要だと思います。久々にメディアにでた芸能人があまり変わっていなかった事がその証拠ですね。 私の周りに十で神童十五で才子二十歳過ぎればただの人のような方がたくさんいます。一人はあんなに綺麗でスタイルも抜群だった彼女は結婚して子どもを産んだら20キロ太ってただのおばさんです。逆に不良グループでやんちゃしていた同級生は父親になって商売が成功して従業員を抱える社長にまで成長しました。学歴がどうこう言うのではなく本人のやる気次第ですね。 みなさんはこの言葉、聞いたことがあるでしょうか?日本に古くからある言葉で、いわゆることわざというやつです。意味は読んで字の如く、10歳の頃には神童と呼ばれてもてはやされていた人物であっても、15歳の頃には才能のある子供、20歳を過ぎてしまえばありふれた平凡な人間となってしまうという、皮肉にも感じられる意味をもっています。 私の心になぜこのことわざが引っかかっているかといえば、まさに私自身のことを表しているようでやりきれない気持ちになるからです。神童には到底及ばずとも、私が10歳の頃といえば学校で「頭のいい子」としての扱いを受けていた時期でした。同級生には「〇〇君は天才だよね!」とか「頭いいよね!」とか、小学生なりに精一杯、勉強ができることを褒められ、私自身も誇らしく思っていました。しかし中学生となり15歳を迎える頃には、小学生の時ほどの抜群の成績は取れず、こんなはずではないと困惑しはじめていましたが、それでもそこそこの成績を維持し、校内順位では真ん中より少し上くらいの成績でした。さて、これまで勉強以外に特別自信を持てることもなく学生生活を送ってきた私もついに20歳を過ぎ、現在は大学を卒業しています。現在の私といえば、公務員試験に不合格となり、諦めきれずに就職浪人をしております。新卒の就職活動では特にアピールできる経験などがなく、面接で苦労しました。公務員試験においてもいくつか筆記試験で落ちています。これまでなんとなく生きてきた私は、このことわざは自分を高める努力を怠ってはいけないという戒めの意味を持つのだと考えるようになりました。幼い頃から頭がいいと褒められ天狗になった私はその後も大した努力もせず、そこそこの成績で満足し、なあなあに学生生活を送ってきました。その結果が今の私となって表れています。勉強だけでなく、他の要素でも自分を高める努力が足りていなかったなと感じる点は多かったと今になって痛感しています。20歳を過ぎたいま、「ただの人」であることを忘れず、自分を高めていきたいものです。

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遠くて近きは男女の仲

【漢字】遠くて近きは男女の仲 【読み】とおくてちかきはだんじょのなか 【意味】男女の仲は遠く離れても意外と結び付きやすい。 【例文1】私達が出会ったのも、旅に出て遠くて近きは男女の仲だったね。 【例文2】遠くて近きは男女の仲だから遠距離恋愛も平気だ。 【例文3】引っ越しても遠くて近きは男女の仲だよ。 距離感があるように見えても意外と結びつき安いのが男女の仲ですが、そのようなことがあるから人間というのは生きがいを感じ頑張れるのではないかと思います。 職場、友達付き合い、習い事や行きつけの店など、どんなところにも出会いは転がっていて、いつどんなことがキッカケで親しい仲になるかなんてわからないもをのですよね。 ついこの前までただの同僚だった相手と、仕事をフォローしてもらったことがキッカケで親しくなったり、友人関係だったはずが、恋愛相談をしているうちに男女の仲になってしまうなど、遠くて近きは男女の仲といわれるカップルも多いのではないかと思います。 同性同士であれば何とも思わなくても、やはり異性となると、どんな場所でも少なからずお互いに意識しているからちょっとしたことがキッカケで親しくなってしまうのでしょうね。 特に女性同士では、表面的には親しくてもお互いがライバルだったりするのに対し、男性は優しく悩み事や愚痴を聞いてくれることが多いので、親密になりやすいのかもしれません。 生理的に受け付けないタイプでない限り、口や態度には出さなくても顔見知りの相手と親密になれるチャンスを狙っている人もいるのではないでしょうか。 そのようなチャンスがあるからこそ、この退屈な毎日に刺激を与えることができるのでしょうね。

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遠い親戚より近くの他人

【漢字】遠い親戚より近くの他人 【読み】とおいしんせきよりちかくのたにん 【意味】いざという時は遠くに住んでいる親戚より、近くにいる他人の方が頼りになるものである。 【例文1】車がなくて困った時に、遠い親戚より近くの他人にお世話になった。 【例文2】遠い親戚より近くの他人で隣のおばちゃんが一人暮らしの私におかずをおすそ分けに来てくれる。 【例文3】普段の人付き合いが遠い親戚より近くの他人を感じさせる。 遠い親戚より近くの他人とは、血の繋がりがある親類であっても遠い場所にいるのでは自然と行き来も難しくなり、もし急場の用があってもすぐに助けられるわけにいかないものであるという意味と、他人であっても近くに住んでいて顔を合わせ言葉を交わし情が生まれていれば、困った時に助けたいという気にもなるというコミュニケーションの大切さを教えてくれてる言葉だと感じます。私が子どもの頃に住んでいた家はマンションだったので年末になると餅つき大会をしたり、役員等があるため親が住民の方々との交流もありどんな人が近所に住んでるのか 子どもでも何となく把握出来ていました。また管理人さんはとても優しい方で朝の登校時必ず挨拶してから学校へ向かうというのが日課になっていました。そんなある日、当時飼っていた犬が家族がちょっと買い物に出掛けようと玄関を開けた隙間から外に出ていってしまった事がありました。 その時は外に出てしまった事にすぐには気づかず家族が帰って来て初めて気づきました。マンションのすぐ横が道路になっているのでとても焦ってマンション内の至る所を名前を呼びながら探しまわりました。すると近所の方が1階に居るわよと教えてくださいました。その方はうちの電話番号も知ってるので何度も犬がお宅のか聞こうと電話してくれてたそうなのですが、外に探しに出ていて気づきませんでした。1階へ行くと管理人さんの側に大きなダンボールが置かれてて中を見るとうちの犬がいました。家族が買い物に出た瞬間一緒に出て、なんとエレベーターも一緒に乗って家族はそのまま気づかずに犬だけエレベーターを降りて踊り場付近をウロウロしてたのを見つけて保護してくれたんだそうです。良かったと涙が止まらなくて近所の方にも管理人さんにも本当に感謝でした。普段から顔を合わせてたおかげで犬もすぐうちの犬だと分かったのだそうです。

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蟷螂の斧

【漢字】蟷螂の斧 【読み】とうろうのおの 【意味】蟷螂とはカマキリのことで前脚を上げて大きいものに向かうことから、自分の力も顧みず、強者に立ち向かっていく様子。 【例文1】人生のパートナーは蟷螂の斧がいい。 【例文2】不良グループから絡まれている所を助てくれた彼は、蟷螂の斧で頼もしかった。 【例文3】蟷螂の斧が結婚の決め手となった。 蟷螂(とうろう:カマキリのこと)が車輪に向かって斧を振りかざす様から、身の程を知らず強大な敵に立ち向かうことを「蟷螂の斧」と表現します。 子どもの頃、カマキリを飼っていたことがあったのですが、その凶悪な性質と見た目には恐怖すらしたものです。 まず、ふ菓子のような卵から生まれるのですが、いきなり共食いを始めます。 手ごろな餌があればよいのですが、蟻にすら食い殺されかねない弱さが最初なので一緒に生まれた兄弟姉妹がまず餌です。 動けば魚肉にでも襲いかかって食べるという話を聞いたのは後のことです。 百匹以上が一度に生まれても、結局生き残るの数匹程度です。 餌となるバッタは近所の草むらから探して捕獲し、籠の中に放り込みました。 外殻が硬いヒシバッタなどは捕食が難しいのか見向きもしませんでした。 軟らかそうなバッタに対しては旺盛な食欲をみせ、バリバリと食べていました。 今考えてみれば、カマキリの捕食行動より餌を与えている私の方が残酷に思えます。 蟹は海岸に行ったときに偶然見つけることがあり、初めて見る生き物に好奇心を持ち、ハサミで指をはさまれる痛みもさして苦になりませんでした。 実際、カニには指がへこむほどに強く挟まれたのですが、血が出るほどでもなかったので気にも留めなかったです。 ヒシバッタに手を出さないカマキリの力はどう考えてもカニ以下なのでしょうけれど、他の生き物を生きたまま捕食する光景は強く心に刻まれています。

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登竜門

【漢字】登竜門 【読み】とうりゅうもん 【意味】ここを通過すると出世すると言われている。 【例文1】ミスコンテスト優勝者はアナウンサーの登竜門だ。 【例文2】M-1チャンピオンは売れっ子芸人の登竜門だ。 【例文3】パリコレは一流モデルの登竜門だ。 例えば、ミュージシャンが一流になる目安として武道館公演があります。他にも「若手への登竜門」という言葉が存在する通り、一流と世間から見られるために乗り越えなけれなならない壁のようなものを「登竜門」だと言うのだと思います。 「何々ができないから一流ではない」という風潮が世間で未だにあると私は考えています。小説家だって何かのコンテストに入賞することが新人作家にとって登竜門だと思われていますし、ある有名人を納得させれば一流という、馬鹿げている登竜門も存在しています。 時代が進むにつれてそうした登竜門は無くなってきていると考えています。武道館公演だって結成1年未満の有名でないアーティストが簡単に公演をしていますし、インターネットで小説を掲載して読者に評価されれば、それはもう一流と見なされることがあります。 一流を目指す方は、昔からある評価などの形に惑わされてしまうことがあり、別に武道館やコンテストに入賞することが全てではないということです。プロになった方でもインターネットで細々と同人作品を作っていた方もいるので、一概に登竜門を突破することが重要ではないことが分かります。このことからも将来的に「何々の登竜門」という言葉は失われるかもしれませんね。 登竜門の登竜とは、中国の黄河上流にあり、竜門山を切り開いてできた非常に流れの速い所です。この急流を上りきった鯉は龍になるという伝説があり、登竜門と呼ばれるようになりました。このことから、難関を突破して大きな飛躍を遂げることを言うようになったのです。 また、この言葉が使われるようになったのは後漢書という中国の書物が元になっています。その書物のなかの李膺伝からのものです。どのような話かというと、李膺という非常に実力のある人物がおり、その人に認められると、出世間違いなしと言われていました。ここから、李膺に認められることを、鯉が竜門を上って龍になるという伝説に例えられたのです。現代では、~の登竜門と言うように使われています。例えば、芥川賞を受賞することは文壇における登竜門だというように使います。 文学に限らず、いろいろなオーディションなども登竜門と言えるでしょう。また、東京大学に受かることが、高級官僚の登竜門ともいえます。 中国においては鯉という魚がとても力強いとされていたのでしょう。それが、滝を登って龍になるのですから、とてつもない努力が必要になります。また、鯉の滝登りという言い伝えもありますが、登竜門と同じような意味合いです。5月人形に良く見られますが、男の子の力強い成長を願ったものなのです。

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桃李もの言わざれども下自ずから蹊を成す

【漢字】桃李もの言わざれども下自ずから蹊を成す 【読み】とうりものいわざれどもしたおのずからみちをなす 【意味】桃や李は何も言わないが、美しい花の下には自然と人が集まって道ができることから、魅力あるのものには自然と人が集まってくるものである。 【例文1】ここのお店は口コミだけで、桃李もの言わざれども下自ずから蹊を成す。 【例文2】彼女の周りにはいつも桃李もの言わざれども下自ずから蹊を成す。 【例文3】素晴らしい演説で桃李もの言わざれども下自ずから蹊を成す。 「桃李もの言わざれども下自ずから蹊を成す」とは「人徳のある人のもとには、人々が徳を慕って自然に集まってくること」の意味です「蹊」は「こみち」のことで、列をなすどころではなく、こみちを作ってしまうほどであるという例えです。これは漢の司馬遷が書いた「史記」の「李将軍列伝」に出てくる言葉です。司馬遷は個々の人間の伝記を中心に歴史を記しました。司馬遷の歴史観に基づいた主観的な表現が散りばめられ、歴史書としても価値とともに、物語としても興味深く読まれる作品として後世に伝えられてきました。「史記」の中から生まれた慣用句や故事成語が多いのも、その成り立ちからすれば自然なことなのです。人徳とはいいますが、こみちを作るほどの人徳者はイエスキリストか、お釈迦様かくらいしか私には思い出せません。イエスキリストが磔刑になる時には彼を慕い、嘆き悲しむ人の列が刑場のゴルゴタの丘の麓まで続いたそうですし、お釈迦様も辻々で説法をなさると、その説法に感動した人々がつき従い付いてきてしまい、お弟子様の数が膨れ上がったそうです。やはり普通の人間ではなかったと思わされる逸話です。この史記の李広将軍はとても人柄が良く皆に尊敬されていたので、彼が死んだ日には彼を知っている人も、直接は知らない人までが悲しんだということから、司馬遷は李広将軍を例えるに「桃李言わざれど下自ら蹊を成す」という言葉を使ったのですが、「この言葉そのものは小さなことを言っているが、大きなことをも喩えられる言葉でもある」とまで添えています。この言葉は「桃李成蹊」の四字熟語としても知られています。

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東奔西走

【漢字】東奔西走 【読み】とうほんせいそう 【意味】東へ西へと忙しくあちこち駆けまわる。 【例文1】母は東奔西走へと温泉巡りを楽しんでいる。 【例文2】子どもの手が離れて東奔西走旅に出る。 【例文3】愛犬が東奔西走走り回る。 東奔西走とはある仕事や目的のために、あちらこちら忙しく駆け回ることです。 私は高校を卒業して地元の企業に勤めました。田舎は車がないと不便で仮卒の間にみんな車の面許をとって東奔西走して夜通し遊んたものです。遠出なんてへっちゃらで友達とワイワイしながらドライブしたのを懐かしく思います。今ではもう寝不足で会社出勤なんてできないことですが。 2年目は静岡命令が出まして関東進出が嬉しくてたまりませんでした。佐賀で生まれ育った私から見れば静岡も埼玉も千葉も東京と同じに見えて仕方ありません。私が暮らした静岡の中では現地の人に言わせれば田舎かもしれませんが、地下鉄もない私のところからしてみれば十分です。東京にだって1時間しょいで行けるではありませんか。休みの日は東奔西走観光しました。4年目に地元に戻り、すっかり都会生活に慣れしんだ私はなくなく戻りました。結婚して子どもができて今は子どもが喜びそうなキャラクターショーがあると聞けば東奔西走しています。もう少し大きくなって飛行機にも黙って乗れるようになったら私が過ごした静岡にも東奔西走したいです。

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豆腐にかすがい

【漢字】豆腐にかすがい 【読み】とうふにかすがい 【意味】かすがいとは木材と木材を繋げるコの字をした釘で、豆腐に釘を打っても手応えがないことから、全く効き目がない。 【例文1】彼は頑固者だから、何言っても豆腐にかすがいだ。 【例文2】私の忠告を豆腐にかすがいで無視して借金地獄に陥ったみたいだ。 【例文3】あれほど夏休みの宿題を先に済ませるよう言ったのに豆腐にかすがいだ。 会社の同僚は根は良い奴なのではありますが、一つ欠点があり、それは無類のギャンブル好きなのです。 こともあろうか恋人にお金を借りてまでパチンコや競馬に行っています。 勝ちも大きいが、負けも大きいといいます。 そんな経済力でよく彼女が黙っているもんだなと不思議に思います。同僚は私の忠告に豆腐にかすがいで話を聞いてくれません。 その後もどんどんパチンコ・競馬に加えボートレースにもにハマり、消費者金融にまで借金までするようになってしまったのです。 このままでは恋人も離れるし、もちろん生活にも支障をきたす恐れがあると忠告しましたが、聞く耳持ちません。 案の定恋人には愛想尽かされ、ますます躍起になって取り返そうとしている気がします。こうゆう奴は一度痛い目に遭わないとわからないのだと私もこれ以上は関わらないようにしました。

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同病相憐れむ

【漢字】同病相憐れむ 【読み】どうびょうあいあわれむ 【意味】同じ悩みを持つ者同士はお互い理解があり、同情し合うもの。 【例文1】子育ての悩みはママ友と同病相憐れむので、気が楽になる。 【例文2】病室の仲間同士で同病相憐れむ。 【例文3】同病相憐れむので共感する。 私は現在、ある病気で通院しています。 その為に子どもはまだおらず1人で思い悩む事が多々あります。 1人で考えていると考えが1人よがりになったりマイナス思考に陥ってしまうので危機感を感じていました。 そんな時に自分の病気のことをよくネットで調べるのですが、そうすると自分と同じ立場や病で苦しむ人の交流サイトやブログを見つけました。 そこには共感できる悩みや励ましが沢山記載されていてなんだか救われる思いになりました。 まさに同病相憐れむという言葉がしっくりきました。 やはり人は同じ立場になってみないと人の本当の痛みや苦しみに共感出来ないものだと思います。 実際に私も友人から病気のことを相談されたとしたらちゃんとしたフォローや会話が出来るのか自信がありません。 現代は病気以外の事でもインターネットで同じ境遇の人を探す事が出来るのでより心強い世の中だなと思います。 この様に現代のネット環境を上手く使えば1人で思い悩む人が減りそんな人を救うきっかけになると思います。 同じ病に共感しながら共に乗り越えるという意味を持つ同病相憐れむと言う言葉はただ人を憐れむだけでなく同じ経験をした人を励ますというその情景は日本人ならではの情な気もします。

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堂に入る

【漢字】堂に入る 【読み】どうにいる 【意味】学問や技術が優れている者に尊敬の意を表す。 【例文1】師匠の陶芸作品は堂に入る。 【例文2】堂に入るスピーチだった。 【例文3】堂に入る芝居だった。 約2500年前の古代中国に生きていた儒教の始祖・孔子という人物の言葉に「堂に升りて室に入らず」があります。 弟子の成長を評しての発言で、建物には登ったが室内に入るには至っていない、つまりある程度の上達はしたが奥義には届いていないという意味です。 堂に入るは、技前や所作が違和感なく身についていることを表現することばなので、室にも入っているのかも知れません。 堂に入るという言葉は、あくまで違和感が無いくらい熟達しているという感想なので、奥義や免許を与える指導者的な立場でなくとも使って構わないようです。 もう20年以上昔の世紀末的時代に流行した拳法漫画では、盛んに奥義や秘奥義、果ては究極奥義までが飛び出しました。 究極奥義に至っては部屋に入るどころか、もはや天井をぶち抜きそうな勢いです。 奥義という言葉は、武道や文道の師匠が弟子に与えられる認可などで技そのものを指すわけではないようです。 極意や本質、コツなどの言葉が近い意味を持っています。 全ての奥義を伝授されれば免許皆伝、その皆伝の上に極伝もあるらしいですが、世間一般には公開されることは無いのでしょう。 ゲームであれば経験値やパワーゲージをためて出せる技が奥義ですが、並大抵の努力程度では堂に入るどころか建物の前でうろつくのが精一杯です。

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堂々巡り

【漢字】堂々巡り 【読み】どうどうめぐり 【意味】議論がいつまでも同じ事の繰り返で先に進まない。 【例文1】彼との会話は堂々巡りでキリがない。 【例文2】会議が堂々巡りでまとまらない。 【例文3】堂々巡りで残業だ。 堂々巡りという言葉はよく使われるものと思います。 意味は色々ありますが、よく使われる場面は、意見や思想が同じでいつまでも結論が出ず、同じことを繰り返しやっているさまをいいます。 この状態は、私たちの生活においてもよく見られる光景です。 例えば会社での会議です。 会社の会議は長い反面、結果が何も生産されない場合が多いのではないでしょうか。 これは、議論の論点が発散したり、問題点が明確になっていない場合に長く議論をしていることが、あたかも正当であるという負の結果をもたらします。 例えば、国会の法案審議についてみると、法案審議時間が長いか、短いかの議論になることがあります。 時間が長いから議論が適切にできたか、成果が出たかというと甚だ疑問に感じます。 堂々巡りをしているだけであれば時間の無駄であるとつくづく感じます。 国会の議論においては、まさにこのような堂々巡りをする議論ばかりで、内容が薄すぎることに、将来への危機感ばかり募ります。 企業においても会議に時間をかけすぎる会社は業績もなかなか向上しないという統計結果もあります。 おそらく堂々巡りの議論をしている会社であるために、結果が出にくい状況に陥っている可能性は否定できません。

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灯台下暗し

【漢字】灯台下暗し 【読み】とうだいもとくらし 【意味】灯台は周囲は明るく照らすが、真下は陰になって暗いことから、意外と身近にある事ほど気づかないという意味。 【例文1】おいしいパン屋さんがあると聞いて1時間かけて食べに行ったのに、家の近くにもあったなんて灯台下暗しだ。 【例文2】まさか内部に犯人がいたとは灯台下暗しだ。 【例文3】あちこち探し回ったのにネット通販にもあり灯台下暗し。 灯台は港などに立っている明かりを照らしてくれる標識のことですが、灯台下暗しとは身近な事ほど気づかないといった意味です。 例えば、常に一緒に暮らしている家族のありがたさについて。普段の生活は家族がいて当たり前であり、奥さんやお母さんがご飯を作ってくれたり、掃除をしたり家事をしているのが当たり前と思っていませんか。それぞれに仕事や趣味がある中で、ほかの人のために時間を割いているといことにもっと感謝しなければならないと思います。 身近にいる家族ですが、一人の人間であるということを忘れずに、常に感謝の気持ちを持ち続けなければいけません。 仕事や勉強などにおいても灯台下暗しということはよくあります。例えばテストのときや何か新しい企画を考えるときに考えてもわからない、調べても何も解決しないという時にその答えは案外身近にあるかもしれません。テストであれば問題に答えのヒントがあるなんてこともよくあります。どれだけ考えてもわからない、答えが出ないと悩む前にもう一度初心に帰り、最初から考えてみると答えは簡単に見つかるかもしれません。必死になるあまり周りが見えなくなってしまうときはいったん落ち着いて考えてみるといいかもしれません。 大事の前の小事という言葉については、社会人経験を通じて考えさせられることがあります。 例えば、会社のビジョンや方向性を掲げたり、先導する力はあるもの、肝心の進め方や具体的な方法論については現場任せである場合が多いですよね。 あとは任せた、という感じの人は世の中には多い気がします。 まさに、大きなことを成し遂げるためには、小さなことをしっかりとこなしていかねば成就しません。 基礎づくりが必ず必要です。 途中で失敗しても、小事である基礎をしっかり固めていれば、振り返ることもできますし、失敗後のリカバリーも早くできます。 まさに、足元をきちんとみるということに関しては、灯台下暗しという言葉も似たような内容であると思います。 このように、自分の足元がふわふわし、さらに自分の軸を持っていない社会人が沢山います。 私の子供達には、基礎が大事であることや、大きなことを成し遂げるには、小さなことをしっかりとこなしていかねばならないことを口酸っぱく言っています。 息子は将来、プロ野球の選手になりたいようですが、なるためには毎日、バットで素振りしたり、シャドウピッチングをしたりと、日頃の積み重ねが後々に物をいうことを話しています。

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同床異夢

【漢字】同床異夢 【読み】どうしょういむ 【意味】同じ寝床に就いても違う夢を見ることから、一緒に作業をしていても意見が合わないこと。 【例文1】彼とは同床異夢で話がまったくかみ合わない。 【例文2】同床異夢で企画がまとまららい。 【例文3】同床異夢で作業がはかどらない。 どうしょういむ(同床異夢)、読んで当たり前だと感じる四字熟語ってめずらしい。 同じ寝床で見る夢は違っているって事ですね。まあ、同じ事をしているけど、目的や立場が違うそして目指しているものも違うって事なんです。 最近、ニュースを見ていると安倍総理を小さい事やどうでもいい事でたたいている事が多いように思えます。 なにか、週刊誌ネタから見つけてきて国会で重要案件そっちのけで、追及できそうなものなら何でも使用するといった感じです。民進党議員が追及していたら、その問題民主党から発生していたというへんな話で、メディアもこぞって批判するのだが、違法でもなくなにを批判しているのかよくわからないといった感じになるんです。 最近出てきた加計学園問題等は特にわけがわからない事で騒いでいます。 加計学園の獣医学部新設、地元も望んでいたし民主党議員(今の民進党議員)も要望していた。しかるに、元文部科学事務次官が「総理のご意向」があったとするメモの存在や圧力があったと告白、民進党、一部メディアは正義の味方扱いだ。 しかるに、当の本人は天下り問題で辞任させられたそうだし、出会い系バー等の素行もあるとされている。メディアも天下り問題では官僚を批判していたわけだし民進党も政治主導を謳っていたはずだ。 おそらく、理由はそれぞれ思惑は違っているんだろうが、安倍総理を追い落としたいのは一緒。まさに、同床異夢の典型例だと思う。 私は過去の恋愛で大失恋を経験しました。 彼とは5年近く一緒に住んでおりまた、ある業種で独立開業を夢見る彼を必死に支えていました。 しかし、そんな彼は下積み時代に突然仕事を辞めてしまい同時に私の夢も途絶えてしまいました。 まさに同床異夢の状態で次第に私は彼を支えきれなくなりました。 結果、私は彼とは別れて今は違う人と結婚をしました。 そしてつい最近、その元彼が元々の夢であった業種で独立開業の夢を果たしたということをSNSを通じて知りました。 1度は挫折して手放した夢に彼は再チャレンジしたのだと思うとよく頑張ったなぁと思いました。 今はもう未練はないのだけれども彼の仕事が上手く行って欲しいなとは今でも願っています。 そしてそんな彼に負けぬよう私は自分の目標の達成と今の主人を大切に前を向いて歩いていこうと決めました。 この事から恋愛関係では特に同床異夢だと上手く行かないなという事を学びました。 決して結婚がゴールだとは思わないけれどやはり付き合っているからには結婚という同じ夢を見ていたいですよね。 そして夫婦関係においてもどちらかの思いが違う方を見ていると関係がギクシャクしてしまいます。 同じ夢を見るという事は関係性を維持する為にも大切だなと思います。

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同工異曲

【漢字】同工異曲 【読み】どうこういきょく 【意味】見かけは違うけど、中身はだいだい同じ。 【例文1】どこが訂正されたんだ?同工異曲のままじゃないか。 【例文2】新商品を増やさないと従来の品と同工異曲だ。 【例文3】同工異曲で期待外れ。 「同工異曲(どうこういきょく)」の意味は手法や技術に大きな差はないが見た目は違っていることです。詩文を作る手法や技量は同じでも趣が異なることや音楽を演奏する手法は同じでも味わいが異なることが転じて外見は違っているように見えても内容が同じであることを指しもともとは音楽の演奏や詩文などについて使われていました。「工」は技術や技巧のことで「曲」は音曲のことです。「異曲同工(いきょくどうこう)」とも言われ同じ意味で使われます。類義語には「大同小異(だいどうしょうい)」あり細かい部分にわずかな違いはあってもおおよそは同じであるという意味です。 「大同」とはほとんど同じということで「小異」とはごくわずかな違いがあることです。他には「五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ)」がありわずかな違いだけで本質的には変わらないという意味ですが優れたもの同士に使うのは誤りです。あまりよくないことで差がない場合に使います。どれも同じであったり差がない場合に使う四字熟語ですが、こうやって意味を考えて比べてみると使われる場面には差が出てくるようです。知っているつもりの四字熟語やことわざも意味や語源を調べてみると意外な発見があり意味をより深く理解することができます。

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桃源郷

【漢字】桃源郷 【読み】とうげんきょう 【意味】中国の伝説に登場する山奥の楽園地からきた言葉で、現実とは思えないほど美しく癒される体験や場所。 【例文1】家族旅行で桃源郷の旅に出かける。 【例文2】疲れた身体に癒しを求めて桃源郷を見に行く。 【例文3】桃源郷に見とれる。 桃源郷という考えは、陶淵明が記した「桃花源記」に出てきます。桃源郷へ再度行くことは不可能であり、目的を持って行こうとしては行けないという場所であると記されています。日常生活をよりよくすれば理想郷へ行くことができるという迷信を否定しているのです。では、桃源郷というのはユートピアと同じなのでしょうか。これが、全く対局にあるのです。ユートピアは理想社会を実現しようとしますが、桃源郷は理想社会の実現を諦めるという考えなのです。 それではなぜ桃源郷が現代では、理想的な素晴らしい世界と思われているのでしょうか。それは、道教の思想や伝説と結びつき、特に仙人思想と結びついてたからなのです。山で迷って仙人に合うとか、仙人になるための食べ物が桃も実であるとかから桃の林の奥にはある桃源郷は仙人の住まう場所という説話が生まれたのです。また、西王母伝説に不老不死の為の仙桃というのもあり、それも桃源郷の説話の一端ともなりました。 中国の伝説からの言葉ですが、現代では花が咲き乱れる美しい場所を桃源郷と言ったりします。また、それを代名詞にしてキャッチフレーズとしていたりしますから、耳にすることも多いでしょう。春の初めの頃、中央線に乗り山梨へ向かうと、窓外にピンク色の一帯が広がります。桃の花が一面に咲いているのです。のんびりした場所であるからか、そんな風景はまさに桃源郷という言葉がぴったりです。

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峠を越す

【漢字】峠を越す 【読み】とうげをこす 【意味】危険な状況から逃れる。困難を乗り越える。 【例文1】術後の峠を越したので一安心した。 【例文2】今夜、峠を越せば大丈夫。 【例文3】峠を越す事を願う。 峠を越すという言葉の意味は「勢いが最も盛んな状態から衰え始める事」を言います。 一方で私達が日頃この言葉を使う場面としては若干意味合いが異なっていると考えます。私達の使い方としては、人が生活して行く上では様々な困難や問題を抱えながら日頃生活を送られていると考えます。その際に、目の前に立ちはだかった困難や問題をどの様に解決して行くか、又、解決までの過程を「山道」に例えた言葉で、問題の解決が1歩ずつ進んで行く事を、この「山道を登って行く」事として表しております。更に最終的に全ての問題が解決出来た時、目の前の困難や問題が解決出来た事になり、山道を登りきった先にある「峠」を越えた事に例えて使用するケースがその大半を占めております。 具体的に使用される例としては、ご家族等が病気等で緊急的に入院したり手術を受けたりした後、最悪の危機的状況(例えば危篤状態)を乗り越えた時に使用したり、仕事の上でも進めている大規模プロジェクトが様々な問題に直面しながらも、全ての改善点をクリアー出来た後最悪のプロジェクト消滅や、失注等の危機から脱出できた時等に使用しております。この使い方はこの言葉の本来持つ意味合いとは若干異なっていると考えます。この峠を越すと同じ意味合いの言葉としては、山を越す、ピークを過ぎる等が有ります。 子どものころにインフルエンザにかかったことがあります。 最初はただの風邪のようにとらえていましたが、発熱と吐き気の症状が出てそのあとも微熱が長く続きました。 通常の風邪ですと発症してすぐに熱がピークを迎え、峠を越すと下がっていき、快方に向かいますが、私がかかったインフルエンザはなかなか症状が治まりませんでした。 医師の診察を経て、一週間近く学校を休むことになり、もちろんその間外出することもできずただ布団の中で横になっているだけという苦痛を味わいました。 微熱の状態が長く続くとそれに慣れてきてしまい、体はあまり辛さを感じないのですが決して本調子というわけでもなく、そのもやもやとした不調の感じがなんとも気持ち悪かったことを覚えています。 一週間も布団に横になっていると特にすることもなく、何日経っても微熱はなかなか引きませんでした。ひたすらラジオなどを聞いて過ごしていましたが、全く変わることのない景色のなかで長時間過ごすのは当時中学生だった自分にとっては退屈過ぎる日々でした。 インフルエンザで学級閉鎖になると休みになるため喜んでいましたが、いざ自分がかかるとこんなにもつらいのかと思い、それからというものもう二度とインフルエンザにはかかりたくないと予防接種の大切さを身に染みて実感しました。

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薹が立つ

【漢字】薹が立つ 【読み】とうがたつ 【意味】薹が伸びると硬くなり、食べ頃を過ぎる。婚期が過ぎることを言う。 【例文1】35才を過ぎて薹が立つ。 【例文2】薹が立って婚活がうまくいかない。 【例文3】薹が立つ前に子どもがほしい。 「薹」は「ふきのとう」というように、フキやアブラナなど花をつける茎、 つまり花茎のことです。薹は伸びると硬くなり、食べ頃を過ぎてしまうことから、 野菜などの花茎が伸びて食用に適する時期の過ぎたことを 「薹が立つ」というようになりました。 これが人間にも当てはめられて使われているのです。人間の場合には、 若い盛りの時期を過ぎることをいい、30~35歳を過ぎて婚期を過ぎた場合に使われます。 良い意味には使われません。 使い方としては、本来の野菜についてなら、もうこの菜っ葉は育ちすぎて薹が立ってしまったから、食べても美味しくないですよ、などと使います。 しかし、最近の女性は幾つになっても薹が立ったとは言わないのではないでしょうか。もちろん年齢が低ければ、みずみずしいですが、それだけで判断されるのはいかがなものでしょう。 アラサーやアラフォー、アラシックという言葉まで現れ、年齢に見合った美しさが見直されています。

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灯火親しむべし

【漢字】灯火親しむべし 【読み】とうかしたしむべし 【意味】秋の夜は灯りの下で読書をするのに適しているという意味。 【例文1】休日は灯火親しむべしの季節だ。 【例文2】灯火親しむべしで読むペースが速い。 【例文3】灯火親しむべしだから10冊本を買う。 「灯火親しむべし」の灯火はともしびのことです。この言葉は唐の韓愈の一句「灯火稍可親」に由来します。「秋の涼しい季節と夜長は読書をするのに適している」という意味です。ところが、中国三国時代(魏、呉、蜀)の魏を中心に書かれた歴史書である「魏略」(ぎりゃく)には違う記述があるのです。三国志の時代、曹操たちが活躍していた時代の書物です。当時の日本は弥生時代であり、この書物に邪馬台国の頃の倭のことが書いてあることで、日本では注目されている書物ですが、古い時代のものですから散逸してしまっていて、全部が読めないところが残念です。この魏略には読書について「読書三余」として読書に最適な余暇時間として冬、夜、陰雨と挙げられています。 時が下って580年後、中唐時代に文人、韓愈が登場しこの詩が発表されます。その頃、日本は平安時代で唐文化も受け入れ、また取り込むだけの文化が出来上がっていますから、おそらくは韓愈の詩の方、「読書に向いているのは秋」の説が日本人に浸透したものと思われます。ちなみに、今の日本の読書週間は、10月27日から11月9日までの2週間にわたり、読書を推進する行事が集中して行われる期間ですが、戦前に日本図書館協会が11月17日から11月23日まで「図書週間」を制定し、その後戦争で中断したものの戦後になり「読書週間」が復活し現在に続いているものです。もしも、韓愈より前の「魏略」が日本に伝わっていたら読書週間は冬になっていたかもしれませんね。

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頭角を現す

【漢字】頭角を現す 【読み】とうかくをあらわす 【意味】才能が他の者よりも優れている。 【例文1】プロ入りしてメキメキ頭角を現す。 【例文2】彼女は中学校から成績が上がり頭角を現す。 【例文3】書道の腕が頭角を現す。 「頭角をあらわす」とは友の墓誌銘でした 「頭角をあらわす」という言葉は唐の文学者韓愈が柳子厚墓誌銘に記したもので「才能や力量が群を抜いて秀でてくること」の意味です。韓愈は十歳の時、兄の左遷について広東省に下り、25歳の時に進士(現在の上級国家公務員試験のような試験)に受かったものの仕官できず、国立大学の教員をして過ごします。その後自身も2回の左遷にあい、挫けそうになりながらも次第に出世し国立大学の学長まで上り詰めます。文学も古文復興運動に力を注ぎ、作品を残していきます。柳子厚は柳宗元の名で日本では知られています。柳宗元も中央と地方の左遷と繰り返し、地方が多かった苦労人でした。韓愈と1年ほど同じ職場にいたことから懇意になり、一緒に古文復活運動を興します。韓愈と並び称される文学者でもあります。韓愈は柳宗元の墓誌にこの言葉を、不遇の時代を生きながらも優れた作品を残した友人に贈ったのです。この言葉の如く「頭角をあらわし」てきた野球選手がWBCで注目されました。千賀滉大選手は野球が特に強いわけでもない県立高校に進学し、投手として頑張っていたところを近所のスポーツ用品店の店主がプロのスカウトに連絡して見てもらい、育成4位指名でプロ入りし、のし上がってきた本格派です。彼のWBCでの大活躍は目覚ましいものでしたし、今後も活躍していくことでしょう。

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当意即妙

【漢字】当意即妙 【読み】とういそくみょう 【意味】素早くその場面に対して機転を利かすこと。 【例文1】洋服が破れてしまったが、彼女が巻いていたストールを当意即妙でアレンジする。 【例文2】生放送の司会者は当意即妙が必要とされる。 【例文3】アドリブが当意即妙だ。 当意即妙という四字熟語がありますが、これはなかなか一朝一夕でできる技ではありません。 当意即妙とは、その場その場で物事に合った対応や返答をすることを意味し、当意即妙な意見がいつでも言えるのは、相当の人生の経験者です。 そもそも、その場、その場に合致した最善の方法を、初めから分かっている人など、なかなかお目に掛かったことはありません。 例えば、10代と非常に若いにも関わらず、大人でないと到底理解の出来かねる深い心情を、鍛錬の末に見事に歌い上げる歌手はいます。 しかし、それは、本人の努力に加えて芸術的才能が豊かなのであり、わたしたち凡人が、普段、日常のやりとりの中で、自分の人生経験を超えた当意即妙な対応を実践できるのかと言えば、そのほとんどが無理だと思って大丈夫です。 それでも、昨今は時代の流れが余りにも速く例えば転職、例えば人事異動の際に、その場での経験も未熟であるのに、社会人の経験はあるだろうと言わんばかりに、早々に当意即妙な受け答えを求められる場面に、多くお目に掛かります。 また、テレビではバラエティー用に非常に入念に時間を掛けて練りに練られた台本があるからこそ、ぽんぽんぽんというトークが交わされているのにも関わらず、その大人の舞台裏を知らない若者が、自分の日常生活で、スムーズで且つウィットに富んだ受け答えができないことを恥ずかしく感じたりしているといいます。 それは、無理な芸当なのです。 人生経験と流した冷汗の量が、当意即妙を心得た人物になるために必要な肥やしです。

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