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手作り言葉辞典について

手作り言葉辞典では、ユーザーが疑問に思って検索してきそうな言葉の を載せています。 検索して調べてきそうな言葉とは、ここでは「ことわざ」「慣用句」「四字熟語」「故事成語」の4つになります。 それぞれの意味は下記の通りです。 古くから言い伝えられてきた、教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉。生活体験から きた社会常識を示すものが多い。 二語以上の単語が結合して、それ全体である特定の意味を表すもの。 漢字4字で構成される熟語。 故事をもとにしてできた言葉。特に、中国の故事からできた語。

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雀の巣も構うに溜まる

【漢字】雀の巣も構うに溜まる 【読み】すずめのすもくうにたまる 【意味】雀が少しずつ材料を運んできては巣を作りあげる様子から少しずつの貯蓄でも積もりに積もれば大きな額になるということ。 【例文】500円玉貯金を10年して雀の巣も構うに溜まる。 「雀の巣も構うに溜まる」という言葉があります。「すずめのすもくうにたまる」と読みます。 その意味は、雀が巣の材料を少しづつ運んでやがて一つの巣が完成するように、少しづつの金額でもこつこつ貯金すれば大きなお金になるということです。 近い意味のことわざに、「塵も積もれば山となる」「千里の道も一歩から」「雨だれ石を穿つ」などというものもあります。 何事も、少しづつでもいいから継続することが大事ということです。まさに「継続は力なり」という言葉もあります。 しかし、人間の意志の力というのはとても弱いので、どうしても三日坊主に終わってしまうことが多いのではないでしょうか。 少しづつ買い物や外食を我慢して、貯金しようと思っても、これだけ我慢したのだからたまには自分にご褒美、などと言い訳してかえってお金を多く使ってしまうこともあります。 続けるということは、とても大切な一方でとても難しいことだからこそ、こうした意味のことわざが多くあるのだと考えられます。 ただ我慢してこつこつ続けるのは飽きてしまいます。だから、自分なりに続けやすい工夫をしたほうが成功する可能性が高いでしょう。 人間の脳は怠け者で、楽しいことしか続けることができないものです。

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寸鉄人を刺す

【漢字】寸鉄人を刺す 【読み】すんてつひとをさす 【意味】言葉で相手の急所をつく。 【例文1】女性に告白をしたが、容姿が無理だと寸鉄人を刺された。 【例文2】メタボだと寸鉄人を刺す。 【例文3】太りすぎは健康に悪いと寸鉄人を刺す。 普段話している言葉ですが、時には恐ろしい一面を見せることもあるのです。たった一言が人を傷つけたり、的確に痛い所をついてくる言葉が存在します。そういった意味をあらわした言葉として「寸鉄人を刺す」があります。 「寸鉄人を刺す」とは、短いながら鋭くえぐるような言葉で、他者の急所をつく意味です。寸鉄とは小さな刃物を意味するので何だか物騒な言葉ですが、この場合は寸鉄を言葉に置き換えているのが面白いです。言葉を刃物のように武器になる例えで、言葉の力で他者を傷つけることができることを上手く例えていると思います。 短い言葉でも他人が気にしていることを言われると傷つきますし、それが時として苛めの目に見えない道具として使用されることもあります。「言葉の暴力」と例えられますが、まさにそれが「寸鉄人を刺す」を表してしるのではないでしょうか。 ただ悪者に対して正義が「寸鉄人を刺す」という風に良い意味で使用されることもありますね。悪者を説得する際など、物理的に戦うよりもよほど「寸鉄人を刺す」方が優位になる場合も存在するのです。 言葉の力は無限大で、時には自分を助けてくれることもあるでしょう。言葉選びは難しいですが、時に凶器ともなるので奥が深いです。

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寸暇を惜しむ

【漢字】寸暇を惜しむ 【読み】すんかをおしむ 【意味】少しの空き時間も無駄にしない。 【例文1】寸暇を惜しんで移動時間も暗記に励む。 【例文2】バスの待ち時間も英語のリスニングで寸暇を惜しむ。 【例文3】TVを見ながらエクササイズで寸暇を惜しむ。 仕事や勉学のために寸暇を惜しむのは、普通に考えれば正しいことです。 ことあるごとに遊んだり休んだりしていては仕事も勉強も捗るはずがありません。 集中力を途切らせることなく、空いている時間があればその時間で出来る作業を詰め込むのは当然のように思えます。 しかし、人間でも機械でも長時間稼動すれば損耗・消耗が発生するのは如何ともしがたい事実です。 適度な休憩・メンテナンスは機械であっても必要、精密機械ともいえる人体ならばさらに丁寧な取り扱いが望まれます。 水分や栄養を補給しつつ、特に疲労が酷い箇所が少しでも回復するように呼吸や血圧を整えようとするのは絶対に必要なことです。 極論すれば、働くために休憩しているのですからその時間帯の給金も支払ってもらいたいくらいです。 さすがにそこまでは要求しませんが、休憩時間は仕事から離れて落ち着いて休むのが正常な職場なはずです。 実のところ何が言いたいのかと言えば、上司が休憩時間にやってきて仕事の話をぶち込んでくるのはさすがに時間を惜しみすぎだと言う話です。 打ち合わせや報告・連絡・相談だって立派に仕事なはず、ならば休憩時間に持ち込んでいいはすがないでしょう。 休憩後の仕事にリフレッシュした状態で望むためにも、お願いしますから休憩時間は休憩のためだけに使わせてください。 「寸暇」とは「わずか暇」、「惜しむ」とは「もったいなく思う、大事にする」という意味ですから、「寸暇を惜しむ」というのは「ちょっとの暇も大事にして~する」という場面で使います。 寸暇を惜しんで勉強する。などと言うと、休まず一心不乱に勉強している姿が浮かびますね。 「寸」というのは、長さを表す単位でした。尺貫法というのを聞いたことはあるでしょうか。昔は長さを「里」「町」「間」「丈」「尺」「寸」という基本単位で測り、重さを「貫」「斤」「両」「匁」などで量っていました。時代劇などで聞いたことがあると思います。 よく聞く「一尺」というのは30.303センチメートルです。一寸はその十分の一で3.0303センチメートルです。メートル法で表すと「一寸法師」の大きさがどのぐらいか想像できますね。 そこから「寸」という文字には「短い」「少し」「わずか」という意味が込められるようになりました。「一寸先は闇」というのは、「ちょっと先はもう闇だ」ってことです。「寸の間」「寸時」「寸刻」というのは「短い時間」です。「寸寸」と書いて「ずたずた」と読み、細かく切り裂かれた様のことを言います。「一寸」と書いて「ちょっと」と読みます。「寸志」「寸劇」「寸評」など、他にも「寸」とついた言葉はたくさんあるので調べてみると面白いかもしれません。 ところで、「寸暇を惜しむ」を間違えて、「寸暇を惜しまず」と誤用している人をたまに見かけますが、これは間違いで、まったく逆の意味になります。「少しの暇をもったいながらない」ってことですからね。おそらく、「骨身を惜しまず~する」という慣用句から混同したものではないかと思います。使用する時は注意した方がいいかもしれません。

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住めば都

【漢字】住めば都 【読み】すめばみやこ 【意味】どんなへんぴな場所でも住み慣れれば良い所に思えてくる。 【例文1】赴任当初はこんな田舎いやだったが、住めば都だ。 【例文2】都会育ちから田舎暮らしになったが、住めば都になるといいが。 【例文3】どこに行ったって住めば都。 地元や実家が大好き、という人もいるかもしれませんが、 私自身はその逆で、早く実家を出て一人暮らしをしたい、そんな気持ちの強い子どもでした。 町に人が多くて歩きにくくても、窓の外が明るすぎて眠りにくくても、 そんなことは最初のうちだけ、住めば都と感じるに違いない、そう思っていたし、 実際、そんな環境の違いにはすぐに慣れました。 「たまには連絡しなさい」と、実家の家族に叱られるほどに、 地元を忘れ、新しい土地での生活を満喫できていたのです。 その経験があったからか、他県に住む男性と偶然出会い、 結婚することになったときにも、特に不安は感じませんでした。 就職したときのような若さを失い、適応力も落ちているかもしれませんが、 海外暮らしが始まるならまだしも、私が嫁ぐのは、同じ日本国内なのです。 嫁いだばかりの頃には、町行く車の運転の荒さや、常に怒っているかのような口調に、少々戸惑い、やっていけるだろうかと不安にも感じました。 しかし、10年たった今、やはり住めば都で、運転の荒さもその町らしさと認められるようになり、常に叱られているかのような厳しい口調も、親しみのこもった表現と感じられ、逆に優しく話しかけられると、物足りなく感じるようになりました。 私の住んでいる地域は、昔は施設しかない場所であります。その施設の周りには完全に空き地になっていて何にもないところ・・。 私はその土地を知った時はその施設に通っていて、まぁそこに住むことなんて全く考えてもいなかったですが。 その施設とは精神科の病院とグループホームです。 昔は、治安の関係や差別として施設は隔離するものとされていました。 昔から病院に通院していた自分も差別していたし、通ってた事で差別されていました。 しかし、自分の病状が、悪化し、入退院を繰り返して家族とも絶縁したり色々あって、今はその地域の横のアパートを借りています。 しかも、リハビリの一環として病院でアルバイトもしています。 当初は精神科の患者や病院のスタッフに絡まれて、しんどかったのですが、だんだん慣れてきました。病棟内でも声をかけられています。 周りも、何もないところだったのがコンビニやスーパー、はたまた保育園(私は関係はないですが)など、色々な建物が建っています。 友達にここを説明すると、住みたくないといいますが、私には今は住めば都と思い気楽な人生を送っています。 病院に長期入院している患者って不便違うのかなあ?と私は思いますが彼等もそこが住めば都なのかなあ?と思いながら病棟内でアルバイトしています。 田舎育ちの私は、18歳の時、父親とケンカをして、家を飛び出し、都会と言われる、大阪、東京などいろいろな場所で生活したました。しかし、気が付いたのです。歳とともに、あの大嫌いな、田舎に近づいているでは、ありませんか、10年前はフェリーでしか行けない島、数年前には、周りに何も無い(コンビニすら無い、夜になると、イノシシ、シカなどの動物が、当たり前のように出てくる)町、今思えば、よく住んでたなぁと、我ながら感心します。今現在は、あれだけ、田舎が嫌いだったのに、地元に居るのです。絶対に、帰らないと決めたのに、自分自身不思議ですが、子供の頃見た景色と全然違うのです、もちろん、田舎なのですが、田舎なりに、色々立ち並び昔のイメージが無いのです。世の中の流れでしょうか、ビックリする事に、昔程隣近所の付き合いが無いのです。昔の知り合いさえ覚えていません。それが逆に、新鮮で心地いい。若き時は、「住めば都=都会に住む」と、思っていましたが、歳を重ね分かって来ました、都会だとか、田舎だとか、関係無いのです。自分自身が、ストレスを感じず、生きていける場所、それこそが、「住めば都」になるのではなかろうか。田舎暮らしも捨てたもんじゃ無いと、実感する、今日この頃です。

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隅に置けない

【漢字】隅に置けない 【読み】すみにおけない 【意味】意外な才能や知識があって侮れない。 【例文1】おとなしい息子が彼女を連れて来た。息子も隅に置けないな~。 【例文2】あの子が一番結婚が早いだなんて隅に置けないね。 【例文3】おとなしかった同期が出世だなんて隅に置けないな。 よく「君は隅に置けないね」などという言葉を聞きますが、隅に置けないタイプの人間とは一体どんな方なのでしょうか。 隅に置けないとは、予想外に技量や知識があり、侮れないことを意味します。 例えば普段おとなしくて恋愛下手のような方が、仲間内で一番早く結婚したから「お前も隅に置けないな」と使い、隅に置いておくのは勿体ないと思わせる方を指す言葉だと思います。 この言葉は外見が関わることが多く、恋愛下手な方でも普段は静かでナヨナヨした見た目で、とても早く結婚できそうにないと思われていたからでしょう。意外と手が早いなどの言葉でも、同じように外見などが深く関わる言葉ですね。 悪い印象はあまり感じず、予想外の掘り出し物を見つけたような高揚感も感じます。「お前のことを見直した」と言っているようにも思いますね。なので決して相手を馬鹿にした言葉ではないでしょう。しかし相手を低評価に見ていたからそう感じるので、最初は馬鹿にしていたかもしれません。評価が低かったことから脱却出来た証とも見て取れますね。 学校や会社でも隅に置けないような人間はたくさん存在すると思います。普段大人しくて目立たない方に限って事業成績が高いことが多い印象です。

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すべての道はローマに通ず

【漢字】すべての道はローマに通ず 【読み】すべてのみちはろーまにつうず 【意味】世界各国から経路が首都ローマに通じていたことから、目的までの手段は何通りもあること。 【例文1】すべての道はローマに通ずだから、最後まで諦めない。 【例文2】すべての道はローマに通ずで最短ルートを行く。 【例文3】道に迷ったが、すべての道はローマに通ずでどうにか辿り着いた。 日本のような島国からでは歩いていけるはずもないですが、空路や海路を含めれば確かに「すべての道はローマに通ず」とも言えるでしょう。 海外旅行などパスポートすらない私には全く無縁の話ですが、とりあえずローマまでの距離を調べてみました。 東京からローマまで直線距離で9800km以上、高低差を無視できる直行便の飛行機ならば移動時間12時間50分という話です。 海路も知りたかったのですが、最短でもインド洋からスエズ運河を経由しての船旅なんて暇な金持ちでなければ出来そうにありません。 無謀にも陸路を伝ってローマへ向かったならば、どのような事態が起こるか見当もつきません。 過去には、自転車やらマラソンでアジアを踏破するという偉業をなした人も存在するらしいですが、ある意味では狂気の沙汰とも思えます。 道という概念を、陸路・海路・空路に留めなけば、ローマまでの距離はかなり短縮されます。 インターネット回線による電子網は世界を覆っているので、当然ローマにも通じています。 この道を通れば、日本の片田舎で発した他愛もないジョークも、きっちりローマに届きます。 ただ問題があるとすれば、ネット回線でも言語の高い障壁を越えるのは一苦労だということです。 とくにダジャレなどを他の言語に翻訳することは不可能に思えます。 あらゆる道が通じていても心が通じるところまでには簡単に至ることはないだろう、などと考えるのは要らぬ世話というものでしょうか。

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脛に疵(傷)を持つ

【漢字】脛に疵(傷)を持つ 【読み】すねにきずをもつ 【意味】昔犯した犯罪や悪事を隠している。 【例文1】一生、脛に傷を持つ人生を送る事となる。 【例文2】脛に傷を持つ人生にビクビク怯えながら生きる。 【例文3】脛に傷を持つ過去が心苦しい。 「脛に傷を持つ」とはどういう事でしょう?(すねにきずをもつ)と読みます。 人には知られたくない後ろめたい事があったり、過去に人には言えない事があったりするような事が、その人にとって、他人には知られたく無いような事がある時に、この言葉を使います。この言葉の由来は、諸説ありますが、日の当たる道を堂々と歩けず、草むらの道を歩いた時に、切り傷に笹が入り込まないかびくびくしている様を文字っているともいわれています。 使用例としては、政治家同士が表だっては言えない事を隠していたりするようなときに、「お互い脛に疵を持つ者同士深い詮索はやめておこう」っというような場面で使用される事があります。使い方は人によって様々ですが、「脛に傷を持つ」の言葉の意味の程度も様々です。身近な人の後ろめたい過去から、世間を騒がすような大事件まで、個人が隠し持つ後ろめたさの範囲は人それぞれです。この言葉を改めて調べてみると、自分の知らなかった意味があったのでとても面白かったです。

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柳に風

【漢字】柳に風 【読み】やなぎにかぜ 【意味】柳が風の吹くままなびく様子から、人に強く言われても逆らわずに上手に受け流すこと。 【例文1】誰に何を言われようと柳に風と受け流す。 【例文2】柳に風でさっさと終わらせた方が効率的だ。 【例文3】柳に風で世渡り上手。 「柳に風」は、無理な言葉を他者から言われても、反発しないで穏やかに流すことを指す言葉です。この言葉から、私も相手から何を言われようとも軽く受け流せる人間になりたいと思いますね。 ストレス社会と言われて随分時代が進んでいますが、ほとんどの人間は「柳の風」のように何か傷つくことを言われたら受け流す事なんて難しいのではないでしょうか。私も、いつまでも気にしてしまうタイプなので、受けてそのままの状態に溜め込んでしまいます。 社会で活躍している方を見ると、無理な言葉を掛けられても軽く流すことが上手い方が多いですよね。いちいち他者の言葉を受け止めていたらキリがないし、精神的にも「柳の風」を意識した方が人生が楽になりそうです。 血の気が多い人間の相手を穏やかに受け流す人は、クレイマーの対処に向いていると思いますね。相手は納得していないから怒りを露わにしているので、そのような此方の言葉に聞く耳を持とうとしない方の相手に対して「柳の風」という能力を有する人が上手く接することができるはずです。理不尽なことがたくさん起きる世の中で、自分らしく生きていくためには、そうした気持ちを持つことも大切で、受け流す術を覚えれば人生が楽しくなるだろうなと感じます。 弱々しくて流されやすい。「柳に風」という言葉自体を聞くとそんな可憐で儚いイメージが浮かびます。しかし、本来の語意は全く異なります。 風に柳がなびくように、流れに逆らわないで身を委ねることで、さらりとかわして上手にやり過ごすことを表します。まさに大人の余裕ある女性。 一つ一つの出来事に過剰に反応せず、穏やかに流してしまう様は弱々しい姿とは全くの真逆で、凛とした美しさを感じます。 そんな女性になりたいと思うとともに、そのためには何が必要なのか考えてみました。 それは様々な経験だと思います。 やはり色々な経験をした方だからこそ「生きていればそんなこともある」「きっと全てに意味がある」とどっしり構えることができると同時に、 同じような境遇で悩む方へアドバイスが出来るのではないでしょうか。 私は今29才、既婚ですが子供はいません。いつか母になった時、柳な風な生き方で家族に勇気付けることのできる母になりたいと強く感じます。

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図に乗る

【漢字】図に乗る 【読み】ずにのる 【意味】つけあがって得意気になる様子。 【例文1】あんまり褒めすぎると図に乗っちゃうよ。 【例文2】バレンタインチョコを10個もらって図に乗る。 【例文3】告白されて図に乗る。 私は若い時ほど図に乗っていたような気がします。 生きるエネルギーがあったからなのか、世の中は何でも自分の思った通りに進むというような過信がありました。 しかし、年齢を重ねていくうちに、失敗もたくさんあり、それらを経験していくうちに、徐々に図に乗ることはなくなっていきました。 今でも自分よりも若い人たちの考えや話し方を聞いていると、時には図に乗ってるなあ、と思うことがあります。 若い人たちもいろいろな経験を積んでいくうちに、自然と図に乗ることが少なくなっていくのかもしれません。 私より年配の人から見れば、私はまだまだ図に乗っているのかもしれません。 しかし、図に乗れるうちは乗っても良いような気がします。 図に乗っているからこそ、思い切って何かをやることができるのだと思います。 若い時から図に乗らずに、何に対しても消極的だったら、若さ特有の楽しさには出会えないかもしれません。 数多くの経験が自分の人生を豊かにしていくのだと思います。 大いに図に乗っていた時代も、後になってみれば貴重な経験かもしれません。 図に乗る、調子に乗るはつけあがる、いいきになって勢いづくという意味です。図に乗るの図は仏教の僧が唱える「声明(しょうみょう)」のことであり、それが転調したものです。慣れ親しみたい言葉ではありませんが、誰もが耳にしたことがある言葉かと思います。 図に乗って失敗してしまった、そんな経験をした人も少なくないはずです。反省してもまた図に乗って似たような失敗をしてしまうかもしれません。しかし、私はそれで大いにけっこうなことだと考えます。周囲への配慮をすることは忘れてはなりませんが、勢いづくというのは時に力に変わることも多いことでしょう。お調子者と言われる人も、悪い意味ばかりではなく、場を盛り上げてくれる面白い人物と良い意味でいわれることだってあります。そんなお調子者には憧れてしまいますね。 いつだって重要なのはその瞬間ではなく、後から気づいて反省をしてそれを次に生かせるかです。図に乗って失敗してしまったという方、それは本当にそれで失敗してしまっただけなのでしょうか。何か見落としがあったり、事前準備が足りていなかったりで失敗してしまったのかもしれません。図に乗ったで済ませて反省の機会を逃してしまうのは愚かな行為です。反省の機会には十分に反省しましょう。

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図に当たる

【漢字】図に当たる 【読み】ずにあたる 【意味】計画が思った通りに進んでいる。 【例文1】彼女の人生設計は図に当たる。 【例文2】図に当たったところで彼女に告白をする。 【例文3】理想像が図に当たる。 学生の頃、試験が近づいているにもかかわらず、全く勉強意欲がわきませんでした。 いよいよ、翌日に試験が迫ってきました。 これはまずいと思い、重い腰を上げて勉強しました。 とは言えもう時間がありませんから、山をかけ暗記をしたのです。 そして試験問題を見てびっくりしました。 何と、山をかけた問題が多く出されていたのです。 これはラッキーだと思い、いい点を取る事が出来ました。 次の試験の前にも予想をしてみましたが、図に当たるような事はありませんでした。 社会人になってから、私は一発儲けてやろうと思い、競馬に足を運んだ事があります。 あり金をかけて馬券を買ってみたが、図に当たる事はありませんでした。 人生楽して簡単に儲けることは滅多にないようです。これからは失くしたお金を取り戻すべくコツコツとがんばります。

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砂を噛むよう

【漢字】砂を噛むよう 【読み】すなをかむよう 【意味】味気ない、全然おもしろ味がない。 【例文1】彼の話は砂を噛むような内容ばかりだ。 【例文2】毎日毎日仕事ばかりで砂を噛むようだ。 【例文3】砂を噛むような生活に飽きる。 「砂を噛むよう」とは、味気ないとか全くおもしろ味がないという意味です。本当に砂を噛んだら全く味がしなことから、より味気なさを強調するために使われる言葉でもあります。 「砂を噛むよう」とは、まさに私の人生のようだなと思いました。朝起きて、会社に行って、真っ直ぐ家に帰り、寝てそしてまた次の日起きてという毎日が同じ事の繰り返しです。 ものすごく辛いことや衝撃的な嫌なこともない代わりに 毎日が全くおもしろくはないです。 もし、私の何日かを映像で誰かに見せたとしたら、きっとたった1日の映像を何回も見せられているような気持ちになるでしょう。 それくらい、毎日同じ、「砂を噛むよう」な日々なので 「砂を噛むよう」な毎日を「砂を噛むよう」な気持ちで過ごしている私の目には、周りに色はなくグレー一色に見えます。 でも、きっと今は口には出さないだけで私のような「砂を噛むよう」な思いで毎日を過ごしている人が意外に多いのではないでしょうか。 通勤途中、行き交う人々の表情をふと見てみると、たくさんの人が「砂を噛むよう」な表情をして歩いているように私には思えます。 そう思うと、「砂を噛むよう」な人生を送るより、もしかしたら波乱万丈な人生のほうが大変だけど意外にも色があって面白いものなのかもしれません。

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捨てる神あれば拾う神あり

【漢字】捨てる神あれば拾う神あり 【読み】すてるかみあればひろうかみあり 【意味】愛想尽かして見捨てる人もいれば、助けてくれる人もいるという励ましの言葉。 【例文1】捨てる神あれば拾う神ありだから、つらくても頑張って。 【例文2】長年付き合った恋人と別れたけど、捨てる神あれば拾う神ありだ。 【例文3】10回目のお見合いにしてようやく成立した。捨てる神あれば拾う神あり。 こないだは愛しのあの子のラブコールに負けてしまいました。ライブあるのは知っていたけれど、連絡の中でその話にはまったく触れてこないし、ちょっと行くのが無理そうだったので、こちらも触れなかったのに。当日になって、今日来れるのかどうかと連絡あるのです。断ってみるけれども、結局、行きました。行ったけれども、彼とは盛り上がらないままで帰宅しました。もう連絡しないと誓うのでした。 捨てる神あれば拾う神あり、で、その次の日に違う彼と会うことが出来ました。その日行けるのかどうかの問い合わせにもなかなか返事がなかったので、半ば諦めていたけれども、朝から電話をしてみる。電話もなかなかでてくれない。これはもう、どん底モードに突入かと思っているところに電話あって、これから会えるってなったので会いに行きました。やはり、この安心できる距離感というのは積み重ねてきた時間の長さなのか、と思いながらも、気持ちはゆらゆらになってしまうのでした。言われた言葉が胸にじくじくしてしまうけれども、どこまで彼の本気なのかっていうのも分からないし、それは聞いても分かるものではない。本当に人の気持ちなんて分からないから、自分の気持ちがどうしたいかなんだよね。

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雀百まで踊り忘れず

【漢字】雀百まで踊り忘れず 【読み】すずめひゃくまでおどりわすれず 【意味】幼い時に付いた習慣や癖は年を取ってもなかなか直らない。悪い意味に用いられる。 【例文1】彼の怠慢グセは雀百まで踊り忘れず。 【例文2】へそ曲がりな性格は名雀百まで踊り忘れず。 【例文3】強情さは雀百まで踊り忘れず。 「雀百まで踊り忘れず」とは「幼い時からの習慣は年をとっても抜けない、人は死ぬまで本性を失わない」という意味です。小さい頃によく躾けて良い習慣を身に着けさせるべきだという教訓のような意味合いで使われることもあれば、性格上の欠点などをあげて嫌がらせのように使われることもあります。 雀は人家のそばに巣を作り、昔から日本人には馴染みのある鳥です。雀が羽ばたく様子などが近くで見かけられたために、雀が踊りを踊っているように擬人化されたものと思われます。実際に歌舞伎踊りのひとつに「雀踊り」というのがあり、編み笠を被り、雀柄の着物を着て奴さんのように足を丸出しにして踊るものです。また、昔話に「雀のお宿」があり、雀がいかに身近な存在であったかを示しています。例えば慣用句では「雀の踊り足」といえば筆跡が拙いことですし、「雀合戦」といえば多くの雀が大木の下などに集まって騒ぐことです。雀が付いた野草、雑草の名前はたくさんあり、「すずめうり」「すずめのえんどう」「すずめのちゃひき」「すずめのてっぽう」「すずめのまくら」などがあります。 「雀百まで踊り忘れず」ということわざがあります。雀(すずめ)は生まれてから死ぬまでの間、いつもぴょんぴょんと跳ねるように歩きますよね。そのようすが、すずめが踊っているように見えたことから、幼いころに覚えた習慣や、若いころ身に着けた趣味などは、死ぬまでずっと忘れずに続いていくものだ、という意味のことわざなんだそうです。 たしかに、小さいころから今まで一貫してつづけている習慣や、なかなか変わらないクセだったり好みだったり、そういったものは誰にでも一つや二つありますよね。わたしの友人は、小さいころから大人になった今でも、変わらずにメロンソーダが大好きなんだそうで、居酒屋やカラオケボックスに行くときも、メロンソーダやクリームソーダを見つけると、必ず注文しています。わたしの場合は、物心ついたときから今までずっと音楽が大好きで、幼稚園のころはオルガン、小学校ではピアノ、中学校ではブラスバンド部に入ってホルンという金管楽器を吹き、高校では軽音楽部に入ってギターを覚え、大学に入ってからはバンドサークルでボーカル・・・と、記憶にあるかぎりいつでも音楽を楽しんでいます。直らないけど直したい癖ももちろんありますが、好きなことはいつまでも続いてほしいですよね。

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雀の涙

【漢字】雀の涙 【読み】すずめのなみだ 【意味】ほんの少しという意味。数や量を表わす時に用いる。 【例文1】雀の涙ほどだが、ボーナスが出たので、焼き肉を食べに行こう。 【例文2】ポイントカードが雀の涙しかたまってなかった。 【例文3】雀の涙ほどだが、貯金する。 ネット上にはポイントを稼げることをうたっている、ポイントサイトが星の数ほどあります。 ですが多少の違いはあれど、ポイントサイトでは雀の涙ほどのポイントしか稼げません。 確かにポイントサイトでも、大きなポイントを稼ぐ手段はあります。 ポイントサイトに掲載されているバナーを経由して、クレジットカードを発行したり、証券会社にFXの口座を作ったりすれば、一度に何千とか何万ポイントも手に入れる事が可能です。 この様な事を繰り返せば、あっという間に何万円も稼ぐ事は可能です。 しかし考えてみて下さい、一度発行したクレジットカードには二度とポイントが付きませんし、証券会社の口座だって作れる数には限りがあります。 つまり一時的には大きなポイントを稼ぐ事が出来ますが、それが長続きする様な事はありません。 大きなポイントが得られる案件がなくなってしまえば、後はスズメの涙ほどのポイントしか得る事が出来ないのです。 ポイントサイトには大抵簡単なゲームがあり、それをやればポイントが得られます。 しかしそれで得られるポイントは雀の涙程度しかなく、がんばってもお小遣い程度にすらなりません。 稼げるとうたっているポイントサイトは多数ありますが、あくまでも一時的だという事を承知しておくべきです。

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涼しい顔

【漢字】涼しい顔 【読み】すずしいかお 【意味】自分にも関係あるのに、平気な態度をしている。 【例文1】彼も悪さしたのに、涼しい顔をしている。 【例文2】未解決事件の犯人は今もどこかで涼しい顔して生きている。 【例文3】涼しい顔してどこまで厚かましいんだ。 涼しい顔とは、自分にも関係があることなのに、まるで他人事かのように知らん顔すること、または冷静であるさまのことを言います。 類義語としては、しれっとした顔・すました顔・平然とした様子・何食わぬ顔・何事もなかったかのような顔・落ち着いた顔などがあります。 使い方としては例えば 「家に帰ると室内が荒らされていてびっくりしたが、飼っている犬が涼しい顔しておすわりしていた。」 「みんなでやったことなのに、彼だけは涼しい顔して椅子に座っていた。」 「連続殺人犯が今も街を涼しい顔して歩いているのかと思うと、恐怖だ。」 「みんなが話してる悪口って君の事なのに、どうしてそんな涼しい顔してるの?」 などと、涼しいとは「潔白」という意味でもあります。 つまり涼しい顔とは、「潔白・無関係のような顔をすること」から、「自分に関係があるのになんの関係もない顔をしていること」簡単にわかりやすく言いますと、「しらばっくれてる」というのも正確です。 このように涼しい顔とは、何事にも動じないような図太い性格の人に使える言葉でもあるということです。 あまりいい意味ではありませんので、他人に涼しい顔してるねなどと言われないようにしましょう。 

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杜撰

【漢字】杜撰 【読み】ずさん 【意味】いい加減なありさま。 【例文1】防犯カメラが作動していないのは杜撰な管理のせいだ。 【例文2】杜撰な管理体制の会社に不信感を抱く。 【例文3】杜撰な欠陥住宅だ。 杜撰とはいい加減、中途半端な管理体制を言います。 凶悪事件が起きて防犯カメラを確認しようにも保存の管理が杜撰で事件解決に役に立たないといった報道もされました。 幸いうちのマンションは手堅い警備会社に加入しておりますが、油断は禁物だと思っています。というのも 先日、近所で火事が発生しました。住民の逃げろーという声が聞こえなかったという人もいれば、外階段の火災報知機が鳴るのは低層3階までだとアパート大家が非難を受けました。なんと杜撰な管理体制でしょう。一歩逃げ遅れれば死に至る大惨事になっていたかもしれません。 また校区内の幼稚園に不審者が侵入した事件もありました。 その時は園長が声をかけると逃げ出したそうです。 このご時世いろんな悪人がいることは間違いありません。安心して子どもを預けるには杜撰な管理体制では済まされません。事が起きてから動くのは遅いです。 こうなるであろうと予測をしてしっかりとした管理体制を子を持つ親として望みます。

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過ぎたるはなお及ばざるが如し

【漢字】過ぎたるはなお及ばざるが如し 【読み】すぎたるはなおおよばざるがごとし 【意味】やり過ぎる事は足りない事と同じくらい良くない。 【例文1】徹夜で仕事して睡眠不足で頭が回らない。過ぎたるはなお及ばざるが如しだ。 【例文2】いくら甘い物が好きだと言っても、食後に毎回食べるのは過ぎたるはなお及ばざるが如しだ。 【例文3】走りすぎても筋肉痛になるだけで過ぎたるはなお及ばざるが如し。 過ぎたるはなお及ばざるがごとしの言葉の意味は、何事もやり過ぎるのは、やり足りない事と同じ様に良くないと言う意味です。人は誰でも好きな事好きな食べ物、興味のある事は夢中になり一生懸命やりますが、やり過ぎてしまう事があり、その結果として、自分の意に反して良くない結果が出てしまう事が有ります。その事を指して、過ぎたるはなお及ばざるがごとしと言います。 具体的な言葉の使い方としては、自分が大好きなスポーツで上手くなりたい為に人、一倍一生懸命練習したけれと練習をし過ぎた結果、怪我をしてしまい大事な試合等を棒に振ってしまったり、身体に良い食べ物を食べ過ぎた事によって、逆にお腹を壊したり体調を崩してしまったりが挙げられます。 子どもをしつける為にきつく叱り過ぎてしまった為に、逆に子どもが委縮してしまい、何も話さなくなってしまった等も、この言葉が当てはまると考えます。好きな事や好きな食べ物、躾や教育はどこまでやり、どこで止めれば良いのかの加減は大変難しい問題です。受ける人のキャパによっても変わってきます。とにかく、調子に乗り過ぎず、調子が良い時は少し冷静に振り返ってみる等をしながら、やり過ぎてしまう事を見直す事も必要になってきます。

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好きこそ物の上手なれ

【漢字】好きこそ物の上手なれ 【読み】すきこそもののじょうずなれ 【意味】好きで始める事は一生懸命で、上達が早い。 【例文1】趣味で始めた洋服作りが好きこそ物の上手なれで、今では2日で完成するまでになった。 【例文2】魚が好きで図鑑を見るうち、好きこそ物の上手なれで全種類覚えた。 【例文3】釣りが趣味で好きこそ物の上手なれで魚をさばく。 ある時私は、道端に咲いていた名もなき花の事が知りたくなりました。 それでまず、ネットでこの花の名前を調べてみたのです。 この花の名前を知った私は、他の道端に咲いている花の名前も知りたくなりました。 道端に咲いている花の写真を撮り、次々に名前を調べて行ったのです。 すると今度は、お花屋さんで見かける花の名前を知りたくなってしまいました。 花を見た事はあっても、名前までは知らない花がたくさんあったので、これも次々に調べて行ったのです。 たくさんの花の名前を知った私は楽しくなり、今度は色々な花の花言葉を調べてみようと考えました。 それぞれの花には独特の花言葉があり、同じ種類でも花の色に因って花言葉が違う花があり、花言葉っておもしろいんだなと思ったのです。 それから私は花の知識を蓄えるだけでなく、自分で花を育ててみたいとも考える様になりました。 まずは育てるのが簡単な、チューリップなどの球根植物を育て始めました。 それを上手く花を咲かせる事が出来たので、今度はパンジーなどの草花を育てる事にしたのです。 草花は球根植物と違って、花を咲かせるのが中々上手く行きませんでしたが、徐々にコツをつかみ咲かせる事が出来る様になりました。 それから私は花を咲かせる難易度の高い植物を育てる様になり、知識だけでなく、育てる腕前も上がって行きました。 好きこそ物の上手なれと言いますが、私は花が好きになってからという物、花に関して人一倍詳しくなる事が出来たのです。 わたしは、お料理をするのが好きです。 と、言うより、食べるのが大好きです。 母の味はもちろん、外食した際にとても美味しく感じたお料理は、必ず自分で再現したり、アレンジを加えて再現したりします。 昔から食べることが大好きで、毎日自炊するということもあって、家には沢山の調味料があります。 なので、好きな味を出したり、味を再現することはとても得意です。 今まで色々なものを再現したり、アレンジしたり、創作料理のようなものを作ります。 ですので、その経験からか、どの調味料をどのくらい入れれば思い描いた味になるのかがわかります! 外食先で美味しかったお料理を再現する際も、一度食べれば何の調味料が使われているのかだいたいわかります。 そこから、さらにどの調味料を加えるのか、調理法をどう変えたらどのように美味しくなるのかもだいたい想像がつきます。 買って来たお惣菜を自分なりにアレンジしてひと手間加え、簡単に全く別のお料理にしたりするのも得意です。 毎日自炊しますが、全く苦ではなく、むしろ楽しんでやっていますし、考えるのも、出来上がったものを食べるのもワクワクします。 食べることが大好き!ということから始まったわたしの趣味であり得意なことは、 いわゆる、”好きこそ物の上手なれ”という言葉がピッタリだと思います。

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頭寒足熱

【漢字】頭寒足熱 【読み】ずかんそくねつ 【意味】頭は涼しく足を温めると健康に良いと言われている。 【例文1】頭寒足熱効果で夜ぐっすり眠れた。 【例文2】頭寒足熱グッズを買って安眠。 【例文3】頭寒足熱が利いた。 昔から頭寒足熱とは言いますが、寒い冬はなかなか足が温まらず寝つきが悪いなんてこともよくありますよね。 人間の体は、睡眠時は体温が低下します。 寒くて眠れないからと言って無理に体温を上げようとすると、逆に眠りを妨げてしまうのです。 じゃあどうすればいいか?の問いが「頭寒足熱」なわけです。 頭は冷やしてすっきりとさせ、足を温めることで睡眠に適した体温をつくることができ、ぐっすりと深い眠りが得られるんですね。 足をあたためる方法でおすすめなのが湯たんぽです。 湯たんぽの良いところは最初が暖かくて、少しずつお湯の温度が下がっていってくれるところです。 こたつや電気毛布などのアイテムは寝ている間は温度を調節できず、ついつけっぱなしにして風邪をひく、というパターンもしばしば・・。 寝るときの寒さに合わせて高温に設定してしまったため、途中で暑くて起きてしまったり、寝起きに体がだるかったりと色々なトラブルも良く耳にします。 湯たんぽなら緩やかに温度を下げていってくれるので、眠りについてしまえば暑くて起きてしまうこともないですし、自然のあたたかさですから人体にも優しくて 環境的にもエコなので言うことありませんよね。 冬の夜は湯たんぽを使った頭寒足熱で、質の良い眠りを目指してみてはいかがでしょうか。

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酸いも甘いも噛み分ける

【漢字】酸いも甘いも噛み分ける 【読み】すいもあまいもかみわける 【意味】人生経験を積む事で、世の中の表と裏を知り尽くす。そこから人情に通じ、どのような状況でも上手に対応ができるようになる。 【例文1】彼は自己中心的で酸いも甘いも噛み分けきれない。 【例文2】人生経験が豊富な彼女はどんな人にも酸いも甘いも噛み分ける。 【例文3】社会に出て酸いも甘いも噛み分ける。 ある仕事で知り合った派遣社員のAさん。年齢は40代ですが一回りは若く見えます。飛び抜けてスタイルが良い訳ではないが程よく筋肉がついており顔が小さくバランスが良い為、スラリとして見えテキパキ仕事をして頭の回転が速くいかにも仕事できますという雰囲気です。話すと面白い人ですが、どこか淡々としており休憩も1人で外で食事が多く必要以上に周囲と関わろうとしない為、私生活が見えずミステリアスでした。ある時、上司の進捗ミスで本来納期に3週間かかる仕事を1週間で完了させないといけなくなり困り果てた所、Aさんは残業と休日出勤で完璧に完了させ周りはただ敬服するしかなかった事がありました。上司にきちんと説教までして進捗表のテンプレートまで作成し、若い社員に指導。みんな驚く程の業務能力でした。 余り自分の事を話さない人なのでよく知らなかったのですが、以前は大手企業の本社で正社員で働いておりいくつも資格も持っているとか。家庭の事情で辞めざるを得ない状況になり現在は派遣社員をしているそうです。 若くして身内に不幸が続きかなり苦労があった様子。 「隠す訳じゃないけど人は都合のよく弱み見つけて好き勝手言うからプライベートを話すのが面倒なだけ」と言ってました。 酸いも甘いも噛み分けるとどんな状況になっても余り驚かないと言ってました。あの淡々とした態度は性格だけではなく環境もあるんだろうなと思いました。

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垂涎の的

【漢字】垂涎の的 【読み】すいぜんのまと 【意味】よだれを垂らすほどのたとえから何としてでも欲しい物。 【例文1】垂涎の的のマイホームをやっと手に入れた。 【例文2】垂涎の的だったファミリーカーを購入した。 【例文3】垂涎の的の彼女に取り入る。 垂涎の的とはよだれが出るほど欲しいものという意味です。 私は子どもから欲が深くなんでも手に入れないとすねたりしていたものです。 クラスの同級生がブランドの財布を持っていました。 私はうらやましくて母にねだってみましたが、あっさり断られました。誕生日プレゼントとして買ってもらえないかとおねだりしたが、それでも3万円の財布は無理でこうなったら、お年玉をためて買ってやると誓いました。時が経って欲は違うものに向いていたので財布は買っていません。 今私が何としてでも手に入れたい垂涎の的はルイヴィトンのバッグです。 母が10年前に購入したというバッグをたまに借りてお出かけしますが、やはり自分のバッグがほしいです。夏休みを利用して海水浴場でアルバイトをしました。週4日出て7万円稼ぎました。まだまだ足りないので、冬休み、春休みもアルバイトをして貯めたいです。車の免許も取りたいし、素敵な彼氏も見つけて人生楽しみたいです。ハワイにも行ってみたいし、将来は金持ちの旦那さんと結婚してかわいい子どもを2人ほしいです。垂涎の的を挙げたらきりがないです。

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推敲

【漢字】推敲 【読み】すいこう 【意味】文章の表現や語句を何度も練り直す。 【例文1】推敲に推敲を重ね、最高の企画書が出来上がった。 【例文2】推敲のおかげで良い賞が取れた。 【例文3】推敲に時間がかかる。 「推敲」の由来は唐の時代までさかのぼります。唐の詩人買島(かとう)が「僧推月下門」(そうはおすげっかのもん)の一句を考えつきましたが、「推」を「敲」の文字のどちらを使うか迷いに迷い、韓愈にどちらが良いかを尋ね、「敲」の字に決めたという故事から詩や文章を作るときに字句をさまざまに考え、練り上げることを「推敲」と言います。凡人には「推」「敲」どちらもおすという意味ですからどちらでも良いような気がしますが、才能のある人は違うものです。買島という詩人はもとはお坊さんでした。その才能を韓愈に認められ、長江県主簿(公務員)となります。詩は苦労して詠むものだというポリシーを生涯貫きました。そういう買島の姿勢から「推敲」という言葉が生まれたのです。彼の才能を見出した韓愈はやはり中央から地方へ左遷されるなど不遇な時代を経て国立大学の学長まで上り詰めます。韓愈は人の面倒見がよく、「韓門の弟子」(かんもんのていし)という言葉ができるほど才能ある、恵まれない者への援助を惜しみませんでした。そんな韓愈の的確なアドバイスが買島も救ったのです。文学を志す者は良い作品のために何日も呻吟し、推敲を重ねて詩や、歌や文章を作り出すのです。その苦しみの上にこそ名作が出来るのでしょう。

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水魚の交わり

【漢字】水魚の交わり 【読み】すいぎょのまじわり 【意味】水と魚が切っても切れないことから離れられない親密な関係をいう。 【例文1】小学校から水魚の交わりの30年来の旧友と旅に出る。 【例文2】20年の付き合いで水魚の交わりだから言葉にしなくても友人の考えがわかる。 【例文3】地元の友人は離れていても水魚の交わりだ。 水魚の交わり(すいぎょのまじわり)とは、水と魚の関係のように離れることができない親密な交際や必要不可欠な間柄。また、主従関係や夫婦、友人と仲睦まじいことの例え。魚は水があってはじめて生きられることからから転じて用いられています。 もともと水魚の交わりは中国の『蜀書 諸葛亮伝』を原典とする故事成語です。『三国志演義』の中に出て来る逸話としても親しまれています。 劉備は三顧の礼を持って諸葛亮(諸葛孔明)家臣に迎えてから、劉備と諸葛亮が親交を深めていきました。そのことを古参の家臣である関羽や張飛は快く思いませんでした。 劉備は関羽と張飛に『水魚の交わり』という言葉を出して語りました。 「私が諸葛孔明を得たのは魚が水を得たようなもの。諸葛孔明の軍師としての器量を愛することは、夫が妻を愛おしく思うようなものだ。桃園の誓い交わした私たち義兄弟の契には何も影響しない。」 古代中国では魚は恋人、配偶者の暗喩です。すなわち劉備と諸葛孔明は夫婦のような関係で常に一緒にいるのは当たり前。劉備と関羽と張飛との義兄弟の関係とは別である。そう言った劉備に関羽と張飛は納得しておとなしく引き下がったとされています。 「水魚の交わり」という言葉は三国志諸葛亮伝に出てくる言葉で、水と魚の関係のようにきわめて親密なつきあいのことを言います。「水魚の親」「水魚の因(ちなみ)」も同じ意味の言葉です。魚は水がなければ当然生きてはいかれません。きわめて親密なつきあいなら傍から見て何も問題ないように思えます。でも、ちょっと待ってください。こういう言葉もあります。「水、清ければ魚住まず」あまりに清廉潔白な人だと近寄りがたく、友人が少ないという意味ですが、水が綺麗すぎると魚の餌になるプランクトンが住むことができないので魚も当然住めません。「水魚の交わり」が市販のミネラルウォーターのように二人の関係性に透明感のあるものならいいのですが、泥水を二人ですするような関係性だったとしたら最悪です。政治の世界でも個人の交友関係が、問題にされる場合があります。二人の関係がずぶずぶの依存関係だった場合、収賄や汚職が懸念されでも仕方がありません。「朱に染まれば赤くなる」という言葉もありますし、「類は友を呼ぶ」などという言葉もあります。政治家として国家の運営に携わる者でしたら、襟を正してご自分の交友関係もよく見直してみるべきですね。自分を正しく良い方向へと導いてくれる友人と「水魚の交わり」ができればこれ以上の幸せはないでしょう。

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