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手作り言葉辞典について

手作り言葉辞典では、ユーザーが疑問に思って検索してきそうな言葉の を載せています。 検索して調べてきそうな言葉とは、ここでは「ことわざ」「慣用句」「四字熟語」「故事成語」の4つになります。 それぞれの意味は下記の通りです。 古くから言い伝えられてきた、教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉。生活体験から きた社会常識を示すものが多い。 二語以上の単語が結合して、それ全体である特定の意味を表すもの。 漢字4字で構成される熟語。 故事をもとにしてできた言葉。特に、中国の故事からできた語。

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千里の馬も伯楽に逢わず

【漢字】千里の馬も伯楽に逢わず 【読み】せんりのうまもはくらくにあわず 【意味】 【例文】 「千里の馬も伯楽に逢わず」ということわざは、「せんりのうまもはくらくにあわず」と読みます。 意味は、一日に千里(一里は約3.9キロメートルなので、だいたい、3900キロメートルといういことになりますね。)を走ることができる素晴らしい馬は結構いるものだが、残念ながら、一日に千里を走る馬を見わけことができる人がいつもいるとは限らないということです。 つまり、才能ある人は世の中にはたくさんいるが、その才能を発掘できる能力がある人が少ないという意味で使われています。 これって、まさに芸能界のことですよね。 芸能界には、ものすごく容姿の整った人、演技の上手な人、声のきれいな人、司会をうまく進行することができる人、ニュースを伝えるのが上手なアナウンサーなどはいっぱいいますが、その人達のすべてが脚光をあびるわけではありません。 例え才能があったとしてもその才能をわかって、引き出してくれる人に会わないと芸能界で成功することはできないですよね。 芸能界で必要なのは自分を見出してくれる人に会うというラッキーさが必要ですよね。 そういった意味では、先日、キムタクと工藤静香の娘さんが親の名前を大々的に前面にだして、モデルデビューを飾りました。 やはり、そうやって、使えるものは使って自分を見出してもらわないといくら才能があったとしても、芸能界で生き残れないので、私は親の七光りと言われたとしても、いいデビューの仕方だと思いました。 千里の馬とは千里もの長い道のりでも駈け通せる程の名馬の意で、伯楽は数多くの馬の中からそんな名馬を見抜くことが出来る人物の事です。 千里の馬も伯楽に逢わずとは、名馬は必ずいる筈だけれど、名馬を名馬に為し得る伯楽に出会う事がなかなか無い、という意味の諺です。 つまり才能溢れる人材も、その才能を見つけて引き出してくれる人物との出会いが少ない事を言い表しています。 某大学のスポーツチームの監督・コーチが選手の一人に、ライバルチームの選手を、単なる言い回しや例えではなく「潰せ」と命令した事件で世情が騒然となりました。 若い選手たちには将来、その世界を担っていく人材となる可能性を秘めています。まさに「千里の馬」が彼らの中にはいる可能性があるのです。 監督・コーチという地位にある人達の本来の責務の一つは、「千里の馬」の発掘・育成の筈。即ち、彼らは伯楽にならなければならない人達なのです。 この諺の如く伯楽に逢う事が少ない中で、己が伯楽になるどころか、逆に、潰そうとしたライバルチームの選手のみならず、自軍の選手の将来を台無しにする様な指導を行うなどは言語道断と言わざるを得ません。 伯楽は、千里の馬を見出す名人ではありましたが、病気の馬の治療を施す名医でもありました。 百歩譲って、彼らは彼らなりの方法で千里の馬を見つけ出そうとしたのかもしれませんが、その方法は故障した馬は使い捨てるという非情なものでした。 病んだ馬を立ち直らせる名医では決してなかったという事です。 その意味でもこの監督・コーチ達は楽伯では絶対あり得ず、その責務を鑑みても指導者としては100%失格といって良いでしょう。

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千慮の一失

【漢字】千慮の一失 【読み】せんりょのいっしつ 【意味】賢い人でも一つくらいは間違いや失敗はある。 【例文1】メジャーリーガーでもエラーする千慮の一失がある。 【例文2】誰だって千慮の一失くらいあるよ。 【例文3】千慮の一失だ。気にするな。 私は普段からちょっとした失敗が多いので、自分のことを過大評価することはほとんどありません。 そのため、たまに何も失敗しないことがあると、逆に不安になってしまうことがあります。 しかし、世の中にはとても優秀な人がいて、周りから見ると完璧と思える人がいるものです。 ですが、どんな人でも100%という人はいないわけで、やはり完全に信用したり、安心せずに、千慮の一失ということを頭においておく必要があると思います。 年齢を重ねるとともに、人間には失敗があるのが当たり前と思うようになってきました。 そのため、どんなに優秀な人が「これは絶対大丈夫」と言っても、完全に信用することはなくなりました。 確かに安全神話はどんどん崩壊しているような状態です。 人間が作ったもので100%安全というものは、そもそも存在しないのだと思います。 子どもの頃は大人になるということは、いろいろなことに関して完璧に近づいていくことだと思っていました。 その為、大人は子どもよりも信用できるとも思っていました。 しかし、自分が大人になるにつれて、その考えは間違っていることに気が付きました。 どちらかといえば、私利私欲のために動いている大人の事情がたくさんあって、それに騙されないようにしなければいけないことを身につけていく必要があるとおもいました。

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千里眼

【漢字】千里眼 【読み】せんりがん 【意味】先の事を見通す能力がある人。 【例文1】千里眼が言うんだから安泰間違いなし。 【例文2】彼女は千里眼で思いどおりにうまくいく。 【例文3】千里眼で人格を見抜く。 「千里眼」とは遠隔地の出来事を直覚的に感知する神秘的な能力のことです。千里というのは非常に遠い距離のことです。日本の感覚だと一里が4キロメートルですから千里は4000キロメートル。そこで起きていることがつぶさにわかるのであれば確かに神秘的な能力と言わざるをえません。この千里眼を持っているとされる神様がおられます。広目天様です。千里眼をもってこの世を観察し仏の教えと仏に帰依するものを護る神様です。帝釈天の配下であり四天王のうちのおひとりで西方を護る守護神です。日本に残る最古の広目天像は法隆寺金堂に祀られています。木像で7世紀のものとされる国宝であり、中国古代風の直立姿ですが左手に経巻、右手に筆を持っています。このお姿からすると学者タイプの武神です。力が強いばかりの将軍だけがそろっていても戦には勝てないことを象徴しているようです。ところが時代が経つと、広目天様のもつ物はさまざまで浄瑠璃寺四天王像はやはり木像で平安時代後期の国宝ですが、左手は鉾、右手は羂索を持っています。興福寺四天王像も木像で重要文化財で12世紀のものですが、そのお姿は左手は鉾ですが右手は拳印です。また、有名な東大寺戒壇院の四天王像は、塑像で8世紀の国宝ですが、広目天様は邪鬼に乗り左手に経巻、右手に筆を持って眼を細めにして何かを見つめています。目を見開いているものの方が多い中珍しいです。お寺さんに参詣したら広目天様を探してみるのもおもしろいですね。

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千里の道も一歩から

【漢字】千里の道も一歩から 【読み】せんりのみちもいっぽから 【意味】大きな事を始めるときはまず、手近な所から努力すると成功する。 【例文1】露店から雑貨売りを始めたところ店舗を持てるまでになった。千里の道も一歩からだ。 【例文2】千里の道も一歩からで路上ライヴをする。 【例文3】千里の道も一歩からでチラシのモデル業から始める。 親友と呼べる友達が病気で入院してしまいました。 幸い大事には至らなかったのですが、元気だけが取り柄の友人でしたから、病気になって気弱になっていました。 私はそんな友人を励まそうと思い、千羽鶴を折る事にしたのです。 とはいうものの、千羽の鶴を折るのは口で言うほど簡単ではありませんが、千里の道も一歩からということわざを思い出し、真心を込めて折り始めました。 最初の十羽ぐらいまでは、楽しく折る事が出来ました。 しかしそれを超える辺りから、徐々にめんどくさく感じるようにりました。 そもそも私は飽きっぽい性格で、何をしても長続きがしません。 今回の千羽鶴もその悪い癖が出てしまい、折る事に飽きがきました。 それでもしばらくの間は、何とか頑張って折っていました。 しかし百羽辺りで折るのをやめてしまったのです。 しばらくの間ぼうっとしていたら、病気で落ち込んでいる友人の顔が頭の中をよぎり、こんな事をしてちゃいけないと思い始め再び千羽鶴を折り始めました。 何とか千羽鶴を折りあげ、友人のお見舞いに持って行きました。 友人はとても喜んでくれたので、がんばって折って良かったなとしみじみ思いました。

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前門の虎、後門の狼

【漢字】前門の虎、後門の狼 【読み】ぜんもんのとらこうもんのおおかみ 【意味】前門で虎遭遇して逃げ、今度は後門に狼が現れるたとえから、一つの災難を逃れてホッとする間もなく、またすぐに他の災難に見舞われる。 【例文1】せっかく洗い物が終わったかと思えば、子ども達の弁当箱がテーブルに置いてあり、前門の虎、後門の狼だ。 【例文2】子ども達が次から次に熱を出し、前門の虎、後門の狼だ。 【例文3】卒業・入学の繰り返しで家計が前門の虎、後門の狼だ。 「前門の虎、後門の狼」というのは、比較的よく使われることわざと言っていいでしょう。私も、2つの大きな問題を抱えている時などに、使うことがあります。 私は「虎と狼に挟み撃ちにされた状態のような大ピンチ。絶体絶命」というような意味に解釈していました。間違いというわけではないでしょうが、このことわざは「絶体絶命」ではなく、「一難去ってまた一難」の意味に解釈されることもあうようですね。 このことわざの出典は趙弼の『評史』 。「前門に虎を拒(ふせ)ぎ、後門に狼を進む」という一節で、意味は「表の門で虎の侵入を防ぐ時、裏の門から狼が侵入してくる」ということになります。 「拒ぎ」を、「防いでいる時」と解釈すれば、「絶対絶命」の意味に近くなるでしょうし、「防いだと思ったら」と解釈すれば「一難去ってまた一難」という意味になるでしょう。 私は、前者の意味に解釈していたわけです。 ところで、後者の意味に解釈するとすれば、この二つの動物を入れ替えたほうが、より恐怖心は増すのではないでしょうか。 「前門の狼、後門の虎」。つまり、「なんとか狼の侵入を防いだと思ったら、なんと後ろの門から虎が入ってきた」という意味になります。明らかに狼よりも虎の方が大物ですから、その災難のスケール、恐怖心はより大きくなるに違いありません。

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千変万化

【漢字】千変万化 【読み】せんぺんばんか 【意味】目まぐるしく変化していく様子。 【例文1】千変万化についていけないとバカにされる。 【例文2】若者の言葉は千変万化だ。 【例文3】去年のファッションがもう変万化だ。 千変万化とは変化がいちじるしいという意味です。めまぐるしい変化といえば若者のファッションです。私も高校生から23歳で結婚するまでは時代に合ったファッションや流行りものを身につけていました。雑誌を見てあれこれ参考にしていたものです。 おかげでファッションを通じて仲良くなったり、異性にもモテた事がありました。 その持ち物どこで手に入れたの?なんて聞かれると鼻が高くなっていました。 ところが、結婚して子どもができると雑誌を読む前に買いに行かなくなったり、というか買い物に行ってもおむつだったり、ベビー用品がかさばるわ、泣き叫ぶわでゆっくり雑誌を選んでられないし、洋服だって動きやすい洋服がいいし、なにせ授乳服は10年前当時はあまりおシャレではありませんでした。テレビもおかあさんといっしょやアニメの録画番組ばかりで歌番組はほとんど見られません。なので最近のアイドルグループは誰が誰なのかわかりません。いつのまにか卒業しているアイドルもいました。 生活していくには千変万化なんて言ってられません。当時流行っていた洋服を未だにきていますよ。

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善は急げ

【漢字】善は急げ 【読み】ぜんはいそげ 【意味】良いと思ったら、迷わず実行するべきである。 【例文1】新作バッグが売り切れないうちに善は急げと言うから買いに行こう。 【例文2】善は急げで直感で購入する。 【例文3】思い立ったら旅に出る。善は急げだ。 善は急げという言葉があります。 この言葉は、良いことは急いで対応していくことですが、この行動には、自らのフットワークの軽さに関係しているといえます。 重い腰を上げて、ゆっくりと対応していては、好機を逃してしまいます。 ビジネスにおいても、スピード感が大事です。 また行動力も大事です。 最近の環境変化はめまぐるしく、ついていくのが大変な状況です。特にIoTについては、劇的な変化があります。 スマホやタブレット、ウェアラブルディバイスといった、今では当たり前に利用されているものは、10年前には今のように普及していくことが想像できなかったと思います。 このようにスピード感が以前よりも増している現代においては、単に「善は急げ」という言葉は、ある意味、「善は急ぎに急げ」という言葉に言い換えても全く違和感がないくらいになっているといえます。 今後、世界はまだまだスピード感が増した目覚ましい発展があるものと思います。 今の子ども達が大人になる頃はどのようなスピード感で世界が動いているのか、想像できませんが、この想像できない世界においても対応できるよう、今からでも善は急ぎに急げという感覚で色々なことを教えてあげたいと思います。

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船頭多くして船山に上る

【漢字】船頭多くして船山に上る 【読み】せんどうおおくしてふねやまにのぼる 【意味】指示者が多いとうまくまとまらないもの。 【例文1】共同生活1日目は船頭多くして船山に上る。 【例文2】リーダーを決めないと船頭多くして船山に上る。 【例文3】船頭多くして船山に上るでチームワークが必要だ。 それぞれ勝手な指示を出す人間が多すぎて、状況がまとまらず上手く行かない事を言い、使い方としては「あそこのグループは船頭多くして船山に登るだなと」となります。船頭とは本来一人いれば事がスムーズに運ぶのですが、なまじ優秀な人が集まり過ぎると各々が持論を展開し出し、指示を受ける者達が誰の指示が的確なのか判らなくなり、進水させるはずの船がどういう訳か山に向かって運ばれて行く事態になってしまったという話が転じて「船頭多くして船山に登る」なのです。つまり、どれ程優秀な人間を沢山集められても、チームワークがきちんと取れなければ上手く行くものも上手く行かなくなるという事で、何事もまずは協調性が大事だという教えであります。もちろん優秀な方全てが自己主張の強い人ばかりとは限らず、中には状況に応じ必要なだけ力を出して後は他の方に委ねる事が出来る奇特な御仁もおられます。そういう方は自身だけでなく、他の使い方も上手に裁いてしまう手腕の持ち主で決して余計な手間は取らせません。ですから本当はそういう方に船頭をお願いすれば無難に船は水に浮かんでいる事でしょう。真のリーダーとは決して周りに不評を買わず、むしろ皆をその気にさせて物事を上手に動かす、まさに腕の良い船頭の様な人をいうのです。

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先手必勝

【漢字】先手必勝 【読み】せんてひっしょう 【意味】誰よりも早く行動を起こせば、必ず有利な立場に立つ事が出来る。 【例文1】先手必勝で試合に臨む。 【例文2】先手必勝で攻撃する。 【例文3】先手必勝の作戦勝ち。 学生時代野球をやっていて、先手必勝の重要性を常に実感していました。その経験もあって、勝負は先手必勝を心掛けています。 なぜ先手必勝が重要かですが、最初から優位な立場になればモチベーションが上がり、更に良い行動がとれるという心理的な要素が関係していると思います。 プラス思考だと良い方向に向かうプラシーボ効果と一緒で、良い心理状態や精神を維持することは勝負の世界でも重要です。 将棋を同僚と良くやりますが、私が勝つ時のパターンは先手必勝のケースがほとんどで、最初不利なスタートをすると9割方負けています。 逆境に弱いというタイプもあって、先手必勝を常に心掛けていますが、最初不利なスタートでも後から巻き返すタイプもいます。 私の兄がそういったタイプで、立ち上がりが悪くても後から巻き返し勝ちとるケースが多々あります。 兄を見ていると逆境に強いと感じる時が多く、そのような人だと先手必勝にこだわらない勝負もできるかと思います。 ただ、巻き返すことより先手必勝で逃げ切る勝負の方が楽で、勝率も高くなるので学生時代野球をやっている時は、1回から3回に全力を出すようにしていました。 徐々にエンジンがかかるようなやり方より、ロケットスタートのような勝負の方法が私には向いています。

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全知全能

【漢字】全知全能 【読み】ぜんちぜんのう 【意味】知識も能力もあり何でもできる者。 【例文1】彼女は全知全能で頼りになる。 【例文2】機械にも勝る全知全能。 【例文3】全知全能で神業だ。 神は全知全能な存在として、全く知らないことは一つも無く、出来ないことは何も無い完全無欠な能力を持つものとして崇められてきたことは間違いないと思いますし、過言ではないでしょう。 近年、神に代替する全知全能な存在になるものとしてAIがメディアで取り上げられています。AIの可能性は制限なく、我々の生活を180度変えてしまう可能性を秘めています。特に、私たちのワークライフが劇的に変わっていくことが予想されています。現在、当たり前に存在している職種が必要ではなくなる、淘汰される時代が目の前に差し迫っています。レジの自動化、自動運転による運転手の削減、医療診断の自動化等、これから先AIに取って代わられる仕事が遅かれ早かれ続出することが予想されています。 やはりAIは、神に代わって全知全能な存在として君臨する未来が来るのでしょうか。AIが普及される時代になり、私たちの生き方や考え方もシフトチェンジする機会が到来していると思います。これまでは仕事を最優先するライフスタイルが一般的でしたが、これからは仕事を優先する時代ではなく、プライベートを優先する時代になってくるのではないでしょうか。仕事は人工知能に任せ、私たちはプライベートを優先する時代が来てもおかしくない時代が到来しているかもしれません。

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栴檀は双(二)葉より芳し

【漢字】栴檀は双(二)葉より芳し 【読み】せんだんはふたばよりかんばし 【意味】栴檀の発芽は良い香りがすることから、大成功する者は幼いうちから優れているという意味。 【例文1】この子は幼い頃から暗記力が優れていたが、やはり栴檀は双葉より芳しで期待通りだった。 【例文2】有能な彼女は小学生の頃から成績が良かった。栴檀は双葉より芳しだ。 【例文3】栴檀は双葉より芳しの予感がする。 私が小学生の頃、同じクラスにひときわ目立つクラスメイトがいました。 その子はとても頭が良く、テストの度に100点満点を取っていました。 他のクラスメートからも一目置かれていました。 またこのクラスメートは学校で教わるような事だけでなく、雑学の様な知識も豊富だったのです。 どのような分野の事を尋ねても大体知っており、そんなことまで知っているのと、感心しました。 何でも知っているから、話しをするのが面白く、いつもこのクラスメイトの周りには人だかりが出来ていました。 私はバカなので、このクラスメイトに良く勉強を教えてもらっていたのです。 そんなクラスメートも小学校を卒業して、名門の中学校に進学して、私とは違う道を歩み始めました。 成人して、小学校の同窓会が開かれるというお知らせが届きました。 みんなどうしているんだろうと気になり、私はこの同窓会に参加しました。 あのクラスメイトと再会したのです。 なんでも今は官僚となって、政治家を支えているそうです。 栴檀は双葉より芳しと言う言葉がありますが、このクラスメイトの為にあるような言葉だなと思いました。 「あの偉人は、まだ小さい頃から優れた逸話をたくさん残していたそうだ。まさに『栴檀は双葉より芳し』だなあ」-こんなものの例えを聞いたことのある方もいるかもしれません。 時々耳にしますが、それでもその意味を正確にわかっている方はあまりいないかもしれませんね。 そもそも「栴檀」とは何のことなのでしょう。 「栴檀」とは実は白檀のことを指しています。 「サンダルウッド」といえばお分かりになる方も多いかと思いますが、その芳しい香気の故に、お香に使われる香木として、またお線香として、非常に需要の高い木です。 この白檀はその発芽のころから、非常に良い香気を発するものなのだそうです。 それが転じて、優れた人間はほんの幼いころから人より優れているものだ、ということを指して使われるようになった言葉なのです。 人より優れた人、才能のある人、立派な人というものは幼いころからどこか他人より優れた面を見せるものだ、ということを伝えたい時、この言葉を使います。 偉人や優れた人物の幼少期のエピソードなどを聞いたとき、「やっぱりすごい人は、小さい頃から違うなあ」と言いたいところを、言い換えて「やはり『栴檀は双葉より芳し』だなあ」と言ってみるといいかもしれません。

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前代未聞

【漢字】前代未聞 【読み】ぜんだいみもん 【意味】いままでに聞いたこともないような出来事。はなはだしい事に多く使う。 【例文1】こんな田舎で強盗事件が発生するなんて前代未聞だ。 【例文2】大物政治家の前代未聞のスキャンダルネタを掴む。 【例文3】前代未聞の凶悪犯罪だ。 前代未聞とはこれまでに聞いたことのないことです。前代未聞の事件とよく耳にしますね。。今、一番怖いのはAIの勝手な進化です。AIは人間が開発した人工知能です。AIは最初こそ人間が教えたとおりのことを覚え、考え、答えを導き出していたのですが、人間をはるかに超える計算力や、情報収集力をフル活用するようになり、文字通り人知を超える答えを出すようになり、どのような道筋を通ってその答えを出したのか、わからない時があるそうです。それでは確認作業ができません。確認できないのにAIを全面的に信頼して行動に移すことは危険な作業です。また、AI同志が人間のわからない言語でお互いに話を始めたという都市伝説のような話まで囁かれています。AIはコンピューターですから、気持ちや感情はありません。AIにとってはただの判断ミスであっても、重大な犯罪や多数の人命が失われることが起きるかもしれません。また開発者のプログラミングの仕方ひとつで大きく何かがかわるかもしれないのです。AIの恐怖政治に人類がさらされるような、最悪のシナリオに行きつかないように、前代未聞の事件がAIに引き起こされないように願います。

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前人未到(踏)

【漢字】前人未到(踏) 【読み】ぜんじんみとう 【意味】過去にも現在も誰も成し遂げていない偉業。 【例文1】前人未到の5連覇達成おめでとうございます。 【例文2】前人未到の記録が出た。 【例文3】前人未到の技を成し遂げる。 スポーツの試合を見ていると、時々前人未到の記録が出ることがあります。 どんなスポーツでも、スポーツ以外の場面でも、記録はいつか破られるものだと思います。 それがあるからこそ、スポーツの試合を見ていても楽しいのかもしれません。 しかし、中にはなかなか破られない記録もあります。 そのような記録を打ち出した人は、とても凄いと思っています。 技術も練習方法も進化している中で、なかなか破られない前人未到の記録保持者というのはなかなかいません。 スポーツ大会ではもちろん、新記録を打ち出すのも目的の一つかもしれませんが、最も大きな目標はやはり優勝することなのではないかと思います。 記録に残っても優勝できなければあまり意味がないという選手もいます。 前代未踏の記録を打ち出すことは、優勝してそれに付随してくれば、喜びもさらに大きくなることでしょう。 試合に負けてしまったとしても、自分が前人未到の記録を打ち出したのならば、それは十分に誇りにもって良いことだと思います。 もちろん、周りの人たちの協力があってこそ成し得た記録です。 みんなでその記録を喜び合い、分かち合うことで、さらにみんながハッピーになれると思います。 これからもさまざまな前人未到の記録を期待したいものです。

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千秋楽

【漢字】千秋楽 【読み】せんしゅうらく 【意味】相撲・演劇の最終日。 【例文1】満員御礼で千秋楽を終えた。 【例文2】いよいよ千秋楽を迎える。 【例文3】優勝で千秋楽を飾る。 千秋楽とは①舞のない雅楽曲のひとつ②能「高砂」の終わりにある文句。付け祝言に用いる③演劇、相撲などの興行の最終日に千秋楽をうたったことから、最終日のことを指す④最後、終わりを意味します。 今では歌舞伎や演劇、相撲の最終日をしての千秋楽が一番目にすることが多いですね。役者、力士にとっても千秋楽まできちんと務めることがどんなに重要で、大切なことかが、千秋楽を無事に終えた日のインタビューの様子などで伝わってきます。どんなに相撲の人気が落ちているときであっても千秋楽は大入り満員でした。今は相撲人気も順調に伸びているようです。それも新記録を目指してひたむきに頑張っている白鵬関や、小さい身体ながら技のキレをみせる日馬富士関、ちょっと駄々っ子みたいな表情が女心をくすぐる鶴竜関、久しぶりの日本人横綱の稀勢の里関たち、4人の横綱が人気をけん引していること。宇良関のように素人が観ても楽しい相撲をとったり、琴奨菊のようにイナバウアーを思わせる姿勢を見せてくれたりと、それぞれの力士が個性を表現しても許されるようになったからではないでしょうか。ひと昔前の力士は余計なことは一切言わない。目立つことをすれば親方から注意を受けるといった堅苦しさがありました。今は、私たち素人目線でも楽しめる相撲になってきた気がします。相撲道に精進しつつ、楽しませてくれる力士の皆さんには頑張って欲しいと思います。

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前車の轍を踏む

【漢字】前車の轍を踏む 【読み】ぜんしゃのてつをふむ 【意味】前の人と同じ失敗を繰り返すこと。 【例文1】会社を引き継いだものの前車の轍を踏まないか不安だ。 【例文2】会社の信用を失い前車の轍を踏む。 【例文3】前車の轍を踏み、改善する。 生きていれば何事にも失敗はつきものです。失敗は成功の基とも言うくらいですからね。ときには前車の轍を踏むこともあるかもしれません。もし仕事で、前の人がやってしまった失敗と同じ失敗を、自分がやってしまったとしたら、もしかすると上司から「前例があったのになぜ失敗をしたのか」と怒られることだって無きにしも非ずでしょう。 そうは言っても、自分の人生ですら同じ失敗を繰り返してしまうことがありますよね。それなのに他人と同じ失敗をしてしまうことがあるのも、仕方ないのではないでしょうか。もしも同じ失敗を繰り返してしまうなら、自分なりに対策を取ることだってもちろん必要です。その対策のおかげで、同じ失敗をしなくなったという人もいるに違いありません。失敗をしない人生なんてどこにもありません。重大な失敗が続くようであれば、それは強固な対策を考えるべきだと思いますが、生きていれば失敗はつきものです。 反対に、成功をしない人生だってありません。誰かしら何かしらで成功した経験があるはずです。もしかするとその成功は、たくさんの失敗の上で生まれたものかもしれません。前の自分と同じ失敗をしたり、前の人と同じ失敗をすることもあるかもしれませんが、人生は失敗だらけではないと思います。

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千差万別

【漢字】千差万別 【読み】せんさばんべつ 【意味】どんな事でも種類や考え方がたくさんある。 【例文1】家族の愛情表現はそれぞれ千差万別だ。 【例文2】子どもの教育法は千差万別だ。 【例文2】作業のやり方は千差万別だ。 よく年末になると、お笑いの賞レースが開催されることが多いですよね。その賞レースに優勝したお笑いコンビは大体、次の年からメディアで活躍されることが多くなるのが定番になりつつあります。 しかし、こういったお笑いの賞レースが開催されると決まり切って、優勝したコンビに対する批判が出ることも恒例になっている気がします。個人的にこういった批判が生じるのも仕方がないと思っています。 なぜなら、お笑いには好みがあり、一人ひとり好みが違ってくるので、優勝するコンビに対する批判が出ることは当たり前なのではないかと普通に考えたら理解できると思います。「千差万別」という言葉があります。まさにお笑いの好みも千差万別ではないでしょうか。意味は皆さん既に知っている通り、物事には様々な違いがあるという意味ですよね。 ですので、お笑いの好みも人それぞれ違ってくるので、批判が出ることは当たり前です。お笑いに限らずとも、色々な物事にもこのことが当てはまると思います。お笑いや芸術のような明確かつ客観的な指標が存在しないものに関しては、基本的には賞レースやコンテストのようなものはあまりそぐわないのかなと個人的には感じたりもしていますが、これからもお笑いや芸術の賞レースやコンテストは続くでしょう。

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千載一遇

【漢字】千載一遇 【読み】せんざいいちぐう 【意味】千年に一回しかないくらい稀にみる好機。 【例文1】理想の女性に出会い千、載一遇のチャンスだったので、声を掛けた。 【例文2】千載一遇の確率で宝くじが当たった。 【例文3】千載一遇のチャンスに巡り会う。 千載一遇の載は歳を意味し、言葉全体の意味は「千年に一度あるかないかの好機」です。 人間が生きられるのは精々100年程度、西暦1000年から西暦2000年に至るまで一度くらいしか発生しない好機など観測できるでしょうか。 西暦1000年と言えば清少納言や紫式部がいた平安時代、歴史の記録も曖昧で統計も不確かに思われます。 災害であれば大規模地震による津波の形跡が1000前の地層にあったという話は聞きますが、チャンスが1000年に一度とか確率が低すぎます。 一日一回だけ引けるクジがあったとして、1000年に一度くらいで当たると言うことは36万5250分の一の確率です。 宝くじの一等当選確率1000万分の一から比べればまだマシなほうかも知れませんが、1人の人間で体験できる時間ではありません。 人生100年として計算しても当選確率は10人に1人以下、それも一生に一度きりです。 なんだか千載一遇の確率の低さを調べているうちに、宝くじの当選確率の低さに唖然とする結果になりました。 結局のところ、経験も努力も関係しない運だけでは好機をつかむことなど期待するだけ無駄と言うことなのでしょう。 果報は寝て待てといいますが、チャンスは自分の力で作るべきものなのです。

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前後不覚

【漢字】前後不覚 【読み】ぜんごふかく 【意味】あとさきの正常な判断が出来ない状態。 【例文1】夜勤明けのまま昼勤で前後不覚になる。 【例文2】若い頃は前後不覚になるまで飲み歩いたもんだ。 【例文3】頭を強く打ち前後不覚になる。 前後不覚とは前後の記憶がないくらい意識を失うことです。 みなさんは経験ありますか?できればあまりしたくない経験ですよね。 私も若かったです。今では到底無理な話ですが、高校を卒業して車の免許を取って嬉しさのあまり、朝までドライブしたり、前後不覚になるまで飲みに行ってたものでした。若かったので体力的には自信がありましたからね。成人式を迎えると、盛大に酒を飲んで祝いました。今みたいに簡単にスマホで写真を撮る時代ではなかったので、写真館で撮った家族写真と友人と撮った数枚だけです。成人式の楽しかった思い出は同級生と朝まで飲み明かし前後不覚となっております。ただ聞いた話では、女の子に絡んでよくしゃべっていたそうです。ふだんしゃべらなかった女の子とも2次会の席で久しぶりに会えて話が弾んだのでしょう。どうやって帰宅したのかもまったく覚えていません。翌日頭ガンガンしながら、仕事に出たのだけは覚えています。二度とあんな思いはしたくないと思いつつも、2年後、22歳で結婚した友人の結婚式で泣いたり笑ったり、またもや前後不覚になるまで同僚や友人と飲みました。翌日、引き出物をどこかの会場に置き忘れて母親に怒られた記憶だけはあります。

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千客万来

【漢字】千客万来 【読み】せんきゃくばんらい 【意味】多くのお客さんが次から次に来る。 【例文1】開店20周年を迎えられたのも千客万来で感謝しかない。 【例文2】お店の口コミが広がり千客万来だ。 【例文3】リニューアルで千客万来だ。 近所のスーパーは特定の曜日に割引があるのでその日は客がごった返し、買い物かごを載せるカートが足りなくなるくらいです。 レジには2人の店員がついて、10数台のレジがフル稼働しますが、客の列がレジから途絶えることがありません。 タイムセールの割引特価なので4時間ほどの混雑ですが、一日千客という条件は軽くクリアしていると思われます。 結局のところ少しでも安い商品があれば、大勢の客が大挙して店に来るということです。 皆が皆、値段を気にもせずに品質だけで買い物が出来るならばこのような現象は起きないでしょう。 繁盛しているように見えて、その実態は少しでも家計の負担を軽くしようと皆さん必死なのです。 数量限定の特売品など、時間が少しでも遅れれば買い逃してしまうことになります。 競馬・競輪・パチンコなどの賭博産業も、儲からないことを身をもって知った客からは既に見放されている状況です。 千客万来からあっという間に閑古鳥が鳴くにまで落ちぶれる様子にはなんとも虚しいものがあります。 商売をしていれば、どうすればもっと客足が増えるかを考えることがあると思います。お店のスタッフ同士で改善点を話し合うこともあれば、お客さんに意見を尋ねることもあるでしょう。では千客万来のお店にするにはどうすれば良いのでしょうか。とあるラーメン屋さんの話になりますが、実際に売り上げを伸ばした方法があります。 そのラーメン屋さんは、お店に来てくれたお客さんに毎回『あること』をアンケート用紙に書いてもらうことで、お店の業績を上げることに成功しました。それは一体どのようなことだったのでしょうか。それはずばり『お店の悪かったところ』を書いてもらうことです。『お店の良いところ』ではなく、あえて『お店の悪いところ』をお客さん目線で教えてもらうことで、その意見をもとにお店の運営を変えていったところ、だんだんとお店の質が上がり、お客さんも増えていったとのことです。 『良いところ』ばかりではなく『悪いところ』も知ることで、悪いところをどんどん直して良いお店にする、という発想はなかなか難しいのではないでしょうか。しかし確かに悪かったところを直していけば、自然と良いものが出来上がると考えると納得がいきますね。客足を増やしたいという方がいれば、一度この方法を取り入れてみてはどうでしょうか。

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背を向ける

【漢字】背を向ける 【読み】せをむける 【意味】無関心な態度を取る。相手にしない。 【例文1】横着な彼に背を向ける。 【例文2】くだらない話に背を向ける。 【例文3】儲け話には背を向ける。 嫌なことを体験してしまうと、つい背を向けたくなるのが人間です。辛いことがあって後ろ向きになってしまうことだってあるでしょう。背を向けること自体は悪いことではないと思います。どんな人でも背を向けて現実から逃げたくなるような瞬間を、一度は経験しているのではないでしょうか。とはいえ無理に前向きになろうとするのは逆効果です。なぜなら自分の嫌な感情を無理やり押さえつけるため、それがストレスになってしまうからです。ですので仮に嫌な感情が芽生えたとしても、それも自分の感情だと思って受け止めてみる方が楽ですよ。良い感情も悪い感情も自分が生み出した子どもだと考えてみたら、そのうち愛着が湧くかもしれませんから。 ところでこの『背を向ける』という言葉ですが、「気持ちが後ろ向きになる」という意味もあれば「相手に対して無関心な態度をとる」といった意味もあります。なんとなく意味が似ているようで似ていないような感じがしますが、共通しているのは『現実にある事象から目を逸らしている』ということです。もしかすると『背を向ける』という言葉の根っこには『現実にある事象から目を逸らしている』というものがあって、そこから「気持ちが後ろ向きになる」という意味や「相手に対して無関心な態度をとる」といった意味が『生まれたのかもしれません。同じ言葉で異なる意味を持っていたとしても、きっと言葉の根っこにあるものは同じなのではないでしょうか。言葉とは不思議ですね。

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世話を焼く

【漢字】世話を焼く 【読み】せわをやく 【意味】進んで人の面倒をみる。 【例文1】母は面倒みがよく、誰にでも世話を焼く。 【例文2】お姉ちゃんが1歳の妹の世話を焼く。 【例文3】 世話を焼くとは・・・他人の世話を進んでする、あれこれと面倒を見るなどの意味があります。 職場や学校、地域コミュニティ、家族や親せき、友人や知人のなかでも、やたらと人の世話を焼きたがる人、面倒見がいい人って、結構いますよね。 恋愛関係においても、女性には母性本能、男性には下心がありますから、好意のサインとして積極的に世話を焼くことも多いでしょう。 私もその昔、片思いだった彼とお付き合いすることとなりまして、もう彼のことが好きすぎて、母性本能が発動しまくり、オカンのように世話を焼きすぎてしまった黒歴史があります。 とにかく彼に尽くしてしまう、世話を焼くことが心から楽しくて、幸せだったのですね。 しかし、その関係は長くは続かず。そもそも私の方から好きになってアプローチしたわけで、最初から気持ちの温度差もあったのでしょう。 彼は本当に感謝しているのか?なぜ私ばかりが世話を焼くのだ?ひょっとして私は損をしているのではないか?と、見返りを求めるようになってしまいました。 相手からすれば、勝手に世話を焼いていただけじゃん!て感じですよね。過剰に世話を焼くことは、自分にとっても相手にとっても良いことはないので、ほどほどにしておくのがベストですね。 私は、人に対して世話を焼く事が大好きです。けれど周りはそれをどう思っているのでしょうか?私は逆の立場になり考えました。世話を焼かれると、助けて貰っているようで頼りにしてします。又、この人に言えばしてくれるという甘えが出てしまう。又自分が忙しい時などに世話を焼かれると、この人何なのっと怒りを感じてしまう。など様々な事が分かってきました。世話焼きの大半は損をしている人が多いです。困っていた友人がいるとつい、その友人の為に車やお金など出して上げても、友人からはありがとう以外何もお返しを貰う事もありません。自分の財布からの出費が増えている事にもきづかれていない方が沢山います。又世話を焼く事が好きな人は必ず友達からお金の相談をされる方も多いのではないでしょうか?私は人の世話を焼くのは好きですが、逆の立場を考えた時に世話を焼きも程々にしないといけないと思い、世話を焼く事を今は程々にしています。世話を焼く方は損をしているだけではありません。世話を焼く方の大半は心が優しい人や、性格が明るい方が多いです。私は世話を焼く方は大好きです。なぜなら世話を焼く方に悪い人なんていないからです。最後になりましたが、程々の世話を焼く方の方が賢いと私は思います。 世話を焼く人は相手のことを真剣になって考えています。昔子供の頃真剣に怒ってくれる近所のおばちゃんやおじちゃんがいましたが、子供のことを真剣に考えてくれて叱ってくれたのです。世話を焼いてくれるおばちゃんやおじちゃんに感謝です。学校にも鬼先生なる方がいました。生徒が道にそれたことをすると世話を焼いて怒ってくれました。世話を焼くというのは相手のことを常に考えてくれて行動してくれているのです。最近は面倒な事には見て見ぬふりをする人が増えてきました。人間関係が薄っぺらくなってきました。人のために常に世話を焼いているとそれが回り回って物事すべてが好転していくのではないでしょうか。自分はこれから、相手のことを考えて世話を焼いていこうと思っています。自分勝手と対比する言葉だと言っても過言ではないかと思います。昔のおばちゃんやおじちゃんのように世話を焼くことができれば心にも幅ができてくると思っています。

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狭き門

【漢字】狭き門 【読み】せまきもん 【意味】競争率が高くて入るのが難しい。 【例文1】倍率50倍と言われる狭き門に挑む。 【例文2】彼は狭き門を突破して大手企業に入社した。 【例文3】女子アナは狭き門だと言われる。 プロになるためには死に物狂いで努力する必要があり、偶然でなれるものではありませんよね。もし、偶々なることができても長く活躍できずに早期で引退する方もいるでしょう。 プロの世界で第一線で活躍する方の特徴として、老若男女問わずに努力をしていることです。また、同じプロで活躍する方をリスペクトしているように感じますね。狭き門をクリアしてプロになった苦労や気持ちが、痛いほど分かるからのでしょうか。 考えてみれば、プロの世界で活躍するベテランの方は凄いと思います。狭き門ですが毎年新人が入ってきますし、競技人口が多ければ多いほど長く活躍することは難しいです。体のメンテナンスや戦略を練り直すことが加齢とともに必要となりますし、長年のプレイから相手に研究され尽くす恐れもあるのです。勢いだけでは通用しないので、色々と工夫をしながら試行錯誤をすることも必要です。現在、第一線で活躍するプロから学べることは多いと思いますね。 プロの世界は狭き門ですが、長く活躍できる方はプロになる方よりももっと少ないのではないでしょうか。それだけ甘くない世界ですし、長く活躍するベテランの方は素晴らしいと思います。ベテランの方を見るたびにそう感じます。

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背に腹はかえられない

【漢字】背に腹は代えられない 【読み】せにはらはかえられない 【意味】大事な問題を解決するには、多少の損害は仕方がない。 【例文1】マイホーム実現のためなら郊外引っ越しも背に腹は代えられない。 【例文2】ストーカーに遭い引っ越しも背に腹は代えられない。 【例文3】我が子のために背に腹は代えられないと振り込め詐欺に遭う。 学生時代、中規模のスーパーでアルバイトをしていました。週5回で勤務していた事もあって、店長からデイリー品の発注を任されていました。 そのスーパーのデイリー品は、菓子パンや食パン、牛乳を始めとする紙パック系の飲料、プリン、ヨーグルトなどでした。 売り上げデーターを見ながら発注するので、余程の変動が起こらない限りは難しくない作業でした。しかし、慣れてくると注意力が落ち、数字の入力ミスで間違えた発注をする時がたまにありました。 ミスの内容には、食パンを50個入力したつもりが5個になっていて、すぐに欠品して店長に注意されました。これは、さほど怒られませんでしたが、1番のミスは大量発注です。食パンの発注数を知らない内に、150個入力していて本来の数字より100個多く頼んでいました。 納品された食パンを見た店長は、背に腹は代えられないと言ってすぐに半額で販売をして、なんとか残り20個まで売りました。 この時は、少し強めに怒られましたが、店長も昔は良くミスをしたと言って許してくれたのでホッとしました。 これ以降、小さなミスは数回ありましたが、大量発注するミスは無くこなしていきました。毎日行う作業は、マンネリ化して注意力が落ちやすくなるので、作業シートのようなやった仕事をチェックするのは大切だと思います。

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節を折る

【漢字】節を折る 【読み】せつをおる 【意味】自分の主張を曲げて人に従う。 【例文1】反論意見が多かったが、やっと彼も節を折る。 【例文2】年長者の意見に説を折る。 【例文3】恐妻家の妻に説を折る。 社会において、特に会社勤めの方なら会社のルールや上司の指示に嫌々従っている方が多いのではないでしょうか。「節を折る」という言葉がありますが、自分の意志を曲げて人に従うことを意味します。この言葉の意味を考えた時に、私たちの生きている社会は「節を折る」ことで成り立っているのではないかと感じるのです。 人間関係もそうですが、ルールに従うことで生活が豊かになったり自分の身を守れることもあります。例えそれが嫌々でも、皆が従っているのなら仲間外れにされたり、酷い目に合うことだってあるのです。 日本では相手の行動に合わせることが美徳にされる傾向が根強く存在します。皆と同じ考えだと気分が落ち着きますし、誰にも厳しく咎められませんよね。会社で一生懸命働いている方の多くはルールにや上司の指示に疑問を感じながらも「節を折る」考えを持っていると思います。 自分の志や意思を曲げてまで従うことは正直辛いことです。しかし、そうしなければ生きづらい世の中でもありますね。世間が「節を折る」ことを推奨していても、自分の意志を持つことは大切なことです。最後に重要となるのは忠誠心よりも、自分がどう考えて生きていくかだと思うのです。

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切羽詰まる

【漢字】切羽詰まる 【読み】せっぱつまる 【意味】追い詰められてどうにもこうにもならない。 【例文1】友人が切羽詰まった様子でお金を借りに来た。 【例文2】経営難で切羽詰まる。 【例文3】赤字続きで切羽詰まる。 私の息子の高校受験の時はどうなることやら、本当にハラハラしました。 息子は中学生の時に部活動で剣道部に所属していたのですが、一つ上の先輩が進学した高校に自分もどうしても入りたい、そしてそこで先輩と一緒に剣道がしたいという思いを募らせていきました。 しかし息子の成績ではその高校に入学するにはまだまだ成績が足りませんでした。 息子なりには受験勉強を頑張っていたようですが、受験当日まで半年を切っても思うように成績が上がらずとても切羽詰まる思いでした。 受験まで半年を切ると、どんなに勉強してもなかなか成績が伸びないものです。なぜならこの時期になると今まで勉強をやっていなかった子も総じて勉強しだすし、成績上位の子はますます勉強するので、なかなか上がらないのです。 親としてどうしても息子を希望の高校に入学させてあげたいと強く思い、一生懸命応援しました。 とうとう安全圏に入らないまま進路決定をする日を迎えてしまいとてもとても悩みましたが、息子の頑張りを信じ、志望校を受験させることに決めたのです。 結果は残念ながら不合格でした。結果を知った時はもちろん親子でとても落ち込みましたが、不思議と悔いはなかったのです。 息子は今滑り止めで受けた高校に楽しく通学しています。

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絶体絶命

【漢字】絶体絶命 【読み】ぜったいぜつめい 【意味】もうどうにもならないほど追い詰められた状態。 【例文1】山で熊に遭遇して絶体絶命かと思ったが、狩り仲間が射止めた。 【例文2】5日間漂流した。絶体絶命だと覚悟した。 【例文3】絶体絶命のピンチ。 アクションヒーロー映画において、主人公が悪役に追い詰められた絶体絶命のピンチのシーンがありますよね。そういった絶体絶命のピンチで主人公が不思議な力で守られたり、根性で敵を倒したりと、「ヒーローだからこの場面では死なない」と視聴者が思ってしまうことがあります。私もそうで、「絶体絶命だけど、どうせ助かるんでしょ」とイマイチ盛り上がりに欠けます。 ビルの屋上から主人公が飛び降りて、何とか博士が発明したグライダーで助かったり、都合よく窓枠につかまったりというシーンが多すぎます。特に人気のあるアメコミ物の作品で絶対助かる絶体絶命シーンをよく見かけます。 ただ、そのようなシーンはヒーロー物で非常に重要なシーンです。強大な悪に立ち向かうヒーローの凄さを視聴者に伝えるには、絶体絶命シーンは絶対に必要なんです。散々否定してきましたが、ヒーロー物の作品には欠かすことが出来ない要素なのです。 また、もしそのシーンで主人公が死んでしまったら物語はそこで分岐点に入ってしまい、緊迫したシーンが台無しになります。シリーズ物にとっても脚本を一から見直すことになる場合もあるので、やっぱり絶体絶命の時は、何だかんだ助かって欲しいですね。

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切歯扼腕

【漢字】切歯扼腕 【読み】せっしやくわん 【意味】悔しさで歯をくいしばり腕を強く握りしめる仕草。 【例文1】試合で大逆転され、切歯扼腕。 【例文2】1秒差で負け切歯扼腕で悔しい。 【例文3】切歯扼腕で悔し涙を流す。 「切歯扼腕」の「切歯」は歯ぎしりすること、歯をくいしばること。「扼腕」はぎゅっと腕をつかむことです。「切歯扼腕」とは、「ものすごく憤り、怒り、非常に悔しがるようす」の意味です。もともとは司馬遷の記した歴史書「史記」の中の「張儀伝」に出てくる逸話から生まれた言葉です。戦国時代の荊軻(けいか)は秦の秦王(のちの始皇帝)に恨みを抱いていた燕の太子丹に食客として招かれ、秦王の暗殺を依頼されます。荊軻は秦の樊於期(はんおき)に相談します。樊於期は秦の軍人でしたが、秦王に恨みを抱き、クーデターを画策していました。すると彼は「これこそ自分が日夜、切歯扼腕して心を砕いてきた(願い考え続けた)ことだ」と言うなり、自分の首を自ら切り落としました。荊軻はその首をクーデターの首謀者として、秦王に差し出すことで謁見に成功しますが、暗殺には失敗し乱闘の末に殺されてしまいます。想像するだに恐ろしい展開ですよね。史記ではよく、四文字熟語でいろいろ表現されていますが、「切歯扼腕」だの「臥薪嘗胆」だのと積年の恨みつらみというのは恐ろしいものだと思います。それがどこの国でも戦国時代の倣いですから、仕方がないとはいえ、悲しい時代です。

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切磋琢磨

【漢字】切磋琢磨 【読み】せっさたくま 【意味】お互い励まし合いながら助け合う。 【例文1】チームメイトと切磋琢磨しながら成長する。 【例文2】切磋琢磨する仲間の存在が大きい。 【例文3】仲間と切磋琢磨して力をつける。 「切磋琢磨」は、学問や道徳に努め励むこと、また仲間同士で励まし競いあって向上することを意味する四字熟語です。この四字熟語は語源由来辞典によると、中国最古の詩集である「詩経」の「衛風・淇奥」に切磋琢磨のそれぞれ1字ずつが書かれていて、それが語源の由来とされています。「切」は骨や象牙を切ること、「磋」はそれらを研ぐこと、「琢」は玉や石を打ち叩くことで、「磨」は磨くことを意味しています。「詩経」では「切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如く」という言葉がでてきます。その言葉の通り細工師が時間をかけて装飾品を仕上げるように君子は自ら研鑽しなければならないといった意味をもつ文章ですが、そこから時を経て前述したような励ましあって競うという意味の四字熟語として使われるようになりました。故事成語の中でも割とよく目にしたり、使ったりすることが多い四字熟語だと思います。私も学生時代の部活や勉強を頑張っていた時代を言葉で表そうとすると、やはりこの「切磋琢磨」が一番適切で便利な表現だと感じます。とても爽やかでありながらバイタリティを感じる四字熟語なので座右の銘としている人も多くいるほど、人気の四字熟語です。

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是是非非

【漢字】是是非非 【読み】ぜぜひひ 【意味】善悪の判断を公平にする。 【例文1】是是非非で話し合うつもりだ。 【例文2】是是非非のジャッジが求められる。 【例文3】是是非非の判定を行う。 「是是非非」は、あまり聞き覚えのないことばですよね。意味として公平な立場で良い悪いを判断することです。 意味合いが違いますが、この言葉を聞いて最初に思い浮かべのがプロ野球の審判についてでした。想像以上に激務である審判の職業ですが、最近誤審が多いと騒がれているようです。球団によってストライクゾーンを変えていると噂があったり、頑なにビデオ判定を積極的に導入しなかったりと公平であるべき審判に対して疑念を持つ野球ファンは少なくありません。もちろん噂ではあるので真実ではないと思います。しかし、スポーツの審判は公平なジャッジが求められるので、審判団には頑張ってほしいです。 もっと公平さを必要とするのが裁判員だと思います。場合によっては無実の人間を死刑にしてしまう可能性もあります。シドニールメット監督作品の名作映画「12人の怒れる男」でも、有罪が確実視されていた少年を陪審員全員で話し合い、公平に審議することで少年の無実を主張することになります。 世の中は理不尽と言われる理由には、公平に判断できる人間が少ないこともあるのではと考えてしまいます。難しいことですが、もっと物事を公平に見ようとすることが大切です。

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世間の口には戸は立てられない

【漢字】世間の口には戸は立てられない 【読み】せけんのくちにはとはたてられない 【意味】世間の噂は防ぎようがない。 【例文1】悪い噂ほど世間の口には戸は立てられない。 【例文2】ネットで拡散され世間の口には戸は立てられない。 【例文3】世間の口には戸は立てられないので言動は慎む。 世間の口に戸は立てられないとは、家の戸を閉めるように、人の口の戸を閉めることはできないという意味です。ここで言う、立てるとは戸などを閉めることを言います。つまり、世間の噂が広がっていくのは、どうにもしようがないと言うことです。 一つの噂話が出てくると、いくら否定をしたところで、それはあっという間に広がって行きます。むしろ、否定をした方が広がるのは早いかもしれません。このことわざは、噂話というのは、一度出てくるともう止めようがないので、そんな噂が出ないように、身辺に注意しましょうということなのです。 昔から言われていることですが、最近ではネットが発達しましたから、さらに早く広がるようになりました。政治の話から芸能界のゴシップまで、あっという間に広がります。たった1枚の写真から、今まで築きあげてきた全てが崩壊することすらあります。こんな時代ですから、自分の身辺には十分注意を払い、小さな噂も出ないようにしておかなくてはいけません。自分が、普通の人間だからという安心感は、今の時代には通用しません。どこで、写真を取られネットにアップされるかもしれないのです。その写真に有名人でも写り込んでいたら大変です。気を緩めることをせず、毅然と生活しましょう。

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堰を切る

【漢字】堰を切る 【読み】せきをきる 【意味】溜まっていたものが溢れ出る。 【例文1】受験に合格して、家族みんなが堰を切る。 【例文2】厳しい先生だったけど、卒業式では堰を切るように涙が溢れた。 【例文3】新郎のスピーチに堰を切る。 堰を切るとは、川の流れが堰を壊してあふれ出る事をいいます。台風の大雨の時などに、堤防が切れて街へ水が押し寄せるように流れ込む状態です。この様子から、押さえられていたものがどっとあふれ出る事を言う言葉になりました。 堰と言う字に関を当てたものは、意味合いから間違いになります。関所を破るのではなく、水が堤防を壊して流れ込むのですから。 この言葉は、多くの場所で使われます。やっと、会えた恋人に涙が堰を切ったように流れ出すなどと、小説には書かれることでしょう。 何かを話していて、相手の人に言いつのられ、全く口を挟む事ができなかった、ほんのちょっとした隙に言葉を挟むことができ、堰を切ったようにしゃべり出す等という場合もあります。また、何があってもじっと我慢をしていた人が、ある事をきっかけに堰を切ったように、心のたけをはきだすかもしれません。まだ何もしゃべれない赤ちゃんは、堰を切ったように泣き叫びます。 このように、堰を切るという言葉は、何かがほとばしるように流れ出すことを言うのです。自分の感情をこのようにはき出せる人は幸せかもしれません。しかし、その後相手の人と同じようにおつきあいできるかは保証の限りではないのです。堰を切るには十分考えてからにしましょう。

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赤貧洗うがごとし

【漢字】赤貧洗うがごとし 【読み】せきひんあらうがごとし 【意味】貧しくて洗い流したかのように家財道具が何もない様子。 【例文1】彼の家は殺風景というより赤貧洗うがごとし。 【例文2】生活苦で部屋が赤貧洗うがごとし。 【例文3】独り身で赤貧洗うがごとし。 別に帳簿の終始結果が赤字で真っ赤という状態から出来た言葉ではないです。 「真っ赤な嘘」が「あまりにも明らかな嘘」という意味になるように、明らかに貧乏な状態が赤貧です。 大洪水だと土砂などが残りますが、資産価値がありそうな品は何も残りません。 ただ負債だけが残され何も残らない洗い流された状況こそ、すなわち洗うがごとしの意味するところです。 赤貧洗うがごとし、この言葉を見聞きすると田中正造を思い出さずには入れません。 かの人物を指して表現する言葉ならば清貧が妥当なのですが、彼が救おうとしたのはまさに赤貧に喘ぐ人々です。 鉱山から流された鉱毒により、山も川も村も人すらも洗い流されてしまうような蛮行が実際にあったのです。 利を求める姿勢は誰でも多かれ少なかれあるものですが、周囲に損害をばら撒いて知らぬふりは論外でしょう。 鉱山で儲ける為に、周囲の村人の生活を切り捨る判断をした同時代の政治家はどれ程いたのかと思うと苦々しい思いでいっぱいになります。 そしてそのような産業優先の姿勢は今も尚続いていると言わざるを得ません。 科学的な関連性が明らかでない、などという言い訳は憤慨に値するものです。 現在の迷惑も将来の最悪も全く顧みない欲得に塗れた行動は、人々の生活を赤貧に追い落とす濁流のように映ります。 一時の利益に囚われて長く大きな負債が帳簿に記載されないことを願って止みません。

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関の山

【漢字】関の山 【読み】せきのやま 【意味】これが精一杯という意味。 【例文1】1日1ページ問題を解くのが関の山だ。 【例文2】1ヶ月の娯楽代は1万円が関の山だ。 【例文3】50m走るだけで関の山だ。 関の山という言葉は、精一杯やってもこの程度にしかならないというような時に使っています。 予測を立てる時の見通しで、あまり期待できないような時が多いかもしれません。 また、関の山の前にせいぜいという言葉を入れることも良くあります。 「せいぜい関の山だ」という感じで使っています。 これはあくまでの今の時点で考えられる未来予測です。 その為、今の状態が良ければ、未来予測ももっと良いものになります。 関の山は諦めの気持ちが少し入っているので、少しネガティブな表現にも捉えられるかもしれません。 できれば、いつも関の山だと諦めてしまう前に、そこからもっと良い結果を出していくためにはどうすれば良いかを考えていくようにしたいものです。 私もさまざまな計画を立てる時に、ある程度の未来予測を行います。 しかし、計画のほとんどがそのように行ったことはありません。 すぐに不都合が生じてきてしまい、その結果、計画を変更しなければいけないことばかりです。 しかし、計画を変更したことで、前よりも見通しが明るくなることもあります。 最初は「せいぜい関の山」だと思っていたことが、予想以上の結果を出すこともあるのです。 先のことはわかりませんし、予想外になることの方が多いようです。

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席の暖まる暇もない

【漢字】席の暖まる暇もない 【読み】せきのあたたまるいとまもない 【意味】椅子にずっと座っていれば椅子があたたまってくる。ずっと座っている暇もなく、とても忙しい様子。 【例文1】席の暖まる暇もなく仕事に追われる。 【例文2】主婦は家族の世話で席の暖まる暇もないのだ。 【例文3】席の暖まる暇もなくクレーム対応に追われる。 「席の暖まる暇もない」(せきのあたたまるいとまもない)ということわざの意味は、文字通り席が暖まらないほど忙しく、動き回っている様子を表す慣用句です。あまり聞き慣れることのない慣用句のように感じますが、初見でも何となく意味がわかりそうな慣用句ですよね。学生、社会人、主婦の方でまさにこの状況に陥っている人も沢山いらっしゃると思います。学生の方はテスト勉強や学校行事、社会人の方はプロジェクト納期や締め切り、主婦の方は育児や家事など色々あり、「席の暖まる暇もない」状態ですよね。今、世間を賑わすような芸能人の不祥事や刑事事件が相次いで起きていますよね。不祥事を起こした当事者ではなく、関係者の方は記者会見の用意やマスコミへの対応等の色々な対処を取ることに席の暖まる暇もない状況を迫られることが多いでしょう。「席の暖まる暇もない」の同義語として、「東奔西走」(とうほんせいそう)や「猫の手も借りたい」(ねこのてもかりたい)などがあります。対義語として、「暇を持て余す」(ひまをもてあます)や「手持ち無沙汰」(てもちぶさた)などがあります。人生の中で、「席の暖まる暇もない」時期ということもあってもいいと思いますが、永久にといわれると嫌になりますよね。 席の暖まる暇もないくらい、忙しい時はあります。 1か所に落ち着いていられないほど忙しい、という状況を表す言葉です。 例えば、朝から夜まで打ち合わせが続くと、席にも座れません。 さらにこのような打ち合わせばかりの状況ですと、自分の仕事が全くできない場合があります。 さらにこのような状況が続くと、自分の仕事が動かせられなくなり、最悪、残業が増えていきます。 したがいましてらタイムマネージメントが非常に重要になります。 タイムマネージメントをしながら、成果物を出して行くことは大変難しいのですが、少し工夫をすることにより、自分の時間を確保することもできます。 例えば、わざとスケジュールにデスクワークと入れていれば、会議招集もかかりにくくなります。 また、最近では企業のファシリティが充実し、集中ブースも設置されていたりしますので、集中的に仕事をこなす環境もあります。 さらに、在宅勤務やフレックス勤務、また仕事の場所にこだわらないテレワークなど、勤務スタイルが多様になっています。 いずれは会社という場所自体の提供もなくなるか、縮小傾向になると思います。 席の暖まる暇もない、というのはもしかすると将来には死語になる可能性も秘めていますね。

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清廉潔白

【漢字】清廉潔白 【読み】せいれんけっぱく 【意味】心が清く疑わしいところがない人。 【例文1】清廉潔白な彼氏を見つけた。 【例文2】清廉潔白な好青年だ。 【例文3】清廉潔白な結婚相手を探す。 「清廉潔白」は心や行いが清く正しく、私欲・不正などのうしろ暗いところがまったくないことです。「清廉」とは心が清く正しいこと、自分の利欲に心が動かされないこと。「廉」とは清く正しい。「潔白」とは心や行為の清く正しいこと。世の中にこんな人いるんでしょうか?と疑問に感じてしまいました。 心や行いが清く正しくありたいと努力している人はたくさんいらっしゃるでしょうし利欲に心を動かされない人もたくさんいらっしゃると思いますが私欲のまったくない人間なんていないんじゃないでしょうか。「私欲」とは自分一人の利益だけを考える気持ちと悪い意味もありますが私的な欲望を持つことという意味もあります。私的な欲望を持つことは悪いことなのでしょうか?私的な欲望がまったくないと人は成長しないと思います。美味しいものを食べたい・気に入った洋服を買いたい・旅行に行きたいなども私的な欲望ですよね。人は誰でもそんな私欲をいつも持っています。その私欲を叶えるために人は仕事を頑張ったりスキルアップのために資格を取得したりと努力します。頑張った仕事や取得した資格は世の中の誰かの役に立っていると考えたら良い意味での私欲を持つことはとても必要なことだと思います。

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青天白日

【漢字】青天白日 【読み】せいてんはくじつ 【意味】やましい所が全くない。疑いがはれる。 【例文1】青天白日を主張する。 【例文2】僕は青天白日だ。指紋でも防犯カメラでも調べればわかる。 【例文3】青天白日を勝ち取った。 青天白日とは、よく晴れわたった青空と輝く太陽の日の光を意味し、澄みきった青い空に太陽が光り輝く様子から、こころにやましいところが全くないことや、無罪であることが明らかになることを指します。白日晴天ということもあるようです。 『私はいつも青天白日だ』『はれて青天白日の身となった。何を言われたって気にすることなどない』といった使い方をします。素晴らしいけがれの無い人物をほめるのに朱子が使った言葉で、青天白日の出典は韓愈の『崔群与書』に「青天白日は奴隷も亦其の清明を知る」とあるのに基づいています。 この韓愈に由来する四字熟語は、中華民国の国旗に紋章としても使われています。国旗は、青天白日満地紅旗と呼ばれ、左上に描かれている青天白日の紋章が、中華民国の国章であり中国国民党の党章としても使われています。デザインされた当初の青天白日旗は、中国国民党の前身である中国革命同盟会の旗としてデザインされたものですが、のちに孫文が中華国民の国旗として併用しようとします。その際、日本の国旗である日章旗との類似性と、青天白日旗の色が質素で単調なことが指摘され、孫文が他に構想されていた国旗案の一つを参考に、赤地を加えて青天白日満地紅旗を完成させています。

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青天の霹靂

【漢字】青天の霹靂 【読み】せいてんのへきれき 【意味】快晴の青空に突然雷が鳴り響くことから、人が驚くような出来事が突然起きる。 【例文1】支店長が地方転勤を命じられた。社員一同青天の霹靂だ。 【例文2】あんなに仲良かった夫婦が離婚だなんて青天の霹靂だ。 【例文3】豪雨で家が流され青天の霹靂だ。 「青天の霹靂だよ~」この言葉は意外と会話の中でも使われる言葉です。青い空にの雷、雷鳴が轟く状態から転じてびっくりするような出来事のことをこういうようになりました。こういった慣用句とか言葉の意味を深く理解するために、この言葉を違った言い方で言い表してみるといいかもしれません。 そうですね青天の霹靂だよ~というのはネガティブな意味でもポジティブな意味でも使いますね。「予想外だよ!」とか「予想だにしなかった!」または「寝耳に水」なんかで言い換えることが出来ます。あとダチョウ倶楽部のネタの「聞いてないよ~」もある意味、青天の霹靂と同じ意味合いかもしれませんね。実際には打ち合わせでガッツリ聞いているとは思いますけれど。 青天の霹靂と言えば日本ではお米の名前で有名ですね。青森の特Aランクのお米の名前です。ブルーのパッケージも今までのお米にはなかった斬新デザインで目引きます。私はこの青森のお米のネーミングはすごく印象的でセンスいいなと思っていました。しかし意外にもこれが賛否両論だと聞いて驚きました。突然の雷が災害を予想させるとか悪いことの暗示ではないか?なぜこんなネーミングにしたんだ!といった意見が殺到したらしいです。メーカーにしてみればお米のネーミングに苦情が来ること自体が青天の霹靂だったかもしれませんね。

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急いては事を仕損じる

【漢字】急いては事を仕損じる 【読み】せいてはことをしそんじる 【意味】焦ると雑になったり失敗するので、急いでる時こそ、落ち着いてゆっくりした方がいい。 【例文1】遅刻すると思って慌てて家を出たら、階段から転んだ。急いては事を仕損じるだ。 【例文2】期限が明日に迫ったレポート提出に焦り、完成したものは誤字脱字が多かった。急いては事を仕損じる。 【例文3】未返信に気付き、急いては事を仕損じて送信先を間違える。 株取引を始めたばかりの頃の私は、どうしても利益が出せず悩んでいました。 その理由は簡単で、急いては事を仕損じる的な取引ばかりをしていたからです。 私はとても臆病で気が小さい人間で、株取引で少しでも含み利益が出ると、直ぐに利益確定をしたくなってしまいます。 なので取引の度に、ごくわずかな利益しか得る事が出来ていなかったのです。 毎回取引が上手く行って、利益ばかりが得られればいいのですが、世の中そう甘くありません。 取引が上手く行かない時には、当然含み損が発生してしまいます。 含み損が発生した時は、私の性格が災いして、損切りをする事が出来ません。 ですからいつも大きな含み損になってから損失を確定するので、損失ばかりが大きくなってしまうのです。 利益は小さいにもかかわらず、損失は大きいので、どうしても収益がマイナスに傾いてしまいます。 そんなある日、ネットのサイトで株取引は待つ事が大事という記事を見つけたのです。 含み益が発生した時は、じっくり待って含み益を大きくしてから利益確定をすべしと書いてありました。 これを見て私はこの取引をしようと思い、実際にやってみたのです。 そしたら徐々に大きな利益が得られるようになり、収支がプラスへと転じてくれるようになりました。 正に株取引は急いては事を仕損じるだなと、身を持って知りました。

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清濁併せ呑む

【漢字】清濁併せ呑む 【読み】せいだくあわせのむ 【意味】善人も悪人も受け入れる心が広い人をいう。 【例文1】父は清濁併せ呑む人で、誰からも慕われている。 【例文2】社長は清濁併せ呑んで更生した少年を雇う。 【例文3】優劣をつけず清濁併せ呑む。 清濁併せ呑むと言う言葉を知っているでしょうか。中々耳にしないのではと思いますが、覚えておきたい諺の1つです。意味はどんなに清らかな水も時により濁ってしまうし、人間にも清と濁とが混在しており濁を嫌ってばかりはいられない。場合によっては濁りに染まる必要もある。善人でも悪人でも、分け隔てず受け入れて包容力・度量を持とうという事です。この諺は哲学的な思想と結びつけることが出来るのではないかと思います。 人として生きて行く上で人間にしか、自分にしかできない素晴らしい物事は沢山有ります。しかしながら人間故に、避け難く酷いともとれる日々の行いも存在するはずです。清濁、光と影の部分があって当然ですが、その事実を理解した上で一個人がどういった選択を積み重ねて生きていくのかは、1つ重要なポイントでは無いでしょうか。私は自分の中で迷いが生じた時に、この清濁併せ呑むと言う言葉を思い出そうと思います。そして、汚れ役を買ってでも前に進もうと決心したいです。私が好きな漫画の一節に、良い子じゃ世界は救えないよと言う言葉があります。この言葉は酸いも甘いも経験した人間でなきゃ苦難は乗り越えられないと捉えられるので、清濁併せ呑むに通じると思います。

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正正堂堂

【漢字】正正堂堂 【読み】せいせいどうどう 【意味】態度や手段が正しく立派な様子。 【例文1】我が子の選手宣誓が正正堂堂としていて立派だった。 【例文2】両チーム正正堂堂とした勝負だった。 【例文3】入学式で正正堂堂歩く。 子どものころ親からよく「正正堂堂としなさい」と言われていました。 ズルはダメだよという意味もあるし、対等であることを道徳とすべきだし、特に異論はなく育ったのですが、社会人になり家庭を持った今感じることは 「本当に正正堂堂と勝負するのって良いことなのか」ということ。 テストや試験なんかだったら当然正正堂堂としていなければならないし、そうでなければ成り立たないけれど、社会に出てみるとアンフェアなことで溢れているのも現実だったりしますよね。 失敗を人のせいにして知らんぷりしたり、他人を陥れて自分が出世したり、気の弱い人にばかり仕事を押し付けたり。 大人になればなるほど「正正堂堂」としていられなくなってくる気がします。 そんな風に思っていた折、毎年恒例の夏の甲子園が始まりました。私も母校が予選の決勝まで進んだので、地元の試合会場まで足を運んだんです。 そこで目にした光景に胸が震えました。 必死にボールを追いかけこれまでの練習の日々の集大成を試合にぶつける球児たち、負けて涙するその帽子の下でも、戦った相手への敬意は忘れないスポーツマンシップ。 なんだか忘れていた大切なことを思い出させてくれたような気がしました。 大人になればなるほど、楽しようとしたり、ズルしようとしたりするけれど、でもみんな昔は「正正堂堂」、勝負事にも、人間関係にも、フェアにそれと向き合ってきたんですよね。「正正堂堂と勝負する」これは大人になったからこそ、常に心にあり続けなければならない言葉なんだなぁと思いました。

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誠心誠意

【漢字】誠心誠意 【読み】せいしんせいい 【意味】打算的な考えを持たず心を込めて対応する姿勢。 【例文1】お調子者で誠心誠意が見られないから信用できない。 【例文2】誠心誠意をもって妻に謝る。 【例文3】誠心誠意でボランティアに参加する。 ビジネスの場などで、「誠心誠意、努めてまいります。」ということを言う場面があります。相手に対して打算的にならず、真心をこめて対応する。という意味です。 仕事上の関係のみでなく、誠実さ、誠意をもって人に相対するということは、人間関係全般で大切なことは言うまでもありません。 しかしよく勘違いされがちですが、人の持つ「誠実さ」とは、その人の「資質」を表しているのではなく、あくまで「態度」だということです。「この人になら、自分は真心をもって尽くすことができる」と思えるような気持ちが、誠意という態度となって表れるのです。 それは相手が自分にとってどういう存在であるか、ということに尽きます。相手が自分の信用に足る人物、こちらの思いをちゃんと受け止めてくれる人物だと見込むからこそ、こちらもそれなりの態度で対応しなければならないと思わせるのです。 「やさしさ」や「思いやり」にも同様に言えることですが、人間の感情は、一般的に思われているよりもずっと「性格」ではなく「態度」を言い表しているものが多いように思われます。これは、もって生まれたものではなく(ごく稀に「誠意」や「思いやり」を資質として持っておられる方もいるようですが)、人間と人間の感情の相互作用によって生じる化学反応のようなものではないかな。と思います。 「誠心誠意、努めてまいります。」という言葉も、相手の誠実な態度を期待するばかりでなく、むしろ自身が相手の思いに応えられるように期待されているな。と感じなければならないのかもしれません。

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聖人君子

【漢字】聖人君子 【読み】せいじんくんし 【意味】身分が高く優れた知識・教養を持つ人。 【例文1】聖人君子に出会ってみたい。 【例文2】聖人君子を求めて婚活パーティに参加する。 【例文3】聖人君子を目指す。 聖人君子とは知識・徳望に優れた人のことだそうです。そんな人に会うことなんて滅多にありません。相手を褒める言葉かと思いきや、使い方的には「聖人君子でもあるまいし、固いこと言ってないで、一杯飲みましょう。」というような感じで、ちょっと皮肉っぽく使うことがおおいです。小説などを読んでいても皮肉っぽく使われている場合がほとんどです。日常生活でそれほど頻繁に使う言葉ではありません。今まで日常会話で使用したことないですね。四字熟語そのものを日常会話で使用することがそもそも少ないです。聖人君子というとイメージとして、なぜか聖徳太子が浮かぶのですが、聖の字つながりなせいでしょうか。聖人という字を見ると、キリスト教関係の言葉かと思うのですが、元々は論語からきた言葉だそうです。孔子は自分のことを聖人とは考えていなかったようでそうすると聖人君子にあたる人にはなかなか会えないということなのでしょうね。聖人君子というと、聖徳太子以外だと思い浮かぶのは宗教関係の人です。マザーテレサとか、ガンジーとかです。最高の人格者というとどうしても宗教関係の優れた人を思い浮かべてしましますが、語源から考えると少し違うのかなという気がします。

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精神一到何事か成らざらん

【漢字】精神一到何事か成らざらん 【読み】せいしんいっとうなにごとかならざん 【意味】精神を集中させて行えば何事もできない事はない。 【例文1】精神一到何事か成らざらんでパズルを今日中に完成させる。 【例文2】精神一到何事か成らざらんで受験勉強に励む。 【例文3】精神一到何事か成らざらんで今夜は徹夜だ。 「気持ちや精神を集中して事に当たれば大抵の事は成し遂げられる」という意味に使われます。元々は中国の思想家・朱子の語録が出典です。 似た表現に「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉があります。「心頭」つまり、心を滅却(失くせば)燃え盛る炎でさえ涼しく感じるものだ、というとんでもない根性論ですが、気持ちの持ちようで苦労も乗り越えられる、という程の意味です。 「精神一到何事か成らざらん」の「精神一到」とは精神を一つの事に傾ける・集中するという意味があり、一点に気持ち(朱子学でいう陽の気)を集める事の重要さを説いています。 同じ意味を持つ言葉に、「一念岩をも通す」や「雨垂れ石を穿つ」などがあります。いずれも一つの事に集中して事業や想いを貫き通す事を表す言葉です。 古来からこうした言葉がある背景には、途中で投げ出す事や中途半端なやり方を嫌う思考が感じられます。 「為せば成る、成さねばならぬ何事も」も途中で放棄する事を戒め、長期に渡る事業の成功方法を説く言葉ですが、「精神一到何事か成らざらん」には集中する事の重要性を説いており、より短時間で成果をあげようとするなら気持ちを散らす事なく目の前の事に当たりなさい、と短期戦での心構えを教えています。 「精神一到何事か成らざらん」とう言葉があります。「心を集中し、全身全霊を込めてことに当たれば、どんなことでも成し遂げられる。精神力さえあれば、どんな困難も乗り越えられる」という意味と解釈していいでしょう。 出典は中国の『朱子語類』で、「陽気の発する処、金石も亦透る、精神一到何事か成らざらん」の一説が独立して使われるようになったのです。ちなみに、「天地に強い陽の気が発すれば、金や石も突き通してしまうものだ」というのが、その前半の意味です。 精神論を述べるときによく使われますが、われわれが一番よくこの言葉を見聞きするのは、スポーツに関することでしょう。スポーツでは「心技体」ということがよく言われますが、その「心」の重要性を表現したのが、精神一到何事か成らざらんという言葉です。 実際に、スポーツシーンでこの言葉が体現されることがあります。2017年の大相撲春場所が好適な例でしょう。 新横綱の稀勢の里が「休場は免れないのでは?」と思われるような大きなけがをしながら、千秋楽の結びの一番と優勝決定戦に連勝し、奇跡の大逆転優勝をしました。あの気迫に満ちた二番こそ、まさに「精神一到何事か成らざらん」を地で行ったものと言っていいでしょう。 同じような奇跡の優勝を。貴乃花もかつて果たしています。力士生命にかかわるような大けがを負いながら、武蔵丸を倒した相撲は「鬼になった」と称されました。あの時の貴乃花も、精神力によって奇跡を起こしたということができるでしょう。

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晴耕雨読

【漢字】晴耕雨読 【読み】せいこううどく 【意味】晴れた日は田を耕し、雨の日は家で読書するという意味から思いのままのんびり生活すること。 【例文1】定年後の生活は晴耕雨読の暮らしが理想だ。 【例文2】母の定年後は晴耕雨読で温泉の旅が癒しだ。 【例文3】子ども達が巣立ち晴耕雨読の毎日だ。 「晴耕雨読」とは文字通り、「晴れた日は田畑を耕して働き、雨の日は読書に励む。悠々自適な生活」のことです。どうして悠々自適かというと、お金に苦労している家は晴れていれば外仕事ですが、雨の日には農機具の手入れや縄を編むなどの家でできる仕事をしなければなりません。雨の日に読む本が用意でき、読む暇がとれるということが悠々自適な生活の現れだといえます。 それでも子どもには晴耕雨読をさせたいと親たちは願います。その結果出世してくれればと。晴耕雨読の生活を送った人に野口英世や長塚節(ながつかたかし)などがいます。野口英世の生家は貧しく、小さい頃囲炉裏に落ちて火傷で指先が引っ付いてしまった野口英世ですが、手術するにもお金がありません。それを英世の担任の先生がお金を用立て、手術を受けさせてくれるのです。ただ、貧しい暮らしで、母は読み書きができませんでしたが、子どもの教育の大切さは承知しており、英世には雨の日には勉学に励むようにと言うのです。そして英世は理数系の科目が抜きんでてできるようになり進学し、科学者として研究に勤しむようになりました。長塚節は茨城県の豪農の家に生まれ、晴耕雨読に励み、茨城中学に進みますが、神経衰弱にかかり中退。その後正岡子規に師事し、伊藤左千夫らと「馬酔木」を創刊し歌作や歌論に活躍します。晩年最期の作品が傑作となりました。晴耕雨読の習慣が二人を成功に導いたのかもしれません。

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青雲の志

【漢字】青雲の志 【読み】せいうんのこころざし 【意味】高い位置につこうとする志。 【例文1】父は会社を拡張するために青雲の志を持ち続けています。 【例文2】息子が父の青雲の志を継いで事業を広げる。 【例文3】諦めなければ青雲の志は叶う。 「青雲の志」という言葉は司馬遷の記した「史記」に出てくる言葉です。青雲は青みがかった雲、あお空のことで高く超えた様子を表す言葉であり、「青雲の志」は空の高みを目指す、つまり立身出世をしようとする心、高い位につきたいという願望を抱くことです。「青雲の志」という言葉が一番ぴったりと来る人たちがいます。新選組の局長、近藤勇と鬼の副長、土方歳三です。彼らはもともと武士の生まれではありませんでしたが、農民でありながらも武士になることを夢見て、武芸を習い、学問をして機会を待ちます。土方歳三など少年時代に、武士になった時に使えるようにと弓矢を作るための竹を庭に植えていたといいますから用意周到です。そしてついに時来たりて将軍警護のための浪士募集に応じて京都へ向かいます。憧れの武士になる第一歩と思い、「青雲の志」を胸に江戸を出発していきます。彼らは若く、向こう見ずだったかもしれませんが、純粋に武士になりたいという願いが、彼らを武士道に邁進させていったのです。その背景には厳しい身分制度、「士農工商」や「上士、下士」、「譜代、外様」で名字帯刀の許しから、住む場所すら分かれていたという事情がありました。その時代に立身出世を望むには武士になるしかないと考えたのです。結果として近藤勇は大名の位までに上り詰めます。あの日の「青雲の志」は見事に叶ったのでした。

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