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手作り言葉辞典について

手作り言葉辞典では、ユーザーが疑問に思って検索してきそうな言葉の を載せています。 検索して調べてきそうな言葉とは、ここでは「ことわざ」「慣用句」「四字熟語」「故事成語」の4つになります。 それぞれの意味は下記の通りです。 古くから言い伝えられてきた、教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉。生活体験から きた社会常識を示すものが多い。 二語以上の単語が結合して、それ全体である特定の意味を表すもの。 漢字4字で構成される熟語。 故事をもとにしてできた言葉。特に、中国の故事からできた語。

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新しい酒は新しい革袋に盛れ

【漢字】新しい酒は新しい革袋に盛れ 【読み】あたらしいさけはあたらしいかわぶくろにもれ 【意味】新約聖書より新しい思想を表現するにはそれに応じた形式が必要。いつまでも古い形式にこだわってはいけないという教え。 【例文1】新しい酒は新しい革袋に盛れと言うし、これからは膨大な量をパソコンで管理する。 【例文2】写真の保存は増える一方。アプリで新しい酒は新しい革袋に盛れ。 【例文3】手書きは遅い。新しい酒は新しい革袋に盛れの時代だ。 大手製造会社の隠ぺいやデータ改ざん問題など、ものづくりの現場で相次ぐ不正が発覚し、品質に対する国内外の信頼が揺らぐ事態に発展しています。 不正発覚後も改ざんを行う工場があるなど、企業のトップと現場の間では対応に温度差があり、他の企業での同様の不正が見つかっていることから氷山の一角なのではないかという不安の声も広がっています。 同様の不正が1社だけではなく日本を代表する複数の企業の間で行なわれていたことが明るみになったことで、高度経済成長などを経て日本を支えてきた日本の技術力や品質というものが、少子高齢化社会に突入したことによる働き手が不足などもあり、さまざまな場面で食い違いやほころびが見え始めているのではと感じています。 「新しい酒は新しい革袋に盛れ」とは、新しいことを行う際には新しい形式でもってやるべきであるという意味のことわざですが、長時間労働が問題となり「働き方改革」という言葉が聞かれるようになりましたが、それでも生産性だけは維持しようとする矛盾のような構造の中で発覚した今回の不正問題を見ていて、時代が移り変わっても古いままの革袋を社会全体で新しい革袋に取り替えるタイミングに来ているのではないかと思います。 昔老人ホームと言ったら町の措置で入所していました。老人ホームと言うか養老院と言われていた時期がありました。高齢者は老人ホームに入れられると言う思いがありました。老人ホームも山奥のひっそりとした所にほそぼそとあったようです。日本は超高齢社会になり、2000年に介護保険制度が出来ました。その頃から老人ホームが変わりました。新しい酒は新しい革袋に盛れです。今までのやり方では高齢者の受け入れ先がありません。多くの企業が老人ホーム経営に乗りだしました。そして老人ホームは措置の時代から介護保険制度の施行で契約の時代になりました。今までの老人ホーム経営ではもはややっていけません。新しい酒は新しい革袋に盛れであり、主役は高齢者になりました。老人ホームは知恵を絞って多くの気持ちになります企業が参入しました。そして今では過去の老人ホームのイメージは払拭されて、新しい酒は新しい革袋に盛れで各企業は競って高級老人ホーム経営をしています。今では高齢者の産業は大きく成長しました。各企業は高齢者獲得に色々工夫して高級ホテル以上の法人もあります。入居金が1億と言ったところも出てきています。この業界は新しい酒は新しい革袋に盛れです。

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恩を売る

【漢字】恩を売る 【読み】おんをうる 【意味】見返りや利益を期待して人を助ける。 【例文1】落し物を届けて恩を売る。 【例文2】あざとく恩を売る。 【例文3】見返りを期待して恩を売る。 人助けをするときは、恩を売る人と無償で行う人とに分かれます。ボランティア活動などは見返りを求めないで人助けをしていくので、恩を売るのとはちょっと違います。恩を売るのはこれをしてあげたから何々をよこせという状態です。ビジネスならしてあげたことに対して対価を要求するので恩を売るのは当たり前です。 しかし相手が恩を売られるのを知らないで、何かをしてあげたあと恩を売ってしまうとトラブルの原因となってしまいます。親しい友達同士で恩を売ると仲間割れしたり最悪喧嘩になることもあります。恩を売るときは相手方に事前に見返りを求めることを伝えておくことが大切です。忘れた頃に恩を売る人もいます。何年も前にしてもらったことなど普通は忘れてしまいます。でも恩を売るような人はいつまでも覚えているものです。人間というのはしてもらったことは簡単に忘れ、してあげたことは恩を売るまで覚えているものです。何年も前にしてあげたことで恩を売られると頭にきてしまいますが、してもらったときにお礼だけでいいのか、恩を売られないように何かお返しをした方がいいのか、相手によってよく考えておいた方がいいかもしれません。恩を売らなくても、回りまわっていい結果は付いてくるので無償の思いやりで接してあげることが大切だと思います。

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恩を仇で返す

【漢字】恩を仇で返す 【読み】おんをあだでかえす 【意味】恩恵を受けたのに感謝もせず危害を加える。 【例文1】長年面倒見てやった部下がヘッドハンティングであっさり退職して恩を仇で返す。 【例文2】料理レシピを盗み恩を仇で返す。 【例文3】会社の金を横領をして恩を仇で返す。 「恩を仇で返す」とは、ご存知の通り「恩を受けた人に対して、感謝するどころか害を与えるような仕打ちをする」という意味です。 誰しもが一度は、恩を仇で返された経験があるのではないでしょうか。 そこで今回は、恩を仇で返す人の心理について紹介していきます。 一般的な良識のある人ならば、誰かに恩を受けたら感謝をし相応のお礼をするものですよね。 しかし、中には無礼な人もいるもので、びっくりするほど恩を仇で返してくる人もいます。 恩を仇で返す人は、「自己愛」が強い人が多いです。 そのような人は、自分のことしか考えておらず相手の気持ちを考えられないため、 何かをしてもらったり助けてもらっても感謝するという行為ができないのです。 また、それとは逆に「心が愛情で満たされていない」人もまた多いです。 どういうことかと言いますと、人は心が愛情で満たされていれば同じように他人に愛情を 与えようとするものです。 しかし、愛情で満たされていない人は心に余裕がないので、他人に愛情を与える余裕がありません。 その結果、誰かに何かをしてもらっても何もしない、むしろ害を与えるなどといった 恩を仇で返すようなことをするのです。 ここまで、恩を仇で返す人の心理について紹介してきましたが、 そのような人とはどのように付き合っていけば良いのでしょうか。 それはずばり、見返りを求めない「無償の愛」を与え続けることです。 そうすることで、相手の心が徐々に愛情で満たされ、次第にこちらにも愛情を与えてくれるようになるでしょう。

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恩に着る

【漢字】恩に着る 【読み】おんにきる 【意味】人から受けた恩に感謝する。 【例文1】不良グループに絡まれた所を助けてもらい恩に着る。 【例文2】アリバイを証明した目撃者に恩に着る。 【例文3】助かった。恩に着るよ。 恩に着るとは人から受けた恩恵をありがたく思うことです。 私も恩に着る体験をしました。九州は年に1回あるかないかってくらいしか雪が積もりません。雪が積もるとそれは大変です。交通機関がマヒして学校も休校になったり冬使用のタイヤでないため誰もがゆっくり車を運転します。坂道には時には車が乗り捨てられています。スリップの恐れがあると判断して置いて帰ったのでしょうね。まあ翌日昼にでもなれば溶けますからね。 そんな私も雪が降った日、初めて運転しました。前日に駐車場前と車に降り積もった雪をかき落としたのが失敗でした。朝凍結してるではありませんか!ふりはらおうにも道具もなく素手でかち割ってみましたが、カチコチでどうにもなりません。動かそうにも積雪にはまって時間もなくなってきてあたふたしていました。 すると通りかかった方が車に中から工具を持ってきて雪をどかしてくれました。 初めてごとだったのでおじさんに恩を着る思いでお礼をいうと 翌朝や夜中に温度が下がると凍結するのでこんなに盛ってはだめだという教えをいただきました。

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恩に着せる

【漢字】恩に着せる 【読み】おんにきせる 【意味】相手のためにしたように見せて相手にありがたいと思わせる。 【例文1】1万円貸したことをいつまでも恩着せがましく言ってくる。 【例文2】見返りを求めて恩に着せる。 【例文3】意図的に恩に着せる。 親切とは何でしょう。その人に優しくしてもらった、その人がいたおかげで助かった、と思ってもらえる行為だとは思います。しかし、これが行き過ぎ、恩に着せるぐらいのレベルになると、逆にうっとうしさが表に出てしまい、親切ではなくなってしまいます。 親切は自然に行うものです。さりげなく行うからこそ、感謝されるのであって、見返りを求めた親切は過剰となり、相手からもそれを見抜かれてしまいます。そうならないためにも、深追いはせず、自分のできることだけを行っていけば心地よい親切として、相手も受け取ってくれるのではないでしょうか。 親切と過剰すぎる親切が、どこでラインが引かれているのかは誰にも見えません。それに、親切を受けている人の違いによってもラインは変わっていきます。これを計算して親切な行為を行うのは非常に難しいですが、実行しないと後でよからぬ噂が立ってしまうことがありますし、特定の人にだけ親切にしてしまっていると、これもまた批判の的となってしまいます。 万人に向け、自分のできる範囲での親切は非常に人間として魅力的に見えますが、人によっては「大きなお世話」ととらえられることもあります。 しかし、親切にするという行為は大切なことですので、心掛けていきたい行動です。誰かが「あの人は親切」というレベルで感じてくれていることを信じて。

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音頭を取る

【漢字】音頭を取る 【読み】おんどをとる 【意味】先頭に立ってまとめる。 【例文1】結婚式で社長が乾杯の音頭を取る。 【例文2】新年会のあいさつの音頭を取る。 海外文化(外人の参入)により、多少は改善されてきたとは思いますが、日本人は音頭を取るということに積極的ではありません。 昔からの文化なのでしょうか。率先して前に出ることを嫌います。逆に、率先して前に出る人はとても重宝されます。重宝されるとわかっていても、自分自ら音頭を取るということをしようとはしない人が大半です。 そのくせ、その音頭を取っている人が気に食わなかったり、自分の心の内に秘めた思いと違う方向に話が進むと、陰口をたたき、あたかも「私はかわいそう」的にふるまい、同情を買おうとします。 先頭に立って音頭を取ることは並大抵の力ではできません。それが大きな母体になれば、身を粉にして働いても追いつかない場合もあります。それを率先して引き受けてくれた人は、責任感があり、頼りがいのある人間でこそあれ、陰口を叩かれる必要はないと思います。そこまで陰口いうのであれば、あなたがやってみろとも言いたくなります。 最初に音頭を取る人を決めるときはそこにいる全員が並列です。決まった後に上下関係ができただけです。陰口を言う人も最初は並列だったわけですので、音頭を取る人間になるチャンスがあったはずです。それをせずに逃げたわけですので、ちゃんと支えあって、助けていくのが筋ではないのでしょうか。

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温故知新

【漢字】温故知新 【読み】おんこちしん 【意味】過去の事を学んで、新しい発見をする。 【例文1】歴史から温故知新を知る。 【例文2】温故知新を祖父から学ぶ。 【例文3】温故知新を受け継ぐ。 昔学校で「温故知新とは古きをたずねて新しきを知る」と習った記憶があります。 この場合の「温」がたずねとされているのは孔子の時代、時間を掛けてじっくり皿の上で煮物をする所から、そうなったらしいです。かつて学んだ事をもう一度見直せば、そこからまた新たな発見が見付かるという教えであります。 子どもの頃は何ともわかったような、そうでないような気分にさせられました。 人間にとって学びはとても重要な作業であり、その作業を経て知識が身に着くのです。学びが多ければ多い程、知識はより深まり物事を多角的に見る事が容易になってきます。中途半端な知識は却って正しい推察を邪魔する事もあり、下手な思い込みを招く場合があるので充分注意する必要があります。 学びの過程で幾度となく息詰まる時があって、どうにも良い打開策が見つからない事態に陥った時こそ、温故知新の出番と言えます。それまでの蓄積された知識や学んだ経験を改めて見直す事で、見えていなかった何かに気付けるかもしれません。

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尾を引く

【漢字】尾を引く 【読み】おをひく 【意味】物事が済んだ後まで影響する。 【例文】保険の契約が取れず、ボーナスに尾を引く。 【例文】スキャンダルが尾を引く。 私は仕事の仲間とある時くだらないことで完全に人間関係を崩してしまった時があります。自分が相手にされてないと言う被害妄想に陥りました。そして相手と相手の仲間を自分から一線をおく状態にしてしまいました。完全に自分から作った仲間外しに喰らったわけです。会社では孤立してしまい。仕事に行くことも怖くなりました。理由を作っては会社も休みがちになってしまいました。それが尾を引いて上司からも見放された状態になったのです。半分クビ状態になっていました。怖くなって反省した自分は皆の前で深く謝罪をしました。貯めていたお金で奢ったりもしました。しかし一度仲間外れになったが尾を引きました。もう昔の仲の良かった時の様には戻りませんでした。極端な仲間外れやいじめはなくなりましたが、わきあいあいと仲の良かった時の様には戻りませんでした。向こうも一度自分が仲間に対して一線を引いたことも覚えていますし、私も許してもらったとは言え前のような楽しい会話は出来なくなりました。尾を引いたことは私を人間不信にさせました。精神科に行って安定剤を処方されました。今なお人間関係が極端に下手になり、今の職場でも苦労しています。今後、自分の蒔いた種は自分で解決していきます。

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折り紙付き

【漢字】折り紙付き 【読み】おりがみつき 【意味】確かな品質の保証がある。 【例文1】折り紙付きのブランド品を買う。 【例文2】折り紙付きの商品を宣伝する。 【例文3】折り紙付きの恋人を親に紹介する。 「折り紙付き」の折り紙はあの折り紙ではない? その言葉の意味や使い方はわかっているのに、実はその言葉の一部を誤解しているというケースがあります。「折り紙付き」という言葉も誤解されやすい言葉ではないでしょうか。 用例としては「あの寿司屋のネタのグレードは折り紙付きだ」、「このメーカの機能性の高さは折り紙付きだからおすすめしますよ」、「彼の営業力は折り紙付き」というように使われます。 かんたんに言うと「品質保証されている」とか「本物だ」という意味と考えていいでしょう。 ところで、この「折り紙」を、紙を折って遊ぶ折り紙だと思っている人は少なくないのではないでしょうか。それは、間違い。この折り紙は、鶴など折って遊ぶ折り紙遊びとはまったく縁がありません。 折り紙付きの折り紙は、紙を横半分に折ったもので、文字が書かれています。平安末期に公式の文書や、ものを贈る際の目録として用いられたのが始まりだとか。 それが、江戸時代になると、高価な美術品や刀の鑑定書として使われるようになりました。ここが、ポイント。今でも掛け軸や茶器などには、「これは間違いなく雪舟の絵ですよ」というような鑑定書がついていることが少なくありません。 これが、つまり「折り紙」なのです。意味や使い方は間違っていなくても、「折り鶴の折り紙」だと思っているというケースは少なくないはず。知っていると、ちょっと人に教えたくなるマメ知識ではないでしょうか。 公私のどちらであっても良いのですが、折り紙付きの実力者ともいえるような人に出会ったことはありませんか。時折テレビなどでも、信じられないような芸当を持つ人が出てきますよね。では皆さんに考えていただきたいのですが「音楽に関する凄い才能」といわれると、どんな人を思い浮かべますか。 「音楽に関する凄い才能」といわれると、絶対音感を想像する人がいるでしょう。もちろんそれも凄いですが、中には「一度聞いた曲をそのまま再現できる人」もいます。たとえばその場で曲を流したら、その曲のメロデイをピアノで弾くような人のことです。しかもただメロディを弾くだけではなく、メロディに適した伴奏も弾ける場合だってあります。メロディなら絶対音感を持っていなくてもなんとなく再現できる人はいますが、伴奏もあわせるとなるとかなり大変な作業です。それに絶対音感を持つ人でも、伴奏をあわせるというのは難しいことですし、作曲をするときもどんな伴奏が良いかで、悩む作曲家の人もいるくらいです。つまり「一度聞いた曲をそのまま再現できる人」とは、音楽関連でいえば折り紙付きの実力者といっても過言ではないと考えられるでしょう。 このように折り紙付きの実力者というのは、信じられないような能力を持っていますよね。ですがどんな人であっても、もしかすると凄い力が秘められているかもしれません。まだ知らないだけで、自分にも凄い才能があるかもしれませんよ。

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親はなくとも子は育つ

【漢字】親はなくとも子は育つ 【読み】おやはなくともこはそだつ 【意味】親がいなくても子どもはどうにか育って成長するものだから、そう心配する事はない。 【例文1】1週間も不在で子どもたちの事が心配だけど、親はなくとも子は育つというだろ。大丈夫だよ。 【例文2】いつまでも世話する必要はない。親はなくとも子は育つものだ。 【例文3】片親だろうが親はなくとも子は育つものだ。 親がいなくなっても、子はなんとか育っていくものである。世の中のことはさほど心配したものではないというたとえ。(出典:大辞林 第三版) 日本における離婚件数は年々増加の一途をたどり、離婚経験率は将来30%近くなると予想されています。 離婚などわけあって片親で子育てをしている方も少なくありません。自分が離婚したせいで、子どもからお父さんもしくはお母さんを奪ってしまったと罪の意識がある方もいるでしょう。 そんな方には、この言葉はとても救われるのではないでしょうか。 離婚していなくても、両親共にフルタイムの共働きで、0歳の頃から保育園に通っている、そんなケースも今は多いですね。保育園の待機自動問題が大きく取り上げられる昨今、それだけ共働きの家庭が多いということです。 特に母親の役割は子育てにおいて父親より比重が高いと思われています。ずっと保育園に預けっぱなしで子どもと向き合ってあげる時間がないと日々反省している母親が多いと聞きます。 でも、子育ては親だけがすることではありません。保育園、幼稚園、学校。様々な環境の中で子どもは育っていきます。子どものしつけを園や学校に丸投げするのは決していけませんが、親が全ての子育てを行わなくてはと気負う必要もないのです。 仕事に子育てに、シングルマザーや共働きの母親には負担がとても大きくのしかかります。親はなくとも子は育つ、この言葉を支えに、思いつめずに肩の力を抜いて子育てできたらいいですね。

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親の光は七光

【漢字】親の光は七光 【読み】おやのひかりはななひかり 【意味】親の高い社会的地位や名声によって子どもが恩恵を受ける。 【例文1】親の光は七光に頼る。 【例文2】2世タレントは親の光は七光だ。 【例文3】親の光は七光をあてにする。 親の声望、威光によってその子は世間から色々な恩恵に浴する事ができ、親の余沢は限りなく有り難いものであるという意味の親の光りは七光。私の親から聞いた話では小学生の頃は家が裕福かどうかで先生の態度が変わっていて如実だったそうです。裕福では無かった私の親は生徒間でトラブルが起きて自分に非が無い場合もかばってもらえなかった事で先生というものが苦手になってしまった経験があり、親というものが子の判断基準になってる感じに寂しくなりました。 またこの言葉の真意には恩恵だけではない、七光であるが故の苦労を芸能界を見て感じています。2世タレントさんが活躍されてるのを見る機会がとても増えたなと感じる昨今ですが、親と比べられるのが避けられないですし、紹介される時も家族の事を挙げられるのって中々大変だと思っています。プライベートの事を話してくれると自分で買った物なのに親からだと勘違いされたり、家族に有名人が居るのを伏せてオーディションに挑んだ等を聞いて2世と言われる難しさを感じれました。なのでもうオープンに自分の親の事とかを話して対応しているのを見ると強いなと受け入れて頑張ってるんだなと応援したくなります。私の場合良いなと思った役者さんが後で親があの人だったと知る事もあるので決して親の七光だけで決まる訳じゃないとも思っています。

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親の脛をかじる

【漢字】親の脛をかじる 【読み】おやのすねをかじる 【意味】社会人になっても一人で生活できず親に養ってもらう者。 【例文1】いつまで親の脛をかじる気だ。 【例文2】親の脛をかじらず自立する。 【例文3】引きこもって親の脛をかじる。 親の脛をかじるとは、親の資産・力で何も苦労せずに生活している様子を表す時に多く使用される言葉です。自分の力では生活できないことを意味しますが、現代では生活できる精神や気力があっても、それでも親の脛をかじるというイメージが定着していると思うのです。 ニートといった方が増えている一方で、働く意思を見い出せない方が増えているのも事実。そのような人種をメディアが批判するのに最も使われる言葉でもあるでしょう。親の資産を食いつぶしている環境に疑問を抱く方もいますが、世間の多くは何故親の脛をかじるような生活になってしまったのかを考えず、一方的に当事者を批判する傾向があると思うのです。 決して当事者は、親の脛をかじるような生活がしたい方ばかりではなく、社会的な要因や何か複雑な原因があるかもしれません。世間でイメージされている脛かじりはhぉ油面的なことばかり見られていますし、もっと原因を追究する動きが一つもないことが恐ろしく感じます。 たしかに働かず親に頼る生活は、他者から見れば異常に映るでしょう。ですが必ずしも当事者が望んでそのような現状になったとは限りませんし、非難するだけして解決策を一緒に考えない事柄が多すぎだと思いますね。 良い年して未だに親の脛をかじる旦那にいらつくというか、うんざりしています。 旦那の実家はシングルマザーなのですが、その義母がすごい方で不動産などいくつか持っている資産家です。旦那がまだ小さな頃は生活が貧しい頃もあったらしいのですが、物心ついてからはかなり裕福な生活を送ってきたようです。 旦那はその生活が未だに抜けず、かなり金遣いが荒いです。高級取りの旦那ならそれでも文句を言わないんですが、旦那ははっきり言って安月給。20代後半になりますが未だに新卒以下の給料です。 それなのに携帯ゲームで何万も課金するは、外食する時は高級店でないと嫌がるは給料に見合った生活をしようとしません。それらの支払いは全て義母の家族カードです。 そうでなくてもマンション購入の頭金や、住宅ローンの支払いなどかなり援助してもらっているのにどれだけ親の脛をかじるのか、もううんざりしています。 普通に考えれば旦那の給料で生活していけないレベルなのにそれに気づかず散財しまくり。旦那は「親なんだから甘えられるところは甘えるべきだよ」なんて言ってますが、そのレベルではないと思います。 自分が安月給って自覚はあるのか、ないのか。本当に情けないです。いい加減親の脛をかじるのをやめてほしいです。

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親の心子知らず

【漢字】親の心子知らず 【読み】おやのこころこしらず 【意味】親が子に注ぐ愛情など知りもせず、自由気ままに振る舞う。自分も親になってみないと親の本当の気持ちはわからないもの。 【例文1】親の心配をよそに親の心子知らず。 【例文2】親の心子知らずとはまったくその通り。 【例文3】親になって親の心子知らずの真意がわかった。 私が若い頃、両親から親の心子知らずと言われることがありました。 言われている立場の時は、いまいち心に響きませんでしたが、自分が親になり言う立場になってその言葉に意味を感じます。 子どもの頃は、親から注意や指摘をされると、嫌な気持ちしか感じず思春期の場合は、反感の気持ちになりがちです。 ただ、親の理想通りのことをやっている子どもは一般的にいなくて、親の言いなりの方が将来に不安を感じます。踏み外してはいけない道は、親の言う事を聞くべきだと思いますが、それ以外は親の心子知らずでも仕方がないと思っています。 自分の子とはいえ、考え方や価値観、夢などが違うので、親の理想を子に言う事は押し付けていることになると思います。 私の家でも、妻が高校生の娘に対して毎日のように、注意をしたり生活習慣の見直しをするように指摘したり、口喧嘩したりと大変賑やかですが、妻の理想が高過ぎると思っています。 私が娘と話をすると、将来についてしっかり考えていて、夢もありその夢を実現する為の計画も立てているなど、以外としっかりしていることにびっくりしました。 それを考えると、見た目が親の理想通りの行動をしていなかったとしても、見守るくらいの距離感が必要だと思いました。

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親の似ぬ子は鬼子

【漢字】親に似ぬ子は鬼子 【読み】おやににぬこはおにご 【意味】親に似ない悪い子は鬼の子だと幼児を叱るときに使う。 【例文1】言いつけを守らない子どもは親に似ぬ子は鬼子だよ。 【例文2】親に似ぬ子は鬼子と子どもを脅す。 【例文3】誰だー!言う事を聞かない子は?親に似ぬ子は鬼子だよ。 親に似ぬ子は鬼子とは主に幼い子どもにしらしめる時に使います。 「そんなに言うこときかない子は鬼の子だよ~」と世のお母さんがおどかしている想像が目に浮かびます。 鬼という言葉がつくことわざは鬼は強いとか怖いイメージがありますからね。 私には子どもが2人います。下の二男がわんぱくで実家に行くと仏壇がある床の間にまず手を合わせます。壁の上にはご先祖様の写真が並べてあります。その一番端に怖い鬼の面が飾られているのです。最初に「これは鬼だよ。魔よけだよ。」と教えた時は何ともなかった様子でしたが、二男は当時3歳。食べ物を残したり、おもちゃを仲良く二人で遊ぶ事が出来なかったら鬼が来るよ~」と少し脅してました。遊んだおもちゃを何度片付けるように言っても聞かないのでとうとう兄弟が始まると私は鬼の面を取り、顔にかぶって「コラーお母さんの言うことが聞けない子は誰だー!」と追いかけまわしました。6歳の長男は固まった様子でしたが、二男はびっくりして泣き叫びました。ごめんなさい片付けます!お兄ちゃんにもおもちゃをかすから来ないでー」と鼻水まで垂らしていました。さすがにわたしもやりすぎたと思い「これからは兄弟仲良くするんだよ」と告げ和室から出てすぐお母さんに戻り泣きじゃくる二男を慰めました。今現在7歳・10歳になる息子たちをみると仲良く遊んでいる姿を微笑ましく思いながら思い出しました。

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親方日の丸

【漢字】親方日の丸 【読み】おやかたひのまる 【意味】倒産の心配もなく国が面倒みてくれる公務員の気楽さを皮肉まじりで言う言葉。 【例文1】いいよな。自営業の俺と違って安定な親方日の丸のお前は。 【例文2】親方日の丸に就きたいもんだよ。 【例文3】いいよな。老後は親方日の丸で。 親方日の丸という意味は、企業のバックには日本という国家がいて倒産する心配はない、という考えのもとで動く公務員などを皮肉った内容のことをいいます。 例えば、銀行や飛行機の会社など、大手と呼ばれた企業が倒産した際、最終的にはその企業を支援するために巨額の税金を投入し、会社を再生していきます。 なんとも理不尽な内容です。 特に日本航空への支援については、不公平感がでてしまい、税金投入による会社再生のほか、3年間税金を優遇されたりとやりたい放題です。 こうして事業に失敗した企業を救うことを是とする政府には腹立たしいことばっかりです。 さらに税金を優遇されつつ、一方で社員に対してはボーナスを出していたりします。 これで本当に良いものなのでしょうか。 町工場を経営している方がこのような理不尽な施策で、企業を救うの手段に対しては憤りを感じられているのではないでしょうか。 ただでさえ、資金繰りが難しく、銀行もなかなか資金を貸し付けしてくれない状況において、平気で億単位の不良債権を免除するのは、不公平感が満載であると思います。 企業を支援するのはよいですが、やり方を不公平のないようにしなければなりません。

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重荷を下ろす

【漢字】重荷を下ろす 【読み】おもにをおろす 【意味】大きな責任のある仕事を終えて気持ちが楽になる。 【例文1】子どもが成人して重荷を下ろす。 【例文2】末っ子が大手企業に就職して重荷を下ろす。 【例文3】息子の結婚式が無事に終わり重荷を下ろす。 人生を軽やかに愉快に生きていくためには、心の重荷を下ろすことが必要だと思います。 しかし、生きていくためには人は何らかの重荷を背負っています。 それが重く感じるかどうかは個人差があります。 周りから見てそれほど重荷を背負っていないように感じる人でも、本人にとってはかなりの重荷に感じていることもあります。 同じ状況でも心のあり方によって、気分は随分と変わってくるものです。 私はなるべく余計な荷物を背負い込まないように気をつけています。 自分ができると思って安易に引き受けたことが、予想以上に難しいこともあります。 最初から軽々と約束をしていなければ、余計な荷物を背負うこともありません。 私はなるべく重荷を背負わないでいいような選択をするようにしています。 重荷は有名になったり、名を挙げることにも繋がります。 それをむしろ好んでいる人もいますが、私は重荷の方を強く感じてしまいます。 その為、縁の下の力持ちや忍びの者のように、見えないところで活躍できる人でありたいと願っています。 どんな状況でも多少の重荷はあります。 しかし、就寝時にはその重荷を下ろすようにしています。 実際は下ろせてはいないのですが、気持ちだけでも重荷を下ろすことによって、心が解放されて、ぐっすりと眠ることができます。

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思う壺

【漢字】思う壺 【読み】おもうつぼ 【意味】壺の中にサイコロを入れる賭け事からきている。思いのままサイコロの目を出す仕掛けがあることから良からぬ思惑が思い通りになるという意味。 【例文1】今行ったらそれこそ相手の思う壺だ。 【例文2】犯人の思う壺になんかさせない。 【例文3】相手の思う壺に引っかかる。 私たちは結婚する前に子どもができた、いわゆるできちゃった結婚でした。 お付き合いの段階でお互いの両親には紹介もしていて、お互いの実家に遊びに行くこともしばしば。 私が旦那(当時の彼氏)の実家に遊びに行かせてもらうと、ご両親はとてもよくしてくださり、すごく良い関係を築けていけました。 だから妊娠が発覚した時は正直驚きましたが、この人と結婚するんだ、という意識を持った時にも、彼の両親が義理の自分の両親になることを嬉しく思うことができました。 彼は長男だったので同居になることも私は同意でしたし、義理の両親も孫と一緒に住めることを心待ちにしてくれました。 籍を入れ、妊娠中から私は彼の実家で生活することになり、その間にお義母さんの料理の味を勉強させてもらったり、その土地の風習や習慣などを教えてもらうことにしました。 籍を入れてからますます義理の両親は私を可愛がってくださったんですが、徐々に家事を任されることになり、妊娠中の私には少しきついことなどもだんだん増えてきました。 そして出産を終え、1ヶ月は実家で少した後に旦那の実家に帰りました。そこで家事を出産前に仕込まれていた理由がわかりました。 お姑さんは大の子ども好き。家事は一切せず、母親である私を差し置いて孫の世話を1から120まで全て行います。こうしたかったから妊娠中にも関わらずきついことまで全て教えてくださったのだと気付きました。でもお姑さんの思う壺になんてさせません。母乳しか飲ませなかったためミルクを嫌がる私の娘。お姑さんはもう母乳なんて出ないので、私にしかできないことを知らしめました。娘、グッジョブです!

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思うこと言わねば腹膨る

【漢字】思うこと言わねば腹膨る 【読み】おもうこといわねばはらふくる 【意味】思った事を言わないと、腹の中に不満がいっぱい溜まり不快になる。 【例文1】思うこと言わねば腹膨るだから、言いたい事はハッキリ言った方がいい。 【例文2】鈍感な者には思うこと言わねば腹膨る。 【例文3】黙っていては思うこと言わねば腹膨る。 私は元々一人暮らしをしていて、仕事を辞めたのを機に実家に戻ってきました。すると家を出る前はそんなに気にならなかったことがいちいち気になるようになり、まさに思うこと言わねば腹膨るというべき状態に毎日陥っています。3年ぶりの実家暮らしで気になったのは、やはり親も歳をとったということです。以前と比べて同じことを何回も言うようになり、私もストレスが溜まって「何回も言わないで!」と強く言ってしまうこともあります。また、家事のやり方で母親と衝突することもあります。梅雨の時期で洗濯物が臭くなるのに部屋干しして何も対策を取らなかったり、漬物を密閉しないで冷蔵庫に入れたりと、細かいことばかりですが気になってしまいます。今は生活の面倒を見てもらっているのでなかなか不満を言えないことが多く、鬱憤が溜まってしまいます。どんなに腹がたっても家を追い出されてしまっては元も子もないので、親には逆らえません。自分に経済力があればまた自由に暮らせるのに、と悔しい気持ちになります。離れて暮らしている時は親への感謝の気持ちも湧き出てきたのに、一緒に暮らすと不満ばかりになるのは本当に不思議です。早く自立できるように一日も早く仕事を見つけたいです。

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思い立ったが吉日

【漢字】思い立ったが吉日 【読み】おもいたったがきちじつ 【意味】何かをしようと思ったら、すぐ行動するのが良い。 【例文1】髪をイメチェンしたくなった。思い立ったが吉日だから美容室に行く。 【例文2】思い立ったが吉日で一人旅に出る。 【例文3】えらい急だな。思い立ったが吉日だよ。 フットワークが軽く、行動力のある人というのは、 何か楽しいことを思いつくと、思い立ったが吉日とすぐに計画を立て始めます。 私の知人や友人のなかにも、何人かそういう人がいます。 もちろん、1人で行動するのなら、なんの問題もありません。 しかし、バーベキューや飲み会、旅行など、友人何人かを集めて行おうというとき、 1人突っ走って計画を立てるのは、計画倒れに陥りがちです。 明るく、行動力のある人の周りには、同じように行動力のある人が集まるものですが、全員が全員、そうだというわけではありません。 私の場合は、自ら計画を立てる行動力はありませんが、計画さえしっかり立ててくれれば、いつでも予定を合わせる余裕があります。 しかし、なかには、何かと忙しい人もいます。 事前に約束していても、後から重要な予定が入ることが多い、そんな人は、軽はずみに返事をしにくいものです。 でも、楽しそうなのでできれば参加したい、というのも分かります。 そんな人の返事を待っているうちに、数日が過ぎ、結局、計画倒れとなってしまいます。 もちろん、行動力のある人が悪いわけではありません。 いろいろな用事との兼ね合いで、なかなか返事ができなかった人が悪いわけでもないでしょう。 しかし、気まずい思いをするのは間違いありません。 大人数で行う楽しいことは、慎重に計画を立て、思い立ったが吉日、と行動を始めるのは、1人でできることに限って欲しいものです。 「思い立ったが吉日」とは、何かをしようと思い立ったらそう思った日を吉日として考え、すぐに取り掛かるのが良いということわざです。 一般的に大安などの暦の上で縁起の良い日を吉日と言います。つまりこのことわざは、何をしようと思ったら暦の上で吉日を選ぶ必要はなく、思い立った日が一番縁起の良い日(吉日)であるという考えです。 何かをやりたいと思い立つとその次にうまくやれるのか、失敗するのではないかなどと色々と思い浮かびあれこれと先のことを考えると結局のチャンスを逃してしまう意味が含まれています。 私はいつも何かをやりたいと思うとやはりそのやる事は果たして本当にいいことなのか、どのようにやるのが一番効率的なのか、金銭面は、時間の余裕は、などとあれこれと考えてしまいます。そのせいかやりたいと思ったことを実際に現実化することはとても少なく思い立ってもやらないまま、後からあの時にやっていればよかったなんて後悔することがよくあります。 私のように思い立ったことをやらずに後悔する方は多いと思います。何事も自分の直感や考えを信じて思い立ったらすぐやることが結果的に良い結果に繋がり後悔も少なくなりますので思い立ったが吉日とのことわざ通り思い立ったらすぐ実行出来るようにしていきたいです。

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溺れる者は藁をもつかむ

【漢字】溺れる者は藁をもつかむ 【読み】おぼれるものはわらをもつかむ 【意味】人は溺れた時は考える余裕もなく、浮いている物は役に立たない藁でも掴もうと必死な様子から、非常に困った時は役に立たないようなものにまで頼ろうとするものである。 【例文1】溺れる者は藁をもつかむ思いで、勘当された実家にお金を借りに行く。 【例文2】溺れる者は藁をもつかむ思いで、全所持金で宝くじを買う。 【例文3】溺れる者は藁をもつかむ思いで、全額賭ける。 「溺れる者は藁をもつかむ」という言葉は、状況がわかりやすくてとても表現方法だと思います。 苦しい時や大変な時、または危ない時は必死で何かをつかもうとしてしまいます。 それがたとえ頼りにならないものでも、何かをつかもうとすることが、次の何かに繋がるような気がしてしまいます。 時にはその掴んだもので成功する場合もありますが、変なものをつかんでしまうこともあります。 人生がどうなっていくかは、そういった窮地に立たされた時に何をつかんでいくかによっても大きく変わっていくような気がします。 これは単に運が良いとか悪いとかだけの問題ではないような気がします。 自分がおぼれた時にその状況を救ってくれる何かが流れてくるとすれば、それは次に自分が必要とするものかもしれません。 それと同時に良いものをつかんでいくためには、やはり日頃の行いが重要なのではないかと思います。 自分がおぼれた時に、自分を救ってくれる藁をつかむためには、幸運の貯金をしておく必要があると思います。 万が一に備えた金銭的な貯金だけではなく、目に見えない貯金も必要ですし、むしろそれの方が大切なことかもしれません。 「溺れる者は藁をもつかむ」ような状態は、できれば人生であまり経験したくはないものです。 しかし、そうなっても幸運が舞い降りてくるように準備しておくことはできるのではないかと思います。

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尾ひれを付ける

【漢字】尾ひれを付ける 【読み】おひれをつける 【意味】事実よりも大げさに話す。 【例文1】尾ひれを付けたような話で、どこまでが本当か信じ難い。 【例文2】尾ひれを付けて自慢する。 【例文3】尾ひれを付けて盛る。 私はどちらかというと話好きなほうです。 そのため、話が盛り上がってくると、時には話に尾ひれを付けて話してしまうことがあります。 尾ひれを付けると言っても、その内容もあながちウソではないのですが、やはり誇大表現になってしまいます。 以前の私は誰かと口論になった時、言葉では負けないという自負がありました。 負けそうになっても、何とか尾ひれをつけて、自分が有利になるまで話を続けました。 中にはこうした私の発言を快く思わない人もいたかもしれません。 今ではそのことを反省し、なるべく大人しくするように心がけています。 誰もが愉快になれるような会話の時に、ちょっとした尾ひれを付けて話すのは良いと思います。 しかし、人が集まって話が進んでいくと、時には誰かの悪口になってしまうことがあります。 時々、高齢者の女性が数人で会話をしているのが耳に入ることがあります。 ふと聞こえてくると、誰かの噂や悪口が多いように思います。 本人たちはその場にいない人のことを、あれこれ時には尾ひれを付けて放しているのが楽しいのかもしれません。 しかし、そのような状況を傍から見ると、あまり良い印象は受けません。 出来るだけ自分はそういう風にならないように気をつけたいと思っています。 話しに尾ひれを付ける、今でいうところの話を盛るっていうやつですね。これは多かれ少なかれ誰でもやってしまっていることだと思います。自分の持っている話を少しでも面白く伝えたいと思って大袈裟な表現をしてみたり、数を多めに言ってしまったりします。でもベースの話は自分が体験しているので全くの嘘ではないのです。 こういった尾ひれの付いた話がわんさか載っているのがネットの世界だと思います。だからネットに書き込んであることはこちら側で差し引いて話半分で読んで信じる必要があります。どれも本当っぽく書いてあるのでついつい信じてしまいそうになります。でもネットの記事も読み手が食いついてくれるようにかなり尾ひれをつけて目を引くように作らないと意味がないのです。 だから何か真剣に調べものをしたいときは私はネットを使わないようにしています。信じることができる媒体選びから始めます。とはいっても教科書に書いてあることも、新聞に書いてあることもあてにならない時代なので、何を信じていいのか本当に困ります。 ネットは手軽に調べものが出来て自分のアタマを使わずに色々な情報やはたまた考え方まで手に入れることが出来ます。便利ですが、そういった尾ひれが付いた情報に惑わされないスキルも必要になってくると思います。

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お百度を踏む

【漢字】お百度を踏む 【読み】おひゃくどをふむ 【意味】願い事や頼み事が叶うように何度も訪ねる。 【例文1】お百度を踏んでようやく交際OKが出た。 【例文2】家族の健康を願って神社にお百度を踏む。 【例文3】病気が快復しますようにとお百度を踏む。 私が高校受験を迎える年、父方母方の家族と佐賀県の祐徳神社へ合格祈願に行きました。これは母が結婚前から家族の健康を願って毎年正月は祐徳神社へお百度を踏む恒例の儀式だと聞いています。 神社に着くと参拝をして絵馬に合格祈願を書いて所定の位置に掛けてきました。家族のみんなが合格を願ってくれました。 私は猛勉強の末、進学高校に合格しました。2年後は弟の合格祈願にまた家族で祐徳神社へお参りに行き絵馬に合格祈願を願ってきました。見事私と同じように弟も第一志望校に合格しました。 大学受験の年もまた家族で祐徳神社へ行きました。ここにお参りにくればなんだか自信が湧いてきます。恒例の儀式を済ませると出店で美味しい物を食べて帰りました。楽しかったキャンパスライフができたのは家族の強い願いが通じたからだと思います。私も将来、家族ができると祐徳神社へお参りに行くことを誓いました。

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帯に短し襷に長し

【漢字】帯に短し襷に長し 【読み】おびにみじかしたすきにながし 【意味】帯にするには今ひとつ短く襷にするには長すぎるたとえから、適合に見えて実際使用してみると役に立たない。 【例文1】彼は体が大きく力持ちに見えたが、体力がなく帯に短し襷に長しだ。 【例文2】頂き物の趣味が合わず帯に短し襷に長し。 【例文3】子どもに丁度いいサイズだと思ったが、小さくて帯に短し襷に長し。 帯に短し襷に長しとは中途半端で役に立たないことであります。 反物から帯にするには短すぎるけどタスキにするには長すぎることからうまれた言葉です。みなさんも思い当たる節ありませんか? 私はあります。まだ子どもたちが小さかった頃、愛情込めて通園バッグやシューズ袋を作ってたものです。 裁縫をして余った生地で帯に短し襷に長しと何を作ろうか迷ったり、人にもつかうことがあります。 大きな体して力持ちそうだなと思ったが、実際はただの太っているデブだったとか身の周りにいます。 この時期は毎年たくさんのお歳暮が親戚から送られてきます。 ビールの銘柄や食べ物のが好みでなかったりとか、ありますが、頂き物をおすそわけすることもあります。申しわけありませんが、持っていても我が家では帯に短し襷に長しですからね。捨てるよりもどうせなら必要とする方に使っていただくほうがいいと思いまして。まあ一番の解決策は好みを伝えられたらいいのですがね。私は送る側としては何事もそうならないように事前に調べたり聞いたりしています。

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お鉢が回る

【漢字】お鉢が回る 【読み】おはちがまわる 【意味】お鉢とは炊きあがったご飯を入れる器のことで、大勢いるとなかなか回ってこないという由来から、面倒な役割りが順番に回ってくるという意味。 【例文1】とうとうPTA役員のお鉢が回ってきた。 【例文2】忘年会の幹事のお鉢が回る。 【例文3】清掃当番のお鉢が回る。 私の会社は、1年間で3回必ず全員参加の飲み会を行い、その都度幹事が変わります。幹事の選出は、本社にいる部長が行いますが、幹事をやりたくなかった私は、部長に頼み込んで毎回避けていました。 しかし、遂に幹事のお鉢が回る時が来てしまい逃げることができず、なんとか幹事の役割を果たしました。 何故この時は逃げられなかったかと言うと、幹事経験が5回の人や私のように0回の人間がいたりと偏りができてしまい、唯一幹事未経験の私にお鉢が回ることになったのです。 それでも押し切って、幹事をやらない事もできましたが、さすがに悪いと思い諦めて幹事を引き受けました。 幹事になれていない私は、一次会の居酒屋の手配はバッチリでしたが、二次会の手配をしていなかったので、同期の同僚からかなりダメ出しされました。 年3回ある全員参加の飲み会は、必ず社長も出席する為、社長が宿泊する施設の手配も幹事の役割になっています。 飲み会での働きは不十分でしたが、社長の宿泊先探しには力を入れたので、後日部長から誉められました。 しかし、仕事をそっちのけにして宿泊施設探しをしばらくやっていたので、誉められても何だか気まずい感じでした。 また、その影響で仕事が遅れている事は言えませんでしたが、後からバレて部長から怒られました。 もう幹事は二度とやらないつもりです。

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十八番

【漢字】十八番 【読み】おはこ 【意味】自分の一番得意な歌や芸。 【例文1】十八番をカラオケで熱唱する。 【例文2】十八番は演歌だ。 【例文3】さすが十八番の曲だ。 会社の飲み会でカラオケに行くとき、新入社員に先輩が「〇〇という歌は課長の十八番だから歌わないように」などと指示することがあります。 「課長のお得意の定番ソング」という意味で使われるこの「十八番」という言葉、実は歌舞伎と関係のある言葉なのです。 この言葉の由来は、江戸時代の歌舞伎。天保年間に、当時の歌舞伎の千両役者、七代目市川団十郎が市川家に伝わる得意演目を十八集めて「歌舞伎十八番」と称しました。七代目団十郎というのは歴代の団十郎の中でも特筆すべき名優でしたから、自分の家の得意演目を「歌舞伎十八番」として発表しても、誰も文句を言わなかったのでしょう。 市川團十郎家は初代以来、荒事と呼ばれる力感あふれるヒーローの役を得意としてきましたので、歌舞伎十八番も荒事の役が並んでいます。 ところで、「十八番」はそのまま「じゅうはちばん」とも読みますが、「おはこ」と読むこともあるでしょう。「課長のおはこ」というような使い方をされるわけです。 なぜ「おはこ」なのか。説は2つあります。1つは七代目団十郎が十八の演目を大切に箱に入れて保存したからという説。もう1つは、鑑定書のことを「箱書き」と言ったところから、お墨付きのある本物の代表作という意味で、そう呼ばれるようになったという説です。 叔母が街のはずれで小さなスナックを経営しています。 わたしにとってこのお店は思い出深いお店で、いつも可愛がってくれた叔母会いたさでしょっちゅう遊びに行ったし、叔母から頼まれ「ヘルプ」に入ったことも何度もありました。 今でも地元に帰ると必ず立ち寄ります。 お店の名前はたんぽぽ。 わたしは小さい頃叔母にたんぽぽの綿毛を飛ばす遊びを教えてもらって以来たんぽぽを探しに行くと聞かず困らせたそうで、そこからお店の名前に採用されたそうです。 叔母のお店の常連さんもとてもいいお客さんばかりで、わたしとしてはみんなもれなく自分の親族のような気持ちでいます。 叔母も常連さんもカラオケがとにかく大好き。 何度もヘルプに入った経験があるわたしはみんなの十八番を知っています。 常連さんのカラオケで聞いて好きになった曲もたくさんあります。 古川さんが歌う「新宿育ち」も岡部くんが歌う「我が良き友よ」も大原さんが歌う「また会う日まで」も近くのスナック「あけみ」のママさんが歌う「人生晴れたり曇ったり」もみんな「たんぽぽ」で教わった大好きな曲です。 たまに上司とカラオケに行くことがあり、さすがに好きな曲ばかりは歌えない・・・そんな時、「たんぽぽ」でのスキルが発揮されます。 「たんぽぽ」のみんな、いつもありがとう。 また近いうちに顔出すね。

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尾羽うち枯らす

【漢字】尾羽うち枯らす 【読み】おはうちからす 【意味】それまで羽振りの良かった者が落ちぶれて以前の面影がない様子。 【例文1】事業がうまくいかず、尾羽うち枯らす。 【例文2】尾羽うち枯らした格好で気付かなかったよ。 【例文3】見る影もなく尾羽うち枯らす。 『尾羽うち枯らす』 儚さを感じる言葉です。 「おばね」かと思いきゃ「おは」なんですね。栄えたものも、いつかは滅びゆく。 わたし達もいつかは、この世界を去らなければいけません。でも、信じられない。まるで、この時間が永遠に続くような錯覚がします。 日本人の寿命は80年ほど。それは短いのでしょうか。それとも、長いのでしょうか。まだまだ先は長いけれど、永遠ではありません。 わたしの命にも限りはあります。だけど、今はゴールが見えません。「あなたは死ぬのよ」なんて言われても、実感がわかないのです。 そりゃあ、いつかは亡くなります。それは遠い未来。まだまだ先の話です。でも、あと60年ほどの命と考えれば、そんなに遠くないかも知れません。 歴史上の偉人だって、亡くなっています。どんなに功績を残しても、不老不死なんて得られない。ただ、生きた証が残るのみです。 世の中には証さえ残せず、この世を去った人がたくさん居ます。むしろ、何をできない平凡な人のほうが、この世界には多いんです。 わたしは自分の名前を残してみたい。亡くなったあとも、「こんな人が居たんだよ」と語り継がれるような人を目指したい。 美しい羽で空を飛べる今のうちに、いろんな経験をして、証を残したいのです。

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鬼も十八、番茶も出花

【漢字】鬼も十八、番茶も出花 【読み】おにもじゅうはち、ばんちゃもでばな 【意味】鬼も年頃になればそれなりに美しく見え、粗末な番茶も出花は香りが良い。つまり年頃になれば、それなりに魅力的に見えてくるものである。他人に褒められて身内が謙遜して使う言葉。 【例文1】娘さん綺麗になりましたね。(父親)いや、鬼も十八、番茶も出花だよ。 【例文2】母に鬼も十八、番茶も出花と言われて複雑な気持ちだ。 【例文3】化粧が上手で鬼も十八、番茶も出花だなと父が言う。 私は「鬼も十八、番茶も出花」ということわざを小学生の時に覚えました。このことわざ、子どもが使うようなものではありません。それを、小学生の時に覚えたのには、ある理由があります。 休日、両親と外出した際、町でばったり、母の知人の家族と出くわしました。あちらはご夫婦と高校生ぐらいの娘さんの三人連れです。その娘さんと久しぶりに会った父は、あちらのご両親にこう言ったんです。 「お嬢さん、すっかり成長なさって。鬼も十八、番茶も出花、ほんとに見違えました」 あちらのご夫婦が変な顔をしたことを覚えています。その一家と別れた後で、母は父に声を荒らげてこういったのです。 「あなた、なんて失礼なことを言うの! 鬼も十八、番茶も出花だなんて、よそのお嬢さんに言う言葉じゃないでしょ。ほんと、恥ずかしい」 その後、両親は険悪なムードに。 母から聞いてわかったのですが、父はこのことわざを「女性が年頃になって魅力的になった」という良い意味に誤解していたために、失礼な使い方をしてしまったのです。 このことわざの正しい意味は、「鬼の醜い娘でも、十八歳ぐらいの年頃になれば、それなりに女らしく魅力的に見えるものだ」というもの。ですから。父は、その知人のお嬢さんを「鬼の娘」に喩えてしまったわけですね。 ちなみに、後半の意味は「安い番茶でも、淹れたてはそれなりにおいしい」ということになりますから、父はお嬢さんを「安い番茶」にも喩えてしまったわけです。

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鬼の目にも涙

【漢字】鬼の目にも涙 【読み】おにのめにもなみだ 【意味】普段怖い人でも、涙を流す時もある。 【例文1】厳格な父が孫が誕生した時だけは、鬼の目にも涙だったね。 【例文2】孫の成長には鬼の目にも涙だ。 【例文3】父が泣くのを初めて見た。鬼の目にも涙だね。 小学生の頃とても仲良しの親友がいました。 親友は超がつくほどのおじいちゃん子で、おじいちゃんは親友であるわたしのこともとても可愛がってくれ、わたしも大好きなおじいちゃんでした。 実は親友のおじいちゃんはヤクザの親分だったらしく(大きくなって知りましたが)、わたしと親友がオイタをして絡まれた相手が怖いお兄さんたち だった時も、おじいちゃんが現れればそれだけで怖いお兄さんは平謝りで逃げていったし、新年明けて初めて親友の家に遊びに行った時にはコワモテのおじさんたちにたくさんのお年玉をもらって、お父さんとお母さんにびっくりされたし、 とにかく親友のおじいちゃんに関してはたくさんのエピソードがあります。 わたしたちにとってはどんなひとであれ、ただの優しいおじいちゃんでしかなく、今でも大好きな人です。 でもたった一度だけ、おじいちゃんの涙を見たことがあります。 おじいちゃんはガンに侵されてしまい、親友とわたしは毎日毎日お見舞いに行きました。 ある日、おじいちゃんは「もう一緒に遊ばれへんかもわからんなぁ・・・」とポロポロと涙をこぼしたのです。 まさに鬼の目にも涙で、それはとてもとてもきれいな涙でした。 親友と「なんでやねん!」「じーちゃん今ボケるとこちゃうで!」とこちらもまた泣きながら突っ込むのでした。 おじいちゃんは間もなく天国へと旅立ちました。 「鬼の目にも涙」とは、冷酷で無慈悲な人間でさえもときには憐れみや他人の苦しみや悲しみに同情して目に涙を流すこともあることのたとえです。 このことわざは鬼は人から恐れられている怖い存在です。そんな鬼でも同情の心から涙を流すこともあることから生まれた句で、古くから伝えられている言葉でもあります。それは江戸時代までさかのぼり庶民から恐れられていた悪代官でも年貢の取り立てに情をかけたり高利貸しが憐れみの心で証文を破ったりとの時に江戸庶民から「鬼の目にも涙」と言われていたそうです。 元々は悪代官などの悪いイメージのある方を鬼としていましたが、現代では悪い人でなくても怖い人や厳しい人を鬼として使うこともあります。 例えば、 「部活な監督はいつも厳しくて怖い人だったけど、自分たちの引退試合で負けた時は涙ぐんでいたなんてまさに鬼の目にも涙だね。」 「昔は周りにも恐れられているような親だったけど母親が亡くなった時は涙をみせていた。鬼の目にも涙だな。」などと言った使い方が出来ます。 このように鬼の目にも涙の鬼とは現在では冷酷で無慈悲とまではいかなくても怖い人、厳しい人であれば鬼と表現することもあります。どんな人でも涙をを流すことはあるということですね。

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鬼の首を取ったよう

【漢字】鬼の首を取ったよう 【読み】おにのくびをとったよう 【意味】大した手柄でもないのに、えらく得意顔になる。 【例文1】1回成功したくらいで鬼の首を取ったように偉そうにする。 【例文2】初戦突破で鬼の首を取ったような騒ぎだ。 【例文3】コネ入社で鬼の首を取ったような態度だ。 2017年開催されたWBC。 四年前のWBCが終わったあと当時の山本監督の後任がなかなか決まりませんでした。 NPBはいろんな人に打診しましたが、ことごとく固辞され、時間ばかりが過ぎてしまいとうとう予定していた侍ジャパンの親善試合が近付いてきてしまいます。 そこで動いたのが自らも侍ジャパンを率いた経験がある現ソフトバンクホークスの王会長でした。 王会長は当時テレビで解説をしていた小久保さんに侍ジャパンの監督を打診します。 監督どころかコーチの経験すらない小久保さんはもちろん王会長からの打診とはいえ断りましたが王会長は折れませんでした。 時間ばかりが過ぎていき、このままでは2017年のWBC参加すら危ぶまれるとの報道も出始めた頃、ようやく小久保さんが折れる形で監督を引き受けることに決めたという経緯があります。 それでも民衆は小久保さんを経験がない、などと散々叩きました。負けても勝ってもいずれにしろ鬼の首を取ったように叩かれる小久保さん。 侍ジャパンの監督がなかなか決まらないのはこういうことなのだと思います。 しかしいざWBCが始まれば小久保監督を叩くものはすっかり消え失せ、賛美の嵐。 野球ファンとして悲しいことだと思いました。

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鬼の霍乱

【漢字】鬼の霍乱 【読み】おにのかくらん 【意味】強くて丈夫な人が珍しく病気にかかる。 【例文1】お母さんが風邪引くなんて鬼の霍乱だね。 【例文2】毎日10キロ自転車をこいでいるので、鬼の霍乱なんて事はない。 【例文3】風邪ひとつ引かない母が入院だなんて鬼の霍乱だ。 若いころ、職場の上司が風邪で休んだことがありました。その上司は健康オタクで、ふだんから健康には人一倍気をつかっていて、また、生まれつき丈夫でもあるのでしょう、それまで病欠したことなどありません。 それが風邪で休んだのです。風邪が治って出社したその上司に、私はこう言いました。「課長が風邪をひくなんて、鬼の霍乱ですね」。 上司は笑っていましたが、ある先輩から「課長にそんなことをいうのは失礼だ」と注意されてしまったんです。 私にとって、意外な注意でした。このことわざは「日頃じょうぶな人がめずらしく寝込んでしまうこと」という意味だと理解していたからです。この意味であれば、上司に使っても別に問題はないでしょう。 「上司を鬼に喩えるのはNG」というのが、先輩の言い分です。たしかに、「悪いもの」や「醜いもの」という意味で「鬼」という言葉がつかわれることが少なくありません。しかし、「野球の鬼」というように、良い意味で使われることもあります。 このことわざの場合は、「体が強健、じょうぶ」という意味ですから、決して悪い表現ではないでしょう。 先輩から注意された私は、口には出しませんでしたが、そのように考えて、不満を感じたのです。 それは若いころの話。今は「鬼というのが人に不快感を与えかねない喩えである以上、このことわざは目上の人には使わない方が無難」というように、考えが変わっています。

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鬼の居ぬ間に洗濯

【漢字】鬼の居ぬ間に洗濯 【読み】おにのいぬまにせんたく 【意味】怖い人やうるさい人がいない時にゆっくりくつろぐ様子。 【例文1】今週は口うるさい上司が出張だ。鬼の居ぬ間に洗濯できるな。 【例文2】今夜は妻が不在で鬼の居ぬ間に洗濯だ。 【例文3】部長が不在で鬼の居ぬ間に洗濯だ。 この間の土曜日、いつもの飲み仲間といつもの居酒屋で一杯やっていた時、その友人がこんなことを口にしました。 「今日はカミさんが実家に用があって泊りがけで出かけたから、2日間のんびりできる。まさに、鬼の居ぬ間に洗濯だよ」 「それはよかったな」と答えて、ふと、「ところで、何を洗濯するの?」と不思議に感じました。このことわざはよく使われますし、私自身使ったこともあると思います。けれど、これまで一度も「洗濯」について考えてみたことはありません。 文字通りに解釈すれば、「怖い人や厳しい管理者がいないから、衣服を洗濯する」ということになりますが、これは意味が解りません。友達の場合、うるさい奥さんがいないから、奥さんの代わりに洗濯をするというな、変な意味になってしまいます。 そのことを友達に指摘すると、「たしかに不思議なことわざだね」と言い、「調べてみよう」ということになりました。 今はスマホですぐに調べられるから、こんな時、便利です。調べて「なるほど」と納得。洗濯するものは「命」だとわかったからです。 温泉旅行などに行くことを、よく「命の洗濯」と言いますが、「鬼の居ぬ間に洗濯」も、命の洗濯をして、ゆっくりくつろぐという意味でした。 この歳まで知らずに来ましたが、このことわざ、私のようによくわからないまま使っている人は少なくないのではないでしょうか。

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鬼に金棒

【漢字】鬼に金棒 【読み】おににかなぼう 【意味】強いものがさらに強いものを得て最強になる。 【例文1】強豪校に国体選手が入部してきた。これで鬼に金棒だ。 【例文2】彼女は可愛くて博多弁が鬼に金棒だ。 【例文3】3高相手じゃ鬼に金棒だ。 わたしは筋金入りの野球好きです。 家族も全員好きで、プロ野球では福岡ソフトバンクホークスのファンです。 ダイエーホークスが福岡に爆誕した頃からホークスを見てきましたが、まさかホークスがこんな常勝軍団になるとは思ってもみませんでした。 弱すぎて毎年最下位争いをしていたホークス。 あの王会長が生卵を投げつけられたことは今でも鮮明に記憶に残っています。 そして、わたしはとある情報を仕入れます。 「ホークスの選手や首脳陣の行きつけのお店が西新(福岡の地名です)にあるらしい。」 しかもスタッフを募集しているとのこと。 早速応募し、面接、即決で採用となり、翌日から入りました。 飲食店の接客はお手の物です! ところが応募理由がヨコシマすぎるわたし。なかなかホークス関係の方と顔を合わせるチャンスが訪れません。 「昨日わたしちゃんがあがったあとでムネリンが来たとよー」 着替えて帰ろうとしているところに「王会長が今から来るげなけん個室ば抑えとってー!」 いつもこうです。でも残るわけにはいきません。シフト制ですし・・・ わたしが遅番の時に限って誰も来ないし・・・ しかし、そんなわたしに突然そんな機会が訪れたんです。 当時二軍監督をされていた秋山幸二さんじゃないですかー! こんなに至近距離で秋山さんを見るのは初めてでしたが、とってもかっこいいし、身体もがっちりされてるんです! わたしは秋山さんのお部屋に付く事になり、飲み物やコース料理などを運んだり、空いた食器を下げたりしました。 言い訳させて下さい。とても緊張していました。 悲劇はコースのお鍋を運んだ時に起こりました。 わたしは足を滑らせ、お鍋のアツアツのお出汁を・・・なんと監督に・・・ 秋山様は笑顔で許して下さいました。 こんだけイケメンで野球もうまくて優しいとか鬼に金棒かよ!と思ったわたしでした。 その節は申し訳ございませんでした。

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鬼が出るか蛇が出るか

【漢字】鬼が出るか蛇が出るか 【読み】おにがでるかへびがでるか 【意味】これからどんな恐ろしい事が起こるか予測がつかない。 【例文1】酔っぱらって鬼が出るか蛇が出るか帰宅する。 【例文2】妻に内緒で10万円のプレセントを買ったが、鬼が出るか蛇が出るか。 【例文3】経営難で鬼が出るか蛇が出るか。 「鬼が出るか蛇が出るか」は、待ち受ける運命や困難を暗示する言い回しです。 物語の一部を締めくくる直前などに使われることがよくあります。 多くの物語は波乱万丈な展開が期待され、平穏無事な日常生活について延々と書き綴られることなどありません。 桃太郎であれば、桃を拾ってきた後は立派な成人に育つまでの十年以上の内容がほとんど何も語られずに次の展開へとつながります。 このことは、特に記述するべき事柄が起きなかったから省略されたと考えれば受け流すことも出来ます。 世直し旅で全国を周遊すると、行く先々で悪代官とそれに通じる小悪党と苦しめられる善良な民がセットで用意されている。 ここまで来ると、旅のイベントとして配役を用意する役人が存在するのではないかと思いたくなってしまいます。 鬼が出るか蛇がでるかなどという曖昧な選択肢はなく、「来週も悪代官を懲らしめるゾ」と意気軒昂な旅の一行が目に浮かぶようです。 お約束の勧善懲悪ストーリーは、視聴者の求める内容がキッチリ盛り込まれている安心感もありますが、ワンパターンとも受け取れます。 最近のドラマや小説はそうしたパターンを避けるために趣向を凝らした展開を模索しているようです。 気合を入れて難解にすれば視聴者がついてこれず、分りやすい安易な展開はすぐに飽きられるという矛盾もはらんでいます。 製作現場の試行錯誤している内情のほうが、出来上がったドラマよりもドラマチックだったりするのは皮肉なものです。 それこそ鬼が出るか蛇が出るか、赤字になるか炎上するかという展開も期待できそうです。 「鬼が出るか蛇が出るか」こんな言葉を聞いた事はありませんか?今回この言葉の意味について調べてみました。 鬼が出るか蛇が出るか。どっちにしろ恐ろしいものに遭遇するような言葉ですが、どんな時に使うとしっくりくるのか、まずは言葉の意味について調べてみた所、「どんな恐ろしいものが待ち受けているか見当もつかない。運命は誰にも予測できない」と言った意味があるようです。 恐ろしいものが待ち受けているに関しては、確かに言葉の意味としては理解できますが、運命の予測が出来ないような言葉の使い方なら、良い事が起こるのか悪い事が起こるのかがわからないといった表現の方がしっくりくるような気がしますね。 例えば「鬼が出るか仏が出るか」とか、「吉と出るか凶とでるか」の方が、良し悪しがしっかりわかる言葉のような気がします。 鬼と蛇だとどちらにしろこれからの状況について、あまりよくない事が起きそうな時等に使う言葉ですから、あまり普段の生活では使いたくないですね。 今回は鬼が出るか蛇が出るかの意味について調べてみました。 そういえば今日妻の大好きなアンパンを勝手に食べて仕事に出かけたんですよ。さて、自宅に帰ったら鬼が出るか蛇が出るか。 未知の場面に遭遇した時の心の有り様。おっかなびっくりの面持ちで臨むまさに「鬼が出るか蛇が出るか」なのです。自分の進む先に待っているのが鬼の如き屈強な存在であるか、はたまた蛇の様な狡猾なイメージの輩なのか行ってみなければ判らない事に不安が生じてしまいます。しかしながらそこで臆してしまい先へ進む事を躊躇していては何も始まらないし、何かを手に入れたいのであればリスクも覚悟の上で行くしかない時があるのです。進んだ先に鬼が居ようが蛇だろうが、出たとこ勝負で何とかやり過ごす位の気持ちが肝要であるという事です。未知の領域に進む事は誰しも不安ですし、他の人に頼めるものならそうした方が自分にとって何も支障はないと思います。ですが、それがどうあっても自力で何とかするしかない状況なら、ここは腹を括るしかないでしょう。そうする事が自分の成長の糧になるでしょうし、未知の世界に足を踏み入れる自体、かなり経験値を上げる事になりうる筈ですから。上手く行く確信はないがやるしかない場合こそ、「鬼が出るか蛇が出るか」の精神を持たねばならないのです。世の中には怖いもの見たさという人もいて、こちらはかなり向こう見ずな方でありますが、そういうタイプはおっかなよりワクワクの方が強いので、鬼や蛇と遭遇するのをむしろ楽しめるある意味希少な人種と言えます。

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同じ釜の飯を食う

【漢字】同じ釜の飯を食う 【読み】おなじかまのめしをくう 【意味】共同生活で苦楽を共にした仲間。 【例文1】ライバルだが、同じ釜の飯を食う仲間だ。 【例文2】同じ釜の飯を食った者同士は一生の親友だ。 【例文3】同じ釜の飯を食った良き思い出。 同じ釜の飯を食うとは生活を共にしたりと苦楽を一緒に過ごす仲間であることをいいます。 私は18歳で親元を離れ遠い九州での社会人スタートとなりました。 住まいは会社が契約している3LDKの9階建てのマンションに3人で共同生活をしていました。 初めての土地だったので3人での生活は心強かったです。なにせ家事から仕事からすべて初めてづくしで同居人も初めてで見よう見まねで料理したものでした。当時はスマートフォンなんて持ってなかったですから、どこへ行くにも口だけが頼りでした。公共機関に乗れば行き先を間違えて終電逃したり、同居人が残業となれば家にいるものが食事を準備したりお互い助け合って生活していました。2年の任期を終えそれぞれ地元に帰りました。帰郷して1年くらいは連絡を取り合っていましたが、だんだんと音信不通になりました。SNSが普及した現在、同じ釜の飯を食った仲間を検索してみました。2人ともヒットしました。ものすごく興奮して嬉しくなって連絡を取り合うようになりました。今度3人で久しぶりに勤めていた会社へ行こうと盛り上がり今、女子旅を計画中です。

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同じ穴の狢

【漢字】同じ穴の狢 【読み】おなじあなのむじな 【意味】悪事を働く仲間同士をいう。 【例文1】夜な夜な出歩くと同じ穴の狢に会う。 【例文2】同じ穴の狢のにおいがプンプンする。 【例文3】同じ穴の狢に詐欺話を持ちかけられた。 同じ穴の狢とは同じ仲間、多くは悪い仲間の事です。 「同じ穴のきつね」とも言います。狢はアナグマのことですが、混同してタヌキのことを指す場合もあります。1828年、オランダ商館医であったシーボルトが帰国の際に、持ち出し禁止の日本地図(伊能忠敬の作成した地図の写し)を持っていたために、国外追放処分を受けました。有名なシーボルト事件です。地図を渡した幕府天文方の高橋景保らの関係者も処罰され、高橋は獄死しました。この翌年、シーボルトが持ち出したと思われる「古山陵之図(こさんりょうのず)」がオランダ、ライデン国立民族学博物館に所蔵されていますが、この天皇陵の図は故意に古墳の名称、大きさを違えて書かれているのではと言われています。蘭学者の高野長英がが製作途中で事件が起きるのを察知し、一緒に処罰されるのを恐れ、地図として使えなくするために、わざと杜撰に作った可能性が高いとする説が発表されたのです。シーボルトの鳴滝塾で学んでいた高野長英にすれば、恩師が帰国の土産になどと頼まれれば断ることもできず、さりとて鎖国している国の地図が諸外国の手に渡れば戦争になった時に、圧倒的に不利になりますから、幕府が禁止していることも知っている。「同じ穴の狢」と見られることを恐れた彼の苦肉の策だったのかもしれません。 夏場は、朝仕事に行く前と夜との2回シャワーを浴びています。汗臭い事が嫌な点と、頭がすぐに痒くなるなどの理由があって1日2回にしています。 一見清潔に見えますが、ここ数年入浴時に垢擦りを使わない時が多くなり、最近ではほとんど石鹸の泡だけで身体を洗うようになっていました。 面倒くさいという気持ちから、いつの間にか垢擦りを使わなくなってしまい、入浴時間の早さに妻からしっかり洗っているか怪しまれていました。 ある日、久しぶりに早く帰宅できたので、子供とお風呂に入ったら垢擦りを使っていなかったので、自分の事を棚に上げて使うように注意しました。 注意した以上、自分も改善しないといけないと思い、それ以来垢擦りを使うようになりましたが、子供は垢擦りを使っていないらしくて、妻から同じ穴の狢と言われました。 習慣化しないと中々身に付きませんが、垢擦りを使わないと色々なデメリットがある事に気がつきました。一つは、洋服がすぐに臭くなるという点で、次に背中が痒くなる頻度が増えるなどです。 背中は特に手が届かない分垢擦りは大切で、背中の肌の環境が悪くなると、背中にきびの原因にもなります。 これらの経験を元に、今は必ず垢擦りを使うようにしています。また、同じ穴の狢にも使うように教育しています。

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音に聞く

【漢字】音に聞く 【読み】おとにきく 【意味】人伝えに聞く。噂に聞く。広く知られる。 【例文1】彼女はモデルになったと音に聞く。 【例文2】玉の輿に乗ったと音に聞く。 【例文3】SNSで音に聞く時代だ。 遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ。やあやあ我こそは、以下省略します。 数百年くらい昔であれば、そんな感じで名乗りを上げることもあったようです。 現代の科学技術が発達した社会では、ほとんどの重要な情報は映像と共に配信されます。 テレビならば動画で、新聞ですらカラー写真が添付される時代です。 「音に聞く」という手段だけによる情報は、精々ラジオくらいしか考えられません。 噂に上る、または有名な、という意味で使われてきた「音に聞く」ですが、現在の生活環境にはあまり適しているとは思えません。 ローカルな仲間内の話題でもチャットやSNSなどで伝えられるような世の中です。 直に面と向かい合って会話する機会と、携帯端末やパソコンから情報を仕入れるとでは、量も質も共に後者に軍配が上がりそうです。 耳で聞いただけの話は何かと根拠に乏しいように思えてならない。 しかし、さりとて完全に無視することも出来ない。 中途半端な困った情報として扱われることすらあります。 こうなると情報の発信元の人間がどれほど信用できるかという難しい問題に直面することになってしまいます。 加えて言うなら、言った言わないで後々揉め事にならないように、事あるごと録音をする人までいる始末です。 疑り深いにもほどがあるだろうと言われるかもしれませんが、安易に信じて騙された経験があればそのような気質にもなろうというものです。 「音に聞く」とは「噂に伝え聞く、有名だ、評判が高い」という意味です。昔は今のように交通手段も情報手段もなかったのですから、「音に聞く」ことが全てでした。徳川家康が人質として育てられていた今川家。今川義元は京都の公家や貴族との繋がりが強く、和歌や蹴鞠、その風習までも、わざわざ京都から先生を呼び息子の氏真に教えてもらうほどでした。桶狭間の戦いで義元が討ち死にし家督を継いだ氏真は、徳川家康や武田信玄の侵攻により命だけは助けてもらい、妻の実家の北条氏を頼ります。その後、妻の父が亡くなると、義元夫婦は北条家に居づらくなり、織田信長に庇護してもらうことにし、家宝の茶道具を信長に差し出すことで面会を許されます。信長は今川氏真が蹴鞠の名手であることを噂に聞いていて、自分が催す公家との蹴鞠会で技を披露することを求めます。氏真はもちろん了承し、公家の前で自分の蹴鞠の技を披露して信長に気に入られ、庇護を得ることに成功します。しかし、信長は本能寺の変で亡くなり、氏真は徳川家康を頼りますが、すぐに戦が始まり、今川軍は任された場所で手柄を挙げ、家康の信頼を勝ち取り配下に入り、徳川家の中で地位を高めていくのです。今川氏真の蹴鞠の技が「音に聞く」ほどであったことが、彼を助けたのです。

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男は度胸、女は愛嬌(敬)

【漢字】男は度胸、女は愛嬌(敬) 【読み】おとこはどきょう、おんなはあいきょう 【意味】男にとって大事なのは困難に立ち向かう度胸が必要。女はどんな時でも笑顔でという意味。実はその後に続く言葉がある。あまり言うことはないが、「~坊主はお経」と続く。意味は全くなく単なる語呂合わせ。 【例文1】男は度胸、女は愛嬌で笑ってごまかす。 【例文2】失敗しても男は度胸、女は愛嬌が武器だ。 【例文3】男は度胸、女は愛嬌を振りまくだけで良い。 ことわざに、男は度胸、女は愛嬌という言葉があります。 男なんてものはどんと構えてふらふらするものじゃない、女は可愛らしくしていればそれで良い、と言った感じの言葉です。 しかし最近では、男も愛嬌が求められて来ているような気がします。 最近テレビを見ていると、可愛らしいと思える男性が多数出ています。 むさくるしい男の中の男と言う人は少なく、どことなくなよっとした女の子っぽい男性をよく見かける様になりました。 イケメンで可愛らしさがなければ、最近の男性は女性から支持されないようになっているようです。 また女性の方も、可愛らしさだけでは人気が出ないようになっているようです。 昔は女の子女の子した女性アイドルが人気を博していましたが、今は可愛らしさだけでなく、かっこよさを兼ね備えたアイドルの方が人気が出ています。 今は昔と違って女性が社会進出を果たしており、昔の概念が通用しなくなって来ています。 女性は昔、黙って男に従っていれば良いと言う感じになっていましたが、今ではその考えは通用しなくなり、先頭に立ってかっこよく振る舞う女性の方が人気が出ているようです。

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男心と秋の空

【漢字】男心と秋の空 【読み】おとこごごろとあきのそら 【意味】男心は秋空のように移りやすいもの。 【例文1】彼女がいるのに綺麗な女性を目で追う彼氏は男心と秋の空だ。 【例文2】女性にボディタッチされるだけで男心と秋の空だ。 【例文3】ごめんなさい、男心と秋の空でした。 「女心と秋の空」と言う言葉は、誰でも聞いたことのある身近な言葉です。 「笑ったり泣いたり、女性の心は何とも移ろいやすく、とらえどころがないなあ。まさに女心と秋の空だ」などといった感じに、よく使われています。 しかし何と、同じような意味合いで「男心と秋の空」という言葉が存在することは、案外知られていないかもしれません。 「女心」だけじゃないのか、と驚かれる方もいることでしょう。 もともと、この「男心と~」という言葉が生まれたのは江戸時代のことだそうで、社会は男性の浮気や不倫に関して本当に寛大でした(女性の浮気などは厳しくとがめられたそうですが)。 男性が既婚であっても例外なく、あちこちの女性に声をかけたり関係をもったりすることが非常に頻繁に会ったらしく、そのように一人の女性に定まらない、移ろいやすい男性の心を指して「男心と秋の空」という言葉が生まれたとのことです。 「秋の空」という言葉が使われていることについては、やはり秋という季節はほかの季節に比べて、天気がコロコロと変わりやすいから、それになぞらえた、ということのようです。 浮気性の男性の多さ、そしてそれが寛大に許されていた社会背景が元となり生まれた言葉なんて、女性たちにはなんとも複雑な気持ちで受け止められそうですね。 あなたがもし女性なら、周囲に浮気性の男性がいた場合、「男心と秋の空ね」とちくりとくぎを刺すのもいいかもしれません。 『男心と秋の空』というのは『男性から女性への愛情は、秋の空模様と同様に変わりやすい』という意味を持っています。『女心と秋の空』という言葉もありますが、こちらは『女性から男性への愛情は、秋の空模様と同様に変わりやすい』という意味です。どちらも『異性への愛情は変わりやすい』ということですね。しかしこのようにほとんど同じ意味であるなら、なぜわざわざ別々の言葉になっているのでしょうか。 実はおおもとを辿ると『男心と秋の空』という言葉が先に生まれ、この言葉から派生したのが『女心と秋の空』だと言われています。もとは『男心と秋の空』しかなかったのだと思うと、『男心と秋の空』も『女心と秋の空』も、性別が異なることを除けば同じ意味であるにも関わらず、別々の言葉になっている理由が分かりますね。 それにしても男女問わず、『人は異性への愛情が変わりやすい』ということが昔から言われていたのだと考えると、ちょっと複雑な気持ちにもなります。しかし自然界では一夫多妻制の生き物だって多いですし、日本だって歴史を辿れば一夫多妻制だった時代もあります。それに今でも一夫多妻制の国はあります。生涯でただ1人を愛するというのは、とても難しいことと言えるかもしれません。

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お茶を濁す

【漢字】お茶を濁す 【読み】おちゃをにごす 【意味】その場をしのぐために、適当な言葉や曖昧な言い方をする。 【例文1】年収を聞かれて平均的ですよとお茶を濁す。 【例文2】プライベートの質問にお茶を濁す。 【例文3】お茶を濁して誘いを断る。 私は過去を振り返ってみると、お茶を濁すような言葉を発していたこともありました。 自分にとって触れられたくない話題をわざわざ振ってくる人もいます。 今思えば、そういう人もどうかと思いますが、やはりそういう場面では適当にお茶を濁していました。 しかし、ある時からハッキリと自分の意見を言うようになりました。 それを聞いて相手が変な反応をすると、「だから何?」と返すこともありました。 そこまで行くと、相手は何も言い返さなくなってしまいます。 本当や好奇心いっぱいでやり込めたい気持ちがあったのかもしれません。 しかし、こちらが先に開き直ることで、相手は言う言葉がなくなってしまったのかもしれません。 このような会話はしていても、あまり心地の良いものではありません。 また、相手に嫌な質問をされて、たとえその場は上手くお茶を濁せたとしても、相手に言われたことがしばらく頭から離れなくなってしまうことがあります。 お互いが嫌な気持ちにならないためにも、誰かを責めるようなことを言わないようにしたいものです。 自分は出来て当然かもしれませんが、世の中にはそれが出来なくて悩んでいる人もいます。 いろいろな人がいることを踏まえて会話をすれば、お茶を濁さなければいけない場面も少なくなると思います。 いきなり友人から相談事をされて、特に何の解決策も浮かばなかった場合、仕方なしにお茶を濁すような発言をすることもあると思います。ですが相談事というのは、男女によって意味合いが異なる傾向があると考えられます。 たとえば男性が相談をしてくる目的というのは『解決策がほしい』場合であることが多いです。そのため男性から相談事をされたときは、その場を取り繕うような発言ではなく、考えが思い浮かばないことを素直に告げるか、些細であっても思い浮かんだ策を提案してみて良いかもしれません。 一方で女性が相談をしてくる目的は『自分の悩みに同調してほしい』という意味合いが大きいです。相談事をしてくる女性というのは、既に自分の中で解決策や結論を出していることが多いです。むしろ解決策を提案すると、逆に女性から反論されることもありますよね。ですので女性から何か相談を受けた際は、自分なりの考えを発言した後に、女性の意見に同調してしまうのも有りとは思います。たとえ自分がお茶を濁すような発言をしたとしても、相手の女性は気にしないかもしれません。 もちろんですが、上記のことが全ての男女に当てはまるわけではありません。人によって違うでしょう。ですが友人の悩みなら真摯に応えたいものです。とはいえ毎回、真面目に相談事を聞いているのも自分が疲れてしまいます。ですから友人から悩みを受けた際、もしも自分がお茶を濁すような発言をしてしまったとしても、相手によってはそれを気にしない人がいると考えれば、人から相談を受けるのも少し楽になるかもしれません。

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お茶の子さいさい

【漢字】お茶の子さいさい 【読み】おちゃのこさいさい 【意味】たやすく簡単に出来る。 【例文1】荷物運びなんてお茶の子さいさいだ。 【例文2】家庭料理ならお茶の子さいさい。 【例文3】お茶の子さいさいでやってのける。 私は小さな頃から算数が好きでした。小学校高学年で中学生の数学の問題などはお茶の子さいさいでした。数学を解いているとクイズのようでとても面白かった思い出があります。よく数学で苦労している友達に自分数学はお茶の子さいさいだから教えて上げると言ってアドバイスしたものでした。反対に国語は苦手で苦労した思い出があります。人はなにがしか得意な物いわゆるお茶の子さいさいがあるのではないでしょうか。いいところをもっと伸ばして不得意なところを努力する。私はこの不得意な国語を避けてきました。よっていわゆる偏差値が高い高校、大学には行けませんでした。数学だけだったら一流大学だったかもしれません。勉強だけではなく、人には得意分野があるのではないでしょうか。スポーツでも鉄棒が得意な子がいて大車輪がお茶の子さいさいでした。いとも簡単に大車輪をするのですごくその子を尊敬していた思い出があります。人にはいとも簡単にやってのけるものを持つとそれが自身となります。私が数学ができたように。大車輪をいとも簡単にやってのける子がいたり、なにもかもできるスーパー人間になりたいけれど、得意分野もあるし、不得意分野もある。皆さんそうではないでしょうか。

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小田原評定

【漢字】小田原評定 【読み】おだわらひょうじょう 【意味】いくら話し合っても長引いて結論がでない。 【例文1】これ以上彼と話し合っても小田原評定だ。 【例文2】君と議論しても小田原評定だ。 【例文3】小田原評定で会議が長引く。 驚くべきことに戦国時代の北条氏は月に2回の重臣会議で諸事を決定する合議制を取っていたそうです。 ことわざとしての小田原評定は、長い時間かけても結論が出ない虚しい議論ですが、北条氏の結束力をみれば十分機能していたようにも思えます。 ただし、有効なのは緊急性がない十分な議論が可能な場合に限られるようです。 政策や経済であれば中間的な方針もありですが、戦闘にあっては中途半端な策は大抵が下策と評されます。 歴史で小田原評定と呼ばれるのは、天正10年(西暦1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐に対してどのように応ずるかを議論したときの話です。 籠城するか出撃するかでまずひと悶着あり、包囲された後では降伏するか決戦するかで議論があったようです。 結局、長い議論や抗戦も虚しく北条氏は滅亡してしまいます。 北条氏とは関係ないですが、小田原といえば小田原提灯が思い浮かびます。 お猿のかごやの歌詞に出てくる、折りたたみ式で携帯しやすい円筒形の提灯です。 小田原提灯が出来たのは江戸時代の中ごろと言われますが、それでも数百年以上の歴史があるのですから大したものです。 議論などと言うものはその場で考えるものではなく意見を取捨選択するべきで、時間で作られるものは小田原提灯のような文化価値だけで十分です。 と、無理矢理に話しを締めくくることをお許しください。 「小田原評定」という言葉は元々は戦国時代、関東の雄の北条氏由来の言葉です。この戦国大名北条氏は非常に民政家として有名であり一例としては税金は四公六民だったと言われています。つまり6割は自分達で作った農作物を自分達のモノに出来たという事です。現代の感覚だと「税率40%!?高すぎる!」と思うだろうが、戦国時代の税金としては破格の安さなです。税率半分の五公五民でも善政と言われ過酷な場所では六公四民やもっと重い税率も普通に罷り通っていました。そんな善政を敷いた北条氏が大名家としての方針を決める時はどうしていたか、家臣達と合議して決めていたのです。家臣達も自分の意見が反映されるという事で盛んに意見を出し合っていたと予想されます。今風に言うなら遣り甲斐のある職場だと思います。下剋上や一揆が頻発する戦国時代でありながら北条氏は大国であるに関わらず他の大名家に比べそれらの話は驚くほど少ないです。そんな北条氏の政治体制を表す言葉の一つが「小田原評定」です。そう、決して悪い意味の言葉では無かったはずなに。この言葉がネガティブな意味の熟語になってしまったのは豊臣秀吉の小田原征伐の事です。先に書いたとおり北条氏の方針を決める時は合議制、国のトップの大名が「こうします!」と考えていても簡単に決定は出来ません。合議ではどう戦うか、降伏するかなど意見が分かれてしまい方針が定まらずに結果、秀吉にそのまま滅ばされてしまったのです。この出来事で「小田原評定」という言葉が「一向に結論がでない会議や評議」という意味の故事として使われるようになったと言われています。現代でも政治家達の議論が進まずにぐだぐだしている様子などをこの言葉で例えられる事があります。勿論それはポジティブな意味合いで使われている訳ではありません。民政家であった北条氏を象徴するような言葉「小田原評定」それがこのような意味合いで使われるようになるとは皮肉なものです。

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お高くとまる

【漢字】お高くとまる 【読み】おたかくとまる 【意味】気品が高く人を見下す者。 【例文1】社長令嬢の彼女はお高くとまる。 【例文2】プライドが高くお高くとまる。 【例文3】金持ちでお高くとまる。 お高くとまるとは自分は自信満々で他人を見下したような態度をとることを言います。自分に自信があることは良い事なんでしょうが、他人を見下すという態度はいかがなものでしょうか。 私の職場にお高くとまる女性がいます。彼女は27歳彼氏ナシの独身です。 私は26歳彼氏ありです。彼女はいいとこ出の出身でプライドが高いのかいつもお高くとまり、職場の人が何かを発言するたびに、そんな事?と言い放ち、あなたとは格が違うのよといった顔をしています。仕事を彼女に頼んでもそれくらい自分でやりなさいよと言わんばかりの顔が出ているのですごくやりにくいのです。 席も彼女の横で仕事中はスマホを頻繁に見ています。周りの社員も知っています。 ある時の会社の親睦会で男性陣が私とおしゃべりして騒いでいたのが気に食わなかったのか、彼女は私の事を誰にでもいい顔する女だと言っていたらしいです。腹が立ちましたが、でも私は相手にしません。だって彼女が相手にされないことを親睦会で男性陣から聞いたんですから。それで盛り上がって騒いでいたのは事実です。

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押しも押されもしない

【漢字】押しも押されもしない 【読み】おしもおされもしない 【意味】実力があって堂々としている様子。 【例文1】新入社員ながら実力があり、押しも押されもしない。 【例文2】押しも押されない姿勢で面接を受ける。 【例文3】凱旋パレードで押しも押されもしない入場だ。 確固たる実力があり、堂々とし立派である様子を言います。「押しも押されぬ」という言い方がありますが、こちらは本来正しい表現ではないようです。「押しも押されもしない優等生」とはまさしく何物にも匹敵する存在であり、周りの人達から一目置かれる事は言うに及ばずで、いわば最上級の褒め言葉であり死角など微塵も見当たらない人の事を言うのです。中々そのような人格者にはお目に掛かる事は出来ないものですが、メディアで見かける有名人の中にはそれこそ「押しも押されもせぬ人気者」がいますから決して使用頻度が低い訳でもありません。元・ジャイアンツの長嶋茂雄氏などは、未だその人気に陰りはなく「押しも押されもしない長嶋茂雄氏」と言って差し支えないと思います。長嶋氏もそれだけの逸材であり野球界の英雄なのですから、これだけしっくりと来る方もある意味珍しい気がします。只実力があるだけでなく、人柄も非の打ち所の無い方に与えられる名誉ある称号ではないでしょうか。現代的に使用する機会が減っていても、存在価値が変わる事無く受け継がれて行くものこそ「押しも押されもしない〇〇」であり、〇〇に入るものは絶対無二の存在であって貰わないとそう称した方にとっても困ってしまいます。これは何とも責任重大な称号とも言えるかもしれません。

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親思う心に勝る親心

【漢字】親思う心に勝る親心 【読み】おやおもうこころにまさるおやごころ 【意味】 【例文】 学生時代に疑問に思っていたことがあります。なぜ、両親は私の好きなようにさせてくれないのか。なぜ、いちいち行動を制限するのか。本当に不思議でした。20代前半に結婚して両親から離れて暮らすことになり、あの頃の自分が恥ずかしくなりました。なんて幼稚な考えをしていたのだろうと思います。そして今、母親になり子供を想う母親の気持ちを知りました。その愛情は母親になる前の自分には想像もできないほど深いものでした。子供が事故などで亡くなっているニュースを見ると、悲しいのと同時に残された両親の苦しみを思うと胸が痛いです。私だったら生きる意味を失ってしまうと思います。一生笑う事ができなくなると思います。この感情はやはり親になったものにしかわからない感情だと思います。 今小学生の娘もいつか反抗期を迎える日がくると思いますが、私が親の気持ちを理解できなかったように、この子も私の気持ちを理解できなくて当然だと思います。でも、いつかこの子も親になり、親思う心に勝る親心を知る日が来るのだと思います。まだ、先のことのような気がしますが、そんな日が来るまで私はこの子と楽しいときも辛いときも向き合って責任を持って立派に育てていきたいと思います。

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押しが強い

【漢字】押しが強い 【読み】おしがつよい 【意味】自分の主張だけを押し通そうとする人。頑固な人。 【例文1】昔は押しが強かったが、父親になって穏やかになった。 【例文2】押しが強く商売がうまくいかない。 【例文3】押しが強くて厄介者。 自分の意見、考えをしっかり持っている、と言えば聞こえは良いのだろうが、実際では煙たがられています。 そういう人がその意見、考えを人と共有しようとする事は厄介です。 自分の考えをしっかり持っているからこそ、その意見に対して自信があり、意志が強くなかなか頑固で押しが強いものです。 また同じ意見を持ち寄った時は周りがついていけない程、意気投合して盛り上がるだろう。 自分の意見、考えをしっかり持っているが他人に興味のない人もいます。 それが前者のしっかり持っているだけでとどめてくれている人なのだと思います。 周りの人がどんな意見を持っていても人は人、自分は自分、と干渉せずに基本的には口を挟まないタイプです。 常識からよほど離れた意見や、人に迷惑をかけるような考えだった場合には、一言二言意見を言うが、それを強要するような事はないように思います。 自分の考えや意見を人と話し、ぶつかり、わかり合うという事をあまりしないのも、相手からすると少し寂しく思うのかもしれないが、強要されるのも辛いです。 押しが強い人は得することが多いです。押しが弱いと損することもあります。実際、自分は押しが弱くて損をしたこともあります。事故処理でも口げんかでも押しが強い方が正当化されてしまうってことも多いんです。押しが強い分、実際が正当化みたいな発言ができるし、押しが弱いと正当化されないいじめみたいなことはうけやすいです。ただそんな世の中を好きではありません。押しが強くもできるんですが、最近、モラルハラスメントなどありますよね。 今日は、私のスリッパが定位置になくて違う場所に置いてありました。かなりそれで不機嫌です。そんなことをされると嫌なのでそろそろ押しの強い言い方をしたいと遺憾の気持ちでいっぱいです。スリッパの位置が違ったので今日は本音は不機嫌です。押しの弱いところを見せるとなめられているみたいであまり好きじゃないので押しはかなり強めでものをいいたいと思います。私のスリッパを変なところに移動させたんだから相当文句があります。 スリッパなんか移動させてモラルハラスメントだと思います。あまり何回も続くんであればモラハラで訴えて罰金なども考えています。押しが強くないと後悔しそうなので思い切って文句をいいたいと思います。あまり言うことを聞かない時はどうどう裁判でも戦うつもりです。 というふうに今日は相当機嫌が悪いんですが、こんなことは何回かしないと訴えられないので様子をみて冷静にモラルハラスメントで訴えたいと思います。何回も続くようでしたら覚悟してください。

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教えの庭

【漢字】教えの庭 【読み】おしえのにわ 【意味】教育を学ぶ所。学校。 【例文1】教えの庭で学ぶ。 【例文2】教えの庭を主席で卒業する。 【例文3】母校の教えの庭を訪問する。 教えの庭は学問を教えるところ、学校、学園のことです。今、教えの庭という言葉に接するのは学校の卒業式で歌われる、「仰げば尊し」の歌詞くらいですね。庭というのは広い場所で、物事を行うところの意味です。つまり、昔は神事であっても戸外で火を焚き、お供え物をして、立礼(椅子に座ったりせず立ったままでお辞儀をする)で行っていました。神事も外ならば、学問も外で教えていました。いわゆる青空学級です。今でも発展途上国などでは、青空学級を開校し勉強を教えているのをテレビで見たりしますよね。日本の子どもたちが使い、小学校を卒業した後に役目を終えたランドセルが、途上国に寄付されて、鞄として使うだけでなく、青空の下で机替わりに使われているのを見たことがあります。日本のランドセルは形崩れがあまりせず、がっちりとしているので、ランドセルの平な蓋部分が机としても使えるのだそうです。青空学級は教えの庭の典型です。段々時代は進み、江戸時代になると藩ごとに藩校を設立し、藩士の子弟を教育していましたし、庶民は寺子屋などで学問をするようになり、戸外ではなく屋内で学問をするようになります。それでも「教えの庭」という言葉は残り、現代にいたります。 約10年前にゆとり教育が廃止され、ゆとり教育以前の詰め込み教育が再び始まりました。理由は明白で、ゆとり教育が始まってからの日本の子供たちの学力が、世界的に見て下がってしまったためです。そして再び始まった詰め込み教育では、当然ですが子供たちが受ける勉強の量が増え、教科書や参考書の量もゆとり教育の頃に比べると確実に増えました。曜日によっては、通学カバンに詰め込む教科書の量だけで7kg近くある場合もあるそうです。こんなに重い荷物を背負って学校に行く子供がいるのだと考えると、少しやりきれない気持ちになります。 しかし大変なのは子供たちだけではありません。授業で教えることが増えたため、無論先生たちの業務量も増えました。そのうえ部活動の顧問もするというのが、教育現場での暗黙の了解であるため、先生たちの労働時間もかなり増えているのが現状です。そのため現在では見直しも検討されており、たとえば部活動は学校外部から招いた非常勤コーチに見てもらうことで、先生たちは今まで部活動にあてていた時間を、翌日に行う授業の準備をする時間にあてがえるようになったという学校もあります。 このように学校は、教えの庭として生徒たちが勉学を学ぶ一方で、先生側の体制も変わろうとしています。そして少しずつでも先生たちに余裕が生まれれば、生徒たちともより良い関係を築くことができ、更に良い教育ができるのではないでしょうか。

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お先棒を担ぐ

【漢字】お先棒を担ぐ 【読み】おさきぼうをかつぐ 【意味】先の事もよく考えもせず、人の手先になって行動する者。 【例文1】お先棒を担いで上司の機嫌を取る。 【例文2】取りいってもらおうと取引先にお先棒を担ぐ。 【例文3】社長令嬢のお先棒を担ぐ。 「お先棒を担ぐ」とは、「簡単に人の手先になる」という意味です。 似た言葉に「片棒を担ぐ」というのがありますが、これとはちょっと意味合いが違います。 これらの「棒」というのは、昔、駕籠で人や荷物を運んでいた時、駕籠の上部に通していた一本の棒のことです。これを二人組の駕籠かきが担いで運んでいました。時代劇でおなじみの光景ですね。 前の方を「先棒」「先肩」といい、後ろを「後棒」「後肩」と言いました。「片棒」というのは、どちらか一方のことです。ちなみに、いっしょに担いでくれる相手を「相棒」と呼びました。「相棒」の語源はここからきているんですね。 話は戻りますが、「片棒を担ぐ」というのは、「先棒」でも「後棒」でも、どっちかを担ぐということで、悪いことをする時に使い、相棒もまた同じだけ悪いやつってことになります。 ところが「お先棒を担ぐ」となると、担いでいるのは「先棒」です。これは相棒と一緒に悪事を働くという意味ではなくて、人の言いなりになって、ひょいひょい先棒を担いでしまう。つまり、手先になる、ということです。悪事への加担率は低い方でしょうが、いかにも軽率な感じですよね。 「先棒担ぎ」という言葉もあって、これは「人の手先になって騒ぎまわる者」という意味です。 なにか、物事を深く考えないで、お調子者で、後ろで糸を引いている黒幕の真意などわかってなくて、真っ先に飛び出していって、騒いだあげくに、不始末をやらかすようなすっとこどっこいが頭に浮かぶのですが、皆さんは、どんな人をイメージしましたか?

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驕る平家は久しからず

【漢字】驕る平家は久しからず 【読み】おごるへいけはひさしからず 【意味】自分の地位や名誉を利用して、ごう慢に振る舞う者はやがて落ちぶれる。 【例文1】彼は驕る平家は久しからず、誰も寄り付かなくなった。 【例文2】驕る平家は久しからず会社が倒産する。 【例文3】驕る平家は久しからず客層が離れた。 驕る平家は久しからずとは地位や権力を利用して威張る者はその地位を長く保つことはできないという意味です。 地位や権力があることはとても羨ましいのですが、威張る態度はどうかと思いますね。 主人の塗装会社の社長さんは一代で築いてきた敏腕社長らしいです。利益重視でお客様の要望は二の次で気の強い顧客だと時々トラブルになることがあるそうです。営業こそ大事なのに・・雨が降ると待機することもしばしばで、生活が苦しい上、驕る平家は久しからず的な社長と反りが合わず、主人までもが転職を考えています。この2ヶ月ですでに3人が辞めてしまいました。仕事のことはわたしにはわかりませんが、お酒を飲むと社長の愚痴が出ます。主人が好きで入った塗装会社。我が家の実家の外壁も主人が休日返上で仕事してくれました。友人が店をオープンさせると聞いて外壁を買ってでた主人は塗装の仕事が大好きで誇りを持っています。社長のせいで仕事までもがおもしろくないと思い始めたら、精神的にダメージを受けると思います。私が後押ししたら、転職でも考えるのかしら。生活も大事だし、本当に悩んでいるみたいです。 ちょっとした成功で臨時収入が入ったときの話ですが、儲かっているなら少しは奢れといわれたときの話です。 平家でも源氏でも何でもない一般市民な訳ですが、ばら撒けるほどの大金が入ってきた訳ではないので適当に断ろうとしたのです。 友人は、平家の驕るは権力を盾に好き勝手することで、自分はそこの居酒屋で何か食わせろと言っているのだと、あっさり論破されました。 結局最終的には、「ごちそうさまでした」という言葉を残して友人は意気揚々と去っていきました。 まあ人間は持ちつ持たれつ助け合って生きていくものなのですから、余裕があるならば一杯振舞うくらいは当たり前なのでしょう。 平家も驕り高ぶらずに、適当に富をばら撒いて味方をしっかり確保していれば滅ぶこともなかったはずです。 「驕る平家は久しからず」というより「奢らなかったので平家は滅びました」の方が納得できそうです。 平家物語の冒頭部分を高校生の古文で暗記させられた記憶がありますが、あちらは「おごれる人も久しからず」だったでしょうか。 諸行無常とか盛者必衰はまだしも娑羅双樹は何だったのか、既に忘却の彼方です。 多少軽くなった財布にぶら下がる鈴が、祇園精舎の鐘に比すると軽薄そうにしかし涼やかに鳴った気がしました。

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後(遅れ)れを取る

【漢字】後(遅)れを取る 【読み】おくれをとる 【意味】他より一歩遅れた段階にいる。 【例文1】入院していたため授業で後れを取る。 【例文2】出世を越され遅れを取る。 【例文3】婚期逃し遅れを取る。 私の人生を振り返ってみると、同級生よりも遅れを取っていることばかりだと感じています。 恋愛、結婚などに置いても、全て遅れを取っています。 私はどちらかというと、マイペースな性格などで、自分は自分と割り切って考えるところがあります。 それでも多感な時期は周りに遅れを取りたくないと、必死で頑張っていました。 自分のために頑張るのではなく、周りに負けたくないから、遅れを取りたくないからとたくさんの見栄を張ってきたように思います。 もちろん、遅れを取らないために、様々な努力もしてきました。 しかし、どんなに頑張っても遅れを取ってしまう人もいれば、頑張らなくても何でもできてしまう人がいます。 私の場合は前者に近かったのかもしれません。 もちろん、私の中でも頑張らなくても遅れを取らないものもありました。 しかし、それをメリットとは考えずに、できないことばかりを追い求めていたような気がします。 遅れを取ることを意識しなくなってからは、かなり自分の人生を生きやすくなったと感じています。 周りは周りと別なものとして捉え、自分の進むべき道をまっすぐに進んでいくことの方が今は大事だと思っています。 そのため、あれほど遅れを取らないように必死で頑張っていた時代とは、全く違う人生を送れるようになりました。

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臆面もなく

【漢字】臆面もなく 【読み】おくめんもなく 【意味】遠慮した様子もなく図々しい者。 【例文1】臆面もなく並んでる列に割り込んでくる。 【例文2】彼は臆面もなくよく食べる。 【例文3】臆面もなく手ぶらで来訪する。 「臆面もなく」とは「気おくれした顔面、様子がちっとも感じられない」ことです。この言葉で連想されるのは夏目漱石の「坊ちゃん」です。主人公は単純明快な青年で、四国松山の中学校の数学教師として、東京から赴任します。初めての土地、初めての教職ですが、江戸っ子気質を武器に生徒たちと向き合います。ただし、田舎町では新参者が珍しいこともあり、先生の動向を生徒たちは逐一知り、共有しては黒板に書いてからかってきます。それもこの坊ちゃん先生のことが気に入っているからこその行動なのですが、本人は気が付かず、只々生意気な生徒たちが、元気を持て余してかまってくるぐらいにしか思っていません。田舎に来て、知り合いもいない解放感から、運動のためにと人がいないのを見計らっては毎日のように銭湯で泳ぐ彼。ある日、墨黒々と「泳ぐべからず」と書いてあります。そして次の日の朝、教室の黒板に「湯の中で泳ぐべからず」と書かれています。まるで生徒に見張られているようだと驚きながらも、銭湯で泳いだことに反省するでもありません。そして文字通り「臆面もなく」淡々と授業をこなしていきます。生徒たちはその後もからかい続けますが、次第に両者に信頼関係が生まれます。

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おくびにも出さない

【漢字】おくびにも出さない 【読み】おくびにもださない 【意味】口に出さない、それらしい素ぶりも見せない。 【例文1】おくびにも出さないから、苦労してたなんてわからなかったよ。 【例文2】見栄張りでもおくびにも出さない。 【例文3】プライドが高くおくびにも出さない。 物事を深く隠し通して、決して口出さず、素振りすら見せないという意味です。 言葉の意味を知っていても、語源については知らない、もしくは「おくび」って何と思っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。 おくびとは、溜まっていた胃の中のガスが口から外に出るもの。いわゆる「ゲップ」のことです。つまり、腹中にあるものを「おくび」としてさえも出さないように、胸中に秘めたことや隠していたことを口外しない、表に出さないということを喩えたものです。 類義語として、「そしらぬ顔」や「何食わぬ顔」等があります。 「おくびにも出さない」ことが上手な方が世の中に沢山存在しますよね。逆に、嘘バレバレで、顔に自分自身の感情や思っていることがそっくりそのまま出てしまっている方と2パターンいますね。私は弱気な自分は知られたくない派なので平然を装っています。

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奥歯に物が挟まる

【漢字】奥歯に物が挟まる 【読み】おくばにものがはさまる 【意味】言いたいことをはぐらかすようなハッキリしない感じ。 【例文1】言い訳が見つからず、奥歯に物が挟まる。 【例文2】奥歯に物が挟まる言い方にイライラする。 【例文3】奥歯に物が挟まる言い方が気になる。 当然ですが、「奥歯に物が挟まる」の意味くらい知っています。 本当に言いたいことを直接的に表現せず遠まわしに言ったりすることが、本来の使い方でしょう。 実際に奥歯の間に食べ物などが挟まると取り除き難いことこの上ないです。 強い力で噛んでしまい、意図せず歯と歯の間に押し込んでしまった魚の骨などは簡単には取れません。 鏡を見ながら道具を使えば多少時間をかければ取り除けそうですが、中座が出来ないときはかなり困ります。 相手に知られぬように噛みあわせを変えたり、舌で取り除こうとしても成功することなど全く見込めません。 ばれないように食事を続けるしかないわけですが、気にならない訳がなくストレスは地味に溜まります。 奥歯は隙間があまりないので物が挟まるような事態はそう起こるものでは有りません。 歯並びが悪い人は、犬歯のあたりの並びにズレや隙間が多いので物が挟まりやすいです。 歯の前側に挟まったものが出ていれば、爪などで取り除くことはそんなに難しくないです。 問題は歯の裏側の根元当たりに挟まっている状態です。 指も届きにくく、こっそり素早く処理することなど全く期待できません。 奥歯に物が挟まる状態と同様に、周囲に悟られることなくひたすら我慢するしかないです。

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屋上屋を架す

【漢字】屋上屋を架す 【読み】おくじょうおくをかす 【意味】屋根の上にさらに屋根を架けるように、重複して無駄なことをする。 【例文1】洗剤を規定量以上入れても洗浄力は変わらない。そんなにたくさん入れたところで屋上屋を架すようなものだよ。 【例文2】わからない問題を何時間も考えて屋上屋を架すだ。 【例文3】ストックが多すぎて場所が屋上屋を架す。 「屋上屋を架す」は「おくじょうおくをかす」と読み、直接的には「屋根の上に屋根を作る」という文で、無駄なことを指します。 数十年の人生で一度も聞き及んだことのない言葉なので調べてしまいました。 屋根の上にワザワザ、屋根をさらに作るとは、一体どのような状況だったのでしょう。 屋根の上に屋根がある建物といえば、五重塔が思い浮かびますが、建築美によるものであろうと推測されるので無駄という表現にはあたらないと思います。 文化財などの修復のために建築物をさらに大きな建物ですっぽりと覆うのも屋根の上に屋根ですが、これも必要とされたからで全く無駄ではありません。 中国の古文(顔氏家訓)が語源らしく、そちらは「屋下に屋を架かする」でした。 「牀上に牀を施す」と続きますが、二段ベットが無駄であると主張しているわけではないようです。 その時代の学問が古い時代の模倣に終始していることを嘆いて言った言葉のように読み取れましたが、正確かどうか自信がありません。 多分、使うこともないであろう言葉の語源について調べることは、かなり無駄のようにも思えます。 この言葉について調べる手間が少しでも省かれたなら無駄ではなかったことになると、とりあえず思い込むことにします。

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傍(岡)目八目

【漢字】傍(岡)目八目 【読み】おかめはちもく 【意味】他人の囲碁を傍で見ていると、対局者よりも冷静に先手が読めるもので、当事者よりも第三者の方が、冷静に判断できる。 【例文1】バイク事故を起こした本人よりも、目撃者の証言が岡目八目である。 【例文2】あとになって友人の言う通りにすればよかったと岡目八目だ。 【例文3】空き巣に入られパニックになり、子どもの記憶の方が岡目八目だ。 「傍目八目」は囲碁から出た言葉です。他人の囲碁を傍で見ていると、実際に対局しているときよりもずっと手が読めるということから、転じて局外にあって見ていると物事の是非、利益、不利益が明らかにわかることを指します。将棋の世界ではありますが、今回引退された、加藤一二三九段がもう少し若い時に編み出した、「ひふみんウオーク」が「傍目八目」に通じていると思われます。将棋の対局中に、次の一手が浮かばなくなった加藤一二三九段。そこで、相手の棋士が部屋から出ていかれ、自分だけになった時間を利用して、自分の席を外れ、相手の側へ回り込んで将棋盤を覗き込んだところ、自分の手のどこに弱点があるかや、相手の次の一手がわかったそうです。相手の手の内がわかれば、自分はそれに対処し、弱点を補う手を打てばいいのです。つまり相手の席側に回り込むことで、別の視点から棋譜を読むことができ、最上の一手に繋がったのです。そして、今、注目の藤井聡太四段が先日の手合わせで、相手が席を外し、部屋の中に自分一人になった時、この「ひふみんウオーク」をしている姿がテレビで公開されました。不正がないようにカメラが仕込まれていることは想像に難くありませんが、加藤一二三九段の前例がなければ、不穏な動きと見られたかもしれませんね。

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お株を奪う

【漢字】お株を奪う 【読み】おかぶをうばう 【意味】他の人が得意とする事を簡単にやってのける。 【例文1】新入社員が、先輩より習得が早くお株を奪う。 【例文2】2ヶ月かかって習得した技を後輩が1ヶ月でお株を奪う。 【例文3】料理教室で生徒がお株を奪う。 意味が異なりその人が得意とする分野の物事を真似てその人よりも上手を取る事を意味しています。 私が思うに株という言葉はその人の面子や評判的な意味合いがあり、その株を奪う訳ですから奪われた側はなんだか少しプライドが傷つきますよね。 この事柄を自分の経験に当てはめると自分が先にやっていた習い事に友人を紹介し数ヶ月後にはその友人の方が自分より上達している事がありなんだかヘコんだ経験があります。 なんだか先に物事を始めたにも関わらず後から来た人に先を越されると面子が潰された気分になってしまいます。 しかし、私は逆の立場も経験したことがありその後、人間関係がギクシャクならないかその時は冷や冷やしていました。 お株を奪うって言葉はお株と言う丁寧な言葉で相手を立てながらも密かにその株を奪おうとしている人の腹黒ささえ感じるなとも思います。 ただ、人の数ほど個人の能力に差は生じて当たり前だとも思うので誰しも物事は先に始めた人が上手いとは限らないと言う考えも少々あります。 私は以前から料理をするのが趣味で、休みの日や妻の体調が悪い時など料理を作っています。今では様々なレパートリーがありますが、中でも1番得意とする料理は唐揚げです。 私が作る唐揚げにはこだわりがあり、コンビニや揚げ物屋、飲食店などで食べて研究し長い間試行錯誤しながら、ようやく作りあげた唐揚げです。研究した内容は、肉をどのようにねかすと柔らかくなるかや、調味料の種類、鶏肉の種類などです。 家族から好評で、唐揚げ専門店のお株を奪う味と自画自賛していました。それだけに、夕飯何作る?と聞いたら必ず唐揚げと言われ、他のメニューのリクエストはまずありません。裏を返せば、他のメニューはあまり美味しくないということかもしれません。 ある日、妻が唐揚げを作るというので、少し上から目線でアドバイスをして、心の中では私の唐揚げは越せないと思っていました。作り方は私のやり方とかなり違いがあり、ベースになる鶏肉も部位が違うものでした。 完成後試食をしたら、びっくりする程の美味しさで家族全員が大満足でした。私の作る唐揚げを遥かに上回る味に、私のお株を奪う妻だと思い作り方を教えてもらいました。教わった作り方でやっても、味に差が出るので揚げ方も大切だと感じています。

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陸に上がった河童

【漢字】陸に上がった河童 【読み】おかにあがったかっぱ 【意味】河童は水の中では自由に泳ぐことができても陸に上がれば無力である。違う環境になると力が発揮できないこと。 【例文1】彼女は勉強はできるけど、陸に上がった河童で運動は好きではない。 【例文2】高校まで陸上部だった。引退から数年たった今、 走れもしない、陸に上がった河童だ。 【例文3】転勤になって陸に上がった河童だ。 中学高校の6年間、私はソフトテニス部でした。来る日も来る日もひたすらラケットを振りまわし、全身日焼けして黒光りする程の青春時代を送りました。 実績としては四国大会出場レベルでしたが、自分の中では目標達成でき、素晴らしいチームメイトと出会ったソフトテニスには楽しい思い出と感謝の念が強くありました。 大学進学後はソフトテニスからも離れてしまっていましたが、やはりテレビや街中でテニスをしている姿を見るとウズウズしてきます。 いつかまた・・・と思っていましたが、主人と一緒に楽しめる趣味を作ろうという話がきっかけとなり硬式テニスを始めることとなりました。 若かりし頃のイメージだけが頭に残っており、ソフトテニスも硬式テニスもそんなに変わらないだろうと安易に考えていた私。 テニスド初心者である主人はテニスの動画を毎晩チェックし学びを深める姿を横目に、私は呑気にアイスを食べていました。なんなら教えてあげよう!とまで威張っていました。 そして迎えた初打ちの日。驚く程、打てない、飛ばない、走れないの3拍子。栄光の若かりし頃は15年前だったのだと気付き、何よりも私が思っていたほどソフトテニスと硬式テニスはイコールではありませんでした。まさに陸に上がった河童状態。後日参加したテニスレッスンでは主人と一緒に初心者基礎コースへ参加し、いちから学び直そうと心に決めました。きっと陸に上がった河童も、少々大丈夫だろう!と思って歩き出して、すぐに後悔したのではないだろか。と、そんな様子が自分と重なると同時に、私はもう一度頭のお皿をお水で潤わせることでテニスを楽しんでいく!そんな決意を込めたテニス奮闘記でした。

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大目に見る

【漢字】大目に見る 【読み】おおめにみる 【意味】人の失態を責めず、寛大に受け止める。 【例文1】今回だけは大目に見よう。 【例文2】今日の事は大目に見るが、次はない。 【例文3】多少の失敗は多めに見る。 失敗や欠点を許すことを大目に見るといいますが、そのような状況で大きな目をしていたらかなり不自然です。 口では許すと言いつつ目を見開いて絶対に許さんという意思を示されたら恐怖以外の何ものでもありません。 どうにも納得いかないのですが、考えてみても見当がつかないので調べてみました。 どうやら目は目でも網の目の大きさのことで、それならば小さな瑣末な物は網やザルからすり抜けるので納得いきます。 逆の意味の言葉で天網恢恢疎にして漏らさずという言葉がありますが、現行の法律はザル扱いされることが結構あります。 しかも厄介なことに、組織的な悪事を働く者が抜け道を熟知してすり抜ける場合もあるですから困りものです。 それこそ大きく目を見開いて、卑劣な犯罪者が法の網目を抜けることの無いようにしっかりと見張る必要があります。 全部を通さないと社会が成り立たないので小事については町内や個人などで戒めることも必要なことなのでしょう。 自己申告で大目に見てくれと言い出す人がいますが、そのような我侭を許していては際限なく大目に見ることになりかねません。 ある程度の寛容さは持ち合わせても、一線を越えるような行いに対しては厳格な態度をとれるだけの心構えが必要です。 「大目に見る」という言葉はよく聞く言葉だと思います。私も過去に「大目に見る」という経験をたくさんしました。例を挙げると、職場で新しく入ってきた社員の仕事ぶりについてです。その方は新卒2年目で、前職でも社会人の基本を教えてくれないような環境だったらしく、ビジネスで使う言葉遣いや電話での対応が全くできていませんでした。例えば、上司の事を指す時に「あの方」等ではなく「あの人」と言ったり、入社間もない仕事中に「眠いですね」とあくびをしたり、電話を出る時の第一声が「もしもし」であったりしました。初めはこんな基本的な事から注意したり教えなければならないの?と呆れました。さらには教えても返事が「はぁ」とか「あぁ、、」等の分かっているのか分かっていないのか判断できないものでした。教える側の私のやる気が失われそうになりましたが、いわゆるゆとり世代であり、新卒2年目で社会を知らない人に対して、社会経験のある自分たち世代と同じ事を求めても仕方がない!と割り切り、今きちんと教えてあげないと次の世代の人たちにも悪影響を及ぼし兼ねない、と考え、基本中の基本から教えることにしました。ひとつひとつ丁寧に怒らず教えました。この経験を「大目に見る」ということだったなと思い出します。 「大目に見る」とは、失敗をしても多少は見逃すことや咎めない意味で、生活の中でも良く聞く言葉ではないでしょうか。特にスポーツをしている方は、試合で失敗をしても大目に見られて軽い注意くらいで済む選手を、スポーツ中継などで見ます。 「大目に見る」は誰に対しても行われるのではなく、そこにはルールがあると思います。まず日頃失敗をしない優秀な人間に使われますね。失敗が珍しいので、一度くらいで注意しなくても大丈夫という意味合いで使われるでしょう。また仕事などで初めて業務を行う新人の失敗に対しても使用される場合があります。最初から仕事ができるはずがないという意識から「次は失敗はするな」と釘を刺される感じです。 逆に、いつも失敗ばかりしてしまう人間には滅多に使われません。仏の顔も三度までと言いますが、「大目に見る」ことが許されるのは、失敗が三回以内までの人ではないかと私は考えています。全員が平等に大目に見られたら、失敗をしない方にとって不平等になってしまいますが、結局は注意する指導者の気まぐれなのかも知れません。 失敗をしないことが一番ですが、もし失敗をした時のためにも、日頃の行いを良くしていれば大目に見られることが増えるはずです。

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大目玉を食う

【漢字】大目玉を食う 【読み】おおめだまをくう 【意味】ひどく叱られること。 【例文1】父が大事にしている盆栽を壊してしまい、大目玉を食う。 【例文2】部活をサボり大目玉を食う。 【例文3】コレクションを売りに出して大目玉を食う。 数年前、以前の別の職に就いていた時です。当時は営業職でお客様をお相手するような業務内容だったのでコミュニケーション能力の低い自分にとってはなぜこの部署に配属されたのか謎でした。学生時代に裏方ですかいくつかバイトを経験していたので、仕事をするということに対しては基礎能力はあったとは思いますが、とても緊張する性質で正直毎日が憂鬱でした。そんな中、上司から大目玉を食いました。上司は指示した、私はそんな話聞いていないと言い争いです。特に仕事ができる上司というわけではなく、あまり部下からも更にはその上の偉い方々からも蔑ろにされていた上司だったので私の味方も多かったですが、とても理不尽な理由でした。指示された記憶も記録もなく、最終的には事なきを得ましたが、大勢の前で叱られている最中は他人事のように心ここにあらずで、本当に頭に血がのぼって怒っていると目がかっと開いてこれが大目玉かと考えていました。打上げられた深海魚のようで笑いをこらえたのを覚えています。その後、結局その上司からの指示は私が叱られた日に休んでいた別の人へとされていたことがわかりました。上司は以前からの所業も部長に伝わってしまい大目玉を食うことになりスカッとしました。

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大見得を切る

【漢字】大見得を切る 【読み】おおみえをきる 【意味】自信があると大げさな言動をとる。また、出来もしないのに出来るフリをする。 【例文1】好きな人の前だと、大見得を切りたくなる。 【例文2】女性の前でかっこつけて大見得を切る。 【例文3】お会計は上司が大見得を切る。 仕事をする上で、「多分」とか「大丈夫だと思います」などという言葉を使っては顧客に不安を与えることは分っているのです。 その場で確認がとれる事柄ならば即座に調べるのですが、常にそれが出来るとは限りません。 生来の小心者ゆえ、確実に大丈夫という確信が無ければ「大丈夫です」と相手を納得させることが出来ません。 あからさまに表情や態度に出てしまうのを抑えることも難しいです。 大嘘を平気で付ける詐欺師のような人間の精神構造がどのようになっているものかと、考え込んでしまいそうです。 大見得とは歌舞伎の役者が殊更に際立ったポーズをとる様子を指すそうです。 演技とはいえ、自分自身が役に没頭し成りきってなければ不自然さが鼻につくことでしょう。 思わざれば花なり、という言葉があるように、演じようとした時点で微妙な嘘がにじみ出そうです。 対して、嘘をつく人間が役に没頭することなど考えられません。 相手を騙すことに微塵も罪悪感を感じずに平気で虚言を連ねることが出来る位置まで堕ちたであろうことが推察されます。 嘘をつく練習でもすればその域にまで達するのかもしれませんが、気に病むあまり胃に穴が開くほうが先のような気がします。 待たせた場合、客が他に移ることも危惧されますが、「調べて後ほど連絡させていただきます」が私には精一杯です。

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大風呂敷を広げる

【漢字】大風呂敷を広げる 【読み】おおぶろしきをひろげる 【意味】大きな風呂敷を広げて何でもかんでも包んでしまう様子から、出来そうにもない事を大げさに言ったり、計画する。 【例文1】彼の話は大風呂敷を広げるから、信用できない。 【例文2】知識も浅いのに大風呂敷を広げる。 【例文3】大風呂敷を広げて失敗に終わる。 「1日に30分で30万稼げます」とか「不労所得の方法を無料で教えます」などという宣伝文句をネット上で見かけることがあります。 考慮に値しないほどに荒唐無稽で怪しすぎる広告ですが、クリックすると延々と宣伝文句を説明し続ける超がつくほど縦長のサイトに導かれます。 無料でサービスが受けられる、特別な技能がなくても誰でも簡単に出来る、人数や期間は限定されているなどの常套文句と、何度もしつこくメール登録を促します。 正直に言わせてもらうと、これに騙されるのは余程の世間知らずで人を疑うことを知らない能天気な方なのだろうと思わずにはいられません。 読みやすさだけは評価できそうなしかし中身の薄い縦長のサイトは、大風呂敷を広げるというより長風呂敷を広げたとでも表現すればよいくらいです。 大風呂敷を広げるの意味に一つも外れることなく、中身がほとんどなく実現性もない話を書き連ねるその神経は何を拠り所としているのでしょう。 商売の基本原則は、安く仕入れて高く売りつけるなので無料サービスは絶対どこかでその分をせしめようとしています。 特別な技能が無くても高収入が得られる職など存在せず、仮にあっても得られる収入に見合わない高いリスクを負うことになります。 期間限定などという言葉は、同じようなサービスをこれから何度も繰り返しますと言っているようなもので全く魅力的ではありません。 とにかく大風呂敷を広げているのを見かけても試しに踏んでみようなどと思わないことです。 ひとたび関わりあいを持てば、今度は稚拙な手段ではなく巧妙な手口を使ってくる危険もあるからです。

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大船に乗ったよう

【漢字】大船に乗ったよう 【読み】おおぶねにのったよう 【意味】信頼できる者に任せて安心している様子。 【例文1】息子に会社を引き継いで大船に乗ったようだ。 【例文2】家事は娘に任せて大船に乗ったように旅行に出る。 【例文3】彼女に任せれば大船に乗ったようなものだ。 「大船に乗ったよう」というのは、信頼できるものに任せて、安心しきっている様子。または、心持ちなどが信頼できるものに対して不安が全くない様子といった、特に心配事はない気持ちを示す意味です。 類似語は「親船に乗ったよう」です。 これも同じように信頼できるものに頼った安心できる様子を示します。 小舟に乗ると揺れたり大きな波がきたら転覆しないか、危険はないのかなど心配したりしますよね。 しかし大船に乗っていれば、揺れることも少なく、大きな氷山にぶつかるなどのよっぽどのことがない限り転覆することもありません。 つまり、大船とは信頼できるものということですね。 使い方として例えば 「明日の会議につきましては、私達でしっかり準備していますので、課長は大船に乗ったつもりで明日いらしてください。」や 「今日は調理師免許を持っている僕がご飯を作るから、君は大船に乗ったつもりで休んでていいよ。」 などといった場合に使います。

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大手を振る

【漢字】大手を振る 【読み】おおでをふる 【意味】大きく手を振って歩くように、周囲を気にせず堂々とした態度をいう。 【例文1】息子のサッカーチームが強豪校に勝って大手を振る。 【例文2】諦めず最後まで戦った選手団が大手を振る。 【例文3】大手を振って入場行進をする。 大手を振るという言葉を使うと、毎日の帰宅の際に大手を振って帰っていますか。 大手を振るという言葉は、他人のことを気にせずに堂々とすることを言います。 仕事が完璧に、充実して終わっていれば、毎日大手を振って帰宅できますが、15年間仕事をしている中では、なかなか大手を振って帰るような仕事ができていないこともあります。 仕事の失敗もありますし、上司にハシゴを外されてしまい、再度初めから調整をしなければならないことも経験しています。 従いまして、最近は大手を振って帰宅するにはどうすれば良いかを考えながら仕事をしています。そのポイントは生産性です。 仕事の生産性が高いなら、毎日の仕事は定時で、大手を振って帰れます。 生産性が低く、成果もでていない場合には、早く帰ることもできません。 また、上司から結果を求められ、結果が出るまで帰宅できないこともあると思います。私もよくありました。 このように、大手を振って帰る事は、なかなか難しい事ではありますが、昨今の労働時間の見直しの傾向からみると、大手を振って帰るために個人のワークスタイルを再考して、充実した生活ができるようにしていかねばならないですね。

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大きな顔をする

【漢字】大きな顔をする 【読み】おおきなかおをする 【意味】威張った態度を取る。他人に迷惑をかけておいて平気な態度を取ること。 【例文1】彼は謝ることなく大きな顔をしている。 【例文2】酒に酔った客が俺は客だ!と大きな顔をする。 【例文3】2代目だからと言って大きな顔をする。 大きな顔をするとは、自分がえらい者であるかのような顔つき。人に迷惑をかけておきながら、平然としているといった意味です。 たまに見かけますよね。飲食店で酔って絡む客や電車の中でも大きな声でしゃべっていても害は与えていないと大きな顔をしている人。そういう人はだいだい自己中心的な人が多いですよね。 だからと言って公の場で注意する人も少ないと思いますがね。このご時世、逆切れしたり根にもって逆恨みされたらたまりませんもの。保守的になりるのも無理ないです。 私の職場にもいます。納期に遅れても悪びた様子もない、むしろ俺できるだろ?的な態度を示してきます。誰にでも対してです。 大きな顔をすると周りからも煙たがられますし、人づきあいもできません。 社会人になったのであれば少しは社会の常識を学んでもらいたいですよ。 人間誰でも良い事しかしないわけではありません。たまには間違った事もするでしょう。 でもそこで間違いに気付き態度を改める事が大切です。 そういう人の方が高感度もあがり、人としても成長していくのだと思います。

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大男総身に知恵が回りかね

【漢字】大男総身に知恵が回りかね 【読み】おおおとこそうみにちえがまわりかね 【意味】体ばかり大きくて知恵が回っていない男のたとえ。 【例文1】彼に言っても大男総身に知恵が回りかねで何も期待できない。 【例文2】彼は体ばかり大きく、大男総身に知恵が回りかねで役に立たない。 【例文3】大男総身に知恵が回りかねで頼りない。 図体ばかり大きく知恵が回らない男 大男総身に知恵が回りかねとは図体ばかり大きく知恵が回らない男を言います。 そうは思われたくないですよねー。だいたい人は見かけで判断しますから、背が高くてがっちりしていれば力持ちに見られることでしょう。 実際会社の後輩がそうです。背は175センチくらいですが、90キロの大柄体型です。さぞ力があるかのように見えますが、メタ簿体系で、階段を上るのも3階がやっとらしく、車移動に慣れて走る・歩くは苦手のようです。荷物は持てますが、持続がありません。これでは大男総身に知恵が回りかねです。中学の頃は恵まれた体格ゆえに高校から推薦の話も来たようです。運動が苦手な彼は断ったそうです。 逆に身長176センチ痩せ型、現場仕事をしている知り合いは、スリムで力なさそうに見えるが、脱ぐと毎日の鉄骨運びで腕の筋肉がモリモリでした。かっこいいですよねー。男が見ても憧れます。 私はと言いますと172センチやや痩せ型で大きくもなく小さくもなく中間です。実生活では2児のお父さんで毎日子どもを抱っこしながら、筋トレやっています。子どもも喜んで私も大男総身に知恵が回りかねにならぬよう鍛えられて一石二鳥です。

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おうむ返し

【漢字】おうむ返し 【読み】おうむがえし 【意味】相手が言った事をそのまま言い返す。 【例文1】彼との会話はおうむ返しでつまらない。 【例文2】コールセンターでの対応はおうむ返しで再確認する。 【例文3】重要な伝達はおうむ返しする。 私の所属する部署の上司は、同僚の間でおうむ返し部長と呼ばれています。呼び方は色々あり、部長の部分を名前にする時もあります。 そのあだ名がついた経緯は、全支店会議の時に社長が色々なことを話した後部長が話すのですが、社長が言った内容と同じことを話すので、あだ名がおうむ返し部長となりました。 会議の時だけではなく、部長と話しをする時も私が提案や改善をすると、それをそのまま言ってきて大方認めてくれます。よほどおかしな内容でなければ、部長から何か違う意見を言ってくることはありません。 部下としては、楽に仕事ができるのでありがたいですが、その部長は社長の息子で最近転職して、いきなり部長として入社しました。将来は社長になると思うので、下手なことは言えませんが、今は私に気を使っておうむ返し部長になっていますが、将来が怖いです。 しかし、部長は威張ったり社長の息子なんだみたいな態度はなく謙虚な人なので、私は嫌いではありません。ただ、普段何も言ってきませんが、社長には逐一状況を話しているらしく、たまに社長からチクリとされる時があります。

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王手を掛ける

【漢字】王手を掛ける 【読み】おうてをかける 【意味】成功・勝利まであと一歩という状況。 【例文1】リーグ戦優勝に王手を掛ける。 【例文2】明日の決勝戦に王手を掛ける。 【例文3】王手を掛けた試合が始まる。 勝負ごとや目的を達成を目指してがんばった末に、いよいよ目標達成が間近に見えてきた際などには「王手を掛ける」という言葉が使われることがあります。 野球で言えば、リードして9回ツーアウトを迎えた場面であったり、目的の最終段階に入りいよいよという場面でしょうか。 言葉の由来は将棋の「王手」から来ており、王手は次の手番で相手の王を取れる状況です。 王様が取られてしまうと負けになってしまうため、王手を掛けた方は勝利目前、掛けられた方は絶対絶命という場面です。 しかし王手を掛けたからといって勝利が確定したわけではありません。 王手を掛けられてもまだ逃げる余地が残されていることもありますし、詰みまでに相手がミスをすることも考えられます。 真剣勝負というのはひとつのミスが流れを大きく変えてしまうことがあります。 これは将棋以外でも同じことで、王手を掛けたあと。つまり目標達成の直前こそ最も重要な場面です。 人は目標が達成できると感じると、無意識に気が緩んだり、心にブレーキがかかってしまうとも言われています。 王手を掛けたあといかに気を抜かずに最後までやりきるか。人間同士の戦いであっても目標に向かっているときでもまさにここが一番の勝負どころと言えます。 「王手を掛ける」はご存知のように将棋の言葉です。相手の王将の駒を手中に納めるような手を自分が打った時、「おうて」と声をかけるのがルールです。つまり「王手を掛ける」は「将棋で直接、相手の王将を攻める手法をとること、であり転じて相手の死命を制するような手段にでること」です。先日将棋の非公式戦で14歳の藤井聡太四段が羽生善治三冠と対決し、羽生棋士が負けましたが、その時も「王手」の言葉はかからず、素人にはわからないほどのタイミングで「負けました」と羽生棋士が頭を下げていました。将棋の上手な人ほど先の手、先の手と読むので「えっここで」という場面で投了となりますね。ところで将棋の駒には「王将」と「玉将」があるのはご存知ですか?元々は「玉将」しかなく、「玉」から点を取ったのが「王将」なのです。王将が生まれた由来は不明ですが「玉」と「王」の字が似ているため、区別するために一方を「王」にしたとする説や、豊臣秀吉が「王でないと気に入らない」「王は一人でよい」と言って一方の点を取ったなど諸説あるそうです。といって二つの駒の動きに違いはありません。慣例として、上位の者が「王将」、下位の者が「玉将」を使うことになっています。先ほどの二人の戦いでも羽生棋士が「王将」を藤井棋士が「玉将」を使っていました。挑戦者が「玉将」と覚えておけば間違いないですね。命の取り合いはなくても将棋の世界の勝負はハードで、一局終わると体重がガクンと落ちている棋士もいるそうです。大変なんですね。

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負うた子に教えられて浅瀬を渡る

【漢字】負うた子に教えられて浅瀬を渡る 【読み】おうたこにおしえられてあさせをわたる 【意味】背中に負った子に浅いところを教えてもらいながら川を渡ることから時には初心者や年下からも教わることもあるという意味。 【例文1】スマホ機能がわからず、祖父が孫に負うた子に教えられて浅瀬を渡る。 【例文2】最新型の車の操作を負うた子に教えられて浅瀬を渡る。 【例文3】上司が部下にパソコン操作を負うた子に教えられて浅瀬を渡って習う。 「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」は「時には自分より年下のもの、未熟なものに教えられることもある」の意味です。子を背負って川を渡っている途中、親は足元を流れにとられないようにと必死で下ばかり見て歩みを進める事でしょう。 おんぶされた子どもの方があちらこちらに目を配り、他人が渡っている様子や、川の中の葉っぱの淀みなどで浅瀬を見つけることができて、親に教えることで無事に川を渡ることができたというおそらくは実体験から出てきた言葉でしょう。言葉は知っていても、いざその時になって、自分より目下の部下の進言を快く受け入れられるかというと、上司にもプライドや見栄があり、聞き入れられないこともあります。そんな時はこの言葉で自分を納得させてみるのもいいかもしれません。それが度量というものです。

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老いては子に従え

【漢字】老いては子に従え 【読み】おいてはこにしたがえ 【意味】年を取ったらおとなしく子どもの言うことに従ったほうが良いという戒め。 【例文1】息子夫婦と同居するのなら老いては子に従えの方がうまくいく。 【例文2】お嫁さんの意見も老いては子に従えで耳を傾ける。 【例文3】養ってもらうのであれば老いては子に従え。 老いては子に従えという言葉が好きです。 自分ばかりが意気がり強がって生きていっても人生虚しいと思います。 確かに若い内は、親や目上の人になるべく頼らないで生きた方が、周りからも注目され尊敬されるでしょう。 でも、人は段々年を取るにつれて考え方が頑固になってしまい、人の意見特に 子どもや目下の者の意見を仲々受け入れようとしない人が多いですね。 それでは、人は人生の半分を損している事になるのです。 文化や科学の発展は、日々めまぐるしく動いています。そのスピードに老いていく人はついていくのが困難ですが、若者は柔軟な心と頭を持っているためについて行くことが出来ます。 この世の半生をより良く快適に生きて行くためには、若者(子供)の力が必要なのです。 私自身40歳の後半辺りから、子どもたちの現代のスピードについていける能力が羨ましくて仕方がありませんでした。 でも、恥をしのいで色々と教わってきました。 お陰様で、何とか年寄り臭くなく生きていけてるかなというレベルは保っている次第です。 皆さんも、現代におけるあらゆる新しい知識や技術をお子さんから教わってみてはどうでしょうか? お互いが理解し合え認め合うようになってより絆が深まると思います。 そして何よりも賢くなれます。 若い人の柔軟な発想と心を大いに盗んでみてはいかがでしょうか? 「老いては子に従え」という言葉がありますが、元々は女性に対して使われていた言葉でした。現代の女性の立場とは違い、女性は父親や兄、主人に従うべきだという意味が込められていたもので、夫亡き後は子供の言う事に従うべきということわざだったのですが、そのまま現代女性にこのことわざが当てはまるかというと、到底当てはまるわけがないですね。 現代では「歳を取ったなら理解力や判断力も子供の方が上であるから、時代の流れを素直に受け入れて子供の言うことを聞いている方が良い」といった意味合いで使われている言葉です。 人は誰でも歳を取っていくもので、幼い頃や若い頃は当たり前だった事柄や常識と思えていた事柄でも、時代の流れとともにそれが間違っているものとされたり、より良い新しいものに取って代わられたりします。 ですから、昔の事にこだわって意地を張って生きるよりも、子供世代の意見やものの見方を素直に受け入れて生きる方が最終的には良い結果が残せることもあるのです。 実際自分が歳を取り、高齢者になってみないと本当のところは分かりませんが未来を担っていく子供たちのいう事を素直に受け入れる事で新しく見えてくるものもあるのでは無いかと思います。 「老いては子に従え」という教えは、その昔、まだ日本全国に健全な家族制度が確立されていた時代の教えです。健全な家族制度とは、父親を頂点とする厳格な上下関係に基礎を置いている制度であり、やがては長男が家を継いで親の面倒を見るのが当たり前だった時代の制度のことです。この制度の元でこそ、その教えは効力を発揮するのです。 しかし日本の現代社会においては、家族制度も多様化してきました。父親の威厳は弱くなってきましたし、親孝行な子供たちも減ってきていることも間違いありません。こんな現代においては、「老いては子に従え」という教えは廃れてきています。 何しろ子供たちは長男と言えども、昔と違って結婚を機に実家を出て独立するのが当たり前なのです。ですから親は老後に子に従おうと思っても、実家には老夫婦しか残っていないのです。これでは子に従いたくても従えません。 また、そんな親世代も最初から子供に面倒みてもらおうなどとは考えず、老後に備えてせっせと蓄えている現状です。そして子供たちは、今の不景気なご時世ゆえに、そんな親の蓄えを密かに狙っているようなフシも多く見られます。 とにかく「老いては子に従え」に該当しない家庭は、今も確実に増え続けているのです。それは残念なことなのかも知れませんが、時代の流れなのですから仕方がないでしょう。

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