tedukurikotoba (2563)

首尾一貫

【漢字】首尾一貫 【読み】しゅびいっかん 【意味】初めから最後まで一つの意見や方針で貫く。終始矛盾がない。 【例文1】彼女の進路は首尾一貫で決意が固い。 【例文2】首尾一貫で反論する。 【例文3】首尾一貫で主張する。 首尾一貫、意味として考え方の最初から終わりまで変わらないでいる事です。 首尾一貫という言葉を検索して見ると直ぐに出てくるのが首尾一貫感覚という言葉です。 首尾一貫感覚を養ってストレス耐性を・・というタイトルのホームページ。ストレス耐性といったあたり今の時代ですね。 で、その内容は有意味感、全体把握感、経験的処理感を養ってストレス耐性を作るというものです。 有意味感、今の過酷な境遇でもその境遇に意味を見出して乗り越える(この選択肢を選んでしまっても経験になるから大丈夫)。 全体把握感、自分の今の境遇を全体から見届けて理解した上で今後を考える感覚。 経験的処理感、自分の出来る事、自分の出来ない事を見極めて出来ない事は人に託す事。自分には無理だから全てを投げ出す、とヤケにならないためにどうするか?を考える感覚です。 首尾一貫という言葉から少しズレていますが、首尾一貫感覚というものがストレスの多いこの社会に置いて結構重要なファクターと言えます。 自分の場合、全体把握の能力はかなり高いのですが、有意味感や経験的処理感はかなり低いと周りに言われています。 昔から人生に対して無意味感(後ろ向き)、何かあると投げ出す感覚。直さないといけないと思います。 「首尾一貫」という四文字熟語は、割りと多くの人に知られている言葉だという印象があります。 首は始めを、尾は終わりを表し、最初から最後まで一つの方針や態度で貫かれている、といった意味があり、終始一貫や徹頭徹尾のような類義語も多く存在しています。 しかし、改めて首尾一貫という言葉を耳にして考えてみましたが、この言葉はビジネスをする上ではとても重要な要素を秘めた言葉だと思いました。 自分の信念がしっかりとしていて、目標を定めている、まさに首尾一貫している人は端から見てもキラキラとしていますし、この人についていけば大丈夫、この人のような存在になれるように頑張ろうと、人望も得られると思います。 私はこのような態度を示してくれる人に日本の将来を任せられたらいいのに、という風に思いました。 ニュースを見ていると、言ってることがコロコロ変わる人ばかりでなんだかうんざりしてしまい、周りが評価しないのも当然、といった印象を受けます。 首尾一貫の対義語に、前後矛盾や支離滅裂といった言葉がありますが、なんだかそっちの方がしっくりくるような人ばかりです。 最初に言ったことは最後まで貫く、と、首尾一貫を座右の銘としてあげてみたらどうかと私は思いました。 流行語になるくらいに浸透すれば、日本も明るくなるんじゃないか、と、一国民として考えた日のことでした。

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コロンブスの卵

【漢字】コロンブスの卵 【読み】ころんぶすのたまご 【意味】コロンブスがアメリカ大陸を発見した時、人々から船に乗ってれば誰にでもできると言われ、ならばこのゆで卵を立ててみよと言ったが、誰もできなかった。するとコロンブスは卵の底を割って立たせた逸話から、簡単に見えても一番最初に成し遂げるのは難しいという教え。 【例文1】他人のを真似ただけではコロンブスの卵とは言えない。 【例文2】この事業計画はコロンブスの卵だ。 【例文3】コロンブスの卵を成し遂げる。 今では当たり前のように走っているハイブリッド車が初めて登場したときに、「走りながら充電したって、充電の分エネルギーを余計に使っているのだから、燃費が良くなるなんてあり得ない」と思ったものです。中途半端な「エネルギー保存の法則」なんてことを知っていたために、前途のように思ったのです。もちろん、間違ってはいません。走りながら充電モーターを回して電気エネルギーを作り出してもその分余計にガソリンが消費されます。ではどうしてハイブリッド車だと燃費が良くなるかと言えば、エネルギーを捨てているときに充電しその電気を走行時に使うから、結果として燃費が向上するのです。エネルギーを捨てているときはどう言うときかと言えば、ブレーキをかけて減速しているときです。このとき、発電モーターを回してやれば、ブレーキをかけるエネルギーも少なくて済む上に、捨ててるエネルギーを使って発電しているのですから、余計なエネルギーを使うこともありません。言われてみれば当たり前で簡単なことですけど、最初にこれを思いついて実行してしまう人ってすごいなって思います。そしてこの仕組みはガソリン車だけでなく、電気自動車や燃料電池車にも使われています。そう言う意味で、このハイブリッド車の仕組みは現在のコロンブスの卵だと言えるのではないでしょうか。 コロンブスの卵は結果を見れば誰でもわかりますが、最初にやるのはいかに大変かということです。ゲームなんかを見てもコロンブスの卵のような発想があって人気が出ると、その後はまるでコピーしたかのような似たような作品が次々出てくることがあります。テトリスは一世を風靡しましたが、最初に考えた人はコロンブスの卵だと思います。その後似たようなゲームがたくさん出てきました。カードバトルのゲームも似たようなもので、最初に登場したのはどのカードバトルかわかりませんが、考えた人はコロンブスの卵のように苦労して考えたのだと思います。ですから原型となるゲームは面白くて奥が深いのだと思います。日常生活においては大人より子供の方が頭が柔らかいので、コロンブスの卵のような柔軟な発想を出すこともあります。後からならなんとでもいえますが、最初にそれを見つける人はすごいと思います。これからの時代どのようなコロンブスの卵が出てくるのかわかりませんが、もしかするとAIが突拍子もないことを考えるかもしれません。AI同士で独自の言語を使って話始めているのを見ると、人間が考える領域を遥かに超越しているように思えます。AIが考えたことのほとんどがコロンブスの卵のような感じになる時代がすぐそこまで来ているのかもしれません。 「コロンブスの卵」という言葉の意味を私は恥ずかしながらつい最近知りました。 今まではコロンブスのような偉大な人になり得る可能性を秘めた、期待値の高い人物を表す言葉だと思っていたのです。 自分の無知さに悲しくなり、改めてこの言葉の意味について調べてみました。 「コロンブスの卵」という言葉は誰でもできるような簡単なことでもそれを実現するのは難しいということわざです 。 由来としては、大陸を見つけるなんて誰でもできることだ、と功績をバカにされたコロンブスが、「ではこの卵をテーブルに立ててみせよ」と言った所誰もできず、それに対してコロンブスが卵の尻をコツンと割って立ててみせた、という逸話から生まれたと言われています。 私は社会人になって5年経ちますが、このことわざを痛感しています。 どうして今まで思い付かなかったんだろう、と思うことを先に越されてしまった時はとても悔しいですし、この才能がある人は必ず出世すると思います。 今はアイディアさえもビジネスになってしまう世の中なので、こういった発想力は強力な武器になると思います。 周りを見ていると、きっと持って生まれたものもあるのでしょうが、この力を身につける秘訣が知りたいなぁと切に思います。

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気もそぞろ

【漢字】気もそぞろ 【読み】きもそぞろ 【意味】他の事が気になって落ち着かない様子。 【例文1】妻の陣痛が始まったと聞いて気もそぞろ状態だ。 【例文2】明日の合格発表が気もそぞろだ。 【例文3】外が騒がしくて気もそぞろ。 「気もそぞろ」という言葉は聞いたことがあるという人は結構いる気がしますけど、どういう意味なのか?まで知っている人は意外と少ない気がします。気もそぞろというのは特定のものに集中できない様のことを指しています。別の何かが気になってしまい、集中できない、心が落ち着かないというときに気もそぞろという言葉を使うのです。しかし、ここで気になるのは「そぞろ」という言葉ではないでしょうか?「そぞろ」という言葉は漢字で書くと「漫ろ」になります。この字は「散漫」という熟語で使われる字で、「注意力が散漫」などの使い方をします。散漫という言葉も特定の何かに集中できないような状況を表しているので、この言葉を見れば、漫ろという言葉の意味が理解できて、気もそぞろという言葉に関しても納得感が生まれるのではないか?と思います。気もそぞろと表現できるシーンは日常の中で割とありそうですから、自分自身や他人のことを含めて、そういったシーンに出会えれば気もそぞろと表現しても良いのではないか?と思います。何かが気になってしまい、仕事に集中できないとか、そういうシーンは誰にでもあると思うので、そういったときにはこの言葉を思い出してみると良いと思います。

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角が取れる

【漢字】角が取れる 【読み】かどがとれる 【意味】性格が穏やかになる。 【例文1】結婚して角が取れる。 【例文2】彼は昔、地元で有名な番長だったのに子どもが生まれて角が取れる。 【例文3】母親になって角が取れる。 芸能人でも一般人でも言えることですが、年齢を重ねるにつれて角が取れて丸くなった人が多いように思います。 若いころは、刺々しかったり短気だったりと気難しい性格だったのに、年をとったら穏やかになり同じ人とは思えないくらい変わった人もいます。 やはりそれは長い人生の中で色々なことを経験し、人に揉まれることで角が取れるのでしょう。 若いころは嫌いだと思っていた人でも、年をとって丸くなった人を見ると妙に好感度が増すものです。 きっと嫌なところをたくさん見てきた分、そのギャップで余計に良い人に見えるのだと思いますが、それでも何だか和やかな気分になります。 そのような年配の人たちを見て、自分もあんな風に角が取れる年のとりかたをしてみたいと思う今日この頃です。 私は、我が強く気に入らないことがあれば顔や態度に表してしまいがちで、直さなければとはわかっているのですが、なかなか直せません。 中には、年齢を重なるごとに頑固で気難しい性格になる人もいるため、自分もそんな風にならないように心がけなくては…。 優しい人間になるためには、やはり人のために何か役に立つような生き方をしたいと思いますね。 たまに出掛け先で困っているお年寄りに親切にすると心が洗われる気分になりますが、きっとそのようなことの積み重ねなのかもしれません。 私の父親は若い時はとても短気で、猛烈に怒るタイプでした。母親ともいつも喧嘩をしていた覚えがあります。しかし今ではいわゆる角が取れる人間になったと思います。それは歳をとったせいかも知れません。今では70半ばに差し掛かり最近では仏教の本を読みあさっています。いわゆる角が取れて丸くなったようです。子供そっちのけで働いてきた父親ですが最近ではメールを送ってきたり電話を入れてきたりしてくれます。昔は大酒のみの暴力的な父親だったのに本当に角が取れるにピッタリの人間になりました。人間は節目があると思います。その節目は人生のどこで来るかわかりません。その節目が来たら人間的、精神的に変わっていくのではないでしょうか。父親を見ていたらそう思います。私も、学生時代はちゃらんぽらんな人間でした。卒業しても定職がなかなか見つからず30歳位までは自分の道を決めきらずにいました。角がたって攻撃的な精神不安定な人間だったような気がします。しかし今は50前にして若いころのように攻撃的な様相は影を潜めています。人間的に成長したのか。角が取れる状態になったのか分かりませんが、若い頃のようなエネルギッシュさがなくなったのかなとさえ思います。 一般的に年を取ると、角が取れると言います。 つまり若い頃はとげとげしい物言いをしていた人が、年を取ると柔らかい物言いに変わると言う事です。 確かに世の中のお年寄りを見ていると、柔らかい物言いをする人が多いです。 若い頃は知りませんが、若い頃にとげとげしい物言いをしていた人も、年を取ってからは柔らかい物言いに変わったのだと思われます。 ですがお年寄りと言えども、皆角が取れるとは限りません。 私の身近に一人のお年寄りがいるのですが、そのお年寄りは物言いがとてもとげとげしいです。 ちょっとでも気に入らない事があると、直ぐに怒鳴り散らし、自分の思う通りにさせようとします。 いわゆる頑固ジジイと呼ばれる人で、近くにいると厄介なお年寄りの一人です。 お年寄りは寂しさから、物言いがとげとげしくなる人がいます。 若い頃は子供たちと一緒に楽しく過ごしていたのに、子どもたちが独り立ちして、自分一人になってしまうと、どうしても寂しさを感じてしまうのだと思われます。 ですからこのような頑固ジジイと呼ばれるお年寄りも、寂しさを解消してあげたら、他のお年寄りと同様に、角が取れると思われるのです。 なので私は頑固ジジイを敬遠せずに、ちゃんと付き合ってあげているのです。

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一巻の終わり

【漢字】一巻の終わり 【読み】いっかんのおわり 【意味】死ぬこと。逃げ道がない。手遅れ。 【例文1】警察が追ってきた。もう逃げられない。一巻の終わりだ。 【例文2】経営不振で一巻の終わりだ。 【例文3】会社が倒産すれば一巻の終わりとなる。 「一巻の終わり」とは、すべてが終わること。万事休す。手遅れであること。を意味します。この語源は昔、「巻」は今でいうフィルムを意味しています。昔は今のようなデジタルの映写機ではなく、巻いてあるオープンリールを使用していて、一巻、二巻という数え方をしていました。一つの物語は基本的に一巻に収めてあったことから一巻の終わりは物事の結末や人生の終わりを表しています。 使い方として、「明日からのテストで赤点を取ってしまったら留年してしまうから必死で勉強しないと一巻の終わりだ。」「あれだけ大きなサメに襲われたら一巻の終わりだ。」などといった使い方ができます。 私は今まで、ああもう一巻の終わりだ。と思ったことがひとつだけあります。それは、まだ幼い頃に外で遊んでいると足を滑らせて少し高めの崖から落ちたことがありました。その時は周りに誰もいなく、叫んでも気付いてもらえず一巻の終わりだと思いました。結局、下に土がたまっていてクッションになった為、落ちる時に腕をぶつけて骨折していましたが、それ以外は大丈夫だったので自力で歩いて帰れました。 一巻の終わりだ。と思う機会は滅多にあることではありません。そのような思いにならないように、日々を過ごしていかないいけませんね。

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