大団円
【漢字】大団円 【読み】だいだんえん 【意味】演劇や小説の結末が円満に終わる。 【例文1】ハラハラした場面だったが、ラストは大団円でよかった。 【例文2】最終回は大団円がお決まりのパターンだ。 【例文3】大団円で終える。 私は映画やドラマの作品では、全てが丸く収まる大団円で締めくくられる作品が好きです。 大団円で終わる作品が一番、見て良かったと思えるからです。 ところが最近の映画やドラマは、このような大団円で終わる作品が少なくなったような気がします。 主人公が死んでしまって、感動してくださいと言わんばかりの作品があります。 全てが丸く収まって、大団円で終わるのかと思っていたら、最後に主人公が不慮の死を遂げて、大団円が不意になってしまう事があるのです。 私はこのような展開の作品を見ると、消化不良を起こしてしまいます。 何も無理やり主人公を死なせて、観ている人を感動させる必要はないと思うのです。 また続編を作りたいがために、わざわざ尻切れトンボ状態で終わってしまう作品もあります。 映画やドラマを制作している方々は、お金儲けも必要ですから、続編を作りたいと言うのも分からないではありません。 ですがこのように尻切れトンボ状態で終わってしまうと、お金儲けを優先させているような気がして、白けてしまうのです。 この様なお金儲けを優先したような作品ばかり作っていれば、いつか視聴者から見放されてしまうと思います。 それではお金儲けどころではなくなってしまいますから、きちんと大団円なりで終わらせるべきです。 当たり前ですが、大団円のほうが正解で、大円団は間違いなので変換でも出てきません。 「大円団って、なんだその珍妙な『団』は」と思い当たれば間違えることもなくなるでしょう。 大団円の意味は、ハッピーエンド、ハッピーエンディング、すべての問題がまるく収まりめでたしめでたしという状況を指します。 勧善懲悪な物語であれば、悪人は悉く捕縛か成敗されて被害を受けた人達も新しい生活に踏み出す姿が見られます。 下手な結末だと丸く収まったというよりは、圧倒的な力でなぎ払って整地作業でもしたかの如く真っ平らにしたようなお話もあります。 そもそも行く先々に悪代官や悪徳商人が配置されているというのも不自然ですが、物語の王道としては安定感があって喜ばれるのはどうにもなりません。 後腐れもなく万事解決、後味すっきりなので気楽に視聴するにはよいメディアです。 そして喜劇よりも悲劇のほうが心に残ってしまうというのも歴然とした事実だったりします。 最初の導入部分は能天気な日常を演出しておいて3話あたりで悲惨な事件が勃発、というのが手法として既に定番化しつつあります。 そして結末は問題提起というより問題丸投げ放置や、酷いのになると続きは映画を見てね的な終わり方をすることすらあるのです。 こう営業根性丸出しなストーリー展開をされると、大団円エンドは殊更ありがたいものに思えてくるから不思議なものです。 小説を買うときは「できればハッピーエンドを迎えるものが良いな」と思いながら買っています。ときにはバッドエンドの小説も読むのですが、後味が良いのは、やはりハッピーエンドのように感じますね。大団円のときには誰もが幸せになっている、という内容が良いです。 しかしそうはいっても、物語というのはメリハリがないとつまらないと感じます。そのため小説の中盤あたりで、登場人物の誰かが苦しい目に遭うことがあっても「きっとこの後は救われるはずだ」と思いながら読んでいます。 ですがよく考えてみれば、苦しいことがあるからこそ、ハッピーエンドというものが栄えるのかもしれません。物語というのは起承転結があるからこそ成り立っています。つまりハッピーエンドを迎えるためには、大変な展開が訪れるのは当然のことなのかもしれません。それに「あんなに大変なことがあったのに、無事にハッピーエンドを迎えられて良かった」と感じる小説だってたくさんあったように思います。 楽しいことがあれば、苦しいこともあるというのは、仕方ないのかもしれません。それは小説だけでなく、人生だって同じであるように思えます。苦しいことがあるからこそ、楽しいことを楽しいと感じられるのかもしれませんね。大変なことがあっても、その先には良いことがあるだろうと思いながら日々を過ごしたいです。
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