tedukurikotoba (2563)

大団円

【漢字】大団円 【読み】だいだんえん 【意味】演劇や小説の結末が円満に終わる。 【例文1】ハラハラした場面だったが、ラストは大団円でよかった。 【例文2】最終回は大団円がお決まりのパターンだ。 【例文3】大団円で終える。 私は映画やドラマの作品では、全てが丸く収まる大団円で締めくくられる作品が好きです。 大団円で終わる作品が一番、見て良かったと思えるからです。 ところが最近の映画やドラマは、このような大団円で終わる作品が少なくなったような気がします。 主人公が死んでしまって、感動してくださいと言わんばかりの作品があります。 全てが丸く収まって、大団円で終わるのかと思っていたら、最後に主人公が不慮の死を遂げて、大団円が不意になってしまう事があるのです。 私はこのような展開の作品を見ると、消化不良を起こしてしまいます。 何も無理やり主人公を死なせて、観ている人を感動させる必要はないと思うのです。 また続編を作りたいがために、わざわざ尻切れトンボ状態で終わってしまう作品もあります。 映画やドラマを制作している方々は、お金儲けも必要ですから、続編を作りたいと言うのも分からないではありません。 ですがこのように尻切れトンボ状態で終わってしまうと、お金儲けを優先させているような気がして、白けてしまうのです。 この様なお金儲けを優先したような作品ばかり作っていれば、いつか視聴者から見放されてしまうと思います。 それではお金儲けどころではなくなってしまいますから、きちんと大団円なりで終わらせるべきです。 当たり前ですが、大団円のほうが正解で、大円団は間違いなので変換でも出てきません。 「大円団って、なんだその珍妙な『団』は」と思い当たれば間違えることもなくなるでしょう。 大団円の意味は、ハッピーエンド、ハッピーエンディング、すべての問題がまるく収まりめでたしめでたしという状況を指します。 勧善懲悪な物語であれば、悪人は悉く捕縛か成敗されて被害を受けた人達も新しい生活に踏み出す姿が見られます。 下手な結末だと丸く収まったというよりは、圧倒的な力でなぎ払って整地作業でもしたかの如く真っ平らにしたようなお話もあります。 そもそも行く先々に悪代官や悪徳商人が配置されているというのも不自然ですが、物語の王道としては安定感があって喜ばれるのはどうにもなりません。 後腐れもなく万事解決、後味すっきりなので気楽に視聴するにはよいメディアです。 そして喜劇よりも悲劇のほうが心に残ってしまうというのも歴然とした事実だったりします。 最初の導入部分は能天気な日常を演出しておいて3話あたりで悲惨な事件が勃発、というのが手法として既に定番化しつつあります。 そして結末は問題提起というより問題丸投げ放置や、酷いのになると続きは映画を見てね的な終わり方をすることすらあるのです。 こう営業根性丸出しなストーリー展開をされると、大団円エンドは殊更ありがたいものに思えてくるから不思議なものです。 小説を買うときは「できればハッピーエンドを迎えるものが良いな」と思いながら買っています。ときにはバッドエンドの小説も読むのですが、後味が良いのは、やはりハッピーエンドのように感じますね。大団円のときには誰もが幸せになっている、という内容が良いです。 しかしそうはいっても、物語というのはメリハリがないとつまらないと感じます。そのため小説の中盤あたりで、登場人物の誰かが苦しい目に遭うことがあっても「きっとこの後は救われるはずだ」と思いながら読んでいます。 ですがよく考えてみれば、苦しいことがあるからこそ、ハッピーエンドというものが栄えるのかもしれません。物語というのは起承転結があるからこそ成り立っています。つまりハッピーエンドを迎えるためには、大変な展開が訪れるのは当然のことなのかもしれません。それに「あんなに大変なことがあったのに、無事にハッピーエンドを迎えられて良かった」と感じる小説だってたくさんあったように思います。 楽しいことがあれば、苦しいこともあるというのは、仕方ないのかもしれません。それは小説だけでなく、人生だって同じであるように思えます。苦しいことがあるからこそ、楽しいことを楽しいと感じられるのかもしれませんね。大変なことがあっても、その先には良いことがあるだろうと思いながら日々を過ごしたいです。

Continue reading...

春秋に富む

【漢字】春秋に富む 【読み】しゅんじゅうにとむ 【意味】若い青年の将来が満ち溢れている。 【例文1】青年は人脈が厚く春秋に富む。 【例文2】息子は春秋に富むと期待する。 【例文3】春秋に富む逸材だ。 歳が若くて将来が長いことを「春秋に富む」と言いますよね。特に、いろいろな才能を持っている子どもについてはそういう表現を使いたくなります。 私の知り合いで、学生時代に仲良くなったAさんという女性がいます。その方が、あるご親戚の話をしてくれました。とても興味深い話だったので、こういう場所で書きたいと伝えてみたところ、誰かのためになるのならと快くOKしてくださったので、紹介したいと思います。 Aさんのご親戚に、幼少期からものすごく記憶力がよく、いわゆる神童と称されていた方がいたそうです。なんと、三、四歳のころから、百人一首を覚えたりしていたのだそうですよ。頭の良い子は、早いうちから文字を読めるようになったりしますよね。ましてや百人一首なんてすごいなと思いました。 しかし、中学校三年生くらいになったとき、その方は急に引きこもり状態になってしまったそうなんです。理由は「先生に怒られたから」とご本人は話していたそうですが、真相は分からないということでした。そのまま生活を続け、今は三十代になっているそうです。 春秋に富む子どもだった方が、ふとした意外なことで引きこもりになってしまうこともあります。ご本人の悩みを解決できたらいいなとは思うのですが、難しいことですね。

Continue reading...

子を持って知る親の恩

【漢字】子を持って知る親の恩 【読み】こをもってしるおやのおん 【意味】自分が子どもを持って初めて親の愛情やありがたみが分かるものである。 【例文1】子を持って知る親の恩は親になってみないとわからないもの。 【例文2】親になって子を持って知る親の恩の深さを知る。 【例文3】子を持って知る親の恩に気づくのが遅かった。 「子を持って知る親の恩」という言葉は小さい頃から知っていましたが、実家で家族と平凡な毎日を過ごしていた私にとっては、「同じ立場にならないと分からないことがある」という程度にしか思えませんでした。この言葉を使うのは大抵歳のいった大人なので、うるさい説教の一つくらいの認識だったのです。 でも、実際に自分が結婚・出産して育児を経験してみると、この言葉の持つ意味の強さや深さがぐっと感じられるようになりました。 例えば、保育園児だった私が熱を出した時。当時働いていた母は、嫌な顔一つせずに会社を休み、体調不良でグズる私をなだめながらそばにいてくれました。私の娘が熱を出しても同じように会社を休んで付き添いますが、仕事で周りの人に迷惑をかけることを考えると、ついため息も出ます。母は終始笑顔で看病してくれたので子どもだった私は「申し訳ない」などという感覚はありませんでしたが、受話器に向かって頭をペコペコ下げていた母のことを、今はぐっと身近に感じられます。 母と私が経験し、これから私の娘も通過するであろう反抗期も、自分が母親になってから振り返ると感謝と申し訳ない気持ちで一杯になります。当時に戻って過去を変えることはできませんが、せめて私の娘が母親になった時に温かい気持ちになれるよう、精一杯の愛情で育てることが、母に対する恩返しにもなると思っています。

Continue reading...

肝(胆)をつぶす

【漢字】肝(胆)をつぶす 【読み】きもをつぶす 【意味】突然の出来事に非常に驚く。 【例文1】突然遺産が舞い込んで来たので肝をつぶす。 【例文2】道を歩いていたら看板が落ちてきて肝をつぶす。 【例文3】恩師の訃報に肝をつぶす。 私がまだ学生で、飲食店でアルバイトをしていたころの話です。同僚に何歳か年下の十代の女性がいたので、話をしていたところ実は結婚していてお子さんがいるということでした。年下なので軽い感じでしゃべっていたのですが、お子さんがいると聞いて急に「あ、そうなんですかあ…」と敬語になってしまいました。 驚いたのはそのことだけではありません。旦那さんのことについてちょっと伺ってみると、なんと「お恥ずかしいんですけど、今少年院に入ってて…」との答えが返ってきました。マジで?と、肝をつぶす驚きでした。 それから、私はちょっと勉強が苦手なところがあり、外国の名前などをあまりよく知りません。これも学校での出来事なのですが、友達と旅行でイタリアに行こうという話になって、計画を立てていました。そこで私が「イタリアって英語が使われてるの?」と周りに尋ねたところ、仲の良い女の子が「イタリアはイタリア語でしょう」と教えてくれました。イギリスの英語とちょっと勘違いしちゃってたんですけど、そのときちょうどクラスメイトに海外経験の長かった子がいて、すごい目で見られてしまいました。そのときはドキッとしましたね。 他にも肝をつぶしたことは何度もありますが、特にショックだったのはこの二つです。

Continue reading...

鼎の軽重を問う

【漢字】鼎の軽重を問う 【読み】かなえのけいちょうをとう 【意味】古代中国で使われた三本足の鉄の窯で王室の象徴である。楚の莊王が帝位を狙って周に神器として伝えられる鼎の大小、軽いか重いかを尋ねた。周の徳が衰えたとはいえ、天命はまだ改まっては おらぬ。鼎の軽重を他人が問うべきではないと言い放った。つまり権威はあるが、実力はない。また地位を奪おうとすること。 【例文1】名ばかりのごう慢な経営者は鼎の軽重を問われる。 【例文2】御曹司であるがゆえに鼎の軽重を問う。 【例文3】後継ぎで鼎の軽重を問う。 私は恥ずかしながら鼎の軽重を問う、という言葉を知りませんでした。 そもそも「鼎」の読み方が「かなえ」であることすら知らなかったので、自分の知識を深めようと思って、意味を調べてみました。 鼎とは元々食べ物を煮たりする三本足の器という意味や、王位を表す言葉だと知りました。 「鼎の軽重を問う」は中国の故事から由来している言葉ですが、権力者の権威や実力を疑うこと、また、代わりに権威や地位を奪おうとすることの例えという意味があります。 しかし、この言葉は今の日本にとって、切り離せない言葉であると感じました。 というのも権力者、つまり政界の関係者の不祥事が相次いでいるのが現状です。 有言実行しない、不倫問題、突然作った新党など、問題は尽きません。 そのため、この人達に任せていて本当に大丈夫なのかという不安を拭い去ることはできませんし、なんだか国民を舐めているのかと思うような行動は目に余ります。 国民が不安から抗議を訴えるのも当然のことのように思いますし、先日行われた選挙で無効票が多かったのも、国民からの抗議の意と捉えるのが妥当な考えでしょう。 まさに鼎の軽重を問われていると言えます。 最近知った言葉ではありますが、なんだかタイムリーなネタだなと感じました。

Continue reading...