tedukurikotoba (2563)

脚光を浴びる

【漢字】脚光を浴びる 【読み】きゃっこうをあびる 【意味】有名になって注目される。 【例文1】ミリオン達成で作曲家としての脚光を浴びる。 【例文2】ミスコンで優勝して脚光を浴びる。 【例文3】賞を総ナメして脚光を浴びる。 世間の注目を集めたり、話題の中心になったりすることを「脚光を浴びる」と表現します。テレビなどを見ていても、かなりよくつかわれる言葉ではないでしょうか。 「二軍から一軍に上がったばかりのルーキーのピッチャーが、いきなり完封勝利して、一躍脚光を浴びた」というように使われます。 では、「脚光」とは何か。英語に訳せばフットライトということになりますが、これは舞台の照明から生まれた言葉です。 舞台の前面に、俳優や出演者を下の方から照らす照明が用意されています。足元にあって、脚の方から照らすためにフットライトと呼ばれるようになったと考えていいでしょう。 フットライト、脚光は、しかしメインの明かりではないでしょう。俳優をきわだたせる照明には、スポットライトがあります。これは、強い灯りで俳優全体を照らし出しますから、きわだった照明効果があるにちがありません。 それに比べると、フットライトは弱い照明と言っていいのではないでしょうか。 「スポットライトを浴びる」という表現もありますし、こちらもよく使われます。スポットライトに比べると、フットライトは少々弱い印象になってしまうような気がします。 にもかかわらず、「脚光を浴びる」という表現には、いかにも華やかなイメージがあります。なんとも不思議な言葉と言っていいでしょう。 プロ野球の試合で「横浜DeNAベイスターズ」が勝つたびにツイッターのトレンドにあがり脚光を浴びる「横浜優勝」という言葉があります。 勝つたびに「優勝」という言葉があがるのには「横浜が優れて勝つ」といった意味があり、いつしかファンの間では横浜が勝ったときの合言葉のようになりました。 言霊というものが本当にあるのかどうかは定かではありませんが「横浜優勝」という言葉を使い続けていたことで、クライマックスシリーズで本当に優勝してしまうのですから、言い続けていればいずれ叶うものなのかもしれません。 ベイスターズが試合で勝利した際の「横浜優勝」という言葉は昔から言われ続けており、そもそもは自虐的なニュアンスが強い言葉でした。 万年最下位とも揶揄されていた弱小時代の横浜ベイスターズは試合に勝つこと自体が珍しいことで、ひとつ勝つだけでファンはお祭り騒ぎのように喜んでいました。 その喜びようはまさに「横浜優勝」と言えるようなものであり、たまに起こる「横浜優勝」をありがたがってしました。 負けることの方が当たり前で勝つことが珍しかった時代に、ベイスターズファンがそれでも自分たちの贔屓の球団を応援することのできるモチベーションとして生まれた言葉が「横浜優勝」の4文字であるといえるのです。

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蟹は甲羅に似せて穴を掘る

【漢字】蟹は甲羅に似せて穴を掘る 【読み】かにはこうらににせてあなをほる 【意味】カニは自分の甲羅に合わせて穴を掘るたとえから身分に応じた考えや行動を取る。 【例文1】職探しはレベルに応じて甲羅に似せて穴を掘る。 【例文2】結婚相手は蟹は甲羅に似せて穴を掘る。 【例文3】マイホームの間取りは蟹は甲羅に似せて穴を掘る。 知らない故事やことわざってたくさんありますね。 蟹は甲羅に似せて穴を掘るという言葉を30年近く生きて初めて知りました。 蟹は、大きければ大きいなりに、小さければ小さいなりに、それぞれ自分の体に合った穴を掘って住む穴を作ることから、人間も自分の身分や力量に応じた言動をするという意味らしいです。 そう言われれば、なんかイメージが湧いて分かりやすい言葉ですね。 人間って人との関係の中でお互いに意識しようが無意識だろうが、自分の立ち位置とかキャラクターというのを図りながら行動したりしていますよね。 でもあるとき、なんか色々違和感を覚えるときが来るんですよね。 それって、自分のステージが変わる時期で、一皮むけるとかステップアップのタイミングで、いわゆる人生の岐路っていうのがありますよね。 どんなに仲良くしていた人でも、嫌いになったわけじゃないんだけど、なんかしっくりこないって時ありますよね。 そういう時、私は人情とか恩とかは横に置いて無理にその人たちとは会わないようにします。 もちろん、感謝とか好きって気持ちはあるのですが、お別れの時期というのは仕方がないと思っています。 縁があればまた会うということもあるので、それも楽しみにとっておくのです。 そうすると、古い縁に感謝して手放すと新しいご縁というのが出来て、違う展開が始まるんですよね。 なので、私はお別れとか卒業って悪いものじゃないなと思っています。

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一挙一動

【漢字】一挙一動 【読み】いっきょいちどう 【意味】話し方・歩き方動作のすべて。 【例文1】我が子の一挙一動がすべて愛おしい。 【例文2】子どもの一挙一動の成長の動画を撮る。 【例文3】一挙一動親子そっくり。 一挙一動とはすることなすこと、ひとつひとつの動作を表す言葉です。一挙一動も見る側と見られる側に分かれたりしますが、どちらかというと私は見てる方が好きです。見られる側の経験としては、子どもの頃に遊びに行ったテーマパークで丁度テレビ撮影班が来てた事がありました。その時に室内で工作していたのですが、自分の作ってる姿をカメラが撮るという稀にない機会に巡り会い、多分ドキュメンタリーとかで様子撮影だったのでしょうが、子どもながらに自分の一挙一動が撮影されてるという極度の緊張感が襲い手がフリーズしてしまったのを覚えています。カメラ班もそれに気づいたのかゆっくりとレンズをずらしてくれました。どの局なのかも分からず放送されたのかも分かりませんが、貴重な体験でした。また見る側になった時で印象深かったのは、高校受験の見学目的で文化祭に行った時でした。部活体験も兼ねていて初めて近場で弓道を見させてもらった事です。正装からもそうですが、立ち入りから姿勢、弓を引いた時のしなりと独特の間の雰囲気、全ての一挙一動に身が引き締まり、野外で外野の音もあったのにも関わらず静寂がその場には漂っていて目も心も奪われていました。ひとつ毎の動きに綺麗さやしきたりがあるとこんなにも非日常的な空間を味わえるのだと弓道部に入りたくなりました。残念ながらその高校とはご縁は無かったのですが、行って良かった思い出です。

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羹に懲りて膾を吹く

【漢字】羹に懲りて膾を吹く 【読み】あつものにこりてなますをふく 【意味】熱い物を飲んでやけどした後は冷たいなますも吹いて冷ますたとえから、一度の失敗に懲りて、度の過ぎた注意をする。 【例文1】発注ミス以後、羹に懲りて膾を吹いたので3度確認する。 【例文2】詐欺に遭い羹に懲りて膾を吹く。 【例文3】忘れ物の確認を3度して羹に懲りて膾を吹く。 羹に懲りて膾を吹くとは熱い物を口にして火傷したあとは冷たいなますでも冷やしてしまうほど慎重に慎重を重ねるという意味です。 人は、ひどい目に遭うと、用心深くなるのも当然です。 私も、羹に懲りて膾を吹く経験をしました。 スマートフォンを購入して知り合いの名前が自動登録されました。私はてっきり知り合いだと思い込んでしばらく個人情報など入力して数日やり取りをしていました。 ある日、某商品を購入してほしいとお願いされそれほど高くはなかったので5000円くらいならばと思い購入しました。しかし1週間経っても2週間経っても商品は到着されません。 不安になって友人に連絡しますが、登録から消えていました。 商品を購入した会社に電話するも後の祭りです。いくら待っても届くはずもなく騙されたと気づきました。小額ですんだものの社会勉強になりました。 それからはしばらく通販は利用していません。1年経った頃、探していたどうしてもほしい品が見つかったので、メールで2度3度質問をして回答を得られるまで待つ、店の口コミを100見るなど入念に調べて購入しました。到着までドキドキしましたが、半信半疑になったのも騙された経験があるからこそです。久しぶりに友人からくる連絡は過去の思い出話や共通の友人の名前を出してそれとなーく確かめて連絡を交わすようになりました。

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目を背ける

【漢字】目を背ける 【読み】めをそむける 【意味】見ていられなくて視線をそらす。または関わりたくない事から逃げる。 【例文1】悲惨な事件現場から目を背ける。 【例文2】原爆資料館での展示品に目を背ける。 【例文3】震災跡地に目を背ける。 「嫌なことがあっても逃げてはいけない」「つらいことがあってもそれに立ち向かうことが必要」だと言われたことはありませんか。だけどときには、こうした大変なことから目を背けるだって必要だと思います。 とはいえ「大変なことを乗り越えてやるぞ」という気概に溢れた人であれば、どちらかというと積極的にそうしたことに挑戦していくのも良いと思います。けれど大変なことに対して恐怖感を抱いている人にまで、わざわざ挑戦することをすすめるのは、むしろ逆効果となるでしょう。恐怖感を抱いたままでは、乗り越えられる壁だって乗り越えられるとは考えられません。自分が出せる力の半分も出せないのではないでしょうか。 現代はストレス社会と言われており、世の中全体がストレスというものに敏感になっています。ストレス耐性が強い人もいますし、そうでない人もいます。ストレス耐性が強くない人は、大変なことにあえて挑戦せずに、少しだけ距離を置くのも良いのではありませんか。無理やり挑戦した結果、ストレスに負けて体調を崩してしまったら、元も子もありません。体は生きていくための大切な資本ですし、その資本を失わないために、ときには大変なことから目を背けることも有りだと感じます。

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