tedukurikotoba (2563)

阿鼻叫喚

【漢字】阿鼻叫喚 【読み】あびきょうかん 【意味】悪人が地獄に落ちるたとえから、苦痛で泣き叫ぶ様子。 【例文1】ギャンブルで借金地獄に陥り阿鼻叫喚。 【例文2】無一文になり阿鼻叫喚。 【例文3】飲酒運転事故を起こし阿鼻叫喚。 阿鼻叫喚という言葉は元々は仏教から来ている言葉で、この世で最も悪い行いをすると死後地獄で阿鼻叫喚のように苦しむと言われています。日常生活でも阿鼻叫喚のように苦しむ出来事というのは結構あって、痛みの極限にあったとき阿鼻叫喚に例えることもあります。人間の三大激痛というのがありますが、三大激痛とは子どもを産むときの陣痛、生活習慣病からなる尿管結石、それから心筋梗塞です。男性は陣痛の経験はできないですが、心筋梗塞や尿管結石は起こりうる可能性があります。心筋梗塞まで行ってしまうと死につながってしまいますが、尿管結石なら血糖値が高めのときビールを飲むと起こりやすくなります。左右どちらかに尿管がありますが、管の中に老廃物で出来た石ができるとジワジワと痛み始めて阿鼻叫喚のごとく苦しみ始めます。石が取れればすぐに痛みは治まりますが、取れるまでの間はどうやっても痛いので大変です。元々はお釈迦様を苦しめると地獄で阿鼻叫喚が待っているなどと言われますが、現代では病気の苦しみや生活の苦しみに例えて阿鼻叫喚と言われます。また、事故や事件現場でおぞましい光景を見てしまったときに阿鼻叫喚のようだったと話をすることがあります。あまり経験したくない阿鼻叫喚ですが、どこかで経験してみると日常生活が平和でいられることの大切さがわかります。

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目を伏せる

【漢字】目を伏せる 【読み】めをふせる 【意味】視線をそらし見ないようにする。 【例文1】意中の子と目が合い恥ずかしくて目を伏せる。 【例文2】目を伏せたくなる事件現場だ。 【例文3】ガラの悪い連中とは目を伏せる。 私は48歳、戦争を知らない世代です。もっというと1番裕福な時代に育ってきました。広島、長崎に原爆資料館がありますが、本当にこの施設を見て目を伏せる光景でした。手の皮がただれて幽霊のように歩く人達、路面電車の中で息絶えた地獄の写真、水を求めて川に飛び込んで行く負傷者本当に目を伏せる光景です。私たちは何が出来るか、この目を伏せる光景を2度と起さないように、後世に伝えていかなければなりません。人として人が殺し合うひどい戦争、今報道で戦争寸前までいっている国がありますが戦争をして何になるのでしょうか。このように戦争を目論んでいる人達に広島、長崎の原爆資料館を見学させたらどうでしょうか?人間は古代から目を伏せるような人と人の殺し合いをしてきました。日本もそうです。戦などで大量の人々が亡くなって行きました。このような戦争を目論んでいる人達の頭の中をかち割ってどうなっているか見たいくらいです。戦争が終わる度に多くの人たちが戦争の反省をします。しかし時間と言うものは恐ろしいもので、また、戦争を繰り返して、広島、長崎のような目を伏せるような戦争を繰り返す。核戦争でも怒ったら目を伏せるようなことでは終わりません。地球が無くなります。

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見るに見かねる

【漢字】見るに見かねる 【読み】みるにみかねる 【意味】黙って見過ごす事ができない。 【例文1】公園の捨て犬を見るに見かねて連れて帰る。 【例文2】見るに見かねて手助けをする。 【例文3】見るに見かねて手を差し伸べる。 日本は大変裕福な国です。経済大国第3位、みんなが同じような教育を受けることが出来、衣食住も確保されています。いくら貧富の差があると言えど分化的な最低限度の生活は保証されています。私自身も生まれた時から何不自由なく大人になりました。バブル期には日本中が幸せな華やかな暮らしもできました。しかしです。こういう裕福な生活が出来る国もあれば、食事もろくに摂れない、毎日の生活が生きるか死ぬかの生活をしている見るに見かねる国もあるのも事実です。内紛で親を亡くしたり、今日食べる食事もない特に子どもたちが可哀想です。 教育も受けられない。着る服もない。ストリートチルドレンが仕事で本当に安い報酬で働いている。日本の子どもたちでは考えられないことです。見るに見かねるこの風景、一部の人達はこれらの恵まれない子どもたちを助けようと懸命に人助けを、していますが、焼け石に水です。大人が巻き起こした色々なことで子どもが犠牲になるのは間違っています。今の大人達は私も含めてかも知れませんが、自分の事しか考えていません。次の未来を支えていく子どもたちをもっと幸せにしていくのが私たちの役割では無いかと思います。その為にも、大人達が今こそ目覚める時です。 「見るに見かねる」とは一般的にも知っている人が多いとは思いますが、端で見ていられない、見ていて安心できないといった意味で使われます。 この言葉をパッと見た時に、恥ずかしながら私の頭には実の妹が浮かびました。 というのも、私の妹は末っ子なだけに可愛がられて育ち、天真爛漫、マイペースな所があり、小さい頃はそれもチャームポイントでした。バカな子ほど可愛い、と言われますが、まさに周りもそのように見ていたのでしょう。 しかし、中身はそのまま、見た目だけ大きくなってしまうと大変です。 周りがずっと甘やかしてきただけに、こうしていれば可愛がってもらえると思ってしまって、見るに見かねる痛い成長を遂げてしまったのです。 勉強に関しても全くやってこなかったために、世界三大美女クレオパトラの名前を見て、犬の名前だと言い切った彼女の頭の中にはあの名犬、パトラッシュが浮かんでいたようでした。 さすがにこんな一般常識のない状態では社会に出てから苦労すると思った私は、心を鬼にして注意しました。 「あなたのその見るに見かねる振る舞いはどうにかならないの?」と言うと、妹はポカーンとしていました。 今まで言われなかったことを指摘されて、ショックを受けたのかと思った次の瞬間、妹はこう言いました。 「見るに見かねるって…どんな意味?」 そうきたかーと思って、怒る気力も失せてしまいましたが、その後、アルバイトなども経験して大人な考え方も身につけたようで、結果的には安心しています。

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針の穴から天をのぞく

【漢字】針の穴から天をのぞく 【読み】はりのあなからてんをのぞく 【意味】針の穴から天を覗いても一部しか見えない。つまり自分の狭い知識で物事を判断しようとする。 【例文1】ネットの情報だけで針の穴から天をのぞく。 【例文2】経験が浅く針の穴から天をのぞく。 【例文3】針の穴から天をのぞいても説得力がない。 田舎に住んでいると近所でうわさ話をされることがありますが、人は針の穴から天をのぞくのごとく話をしているんだなと思います。悪口を言う人達は誰しも自分の物差しでその人を判断します。自分の狭い世界をもとにして、悪口を言い勝手に話を膨らませていくので、まさに針の穴から天をのぞいているなと実感します。会社で社長やっている人でも、近所で誰にも言わなければただのサラリーマンだと思われます。社長クラスになると出勤時間が遅いことがありますが、近所の人達はまた寝坊してるだとか会社をさぼっているだとか、針の穴から天をのぞくうわさを広げていきます。ネットの世界でも似たようなことが起きます。ブログを書いていると、どこかの掲示板に悪口を書いてくる人がいて、何もわかっていないのに自分の小さな知識を元にしてその人を判断してきます。何をいわれようと気にしなければいいのですが、小さな針の穴から世界を見ているんだなと思うと哀れに思えてしまいます。誰しも自分が一番になりたいですし周りの人に評価されたいわけですから、針の穴から天をのぞく気持ちはわかりますが、もう少し知識を付けて人を評価した方がいいのではないのかなと思うことがあります。 狭い世界の中で生活をしていると、どうしても視野が狭くなりがちです。 自分の狭い解釈の中だけで、大きな物事を判断するのは、時には危険なこともあります。 大きな物事を判断する時は、できるだけ広い視野の中で行うようにしたいものです。 「針の穴から天をのぞく」ということわざも、まさにこのことだと言えるでしょう。 会社などの組織の中で、時には上司が裸の王様になってしまうことがあります。 部下はそのことに何も言えずに、ただ表面上は従っているのですが、王様は部下の本心が見えずにいます。 このような状態にならないためにも、普段から円滑なコミュニケーションが大切だと思っています。 仕事の効率を上げて行くためにも、阿吽の呼吸が必要な時もあります。 しかし、社内での特に上下関係の間でのコミュニケーションが取れていないと、仕事にも悪影響を与えてしまいます。 初めから平等な立ち位置では無いので、円滑なコミュニケーションを取ることは難しいかもしれません。 ですが、誰かが誤って「針の穴から天をのぞく」ような、判断を行わないためにも、立場や年齢に関係なく、相手の意見に素直に耳を傾ける姿勢が重要だと思います。 私もそうならないように、十分に気をつけて行こうと思います。

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天王山

【漢字】天王山 【読み】てんのうざん 【意味】豊臣秀吉と明智光秀が戦った天王山の戦い(山崎の戦い)が由来である。試合で勝負を決める大切な局面。 【例文1】優勝争いもいよいよ今日が天王山となる。 【例文2】天王山もいよいよ大詰めを迎える。 【例文3】天王山杯を制する。 スポーツなどのここぞという場面において使われる「天王山」という言葉ですが、勝敗の分け目など、大事な局面という意味があります。 そもそも天王山とは、京都南部にある山の名前ですが、1582年の山崎の戦いで、古くから水陸交通の要地となっていた天王山を先に占有した豊臣秀吉が明智光秀を破ったという故事から、このような意味に転じたという説があります。 この戦いから秀吉の天下が始まった訳ですから、まさに人生の分岐点を示す言葉にピッタリですよね。 スポーツは観た人に感動を与えることができるものの一つですが、アスリートの人にとって、やはりこの天王山の戦いにいつも通りの力を発揮できるか、という点は実力の一つだと思います。 緊張するといつもの力が発揮できない、と感じている人も多いでしょうが、その点、プロのアスリートの人の精神力は計り知れないものを感じますよね。 自分だったらプレッシャーで胃が痛くなってしまう、というシチュエーションでも、いつも通り、時にはいつも以上の力を発揮するアスリートは、きっと練習の賜物なのでしょうが、さすがとしか言い表せません。 人生においても、用意周到に準備しておくことが、天王山に力を発揮する上で重要なことなのだろうと、スポーツから学びました。

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